メシヤ講座・特選集no.36(平成16年1月分)

<体験記>
信仰の根幹は因縁使命の自覚

釧路市 小玉ハツ子

私は、メシヤ教にご縁をいただいて、深遠なる因縁使命を実感させていただいております。

楳木先生とはメシヤ教発足の前年に、前の教団の信者さんからの紹介でご指導いただくことになりました。そして、メシヤ教として独自の活動をされることを知り、東京で執り行われた御神体御奉斎式に参列させていただきました。

そのときの感動は忘れることはありません。燦然と輝く御光を目の当たりにすることが許されたと同時に、数々の不思議な体験をすることができたからです。中でも、神様から知らされた内容です。前の教団の上層部の腐敗ぶりと教えの実行力の弱さには神様と言えども失望し、だからこそ、次の御神業を楳木先生に託す、という内容です。私は、身の引き締まる思いが致しました。

しかも、前の教団で一緒だった菅原富江さんに話す機会があり、上京する旨を伝えました。すると、私の上京中に菅原さんは夢を見たそうです。

私が帰宅し、御神体御奉斎式について「素晴らしいの一言に尽きます」と伝えると、菅原さんは「夢の中と同じだ」と言うのです。ビックリ致しました。菅原さんは前の教団でのお世話役の言動に失望し教団を離れていたのでしたが、実は前以上に神様を求めていたのでした。

私は、すぐさま御神体を申し込み、メシヤ教で進むことを決めました。

力強い仲間に支えられて

我が家で御神体御奉斎が許されてから、菅原さんの御奉斎が許され、菅原さんの知り合いの鎌田リヨさんが許されました。

鎌田さんは、菅原さんと同じ理由で前の教団に距離を置いていましたが、楳木先生の「信仰読本」に触れる中で、これが本当の道だと感じたそうです。そして、その活動を支えていこう、と決心されました。

鎌田さんは90歳を越えられていますが、矍鑠(かくしゃく)として御神業に臨まれています。私邸で釧路地区の祭典を執り行う場合は真冬でも和服姿で参拝されます。いい姿だなあ、と感じます。

こうした信仰心の篤い人たちに囲まれて信仰させていただき不思議に思うことがあります。それは、私を楳木先生へ紹介してくれた人は、長年楳木先生に一方ならぬお世話になっていたにもかかわらず、メシヤ教につながっていません。しかし、その方がメシヤ教につながった場合は、おそらく菅原さんも鎌田さんもつながってこなかったでしょう。

そのことを楳木先生に質問したことがあります。その時のお答えは、「信仰読本」45ペ-ジに引用されている御教えでした。『いよいよの時、初めて諸々(もろもろ)、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける』という神様のお言葉です。

その深い意味を説明してくださり、「神様から許された者が、まず集められたのです」と教えてくださいました。

また、「たとえ許されても、心得違いをしてしまえば継続して許されることがなくなるので、許されたことに感謝し弛(たゆ)まぬ向上を心掛けていくことが大切です」とも教えてくださいました。

清浄さを保つ役割

そして、「日本人にとって大切な『鬼門』の根元地は芦別岳であり、その芦別岳の更に鬼門の方角が釧路である。それだけに釧路の地は大変重要な意味を持っている。そのため、土地の清浄さを保つ取り組みのできる人が選ばれたのです。だから、許される人と許されない人があるのです」という、節分祭に関連する有り難いお話を付け加えてくださいました。

私はこの有り難い話を伺って、因縁使命を強く自覚して御神業に臨ませていただこうと考えました。そして、その心を揺るがすことなく地道な取り組みを積み重ねてまいりたいと心得ました。また、節分祭ごとに身の引き締まる思いで祭典に臨ませていただいております。

それまで先生と非常に親しくしていた人が離れて、新参の者が太いつながりをみるとは、不思議の一語に尽きると思います。御経綸の不思議さ、素晴らしさであり、魅力でもあります。

その後私の身内の者をはじめ、友人知人へと少しずつですが新しい仲間が増えております。有り難いことだと感謝致しております。更に浄霊力を身につける人が増え、御光に包まれた生活が共にできることを願っています。

また、驚かされるのは、信仰に無関心な主人が楳木先生を受け入れていることです。先生が飛行機やJRでみえる時など率先して送迎してくれるのです。私は、主人が先生と社会情勢や生活一般について色々と話し合っている姿を見て、本当に有り難いことだなあと感謝致します。

ありがとうございました。

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<お話>
「新年祭」挨拶
メシヤ教代表  楳木和麿

新年祭おめでとうございます。

全宇宙の御経綸に感謝申し上げますと共に、地球上に「真善美完き恒久平和の理想世界建設」の実現が許されますように、謹んでお祈り申し上げました。そして、今年が皆様にとって御守護の多い年でありますようにお願い申し上げました。

さて皆様方の今年の抱負はどのようなものでしょうか。

私達は、大きくは地上天国建設のために祈りと誠の奉仕を捧げております。「浄霊力の伝授」活動と「メシヤの教えを宣べ伝える」活動を進める一員として、御神業に臨ませていただいております。

そして個人としては、より良い生活を送ることができるように、日々いろいろな課題に取り組み、一歩一歩向上を目指しております。

無病息災愉快に働ける

私達の役割と御守護いただくあり方は、御教え『人間とは』で明確に述べられています。家庭慰霊祭の式次第の中で拝読させていただく教えです。

『本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。

そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』

『不滅の真理である』ということを自らの心に留めておくということを礎(いしずえ)として、日々生活させていただくことが大切です。そして自己形成はもちろんのこと、子育てする時や人材育成に取り組む場合でも絶えず念頭にこの教えがあることが重要です。授かった特徴を見い出し育てていくことを忘れてはいけません。

そうした見地に立って、自らをより向上させるあり方を模索していく時に方向性を見い出すことのできる御教えが『神格をいただく道』です。朝拝時に拝読していただいている教えです。

課題となる項目を挙げてまいりましょう

・如何(いか)なる不正にも誘惑にも動かざる確固たる精神を内に蔵し

・常に天空海闊的心境に在って

・日常の言動は融通無碍

・時所位に応じて何物にも拘泥する事なく、千変万化身を処すべきである

・規律を尊び

・怠惰を嫌い

・万人を愛し

・人に接しては春秋の気候の快適の如く

・何事にも極端に走らず

・人に好感を与える事を之(これ)努め

・親切謙譲を旨とし

・他人の幸福を念願し

・人事を尽くして、神意に任せる態(てい)の信念を以って進むべきである

以上13くらいある項目のどの辺りまで自分に備わっていて、どれが課題となるのか、と沈思黙考してみてください。自ずと今年取り組む課題が浮かび上がってくるのではないでしょうか。‘全部課題だ’という方もあるかもしれませんが、一つずつ毎年取り組んでいってはいかがでしょうか。

13年かかりますが、次の申年には相当な人格形成がなされていることでしょう。これは大変楽しみなことです。そして取り組みについては、次のように教えられています。

真の幸福者

『人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、斯(かく)の如き人間こそ生甲斐ある真の幸福者と言うべきである』

一歩一歩理想に近づく努力を重ねる者が、神様から見て‘幸福者’であるということです。そして、そうした人々が集うところを『地上天国である』と教えられているのです。

また、こうした努力を積み重ねていくと、神意を拝することができるようになり、やがて安心立命の生活へと近づくことができます。夕拝ごとに噛み締めていただきたいと思います。

・常に安心の境地にあり

・生活を楽しみ

・歓喜に浸る

・花鳥風月も、百鳥の声も、山水の美も、悉(みな)神が自分を慰(なぐさ)めて下さるものであるように思われ

・衣食住も深き恵みと感謝され

・人間は固(もと)より鳥獣虫魚草木の末に到るまで親しみを感ずるようになる

このような境地へ、是非近づかせていただきたいと願います。朝拝、夕拝の時間に拝読をお願いしているのは、そうした願いがあるからなのです。

どうぞ、教えを自らにしっかりといただいて前進してくださるようにお願い致します。今日は年頭に当たり日々心掛けていただきたいことを確認させていただきました。

申年―正しい道先案内を願う

今年は申年ですが、サルは、道先案内の任を神様から賜っております。昨年は『神の年』として全ての準備はできました。霊性の高さがあれば、「全てのものを見極めることのできる時代」を迎えました。サルの方向性は正しいのか、よく見極めていかねばなりません。正しい道先案内を願うものです。

「BSE」や「鳥インフルエンザ」など、名称で惑わされる報道の仕方によって日本人は本質を見極める目を曇らされております。

新年早々暗い話は控えたいと思いますが、一つだけ。現地の映像で見る問題点は日本の間違いをそのまま引継ぎ、あるいは加速させて「自然な本来のあり方からかけ離れた飼育方法」が採られていることにあります。

日本では、戦後の食糧難を乗り越すために暫定的に‘非自然’な方法で取り組み、その目的を達しました。ところが、その後も‘経済至上主義’の激流に押し流され、修正できないままに今日を迎えております。「O-157」問題が起きたことで神様の警告が出されているにもかかわらず、当事者も為政者も根本的な対処を怠っています。

最も大切なことは、「飽食の時代」と言われて久しいのですから、食糧難の時代のあり方から本来のあり方へ移行すべきなのです。そして、後に続く諸国に日本人の犯した過ちをありのまま知らせて、共に改善を図りつつ歩むべきなのです。

現在、精神科医の処方する薬への依存や栄養補助食品の常食化が問題視されているものの、同じ過ちを繰り返すことは目に見えています。根っ子は同じところにあるからです。惑わされることのないように、どうぞ、‘本質を見極める目’を養ってください。

それでは、皆様方の御守護を重ねてお祈りし、終わらせていただきます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。(要旨)

*    *    *    *    *

『信仰即生活』レポ-ト(Ⅳ)
日用品と経皮毒性(4)

前回まで報告してまいりました石油系の有害物質は、現在ごく当たり前のように使われていますが、いつ頃から使われるようになったのでしょうか?

そもそも石油系の有害物質が使われ始めたのは、1937年にアメリカでVAT製法というものが生まれてからのようです。アメリカでは1929年の株の暴落に始まる大恐慌からコストの削減を目指し大量生産を模索するようになり、その一翼を担ったのが石油系の化学物質でした。

それまで石鹸などは動物の油脂で作られていたのですが、石油系の化学物質が使われるようになりました。日本には1950年代にその手法が入り、現在に至っています。

私の小さい時の記憶をたどってみますと、歯磨き剤はアルミのチュ-ブに入っていてキャップを閉め忘れると次の日には硬くなってなかなか出てきませんでした。また、上手に使うために後ろから折って使っているとその折れ目から歯磨き剤が出てきたことを憶えています。

しかし、今はラミネ-トのチュ-ブに入っていてキャップをしてもしなくてもいつでも軟らかい歯磨き剤が出てきます。ということは、商品の保存性は保たれるようになりましたが、それと同時に有害な物質も体に取り込むようになったことになります。

そして、一番の問題は我々消費者がそれらの事実を知らされていないということです。本来、メディアの一面として社会の問題点を検証し国民に警鐘を鳴らすという機能が求められていると思うのですが、全部が全部そうはなっていないように思われます。

今ではテレビや雑誌のCMや広告を見ると日用品や化粧品がかなり目立つと思います。そのこと自体悪い事とは思いませんが、放送局や出版社などの大半がこれらの広告料に支えられています。そのため、それらのスポンサ-の意向に沿わないような番組や紙面は作りにくい背景があるようです。

また、メ-カ-はといえば、商品の安全性を追求するのではなくてパッケ-ジやCM、広告に膨大なお金を注ぎ、商品の質よりもイメ-ジで売っているように感じます。有名な女優やタレントに〇〇億の出演料を支払っているという話が取り沙汰されますが、それらは全て商品の価格に上乗せされているのです。

例えば某大手メ-カ-の化粧品で定価15000円するものの商品コストが、なんと25円だそうです。25円にパッケ-ジや広告料等を加えて、このように高額となるのですが、商品に掛かるコストよりもそれ以外に掛かるコストのほうがはるかに高いのです。ただし、25円で安全な製品ができれば問題はないのですが、必ずしもそうはなっていないようです。

今回で日用品と経皮毒性のレポ-トも終わりですが、私も含め皆様のお一人お一人が‘確かな目’を持ち生活していただければ幸いだと思います。私自身もまだまだ勉強不足で偉そうな事は言えませんが、このレポ-トで皆様のご家族や友人知人の方々の安全、健康のために一つの問題提起として捉えていただければ幸甚です。

最後に、いろいろとご指導していただき、またこの場を提供してくださった楳木先生に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

佐藤将宏
大分県日田市清岸寺町1065-13
Eメ-ルアドレスmana0216@coral.ocn.ne.jp

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