メシヤ講座・特選集no.64(平成18年5月分)

<御教えより>
医学試稿

(1939年文創のまま)

第一篇  森羅万象の構成

死とは何ぞや

人生に関する事柄の中、死程切実な問題は無い。といふ事は誰も知り抜いてゐるのであるが、さらばといふて、之程不可解なものはないのである。私は、死に就て自分の永年の実験と、諸々の宗教、泰西に於ける心霊実験と、凡有る分野に渉って研鑽の結果、解決が着いたのである。

抑々(そもそも)、人間なるものの構成から述べてみよふ。人間は、科学者がいふ肉体なる物質のみではない。前に述べたやふな霊(火素)と肉体との両原素から成立ってゐるので、肉体の原素としては、水素と土素との両物質であって、此(この)両物質だけでは、生物として活動は起らない。之に霊魂なる即ち無形の霊素が加はって、初めて活動が起るのである。そうして、無形の霊の形態は、人体そのままで、此(この)霊素が肉体と分離する事を死といふのである。何故に分離するかといへば、肉体が老衰、病気、負傷、大出血等によって、使用に堪えざる状態、それがある基準を超えたる刹那、分離せざるを得ない法則であるからである。そうして、死と共に、忽(たちま)ち体温が冷却し、血液は或一部に凝結するといふ事は、霊素即ち火素が無になるから、冷却する為である。然らば、此(この)霊素はどうなるかといふと、人体の形状の侭(まま)、霊界なる別の世界に入るのである。是等の状態に就て、以前西洋実験記録をみた事があるが、之は洵(まこと)によい実例であるから、次に述べてみよふ。それは、或看護婦の実験であって、患者が死が近寄るに従って、その患者の額の辺(あたり)から水蒸気の如な、白い煙が立昇るのが見え、それが段々濃厚になりつつ、空間に一個の大きな楕円形のやうな形になりつつありと見る間に、段々人体のやうな形になりつつ、遂に、はっきりした患者の生前の通りになり、空間にあって、自己の死体より約三尺位上にあって、体を取囲み悲歎に暮れてゐる家族等の頭上から見下して何かいひたげであったが、やがて窓の方向に向って静かに浮遊状に外へ消え去ったのである。

右(上記)の如くであるが、霊魂脱出は、大体額部と腹部と足部との三箇所に限られてゐるやうである。序(ついで)にいふが、例へば、爆死の如き場合は、一瞬にして霊魂は無数の微粒となって一旦四散するが、間もなくそれが求心的に集合し、人体に復帰し、病死と少しも変らないのである。

そして霊魂が自己の意志によって或地点へ赴く場合、球状となって空間を遊走する。よく世間でいふ人魂とは之をいふのである。そして、右(上記)の看護婦の如く、霊の見える人間、之は特殊の能力であって、先天的のものと習練によって見得るものとがあるので、我国にも昔から実例があるばかりでなく、私はそういふ霊能者に幾度も遭遇し、曽(か)つて私が実験に用ひた、素晴しい霊視能力を持った婦人があったのである。

*     *     *     *     *

「景仰」を如何ように拝読するか(5)

メシヤ教  楳木和麿

はじめに

私達は少しでも向上を許されたいと願っております。『信仰の基準は智慧と誠です』と御教えいただいていますように、向上の眼目の一つには智慧証覚を磨くということが挙げられます。

私達が覚りを開く道としては、山陰に身を置き俗世と隔たりをもって生活を続けるか、雑踏の四囲に身を投げ入れ人々の苦しみに対峙しながら生活するか、のいずれかであります。

前者は非常に清らかな世界でありますが、反面主神様のご経綸とは離れた場所に身を置くことになります。後者はご経綸の真っ只中であり、破壊と建設の同時進行で進む世界に身を置くことになります。良くも悪くも人々の人生に関わり、そのことを通してご神意を解し、覚りを重ねます。

メシヤ教の御神業は後者によるところが大きい訳ですが、それだけに画一的な捉え方や決まり文句で物事を把握していると、思わぬ取り違いを起こしてしまうこともあります。

『ちょっとした言葉の中の宝』の項

≪本文≫

昭和十四年末、おそばにお使いいただけるようになりましてから、まもないころと存じますが、明主様(メシヤ様)から、ご浄霊をいただきます折、明主様(メシヤ様)は、『あなたはいつごろ盲腸の手術をしました?』とおききになりました。

それで私が、「はい、今年の二月でございます」と申し上げると、明主様(メシヤ様)は『ハハア、そうすると、あと十三年ぐらいか、あるいはそれまでもたないかも知れないね。ハハ・・・・・』とお笑いになりながらおっしゃいました。

私はこのお言葉を何心(なにごころ)なくお聞きして、今日まですごさせていただきました。いまにして思えば、まことに申しわけないことですが、私は神様のお言葉を軽(かろ)んじておりました。明主様(メシヤ様)は常々、『私がちょっと言った言葉の中に、実は大切なことがあるんですよ』とおっしゃっておられました。そのご注意を、私は忘れてすごしてきたのです。

以来十三年、数々のご浄化をいただきましたが、そのたびごとに目のさめるような御守護の奇蹟で、いつもそれを易々(やすやす)と乗越えさせていただき、また、今年の初めより盲腸手術(もうちょうしゅじゅつ)のあとが赤く腫(は)れ出し、大形のお湯呑茶碗(ゆのみぢゃわん)ぐらいになり、その痛みはとても激しく、夜も眠れず、起居(ききょ)も出来なくなってしまいましたが、ご浄霊いただき、その後まもなく、濃(こ)い糊(のり)のような膿(うみ)をお碗(わん)に一、二杯ぐらい出させていただき、手術痕(あと)の深い傷口(長さ約三センチ、深さ一センチほど)も浅くなり、ほとんど平らに、きれいに全快させていただきました。

顧(かえり)みすれば、手術後ちょうど十三年目の月も日も同じ時(昭和二十七年二月十一日)にいただいたこの御守護です。もし、このお道を知らなければ、十三年前のお言葉のごとく、私の生命(いのち)はこの時あるいはそれ以前になくなっていたことと思い、明主様(メシヤ様)のお言葉は御神示(ごしんじ)であり、絶対に間違いないということを、心の底から思うようにならせていただきました。(布教師

≪解説≫

この一文を読ませていただいて、羨ましく感じられたのではないでしょうか。直接メシヤ様から浄霊をいただけるなんて、羨ましい限りですね。しかし、今となっては適わぬことなので、何とか学びに繋げねばなりません。

まず、御守護のいただきやすい浄霊の受け方です。この文章を記述した方がいただいた御守護のように。誰からいただくにしても、メシヤ様から直にいただくような想念を持つことが大切です。これが欠かせない想念です。

そして次は、御教えの拝読を普段に積み重ねるということです。御教え拝読を重ねてまいりますと、この一文に対して‘何故ご質問をしなかったのか’という思いがむくむくと湧いてまいります。

『あと十三年ぐらいか』というお言葉の意味

『・・・あと十三年ぐらいか・・・』というお言葉の意味を、その場でお尋ねしてほしかったですね。そうしていただいておけば、「・・・十三年前のお言葉のごとく、私の生命はこの時あるいはそれ以前になくなっていたことと思い、・・・」という表記が微妙に変っていたと思われます。

何故なら、メシヤ様は盲腸の手術に限定してお言葉を下さったのですから、しかも『ハハ・・・・・』とお笑いになられたのですから、命に関わるということではない、と受け止めることができます。

ではどういうことなのでしょうか。盲腸の手術について考えられることは、その時点で使用した薬毒が推測されます。

膿が出た後の傷口の変化から判ること

だからこそ、十三年後に手術痕が腫れ始めるという浄化をいただいたのです。しかも、浄霊をいただくことにより、「濃い糊のような膿をお碗に一、二杯ぐらい出させていただき、手術痕の深い傷口も浅くなり、ほとんど平らに、きれいに・・・」という結果をいただかれたのです。

手術時の薬毒が排泄され、深さ一センチもあった傷口がほとんど平らになったのです。何と素晴しい浄化作用でしょうか。浄化は救いであるという見本のようなものです。

メシヤ様が他の宗教教祖を寄せ付けないほどに遥かに卓越された判釈(はんじゃく)をもたれたところです。そして私達はその恩恵にあずかっております。しかも、救いの教えを説かれただけではなく、救いの力を授けてくださっているのです。この上なく有り難いところです。

また、この方は浄化の際の痛みについて「その痛みはとても激しく、夜も眠れず、・・・」と記述しております。

薬の種類によって痛み方に違いがあることは、御教えに具体的に説かれてある通りです。浄化作用の在り方に確信を深め、さらに御神業に邁進する意欲が増した、というようにまとめていただきたかったですね。

『世界に知らせよ薬禍薬害』

この方の上司も、浄化を通して『薬禍薬害』のアドバイスを行なっていただきたかったですね。前述のようにメシヤ様は、盲腸の手術に対してお言葉を下さったのですから、「そこを基点にして『十三年』ということを受け止めてはどうか」というアドバイスです。

もっとも、教団役員の意識が薄れていったことも事実で、かつての所属教団の教団紛争(昭和59年~)の折に、役員会の会議後のゴミ箱に無数の薬の包み紙が捨てられていたことがあり、それを見た女子職員が教団改革に参画した、という逸話があります。今は、当教団はもっと悲惨な状況になっているようです。

この執筆者は布教師ですので、さぞ相当な徳積みを重ねられたことと推察できます。徳積みを重ねても薬毒からは免れ得ない面がある、ということを心得ておかねばなりません。御教えに『薬毒五十年』とありますように、メシヤ様という超人的に使命を果たされた方でも、免れ得ることのできないものが薬毒なのです。

そのことを私達は肝に銘じなくてはなりません。

そして、薬毒について思い出される内容は『世界に知らせよ薬禍薬害』の項です。この中で、メシヤ様は『全世界の人に、薬禍、薬害ということを知らせれば、世界が救われるのですよ。人類を救うということは、ただこの一点にあるのですよ』と述べられています。

<神界通信>
報告

札幌市 北川とき子

4月26日に「神界通信」がありましたので、ご報告申し上げます。

先生から「メシヤ様を教祖と仰ぐ教団の統一を図る時期が到来した際に、北海道では札幌市定山渓温泉の『伊都能売観音』様(メシヤ様ご神筆)が大きな意味を成す」というお話をいただきましたので、毎月参拝をさせていただく決心を致しました。

当日は息子の運転で向いましたが、道を間違えてしまい予定より遅く到着いたしました。

参拝を終えたところへ四人連れの方達が見えられ「救世教の方ですか」と声を掛けてくださいました。私は「メシヤ教です」とお答えしました。すると、「今日は、不動明王様が憑られている人がいるので、後でお言葉をいただけるかもしれません。時間がおありならば、一緒にお参りしませんか」と誘ってくださいました。

もし、息子が道を間違えなかったら、恐らくこの方々とはお会いしなかったでしょう。それ故に不思議なご縁に思えてなりません。その方々の参拝後、次のようなお言葉をいただきました。メシヤ様直々のお言葉でした。

≪お言葉≫

『今日の慶き日にお目にかかれたこと、ありがとう。教えを継いでしっかり守ってくれたこと、感謝している。ありがとう。

神から使命を受けて、浄霊で救ってきた。儂(わし)の使命は永遠不滅である。これからの浄化は半端でない。しっかり頼む。頼む。

今日の日に声を掛けてくれた者に感謝している。神は人を使う。それぞれ使命があって、完(まっと)うして欲しい。それで、そなた達を集めた。燦々と光り輝いて神事を導いて行って欲しい。そして人間の魂が向上して欲しい。

これから浄霊しかない。よいか、「医者が」「医者が」と言っているが、医者では治せない。浄霊しかないから、よろしく頼む。

箱根、熱海、京都、聖地はあるが、ここを聖地として神が許されたものであるならば、ここはほんの一握りしか認識されていないが、神を信じていったならば大丈夫。太陽の黒点から来る太陽神、根本神であるから間違いない。

必要あって、そなた達を集めた。苦しんでいる人山ほどいる。悩み苦しんでいるもの、儂(わし)は辛い。この世の中犯罪が多くなっている。子が親を殺し、親が子を殺す。獣にも劣る。日本大変。ひとりでも多くの人助けて、世界の人々が戦争のない世の中に。

メシヤの、救世(ぐせ)の神として、観音会、救世教、メシヤ教と継いでくれてありがとう。

現在、世界救世教は三つになっているが、幹部の者達が根本を曲げて伝えて、苦しいのである。神を暗闇の中に押し込めた。神を閉じ込めた。

御教え、一分一厘間違いない。そなた達が伝えてくれるのが使命。元は一つ。メシヤであるから。

メシヤ教の方、教えを守って拡げてくれ、光を求めて今日まで苦労してきたの、儂(わし)は知っている。ありがとう。自信を持って。天と地と一対で働く。

五十年前から食べ物のことを言ってきた。食べる物がなくなる。もう間に合わない。作る人の苦労があって口に入るのだから、有り難く有り難く生命力をいただくこと。後は浄霊で。

メシヤ教の方々達、気持ち痛いほど判る。伊都能売観音が働いている。今日、儂(わし)はそなた達を結んだ。力を合わせていってもらいたい。』(以上でございました。)

<問題解決するための留意点>
体験記に学ぶ

前回に続き体験記を通して「問題解決」を図る具体的な手法を紹介いたします。体験者の赤裸々な報告に感謝しつつ、学びの一助としていただければ幸甚です。

体験記・補
『魚の目に御守護』

大分県九重町  藤原マサヱ

浄霊三時間を二回

二、三ヶ月前から左足に時折痛みを感じるようになりました。当初は仕事も苦にならず過ごしておりましたが、三月になってから日増しに痛みが酷くなりました。

おかしいと思いよく見ると、左足小指と薬指の間に少し黒ずんだ魚の目ができているではありませんか。ビックリしてしまいました。歩くたびに指と指がこすれて痛くて堪りません。

思わず出張中の楳木先生に電話で相談をいたしました。先生は「足の付け根と痛いところを交互に浄霊しなさい」と言われました。速実行に移し、その日は約三時間にわたり浄霊をいたしました。

二日目の浄霊を終えて、貼り付けていたテ-プを剥ぐと、スル-と魚の目がくっついて取れてしまいました。何ということでしょうか。それっきり痛みがなくなりました。本当にありがとうございました。

油断を反省して、心新たに

振り返ると、介護を受ける主人のことでストレスが溜まっていたこともあります。また、仕事と家事に疲れ、神様へのご参拝を怠った日もありました。‘今日は疲れているから、一日ぐらい許してもらおう’と軽い気持ちになっていました。油断した気持ちが足元に来たのかな、とも反省しました。

私は、ある問題を解決していただき、二度と同じ問題が降りかかってこないように御神体をご奉斎させていただいたにもかかわらず、「喉元過ぎれば・・・」の喩え通り、気の緩みが出たのでした。反省いたしました。

しかし、メシヤ様との糸は繋がっておりました。感謝の気持ちときれいな心でご浄霊に邁進して行こうと思っております。ありがとうございました。

≪学び≫

問題解決のお世話

問題解決のためにお世話する場合、まず早急に手を打たなければならないものもあります。問題を抱えた人は前に出ることも後ろへ退くこともできない状態にあるケ-スが多いので、弁護士や教育者、警察官や行政関係者、医師など専門家に関わってもらい、具体的な対処を致します。

同時進行で、問題を抱えた人の自己変革の手助けを致します。手助けをする上で鍵になることは次の三点です。

① 問題には出発点があります。その出発点が何時なのか、何が原因なのか、話を聞きながら辿ってゆきます。出発点まで辿ることができたら、そこから改めてゆけば必ず解決します。

② 出発点で問題の種を発生させた原因には、育つ過程で身に付いた精神の癖があります。中には、先天的なものもありますが、そのことを意識してもらうことから始めなければなりません。前回までにお話した、勘違いや取り違い、判断ミス、見切り発車等々の原因はここにあるからです。

また、厳密に言うと、日常の心・言・行によって堆積した霊の曇り、前世からの因縁によるものもあります。これらを総称して霊の曇りと呼んでおります。曇りの発生源を解消するために浄霊がなくてはなりません。

③ そして、二度と同じ問題を繰り返さないためには、曇りが発生しない生活を送ることが大切です。感謝の生活、正しい生き甲斐を持った生活、明るく心豊かに徳積みを重ねる生活、という日々を過ごすようにこまめなお世話をします。

油断こそ要注意

さて、前回までの久民さんは、問題解決の途上ですので、以上の三点を反復しながら生活を積み重ねることが欠かせません。最も大切なことは、体験記にまとめた学びを決して忘れないことです。凡人は忘れてしまいますが、非凡になるためには忘れないことが重要な要素になります。

そして、これからの過程の中で、藤原さんの体験が非常に参考になります。物事が少し順調に進み始めると、油断したり、隙ができたりする傾向にありますので、要注意です。

それにしましても、藤原さんは3時間に亘って自己浄霊をし、翌日も同じように実践して目の醒めるような奇蹟をいただきました。浄霊による御守護は日常茶飯事のごとくいただいておりますが、魚の目がこのように早く、しかもスル-と抜け出たケ-スは初めてです。大変感動いたしました。

徹する心があったので、新たな問題解決が許されました。

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