メシヤ講座・特選集no.75(平成19年4月分)

<御教え>
文明の創造
(文創 昭和二十七年・未定稿のまま)
総篇

悪と守護霊

前項の如く、現在迄必要であった悪が、不必要になったとしても、そう容易(たやす)く追放される訳にはゆかないが、それに就(つい)ての神の経綸は寔(まこと)に幽玄微妙なるものがある。之は追々説いてゆくが、茲(ここ)で前以て知らねばならない事は、抑々(そもそも)宇宙の構成である。言う迄もなく宇宙の中心には太陽、月球、地球の三塊が浮在してゐる。そこで此(この)三塊の元素を説明してみると、太陽は火素、月球は水素、地球は窒素といふやうになってをり、此(この)三元素は勿論各々の特質を有ち、夫々の本能を発揮してゐるが、右(上記)の中の火素、水素の二精気が密合して大気となり、地球を囲繞(いじょう)しつつ、一切万有の生成化育を営んでゐるのである。

そうして地球上のあり方であるが、之は陰と陽に別けられてゐる。即ち陽は火の精、陰は水の精であって、火は経に燃え、水は緯に流れてをり、此(この)経緯が綾状になって運動してゐる。此(この)状態こそ想像もつかない程の超微粒線の交錯であって地上或程度の高さに迄達してをり、之が空気の層であり、大気でもある。右(上記)の如く陽と陰との本質が具体化して、火水、熱冷、昼夜、明暗、霊体、男女等々に表はれてゐるのである。又之を善悪に分ければ陽は霊であり善であり、陰は体で悪である。此(この)意味に於て善も悪も対照的のものであって、之が大自然の基本的様相である。

此(この)理は人間を見ても分る如く、人体は見ゆる肉体と、見へざる霊の二元素から成立ってをり、体と霊とは密接不離の関係にあって、人間が生命を保持してゐるのも此(この)両者の結合から生れた生命力によるのである。処が茲(ここ)に一つの法則がある。それは霊が主で体が従であって、之は事実がよく示してゐる。即ち人間霊の中心である心に意欲が起るや、体に命令し行為に移るのであるから、霊こそ人間の本体であり、支配者であるのは明かである。そこで霊は何が故に悪心を起すかといふと、之が最も重要なる焦点であるから詳しくかいてみるが、それにはどうしても宗教的に説かねばならないから、其(その)つもりで読まれたい。といふのは善悪は心の問題であるからである。

偖(さて)愈々本論に移るが、右(上記)の如く人間は霊と体との両者で成立ってゐる以上、肉体のみを対象として出来た科学では、如何に進歩したといっても畢竟一方的跛行的であってみれば、真の科学は生れる筈(はず)はないのは分り切った話である。之に反し吾々の方は霊体両者の関係を基本として成立ったものである以上、之こそ真の科学でなくて何であらう。

以上の如く善悪なるものは心即ち霊が元であり、而も霊主体従の法則を真理として、之から解き進める説を充分吟味するに於ては、根本から分る筈である。処で先づ人間といふものの発生であるが、言う迄もなく妊娠である。之を唯物的にいへば男性の精虫一個が、女性の卵巣に飛込んで胚胎する。之を霊的に言へば神の分霊が一個の魂となって宿るのである。そうして月満ちてオギャーと生れるや右(上記)の魂以外別に二つの魂が接近し、茲(ここ)に三つの魂の関係が結ばれる。右(上記)の二つの魂とは一は副守護霊といって動物霊であり、多くは二、三才の頃に憑依する。今一つは正守護霊といって直接憑依はしないが、絶へず身辺に着き添い守護の役をする。勿論右(上記)の二霊共一生を通じて離れる事はないから、言はば人間は三者共同体といってもいい。其(その)様な訳で第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心でもある。昔から人の性は善なりといふのは之を指すのである。第二の副守護霊とは右(上記)とは反対で悪そのものであるから、常に本守護霊の善と闘ってゐるのは誰も自分の肚の中を思へば分る筈である。第三の正守護霊とは祖霊中から選抜されたものであって、不断に其(その)人の身辺に附添ひ、守護の役目をしてゐる。例へば災害、危難、病気、悪行、怠慢、堕落等々、凡て其(その)人を不幸に導く原因を防止する。よく虫が知らせる、夢知らせ、邪魔が入る、食違ひ、間が悪いなどといふのがそれである。又何かの事情で汽車に乗遅れた為、危難を免れる事などもそれである、悪に接近しやうとすると故障が起き、不可能になったりするのもそれである。そうして本霊と副霊とは常に闘ってをり、本霊が勝てば善を行ふが、副霊が勝てば悪を行ふ事になるから、人間は神と動物との中間性であって、向上すれば神の如く、堕落すれば獣の如くになるのは世間を見てもよく分るであらう。では一体副霊とは何の霊かといふと、日本人は男性であっては天狗、蛇、狸、馬、犬、鳥類等の死霊が主で、其(その)他種々の霊もあり、女性にあっては狐、蛇、猫、鳥類等の死霊が主で、外にも色々な霊があり、又此(この)副守護霊以外臨時に憑く霊もある。斯んな事をいふと現代人は馬鹿々々しくて到底信じられまいが、之は一点の誤りなき真実であって、之が信じられないのは其(その)人は唯物迷信の為であるから此(この)迷信を一擲(いってき)すれば直に判るのである。何よりも人間は其(その)憑いてゐる動物霊の性質がよく表はれてゐるもので、注意すれば何人にも分る筈(はず)である。

右(上記)の如く臨時に憑く霊も、殆んどは動物霊であって、偶(たま)には人間の死霊もあり、極く稀には生霊もある。では臨時霊が憑く理由は何かといふと、言う迄もなく其(その)人の霊の清濁によるので、曇りの多い程悪霊が憑き易く、又元からの副霊の力も増すから、どうしても悪い事をするやうになる。此(この)理によって現代人の大部分は霊が曇り切ってゐるから、悪霊が憑き易く活動し易い為、犯罪が増へるのである。処がそれとは反対に神仏の信仰者は曇りが少なく、善行を好むのは魂が清まってをり、悪霊を制圧する力が強いからで、茲(ここ)に信仰の価値があるのである。従って無信仰者は平常善人らしく見へても、何時悪霊が憑依するか分らない状態にあるので、一種の危険人物といってもいい訳である。此(この)理によってより良き社会を実現するには、清い魂の持主を増やすより外に道はないのである。そうして本来魂なるものは一種の発光体であって、動物霊は此(この)光を最も怖れるのである。処が現代人の殆んどは魂が曇ってをり、動物霊といふ御客様は洵に入りいいやうになってゐるから、忽ち人間は躍らせられるので、百鬼夜行の社会状態になってゐるのも当然である。而も其(その)様な事に盲目である為政者は、只法と刑罰のみによって悪を防止しやうとしてゐるのであるから、全然的を外した膏薬張で効果の挙がる筈(はず)がないのである。何よりも国会を見ても分る如く、殆んどの議案は法律改正と追加といふ膏薬製造法であるから、之を常に見せつけられる吾々は、其(その)無知に長大息を禁じ得ないのである。

以上の如く悪なるものは大体判ったであらうが、此(この)根本解決こそ信仰以外にない事は言うまでもない。併し単に信仰といっても其(その)拝む的である神にも上中下の階級があり、それが百八十一級にも及んでゐると共に、正神と邪神との差別もあるから、之を見別けるには相当困難が伴ふのである。世間よく熱烈な信仰を捧げても思うやうな御利益がなく、病気も治らず、行ひも面白くない人があるが、それは其(その)的である神の力が弱く、邪神の活動を阻止する事が出来ないからである。而も困る事には此(この)状態を見る世人は、之こそ低級な迷信と思ひ、偶々本教の如き正しい宗教を見てもそれと同一視するのであるから実に遺憾に堪へないのである。そうして昔から一般人は神とさへ言へば、只尊いもの有難いものと決めて了ひ、差別のあるなど知らない為、甚だ危険でもあった。尤も今日迄最高神の宗教は全然現はれなかったからでもあるが、喜ぶべし茲(ここ)に最高神は顕現され給ふたのである。

それが為今日迄の神は仮へ正しく共次位の階級であるから、其(その)力が弱く正邪相争ふ場合一時的ではあるが悪の方が勝つので、之を見る人々はそれに憧れ、真似しやうとする。特に野心あり力量ある者程そうであるのは、歴史を見ても分る通り、幾多英雄豪傑の足跡である。成程一時は成功しても最後は必ず失敗するのは例外がないのである。之を霊的にみると其(その)悉くは邪神界の大物の憑依であって面白い事には最初はトントン拍子にゆくので有頂天になるが、それも或程度迄で必ず挫折する。そうなると憑依霊は忽ち脱却して了ふ。吾々の知る範囲内でもカイゼル、ムッソリーニ、ヒットラーの如きがそうで、失敗後は人が違ふかと思ふ程痴呆暗愚的に気の抜けたやうになったが、之は大きな邪霊が抜けた後は誰でもそうなるものである。そうして驚くべき事は邪神界の総頭領は、今から二千数百年前、世界の覇権を握るべく、周到綿密にして永遠な計画を立て、現在迄暗躍を続けつつあるが、正神界の方でも之に対立し戦ってゐるのである。其(その)神としてはキリスト、釈迦、マホメット、国常立尊の系統の神である。

以上の如く主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、其(その)結果遂に邪神の方が九分九厘迄勝ったのが現在であって茲(ここ)に主神は愈々一厘の力を顕現され、彼等の大計画を一挙に転覆させ給ふ、之が九分九厘と一厘の闘ひであって、今や其(その)一歩手前に迄来たのである。従って此(この)真相を把握されたとしたら、何人と雖も翻然と目覚めない訳にはゆかないであらう。

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「広島支部」開所式・特集

<感謝報告>

坂本利子

メシヤ教にご縁を許されてから、私の生活は大きく変わりました。

まず、家庭がすごく明るくなりました。私が家に居ることもあるかもしれませんが、笑いの絶えない家になってきています。主人と長男の間は、ある問題をきっかけに確執を生じさせていたのですが、今は一緒に笑いながらご飯を食べられるようになりました。食後も長男は部屋にこもることもなく笑って過ごしています。笑顔で本音でしゃべられるようになりました。

それから、私は天聖真美会にいたため借金を抱えていました。借金の返済のことも、先生をはじめ周りの人達に相談に乗っていただき、300万円位あった借金も裁判所で任意整理を申し込んだ結果、裁判所の調査結果では200万円強あったものが残高50万円弱になり、びっくりしました。

さらに、最近大きなことがあったのです。私はこれまで市民病院にパートで勤めていましたが、「5年間パートで勤めて嘱託になりたい、きちんと勤めたい」と天聖真美会時代に願っても願っても滑り続けていました。でも、3月に受けた嘱託試験に受かったのです。

私は、中材という特別な部署にいて、病棟の部署の人々も受けていたので受かるはずはなかったのです。ところが、13人受けてたった1人だけ受かったのです。結果発表で「あなたを採用します」と聞いた時、周りの人もびっくり、そして私自身が一番びっくりしました。まるで狐につままれたようでした。

確かに「お光様」をおはずしして、メシヤ様を純粋に思い、感謝できる日々を過ごさせていただいた頃でした。「メシヤ様は本当に純粋な思いに応えてくださるのだ」と思い、感謝でいっぱいです。

本当にありがとうございました。

安村早苗

本日は、「広島支部」開所式おめでとうございます。

私はメシヤ教にご縁をいただく前に天聖真美会に入信させていただいていたのですが、去年の夏くらいから「何かが違う」と思い始めてネットで色々調べていました。

実は、私は小学生の時に病気で身体に金具を入れておりました。本来2年位で取り除くものでしたが永年そのままにしていました。それを取り除くべきか、大手術のために悩んでいました。ある方に相談すると「メシヤ教が良いよ」ということで、勉強会に参加させていただきました。

先生から浄霊をいただくと、とても熱く、その後の勉強会もありとあらゆるジャンル(政治・芸術・一般論)の話をされて、しかも急所も即答でした。私は、勇気を出して先生に相談させていただきました。

先生は「大丈夫だからね」のお優しいお言葉と生理不順との関連をはじめとして色々とご指導をいただき、金具摘出の手術をすることを決めました。手術後も信者さん方へ毎日浄霊に来ていただくように手配してくださいました。お蔭様で驚くほど早く綺麗になり、元気に回復させていただきました。

病院の中では薬も点滴もなく、‘ただ日にちが薬’という大奇蹟でした。周りの患者さんを見ると、やれ点滴だ、飲み薬だ、という方ばかり。中には薬を入れられてアレルギーのためか皮膚が火傷のようになり、可愛そうで見ておれませんでした。

手術後一ヵ所が思いのほか痛く「どうしてこんなに痛いのだろうか」と思うほどでした。しかし、浄霊の光が入ってくることが強く感じられる体験も重なりました。「痛い所が以前の手術時の原因となった所だから、根気良く浄霊をいただくように」と、先生から指導をいただき、「なるほど」と思いました。痛みが取れてもしっかりと浄霊を続けさせていただきたい、と考えております。

先生を通してメシヤ様にご縁をいただいていなかったら、今頃どうなっていたかと思うとゾッとします。本当に導いてくださった神様、また周りの方々に感謝でいっぱいです。そして、いただいた奇蹟、御守護を苦しんでいる人々に伝え、メシヤ様の御心に叶う人間になるよう向かわせていただきます。

本当にありがとうございました。


<決意発表>


福下敏子

うららかな春の日和に恵まれ、恐れ多くも「御神体様」をお迎えさせていただき、「広島支部」開所式の記念すべき日をお与えくださいました御事を心より感謝申し上げます。

ここに、『人類救済』、『恒久平和の理想世界実現』をご悲願とされたメシヤ様の手足とならせていただき、ご浄霊と御教えを伝道していくことを恭しく伏してお誓い申し上げます。そして可能な限り全ての人類が希望と歓喜に溢れる日の来ることを切に願っております。

わずか3か月余りの準備のため、18名の信徒での出発ではありますが、みなぎる熱意と情熱を秘めております。天国的な活動の下、メシヤ様の救いは世界を変えると信じて求道させていただく喜びは、とても言葉では表せない『信仰の醍醐味』そのものであります。

祈ること、詫びることを許され、人様の幸せのために生きることができることは人間として真の幸せと受け止めております。この生活が現実のものとなったことに感謝しつつ、お祝いと決意の言葉とさせていただきます。

ありがとうございました。

<挨拶>
幅広く、緩やかに束ねて御神業を

メシヤ教 代表  楳木和麿

本来のあり方を求める門出

「広島支部」開所式おめでとうございます。

本日は地元の方々はもちろん関西や山陰からもご参拝いただき、御光に包まれた素晴しい祭典を執り行うことが許されて、心からお慶び申し上げます。

ただ今三人の方々からご報告をしていただきましたが、そのご報告内容の中に、私達がこれから「広島支部」を通して取り組ませていただく内容が見えてまいります。

御神体を迎えさせていただき、ご参拝させていただいた皆さん方は大御光をお感じになられたと思います。祝詞を奏上させていただくと汗をかくくらいに注がれる大御光の存在は、これまでに体感されたことのないような強い御光だったことでしょう。如何ですか。

本日から責任者になりました茶谷恵三子さんは、初めて(メシヤ様に太く繋がった)浄霊をいただいた時から汗だくになるくらいに御光を感じて、その瞬間から強烈な風邪の浄化もいただいて身体を綺麗にしていただきながら、姉の福下敏子さんに支えられて開所式の準備を進めて来られました。

そして、皆さん方のご協力をいただきまして本日を迎えることができました。それぞれの魂が本来の道を求め続けて、その結果として本日の祭典を迎えたのだということを強く感じさせていただいております。

祝詞奏上の仕方や拍手の早さなど、これまでと多少違う面もお感じになるかと思いますが、本来のあり方を目指すという一点に心を傾けていただければ幸いです。開所式は本来のあり方を目指す門出でもありますので、よろしくお願いいたします。(祝詞奏上のあり方等に関する話は割愛)

支部の取り組み―信仰について

さて、先ほどの報告の中から「広島支部」を通して何をさせていただくのか、ということを考えさせていただきますと―。

信仰というものは何のためにするのか、ということをもう一度考えておく必要がある訳ですね。信仰というのは、当然ながら幸せになるためにさせていただくのです。幸せになるということは、抱えている問題が解決するということがあります。それから願いとしていることが実現してゆく、ということがあります。

坂本さんの報告を聞かせていただいていると、ピッタリなのですね。家庭の中の問題が解消し、借金を返済する目途が立って来た、ということですので。そして願いとしていた本採用ということが実現した訳ですからね。所謂信仰の願いとするところにピッタリ合っています。

それから安村さんは、今まで最も気懸かりであったことに対する解決を見ました。以前身体に入れた金具を医者は「2年間で取り除いて良い」と言っていたにもかかわらず、今日までズルズルとそのままにしていました。結婚を目前に控えてそういうものが人体に与える影響を考えると、拭えない不安感があった訳です。

そこにこれまでの信仰では答えを見い出すことができなかった。相談しても明快な答えを得ることができなかった訳です。ですから信仰をしていても解決の道筋というものがまったく出てこなかったのです。しかし、私との話により決心することができました。

勇気のいることだったでしょう。そして、福下さんと茶谷さんをはじめ皆さんが傍で支えてくださり、どんなにか力強かったことでしょう。また、いざ実行してみると、浄霊の素晴しさとか、自分の肉体に関することがそのことを通して分ってきたのです。

所謂安村さんの魂が待ち望んでいた、一番求めたものに対する答えをいただいた、ということであります。こうした具体性が本来の信仰によって得てゆくものなのです。

少し余談になりますが、私も先月は肉体の持つ力の素晴しさを体感させていただきました。4年前に親指にのめり込んだガラス破片が浄霊によって排出された話をメシヤ講座(参照 メシヤ講座・特選集no.17)で取り上げたことがあります。それが、4年間まだ小さい破片が残っていたのです。

これがその破片です。4年前のものと比べてみてください。こんな小さいものですが、4年間ズーッと違和感が続いていました。3月初めから赤く腫れ始めて、浄霊をいただいている内に盛り上がってきました。31日の大掃除で指の皮が柔らかくなったところで先端が顔をのぞかせました。今回も出血がなく、見事な排出でした。

メシヤ様とご縁をいただいているからこそ、日常的に許される御守護です。

私達は、広島支部を通して「メシヤ様とご縁をいただくと、このような御守護溢れる生活を許される」ということを発信してゆきたいのです。また、その素晴らしい取り組みの求心力ともなってゆく「場」に広島支部をしてゆきたいのです。

支部の取り組み―曇らない生活のために活用

異物を排泄する力を肉体は有しているのですが、現代人は各種化学物質に囲まれ、また汚染物質が体内に忍び込み汚染されることにより、本来有している力が弱体化させられています。そのことを認識した上で対処しつつ浄霊をいただくことにより、本来の肉体の力が甦ってくるのです。

体内の異物を排泄する典型的なものが風邪で、発熱により毒素を溶解させ痰や鼻汁などによって体外へ排泄させます。健康を維持させるための神様の愛だと教えられています。『浄化作用の原理』ですね。

そうしたものを根っ子において、先ほどの問題解決をする時に、あるいは願いを実現してゆく具体的手立てを考えた時に、信仰してゆくことの有効性が見えてくる訳です。

まず、幸不幸の原因というものは霊の曇りの多寡にある、というように教えられています。メシヤ様を教祖と仰ぐ各教団では、信仰の理念の根幹にこのことを置いて信仰生活を皆さんへ提供しています。

そして霊を浄めるためにどのような取り組みがあるかと言いますと、浄霊という偉大なものがあります。それから、こうした開所式を始めとして支部に参拝をして御光に浴すということがあります。さらに、自分の持っている時間とか、お金とか、あるいは身体などを以って奉仕させていただくこともあります。

ところが、霊を浄めていただくのですが、多くの教団で欠けているのは日常的に浄まり続けることの生活指導です。

例えば、お子さんを育てる時に、学校でテストが行われて結果が悪かったりしますと「なに~?!この点数は・・・?!」と小言を言うことがあります。またテレビばかりを見ていると、「勉強しなさい!」ときます。最初は小言で済んでいるのですが、「そんな事じゃ良い高校へ入れないわよ!」と脅かしてしまいます。これを脅かしとは思わない人が多いのです。子供のことを思って言っているつもりだからです。

しかし、脅しを受けた子供は態度を変化させてゆきます。顔色を窺ったり、「本当は自分のことを嫌いなのでは?」という思いが募ったりもして、家庭でもストレスを感じるようになります。外でのストレスを解消する術が段々となくなってゆきます。そうすると、本来子供は若葉のようにほったらかしていてもスクスク育つものですが、「こんな筈ではなかった」と思わされることが起きてきます。

社会に出たら出たらで、経済至上主義の真っ只中で更にストレスを抱えるようになり、益々ストレスを解消し辛くなります。ましてや、経済至上主義は欲望に支えられている面がありますから、そちらにも引きずり込まれます。

こうしたちょっとした思い違いが先へゆくほど問題を生じさせます。それが精神の癖というものです。そしてこれは、霊の曇りの発生源となることもあります。それ故に、不断に私達は霊を浄めさせていただくと共に、霊を再び曇らせない生活を心掛けねばなりません。

浄霊をいただくだけではなく、人様へ取り次がせていただく。支部へ参拝するだけではなく、人様をご案内させていただく。奉仕もさせていただく。人から言われるからではなく、自発的に、人様へ御光が及ぶように寄与し、貢献してゆく。それらが徳を積む手始めです。

尚且つ中心になるのが御教え拝読と実践です。そうしたことを目指してゆくと、曇らない生活をするということになります。そのために支部を活用していただきたいのです。その意味で、今日までの信仰の概念を大転換していただきたい、と願っております。

支部の取り組み―問題解決を進める

坂本さんが御守護いただいた借金のことがあります。多額の債務を裁判所を通して大幅に減額することができました。しかも放棄ではなく、払い過ぎている金利を修正することにより実現できたのです。問題解決というものは、そこが大事なのです。

今までは、問題というものを先祖の曇りだとか、先祖が救われていないからだとか、という形で解説されてきた面があったと思います。全部先祖の所為にしてきた面もあったと思います。しかし、問題というものは全て自分で作り出しているのです。それを先祖に責任転嫁しているのです。それが一番楽だからです。

指導する側も同じで、楽なのです。何故かと言いますと、問題解決の具体的手法を考えて教えなくて済むからです。済むというより、具体的手法を知らないですね。「先祖が救われてないのよ!」と言えば、「ハハァーそうなんだ」ということで、具体的に何も取り組まなくて、指導者としてこんな楽なことはありません。指導者が楽をして、怠けているだけなのです。

問題というものは、問題を発生させる根っ子というものが必ずあります。それを辿ってゆくと、親、祖父母まで辿り着き、その先へゆくと先祖ということも稀にはありますが、先程の「小言」と「脅し」の話のように、自分が問題を形成している場合が多いのです。

皆さんの生活に当てはめて考えていただきますと、例えば真っ直ぐ歩こうと考えて一歩を踏み出しましても、最初の一歩が1ミリずれていたら100メートル進んだ時には十数センチずれてしまいます。先へ進めば進むほど1メートル、10メートルというようにドンドンずれます。それが最初の思惑と違ってくることと同じなのです。

出発点がずれると先へ進めば進むほど問題を発生させることにもなるのです。また、修正を加えようと考えても、見切り発車したり、ズルズルと先延ばししていても問題が生じるのです。借金の問題もここにあります。

ですから、問題というものは出発点のわずかなずれと見切り発車、それから修正を先延ばしする決断力の弱さが発生させる場合が多いのです。逆に言うならば、問題というものはズーッと遡って考えてゆけば、必ず出発点があるのです。自分の人生を遡って、出生までゆくかもしれないし、両親までゆくかもしれないし、先祖に辿り着くかもしれません。

いずれにせよ、出発点を捜し出し、そこまで遡って修正すれば必ず問題は解決するのです。宗教における面談等はその作業をすることなのです。それを説教と勘違いしている宗教家が多いのが更なる問題なのですが・・・。

さて、それで問題を発生させる出発点が判り、原因を特定でき、修正の方向性が明確になった時に、信仰というものが力になるのです。問題を抱えた人は、前に出ることも後ろへ退くこともできなくなっている場合が大半です。そうした時に背中を押してくれるのが信仰上のお世話です。

そして、修正する内容は殆んどの場合精神の癖に関わることです。精神の癖とは、身辺に起きる事象に対して無意識に反応する心・言・行です。それだけに取り組み始めても途中で嫌になることもあります。「私ばかり何で・・・」「不公平だ・・・」という思いがムクムクと湧き起こってきます。

また、「私が悪かった」と心底気付いたのは良いのですが、「今更こんなことをしても大丈夫かしら・・・」という不安がヒタヒタと押し寄せてきます。こうした二面の真情が人間の弱さであることは言うまでもありません。

支部の取り組み―信仰の本当の力

この弱さを克服しようとする時に力を下さるのが神様です。「キチンとやり直してゆこう」と決意して進む人に力を下さるのが、最高位の神様なのです。最高位の神様の力の与え方なのです。

毎日漫然とお祈りしていれば良いということではありません。決心をしてお祈りをし始めますと「この方向で進めば必ず解決する」という御守護の前渡し的なことが起きます。そこで「これで間違いない」と思ったら、その道を真っ直ぐ継続して進めば良いのです。

そして、継続する時に支えて差し上げるのがお世話です。実行するのは本人でしかありませんが、御守護の前渡しを忘れかけた時に思い出させて差し上げたり、御守護の事例を示して勇気を与えて差し上げます。お世話により、挫折しかけても立て直し、立て直し進むことができます。そうすれば神様は益々力を下さいます。

問題解決を考える時には、そうしたことを念頭に置いていただきたいと思います。そして、話を組み立てる根源に浄霊というものがあるのです。神様という存在は浄霊を通して私たちに絶対性を示してくださっています。その神様が御教えくださった考え方に則って、精一杯生きてゆけば人生は益々開け、霊性は高まってゆくのです。浄霊の力を自分達の宝として、人生を歩んでいただきたいと願っております。

それから、「それでは進んでゆこう」とした時に、もう一度出て来るものは今までの信仰生活の癖ですね。どうしても霊視などというものの影響を受けてきていますので、考えておきたいと思います。

信仰生活の概念を転換する

私達の子供の頃には、「ご飯を食べてすぐに横になると牛になるぞ」と言われて姿勢を絶えず正された訳です。「角が生えてくる」とも言われ、額を触りながら寝っころがりました。(笑い)まあ、そうやって躾けられたのです。

そうすると、「神様」というイメージは「バツを与える存在」というように勘違いをして育つ部分があります。例えばそうした概念を持っていたとすれば、転換してゆかねばなりません。

神様は罰を与えません。神律に基づいてそのように見える結果を招くことはあります。しかし、罰という類いのものは祖霊が与えるのです。『祖霊の戒告』という御教えがありますね。自分の子孫が道を踏み外しかけていると、間違いに気付かせるためにゴタゴタを起こしたりします。

神様には、人間が正しい方向に進む場合力を与えなければならない役割があるのです。正しい願いを叶えなければならない役割があるのです。これが本来の信仰の考え方なのだということを是非理解していただきたいのです。

先程の本の中に『人間とは』という一説がありますので、御教え拝読を担当した方、拝読していただけますか。

拝読―『本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。

そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』―ありがとうございました。

毎月の「家庭慰霊祭」で拝読していただく内容です。これが人間というものですので、私達は生れ代わり死に変わりつつ進歩向上しながら生命を繋いできたのです。ですから、先祖から受け継いだものの内で良き特徴は受け継ぎ、問題とすべきものは改めてゆく作業が実は必要なのです。

家庭慰霊祭は、その作業の節目になるのです。教団で祭祀料を包んで人任せにすることではないのです。

そのためには、自分の家系のことをもっと調査しなければなりません。代々積んできた徳と罪穢れというものがあります。それらを充分掌握し、吟味して、その徳の部分を受け継いでゆく決意をするのが家庭慰霊祭でもあるのです。

また、罪穢れに相当するところは改めてゆくことを家庭慰霊祭で毎回誓うのです。そうした積み重ねを先祖は最も喜ぶのだ、ということを再認識していただきたいのです。それが私達の信仰生活なのだ、ということを本日の開所式で改めてお伝えいたします。

幅広い気持ちで支部運営を

ちょうど時間となりましたので、最後に支部運営についてお願いしたいことをお話して、まとめといたします。

広島支部を通して一人でも多くの人を救わせていただきたいのですが、「救われた人が必ずしもメシヤ教に入会しなくても良いんだ」という考え方です。入会して来る方は、「取り組みを支えたい」という人なのです。「私達の取り組みに賛同し、共に身を捧げたいと思う人だけが入会して来れば良いのだ」と大らかに考えて、相手を拘束しないで進んでいただきたい、と願います。

幅広く、緩やかに束ねながら取り組んでいただいたならば、広島支部は広島市を中心とした山陽地域、中国地域の大きな救いの拠点になってゆくと確信いたします。そのことを重ねてお願いいたしまして、「広島支部」開所式の挨拶とさせていただきます。

皆さん、本日は誠におめでとうございました。(要旨)

<資格者資料>

(「入信教修」三講は次回に掲載します。)

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