メシヤ講座・特選集no.17(平成14年6月分)

見事にガラスの破片が指から出る

 先月、親指が大変腫れていましたが、ガラスの破片は出てきましたか?

「見事にですね、ガラスの破片が出てきました。5月24日の朝、左手親指の腫れているところの上部がピカ-ッと光るんです。‘遂に出てきたな’と思い、ニヤリとしましたね。実にきれいなのです。そんな情景を初めて見た人はビックリしていましたね。中には驚いて震える人もいました。

そして26日、朝風呂に入って服を着る時に、その服に引っかかってポロリと抜け出ました。出血はほとんどありませんでした。ガラスの破片の下で肉がしっかりとできていたのですね。人体というものは素晴らしいですね。そしてこうした御守護をいただけるのも、メシヤの教えがあり、浄霊の力があるお蔭ですね。

ガラスの破片は、これです。対角線が4ミリ×6ミリの菱形のような四辺形の立方体で厚みが3ミリほどあります。見てください。また、親指はこのようにきれいになっています。人体の自然治癒力が発揮された結果です。まず異物を排出するということで、ガラスの破片を押し出した。そして傷となったところを修復した、ということですね。

しかし2ヶ月間掛かっています。現代人の中で、待てない人が増えていますね。‘瞬時’という言葉は、情報活動では絶えず求められていくことですが、それを全てに当てはめていこうとしたら勘違いが生じます。」

健康が自然、それを支えるものが浄化作用

 やはり現代社会がそのように傾いています。風邪でも2~3日休めば良いものを急いでしまいます。だから薬に頼ってしまいます。せっかく異物を排泄する浄化作用として風邪を引いても、新たに薬という異物を入れては何にもなりませんね。

「まったくその通りですね。せっかく人体には素晴らしい力が備わっているにもかかわらず、そのことを知らないがために力を生かしておりません。そればかりか、かえって人体を弱らせています。時期を待つということが大切ですね。

赤ちゃんの成長を見ると良く解ります。寝返りを打つのにどれぐらい掛かりますか?ハイハイは?歩くのには1年掛かります。私は命を救われましたが、回復の経過では大変な学びをしました。それは時間を掛けるということです。外傷性くも膜下出血と診断され、痛みや麻痺がまだ少し残っています。左手の握力は20%くらいの回復です。万全な歩行能力ではないために、ちょっとした段差に引っかかって2回転びました。

やはり、本来の機能を取り戻すためには時が必要なのですね。しかし、機能が回復するごとに感謝の念が湧き起こります。先程の風邪というものは、苦しみを伴いますが、身体に堆積した異物を痰や鼻水などの形で体外へ排泄してくれます。ですから、人体を健康に保つための作用です。言わば神様の愛でもあります。

ところが、そうしたことを知らないがために、早く苦しみを取り除きたくなるのです。仕方がないことですね。本来、人体は健康であることが自然ですし、それを支えているものが風邪をはじめとする浄化作用なのです。そのことが解った人は幸福ですね。」

‘自分づくり’について

― 先月、問題解決の鍵は‘自分づくり’にあるというお話をお聞き致しました。大切なことと受け止めさせていただきました。実際どのようなことに留意したらよいのでしょうか?

「問題というのは出発点に原因がある場合が比較的に多いですね。見切り発車的に物事をスタ-トさせてしまう。次は、途中で‘このままではいけない’と気付いてもそのままにしてしまう、という優柔不断さですね。決断力の弱さですね。ですから、問題の起こったと見られる出発点に戻って、そこからやり直さねばなりません。

それからもう一つ、自分の精神の癖ですね。優柔不断さや決断力の弱さもそれに当たるでしょう。この精神の癖が絶えず問題を引き起こす場合があります。

問題の出発点などは、自分で考えたり、有識者に相談すれば次第に解りますし、対応策も解ってきます。解ったことから取り組んでいけば解決へ向かいます。ただ取り組みを継続できるかどうかということが肝腎なことです。人間の心の弱さが継続を阻むことが多いですね。弱さを克服する時に力をくださるのが神様です。そこで信仰が必要になるのです。

また、神様は正しい祈りは叶えてくださいますが、正しい祈りかどうか、ということが問題ですね。神様のご意図というものは、奥があり、そのまた奥に奥がある、ということですから(笑い)大変なのです。やはり『成長させてやろう』という愛があるのですね。成長するために取り組まねばならないことの代表例は以前にもお話しましたが、‘依存性’と‘幼児性’を取るということです。

こうしたことを考える時に精神の癖というものが課題になってくるのですね。これもジッと自分を見つめていますと、解ってくるのです。しかし直すに直し難いものなのです。何故かと言いますと、精神の癖とは無意識で物事や出来事に反応するものだからです。無意識だからこそ中々難しい。詳しくは信仰読本を読んでいただくと解ります。

突き詰めて考えて、課題を明確にしてコツコツ取り組んで行くことで直していくことができます。様々な宗教が行う修行というのは、本来そのことが目的なのですが、勘違いをして修行を捉えているところが多いのが実情ですね。」

構造改革について

― 構造改革についてですが、中々巧く行かないように見受けられます。どうしてでしょうか?

「いや、進んでいるのです。橋本内閣から始めたこともありますからね。ただ、進んではいるのですが、利権政治への疑いが消えないので巧く行かないように見えるのです。

何事も精神が大切なのです。郵政について解りやすい事例を話しますと、10年位前に自然食品の業者の手助けをしたことがあります。北海道の海産物を取り扱っていたのですが、たまたま同行しました。そこで宅配の運賃を詰めている時に、‘えらく安いなあ’と思って尋ねてみました。郵便局長に頼んで速達の印を押してもらっていると言うのです。

普通料金で、速達印ですよ。速達は先方の郵便局の仕事だから、当地の郵便局には関係ないということらしかったですね。誤魔化しですね。呆れてしまいました。私はこんな考えの人達のする仕事に不安を覚え、海産物の作業場を見せてもらうことにしました。現場のおばさんにソッと‘本当に無添加ですか?’と尋ねてみました。答えはNOでした。即刻取引を中止するように助言し、業者は実行しました。

実行した業者はその後、新たな取引相手を得ることに苦労しましたが、信用に足る人々と出会いました。そして素晴らしい海産物を供給できるようになりました。しかし、先の海産物業者や郵便局長の癒着は続いたことでしょう。ですから、精神の問題です。‘骨太’ではなくて‘精神’を掲げてもらいたいですね。

まあ、小泉さんのことを‘『聖域なき構造改革』をシャウトするだけで、改革の具体的な道筋を論理的に説明する能力に欠ける’と指摘する人もいます。当たっているようで可笑しいですね。郵政民営化も抵抗勢力が妥協案をまとめれば通るでしょうし、面白い政治手法ですね。」

お盆の慰霊祭について

 先祖の慰霊については善言讃詞を奏上するとよいと伺ったのですが、先祖の救いになるのでしょうか?

「理解しやすいように、私の若い時の体験をお話いたしましょう。原因不明の頭痛に苦しむ人が四国にいまして、色々と事情を聞く内に墓が関係していることが解りました。家の裏の小道に一つの石があって、それがどうも先祖の墓石らしいのです。人一人通れるような小道にポツンと石がありまして、それをよく皆踏んで歩くらしいのです。

自然石を使った古い墓です。‘これはいけない’と気付いて‘何とかしよう’ということになり、更に調べてみると、400年以前の墓をはじめ40を越す墓が一帯にありました。それで全ての墓上げをして、先祖代々の墓を建てることになりました。私は初めてのことでしたので、メシヤの教えに則って誠を尽くして斎行するしかないと意を決しました。

メシヤの教えでは、土葬の場合、埋葬後100年までは全て堀り上げ、100年以上は墓石から30センチほど下の土を掘り上げ納めるということです。因みに、いざ作業を進めると、100年未満の墓では遺骨が必ずあるが、100年以上では遺骨を見つけることができませんでしたね。

墓上げ作業を終え、建墓式を執り行いました。善言讃詞を奏上致しました折り、それまで暗い曇り空だったのですが明るい日が差し込んで、‘先祖の喜び’が伝わってきた想いが致しました。

ところが、その人の奥さんは不安だったようで、翌日熟練の霊媒師を呼んで‘本当に墓の先祖が上がっているかどうか’を調べてもらったようです。私が余りにも若かったからでしょう。後に告白されましたが、『こんな見事な墓上げは珍しい。全て喜んで上がっている』と太鼓判を押された、と言ってました。何か変な気持でしたね。

メシヤの教え、それから善言讃詞というものは、それ程偉大な救いの力があるのですね。お盆も近づいてきますので、慰霊祭などでは善言讃詞を心こめて奏上すると良いですね。」

(この内容は、6月に各地で開催されたメシヤ講座から抜粋したものです。)

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