メシヤ講座・特選集no.29(平成15年6月分)

<体験記>
鎮痛剤、精神安定剤ともさよなら!
自堕落だった自分がウソのように・・・
豊橋市 松井美登

母と姉が、一昨年頃から浜松の増田牧子さん宅で開かれる「メシヤ講座」に参加するようになりました。私も神様のことには興味がありましたので、‘行ってみようかな’とは思いました。しかし‘よし行こう’という気分にはなれず、当日になると気持ちが重くなったり、体調が悪くなったりして参加できない状態でいました。

そんなことを繰り返していた時、母が脳梗塞で倒れ入院するという事態が起きたのです。 ‘浄霊をしてあげると良いよ’と増田さんが話してくださったので、初めて 平成13年8月のメシヤ講座に参加しました。その日の体調は最悪でしたが、何とか勉強して浄霊の仕方も教わりました。

入院している母のところへ行き、言われた通りに‘光が母を貫いていく’想念で浄霊を取り次ぎました。‘訳わからず’といった状態でしたが、少しすると、火にでも近づけているかのように手の平が熱くなりました。同時に、ものすごく眠たくなりました。その時点では‘何でこんなに熱くなるの?’‘あ~眠っちゃった!’くらいにしか思いませんでした。

次回のメシヤ講座で、『メシヤ様から流れてくる光が身体を通過したのだよ』と知らされ、不思議な思いでした。そのような体験がきっかけとなり、私もメシヤ講座に毎月参加するようになりました。行く時は気分が優れず、しぶしぶ付いて行くという感じでした。‘訳のわからない難しい話しをしているなあ~’と思いながらも、夢中で耳を傾けていました。そして帰る頃には、いつも気分がスッキリしました。

母への浄霊で価値観が一変

また、私は時間のある限り病院へ出向き、母へ浄霊を取り次ぎました。母は、倒れる時点より半年も前から症状が出ていたらしく、検査の結果で数十箇所に及ぶ毛細血管の切れた痕や血液の詰まった痕が見つかりました。世間で話題になっているように、信号のような症状が出ていたのでした。

物忘れが多くなったり、言葉数が少なくなったり、動きが緩慢になったり、台所の片付けが雑になっていたのでした。後から聞いた話では、トイレで2~3回つまずいていたり、包丁を握れなくもなってもいたそうです。そんな深刻なこととは露知らずに、甘く認識していたのでした。反省の意味もあり真剣に浄霊を取り次ぎました。お蔭様で短時日で退院でき、後遺症も軽く済みました。

退院後は、浄霊力に確信がある訳ではありませんので、定期検査の結果を見ては薬の量を減らし、浄霊を継続しました。2年過ぎた今では、一切薬を飲まなくても数値は安定しております。そして何よりも、母はすっかり後遺症が消え、以前よりも活き活きしております。しばらく休んでいた本業にも精を出せるようになり、そんな前向きな母を目にすると、浄霊の素晴らしさを実感することができます。

こんな素晴らしい世界があるのだなあ~と驚きでいっぱいです。そしてこのことから私の価値観が一変していったのです。

仕事の過労による精神不安

お蔭をいただいたのは母だけではなかったのです。浜松でのメシヤ講座は私に数々の変化をもたらしました。私は、‘行く時は憂うつだけど、良いお話が聞けるし、気分が良くなるから行こう’と思いました。また、メシヤ講座やメシヤ教の書籍の内容は私にとって難しく、辞書を引きながら理解を深めました。

ある時先生は「『メシヤ講座・特選集』を毎日読みなさい」と言われました。毎日なんとなく読んでいると、1ヶ月位経つ頃には頭の中にス-ッと入るようになり、自然と会話の中に内容を引用しており、そんな自分の変化に驚いてしまいます。と言うのも、私は幼い頃からわがままいっぱいで育ちました。

周りの人たちが手をかけてくれ、思っていることを口に出して喋らなくても何でも自分の思い通りになっていました。‘私のことは誰かが何とかしてくれるものだ’と思い、気に入らないことや思い通りにならないことがあると、すぐ怒ったり泣いたりして、29年間好き勝手に過ごしてきました。

高校卒業後などは、夜遊びの癖がつき家にも帰らずフラフラしていました。就職は卒業の2年後です。憧れの職業(エステ)だったので、懸命に勉強をし働きました。しかし、気分にむらがあるので、気が向かないと無断欠勤で遊ぶというありさまでした。

それでも東京に移ってからは仕事に熱中していました。努力しましたので評価も上昇し、次第に忙しくなりました。しかし、私は遊ぶ割には根がまじめなところがあり、お客さんの反応ばかりが気になり、‘満足してもらえたかなあ~?’‘ありがとうと言ってくださるが、本当かなあ~?’ということが、いつも頭にありました。

また、仕事が過密になると、鎮痛剤を一時間おきに飲んでは、身体をごまかして働くようになりました。その頃、周囲の忙しい人も同じような事をしていましたので、当然なことだと思っていました。しかしこうした生活は、やがて破綻しました。

私の仕事は評判を呼び、全国でトップクラスに入ってしまいました。ところが、心底喜べないのです。‘こんな私が?・・・間違いじゃないの’‘もっとまじめにやっている人がいるのに申し訳ない・・・’と思えるのです。

思えば、この頃から精神不安定になっていたのです。気分の浮き沈みが激しくなり感情が収まらず、自分の身体を傷つけて、その痛みで収めたりもしていました。やがて人の目を見ることができなくなり、声が怖くなり、身体も重くなり、自殺すら考えるようになってしまいました。ついに仕事を止め、ひどい状態で実家に戻りました。

戻ってからの生活もひどく、何をすることもせず日を過ごしました。また話し掛けられることがとても怖く、喋ろうとすると声が出なくなり、心の中でつぶやいていました。自分ではどうしようもなくなり、母に精神科へ連れて行ってもらい、精神安定剤を処方してもらうまでになりました。外出もできなくなり、1時間も外出すると疲れで熱が出て寝込むというような状態でした。

2年間の闘病生活が続きましたが、精神安定剤などの薬を止めることでかえって元気が出てきました。そしてやっと体力が付き、再就職しました。しかし、悲劇はまだ続き、就職した先々が倒産しました。それからはまた逆戻りで、‘やりたいことだけやっていればいいじゃん’という思いに浸り、適当にアルバイトをして好き勝手なことをするという自堕落な生活を重ねていたのでした。

メシヤ講座で人生の意義を学び、生きる楽しさがこみ上げる

そんな自分を180度転換させてくれたのが「メシヤ講座」だったのです。参加者の方々がする質問、それに対する先生の解答。それらは私にとって驚くべき内容でした。‘何でこんな素晴らしいことに触れることが今までなかったのだろう?・・・’という思いが頭の中にいっぱいになりました。

その一つひとつに触れる中で、私は人生について深く考えることができました。人生の意義について知ることができました。今まで誰も教えてくれなかった新鮮な内容でした。そして私の中に生きる意欲が芽生えてきたのでした。

今、毎日が楽しくて仕方がありません。‘生きるって、こんなに楽しいことなんだあ!’と、初めて思いました。全てにおいて行動的になり、‘誰かにしてもらおう’とか‘自分だけよければ’とか思わなくなり、気に入らないとすぐに怒るということもなくなりました。お蔭で、希望通りの仕事にも就けました。

また、以前は距離を置いて人と接していた私ですが、今では人が集まってくるようになり、中には私を頼ってくる人もあり、戸惑う場面すらあります。しかし、かつての私のように悩みを抱えている人が多く、その方々の少しでも役に立ちたいと思えるまでになりました。そのためには、これから更なる勉強が必要です。一層メシヤ講座を学び、先輩の方々から教えを受けてまいりたいと考えています。

御守護くださった大御神様、メシヤ様、そしてお導きくださった楳木先生に感謝申し上げます。また、お世話をしてくださっている増田さんはじめ、人生経験豊富で教養豊かな先輩方にお礼を申し上げます。さらに、ハラハラしながらも温かく見守っていてくれた父、支えてくれた母、メシヤ講座に引っ張ってくれた姉に感謝でいっぱいです。

ありがとうございました。

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<お話>
「地上天国祭」挨拶
メシヤ教代表  楳木和麿

顕現神の神格と御神体

地上天国祭おめでとうございます。意義深い御祭りを皆様と共に執り行わせていただき、心から感謝申し上げます。

本日は初めに、先月行なわれました『御神体御奉斎・4周年記念式典』においてお話した内容と重複しますが、御神体についてお話いたします。

私が独自に宗教活動を始める数年前から、御神体についての御内流があるようになりました。それは一文字でしたが、明確な字形ではありませんでした。そのため私はメシヤの教えを紐解き、御神体について思索いたしました。

『御神格が上がると、御神体は抽象化していく』という教えがあります。宗教を創唱する折りに働きかける神様を‘顕現神’と尊称いたします。そして顕現神に真向かうために設(しつら)える神籬(ひもろぎ)を御神体と尊称いたします。

その御神体は、まず誰にでも解りやすい‘像’から始まり、文字となり、神名が解らない抽象的な表現となる、ということです。ですから、偶像崇拝を嫌うという宗団は、理が通っているところがあります。また、‘天岩戸隠れ’に関わる‘天津金木’は、深い神秘が隠されていますが、万教帰一時に明らかにされます。

その頃、参拝するたびに文字が浮かび上がりましたが、私は新たに教団を立教することなど念頭にありませんでしたので、不可思議でたまりませんでした。人に漏らす訳にもいきませんでしたので、御内流と教えを照らし合わせて沈思黙考を続けるといった状態でした。

ところが、皆さんご承知のような事が起こりまして、立教せざるを得ない状況になりました。そして平成11年の2月、立春の時にその文字が明確になったのです。起こってくる事態と文字の明確化が一致しました。私は恐(かしこ)みました。

何故私が?と考えても仕方のないことではありますが、色弱が治癒した中学2年生の時から本格的に教えを求め始め、当時の教団に疑問を持ち、それは平成11年まで続きまして、文字が明確になった瞬間に疑問が氷解したのです。その中身は『信仰読本』に記述してありますので、再読してみてください。

特に、改めてご認識いただきたいところは、古神道及び大本神諭の流れを汲む霊言に登場する『時代の転換期に鍵となる文字』が御神体であるという一点です。非常に意義深いわけです。

その御神体に真向かう者は、何を祈り、何を規範として生活していくのか、ということを今年の後半に縷々説明していく所存です。すでにその一端を「学生の皆さんへ」というお話の中で開始していますが、少しずつステップ・アップしていくつもりです。

『火の洗礼』の型が顕著に

さて、本日執り行わせていただきました「地上天国祭」は大変意義深い祭典です。立春祭を期して弥増す神威は、本日を以って現界に移写されます。移写されるとどうなるかと申しますと、キリストは‘水の洗礼’でしたがメシヤは‘火の洗礼’ですので、浄化力として強烈に現れてきます。

水はものを洗うとどうなりますか。水は汚れます。そういう性質をもっています。そのため水の洗礼は、自らも汚れ威力は衰退します。しかし、火は汚いものを燃やすとどうなりますか。燃やせば燃やすほど、益々盛んになります。ですから、火の洗礼は益々威力を増します。

浄化力は強烈ですので、私達人間にとっては惨状の様相を呈することもありますが、これから顕著な型で現れてきます。また火が盛んに燃える時は水も多く必要になりますので、雨というものも多く降ります。そうした認識を持って、周辺に起きる事象を注視すると良く解ります。

それでは、このように浄化力が増す時に私達はどうあればよいのでしょうか。浄化というものは霊の曇りに対して起きる訳ですから、自己を浄めていけば良い訳です。浄霊というものはそのためにあります。しかも、地上天国祭から浄霊力も強化されますから、安心できます。

ただし、浄霊というものは‘霊の行使’ですので、意識をしっかりともって取り組むことが大切です。強化される浄霊力を、身に着けることができる‘自分づくり’への意識です。

そして注意しておくべきことがあります。私達は、世相を批判すると同時に、世相から様々な影響を受けてもいます。つまり、批判もするが、汚染されてもいるということです。世界を震撼させた新型肺炎SARSの問題にしても、私達に課題提起をしているところがあります。これについては、「動物由来感染症」の問題が取り沙汰されています。

あまり知らされてはいませんが、人獣共通感染症は世界で200種以上、日本でも60種以上あると言われています。細菌やウイルス、寄生虫ともなると恐ろしい数になるようです。ですから、ペットを不用意になめたり、口移しでエサを与えたりすると危険な事態を招く場合があるので、注意が必要です。SARSは、それ以上のことをしてしまったところで起こっている問題です。そして、エイズ・ウイルスはもっとひどいことが在ったために、人間世界へ入ってしまいました。

人間の尊厳性を失い、他の動物と同化していく現象のようで、恐怖さえ感じます。人間の勘違いが端を発した問題です。勘違いと言えば、文学の世界でもあります。「桃太郎」という物語は真意を理解できずに後世で改竄され、それは日本人が本質的なことを語り継がなくなった事と深く関わっています。ですから、霊を浄めていく、霊性を高める、という課題は多くの要素を含んでいる訳です。

判釈・「最後の審判」の型は、精神病と血液病の蔓延

その要素を的確に取り次いでいくのが、宗教の役割です。宗教活動は‘あらゆるものの判釈(はんじゃく)を示していく取り組み’と言われています。メシヤ教の場合、他の宗教と際立って異なるところは病気に対する判釈を持っているということです。

中でも薬禍・薬害の警鐘を鳴らし、広く世論を喚起したことは特筆すべきことです。そして、メシヤの教えによれば「最後の審判」の型は精神病と血液病の蔓延で現れる、とされています。

近年起こる犯罪を検証すれば、精神異常の度合いがかなり進んでいることが窺えます。血液病は、エイズに象徴されます。警告通りに推移していることに驚愕します。宗教の果たす役割は、非常に重大になっております。

意義付けを得なければ、生甲斐は生まれない

判釈は教えとして出てまいりますが、神の御意図、救済活動のあり方を明らかにして、今日ただ今の人生に対して意義付けをします。意義付けができなければ、真の意味での生甲斐は生まれません。喜びある人生にはなりません。

また、意義付けを求めることを積み重ねなければ、人生の不思議さや人生の美しさ、人生の素晴らしさを味わうことはできません。

メシヤ講座・特選集の4月分から体験記の紹介を始めましたが、そうした点を学んでいただきたいためです。特に解説は加えておきませんでした。それは、まずは自由な感想を持っていただきたい、と考えたからです。判釈である教えと照らし合わせて考えてみてください。解説的なことは、次回から順次お話して行きます。

今日の日を‘神様に真向かう自分はどうあるべきか’を考える機会としていただき、浄霊力を強化する意識を持つ日としていただきたい、と願っております。また、いつも精神が汚染され、魂を曇らされている、ということを警戒しつつ、霊性の向上を目指して生活を送っていただくことを願っております。

メシヤの教えに貫かれている精神を現代に求めて、生甲斐ある人生を歩みたいものです。(要旨)

<参考資料>「動物由来感染症を知っていますか?
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