メシヤ講座・特選集no.83(平成19年12月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
はしがき

此(この)小著は、まだ本教を知らない人の為に、手引としてかいたものであるから之を読んだだけでも、本教の片鱗に触れ、概念だけは得られると思う。何しろ本教は今迄の宗教とは余程異っており、既成宗教観念では一寸判り難いと共に其(その)点に本教の大いなる意味を見出すのである。早く言えば、今迄と余り異いがない宗教とすれば、発生の必要はないからである。

そうして、如何なるものでもそうであるように、宗教と雖も其(その)時代は固より未来に渉って迄の、何等かの使命がなくてはならない。成程、真理そのものは未来永劫不変であるが、宗教自体の在り方としては、時代即応でなければならないのみか、寧ろ時代の指導的役割をするのが本当であろう。

此(この)意味に於て、既成文化も既成宗教も、時の推移に従って存在の意義を変転するのは元より、そこに進歩向上があるのである。何よりも今日の如き知的文化人に対って、仮え原始人を済度し得た宗教を以てしても、其(その)目的を達成する事は到底出来得ないであろう。

本教は、元来神道に非ず仏教にも非ず、勿論キリスト教でもないと共に、本教には神仏基の何れもが包含されているばかりか、科学も本教の中に在って、而(しか)も現代科学よりも数段進んでいる。此(この)様に凡ゆる文化は悉く内在しているのが特異性である。そうして本教は一切の誤謬を是正し、よりよき文化たらしめ病貧争絶無の世界たる、地上天国を造らんとするのである。此(この)様な空前の大目標を掲げて、其(その)可能を確信するというのであるから、先づ世紀の驚異といってもよかろう。併し乍(なが)ら此(この)様な救世の大事業は、到底人間力で出来るものではない。としたら茲(ここ)に偉大なる神霊が本教を加護されている事を、信じない訳にはいかないであろう。

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「メシヤ様御降臨祭」特集

<体験報告・1>

神奈川県 中村吉郎

初めまして。横浜から参りました、中村吉郎と申します。

今年は、私にとっても大きな変化の年でありまして、様々な経緯の後、現在は全くの無農薬無肥料栽培農産物を取り扱う販売店に店長として勤務させていただいております。当店は、無農薬、無肥料の芸術自然栽培の野菜の流通に本格的に取り組んでいる、文字通り自然との調和を理念にした会社です。20年以上前、代表が自然栽培の野菜を世に広めようと、トラックでの引き売り販売から始めた会社も、現在では四つの直営店と、個人宅配を運営する大きなプロジェクトに成長しております。これは、ここ数年の時代のニーズが、食の安全を求めざるを得ない状況に変化してきたこと、また、薬害問題が一般の人々の間に広く浸透してきたことに大いに関係しています。

今年出来たばかりの当店は、一階は自然栽培の野菜や生活雑貨を販売する店、二階がレストランになっていて、銀座という場所柄、毎日様々な人々が訪れます。勿論、自然栽培の野菜を求めて遠方からいらっしゃる人も多いのですけれど、それよりも、何気なくふらりと立ち寄られた方が、偶然レストランやショップで自然栽培の野菜と出会い、本来の野菜の味とはこういうものだったのかということに気付き、何度も通われているうちに、食生活をはじめ生活習慣そのものまでが変わって行く姿を、日々感動を持って拝見させていただいております。

お話をお伺いしていると、市販の野菜を食べると農薬の味がする、無農薬と謳っていても身体の調子が悪くなる等様々な反応があったのだが、ここで買った野菜は一切そういうことがなく、美味しかったという理由から、家族で利用してくださっている方、また、化学物質過敏症で、ここで販売している食料や生活雑貨しか使えないという方、近所にスーパーがないから、最初は高いと思ったがここで買物をしているうちに自然栽培以外の野菜が食べられなくなった方等など、本当に様々です。

本日は、青森県のKさんが栽培した無農薬無肥料の奇蹟のりんごを一個持って参りました。最近は、テレビや新聞の取材により全国区で有名になり、このりんごも、店に入荷したら即完売というすさまじい人気になっていますので、本日は沢山の皆様がいらっしゃっているのですけれど、一個確保するのが精一杯でした(笑)。

マスコミが奇蹟のりんごと話題にする程、りんごという食べ物は無農薬で育てるのが難しい果物なのです。それは、10回農薬使用のりんごがJAS認定をもらっていることからもよく判りますし、10回と聞いて顔をしかめられる方も、一般的なりんごは通常40回程の農薬散布が常識になっていることを知れば納得していただけるでしょう。Kさんにしても、自然栽培のりんごを順調に生産出来るようになるまでは、並大抵の苦労ではありませんでした。農薬も肥料も使わず、大自然の力だけでりんごを育てると決めてから、それまで土に投入した農薬や肥料が完全に抜けきって丈夫なりんごが育つまで、八年の歳月を費やしています。その間、収入も断たれ、周囲からは変人扱いされ、信念を貫き通す間に味わった苦労は、計り知れないものであったと感じます。それは、Kさんだけでなく、自然栽培に取り組んでいらっしゃる生産者の方々、皆さん似たような経験をされています。

何と言っても、自然栽培を始める前は、畑に農薬や肥料を投入していた訳ですから、その肥毒が抜けるまでの間は、虫は出る、野菜は満足に育たない、信念がなければ続けられない試練の期間を通り抜けて、初めて土は美しくなり、それからは、今まででは考えられないぐらい沢山の野菜が無農薬無肥料で生産されるようになるのです。今迄自然栽培が徹底して世の中に浸透しなかったのは、皆、この苦難の時期に耐えられず、途中で肥料を入れてしまったり、菌を使ってしまったりして、本来の道から外れていってしまうのですね。

どこかの団体の方が店に視察にいらっしゃって、「自然栽培では満足に野菜が育たないから、私達はEM菌を使うという結論に辿り着きました。それこそ20年以上かかって今のやり方になったのですよ」と言われた事もありますけれど、そういう会話をしている横で立派に自然栽培で育った野菜が販売されているのですから、これは事実を見ないで理屈を言っているとしか考えられません。

このように店にいらっしゃる方全てが好意的に見て下さってる訳ではなく、特に、マスコミの取材が殺到して店の認知度が高まった時に、一時期ねずみが夜中に店に侵入して野菜をかじるので非常に困った事がありました。その時、楳木先生とお話してこの事を相談しましたところ、「それは、マスコミで世の中に知れ渡ると、それを面白く思わない人達も記事を読むことになり、嫉妬などの良くない想念がねずみを使って邪魔をしているのでしょう。自然農法を世に広めることは、メシヤ様の御神業の一貫です。だから、メシヤ様の御神業を邪魔しないよう念じながら硯で墨をすり、紙に『ねずみ来るべからず』と書いて貼っておけば、ねずみは来なくなります」とおっしゃったので、翌日近くの文具屋に走り、墨と硯がなかったので、とりあえず筆ペンを買って(笑)その通り試した所、その日からピタリとねずみは寄り付かなくなりました。その後、業者にも頼んでメンテを徹底していますけれど、まるでそういうことはなくなり、昭和4年に建てられたレトロな建物ですけれど、害虫の被害も一切なく快適な空間で業務に取り組ませていただいております。

もう一つ、これは店のこととは関係がない話なのですけれど、実は、私は先月末に通勤途中走っている時に段差に躓(つまず)き激しく転倒し、顔に大怪我をしてしまいました。バスの中で血が止まらず、駅の洗面所で鏡を見たところ、顔の右半分がざっくり裂けて、自分で見るのが嫌になる程無様な姿になってしまっておりました。何と言っても仕事が接客ですから、この顔を見せる訳にもいかず、その日は大きなマスクをかぶって(それでも、マスクから出ている部分の傷に皆驚いていましたが)何とか乗り越えました。しかし、夜鏡を見て、これは年内どころか一生残る傷になるかも知れないと思いました。

私の場合は、病院には行かない、薬は一切使わない生き方を徹底すると決めていますので、忙しい毎日の中、一日5分程、自分でご浄霊をするのみでマスクをしたまま仕事に出ていたのです。驚いたことに、四日もしないうちに傷口は塞がりかさぶたとなり、一週間後にはそれも取れて、マスクをとっても誰も気付かない程回復してしまったのです。これには、店のスタッフ一同、お客様まで皆驚いており、改めて、怪我、病気の回復に薬は一切必要ない(むしろ薬が回復を遅らせる)こと、それから最近火素が強まり、浄霊力が今迄の感覚では想像出来ない程強くなっていることを身を以て気付かせていただくことが出来ました。今日も、私もハンカチを手放せない程、真冬であるのにも拘らず、汗がとまらない程光が強く熱く感じられますね(笑)。

長くなりましたが、本日はこれにてご報告を終らせていただきます。ありがとうございました。

<体験報告・2>

神奈川県 三浦智子

私は、以前20年間神慈秀明会に所属しておりました。人をお世話する立場にありましたが、疑問を感じながら日々過ごしておりました。信者さんが浄化した時に浄霊に行かせていただきますが、深刻な症状になると最終的には病院に頼らざるを得ない人の余りに多いこと、自分の浄霊にも自信が持てず、自分の置かれている立場と“秀明から離れたらメシヤ様から見放される”という気持ちで悩み、毎日「本当のことを教えてください」と祈っておりました。

そんな折、菅谷さんを通じて今年の5月から川崎でのメシヤ講座に参加させていただくようになり、その後夫婦でメシヤ教にご縁をいただきました。

まず驚いたのは浄霊力の違いです。私は肩こりが酷く、そこからめまいや頭痛につながり、酷い時には接骨院にマッサージに通っていました。主人との毎日の相互浄霊で、その酷い肩こりをすっかり良くしていただきました。

つい先日は、長女が御守護をいただきました。虫歯があり歯医者に通っていますが、何の説明もないままいっぺんに2本も抜かれてしまったのです。帰宅してから痛みが酷くなり、物凄く泣きじゃくり号泣していました。痛むところを浄霊させていただきましたが中々良くならないので、菅谷さんに連絡したら楳木先生に急所を聞いてくださいました。

「首、肩、腎臓、歯茎の順にしっかり浄霊すれば一晩で痛みは引く」と教えていただき、泣きじゃくっている娘にまず首から浄霊をさせていただきました。5分くらい経ったか経たないかだと思いますが、肩にさしかかった時に嘘のようにスーッと寝てしまいました。そのまま30分くらいしっかり急所に浄霊をさせていただきました。2時間くらいで眼を覚ました、その時には何事もなかったかのように全く痛みがなくなっていました。浄霊の力の違いを日々実感させていただいております。

少し話は変わりますが、主人の叔父はどんなに誘っても神慈秀明会には入信しませんでした。叔父は10年前に大腸ガンを患い、毎日死ぬことばかり考えていたそうです。そんな時冬の朝日を見てその美しさに感動し、朝日が“もったいない”と思ったそうです。そして水道の蛇口からは冷たい水が流れてきて“本当にもったいないことだ”と、“死ぬことばかりを考えている自分にも太陽が注ぎ、水を与えられ、もったいない”と感謝でいっぱいになり、そのことから生きる希望が湧いてきたそうです。

また、手術で大腸のほとんどを切除してしまったので排便が難しくなり、毎日朝昼晩食後に3種類の薬を飲まなければ排便ができない毎日でした。

主人は訪ねるたびに浄霊をさせていただき、「薬はできるだけ飲まないほうがいい、薬は毒だ」とずっと言い続けていたことで、叔父なりに少しずつ努力を始め、毎日三食後飲んでいた薬を1日1回朝食後にだけ飲むようになり、今では2日に1度食後に薬を飲むだけで排便も問題なく過ごせるようになりました。その2日に1度の薬も時々忘れてしまうことがあるそうです。

叔父も9月から藤沢の月次祭に参拝させていただいております。9月に初めて参拝し、楳木先生のご浄霊をいただき帰宅した後トイレの便器が真っ赤になるほど下血をしました。特に痛みがあるわけでもなく血だけが出て、すごい量に驚いたそうです。10月の月次祭の日も帰宅後下血しましたが、量が減っており、11月からは下血しなくなりました。浄化作用ということも判らせていただいています。今思えば、秀明会に入信しなくて本当に良かったと思っています。

メシヤ教にご縁をいただいて浄霊の急所の御教えもいただき、何よりご指導が的確で日々体験を積んでいけるということは本当に有り難いと思います。神慈秀明会ではこういう環境はありませんでした。結局良くならなくても“その人の因縁”、“先祖”、“寿命である”と、そのように思い込まなくてはやっていけませんでした。半分そう信じ、半分そう思い込んでいたという感じです。

今では思い込みではなく、今までとは違う感謝と安心感が湧き上がってきて日々幸せを感じています。今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

祭典での挨拶(上)

メシヤ教 代表  楳木和麿

皆さん、メシヤ様御降臨祭おめでとうございます。

ただ今、お二人の方から貴重な体験を報告していただきまして、喜びや感謝がひしひしと伝わってきて込み上げてくる感動を以って聞かせていただきました。

12月のメシヤ講座の中で「メシヤ様御降臨祭」の意義や祭典を向かえる姿勢づくりについて共々に学んでまいりました。本日の意義の前提として、太古の昔から本日が元旦であったということがあります。ですから本日が平成二十年の元旦になる訳です。新たな御神業が本日ただ今から始まっているということです。

昨日からの天気を見ていますと、夕方から雨が降り始め今朝は関東辺りがかなり冷え込んだ中での雨だったようです。それが、今、こうして燦々と太陽の日差しが注がれ、主神様、メシヤ様の祝福をいただいているように受け止めさせていただいております。

平成19年は皆さん数々の御守護をいただいており、報告のお二人のみならず、ご自分も手を挙げて報告したくなる思いでいらっしゃるのではないかと思います。お二人の体験報告を基に、本日から始まる御神業、そして私達の生活に取り入れさせていただきたいことを整理しながら、大切な時間を共に過ごさせていただきたいと思います。

6割を輸入に頼り、3割を捨てる日本の食糧事情

まず、中村吉郎さんから報告いただきましたナチュラル&ハーモニック銀座にあるレストラン「日水土」で、関東の信者さんの代表の方々と12日に夕食会を行ないました。野菜だけの献立でしたが、「肉も魚も入っていないのに、何故野菜だけでこんなに満腹感になるのだろうか」ということが参加者の共通の感想でした。これは大地の持つ力を吸い上げた野菜にして、初めて発揮される本来の力だと思わされたものです。

こうした有り難い体験を積むことができたのですが、実は私達は最良とも言える食品に辿り着いており、幸せな境遇にあります。お米も長年自然農法を実施している農家から手に入れることができますし、自然農法産の野菜も努力すれば手に届くようになっております。在り難いことです。

しかし、日本の食糧事情を考えてゆきますと、背筋が寒くなります。自給率は約4割です。日本は食糧の6割を海外へ依存しています。しかも、更に神様に申し訳ない現状としては食べられる状態の食品の3割を捨てております。コンビニなどにお勤めの方の話では、期限切れに伴いドンドン廃棄するそうです。

日本の農政を始めとして、食糧事情及び食文化は危機的状況にあります。飽食の時代と言われて久しいのですが、コマーシャルとして流される情報に振り回されて本質的なところを見失っています。

本日は、中村さんの報告を通して食料、食事ということについて問題提起をいただいているということを、まず一点として考えていただきたいと思います。

食育の根幹

それから次に、今食育ということが言われ始めております。やっと、という観がありますが、教育の場でも採り上げられ始めております。食育の根幹は何かということです。「一物全食」のためにどう工夫をするのか、ということがあると考えられます。

食事の前に「いただきます」と手を合わせることに全ての意味が含まれています。人の努力、土の偉力、太陽の光、水の恵みが渾然一体となって野菜が育ち、その野菜の命をいただくからなのです。冬野菜の大根で言えば、皮や葉まで全ていただく、ということです。昔の人々はそうやっていたのです。今は余程の人でなければ、そうはできません。

語弊があるかも知れませんが、ナチュラル・ハーモニーから宅配される野菜は他の野菜と比較すると割高に感じます。しかし、高いものを手にするということは、“無駄にできない”ということを次に考えます。すると、大根の皮もキンピラ風にしよう、と考えます。葉はチリメンジャコと炒めよう、という発想になります。

ところで、一物全食ということを考えてゆく時に、日本人は何故そういうことをしなくなったか、ということが浮かび上がってきます。生活習慣の中で葉などをパッと切って捨てるようになったか、皮をクルクルッと剥いてそれを捨てるようになったか、と考えてゆきますと、それは、第二次世界大戦に負けてから日本人の価値観が大きく操作されてしまったことがある、と考えられます。

操作される中で最終的に辿り着いたのは“マネーゲームで勝った者が人生の勝利者”という感覚を持ってしまった、ということです。

子育てをする時にも、「立派な人間」ということよりも「より良い学校へ進学」ということが優先しがちになります。そして「より良いところへ就職させる」ということを目指します。「より良いところ」とは「より良い収入」のことを指します。最終的には、遣り甲斐のある仕事よりもお金になる仕事です。これが拝金主義ということになります。

現実問題として、私達はマネーゲームに振り回されております。そのため、“遣り甲斐のある仕事とは何か”ということについて親子で深く語り合うことが減少している、と言われております。

『信仰即生活』の実践に役立つ事例

稲盛和夫という人は「働くことが人間性を深め、人格を高くする。働くことは人間を磨くこと、魂を磨くことだ」と述べております。社会で真に成功した人、時代に名を残した人々が到達する一つの境地です。心に留めておいていただきたいと思います。

また、ヤンキースの松井秀喜選手が高校時代に監督から絶えず掛けられていた有名な言葉があります。「心が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる」という、良い言葉です。

こういう珠玉の言葉を拾い始めますと、NHKドラマの「ちりとてちん」にも飛びっきりの台詞が出てきます。主人公の若狭が入門を許されますが、初めは下働きばかりで、当然ながら落語の稽古をつけてもらえません。掃除洗濯炊事の日々に悶々として、ある日師匠へ「落語の稽古をつけてください」と願い出ます。すると、「つけてやってるやないか」との返事です。

その返事の意味が判らないところへ兄弟子の草原が現われます。草原へ問い掛ける若狭へ“趣味でやるのか”、“プロになりたいのか”と問い返します。そして、“落語というものは仰山の人に気持ちよう楽しんでもらう仕事や。落語家になるためには人がどうしたら気持ちようなってくれるのか判らんといかん。炊事洗濯掃除などの家事は、それが判るようになるための稽古の一つなのだ”と説明してやります。

若狭はそれを聞いて、下働きに身を入れてゆきます。打ち込んでゆきますので、見る見る人間が変わってゆきます。そして落語の稽古をつけてもらえるように成長してゆく訳です。

ここに主婦の方も大勢いらっしゃいますので、家事の根底にはそうした願いも流れているのだ、ということを参考にしていただければ幸いです。取り分け子育て中の人は、毎日小さい子供の後ろを追いかけて掃除せねばならないのですが、その積み重ねで家族が気持ち良く過ごせる訳ですね。

『信仰即生活』の実践に役立つことばかりです。

また、御教えの中で夫婦のあり方について触れている一節があります。短いので暗記しておいていただきたいと思います。

まず、『夫は妻を親切にし安心させ喜ばせるようにする』ですね。そして『(世の中の為になら)妻は夫を気持ちよく働かせるようにする』(『幸福の秘訣』から抜粋)。これが夫婦の間で心掛けたいことの内容です。

昔から漁師の家庭では“漁に出る前に夫婦喧嘩はするな”と伝承し、心掛けられてきました。例え喧嘩を吹っ掛けられても、軽くかわして笑顔で送り出さねばなりません。これは漁師だけではありません。様々な職業の人々でも同様なことです。実は内助の功とはそこにあるのだということを、私達はもう一度認識しておかねばなりません。

水晶世界へ移行

次に、今年の「文字」で喧(かまびす)しい「偽」ということがあります。これは今年の場合“極”に達した様相なので、選んだ人が多かったようです。しかし、日本の場合は、平成の御代になってから「偽」というものが顕在化するようになりました。これは水晶世界への移行を意味します。

メシヤ様のお言葉にあるように、ご自身は神界から、現界の経綸は皇太子(当時)によって、ということが現実のものとなっているのです。今上天皇になってから日本は大きく変わってきました。バブルが弾けて、真っ先に経済とは何かということを日本人は考えさせられました。

そして今は、ガソリンや灯油の値段が跳ね上がって、私達の生活に暗い影を落としています。何故こんなに高くなっているのかと考えた時に、最近の報道では専門家が登場して内情を細かく知らせてくれるようになっています。

原油の値段の高騰が原因だということになっていますが、ご承知のように産油国での値段は上がっていないのです。では何故原油が上がっているかというと、アメリカのWTI原油というのが世界の原油価格を決めていると言われています。WTI原油というのは世界の0.5%程の産出量だそうですが、この取引価格が世界の原油価格の指標となっているのです。

WTI原油が高騰する理由に、プライマリーローンの躓(つまず)きが原因で原油市場に投機マネーが流れ込んでいることが挙げられます。アメリカの操作の影響を強く感じるところです。

以前にもお話いたしましたが、この浜松という所はかつて織物の町でした。町の各所から家内工業の織機の音が聞こえていました。しかし、沖縄返還と共にピタリと音が消えてしまったのです。アメリカの織物産業を保護するために、沖縄返還の交換条件の一つとして消されたのです。ですから沖縄返還の裏側で浜松市民は経済活動に大打撃を受けているのです。もちろん浜松市だけではありません。

アメリカは国益優先として、外交と産業政策が一体となって進められているのです。また、アメリカの企業と日本の企業でそれぞれの営業収支のトップ10を比較すると、産業界の動向が良く判ります。日本は製造業がトップを占めるのに対して、アメリカではIT関連の所謂最先端企業と言われるものや金融業です。

何故そうなったかというと、製造業は日本をはじめ中国、韓国、インド、ブラジルなどには勝てなくなり、製造業へ見切りを付けて新しくお金を生み出す仕組みを構築しているのです。金融業を膨らませている所以(ゆえん)です。それらの影響で、プライマリーローンがダメになると、WTI原油取引へ商品ファンドやヘッジファンドが流れ込んでいるのです。

そうしたことが、五十五年体制の崩落に始まる政治の実態の露見と相俟って、マスコミによる良質な情報によって手に取るように判ってきました。

生活に更に浸潤している「薬毒」

さて、こうした社会情勢の変化の中で各家庭の教育方針も変貌し、その原因に拝金主義がある、というところまで先程お話いたしましたが、更に進んで教育問題の根幹になっているものが三浦智子さんの報告に深く関わっています。

中村さんと三浦さんに共通している、メシヤ様の御力を賜わっていただいた安心立命の生活は、何の説明も加える必要がありません。ありのままを受け止めさせていただけば、それでよろしいと思います。ここでは私達が留意しておきたいところをピックアップいたします。

深く関わっているものは何かと言いますと、「薬毒」です。この「薬毒」の起こしている問題というものは、皆さん方が気付かないところでジワリジワリと生活に浸潤しております。

私達の周りには、所謂除菌グッズだらけです。また、かつては体臭などは香水類でカバーしていましたが、今は消臭○○で対処しています。これらにより清潔感に満たされているように思わされていますが、過度の清潔感は、実は霊憑り状態と言えるのです。一般的に判断する霊憑りの見極め方がありますので、本日ご参拝の方にだけお教えしておきます。(具体的記述は割愛)

薬毒が様々な問題を生んでおります。中村さんは「むしろ薬が回復を遅らせる」と述べましたが、まったくその通りです。また、三浦さんの取り組みが大変参考になります。

まず、人間が死の淵に立って絶望感に苛(さいな)まれた時に、生きる力を与えてくれたのは自然の恵みであったということです。大腸ガンの術後の絶望感に陥っていた叔父さんは、ある日昇り来る朝日を眼にした瞬間に“誰にでも分け隔てなく太陽が照らしてくれている、もったいないことだなあ”という思いが込み上げてきたそうです。そして、顔を洗うために蛇口を捻(ひね)った時に出てきた水を見た瞬間“もったいないことだ”と思ったそうです。それから一挙に死の淵から生還したそうです。

医者も実はダメだと思っていたらしく、後で「医者仲間の勉強会で、どのようにして回復したのか説明してほしい」と依頼されたそうです。しかし叔父さんは、「太陽の光と水が生きる力をくれた」としか言いようがなかったそうです。そこには薬も特別な療法もなかったのです。自然に対する感謝の心がそうさせたのです。

それから次に、三浦さんのご主人が叔父さんに対して「薬は毒だ」と言い続けることで、「そうかも知れないなあ」と考えるようになったそうです。そして少しずつ実践に移しました。

メシヤ様の信者ではなく、洗礼を受けている方なのですが、薬毒論だけは実行に移したということです。三浦さんは優しく表現したのですが、三浦さんが神慈秀明会時代に駅前などで浄霊実践していると、この叔父さんが「そんな非常識なことは止めろ」と活動を止めに来たそうで、そのような人なのです。

「三浦さん夫婦が駆り立てられていた異常とも言える布教姿勢に異議を唱えていたのに、何故メシヤ教の月次祭へ参拝するようになったのですか」と、私は尋ねたことがあります。「神慈秀明会を辞めることができたから」という返事でした。深い意味を有しております。

三浦さんのご主人から聞かされる御教えの内容には違和感を感じていなかったということです。神慈秀明会のあり方に違和感、いや嫌悪感を持っていたのです。それだからこそ、メシヤ様の御教えに基づく本来の勉強会というものに心惹かれるのです。今は、継続して月次祭にご参拝しています。古くからの信者さんのように、穏やかで清々しい表情で祭典に臨んでいます。

自分自身の姿勢が御神業の要

そうすると、このことで私達がもう一つの学びとして心に留めておきたいことは、早くからメシヤ様にご神縁をいただいた人はそれ自体素晴らしいことなのですが、私達自身の姿勢が本来の歩みとなり、御教えで示された高い境地へ進んでゆくと、御教えを求める魂の持主が繋がってくるということです。

ですから、私達が進めさせていただいている御神業の中で大切なことは、相手ではなく自分なのだ、ということです。世の中の動きは御教えを求めています。私達が既成概念化してしまっているところから脱皮し、メシヤ様のご神格を再認識し、メシヤ様へ太く繋がってゆきさえすれば良い、ということなのです。

これはお二人が触れた浄霊の奇蹟についても同じことが言えます。取り分け三浦さんの話の中では、神慈秀明会の浄霊の仕方が如何にもったいない状態になっているか、ということが判ります。極々当たり前の仕方で浄霊をさせていただけば、これ程の御守護に満ち溢れた生活を送ることができるのです。

皆さん方とよく話題に上りますのは、神慈秀明会と天聖真美会は純粋な人が多いので、本来の浄霊の仕方を教えて上げたなら随分と救われる人が増えるのではないか、ということです。純粋だが、メシヤ様の示された本来のあり方を教えられていないことが残念でなりません。

そういう意味では、更に救いの手を差し伸べてゆかねばならないと思わされます。それが平成19年の総括で心に留まるものの内の一事です。それを含めて、本日取り上げた事例を総体として捉えるならば、ある少数の思惑によって庶民は奴隷化されているのであります。地上天国を建設するためには、庶民が賢くならねばなりません。

かつての封建社会から民主主義社会へと移行しつつあるように思われますが、まだまだ覇道によるところが大であります。徳によって治める王道へと移ってゆかねばなりません。そのための賢者となるために御教えがあるのです。(つづく)

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