メシヤ講座・特選集no.88(平成20年5月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
人は健康の器

昔から、よく人は病の器というが、之程間違った話はない。人は健康の器というのが本当である。それならば何故そういう事を言われたかというと、之には勿論訳がある。と言うのは、人間は実に病気に罹り易い。ヤレ風邪を引いたとか、頭痛がする。腹が痛い。咳が出る。腹が下る。何処かしら痛い。寒気がする。胸が悪いとか、其(その)他種々な苦痛が発る。すると驚いて、ヤレ医者だ、ソレ薬だと言って大騒ぎをする。然し簡単に治る場合もあるが、一寸した風邪位に思っていると、仲々治らない。その内脳炎とか、チフスとか肺炎などという重い病気になったりする。それもうまく治ればいいが、下手をすると命に関わるような事になる、というのは、最初からお医者様には見当がつかない。だろう的である。ソレは確実な診断を下す程に、医者はまだ進歩していないからである。然し之等は急性の病気だが、慢性病や特に結核などになるとグズグズしていて仲々治らない。治るかと思うと又悪くなるというように繰返すので、どうしても長くかかる。それでも治ればいいが、大抵は散々金を使って、苦しんだ揚句彼世(あのよ)行きというのだからやり切れない。それまでにお医者さんと薬と親類のようになって了って、縁を切る事など仲々出来なくなる。処が病気の苦しみばかりではない、仕事を休むから経済的打撃も大きい。サラリーマンなどは長年月休むので馘(くびきり)になり、収入も途絶えるという訳で、二重三重の苦しみとなる。何しろ近来医者や薬の治療代も高価で、仲々馬鹿にはならない。長引いたり、入院でもするようになると一財産位飛んで了うし、又運が悪いと命まで、フイになるのだから大変である。

此(この)様な訳であるから、現代人の病気を恐れる事は実に甚だしい。そこで官民共に病気解決に関する予防や施設などに巨額の金を使う事は大変なもので、今次政府が計画している結核対策の費用でさへ、最近決った額は八十七億円というのだから、何と驚くではないか、而もそれ程、巨額の費用を使い、官民共に大童(おおわらわ)になっているがサッパリ結核は減りそうもない。理屈から言えば減らなければならない筈だが、事実はそういかないと共に、全般的病気もそうである。ヤレ、チフス、赤痢、日本脳炎等々、近頃の世の中を見るがいい。何処も彼処も病人の氾濫は固より、病院は満員で、収容しきれないそうである。薬も足りないので如何様薬や、贋物が横行し、当局も弱っている事など新聞によく出ている。斯んなに迄しても病気は一向に減らないので、誰も彼も今日の人間は、病気恐怖症に罹っている。従って人は病の器などというのも尤も千万である。

処が、一度本教の信者となるや、病気は簡単に治り健康は益々よくなるから病気の心配がなくなる処か、伝染病など問題にならない。何故なれば、伝染病程雑作なく治るものはないからである。だから黴菌なども恐しいとも何共思わないという事だけでも、実に現代の奇蹟であり、其(その)幸福たるや世界中恐らく類があるまい、而もそればかりではない、人の病気まで治せる術を授かる事である。実によく治る。信じられない程である。処が之を聞いた第三者は曰うのである。何十年も掛って学校を出たり、色々の実験を重ねたりして、一生懸命修業して来た専門家に治らないものが、素人の癖に三月や半歳修業した位で、お医者の見離した病気が治るなんて、そんな馬鹿な事があるものか、斯んな理屈に合わない話をするなんて、頭がどうかしている。全くインチキ宗教に騙されているんだから可哀想なもんだ。迷信邪教程恐しいものはない。もし本当にそうだとすれば、医者も薬も要らなくなるじゃないかという。此(この)言葉は紋切型となっていて吾々の耳にはタコが出来る程聞かされている。成程それも尤も千万で、決して間違っているとは思わない。そこで一寸考えてみて貰いたい事はお説の通りだとすれば、年々病気が減って、ヤレ伝染病の予防だ、注射をしろ一々消毒もしろ、黴菌に注意せよ、外から帰ったら手を洗へ、嗽(うがい)をしろなどと面倒臭い事は、段々言う必要がなくならなくてはならない。又医学衛生が本当に立派なものとすれば、国民の健康は年々良くなり、病院に蜘蛛の巣が張るようにならなければならない筈である。処が事実は其(その)逆であるのは一体どうした事か、又真の健康体となれば、大抵の黴菌は身体へ侵入しても発病しない筈である。何故なれば黴菌が侵入しても、発病する人としない人があるに見ても明かである。即ち発病しないのは真の健康体で、抵抗力が強いからである。だからそういう抵抗力の強い人が段々殖え、消毒の手数も年々減るようになるのが、真の医学衛生の進歩でなくて何であろう。処が不思議な事には斯んな判り切った理屈に、誰も気が付かない事である。実に割り切れない話ではないか。然しその原因は吾々にはよく判っているが、それを詳しく話す事が出来ないのは洵に遺憾である。何よりも吾等の説通り実行すれば、誰でも健康者となり、病人は段々減る事は太鼓判を捺しても間違いない。そんな立派なものなら何故早く世の中へ知らせないかという疑問が起るであろうから、それを左(下記)にかいてみよう。

今日の社会制度は近代文化が基本となって形成されたものであって、曩(さき)に説いた如く、近代文化は根本が唯物主義の建前である以上偏重的で、唯心文化に対する反動的とも言えよう。此(この)文化を無上のものと心得、凡ゆる機構を作ったのであるから、それに欠陥のあるのは当然で、吾々のいう中正文化との喰違いもある訳である。そうして何より間違っている事は、此(この)唯物文化は結果というものを余り見ないで、方法のみを重くみる。之が最も不可解な点である。此(この)事を知って近代文化を検討すると実によく判る。

其(その)点、一時的結果で物を決めようとする短見的考え方である。先を見ずしてホンの目先だけで決める。例えば熱が出ると氷で冷す、処が熱が出るという事はどこかに出るべき原因があるからで、それに気が付かない。気が付いてもどうしようもないのかも知れないが、殆んど末端のみを対象とする。よく医学を対症療法というが、全くその通りである。又不幸な人を救う為、社会事業に一生懸命になっており、鳥の羽根募金や何やかやで金を集めているが、之も結構には違いないが、実は其(その)方法たるや根本を逸している。不幸な人が出るという事は、出るべくどこかに社会的欠陥があるからである。従って、その欠陥を無くしさへすればいいのである。それより以外根本的解決の方法はないが、現代人はそれにも気が付かない、之も対症療法と同様末梢的方法でしかない。

右(上記)は、唯二つだけの例であるが、今の文化は凡ゆる点が其(その)様になっている。何よりも文化が進歩したと言い乍ら、到る処不幸に充ち満ちている。それらの原因である内面的欠陥、それを吾々は神様から、徹底的に知らされたのである。神様は一日も早く、一人でも多くの人に知らせ、目を醒(さま)させ、本当に幸福になる社会を作れという御思召(おぼしめし)である。そうして病人のない貧乏人のない。戦争などもない理想の世界を目的として進めと言われるのである。何と有難いではあるまいか。それでは今迄何故もっと早く、神様ともあろうものが、それを知らせなかったかと言うだろうが、それには色々の深い訳がある。それは本教の信者になれば、段々判ってくるのである。

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メシヤ教 代表  楳木和麿

『三重支部』発会式に関連して

アトピー性皮膚炎と毒素排泄作用

「三重支部」発会式における支部責任者の報告で紹介したアトピー性皮膚炎の写真は、各地で大きな反響を呼びました。掲載を許可してくださった濵口博幸さんに改めて敬意を表したいと思います。写真を目にした方の中には、ご自分のお子さんやお孫さんがアトピー性皮膚炎だったが浄霊によって御守護いただいた方もいらして、それぞれの体験を話してくださいました。御教えの素晴らしさ、浄霊の有難さを改めて感ずると共に、皆さんが御神縁をいただかれて何よりだったと思わせていただきました。

また、写真を見せてくださる方もいましたが、「余りにも可哀想なので酷い写真は捨ててしまいました」と語ってくださる人もいました。心中を察します。そんな中で、今回は埼玉県の佐藤紘美さんが写真を提供してくださいました。まずその写真を見ていただきましょう。

佐藤さんのお孫さんのアトピー性皮膚炎の写真です。上は最も悪く見える時(ピーク時)のものではないそうですが、症状がよく判ります。下は全快した後の写真です。利発な姿が微笑ましく、健康状態がよく判ります。

佐藤さんのご長男が写真を添付してメール送信してくださったのですが、「薬を使わないでアトピーが治ることは、奇蹟でもなんでもないということと、薬が最悪なものであるということを強調するために使っていただけたら幸いに思います。」という添え書きをいただきました。もっともな内容です。

「アトピー」とは、もともとラテン語で「奇妙なアレルギーの病気」といった意味合いを持つ言葉だそうですが、川島眞氏(東京女子医科大学皮膚科教授)は、渡辺淳一氏との対談(週刊現代・2008/5/24)で次のような発言をしています。

「私が医者になった昭和50年代は、アトピー性皮膚炎はたいした病気ではなかったんですよ。子供がアトピーになっても、小学校の高学年か中学生になる頃には、大体みんな治っていく。診察に連れてきたお母さんに、“お子さんはアトピー性皮膚炎ですね”と言っても、“これ、アトピーって言うんですか?”と全然関心がないくらいで。」

この発言内容と佐藤さんの文面を併記しますと、実は同じ意味のことを述べていることがお解かりいただけると思います。かつては、医者から見ても「みんな治っていく」ものだったのです。それは、毒素排泄作用であるので、毒素排泄期間が終了すれば、自然に治るのです。それが何故、今日では治りにくいもののように捉えられてしまっているのでしょうか。

それは、このように語る川島教授もステロイドを推奨している一人ですので、現代においてはすぐに治療と称して薬を使ってしまいます。これが大きな原因です。と言うのも、本来の毒素排泄作用を止めてしまい、結果的に治りにくくしているのです。また、皮膚に出る症状を薬で押さえ込んでも、喘息によって毒素排泄作用を起こす方も多いようです。

薬の使用の結果は、前回の濵口さんの報告で「当時娘は重症で三種類の塗り薬と、かゆみ止めの漢方薬を病院で処方されていましてが、薬を塗れば一時的にはきれいになりますが、しばらくすると湿疹が出てしまい、一向に回復の兆しが見えず不安な毎日を過ごしていたのです。」と書かれていた通りです。

ですから、薬を止めることで治り始め、浄霊をいただくことで毒素排泄を促進させるので、結果的に早く治るのです。ただ、この場合でも、食生活の改善に努めるほか、本人の一日の入浴回数を増やすことと、家屋の一日の清掃回数を増やすことを心掛けねばなりません。

浄化作用の意味がよく判る写真

また、佐藤さんはご次男の瘭疽の写真も提供してくださいました。下の写真がそれです。高校一年生の時の写真で、一週間で完治したそうです。この写真では腫れた部分の緑色が鮮やかに見て取れ、判り易いのでお借りした次第です。

この写真は、濵口博幸さんが述べた「一週間も下痢が続いたり、緑色の便や漢方薬の臭いのする便も出ましたが、浄霊をいただき始めて3ヶ月過ぎた頃から身体に出ていた膿が徐々にきれいになっていき約一年後には完全にきれいにしていただきました。」ということに共通する写真です。

私も高校三年生時に瘭疽を患いまして、右手親指が倍以上に腫れましたが、残念ながら写真はありません。それ故に、大変貴重な写真に思えてなりません。私は、当時の先達から「結核予防の浄化で有難い」との指導を受け、「母親が結核の闘病生活で薬漬けになった後の子供だけに有難いことなんだ」と考え、痛みに耐えました。

血膿が出始めた際に、指先を浄霊しても大して出ないのに首筋を浄霊するとドッドッと出た時の感触は今でも鮮明に覚えております。浄化作用とは何と有難いものなのか、浄化作用は神様の愛の証なのだ、と心底思った瞬間でした。

佐藤さんのご次男は私よりも遥かに保有毒素が少ないために、指先に排泄毒素を集中させることができて一週間という短期間で浄化終了という御守護をいただかれたのだと推察できます。

浄化終了という言葉をどうか認識していただきたく願います。

と申しますのは、佐藤さんのご長男の書簡で「薬を使わないで、アトピーが治ることは、奇蹟でもなんでもない」という内容は、「浄化作用が終了すれば症状が治るのは当り前」ということなのです。そしてまた、これは御教えにより真理を知ったからこそ言えることなのです。

そして更に、浄霊をいただくことにより浄化作用の期間を短縮していただけるのです。しかも、浄化作用の原理を知ると、安心して症状を見守ることができるのです。

教団一元化について 次に、濵口博幸さんが述べた「世界救世教の一元化」について触れておきたいと思います。濵口さんは、報告の中で次のように述べました。

「ここ数年来世界救世教では教団一元化へ向けて歩みだしました。しかし、現場では何も変化はありませんでした。情報が圧倒的に少ないのです。機関紙「大経綸」での情報が唯一のものでした。御神体はどうなるのか?祖霊祭祀は?永代供養は?信者さんにとって多くの疑問が当然ありますが、一向に進捗がわからないのです。

布教の現場を見れば、多数の行事に追われてあわただしく1年が過ぎていきます。そして御教えを読まない信者さんの如何に多いことか。本来の信仰のあり方とは何なのだろう?沸々と疑問が湧いてきました。」

問題の解決に取り組む場合には、その出発点に遡って原因を明確にしなくてはならないことは自明の通りです。

問題の出発点で着目しなくてはならない点は薬毒です。当時の教団最高責任者(総長職)を引き摺り下ろし、自派の者をその職に付かせようとした張本人は当時既に薬毒に手を出しておりました。ご本人が公言しておりますので、間違いありません。

次に、信者さんへ広報活動する上で、“川合輝明氏を中心にして進めた「教団一元化(昭和四十年代)」以後、信仰が喪失してしまった”という論立てを行いました。一元化によって社会問題は回避できるようになりましたが、社会改革という宗教本来の役割を担えなくなり、社会へ迎合するようになり、慈善事業的な活動が表面に出るようになりました。(これは、今月の御論文でメシヤ様がご注意されている点ですのでお分かりになると思います。)

また、中央集権化が進むと共に、所謂“株式会社化”が進み、布教師の目は信者や社会へ向かず、人事権を有する総本部へと注がれるようになってしまいました。このような状況を「改革する」という文言を用いると、耳障りの良いことですので共感を呼ぶことは確かであります。

しかし、やり方において主張に反する形、つまり信仰とは懸け離れた手法を用いてしまったのです。それが「6億円疑惑」捏造問題であり、信仰改革を論じながらも信仰者らしからぬ手法で事を進めてしまったことが見逃せない点です。

ですから、教会の名称を復活させたものの、手法が間違っていた上にビジョンが不明確であったために“名ばかり”となってしまいました。メシヤ様の組織論を検証した形跡もなく、信仰改革の論点や具体論が不明瞭なために各地で問題が産出しています。

こうしたことに対する整理がなされると共に、「大経綸」誌上にはその説明が不可欠なのです。他のことを如何様に説いたところで真実の声は届きません。

『御論文』から宗教の本質を考える

『大仕掛けな土木工事』―宗教からの解答と『宗教と科学の一致』への営み

4月分の御論文の中から、どのように拝読させていただき、どのように受け止めさせていただくのか、ということを考えてみましょう。まず、

『それが段々固まるにつれて、土と水と分れ分れになったのが、今日の陸と海なんだ。処で陸の方はまだ軟かいので、親方は之じゃ駄目だと、恐龍とかマンモスとかいう、恐ろしく大(で)っかい怪物のような生物を造って、其奴等に陸地の上をドタリドタリ駈けさせて、そうして固めさせたというんだから、如何に大仕掛な土木工事であったかは、虫ケラ同然の人間なんかには想像もつくまい。』

というところに注目してみます。

恐竜やマンモスの存在理由をこれほど簡潔に解説された内容を、得たことがあるでしょうか。昔台所などの土間を作る際に用いた丸太を思い浮かべてみてください。マンモスの足は丸太に似てはいませんか。そうしたことを考えれば、更に“なるほど”と感じるのではないでしょうか。

以前、「宗教とは、人間生活の究極的な意味をあきらかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、人々によって信じられているいとなみを中心とした文化現象である。(『宗教学』岸本秀夫著・大明堂)」ということを紹介したことがあります。

今回の部分は正に、究極的な意味を提示しているのです。

それでは、草食恐竜と肉食恐竜が何故いたのでしょうか。足の形を見れば一目瞭然です。草食恐竜の足は丸太と同じような形です。しかし、肉食恐竜の足は爪が伸び大地を固めるというようなものではありません。それでは何故存在したのでしょうか。

そうした疑問を持って、もう一度御論文を拝読しますと、“草食恐竜は食べ物を見つけたらそこにいて食べ続けてしまうので、肉食恐竜に追いかけさせて、くまなく大地を固めさせたのだ”ということに結び付きます。

こうした思考を重ねることが、実は『宗教と科学の一致』への営みなのだということを心に留めていただきたいのです。宗教は究極的な意味を提示して、科学がそれを検証する。その作業によって明確に御神意を求めることができる、ということです。

ですから、メシヤ様は絶えず新聞、ラジオに耳目を傾けられたし、著名人と面接され続けられ、信仰者の見本を指し示されたのです。これから信仰を更に深めてゆこう、とお考えになっている方々に是非持っておいていただきたい見地です。

『実は今迄戦争が必要だから放っておいたんだよ』

次に、

『そこで又親方は声を秘めて斯うも言われた。実は今迄戦争が必要だから放っておいたんだよ。それは戦争をさせなければ文化の進歩は、早く出来なかったからだよ、処がもう戦争は必要がなくなったから、絶対廃止にしたんだ。之もヤッパリ戦争の自然淘汰なんだと仰言(おっしゃ)るんだから、何と有難いでは御座らぬか。』

というところがあります。

戦時中の様子を聞かせていただくと、終戦間際には「印刷会社は活字を拠出させられた」という話や「家庭から鉄製の鍋やヤカンを集めた」という話は枚挙に暇がありません。これは場合によっては国民の資産の全てを軍が使う、ということを意味します。

ライト兄弟が飛行機を発明しても戦争がなくては急速な開発はなかったと言われています。人も資金も一極に集中させるものが戦争だからです。

第二次世界大戦の勝敗を決した分かれ目になったものを論ずる時に、視点とされるものに“ロケットエンジン開発”と“ジェットエンジン開発”が挙げられます。ドイツが取り組んでいたものとアメリカが取り組んでいたものとの違いです。

アメリカは至近距離にあったものに取り組んでいたので、連合軍が勝利したという解釈です。それぞれのエンジンの仕組みはご存知の通りです。それが現在では、開発に時間を要したロケットエンジンが宇宙開発に使用されております。不思議な繋がりです。

科学を進歩させるための戦争という観点は、人智を遥かに超えたところからの歴史観です。戦争は悲惨で、繰り返して良いものではありません。しかし、人類全体の歴史からすると戦争そのものも役割を担ったという観点です。

ところで、その後述に『処がもう戦争は必要がなくなったから、絶対廃止にしたんだ。之もヤッパリ戦争の自然淘汰なんだと仰言(おっしゃ)るんだから、何と有難いでは御座らぬか』と書かれているところが問題でして、メシヤ様は『戦争の絶対廃止』を進められようとされたのです。

それを阻止する側の働きでご法難が起き、その最中に起きた不幸な出来事の後遺症でお命を縮められたのです。今尚戦争が続いている所以はここにあります。そして、軍事政権下での実態を私達に晒しているのがミャンマーの水害、中国の震災の大惨事です。

『キリストや釈迦にも、斯ういう世の中が来る事を一寸言わせておいたから・・・』

今回の御論文はスケールが大きいのですが、次の文章も長い時系列をお述べになった内容です。

『キリストや釈迦にも、斯ういう世の中が来る事を一寸言わしておいたから、人間共は判っている筈だ。』

実に壮大な話です。聖書も万巻のお経もメシヤ様の御出現のためにあったのであり、メシヤ様の指し示された御神業のためにあったのだという内容です。これもご自身では真顔では語ることがお出来にはならず、『・・・と仰言(おっしゃ)って雲に乗り、天に向ってお帰りになったんで御座る。』と占められるなど、『阿呆文学』的な表現を用いたのだと拝察できます。

そこで、後進の私達はどのように受け止めさせていただき、どのように取り組ませていただくかということが大切なのです。キリスト教の方にも、仏教の方にも「あなた方のお蔭で、現在の浄霊力伝授がある」という姿勢で接することができればいかがでしょうか。また、「あなた方の教えの延長線上で、宗教宗派を超えた浄霊力伝授がある」という姿勢を持つことができればいかがでしょうか。

4月度は、神奈川県の藤沢会場での質疑応答中に参考にしていただける遣り取りがありましたので、ご本人の了解を得て一部を掲載いたします。

藤沢会場―洗礼を受けている方(プロテスタント)との問答

Nさん 「私はズーッと昔に洗礼を受けていますが、イエス・キリストが浄霊をしたということを一度も聞いたことがないのです。ただ、何千人もの人が集まってきてキリストが手をかざして救ったという表現はあるんです。しかしそれが何なのかという答えはないのです。言わないし、何なのか明かしてないのです。」

代表 「例えば明かしたら、信仰形態が壊れてしまいますからね。イエス・キリストと最後の晩餐に出た人しか浄霊はできなかった。それ以外の人には浄霊力は授からなかった訳ですからね。明かしますと、浄霊ができる場所を求め始めますからね。」

Nさん 「初めてここでメシヤ講座に参加した時に、先生から『キリストも浄霊をした』ということをお聞きして、何十年もキリスト教をしてきたのですけれども、判らなかったことを“ああそうだったんだ”と納得できたんです。

代表 「それが21世紀を迎えて、キリストが現わした奇蹟をどなたでも現わせることになったんです。そういう世の中になったんで、これほど素晴らしいことはありませんので、キリスト教の方々へも判っていただかねばなりません。」

Nさん 「判らないと思いますよ。(大笑い)」

代表 「いえ、判ってくださる方は大勢いらっしゃいますよ。そういう方を一人ひとり掘り起こして、みんな『メシヤ様』と唱えて浄霊をしていただき、幸せになっていただきたいですね。ただ、信仰を続けていると自他共に頭が固くなっていることがありますからね。頭を柔軟にしていただかねばなりません。」

同席者 「ほんとうですね。同じメシヤ様の信者ですら、所属組織が違うと“あり方”にいちゃもんをつけてくることがありますからね。」

代表 「ですから、私達が大らかにならないといけません。そして、そうした方と相対して、目くじら立ててきたら、ここの大黒様の顔を思い出していただいて、このような笑顔を持って接していただきたいと思います。(大笑い)」

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