メシヤ講座・特選集no.48(平成17年1月分)

<御教えより>
天国篇
(1952年文創のまま)

私は科学篇、宗教篇を次々かいて来たが、之から最後の天国篇をかくのである。併(しか)し此所論は真の意味に於ける前人未説のものであって、文明世界設計の根幹ともなるものであるから、そのつもりで読んで貰いたいのである。併し初めて之を読む人は、現実と余りに懸け離れた理想論としか思われまいが、決してそうではない。立派な現実性のある事は、読むに従って分るであろう。抑々(そもそも)、主神の御目的である地上天国を建設する基本条件としては、何よりも大自然の実相そのままを表わす事である。というのはいつも言う如く、宇宙一切の構成は、日月地が根本となっており、此本質が火水土であるから此三位一体の力によって、万物は生成され、化育され、世界は無限の発展を遂げつつあるのである。処が今日迄の霊界は、屡々(るる)説く如く夜であったが為、日は隠れていたのである。つまり月土日の順序となっていた。無論之は正しい順序ではないから、之迄の世界は一切に調和が欠け、紊れに乱れて、現在見るが如き地獄世界を現出したのである。之というのも善と悪について曩(さき)に説いた如く、善悪の軋轢(あつれき)が必要であったからで、全く深甚なる神意に外ならないのである。其期間中僅(わず)かに宗教によって緩和されて来た事もかいたが、全く釈尊の唱えた苦の娑婆と諦めの言葉も、キリストの贖罪と隣人愛も其意味に外ならなかった。

処で私の唱える夜の世界が、昼の世界に転換するという事であるが、本来宇宙の原則としては、日月地の三段階が正しい順序であるに拘わらず、そうでなかったのは前述の如き意味であったからで、それが今度愈々(いよいよ)完全の形となるのである。言わば世界は百八十度の転換であって、実に空前の一大異変である。従って現在の文化形態も一変するのは勿論、其大綱としては、前述の如き大自然の形となる以上、一切の機構も三段階になり、分れて六となり、又分れて九となる、つまり三六九で、之を縮めればミロクとなる。地上天国一名ミロクの世とは此事である。ではミロクの世とは具体的にはどのような世界であるかを、順次説いてみよう。

ミロクの世の実相

之を先づ国際上から説明してみるが、世界各国の国境は、現在のままではあるが、実質的には撤廃されたと同様になるのである。つまり隣国に対する権力は平等となる以上、侵略などは絶対なくなるというよりも、侵略の必要がなくなるのである。茲で侵略に就て少しかいてみるが、今日迄は侵略にも止むを得ざるそれと、そうでない侵略との二つがあった。前者の方は例えば或一国の人口が益々殖えるので、国土が狭くなり、為に過剰人口の穿(は)け口を求めなければならないが、それを快く受け入れる国がないとしたら、どんな手段によっても、そうしなければならない事になる。茲に戦争に愬(うった)えざるを得ないのであるが、ミロクの世になれば、そういう事情は絶対起らない。というのは世界に広漠たる原野を抱えて、人口希薄の国はいくらでもあるから、日本の如く国土狭く、人口過剰の国家があるとしても、簡単に解決されるのである。それは世界議会があって、如何なる問題でも、慎重審議の上可決する。勿論今日の如き自国本位の、我利的根性など全然ないから、如何なる法案も正しいものである以上、円満に成立するのは勿論で、一ヵ年何万人でも、過剰人口は夫々(それぞれ)の国家へ公正に分配され、争いの余地などあり得ないのである。之がミロクの世の世界議会であるが、併しそうなっても各々(おのおの)の国には、其国の国会もあるにはあるが、今とは違い議員の素質も立派で、自利的観念を棄て何事も世界的人類愛的に解決する。従って現在の議場の如き、甲論乙駁(こうろんおつばく)、喧々囂々(けんけんごうごう)たる場面などは更になく、何事も説明だけで、和気藹々(わきあいあい)裡に即決されて了うので、時間なども今日の十分の一にも足りないであろう。其様な訳で会期も三月に一回で、一回の日数は半日宛三日位で済むであろう。

之にも理由がある。それは法律というものが非常に少なくなる。言う迄もなく法律なるものは善人には必要がなく、悪人に対してのみの必需品であるからで、悪人のない世界となれば、そうなるのは当然である。此様な議会を頭に措いて、現在の議会を見たならどうであろうか、忌憚なく言えば文化的野蛮人の集合場といってもいいであろう。

茲で世界議会の事を別の面からかいてみるが、近来アメリカに於て、唱導されている世界国家というのがそれであって、此説が出たという事も、ミロクの世の近まっている示唆であろう。そうして世界議会とは、今日の議会を世界的に拡げたものと思えばいい。勿論其中心の首脳者こそ、今日の大統領と同様で、即ち世界大統領が出来るのである。此任期は三年であって、勿論世界各国の議員の中から銓衡(せんこう)員が選ばれ、大統領を選ぶのであるが、其議員は其国の人口数に割当てられる。つまり之が世界議員である。

それから今一つの後者の侵略者であるが、其時代は最早世界各国は武力がないので、戦争は不可能となり、前述の如く凡て合理的平和的に、人口調節が出来る以上、之をかく必要もない訳である。

Q&A

御神業上の節目

Q.  『平成17年は御神業上この上なく素晴しいことがあります』ということを昨年11月に教えていただいています。どのようなことだろうか、と気になって仕方ありません。節分祭、立春祭と関わりがあるのでしょうか?

A.  2月は大きな節目です。大切な祭事が続きます。関わりがあります。特に2月10日の教祖祭と深く関わっております。私は、年末から『素晴しい』ことのための準備をさせられています。神様から霊的にも体的にもさせられているのです。

節分祭

まず、「節分祭」を厳粛な想念で執り行っていただきたいと思います。御教えに則って、厳格な神様を天の岩戸へ押し込めた三千年来の罪穢れをお詫び申し上げ、大祓い祝詞である「神言」を謹んで奏上してください。

いつもお話しますが、節分の豆撒きは神様を押し込めた時の様相が風習化したものです。天の岩戸に押し込めて、その岩戸の前に炒った豆を蒔いて「この豆から芽が出てくるまで、岩戸から出て来ないように」と、唱えたとされています。炒った豆から芽が出て来る訳はないので、「永遠に閉じ込める」という策謀です。

御教えでは、「オニは外」のオニは「厳格な神様」のことで、「フクは内」のフクは「副守護神」のことであるとされております。閻魔の庁で、悪人が閻魔大王を拝するとオニのように見えると言われています。『口は耳元まで裂け、舌端火を噴き』とあります。邪な心を持つ者から見ると、厳格な神様はオニのように見えるのですね。

また、邪神はいかにも正しきもののように見え、善人のように振舞うとされております。様々な欲望を司る副守護神は邪神の配下ですね。

そのような訳で、現代の風習の中には毎年神様を外へ追い出し、副守護神を迎え入れる、ということを唱えているものがあります。その意味を知ってみると、恐ろしいことを積み重ねているということが判ります。

「地上天国」建設が難航する原因は、このように根本的なところが間違っていて、それを正すことができないことにあります。この真相を多くの人々に宣べ伝えて行くことが、御神業上最も大切なことの一つです。

厳粛な想念とは、こうした意義を踏まえてのことです。三千年来の罪穢れをお詫び申し上げると共に、今後「岩戸開き」とも申すべき御神業に臨ませていただく旨を奉告申し上げ、大御力を賜るように祈りを捧げていただけますように、お願い致します。

立春祭

翌日の「立春祭」では、神威弥増す御事をお慶び申し上げ、「岩戸開き」の御神業に取り組ませていただくお誓いをし、大御力を賜りますようにお願い申し上げてください。

「岩戸開き」の御神業というのは、民衆の蒙を啓く取り組みです。蒙を啓くと言っても、現代人は勘違いが多いですからね。先程の節分の豆撒きが良い例です。正月の注連縄も、天の岩戸に神様を押し込めた後に岩戸の前に張った縄が起源だとされております。「今年も厳格な神様を岩戸に押し込めたまま」という印ですから、とんでもない勘違いですね。

こうした習慣化したものを一つひとつ改めていくことが、宗教改革の端緒だと受け止めてお進みいただくと良いですね。

そして、「弥増す神威」は、浄霊力と浄化力として発動されます。それ故に、一層浄霊実践に努めていただきたい、と願っております。また、浄化作用を受けなくとも浄まり続けるような生活を心掛けていただきたい、と願っております。

浄まり続けるとは、逆説的には曇りを発生させない生活を心掛けるということです。日常生活での「心・言・行」が大切だということです。その上で、霊性の向上を目指す取り組みを積み重ねていただきたい、と願っております。

「宗教改革」と「医学革命」を大きく推進する

「素晴らしいこと」の内容は、2月10日の「教祖祭」後にお伝え致します。

内容は、「宗教改革」と「医学革命」という表現で指し示されている御神業をより力強く進める、ということに関わりがあります。そして、皆さんはその御神業の担い手です。新しく始まる御神業を楽しみにしていてください。

大災害と地上天国建設の歩み

Q.  国の内外で大変な自然災害が続いております。中越地方の地震は「田中角栄さんが行った政治の足跡と関わりがある」という人がいます。スマトラ沖大地震はどうなのでしょうか。近年、大災害が続くばかりではなく、ゾッとするような凶悪事件が頻発しています。地上天国実現は遠のいているように思えるのですが・・・。

A.  「建設」と「破壊」は同時進行ということですので、「破壊」に見えることが激しさを増すということは「建設」も大きく進んでいる、ということです。ただ「建設」とは何か、ということです。地上天国とは、物質文明と精神文明の進展が相俟って実現する訳ですから、精神面のステップアップが成されているかが重要です。

ある旧越山会幹部が「まるで角さんのつくった王国を狙い撃ちしたような地震だ」と嘆息した(文芸春秋1月号)などと言われておりますからね。田中角栄さんの政治手法と関連付けて解説する人もいることは確かです。その手法を引きずっている現代の日本の政治手法に対する大きな示唆です。

田中的手法は、一時期日本にとって役立ちましたが、それによって築かれた体制(戦後築かれたものを含めて)が、現代の大きな変化に対応できないように行き詰まり、‘サビつき’も起こしていると指摘されています。私は、度々真の意味での構造改革について取り上げてまいりましたが、大変革が必要なのです。

私は、大災害を通して行政などが人間の内面に目を向けるようになったことを評価しています。これは、大災害の中でのせめてもの救いだと思います。「日本ではボランティアは育たない」と、かつて専門家たちは論評してきました。しかし、10年前、淡路阪神大地震の折にボランティアは開花しました。そして活躍し、その後様々なNPOが設立され、活動を続けております。

そして、中越での復興では、人と人との繋がりを重視する取り組みがなされています。これは兵庫県の教訓が参考にされています。兵庫県では、要らないものまで復興してしまった例がありましたし、コミュニティ-がバラバラにされて、精神的な痛手を負ったり、中には孤独死された方も出るなど、不幸なことも重なりました。

中越では、取り分けコミュニティ-が重視されました。コミュニティ-というものは一度バラバラにすると再構築するのに5年10年を要すると言われています。ですから、仮設住宅など、集落ごとにまとまって入居することができたそうです。人間生活が重視された取り組みがなされ、非常に良かったと思います。

悲惨な状況が続く中で、人間の内面を重視する取り組みが育まれていることが尊いことです。内面の重視こそ、地上天国建設には不可欠なのです。また、その取り組みの積み重ねが、そのまま建設の槌音なのです。

今の日本が直面しているもの

この人間生活ということが重要なのです。そして、それは人間教育における根幹を成すことです。キレルという言葉が最近頻繁に使用されますが、誰でもそうした感情に苛(さいな)まれそうになることがあります。しかし、そうなってしまったら、人として恥ずべきことだと言う嗜(たしな)みがあるから、何とかキレルことを避けてきたのです。そのことを教えるのが、家庭教育です。学校でも、社会でもありません。

その教育がなされていない家庭が増えているようです。教育というと、成績と関連付けてしか考えることができない親が増えているからなのでしょう。家庭教育とは、如何に生きてゆくか、そして、如何に人間らしく生きてゆくか、を教えることです。そのことを再認識していただきたい、と願います。

幼い頃から辛いことに耐えられるようにしておくことが肝腎です。我慢できないことが間々あるのが現実ですが、耐える他ないこともある、ということを体験的に納得させておかなければなりません。それが親の務めです。

また、最近、性犯罪者の服役後の情報公開について喧(かまびす)しく論じられておりますが、これについては二つの点から見ておかねばなりません。一つは、日本人の‘守秘義務’観念です。最近の高視聴率の番組などは、他の人に対する非難やそれをネタにしたお笑いが多いですから、視聴者は絶えず影響を受けています。他の人を非難すれば、自分が安心できる、ということでは人間性は退化してしまいます。

情報公開の前提として、「立場上知り得た情報は、たとえ家族でも他へ漏らしてはいけない」という、精神を育てなければなりません。警察をはじめ、学校や幼稚園、保育園には住所氏名を知らせるべきであろう、ということですので、そうした施設へ従事する人の守秘義務への教育を徹底しなくてはなりません。

二つ目は、受刑者の更生への教育です。ほとんど対策がなされていない現状を改めて、その上で、受刑者へ言い渡さねばなりません。取り分け幼児への性犯罪は根が深いですし、社会体制そのものと太く関わっておりますので、根本的な取り組みがなされなくてはなりません。

日本が貢献すべきことは大きい

地震に戻りますが、インドネシア・スマトラ島沖大地震とこれに伴う大津波は、未曾有の大災害となりました。連日報じられる映像は「恐ろしい」という言葉以外言い表せないものでした。

そして、欧州の方々が多数犠牲になっております。現地の風習に沿って追悼式典が行われている様子などは、目頭が熱くなります。それらを含めての「何故?」という質問ですね。タイでエイズ患者が40万人を超えて驚かされたのは何年前だったでしょうか。元々欧州から持ち込まれたと言われております。

経済至上主義が何処へでも入って行き、一緒に種々の感染症も持ち込まれております。私達が享受している豊かさと、人間らしい生活の維持ということの兼ね合いが問われております。やはり示唆があります。

また、大震災に対して、国際社会がいち早く結束し、迅速に支援活動を展開しました。その報道により、心温まるものを誰もが感じたと思います。しかし、私達が新たに知り得た現実もありました。緊急支援を申し出た国の中で、表明したことを果たさない国も多いということです。この内容は、国連の運営分担金と発言権の問題を連想させます。

日本は、持ち前の律儀さや生真面目さを存分に発揮して、支援を果たして欲しいと願います。また、一方、津波に関する日本の経験と知識を生かしての支援、これは長期的なものになると思われますが、被災地へ大きく寄与してもらいたいものです。

日本の良い面がより発揮され、世界のために今後大きく貢献できることを願うものです。何かにつけて、「国益」ということが口にされる昨今ですが、「如何に貢献するか」ということを政府はもっと口にして、実行していただきたい、と願っています。

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