メシヤ講座・特選集no.32(平成15年9月分)

<体験記>

子宮ガンの手術を免れる
大分県九重町 藤原マサヱ

4年前楳木先生がメシヤ教を始められた時、前の教団で楳木先生のお母様にお世話になった方々は、教団からの信仰者と思えないような非難中傷に翻弄され離れていきました。

そのような中で、私がメシヤ教で行こうと決めたのは二つの理由からです。

1つは、この信仰は主人の母から受け継いだものであり、母は亡くなるまで楳木先生のお母様にお世話になりました。そこから離れることを母は喜ばないだろうと考えたからです。

2つには、何よりも私自身が浄霊によって救われているからです。その時にも楳木先生のお母様に大変お世話になりました。

7年前のことになります。町で行なわれた健康診断の後、「要・再検査」という知らせの葉書が来ました。南大分の県立病院へ出向いたところ、精密検査を受けるように指示され、一週間おきに通いました。そして、一ヵ月後に「子宮ガン」を告知されたのです。

医者は‘手術’を勧めてくれましたが、私は思いもよらない事で頭がパニックになってしまいました。そして、楳木先生のお母様のところへ相談に駆け込んだのです。「一定期間浄霊をいただいてから決めれば良いよ」と言ってくださいました。手術の日取りも決められていましたが、延期することにしました。

それからは週に2回仕事帰りに通い、浄霊をいただきました。初めて真剣に浄霊をいただきました。また、自分でも毎晩浄霊を致しました。

そのお蔭で良くなったのです。「浄霊ってすごいんだな」と思いました。また、明主様(メシヤ様)が御光を私に与えてくださったんだ、と感謝でいっぱいになりました。

信仰は主人の母から受け継ぎましたが、私自身の信仰の原点、明主様への感謝の源はここにあります。

そうしたことがあり、私はこれからもメシヤ教で学びを重ね、浄霊に励んでまいりたいと自分に言い聞かせております。ありがとうございました。

<お話>
 青年布教師時代(2)
メシヤ教代表 楳木和麿

霊憑りの話

「若い方々や信仰歴の浅い方々の参考になって欲しい」と願って、青年布教師時代の話をしています。

前回、高知市に隣接する地域で前の教団の布教所長に就任した折りに、当地在住信徒の代表から不安視する声が上がったことをお話致しました。その‘急先鋒’とも言うべき人がお世話する地域で霊障で苦しむ方が出ました。当初私には報告がなく、自分達で解決する算段だったようです。しかし思うように行かず、結局私の耳に入ってきました。

私は、早速苦しんでいる方のお宅へ出向きました。典型的な霊憑り状態でした。霊憑り状態の方に取り組む場合、メシヤの教えでは『九割方は動物霊である』ということですので、真相を見極めその言動に惑わされないように細心の注意を払うことが肝要です。

つまり、九割方は動物霊であるので、人霊であるかどうかを見極めることが重要なのです。そのためには、浄霊をする場合、相手の目の奥を見据えて憑依する霊自身に向かって浄霊をすることが不可欠です。どのような現象が起ころうともたじろがず、断固たる救霊の精神で相対すれば、動物霊は逃げ出し、人霊は救いを求めます。

腰を据えて浄霊に取り組みますと、憑依した霊が願いを告げ始めました。その霊は他宗教の熱心な信者でしたので、死後苦しんでいる当人から「祖霊祭祀」をされてしまい迷惑をしているということでした。それは教えにも叶っていることなので、願いを聞き入れるように答えましたところ症状は落ち着きました。

私はその日、当家に泊まりこみ浄霊を致しました。そして、当時の上司に報告致しました。しかし、「祖霊祭祀」については‘霊にやられているのだろう’と言い退け、取り合いませんでした。結局憑依霊の願いは聞き入れてもらえず、教団の祖霊祭祀事業に疑問が残りました。なぜなら、『死者の改宗はすべきではない』という教えがあり、教祖ご自身『仏のことは仏に任せろ』というお考えを示されていたからです。事業そのものに対する問題意識が生じたことは事実です。

このことは後述する、教団改革の一要因にもなりましたが、その時点では症状が落ち着きその家族にもきちんと説明をしたため、問題は解決致しました。その一部始終を見ていた‘急先鋒’の人は、「立場に働く神様の力は絶大である」という意義付けをして、私を受け入れました。

歴然とした霊的知識の差であるのですが、相手は年輩でもありますのでその意義付けでしばらく‘よし’としておきました。そんなプライドの対峙より、私にとって大切なことは祖霊祭祀事業に対する問題意識でした。一段と教えに求めていかねばならない、という決意を強く致しました。

この事業こそ、教祖ご昇天後に他宗からの助言で開始することになったものでした。それは、教祖の葬祭に端を発し、やがて教団の祭典形式にまで影を落とし、教祖の考えとは異なる形式で執り行われることになり、教団全体が歪んだ方向へ進んでいったことは後で知り得たことです。

その時点では、教えの研鑚を重ね、現代にその精神を求めると共に、誠心誠意任を果たしていくことこそ最重要課題であると心得ました。

八足の話

次にお話する方は、先月ゴルフ練習場建設にまつわるお話をした経営者の方です。この方は40世帯余の信者さんをお世話していましたが、50名の社員を動かしている人なので、見るところが違いました。

責任者に就任して間もない頃、その方ともう一人加わり三人で県本部の宿直奉仕に臨んだことがありました。宿直奉仕とは、県本部の御神前の清掃奉仕と建物全体の警備をするのが奉仕内容です。

一通りの奉仕を終えて談笑していたら、急に姿勢を正して「今日から年齢のことは抜きにして、信仰の指導者として仰いで行きます」と言いだしました。私は驚いて話に聞き入りました。

話によると、当時御神前に設(しつら)えられていた八足を布巾で拭いている姿を見て、「丁寧な掃除ぶりは‘本物の信仰者’の証だと直感した」と打ち明けてくれました。八足には八つの脚があり、それが三段ですから24本あります。その1本ずつを隈なく拭いたのです。極当たり前のことをしたのですが、他の専従者の時とはやり方が違ったそうです。つまり手を抜かなかっただけなのです。しかし見る人は見ているのだなあ、と痛感しました。

このことがあってから、その代表者は信頼を寄せてくれ、ゴルフ練習場建設等の事業上の相談を私にするようになったのです。本来やるべきことを手を抜かずに続けること、の大切さをしみじみと感じました。そして、教団がさらに大きくなるためには、専従者の基本の教育が重要だという意識が強くなりました。

時代の精神の変化の一つに‘高速化’があります。今日では、インタ-ネットの高速接続が常識になりつつあるように、多くの事柄をより短い時間枠に圧縮して処理することが可能になってきました。そうしたことが日常化してまいりますと、人々はあらゆることに即答を求めていきたくなります。そうした流れが始まった頃でした。

しかし、御神前の清掃は、そうしたものとは次元を異にしております。いや、そうであるからこそ、尊い場所を丁寧に掃除する時間が貴重なものになっていくのです。そのことをよく理解した上で従事していかねばなりません。そうしなければ、社会情勢と同じように、仕事に追われ何かにせっつかれている状態に導く側の者が陥ってしまいます。

それでは救いの場は生まれません。掃除なら‘掃除の精神’を確たるものにして、事に当たっていかねばなりません。そうした鍛錬を積み重ねていかねば宗教者としての役割を果たしてはいけない、と強く思ったのです。

先達の話

地域の代表の中には現職の村会議員の方もいました。約100世帯を夫婦でお世話に当たっていましたが、奥さんは教団の資格を有し、民生委員でもありました。文字通り人々のお世話をしていた夫婦です。この夫婦は、自分の子供と同年代の私を温かく見守ってくれました。

私は‘この地域を開拓した先達の布教師がよほど素晴らしいお世話をして信仰を育てられたのだろう’と考えました。すでに引退し名誉職でいたその先達の方を布教所の行事に都度都度招きました。そして心から称えました。そうした取り組みを、信徒の代表は大変喜んでくれ、一層協力体制を築いてくれました。

先達についてはこんな話がありました。その地域は、因縁の深い地域と言われ、先達が当初布教のために訪れると、町と村の境界を越えてその地域に入ると急に腰から下が冷たくなったそうです。気持ち悪くて仕方なかったそうです。しかし、信者が増えていき神様に手を合わせる人ができてくるにつれ、そうしたことが無くなっていったそうです。

そうした苦労の積み重ねの上に自分の業務が連なっているのです。感謝せずにはいられませんでした。

犬の話

その地域の奥地に住む人の家で、位牌を整理する話が持ち上がり、新たに設える位牌の遷霊式を執り行うことになりました。司会が「ただ今から遷霊式を執り行わせていただきます」と発し、私が祭事を始めますと、その家で飼育されている数頭の猟犬が急に吠え始めました。そして善言讃詞を奏上する頃にはピ-クに達し、「以上をもちまして終わらせていただきます」と司会が言うと、ス-ッと吠えなくなったのです。

「不思議なことがあるものだ」と参列者達が語り始め、私はふと子供の頃の事を想い出しました。昭和30年代、私の家で仏壇に善言讃詞を奏上し始めた頃、集落のあちこちから下駄の音が近づいて来て濡れ縁のところでカタッと脱ぐ音がして、見ても誰もいないのですが音だけはする訳です。母や祖母は怖くて背筋がゾクゾクしたそうです。当時の教会長は、「集落の先祖達が救いを求め善言讃詞を拝聴しに来たのだ」と解説してくれました。

それと同じで、人の目には映らなくとも、善言讃詞を拝聴するために来たその集落の先祖達の気配を犬が感じて吠えたのです。その話をしたところ参列者は納得して、さらに信仰を深めました。また私への信頼も強くなりました。

先ほどの祖霊祭祀の根本も本来ここにあるのです。絶対的救済力の言霊である善言讃詞を、神様から力をいただいて奏上する祭事が家庭慰霊祭です。真心を込めることを表現する一つに、自分達でお供え物を準備するということがあります。準備に誠を込めれば込めるほど時間がかかります。面倒臭がる人がいる中で、滞りなくできるようにお世話することは大変な手間がかかります。

そこへ行くと、五千円という祭祀料を納めれば本部で慰霊祭をしてくれる、というお世話は楽です。また、教団にとっては、上手に恐怖心を煽っていけば申し込みは継続されます。財務的に安泰なのです。

教団改革が開始された時に、祖霊祭祀を廃止する議論が机上に上がったのですが、結局運営上(事業計画上の収支)の問題で有耶無耶になりました。

情け無さでいっぱいになりました。私はやがて、‘どうしても本来のあり方を実現せねば’と思わされました。その頃からご内流が始まったのです。

真摯な青年

私が布教所長となってから、多くの青年がみんなの協力で育成されましたが、中でも印象深い人がいました。私より1歳年上でした。親と共に呉服商を営んでいました。

この人は、「一割献金」に取り組んでいました。収入の一割を毎月献金奉仕されていたのです。私がそこに在職中変わらぬ取り組みを続けました。真摯な取り組みに頭が下がりました。この人は、先月お話致しましたMOA美術館完成時に、その時期を目指して積み立て貯金をして見事に満期を迎え献金奉仕をされました。

感動しました。そして、その真摯な信仰姿勢に心を洗われました。取り組む本人の御守護をただただ祈りました。

一般に21世紀は、人々が益々せっかちになると言われています。地方行政にしろ、企業活動にせよ、公的生活でも敵を出し抜くことに躍起になる一方です。また人々は待つことができなくなり、一瞬たりとも待ちきれず「なぜ?」という疑問符を突きつけるようになります。そうした傾向の中で、彼の取り組みは貴重なものに思えてなりませんでした。

そして、美術館完成という慶事は熱海の聖地の完成を意味し、次は京都、九州、北京・・・・・という順序に沿って聖地建設に着手する段階に移ったことになります。当時、私は信徒の赤誠を実り大きいものにするために‘次期構想’の発表を期待しました。ところが、とんでもない教団紛争への導火線に引火されていたのです。

教団紛争で実弾として飛び交う
「おひかり」下付と「祖霊祭祀」事務

教団紛争の中で、、改革に立ち上がった集団に対して、「おひかり」の下付を行なわず‘明主様から離れていく’と広報し、「祖霊祭祀」申し込みを受け付けず‘先祖が悲しむ’と広報しました。「祖霊祭祀」は未信者でも受け付けることになっているにもかかわらず、そうした言動を重ねました。教祖が『あってはならない』と指摘した脅迫的指導の典型でした。

数々の理不尽な言動や教えに反する行いの中から感じたことは、教団自体教祖の御心とは別のところで動き、大きくなってきた部分が多々あると言えることです。組織の中にいる人間は、自主性の無い上位下達に明け暮れ、組織によって優越感を得るというような視野狭窄者になっていったのです。

また、信徒は取り組みが事務的になる中で人間的な共感が希薄となり、現実に対する批判も弱くなり、権力に対する奇妙な容認の姿勢を強め、その結果改革意識を失い、現実の中にただただのめり込んでいったのです。

昭和30年の教祖ご昇天以後、教祖ご自身が『「おひかり」はもう必要ない』と述べたにもかかわらず、組織存続のために温存しているのですから当然なことではあるのです。この点については「信仰読本(1)」に詳細述べてありますので、再読していただくことをお願い致します。

また事例に挙げた内容からも推察できるように、教団としては教えを隠蔽してしまい、信徒は教えを求める意欲が希薄になり、衆生済度集団としては形骸化していきつつありました。本来「天の岩戸」を開く教団が、岩戸を閉じる方向に引きずられていることに匹敵します。

これでは何のために「メシヤ降臨」がなされたかわかりません。私は、神の大愛にお応えしようと決意を固めた次第です。

(以下次号。なお、文中の「八足」は、メシヤ教では設えておりません。)

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