メシヤ講座・特選集no.40(平成16年5月分)

<御教えより>
日本人種の霊的考察(下)
(1951年5月25日発表)

素盞鳴尊の渡来により平和の夢破れる

以上の如く、日本民族は大体四種に分けられる。そして先ず大和民族からかいてみるが、之は曩(さき)に述べた如く、先天的平和主義で闘争を嫌う事甚だしく、それが為当時の天下は、実によく治まっていたのである。勿論未開時代であるから、文化も至極幼稚ではあったが、不自由な生活の中でも、鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の世の中であったには違いない。加うるに外敵に窺(うかが)われる心配もないから、長い間太平の夢を貪って来たのである。処が一度素盞鳴尊の渡来に遭うや、一たまりもなく平和の夢は破られ、社会情勢は一変して了った。それが数百年続いた揚句、今度は神武天皇との闘争を経て、一段落着いたとしても、社会の底流には両派の反目が表面には現われないだけで、何となく無気味の空気を漂わせていたのは勿論である。又人口が殖えるに従い、漸(ようや)く諸般の制度施設等も始まって来たので、僅(わず)か乍(なが)らも年貢を取上げるに至ったのである。其(その)様な訳で有名な仁徳天皇の御製である『高き屋に上りて見れば煙り立つ、民の竈(かまど)は賑はひにけり』と詠じられたのは余りに人民が豊かでないので、天皇は今日で言えば徴税を緩められたのであろう。

仏教の渡来によって画期的文化の興隆

処が、最初に述べたように、千余年の間は大した波乱もなく、先ず沈静期ともいうべき時代を経てから、茲(ここ)に一大革命的変化が起ったのである。外でもない彼の欽明(きんめい)天皇十三年に、仏教が渡来した事である。之によって俄然(がぜん)として画期的文化の興隆となった。それは仏教芸術が生れた事である。そうして推古、飛鳥、天平、白鳳等の時代に亘(わた)って、絢爛たる華が咲いたのは勿論で、彼の聖徳太子の天才的建造物として、印度(インド)の七堂伽藍(しちどうがらん)を模した法隆寺と言い、次いで東大寺に建立した大仏といい、当時に於ける仏教芸術の、如何に旺(さか)んであったかを物語っており、今も尚我民族の誇りとして、世界に光を放っている。以上によってみても不世出(ふせいしゅつ)の平和の偉人としては何といっても聖徳太子に先ず指を屈すべきで、太子こそ大和民族の典型的聖者といってよかろう。

次いで、藤原時代に入って、漸く天孫、出雲の両民族の争いの萌芽は、人々の眼に触れはじめた。即ち戦国時代に近ずいた事である。然し乍ら一方大和民族中の優れた人々は、文学的に活躍し始めた。源氏物語、枕草子、徒然草の如き名著や、万葉(まんにょう)、古今、伊勢物語等の、日本独自の文学も次々現われて来た。紫式部、兼好、人麿、西行、芭蕉は固より、能筆家としては紀貫之、道風、行西(こうぜい)等の輩出もこの頃からである。

大和民族の特質を表わした誇り高き美術

又、美術に於ても、大和民族の特質を表わして来た。仏教芸術としての兆殿司(ちょうでんす)、巨勢金岡(こぜのかなおか)、鳥羽僧正等の絵画や、空海、行基等の彫刻、其他無名の蒔絵師等であるが、蒔絵は天平頃から、既に見るべきものが生れた。此技術は外国には全くなく、最も誇るに足る日本独特の美術である。

茲で忘れてはならない功績者としては、足利義満並びに義政であろう。金閣寺、銀閣寺を造ったのは有名であるが、其他当時支那美術を旺んに輸入した。特に宋元時代の名画に目を付け、優れたものを選び、東山御物として保存に努めた事によって、今尚国宝や重要美術として文化財を豊かにした業績は、高く評価してもよかろう。そうして支那の絵画を範として成った日本絵画の基礎は此時からで、それが狩野派の初めである。次いで鎌倉期に入るや、それ迄微々としていた彫刻も、茲で完成の域に達した。主に仏教的のものではあるが、有名な運慶も其時代の巨匠である。

其後、戦乱が続いたので、平和的文化の方は、相当期間沈滞状態であったが、彼の豊臣秀吉が天下を平定するに及んで、俄然として平和文化の躍進となった。面白い事にはヨ-ロッパの文芸復興期と略々(ほぼ)時を同じうしたのも、一種の神秘と言えるであろう。当時名人巨匠雲の如く輩出したのは人の知る処で、絵画に於ては宗達の独創的技術や、蒔絵、楽焼、書に於ける光悦、茶道の利休、建築、庭園、華道の小堀遠州等々、所謂(いわゆる)桃山時代の芸術として、今尚燦(さん)として輝いている。其後約二百年を経て元禄時代となり、茲に桃山期に次いでの、絢爛たる平和文化の再現となった事で彼の光琳、乾山等の巨匠の出でたのも此時である。其後に到って絵画の名人としては抱一及び栖鳳を私は推奨したい。

茲で陶工に就いて、些かかいてみるが、日本に於てはそう古くはない。鎌倉期頃からで、尾張の瀬戸、九州の有田等に始められ、其後京都にも移ったが、此地で不朽の名作を残したのは彼の仁清である。又朝鮮陶器を範として成った楽焼の祖としての、長次郎も逸する事は出来ない。他は余り見るべきものはないが珍什名器の蒐集保存整理に、功績を残したのは松平不昧公(ふまいこう)であろう。

以上は、極く大体であるが、右の外名人巨匠も相当あるにはあったが、それらを茲にかかなかったのは理由がある。というのは此文の主旨は民族的批判であるから、支那を範としたものを、わざと避けたので、今迄かいた人達は、日本独特の芸術家を選んだのである。

天孫系には多くの学者が出、維新の鴻業(こうぎょう)に役立つ

次に、天孫族と出雲族を詳しくかくべきだが、之は歴史上余りにも知れ亘っているから略す事にしたのである。言う迄もなく有名な武将は、殆んど両族から出たので、只(ただ)天孫系には多くの学者が出た。勿論漢学者であるが面白い事には勤王家に学者が多く、維新の鴻業(こうぎょう)に大いに役立った。それというのは天孫系が出雲系に圧迫され、危くなったのを救わんが為であったのは勿論で、右(上記)の漢学者に対し和歌の如き仮名書き文学は、大和民族系と思えばいいのである。然し此方は戦争に無関係であった為、武人のように華かな存在ではないから、注意されなかったのである。

民族の特性

最後にかかねばならないのは、仁徳天皇、光明皇后、光明天皇は大和民族の御系統である。次に土匪の系統であるが、此種族こそ祖先が、神武天皇に征服された為其怨恨が今も猶(なお)残っており、此種族が彼の共産主義者である。終戦前共産主義者が天皇に対し、如何に反感を抱いていたかは、右(上記)の因縁によるので、従って天皇制時代には、天皇の直属である軍人や官吏に対しても、従順でなかったのは其為である。又誰も不思議に思う事は、日本に生れ、日本の米を食(は)み乍ら、外国であるソ聯に忠誠であり、祖国である日本に悪意を抱いているという一事である。之も右(上記)の因縁を知れば成程と頷(うなず)くであろう。彼等にとっては、ロシヤこそ祖国であるからである。

今一つ知っておくべき事は、日本人中にも特に天皇に対し、極めて忠誠である分子と、割合薄い者とがあるのは前者は真の天孫系であり、後者は出雲系であるからである。之に就て最も近い例としては、彼の二・二六事件である。此事件をよく吟味すれば、其傾向が著しく現れていた事が判るが、之は何れ詳しくかくつもりである。

霊統と系統

最後に、霊統と系統との区別をかいてみるが、世人は霊統も系統も同じように思っているが、決してそうではない。即ち霊統とは魂の繋がりを謂うので、之は永久不変一貫して変らないが、系統はそうではなく、いくらでも変るのである。変るとは所謂混血である。従って日本の四民族と雖も、長い間にどの位混血して来たか判らないが、実は混血する程いいのである。何となれば、種々の性格が混る以上、聡明な人間が出来る訳である。恰度人間で言えば、色々な苦労をし、世の中の経験を多く積んだのと同様の意味である。故に世間では純血を貴いとしているが、之は反対で、昔から婚約の相手は遠く離れた程いいとしていたり、血族結婚を不可とするのは、その為に外ならないのである。又白人特にアメリカ人に優秀な人間が多く出るのは、混血が東洋人よりもずっと多いからである。之を最も判り易くいうと、機(はた)のようなもので、経糸が霊系で動かないが、緯糸は体系であるから左右へ動くのと同様である。

次に、四民族の数に就いていえば、天孫系が一番多く、出雲系が其次で、ずっと減っているのがコ-カサス系であり、大和民族は最も少なく、先ず私の推定では、百人中一人位とみればよかろう。

日本人種の霊的考察(上)

日本人種の霊的考察(中)

Q&A

「天の八洲河原の誓約(うけい)」場所と「元伊勢」を訪ねる

Q.  先月の教えの中で、『最古の時代から丹波の国元伊勢という処に、鎮座されておられた処、今から千百年以前、現在の伊勢の山田に遷宮されたというのであるが、其時大神の神霊を神輿(みこし)に遷(うつ)し参らせ、数人の者が担いで元伊勢の外れに流れている、五十鈴川という川を渡らんとした時、急に神輿が重くなり、どうしても渡る事が出来ず、引返して元通り鎮祭されることになったというのである。』とありますが、どうしてそうしたことが起るのでしょうか?

A.  教えには『面白い』とありますので、想像してみてはいかがでしょうか。面白いとは、興味深いということですよ。

私は、教えに引用された場所へはほとんど訪ねていますが、元伊勢の御座石は見ていませんでした。教えでは「ございし」というルビでしたが、神社では「みくらいし」と呼んでいるそうです。十数年前に参拝した折には、神戸での行事終了後に信徒十数人を連れて移動致しましたので、夕方になってしまいました。11月だったこともあり、すでに日が落ちていました。御本殿参拝時には真っ暗でした。この時不思議なことがありました。

当日は、天津祝詞と神言を奏上させていただくことにしていました。そして、いよいよ祝詞を奏上しようとする時に御本殿の電灯が切れてしまったのです。当時神言は祭式では奏上していませんでしたので、誰もが全てを暗誦できませんでした。それで明かりがなくては神言奏上は叶わないと思いましたが、復旧する見込みもないので参拝を始めました。

私が先達を務め、いよいよ神言奏上になると、不思議なことに私の「祈りの栞」に何処からともなく光が射すのです。私は恙無く朗々と奏上することを許されました。これには深い意味があったのですが、またの機会にお話致します。そんなことがあって、真っ暗な中でのご参拝でしたので御座石を見ることができませんでした。

ですから一度見に行かねばと考えていまして、先月元伊勢に参拝しました。外宮への参拝を終えて、何とか午前中に内宮へ着きました。今回は天津祝詞と善言讃詞を奏上させていただきました。参拝後社務所で挨拶をすると、撤饌物を下さり丁寧に境内の参拝順路を教えてくれました。

私は、御座石に向かう途路「御座石が何故落ちたのか?」「どうして元通りに鎮祭されることになったのか?」と反芻しながら歩いていると、「日室岳(ひむろだけ)」遥拝所に差し掛かりました。説明によると「ピラミッドに似た日室岳は、原生林におおわれた神霊降臨の神山で、禁足(登ってはいけない)の聖地である。」ということです。私は遥拝をさせていただいて、御座石へと向かいました。

ところが、教えにもありました天岩戸神社へ先に着いたのです。私はその谷川へ下りて行き川の辺(ほとり)に佇んだ時、神輿が重くなった理由は簡単だと思いました。御代が素盞鳴尊に奪われ、次いで神武天皇に征服され、そうした経緯のある為政というものに利用されたくなかった、ということだったのです。それと同時に、懐かしさが込み上げてきました。若い時からこうした景色を好んで、様々なところへ転居しても同じようなところを探し求めては一人で佇んでいまして、‘何故こうしたところを好むのだろうか?’と思っていました。その疑問が‘なるほど’と氷解したのです。

そして、日室岳こそが本山なのだと思いました。というのも、先月は、元伊勢へ向かう前に「八洲河原の誓約(うけい)」の場所も訪ねたのです。三重県から滋賀県へ向かって国道一号線を走り、大津の手前から野洲へハンドルを切ると河原へ向かう手前に三上山という山があり、その山の横から見た形状が元伊勢内宮への上り口から拝する日室岳とよく似ていまして、延々と続いている因縁を彷彿とさせられました。

鹿島神社に対する記述を見ましても、現世(うつしよ)に肉体を持たれて生誕された神が崩御された後、神社として祭られております。元伊勢も戸隠の後に連なるという由来があるのでしょう。これは神社のガイドブックの説明とは異なりますが、いずれ明らかになることでしょう。

日本人は「法の精神」を求める訓練が必要

Q.  イラクで起きた日本人人質事件で様々な論議が起きました。私達が心しておくべきことはどんなことでしょうか?

A.  「イラク国民」のために働く日本人を誘惑するとは何事だ、という声も上がるのは当然だとは思います。しかし、「イラク国民」というものは実際にはいない、と専門家は言っています。イラクは徹底した部族社会ですから、彼等の問題は「どの日本人がどの部族のために働いているのか」です。

ブッシュの占領統治が巧く行かないのもそうしたことが原因です。では、イラク攻撃は正しかったのか?と言えば、正しいとは言えません。犠牲になるのは市民ですし、アメリカ兵の犠牲者数は把握できますがイラク人のそれは否です。幾人が犠牲になったか知れません。しかし、日本にとっては、「悪の枢軸」発言のお蔭で、北朝鮮が拉致の事実を認め、被害者の一部の人が帰国できました。両面があります。

また、「人質になった人達は救出活動費用の一部を負担すべきだ」と言った馬鹿な政治家がいました。軽はずみな発言です。一方「自衛隊は即時撤退させるべきだ」と主張する活動家もいました。

こうしたことを考える前提として、政府の退避勧告を無視して危険地帯に入ったとしても、政府は保護に努めなければ国家の存在を否定することに繋がってしまいます。また、自衛隊がイラクへ行くことを決めたのは国会です。勿論反対した野党もありました。しかし、賛成した議員を選出したのは外でもない国民であるということです。

そして、救出ということについては、「他の国民が不利益を被らないから行う」ということですし、費用は「他の国民の利益に繋がらないから自己負担」ということになります。ですから、登山などで遭難して救出された場合、救出費用を請求されるのです。国家は法によって治められていますが、根底に「法の精神」というものがあります。そうしたことを、民主主義の大前提として国民は心得ておかねばなりません。教育の場でも、真っ先にそのことを教えていかねばなりません。

また、仮に自衛隊を撤退させるということになれば、莫大な「国民の血税」が使われるということになり「他の国民の不利益」になってしまいます。当然、撤退運動をする場合、「費用を負担する」ことを表明せねばなりません。‘情’というものを抜きにした話のようになりましたが、これが法治国家の本来のあり方です。

だからこそ、どのような政治家を選出するかが、国家にとっても国民にとっても重要な意味を持つのです。国政選挙における一票の重さですね。そうしたことまで考えるように教育しないから、若者の投票率が低くなってしまうのです。

しつこいようですが、立法の下に国家の様々なことが維持され運営されているということを意識しなくてはなりません。そして、立法の背景には「法の精神」が本来あるのです。そうした概念を持たねば、成人者とは言えません。日本の学校教育の中にもっと組み込まれなければならない内容の一つです。

それから、太古の昔から宗教というものが担ってきた役割について、勘違いが多いので付け加えておきます。原始宗教の宗教指導者は、例えば、警戒すべき山に入山した若者が毒蛇に噛まれて瀕死の状態になった場合、その指導者の真っ先にやるべきことは、全快のための「祈祷」ではなく、どこの山のどの位置で噛まれたかを明らかにして「周知」させることなのです。

[print_link]

 

Print Friendly, PDF & Email