メシヤ講座・特選集no.87(平成20年4月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
天地創造記

茲(ここ)で、地球の出来た頃からの事をかいてみるが、抑々(そもそも)造物主という得体の知れない不思議な親方が、宇宙の中間に頑張っていたらしい。そこでどういう積もりか知れないが、其(その)親方は日月星辰や、地球なんていう妙な物を拵(こしら)えたんだ。それで最初の内は、地球も出来たてのホヤホヤであったから、泥海のようにブヨブヨしていたんだ。それが段々固まるにつれて、土と水と分れ分れになったのが、今日の陸と海なんだ。処で陸の方はまだ軟かいので、親方は之じゃ駄目だと、恐龍とかマンモスとかいう、恐ろしく大(で)っかい怪物のような生物を造って、其奴等に陸地の上をドタリドタリ駈けさせて、そうして固めさせたというんだから、如何に大仕掛な土木工事であったかは、虫ケラ同然の人間なんかには想像もつくまい。それでいい加減固まった頃、お前等はもう用はないと言ってお払ひ箱にされた。之が自然淘汰というものなんだ。今でも方々から恐龍の骨や、マンモスの骨が見つかるんだから決して嘘ではない。そうしておいて親方は又いろんなものを作った。虫ケラや鳥や恐ろしい猛獣や、気味の悪い大蛇は固より、木や草、石や金などを拵(こしら)えて、すっかり仕度が出来上ったんで、最後に人間共を作ったという事なんだ。

其(その)時分だから、人間も裸で生れて来たには違いないが、何しろ人間は毛が生えてないから、寒くて仕方がない。そこで初めは木の葉や草の葉で、着物らしいものを作って間に合していたが、段々利巧になって麻や木綿で着物を拵(こしら)えたり、家を建てたりするようになったが、猛獣や大蛇が沢山いて、始終人間を喰い殺しに来るので、危くて仕方がない。そこで人間も色々な武器を作って戦ったんだ。こんな訳で武器も巧妙になるというように、人間も大分小賢しくなったのは勿論だ。それでやっと恐しい獣物共を大方退治して了(しま)ったんだ。之も自然淘汰という奴だよ、之でヤレ安心と思うと左にあらず、今度は人間の中に欲張り野郎が出来て、大きな土地を欲しがったり、色々な物を取りたがったり、女を手に入れようとしたりして逐々人間同志の闘いが始まったんだから、人間位浅間しい代物はあるまい。それで何奴も此奴も勝とう勝とうとして、人殺機械を段々進歩さして、逐々原子爆弾という一ぺんに何百万の人間をやっつけてしまうという飛んでもない代物が出来て了(しま)ったんで、世界中の人間共は、度胆を抜かれて、目を白黒しているのが今の有様だ。

処が、親方はこれでもうよしと思ったらしい。何しろ人間共の命の取り合いは、もう此(この)位で止めないと危ないと仰せられた。何故なれば、之以上進歩すると、折角之までに出来た世界は元の木阿彌になるからだ。もう此(この)位立派になった世界だから、愈々儂(わし)が最初から計画しておいたミロクの世を拵(こしら)えてやろう。そこで又親方は声を秘めて斯うも言われた。実は今迄戦争が必要だから放っておいたんだよ。それは戦争をさせなければ文化の進歩は、早く出来なかったからだよ、処がもう戦争は必要がなくなったから、絶対廃止にしたんだ。之もヤッパリ戦争の自然淘汰なんだと仰言るんだから、何と有難いでは御座らぬか。

親方は又斯う仰言る。戦争を淘汰したから愈々之から地上天国、ミロクの世の建造に取り掛かるんだよ、之は今迄儂(わし)は色々なものを用意していたが、漸(ようや)く揃ったんで、今度メシヤの親父に命令したんだよ、だから之を知った善人共はみんな嬉しがって、手の舞ひ足の踏み処がないだろう。それをみるのが儂(わし)はどんなに楽しいか分らないのだよ、キリストや釈迦にも、斯ういう世の中が来る事を一寸言わしておいたから、人間共は判っている筈だ。判らなかったり、本当にしなかったりした奴は、了見方が悪いからで、今更悔んで泣きついたとておっつかないよ、と仰言るだろう、万事はメシヤの親父に委してあるからよく親父から聞いて、其(その)通りにすれば、倖せな世の中になる事請合だよ、どうだ相判ったか。と仰言って雲に乗り、天に向ってお帰りになったんで御座る。

*     *     *     *     *

『三重支部』発会式

<支部責任者の報告>

濵口博幸

只今は、御神体御奉斎ならびに三重支部発会が許され、心新たにメシヤ様の御手足として御神業に邁進する決意を固めさせて頂きました。 本日は、このように大勢の皆様に参拝いただき、まことにありがとうございます。

さきほど楳木先生から御浄霊を頂きました。「御浄霊の光は皆さんの体に充満しその体から光が溢れ出す。そうして部屋全体に光が充満し今度は家から壁を越え隣の家へ地域へ溢れ出すそうです。だから参拝されている人数が多いほど光が充満するのが早いのです。」と11月のメシヤ講座で学ばせて頂きました。「神光満堂」入口に掲げさせていただいた御書の文字のとおり部屋一杯に光が充満していることと思います。

娘のアトピー性皮膚炎に御守護頂く

私共夫婦は娘のアトピー性皮膚炎の御浄化に御守護を頂いたのがきっかけで、20年前にメシヤ様と御神縁を許されました。

当時、娘は重症(下2枚の写真)で三種類の塗り薬と、かゆみ止めの漢方薬を病院で処方されていましたが、薬を塗れば一時的にはきれいになりますが、しばらくすると湿疹がまた出てきてしまい、一向に回復の兆しが見えず不安な毎日を過ごしていたのです。

私達を心配した家内の姉が、浄霊を頂けるお宅を紹介してくださり、毎日御浄霊を頂くようになりました。布教所へも週に2度は参拝しました。一週間も下痢が続いたり、緑色の便や漢方薬の臭いのする便も出ましたが、浄霊を頂き始めて3ヶ月過ぎた頃から体に出ていた膿が徐々にきれいになっていき約一年後には完全にきれいにして頂きました(下の写真)。

そして平成元年8月に夫婦で「おひかり」を拝受しました。この時の「今度は救いの側に立たせていただかねば」との思い、そして「入信は二度目の誕生日ですよ」との当時の先生がかけてくださったお言葉を忘れることはできません。

現在では、「おひかり」を拝受しなくとも浄霊力を授かることができます。教団浄化の最中で申し込んでから半年間「おひかり」を頂くことができず、浄霊のお取り次ぎが許されなかったことを思えば、なんと素晴らしい時代になったことでしょう。しかしそれはまた、厳しいことでもあると思います。「おひかり」というものに頼れないので自分自身の想念が如何にメシヤ様に繋げさせていただくことができるのかが問われてくると思うのです。教育係

「人には誰にでも教育係が時所位に応じて付けられるということを認識していただきたいのです。それを拒んだりすれば、もったいない話です。『人間とは』という御教えに、『神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』とあります。人間というものは生き変わり死に変わり教育されているということです。」と「メシヤ講座」にありますが、私もその時々において素晴らしい教師にめぐり合っています。

私は平成11年に、直接メシヤ様から御指導頂かれた事がある先達の元で学ばせていただく機会に恵まれました。(具体的報告内容は、他教団に関わるものなので割愛いたします。)

メシヤ教との出会い

私が、メシヤ教のホームページの「メシヤ講座」を読んだのは、平成12年のことでした。現代に起こる事象を的確にメシヤ様の御教えで指導されており、インターネットを通じて「21世紀のバイブル」を発信されておられるのだと思いました。一番印象に残っているのが何といっても「お光がなくても氏名・年齢・職業をメシヤ様に報告すれば浄霊力が伝授される」という箇所です。

が、私どもは既にお光を拝受して浄霊に取り組んでおり奇蹟や御守護を数多く頂いておりますので、その時はこれ以上踏み込むことはありませんでした。

ここ数年来世界救世教では教団一元化へ向けて歩みだしました。しかし、現場では何も変化はありませんでした。情報が圧倒的に少ないのです。機関紙「大経綸」での情報が唯一のものでした。御神体はどうなるのか?祖霊祭祀は?永代供養は?信者さんにとって多くの疑問が当然ありますが、一向に進捗がわからないのです。

布教の現場を見れば、多数の行事に追われてあわただしく1年が過ぎていきます。そして御教えを読まない信者さんの如何に多いことか。本来の信仰のあり方とは何なのだろう?沸々と疑問が湧いてきました。

そんな頃、昨年の5月にお写真「浄霊の御手」を申込みいたしました。そしてメシヤ教のホームページで拝見した「メシヤ講座」に参加しようか迷っていましたので、京都聖地の春秋庵に参拝し、天津祝詞・善言讃詞を奏上し「私どもの進む道をお示し頂きたい」と祈りました。「大弥勒様の御尊像」はガラス越しですのでいつも光の加減で良く見ることはできないのですが、この時は何故かはっきりと拝することができ不思議な気持ちになるとともに、これは「私の進もうとしている道に間違いはない」との思いを強くさせて頂きました。

そして、楳木先生にメールを差し上げたのです。7月に、先生はわざわざ三重までおいでくださり、私ども夫婦のために深夜までお話をしてくださいました。初めの取り組みとして、先祖供養のあり方について深く御教導頂きました。

8月には仏壇を拵え位牌を整えることができました。

先月はメシヤ講座に参加されておられる方が私どもの先祖様がニコニコとメシヤ講座を一緒に聞いているのを霊視され、取り組みの正しさを確信することができました。

座御観音様の御奉斎

8月のメシヤ講座の後、先生と懇談しておりましたが、妻が突然メシヤ様の御神筆の座御観音様(現在奥の床に奉斎している)を持ち出してきて先生にお見せしました。なぜかどうしても見て頂きたくなったのだそうです。そして、平成5年より御守護賜りました御神体をお巻き上げし、座御観音様を御奉斎いたしました。

後に先生が「奥様の思わぬ行動により、ご主人が決心し、『座御観音様』を奉斎した。これも夫唱婦随だと思いました」と話して下さいました。

座御観音様はメシヤ様御在世当時の御神体でもありましたので、偉大な御力が発揮されるだろうと思う反面、昔に逆戻りするような心配もありましたが、楳木先生より「参拝すると『主』のお文字が浮かび上がってくるので主之大御神様として参拝されてよろしいですよ」というお言葉を頂き心強くなりました。

また、先生より「『日月地』は力を授ける時の働きで、『五六七』には御経綸の働きがあります。両方の働きが合体しないと本当の救いの働きが発揮できないのです。両方を発揮できるのは主之大御神様なのです。万教帰一とは主之大御神様の分神である八百万の神達が元の神につながっていくことです」と御教導頂き、座御観音様の見えない背後におわします主之大御神様に礼拝している想念を持って参拝をさせていただいておりました。

そして、多くの御守護を頂きました。親類がくも膜下出血で手術を余儀なくされた報告をした時には、緊急を要するからと先生がすぐに電話を下さり、「臍の両側の奥にある大動脈と大静脈を満遍なく浄霊しては、患部をするというようにしてください」と浄霊の急所を指示して下さいました。1ヶ月程毎日浄霊に通い、徐々に良くして頂き、今では職場復帰を果たしております。

また、借金問題に苦しむ人に対しては、根本の原因を探り的確な解決方法を御指導下さいました。

そして、「借金整理するのに新たな借金はしない」というのが基本的な債務整理の考え方であると教えて頂きました。今では問題解決の道筋がついたと喜んでおられます。

メシヤ講座で学びを深めていく中、メシヤ様の信仰を経験された方ならよろしいのですが、初めてメシヤ様にご縁のあった方には座御観音様への参拝はわかりにくいのです。大黒様を御神体と思われていた方もおりました。メシヤ講座の参加者が増えてくる中、これでいいのだろうかと思っていました。

御降臨祭に浜松支部に参拝し、神々しい御神体を拝し、感動を覚えました。翌日に神仙郷を訪れ箱根美術館に立ち寄りましたら「日の出観音」様が展示されておりました。その説明書きを見て驚きました。そこには“昭和10年1月1日の大日本観音会発足時の御神体であった。世界メシヤ教の開教を前に明主様は「メシヤ観音」と改称された”と書かれていました。「メシヤ観音」と呼ばれていたのです。御神床に御奉斎させて頂いた観音様がメシヤ観音様です。

主之大御神様を中心に向かって右にメシヤ様そして左にメシヤ観音様。御神前のイメージがはっきりとしてきました。

そして、主之大御神様の御神体をお迎えさせていただくことを決意いたしました。お申込みをし、御神床が出来上がり御神前が整ったら非常に荘厳な雰囲気になりました。御神体をお申込みした時から霊的には神様は御鎮まり頂いておられると思い、御神床の白壁に向かい主之大御神様を意識して祝詞を奏上いたしました。

その後すぐに主之大御神様は、奇蹟を見せてくださいました。メシヤ講座に参加されておられる方が、「犬の散歩をしていたら雨に降られ家に戻る直前にすぐ傍に雷が落ち、火花が後ろから飛んできたほどだった。ひとつ間違えば自分に落ちていた。主之大御神様、メシヤ様にお救い頂いた」と報告に来られたのです。

前々日、その方に御浄霊のお取り次ぎをさせていただいた時に「先生が『一緒にやっていきましょうよ、とお誘いしてください』と言っておられました。どうでしょうか」と尋ねた時には「時期が来たら何かのお知らせがあると思います」と、言われた翌日のことですので、やはり神様からのお気付けと捉えられたようで、落雷の後、前回のメシヤ講座を読み直されたそうです。そして、「真善美完き恒久平和の理想世界実現に向けてメシヤ様の御手足として年寄りではありますがお使いいただきたい」とおしゃってくださいました。

先生からは、「大きなお働きをいただいています。神様のご対応も素早いですね。一層心して4月12日を目指さねばならない、と受け止めました」と御指導頂きました。

その方はつい先日も、歯痛の浄化を頂き、浄霊の急所を調べようと「浄霊法講座」を読んでいたらいつの間にか治っていたという御守護を頂きました。先生からは「御教えを拝読する最中に御守護をいただくなどは典型的なことです。お光は既に強いのです。」と御指導頂いております。

弥勒菩薩の首折れる

【弥勒菩薩について】

十数年前、奈良の中宮寺に参拝した時に寺の傍の店で弥勒菩薩のお像を妻が購入しました。その後妻が、死ぬかと思うほどのひどい肺炎になり、「景仰」をむさぼるように拝読しました。そして、神様に「せめて子供たちが学校を卒業するまでは生かせてください」と祈りました。昨年娘が高校を卒業し就職しました。四月に三重県に震度5の地震が起きた時のことです。家に戻ったら弥勒菩薩の首がとれていました。

このことに関して、先生は、「神様にお祈りするのに期限を切ってはいけない。低い神様だと本当に命と交換になります。神格の高い神様への祈りだから良かった。主神様は無病息災をあくまでも望んでいるのです。個人の取り組みとして『景仰』を拝読したのは良いことです。想いが拡大していかなくてはなりません。弥勒菩薩の首がとれたのは役割が終わったということです。そして、その延長線上に『メシヤ講座』があると受けとめましょう。また、自分自身の因縁使命を明確に持つと受け止めさせていただくことです。」と御指導くださいました。

「天国の礎宗教篇 上」に次のような話が出てまいります。

【当時大本教の和田堀にあった東京別院というところに、等身大の陶器製の観世音菩薩があったが、どうしたはずみか、首が折れたのである。私は変だと思ったところ、それから間もなく法難が起こったのであった。これは昼に転換したことの暗示であることに間違いはない。】

今から考えますと、弥勒菩薩の首が折れてから春秋庵へ行き、メシヤ教と出会ったのですから私が転籍する暗示であったのかも知れません。「世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ」と善言讃詞にありますように五六七の働きからメシヤの働きに転換したと受け止めさせて頂きました。

先月のメシヤ講座で学んだ『旧文化の中からも役立つべきものは残され、そうでないものは革正して役立つものにされ給うという事である。それが神の大愛である。』このメシヤ様の御教えを肝に銘じ、『神の大愛』により一人でも多くの人が救われますようにこの三重支部を拠点に活動して参ります。

しかしそれは私達夫婦だけではできないことです。そこで今まで一緒に学んできた皆様にご協力をお願いしたいのは、支部という救いの拠点をお許し頂けたのですから問題解決の場に活用して頂きたいのです。一人で悩まずに御神前で智慧を頂きましょう。メシヤ様にお願いして皆で語り合い、問題の根本原因を探り、人事を尽くして対処し、浄霊を継続して頂いていくならば、きっと御守護が頂けることでしょう。

私どもも精一杯お世話させていただきます。そして問題が解決できた時、一歩向上させて頂けた時に一緒に喜び合いたいのです。

「お世話をさせていただく時の心得を先達は次のようにお示し下さっております。『布教三訓』『るナ三訓』を極めてゆくと、御神業は『遊行観音』の振る舞いの如くである、ということが肚に落ち、肩の力が抜けてゆく。そして、御神業は楽しくて仕方ないものとなる。」

メシヤ講座の「『景仰』を如何ように拝読するか」で楳木先生が御指導下さったことです。

「布教三訓」とは

◎メシヤ様と共同作業をさせて頂く。

◎恩は着るべし着せるべからず。

◎寝食を忘れてやりなさい。

「るナ三訓」とは

威張るナ 怒るナ 早まるナ。

自らに言い聞かせ腹に入るように、朝拝の時に唱和させて頂いております。

また、「渋井總斎伝 御用の人」の本の中で渋井先生は新たに専従者になった人に次のようなお言葉をかけています。

【導いた人の浄化を解決するためにお世話をする。それが困難な人ほど前世に関係があった同士で、生まれてきて師弟関係になってくる。だから礼節と順序は厳しいものなんだ。この神様の御用をする人は、代々前世の夜の時代の建設者だった。いわば、霊的な意味で罪つくりをたくさんしている。そして今度は昼の世に生まれてきて、神様の御用をさせていただいて罪滅ぼしをするようになるのであるから、浄化は厳しいよ。その霊の浄めをいただきながら、ひとつひとつ浄化を解決していくなかで向上していく仕組みになっているのだから、浄化も厳しいが解決したときにその喜びも大きい。辛いこともあるが辛いことだけじゃない。必ずその中には楽しみもあるはず。その辛いこと楽しいことの繰り返しのなかで修行させられていくのだから、浄化に負けないでしっかりやりなさい。そして、そういうことを体験するほど、将来のために大きな力となるのです。それには「焦らず、怒らず、怠らず」の三箇条を守っていきなさい。】

先に挙げました、「布教三訓」「るナ三訓」と共に肝に銘じておきたいと思います。

以前より“宗派を問わず気軽に集え、御浄霊が頂ける。そしてメシヤ様の御教えを拡げる場が、あったらいいな”と思っておりました。このたびその夢を我家で実現することができ、感激の極みでございます。今日より支えてくださる仲間と共にメシヤ様の御教えを宣べ伝え、浄霊の輪を拡げることで地上天国建設の御神業の一端を担って行きたいと存じます。

本日はまことにありがとうございました。

《参照》
「天国の礎 宗教編 上」世界救世教いづのめ教団出版部発行
「渋井總斎伝 御用の人」世界救世教いづのめ教団出版部発行
宗教宗派を超えて集い、救いを展開する支部を目指して

メシヤ教 代表  楳木和麿

時代に相応しいあり方でスタート

皆さん、おめでとうございます。

改めまして、濵口さんご夫婦、御神体ご奉斎おめでとうございます。そして、皆さん、本日から「三重支部」を発会させていただきましたこと、大変有難く受け止めさせていただいております。本日は誠におめでとうございます。

本日は、発会式を執り行うにつけて、世界救世教の信者さんや立正佼成会の信者さん、それから朝起き会に所属されている方々が宗教宗派を超えて奉仕に取り組まれ、準備と運営に加わってくださり、こうした素晴しい祭典を執り行うことができました。(事後報告では、濵口さんの子息とその友人3名も駐車場の案内係を受け持っていただいていた。)

また、濵口さんとは9年前は同じ教団へ所属していたのですが、奥さんは聖地の方で何度かお見掛けしたことはあります。しかし何処の何方かは存じませんでした。ご主人の記憶はなかったのですけれども、その頃お会いしてお話をしたとしても、本日のように支部の発会には到らなかったのではないか、と思われます。

と言いますのも、その頃は教団改革に翳りが出ており、私も未だ明確な方向性を持ち得なかったからです。また濵口さんのご報告のように、現在では宗教宗派を超えて浄霊力を授けていただく時代を迎えていますが、9年前までは“宗教宗派を超えて”ということはありませんでした。

素晴しいことに「おひかり(御守り)」という“モノ”を介さなくともメシヤ様と霊線を直に繋がらせていただき、その繋がりを太くしていただく取り組みを通して浄霊力を強化していただいております。しかも、多くの方々がその恩恵に浴しております。

だからこそ、ここにこうして、メシヤ様の御許に集い、メシヤ様の御光を存分にいただける“場”を許されたのだ、と受け止めさせていただいております。

そして濵口さんは、渋井總斎先生の「御用の人」を引用されて御神業に臨む姿勢と決意を表明してくださいましたが、この渋井先生をお導きされた中島一斎先生という方がいらっしゃいます。この先生は、教団の中ではどちらかというと高く評価されていないところがありました。天聖真美会では大変な評価で、“偉大なる先生”と紹介されております。

色々解釈が異なるのですけれども、私は中島先生についての書籍などは一度も読んだことはありませんでした。しかし、お孫さんがメシヤ教とご縁をいただかれまして、たまたま先月「中島一斎先生 その信仰と生涯」という御本をお借りいたしました。

中島先生という方は大本教時代にメシヤ様と出会っています。それまで色々な職業に就くのですが、業績をその場その場で残す一方“これは自分の本来の仕事ではない”という思いを絶えず抱かれて職を転々とされます。“自分の因縁使命に基づいた仕事が必ずあるはず”という思いを持ち続け、そして、メシヤ様に辿り着いております。“この御方こそ自分が生涯を捧げることができる”と思われたそうです。

以後、メシヤ様の御神業をお支えになられています。しかも、メシヤ様よりも先に大本教を離れて、メシヤ様がご立教される先兵のようなお役を担われております。

そして、メシヤ様がご立教後、東京の阿佐ヶ谷で布教を始めているのですが、二階建ての二階の六畳二間の御神前が天国会の源となり、そこへ朝から晩まで大勢の方が救いを求めていらしたそうです。その件(くだり)を読んだ時に、“この御神前と同じだ”とピンと来まして、創業当時に触れるような思いになり、本日はこの御本を皆さんへ紹介しようと思わされたのです。

こうして仕上がりました周辺の壁は塗り壁です。クロスではありません。参拝者の環境に配慮されて、化学物質の影響を受けないような工法を執っています。

そして何より、濵口さんご報告のように、主之大御神様の御神体が中央にご奉斎され、右手にメシヤ様のご尊影、左手にメシヤ観音様(日之出観音様=昭和9年12月23日「大日本観音会」仮発会式の御神体)がご奉斎されております。御神床を拝すると、伊勢神宮を間近にする支部だけに深い神慮があるように受け止めさせていただいております。

そして、各部屋にご神筆の座御観音様をはじめ数多くの御書が掲げられております。また皆さんの目を引くのが「岡田茂吉全集」の全巻だと思います。口に現わせないような素晴らしい環境ですので、祭典後ゆっくりと拝させていただければ有難いと思います。

三重県での『メシヤ講座』を兼ねる

それでは、本日は三重県での「メシヤ講座」を兼ねていますので、ここで支部責任者の濵口さんにご論文を拝読していただきます。

《ご論文『人間』の拝読》

報告を発表していただいた直後に、非常に長いご論文を拝読いただきありがとうございました。(爆笑) さて、これから私が解説を加えますが、今回拝読させていただいた項は、同じ題名のご論文中にもかかわらず前回までと表現方法が随分と異なります。そこで、“何故このような表現方法を用いたのだろうか”ということを考えながら耳目を傾けていただきたい、と思います。

進化論から生命誌という捉え方

本日の御論文の中では、まず、ダーウィンの進化論を否定するかのような文章がありますね。『唯った一人ダーウィンというオッサンが出て来て、進化論という本をかいた。・・・』というところですね。現在の学問の中では、進化論というよりも「生命誌」という領域で捉えた方が人間というものを理解し易いと思われます。この「生命誌」ということを考えてゆく時に、目に見えて解りやすいのは、胎児の世界です。

お腹に胎児が宿ってからは、最初の3ヶ月間は水中動物です。卵が受精することにより細胞分裂を重ねて魚の姿のようになります。その後、何時もお話しするように陸上動物に変わります。この時に悪阻(つわり)が起きます。これは一般的には妊娠を告げるもののように捉えられておりますが、水中動物から陸上動物に変わる時期が3ヶ月目です。

この変わる時期に何が起きるかと言いますと・・・。水中動物の場合血液は脾臓で造ります。魚などは脾臓で血液を造っております。それが3ヶ月を過ぎると、血液を脊髄で造る陸上動物のようになります。その転換期がちょうど3ヶ月目なので、母体が過激な動きをしないように悪阻(つわり)があるのです。胎児が劇的な変化を遂げる時期に母体を余り動かさずに、安定感の中で変化を遂げることができるような神慮があるのです。

悪阻(つわり)は水中動物から陸上動物に変化する期間のためにあるのです。このことも以前お話しておりますので、想い出していただければ有難く思います。こうして陸上動物へと変化して、最初は爬虫類のようになり、その頃は尻尾もあります。

そして、5ヶ月になるとほぼ人間の形になります。ですから、メシヤ様は『流産した場合5ヶ月を過ぎた児ならば祀ってやらねばならない』と御教えになっているのです。僭越な表現ながら、メシヤ様は全てご存知の上で説かれているのです。

ただし、これは自然な形の流産に限ります。人工流産の場合、5ヶ月以内でも祀らねばなりません。それは殺人に匹敵する行為ですので、祀らねばならないのです。ここは間違えぬようにしていただきたいと願います。

もう少し話を付け加えておきますと、未熟児と言われる状態で生れて保育器などで育てた場合に眼を悪くすると言われます。この場合、光線が悪いのではないかとか、酸素量のせいだなどと言われたりしましたが、最近では視神経の完成にかかわると見られています。ですから、その時期には外気に触れない方が良いのです。

たとえば、網膜に栄養や酸素を運ぶ血管(網膜血管)は、妊娠終盤(32~34週)に完成するといわれていることなどから、その時期には外気に触れない方が良いのです。それは人間の身体の大半は水分だからです。ですから、例えばあかぎれ等を起こした場合にはテープなどを張ったとしても、水分を含ませたものを添えた方が治りが早いのです。

胎児は、このように十月十日の間に38億年間の生命誌を辿って人間として完成してまいります。メシヤ様の仰っているのは、ダーウィンの進化論では不十分で、宇宙の誕生、地球の誕生をも踏まえて人間を考えてゆかねばならないということです。

そのように捉えてゆかねば御教えの解釈が全く変わってしまいます。『進化し立ての人間が、・・・』というところはウウ~ンと唸るところなのですが、『とすれば此(この)有名な進化論も眉唾物(まゆつばもの)でしかあるまい。』という表記を“進化論の否定”と捉えてしまうと、短絡的過ぎると言わざるを得ません。

また、こうしたことを学んでゆくと、ご自分のお腹が膨らんできたり、奥さんのお腹が膨らんできたり、子供や嫁のお腹が膨らんでくると、その捉え方が全く違うことになります。そして生命を大事にして愛おしんでゆくことになり、自分から子供、孫へ命を繋ぐことが尊いものになります。

“学問の神様”という場合

それから前後しますが、『処が此(この)神様はどういうものか、サッパリ人間に就ては教えて呉れない。』というところを注視してみてください。

“学問の神様”という場合、一般的な揶揄的表現と捉えてよいものだろうか、という疑問が出てまいります。現代の学問体系を考える時に、ご承知のようにキリスト教文化圏によって形成されてきたものです。では何故そのようになったのかを考えてゆくと、十字軍と関わってまいります。

以前にもお話いたしましたが、十字軍がアラビアの世界を制覇した時に愕然とさせるものがありました。それは、キリスト教圏よりも進んだ学問の世界でした。よく引き合いに出されるのが「0」の概念です。当時のキリスト教圏にはその概念はありませんでした。そのために「21世紀は何年からか」という際には2001年からとなったのです。また、数式はアラビア数字を使用することも、これに由来します。

ということを考えてゆきますと、“学問の神様”と言った場合、キリスト教の神様ということになります。しかも、御教えを知る者はキリストの背後に存在する素盞鳴尊を認識することができます。

後の方に出てきます『その上長い間の事とて、科学という道具にも間違ひな点が出来たり、黴(かび)だらけになった処もあるので、今度は天の神様が、すごい腕を揮われて、科学を悪者の手から取戻し、善人に使わせたり、間違いは治して下されたり、汚れた処は奇麗に掃除をされて、愈々此(この)世ながらの天国浄土をお造りなさろうとされるのである。』というところは、大変深い意味を持ちます。

そうした深みを持って解釈を試みると、今回の項は“現代まで営々と築かれた学問体系とキリスト教文化圏主導による国際社会が直面している限界を予見されて論じておられる”ことが推察されます。

『月の世界へ行ける・・・』という内容について

それから、『ヤレ天文がどうだとか、人間の病気はこうだとか言って、大自然の上っ面をチョッピリ知った位で慢心して了(しま)い、終(つ)いには月の世界迄行けるんだといって、目下準備中というんだから、吾々否何者様も呆れ返って物もいえない次第で御座ろう。』という箇所も、ただ短に“月には人類は行けない”と仰っている、と受け取ってしまうとおかしなことになってしまいます。

昭和25年当時の技術レベルでは『呆れてしまう』ということなのです。『まだまだ真摯な研鑽や錬磨が必要』ということをご指摘になっているのです。しかし現代ではご承知のようにかなりのレベルになっているのです。

以前宇宙服を製造するコストの話をしましたが、宇宙ステーション建設での船外作業では太陽光が当たるところと当たらないところの温度差が250度以上はあるということが判明しております。プラスマイナス250度の温度差に耐えられる素材で、しかも柔軟性を持たせた宇宙服を造れば宇宙空間で作業ができる訳です。しかし、膨大なコストがかかるのは自明の通りです。

現在ではそれを可能にするところまで科学技術が進歩しております。現に先日も宇宙ステーションで「きぼう」日本実験棟の最初の組立作業がなされました。それに、今朝のNHKニュースでは、月探査機である月周回衛星「かぐや」から送られてきた映像「地球の出(地球が月の地平線から出てくる情景)」が放映されていました。太陽の光が丸く地球を写し出しており、不思議な美しさを伴ったものでした。

また、「かぐや」は月面を細かく調査するほか、表の重力と裏側の重力の差なども解析しています。昭和25年の時点では、そこまで進歩していなかったのです。しかも進歩した科学技術を、悪人が活用するところから善人が活用するところへシフトさせないといけないということなのです。それが主神様のご意図であるということを仰っているのです。

『科学を悪者の手から取戻し・・・』(他地区で話した内容を編集時に加筆)

【また、上記の『その上長い間の事とて、・・・』というところは、地上天国建設のための具体論として、科学と人間について述べられ、主神様のご経綸を明確に宣しておられるのです。主神様のご経綸によって、科学をさらに発展させ、善人に使わせるように仕向けてくださる訳です。このことが示されている以上、宇宙開発というものを考えた時に、例えば軍事目的に使われるような算段は結果的に失敗するという結末を見るということになります。

その点から、この項では貴重な示唆が随所に出ている訳です。進化論しかり、月旅行論しかりです。それは以下の文章が示されている通りです。

『太陽も空気も水も、一切人間に必要なものばかりで、一つも無駄はない。無駄と想うのは、その使ひ途が判らないからで、判る程そこ迄人智が発達していないんだから、人間様もあんまり威張れたものではない。処が人間に必要がなくなったものは自然淘汰といって、無くなって消えて了う。そうかといって、新しく生れてくるものもある。』

人類史をこのような視座で捉えるならば、現在の情勢に対する判断の基準も明確になります。今後の展開も主神様のご意図のままに進むことは勿論であるからです。】

表現方法に対する考察

さて、それらのことをトータルで考えた時に、今回何故『阿呆文学』的な表現を使用されたのか。前回まで、いわば格調高く記述されてきたのに、今回の『人間』を何故このように記述されたのか、という、その答えが頭の中に浮かんできたでしょうか。ここまで傾聴いただく中で、論調の意図するところに思い当たるところがございましたでしょうか。

それは、結論的に申し上げるならば、真顔で述べるとあらぬ誤解を招く内容だからです。次の文面をご覧ください。

『而も其(その)何者様は人間の命まで自由自在にされるんだから、お気に入れば無事だが、お気に入らないとなると、いつ何時命を召上げられて了(しま)うか判らない。だから精々お気に入られるように努めるのが長生きの秘訣である。』

これは真実そのものでしょうが、仮に宗教団体がこの論調を振りかざした場合には『脅迫信仰』を形成しかねません。メシヤ様のご意図を拝察しておかなければ、現在のような天聖真美会やかつての神慈秀明会のような信仰形態を生み出してしまいます。メシヤ様は、そのことを危惧されて、阿呆陀羅文学的な表現を用いたのではないかと拝察できます。そのように受け止めていただくことを願っております。

表現方法に対する考察・Ⅱ(他地区で話した内容を編集時に加筆)

【また、自らが主神様の代理として働かれる旨を述べられている次の文面をご覧ください。

『というのは元々人間は、みんな何者様の子供なんだから、助けてやらなけりゃ可哀想だという御思召(おぼしめし)で、メシヤという居酒屋の親父みたいな、名前の人間を何者様の代理として、今働かせているんだから有難いでは御座らぬか。』

これは、自らが主神様の代理として働かれる旨を宣しておられる内容です。このご論文をご発表になられた時期を考えた時、つまり、ご法難の直後であるだけに真顔では表現できなかったのではないでしょうか。それは、次の文面でも同様なことです。

『そんな訳で科学信者共は贋(にせ)神などのホザク事は、迚(とて)も耳障りになるので、五月蠅(うるさ)い気味の悪い奴だ。エーやっつけて了(しま)えというので、霊界のギャング共を総動員し、贋(にせ)神退治をやらせたんだ。之が誰方も御存知の通りのメシヤ教の法難、受難、税難という訳である。』

これも、責任転嫁に受け取られかねません。しかし重要な内容であり、解る者には解る内容です。

ということは、教団内の者に心しなくてはならない内容として伝えようとされた訳です。世界救世(メシヤ)教を開教した意義と開教間もなくご法難が起きた意味を噛み砕いてお示しくださったのです。】

薬禍薬害を知らせ、人々を救う拠点に

そのような見地の上に立たせていただき、メシヤ様がどのように御神業を進められようとされたのかを考えてゆきますと、本日濵口さんがメシヤ様とご神縁を許された動機について述べていただいた内容が非常に参考になります。

娘さんのご病気が快癒する場面で、「一週間も下痢が続いたり、緑色の便や漢方薬の臭いのする便も出ましたが、浄霊を頂き始めて3ヶ月過ぎた頃から体に出ていた膿が徐々にきれいになっていき約一年後には完全にきれいにして頂きました。」と述べられています。

緑色の便というところが私が健康を許された際と酷似しております。私は、母親が2年間結核で闘病生活をして薬漬けになった後に生れたことも関係して、非常に虚弱体質で4歳まで薬漬けで過ごしました。都度都度お話してきた通りですが、医者に見離された時に浄霊によって九死に一生を得て今日を迎えております。

命を救われましたが、小学生の間までは弱くやっとスポーツがまともにできるようになったのは中学生になってからです。そのような体力を得るまでに体中に出来物が十ヶ所できました。最初に右太ももにできた時には、親も不安になったのでしょうが外科に連れて行き手術を受けさせました。洗面器半分位の血膿が出たことを今でも鮮明に覚えております。

しかし、傷口は中々治りませんでした。いくら通院しても傷口は塞がらず、そうこうしているうちに傷口のすぐ隣にまた出来物ができました。小学二年生でしたが、「これは医者へ行っても治らないから、浄霊一筋でゆこう」と意を決しました。誰が何と言おうとひたすら浄霊を取り次ぎました。

すると、同じように腫れてきてパンパンになった時に何処ともなく破れて血膿が出まして、出た後の中心に緑色の芯のようなものがあるのです。ピンセットで摘んで引っ張ると直径1ミリ長さ1センチ弱の緑色のものが出てきました。

私は瞬間に、“これが出来物の原因で、この異物を出すために出来物はあるのだ”と、ピンと来ました。

出来物ができる度に緑色の芯が出て、十ヶ所にできた時点で健康体にしていただきました。これが、濵口さんのお嬢さんと共通するところです。一番根っこに緑色の異物がある。それを濵口さんのお嬢さんは便によって出させていただいた訳です。しかも浄霊により短期間で薬毒の排出が許されたからこそ、健康になったのです。

薬毒は非常に恐ろしいのです。現在では精神科に関するものまでコマーシャルで流されておりますので、日常的に薬と共に生活している方が急増していまして、大変危惧しております。

メシヤ様は、薬禍薬害を世界に知らせて人類をお救いになろうとされました。世界救世(メシヤ)教を開教した最大の願いと申して良いと思います。濵口さんはそのお蔭で大変な御守護をいただかれまして、こうしたメシヤ様の恩恵に多くの方々に浴していただくために、支部を発会されました。どうか存分に活用していただきたいと願っております。

熟慮すべき内容(他地区で話した内容を加筆)

また、濵口さんが「私は平成11年に、直接メシヤ様から御指導頂かれた事がある先達の元で学ばせていただく機会に恵まれました。」と述べてくださいましたが、その内容の一部については私も同様のことを耳にしております。

メシヤ様は、部下を大変信頼されておられました。自然農法ではある幹部の推挙で未信者の人を自然農法普及会長に任命したのですが、その人はこっそり肥やしをやったりしたそうです。また、体裁を保つために虚偽の報告をする人も少なからず居ましたが、メシヤ様は報告を丸呑みされたそうです。

『五ヵ年にて米の五割増産は確実』はそうした報告によって発表されたものだそうです。忌々(ゆゆ)しき内容ではありますが、関わった先達の発言でした。また、このことに尾鰭(おひれ)がついて教団紛争の根っこになる論争も繰り広げられました。

それ故に今回のご論文は大変重要で、熟慮すべき内容なのです。私達は御教えを根幹にして、情報の収集とその精査を怠らないように努めなければならないのです。メシヤ様が新聞ラジオに耳目を傾けられ、識者との面接を重ねられた足跡をしっかりと胸に留めねばなりません。

また、御教えに引用された仏典に関することの中には不正確なところもある旨を指摘する先達もいました。しかし、仏教を造られた側のお言葉なので、仏典では不明な点を明らかにしていただいている、と受け止めた方が良いと思われます。

前回まで縷々お伝えしましたように、メシヤ様が神の座にありながらも御肉体をお持ちになって御降臨くださったことを重く受け止めることこそ、私達の信仰を深めることになるのです。

資格返上の規定

最後になりましたが、濵口さんご夫婦は本日を境にメシヤ教の「助師」の資格をいただきました。これは、家庭用の御神体のご奉斎をしていただいたり、遷霊式を執り行っていただくために付与しております。入会者を50人許された段階で「教導師第三位」を拝受する試験を受ける資格が生れます。楽しみにしておいていただきたいと思います。

現在メシヤ教の中には、そうした段階を迎えた方が何人かおられます。この資格を拝受されますと、集団浄霊を取り次ぐことが許されたり、集会所用の御神体のご奉斎式祭主を許されたりします。この資格試験については以前もお話しておりますので、本日は資格返上の規定、資格剥奪の規定について触れておきたいと思います。

まず、メシヤ教の資格者である前に宗教に携わる人間として守秘義務があります。「助師」の前提として守秘義務を遂行できない場合は返上の対象です。そうしなければ個人の秘密にかかわる相談を受けることはできません。そのため守秘義務を守らなければ、宗教の中で役職をいただくことはできないということが「資格者」の前提としてあります。

次に、メシヤ様の主眼は「薬禍薬害」を知らせることですし、人様の運命をお預かりする者として、薬毒を入れないということがあります。かつての教団浄化は薬毒が原因の一つです。薬毒が物の判断を狂わすのです。

ですから、ご婦人ですとパーマを当てたり毛染めをしたりした時点で資格を返上していただきます。(この時初めて薬毒の話を耳にした方から「奥さんは髪の毛を染められないの?」と声が上り、それに答えて)ただし、信者さんに禁止している訳ではありません。メシヤ様も『私は説いて聞かせるが、それを取り入れるかそうでないかは当人に自由である』と仰っています。

しかし、パーマを初めて当てた時のことを想い出してください。頭に沁みたでしょ。痛かったでしょ。それは何も知らなかったけれども、身体は危険な物質だと反応したのです。

それは何故かと言いますと、資格者は人様の運命をお預かりするからなのです。一歩判断を間違えると、相手が幸せにならない危険性を孕んでしまうからです。そのため、薬毒の影響を受けてはならないのです。判断を誤らないために、薬毒が入らない生活を目指していただくということなのです。

また、お酒をお飲みになる方の場合、醸造アルコールなどの添加物を使用するものを自分の意思で飲んだ場合なども「資格」返上の対象になります。(大笑い) ビールなどもドイツの「ビール純粋令」に違反するようなものを進んで飲んだ場合、返上の対象になります。かと言って、冠婚葬祭などの場でかたくなに拒絶してしまうことがあってはお困りになるでしょうから、自分からでなく仕方なく飲んだ場合は例外とします。何処までも自分の意思ということです。

このようにお伝えしてきますと、自己申告ということになります。しかも信者籍まで剥奪するということではありません。浄霊力を取り上げるということでもありません。どこまでも「資格者」に関する規定なのです。「可哀想だ」という声もあるのですが、ここで皆様方にお伝えいたしましたので、皆さんからそうした目で見られてゆくということですので、厳しい道、いや当り前の道を歩んでゆくのです。

濵口さんは、すでにそうした道を歩み始めております。だからこそ、冒頭述べましたように濵口さんは御神前の改装時に化学物質を使わない工法を取り入れたのです。クロスの接着剤は環境ホルモンとして問題視されておりますね。最近の若い人達の間に起きている異変の原因の一つとも言われています。

ですから、重ねて申し上げますが、人様の運命にかかわる仕事だからこそ「資格者」にはそうした心掛けをしていただくのです。初めて薬毒論を聞かれた方はビックリされたかもしれませんが、これからここでそうしたことを学んでいただければ有難いと思います。

濵口さんの姿勢に私は全幅の信頼を寄せて責任者になっていただいたのです。また、奥さんは今までのお仕事をお止めになって御神業一筋に励んでいただけるようになってくださいましたので、大変有難く思います。濱口さんご夫婦を中心にして、皆さん方のご尽力を得て三重支部が救いの場となり学びの場となるように活かしていただくことを願い、挨拶といたします。おめでとうございました

(要旨・一部添削を加え、質疑応答は割愛しました。)

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