メシヤ講座・特選集no.89(平成20年6月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
自然農法


今日、日本人ならみんな知っている事だが日本は今、食糧が足りないと言って、政府も農民も一生懸命になっている。ヤレ人肥だとか言って、高い肥料を購って、作物へブッかけているが、どうも思うように収穫がない。ヤレ水害だ。ヤレ虫害だと言って苦しんでいる。今年は正に豊作だなんて言って喜んでいるが、それでたった六千二、三百万石と言うのだから実に情けないではあるまいか、一体全体八千三百万の人口をかかえて六千万石とは丸ッ切り問題にならない。神様は人間一人の食扶持(くいぶち)は、年一石としてあるんだから八千三百万の人口なら、確実に八千三百万石穫れなければならない筈だ。だからそれだけ穫れないとしたら、不思議というより外はない。従って神様に向って大いに談判してもよかろう。神様は人間をドシドシ増やしておき乍(なが)ら、それだけの食い物を与えてくれないなんてどうしたものか、之では人間は日乾(ひぼし)になるばかりだ。神様よ吾々の命をどうして呉(く)れるんだ。一体人間を作ったのは誰なんだ。造物主だか神様だか知らないが、食なきゃ生きていられないやうに、作っておきながら、生きるだけの食い物を宛(あて)がわないなんて、あんまり酷すぎるでは御座いませんか、神は愛だなんてよくいうが、それはもはや信じられない。一体どうして下さるんです、とまあー仮に神様に向って談判するとすれば神様は斯う仰言るだろう。先づアッハッハーとお笑いになられ、口を開かれて「オイオイ、お前達人間共よ、何を寝呆けているんじゃ、儂はチャンと食うだけ穫れるように、立派な土というものを拵(こしら)へてやってあるんだ。それをどう間違えたものか、お前達は鼻も撮(つま)めない、臭い臭い糞尿などブッかけたり、そうかと思うと硫酸なんていう劇物や、小便粕みたいなアンモニヤなんていう汚いものを有難がってブン撒くじゃないか、だから土は散々汚されて了うので、どうする事も出来ないのだよ」そこで土が言うには「いくら俺自身が働きたいと思っても、汚され切って了ったんだから、手も足も出ないじゃないか、だから人間が之に気が付かないとすれば、俺は時節の来る迄我慢して碌々働かないで、凝乎(じっ)と待っているばかりだよ、実に人間位馬鹿な奴はないと呆れているんだ。可哀想だと思っていくら人間が食うだけのものを作ってやりたくも、手足を縛られていては、どうにも働けないのだから、俺は苦情をいいたいが、人間と違って喋舌(しゃべ)る事が出来ないので困っていたんだ。処が今度メシヤのオッさんが大いに同情して、それを人間共に知らせてやると仰言るので、之幸いと此(この)通り頼んだんだよ。だから早く目を醒まして、之からは余計な事をしないで、土をウンと奇麗にして作ってみなさい。今の倍や三倍はお茶ノコサイサイだよ。又虫が湧いたとかいい、ヤレ消毒薬などといって変な粉をブン撒くが、之も可笑しいよ。成程虫は死ぬが、その粉が土に浸み込むので、土は弱って反って虫が湧く因になるんだ。実に之程の馬鹿野郎はあるまい」と土はホザクんだから、「人間共よ之で少しは判っだろうから、今度メシヤの親父によく聞いてみなさい。然し此(この)頃はどうやらボツボツ判った百姓もあるので、儂もやっと胸を撫で下したという訳だよ」とのお言葉である。

此(この)様な神様の御託宣であるから、百姓君よもういい加減に我を捨て、鼻を折って、親父の言う事をきく事だよ。そうすれば米なんか今迄の倍位出来るのは屁の河童だよ。その上働くのも今迄の半分で済むから、先づ四倍の徳になるという訳だ。どうです農民諸君、斯んな素晴しい自然農法というものが出来たんだから、一日早ければそれだけ徳になるんだよ。だから素直に言う事を聞くのが、利巧というものだよ。

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『地上天国祭』特集

≪報告≫

メシヤ様との霊線を結んでいただいたことへの感謝

埼玉県 宇賀村龍佐

地上天国祭を迎えるに当たりまして、メシヤ様との霊線を結ばせていただいたことへの感謝を申し上げると共に、メシヤ様との霊線を結ばせていただくことが許されなかったら、どんな人生を送っていたかを考えると恐ろしいくらいであります。

入信以前の病気、貧乏に苦しんでいた状態が嘘のようであります。私の母方の先祖が加賀(石川県)前田家の御典医であることから、然毒は相当に入っており、知らぬこととは言いながら人々に薬毒を施しており、相当因縁深く罪深いことをしてきた訳であります。

私がメシヤ様との御縁を結ぶきっかけは、昭和46年5月31日の夜、埼玉県の杉戸町から越谷市に引っ越してからになります。昼間ではなく夜に引っ越したのは、ある事情のためです。翌日、信仰の導き親である、故高橋弘子様と出会えたことが、私の家、私の人生を変えました。

私は、昭和49年1月に当時の世界救世教埼玉県本部越谷布教所へ参拝、初めて御浄霊をいただきました。この頃は、教団一元化後間もなくの時期であったと思います。因みに、越谷布教所は一元化以前は東京都新宿区高田馬場にある宝生教会の支部であったところで、宝生教会は渋井総斎先生が晩年に関わられ、その後を小泉守之助先生が教会長をされたと伺っております。

振り返りますと、教団浄化以前は、教団としての良い点はまだ残っていたと思います。

浄化作用という認識もしっかりしており、信仰の先輩からは、浄化をいただいた時など「おめでとうございます」とよく言われました。また、「昔は、死を覚悟するほどの御浄化を家族がいただいたら、赤飯を炊いて祝ったものだ」とか、「死を覚悟する程の御浄化を3回乗り越えたら、霊体の曇りを相当に浄めていただき、罪穢れを取っていただき、家の因縁を許され、よりメシヤ様との距離を縮め、近づかせていただける」と言われました。

このように、当時はまだ浄化を乗り越える喜びを味わうことが可能でありました。私自身も、赤痢的浄化(下痢の症状及び体温が38~39度台の症状が二週間以上継続)をいただいたり、40度近くの熱が一週間以上続き、咳、痰、下痢、寝汗等、面白いように毒素排泄を許されまして、その都度御守護賜りました。

その後、教団浄化が惹起いたしまして、東方之光・MOAは、メシヤ様から離れていく様子が目に付くようになりました。天津祝詞の奏上は廃止になり、教団施設内での朝夕拝も廃止になりました。

また薬毒論も廃止に近い形となり、信徒でありながら平気で薬を服用するような具合です。また、自然農法においても動物性の肥料まで使用するような有様です。御教えを曲解している教団に籍を置き、疑問を持ちながら日々を送っている状況でした。

私は、教団がメシヤ様の御教えと反対の方向に進んでいる中、社会一般で薬毒を認識している人は一人もいないのだろうかと考えるようになりました。その中で、平成11年、「医者が患者をだますとき」(ロバート・メンデルソン著、草思社)に出会いました。これは、薬毒、手術の危険性、病院出産の危険性、予防接種の危険性、レントゲンによる被爆、西洋医学及び製薬業界の危険性について書かれた本です。

また、平成18年、「病気にならない人は知っている」(ケヴィン・トルドー著、幻冬舎)に出会いました。この本にも同様の内容が書かれてありました。

メシヤ様の御神書の中に、イシヤ、フリーメーソン、マッソン秘密結社、パリサイ人という言葉があり、これらが医学と薬を作ったと書かれている箇所があります。

それらを証明している本も近年出版されており、そのことを研究している民間の研究者がいることも知りました。このことからも、『昼の時代』が近いことは明らかであり、信徒でない方々でも、御教えに書かれている内容を理解できる人が増えつつあるように感じます。そのような時に際し、吾々がもっと声を大にして薬毒、肥毒を世に知らせるべきではないかと考えるに到りました。

その頃の東方之光・MOAがメシヤ様の御神書と相反する方向へ進んでいる中で、私はどのような気持ちで信仰させていただけばよいのか、と悩みました。「岡田茂吉全集」の御神書に求めたり、御昇天後の教団史、教団一元化や教団浄化の真相、各教団の状況等をできる範囲で勉強させていただきました。東方之光・MOA以外の教団も同様、メシヤ様から離れている状況であり、疑問を持っている人が多々いることを知りました。

そうした中、メシヤ教のホームページを知り、勉強させていただき、“メシヤ様の御教えを実践している教団は、ここだけかも知れない”と思いました。「おひかり」なしの浄霊についても、メシヤ様の御言葉があり、私自身も実践し、御光が出ていることを確認させていただきました。

メシヤ教への入会をお許しいただくまでに5~6年の期間を要したのは、東方之光・MOAへ縁をいただき、そこでの人間関係を大事にしたかったこと、真の一元化完成にあたり、“正しい方向へ変化するのでは”との期待があったためです。

平成19年になり、「メシヤ教へ参拝させていただきたい」と決意しました。そして3月に参拝させていただき、メシヤ講座をいただきました。「メシヤ様の御教えを実践できるところはここだ」と判断し、入会をお許しいただきました。

その後、東方之光を脱会しました。それから、メシヤ様の御教えを深いところまで追究した話を聞き、また、数々の体験を伺い、充実した信仰生活を久しぶりに送らせていただくことができるようになりました。

現在、世界の状況を見ても、ミャンマーのサイクロン、四川大地震、それから昨日の岩手宮城内陸地震等々、大浄化時代の様相を呈しております。これから浄霊を求めてくる人が増えてくることと思います。その時に際し、一人ひとり浄霊力を磨くべく、精進し、メシヤ様に求めてまいりたいと思います。

厳しい薬毒排泄の浄化を乗り越えて

三重県 喜多弘美

地上天国祭おめでとうございます。三重支部の喜多と申します。三重支部発会式の後すぐに、厳しい御浄化をいただき御守護賜りましたことを御報告させていただきます。

三重支部発会式で濵口さんから報告がありましたが、「犬の散歩をしていたら雨に降られ家に戻る直前にすぐ傍に雷が落ち、火花が後ろから頭をかすめ1メートル先へ落ちました。ひとつ間違えば自分に落ちていました。」という報告内容は私のことです。この時に私は今まで所属していた教団を退会することを決意いたしました。そして、メシヤ講座を読み直し、「真善美完き恒久平和の理想世界実現に向けてメシヤ様の御手足として年寄りではありますがお使いいただきたい」と御神前に奉告させていただくことができたのです。

それから「浄霊法講座」の御教えで薬毒について必死に拝読いたしました。薬毒の御教えは私の人生に大いなる警鐘を鳴らすものでした。それは、私は薬品店を経営していたことがありまして仕事柄大量の薬を服用していたからです。私としては患者さんのことを考えて、新しい薬が出たらまずは使ってみてどのような効果があるのかを自分で体験し、患者さんに説明していたのです。それは貼薬、服薬、健康食品などあらゆる家庭薬に及びました。

御教えを拝読し、薬毒の恐ろしさを頭で理解できたと思っていたら、今度は自分の身を持って体験することになったのです。

四月二十七日 急に首筋が張り、痛くて右にも左にも動かすことができなくなりました。この時は寝違えたと思いました。翌日になって肩もつり手を上げることができなくなりました。支部で夕拝させていただいた後、浄霊をいただきました。初めは頭全体がジンジンとして気持ちが良くなり、後頭部をしていただいている時は左の鼻の奥の方で冷たい水が頭の中をヒタヒタと下り流れていくのを感じ、左の耳が痒く、後頭部、耳の両脇と首の側面がジンジンとし、頭を柔らかくジューと絞るような感じでした。

“ああ、これでもう治していただいたんだな”と、1回の御浄霊で首もよく回るようになったし、まだ少しの痛みを感じるが前よりもズッと軽くなり、有難く思い家に帰りました。そして浄化を甘く見ていた私は、翌日老人会の卓球クラブへ行ってしまったのです。

その夜、テレビを見ていたら小指先くらいの黒い血の塊が右の鼻から出て、その後少しの出血がありました。

四月二十九日 頭が重かったが犬の散歩には行けました。支部での朝拝の時、首、肩が今まで以上に重く痛くなっていました。「これはどうしたことであろうか?何か間違ったことがあるのだろうか?」と悩みましたが、朝拝で唱和させていただいている『るナ三訓』にある「怒るナ 威張るナ 早まるナ」の「早まるナ」を教えていただいているのではないか。浄化に御守護いただいた、もう治った、と。もっと養生しなければいけないのに早まって、あろうことか卓球をしてしまった。これが原因だ。このことを教えてくださっているのだ、と思わせていただきました。そして、メシヤ様に心から「お許しください」とお詫びさせていただきました。すると気分がとても楽になりました。また、この浄化をいただいたからには薬を止めることにいたしました。

四月三十日 夕拝の時、濵口さんに「足元がおかしい」と言われ“足が痛いわけではないのにな”と思いながら御浄霊をいただきました。その時は鼻の左側の奥でヒタヒタと冷たい物が流れ、カラカラの渇いた咳が頻繁に出だし、右足が小刻みにブルブルと震えだしました。

濵口さんから「頭の関係の御浄化だと思われるので大静脈、大動脈のあるお臍の両側をよく自己浄霊するように教えていただき、その夜は座っても寝ても痛いのでソファに腰掛けて自己浄霊し痛みに耐え続けました。深夜零時ごろお腹が鳴り出し、ゆるい便が出ました。尿は薬特有の臭いがしました。三時ごろやっとの思いで布団に入りましたが、寝返りが打てなくなりました。

五月一日 後ろの首全体が硬くなり、少しでも首を動かすと激痛が走ります。支部へ朝拝に行くのがとても辛かったがやっとの思いで御神前に座らせていただくと、何とも言えず気分が良く、この至福の時間をいただけるのであればどんな苦痛にも耐えて感謝に代えることができると思わせていただくことができました。

どうにかお風呂に入り、着替えができないので足だけを使ってやっと簡単なものを身に着けました。また、頭の中、首の中、こめかみの中に痛みを感じ、何も食べてないのに便が柔らかく、尿も臭いのが三回も出ました。

この日、夕拝を終え私に浄霊を取り次いでくださってから、濵口さんご夫婦は大分の本部へ参拝するため出発されました。

五月二日 浄霊をいただけなくなり、心細かったですが、夜電話で様子を聞いてくださり、大変嬉しく思いました。

そして、「体力がなくては浄化を乗り越えられないので、何か食べた方が良いですよ」とお話くださいました。何とかバナナ1本と牛乳1カップ食べることができました。夕方に真っ黒な便の塊と、粒々状の白いシリカゲルのようなものが大量に混じっている水状の便とが一緒に出ました。

五月三日 後頭部と首の痛みが熱感と共に和らいできました。しかし、肩が全体に痛み出しました。咳をすると響いて痛くなりました。

そして、左の腕と肩の苦痛が和らぎ右の方が左よりきつい状態となりました。臍の左右は腎臓を前から浄霊していることにもなるとお聞きしましたので、動かすことができるようになった左手で自己浄霊を徹底しました。

すると、痛みは右肩から腰に移っていきました。九州へ行っている濵口さんから毎晩電話で励ましていただき、経過を報告させていただきました。

濵口さんは、本部の御神体奉斎記念祭に参拝するため帰ってくるのが遅れるとのことでした。この夜は九州から遠隔浄霊をしてくださった、と後から聞きました。

五月四日 半日ほどで痛みが尾骶骨まで下りてきました。咳が出ても響いて痛むのが腰に移動しましたので耐えやすくなり、思いっきり出しました。すると、黄茶色の塊状の卵大の粘りのきついものが、ねじ切るようにして二個出ました。鼻からはマヨネーズ状のものが三回出ました。

「過去に大量に体内に入れた薬毒を浄化により色々なものに形を変えて体外へ出していただいているのでしょう」と教えていただき安心しました。

五月六日 午前中に九州から帰られた濵口さんが真っ先に訪ねてくださり、待ち望んでいた浄霊をいただくことができました。そして、自然米でお粥を作って持ってきてくださいました。ずっと食欲がなかったのですが、おいしくて二人前ほどあったのを完食でき力が付いてきたように感じました。でも、時々熱感があり、そのたびに掌と足の裏に床に付けば音のする水糊のような汗が出ました。

朝拝後、御浄霊をいただいた時に、「今日は御神前で休まれたらどうですか」と声を掛けてくださいました。左膝が痛み出し、歩くのも苦痛でしたが、孫に手を引かれて支部までの数十メートルを歩きました。

その夜、楳木先生に電話を取り次いでいただき、何をお話したかは覚えていないのですが、「薬は使っていない」と訴えていたように思います。以前の私でしたら手持ちの薬で症状を抑えてしまったと思いますが、今は素直に“浄化をいただこう”と心に決めている自分に驚きました。先生は「浄化が終わったら楽しみだね」と仰ってくださり、泣きたいやら安心やら本当に複雑な気持ちでした。

そして、支部にて濵口さんご夫婦から徹底的に御浄霊をいただきました。先生に浄霊の急所を聞いてくださり、脊髄と尾骶骨の交わったところを集中して御浄霊いただきました。

この夜は何日かぶりに深い眠りに付くことができ、ありがたく思いました。

翌早朝、濵口さんがマスクと手袋をされ御尊影、メシヤ観音様、メシヤ大黒天様、御神床を白布巾でで浄めておられ、神様に対する姿勢に心を打たれました。

そして、何とも不思議な光景を見させていただきました。向かいの窓から朝日が入り始め、やがて御神前まで届き、朝日の光と御神体のお文字が一体となって輝きだしたのです。

次に、御神体の黒の「ヽ」とその周りの白い部分の輪が浮き出て球体になり、その中心には瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まっておられる感じで、その球体の輪郭からパッパッと光が放射され音が聞こえてくるかのように噴出しているのです。やがて穏やかな細かな光の放射状となって輝きだしました。球体は水晶とか水ではなく空気か酸素の塊かと思えるような光景でした。

“今までにない素晴らしい御神体を私達の支部はいただいている。何と有難いことか”と思わせていただいた瞬間でした。

ふと気が付き頭髪を触ってみました。何とあんなに刺すように痛かったのが嘘のように消えていたのです。そして、出勤前の忙しい時間帯にもかかわらず、濵口さんから御浄霊をいただき本当に有難く思いました。朝食もお粥をご馳走になり、奥さんに家まで連れて帰っていただきました。

毎日支部の御神前でいただく朝夕の御浄霊により徐々に良くしていただきました。

五月九日 この日は月次祭で、参拝を楽しみにしていました。朝は上向きのままスーッと起き上がれました。右手の痛みもありません。しかし、左膝の裏の筋が動かす度にひきつって、折っても伸ばしても痛いのです。月次祭の参拝は椅子をお借りして御浄霊をいただきましたが、夕拝の時には頭をちゃんと下げられ正座までできるようになっていました。帰りには今までで一番軽く歩くことができました。

五月十三日 左の鼻から黒い塊と一筋の血が出ました。

五月十四日 卓球に行ったが、あまり疲れませんでした。

五月二十日 首、肩にニキビ状の出来物ができ、とても痒くなりました。現在ではこれも良くしていただきました。

今回の大浄化で、今まで何となくしか理解していなかった薬毒の恐ろしさを身を持って体験させていただきました。今から思えば、家の者に言えば救急車を呼ばれ病院へ行っていたことだろうと思います。近所の濵口さん宅が支部として活動を始めたこの時期にいただいた浄化だったからこそ、こうして薬を使わずに乗り越えることができたのだと思います。

最後になりましたが、一人でも大勢の人達が素晴らしい支部の御神前で御浄霊を受け、メシヤ様の厚き御守護を賜りますことを祈念させていただき御守護報告とさせていただきます。ありがとうございました。

指の切断を免れる

大分県 佐藤直美

5月2日午後5時頃、私の住む大分県日田市の救急病院から連絡が入りました。兄の怪我の知らせでした。

急いで病院へ駆けつけると、兄はぐったりとしており、周りには予想以上にたくさんの看護師さんがいました。その様子を見て、私は、ただごとではないと思いました。

兄は、仕事中に電動ノコギリに左手を巻き込んでしまい、人差し指と中指を大怪我していたのです。

医者は、「人差し指は、骨までざっくりと切断して、皮一枚で辛うじて指が繋がっている状態なので、今すぐ手術が必要である」と告げると共に、「しかし、かなり難しい手術が予想されるので、他の病院へ転送しなければならない」と告げました。

「宜しくお願いします」と言う暇もなく、日田市から福岡市まで救急車で転送されることになりました。私も救急車に同乗して浄霊をさせていただきつつ福岡市へ向うように考え、すぐさま、楳木先生へ電話を入れました。有難いことに連絡が取れまして、浄霊を取り次ぐ場所、心得を教えていただきました。そして、御守護お願いをさせていただくこともできました。

救急車で移動する間の一時間ほど、私は兄へ浄霊を取り次ぐことができました。

下の写真は、福岡の病院の医師が手術前に撮影した写真です。直視することができないほど無残な姿です。指先は皮一枚で繋がっている状態で、切断部分には切れた骨も見えています。

医師は、診察してすぐさま3つのことを告げました。

1.怪我の場合、5時間以内に手術をしなければ、黴菌が入っているので危険である。

2.簡単な手術ならば、40分程度で終わる。

3.骨、腱、静脈、皮を繋がなければならないような複雑な手術の場合、4時間前後を要する。

とにかく手術してみないことには判らないとのことでした。

手術が始まって1時間、2時間と時間が経てば経つほど心配でなりませんでしたが、待合室から壁越しに浄霊を続けました。結局、手術は4時間以上もかかりました。

1.予想通り骨、腱、静脈、皮、全てが切れていた。

2.骨はボルトで固定して繋げた。

3.静脈、腱は切り口がぐちゃぐちゃだったため、繋ぐことができなかった。

4.静脈は皮の部分にもあるので、壊死しない可能性も残っている。

5.もしも皮側の静脈がダメな場合には指先から黒く変色してしまうので、その場合は切断しなくてはならない。

6.不思議だったのは、人差し指が手術中も他の指と同じように赤みが消えなかった。

最後に添えられた言葉は、奇蹟を医者の言葉で伝えられているように思えました。

私は説明を受けてから、すぐに楳木先生へ報告しました。先生は「浄霊をすれば、静脈も腱も繋がるから、大変だろうが根気よく浄霊を取り次いでください」と言ってくださり、兄に似た事例で実際に浄霊で御守護いただいた内容を話してくださいました。

私は、「切断」だけは避けたいと考え、3日間泊り込みで浄霊を取り次ぎました。「浄霊!」「浄霊!」と自分に言い聞かせる日々でした。兄は、浄霊中「なんかポカポカして気持ちいい」と言っては、眠り続けました。

しかしながら、浄霊を続ける中でも“大丈夫かなー”という少しの不安や心配がひたひたと押し寄せたことも事実です。そんな時に先生は次のように仰って励ましてくださいました。

「今回の怪我は大変なものであったけれども、怪我をしてすぐに妹である直美さんへ連絡が付いた。また、日田の病院で手術ができなかったお蔭で福岡へ転送することになり、手術前に長時間の浄霊ができた。それが何事にも変え難い神様の御守護である。その経過こそ良い結果に繋がる証し。」

このお言葉に力をいただき、とことん浄霊を続けることができました。そして、一週間が経ち、医師から「大丈夫。切断はしなくて良い」と言われ、兄を支えてくれた全ての人は心底喜びました。

また、医者からは「リハビリに3ヶ月を要する」と言われていましたが、怪我から丸一ヶ月で職場復帰することができました。大変有難いことです。(下の写真は6月29日に撮影したものです。7月5日には爪が剥がれ、その下に奇麗な爪ができていた、との喜びの報告がありました。)

今迄、私達家族は浄霊でたくさん救われてきましたが、今回の兄の怪我は最初から全てを見ていただけに、まさに「奇蹟を眼の当たりにした」という表現がピッタリの御守護でした。心から感謝申し上げます。

大御神様、メシヤ様、そして楳木先生、本当にありがとうございました。

≪挨拶≫
『決意とそれに伴う行動』

メシヤ教代表 楳木和麿

「地上天国祭」おめでとうございます。

ただ今は、三人の方々から貴重な報告をいただきましたが、その真摯なお姿勢に感動いたしました。

本日の「地上天国祭」を迎えるに当たりまして、“メシヤ様の御決意によって『夜昼転換』の御神事が執り行われた”ことを皆さんに再確認していただきました。そして、その御決意を受けて、“私達の決意とそれに伴う行動によって地上天国建設は進むのである”と再認識していただきました。

決意の根底にあるものは火素の増量であります。火素の増量によって私達の日常生活に影響を及ぼすものは、浄化作用です。三千年間に亘る『夜の時代』で堆積した曇りの解消、そして薬毒をはじめとする毒素の排泄作用です。

その浄化作用について、最初に報告してくださった宇賀村龍佐さんが的確な表現を用いてくださいました。

「昔は、死を覚悟するほどの御浄化を家族がいただいたら、赤飯を炊いて祝ったものだ」という先輩の言葉です。この言葉こそ「地上天国祭」で最も認識せねばならない内容です。

今、まざまざと見させていただいている中村吉郎さんの「瘭疽」の浄化。これは今月の「メシヤ講座」でも取り上げさせていただいたように大病を未然に防いでくれる浄化作用です。一週間酷く痛んだでしょうが、先程まさに毒素排泄が始まりました。

今月「メシヤ講座」で紹介した写真とちょうど同じで、リアルタイムで毒素排泄の場面を目撃させてもらっています。ご本人はお辛かったことでしょうが、それを目撃した皆さん方にとっては大変有難い学びの機会です。

(下の写真は、一週間前から始まった瘭疽の浄化作用の様子で、祭典10分前から膿が出始めた時のもの。膿が出たために腫れが小さくなったところを山口県の百合野早苗さんが撮影し、提供してくれました。)

(中村さんは、10人乗りのレンタカーで近隣の方々と参拝していましたが、車を返却して「これで地上天国祭の全ての行事終了」となった瞬間に、上の写真にある緑色の膿が全て排泄。それで腫れもぺちゃんこになり元の指に戻り、浄化終了となりました。絵に描いたような浄化作用の過程で、同行者も感動した旨の報告がありました。素晴らしいの一語に尽きます。)

これこそが浄化を感謝で受け止めることができる内容です。

先程は「生涯のうちでこれ程写真を撮られたことはありません」と中村さんが言われたように、皆さんでフラッシュを浴びせ続けたのですが、正に典型的な浄化作用を目の当たりにしたのです。後でまた写真を撮らせてもらってください。(大笑い)

このように浄化作用を許された学びを共有させていただいた時に、今月配信した「メシヤ講座・特選集」の御論文をもう一度思い出していただきたいのです。

 『近代文化は根本が唯物主義の建前である以上偏重的で、唯心文化に対する反動的とも言えよう。』『一時的結果で物を決めようとする短見的考え方である。先を見ずしてホンの目先だけで決める。』

と述べられております。瘭疽は、三大疼痛の一つと言われている位に非常な痛みを伴います。痛いので“痛みをなくす”という方向で医療行為をします。痛み止め、あるいは切開するなどの治療です。このことをメシヤ様は『短見的考え方』による対症療法だとご指摘されているのです。

『大病になることを避けるための浄化作用である』ということが判れば、安心して痛みに耐えられます。そして、首肩と患部の指先を浄霊させていただきつつ毒素の排泄を待っていれば、先程皆さんが目撃しましたように、何処からともなく穴が開いて排泄が始まります。

中村さんは、今回の「メシヤ講座・特選集」を目にした時には、学びの一つではあるが他人事のように映ったようです。ところが、ご自身の身に降りかかり、『浄化作用の原理』が現実のものとなった訳です。浄化に直面した時に、メシヤ講座で学んでいたからこそ何の心配もなかったそうです。非常な痛みに耐えることができるだけでなく、感謝することができたのです。

私達がいただいている御教えというものは、『浄化作用は健康を許されてゆく神の愛なのだ』という、既成概念とは異なるものですが、私は浄化作用を最大の救いと受け止めております。皆さんには、それを踏まえて感謝の生活を許されてゆく、というような信仰を培っていただきたいのです。

そのことを身を以って報告していただいたのが三重県の喜多弘美さんです。喜多さんは日付を追って薬毒排泄の経過を報告していただいたので、大変判り易かったですね。

日付の中で、5月2日に「夕方に真っ黒な便の塊と、粒々状の白いシリカゲルのようなものが大量に混じっている水状の便とが一緒に出ました。」と言われました。薬種商を長年されていたからこその観察で、しかも排泄された薬の名前まで的確に捉えておられます。

このように各部が浄化しながら溶かされて、排便によって薬毒の排泄が許される。理想的な形です。そうしたことを許された経過が手に取るように判らせていただきました。しかしながら、喜多さんが述べられたような薬毒がズーッと身体に残留していると思うとゾッとしますね。

そして、このように有難くも辛い症状になる場合もある浄化作用を無事に乗り越えさせていただけるのも、喜多さんの報告の通り「三重支部が発会したからこそ」であります。今後も各地にこうした救いの場が許されてゆくように願っております。

ところで、実は私も地上天国祭を前にして大変浄められました。扁桃腺が腫れ、丸三日間何も喉を通すことができませんでした。唾液さえも呑み込むことができない、というのは初めての経験でした。声も出にくくなり、神戸、大阪、三重の方々へは大変ご迷惑をお掛けいたしました。また、ご心配いただきましたが、中村さんや喜多さん同様浄化作用の経過を見ていただいたのではないかと思います。

三日目、三重支部の月次祭が終了して早めにホテルへ入り浄霊をいただいていましたら、午後8時8分のことです。口に何やら溢れてきてので、ティッシュに吐き出してみると血膿でした。それから吐き出しても吐き出しても出て来て、ティシュボックスを全て使い終えたところで浄化終了いたしました。

パンパンに腫れていた扁桃腺が元通りになっており、牛乳があったので恐る恐る呑み込んでみると、スーッと入って、ものを飲み込むことの有難さをしみじみと感じました。

私の場合は、左から腫れ始め左頭頂部に熱と痛みがありましたので、腎臓、首肩、扁桃腺、左頭頂部を順に浄霊することを繰り返しました。血膿が全て排泄されると扁桃腺が楽になるだけでなく左頭頂部がスッキリいたしました。ここの毒素を排泄していただいたのだ、と判り感謝申し上げました。

御教えを知らなければ、喜多さんの報告にありましたように、救急車で病院へ送られることになってしまいます。私達は浄化作用の御教えをメシヤ様からいただいているが故に、安心して感謝して対応させていただくことができます。そして更なる健康を確保することができるのです。

そこで何故腎臓を浄霊しなければいけないか、ということですが―。先般からお話していますように、腎臓の中には約50kmの毛細血管があり、その中を血液を通して濾過しております。そして血液中の老廃物を尿として排泄して、血液の美しさを保っています。仮にその濾過能力が弱った時には、血圧を上昇させて濾過能力を補強しています。メシヤ講座で説明した通りです。

この腎臓と血圧の関係を先程抜粋して拝読した御教えに照らして考えた時に、現代医療の誤謬を理解することができます。

こうしたことから、どのような症状の場合でも腎臓の浄霊は大変重要なのです。この機会に認識しておいていただきたいと思います。

『自然治癒力』の向上

そうしたことを認識していただいた上で、もう一度佐藤直美さんの報告を振り返っていただきたいと思います。

まず、執刀医が術後に告げた言葉というのは、皮一枚で繋がっていた状態で時間が経過していたにもかかわらず「不思議だったのは、人差し指が手術中も他の指と同じように赤みが消えなかった。」というものです。

これは、会社で事故を起こし、先ず地元の病院へ運ばれ、更に救急車で1時間を要する病院へ運ばれ、再度診察を受けて手術というように長時間が経過しているからこそ出る言葉なのです。

私達には本来「自然治癒力」が具わっていますが、浄霊をいただくと更に治癒力が向上するのです。

現代人は、食生活の変質や生活に入り込んだ化学物質の影響を受けて、あるいは知らずに入れた薬毒のために自然治癒力が劣化しております。それが、浄霊をいただくと本来のところまで蘇ってくるのです。更には、それ以上に治癒力が発揮されてくるのです。それが、執刀医の言葉を導き出しているのです。切断を覚悟しなくてはならない状況の中でのことだからです。

私達が授かっている浄霊力の素晴らしいところです。

今月のメシヤ講座の中で、『病気が治ることは奇蹟というよりも、毒素排泄が終了すれば自然と治るのである』というお話をしました。また、自然治癒力が発揮されればどのようなことにも対応できることが本来の人間の身体である、ということが今月の御論文の主眼でした。もう一度確認していただければ有難く思います。

佐藤さんは浄霊の箇所を具体的に報告しませんでしたが、参考のためにお伝えしておきます。実は怪我をするということでは、参考になる研究があります。交通事故の原因の一つにアクセルとブレーキの踏み間違いがあり、どうして踏み間違えるかというものです。

高齢者の交通事故でよく耳にする原因です。大学生を対象にした実験でも、予期せぬ刺激が加わった場合には踏み間違いが生ずることもあるというのです。これには、あらゆることを想定して運転しなくてはいけないことは勿論であると共に、疲れとか油断とか集中力の欠如などが上げられますが、正確な結論が出ていません。

しかし、御教えに基づいて原因を求めるとすると、頭部の霊の曇りということになります。霊の曇りが発生していないならば、どのような場合でも的確な判断ができます。『微熱があると挨拶する向きがずれる・・・』というような記述の御教えがありますね。

ですから、緊急時には切断した指先を浄霊しますが、回復過程では頭部の浄霊が大切になるのです。何故かと言いますと、佐藤さんのお兄さんは慣れた作業工程の中で事故を起こし怪我をしているので、判断ミスを起こした原因である頭の曇りに向かって浄霊するということになるのです。しかも二度と事故を起こさないためには、主原因である頭部の霊の曇りを解消することが不可欠になるのです。

そして、指先の怪我ですので、腕の付け根を浄霊することも必要です。また、頭の曇りが発生する原因である生活全般に対する見直しと共に、体的な原因である首肩の凝り、それを引き起こす腎臓の機能低下への対応のために、それらの浄霊も欠かせません。

そうした部分の浄霊を繰り返すことにより、医者の当初の見立ての三ヶ月ということが短縮されて、わずか一ヶ月で職場復帰ができたのです。大変有難いことです。

『世論調査』から時代の精神を知る

三人の方々の報告を聞かせていただいて、もう一度私達のおかれている世情を見つめ直しますと「読売新聞」の世論調査が参考になります。

これによると「日本人の半数は“自分たちの宗教心は薄くなっている”と考えていることが明らかになった」と結論付けています。一方「自然におそれを抱く気持ちもなお強く、日々の暮らしでは“墓参り”“初詣で”などを宗教色を意識せずに受け入れている」としています。

これは「宗教を信じている」という人は30%に満たないものの、「先祖を敬う気持ちを持っているか?」に対しては94.0%が「持っている」と答えていることから、判断されたものと思います。また、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じるか?」に対しては56.3%が「ある」と答えています。

他方、前世や守護霊、オーラなど目に見えない霊的なものとのつながりによって心の安らぎを得る「スピリチュアル」に「ひかれるか?」については21%が「ひかれる」と答えています。中でも30代女性が32%「ひかれる」と答えているいうことです。

こうしたものから何を捉えてゆけば良いのか、ということを考えてみますと、大きくは三つのことが挙げられます。一つには、本来の宗教というものから各宗教団体が遠ざかった形で活動しているということと、日本人の中で宗教とは何かということを理解している人が少ないということが挙げられます。

そのために宗教団体の現状を嫌い、宗教団体を通してではなく自然の中に「偉大なる何者か」を感じるというような表現を用いて神様の存在を認識して人間形成を試みる人々もいます。あるいは、「スピリチュアル」に惹かれて魂の渇きを満たす人々もいます。

これらは霊的知識の不足によって起きている現象だと見られます。大きな要因は正しい霊的知識の不足にあるのです。幸いにして私達は御教えによってそれを得ておりますが、大半の方々は未だ触れたことがありません。御神業とは、それらを宣べ伝えることなのです。

それらのことを踏まえて宇賀村さんが報告でまとめられた「現在、世界の状況を見ても、ミャンマーのサイクロン、四川大地震、それから昨日の岩手宮城内陸地震等々、大浄化時代の様相を呈しております。これから浄霊を求めてくる人が増えてくることと思います。その時に際し、一人ひとり浄霊力を磨くべく、精進し、メシヤ様に求めてまいりたいと思います。」ということが大切になります。

昨日の岩手宮城内陸地震で被災された方々には慰める言葉も見つからないのですが、まずもって御見舞い申し上げます。今朝ほどのニュースで被災状況を映し出しておりましたが、山肌が幾重にも抉(えぐ)られたようになっている姿を見て、「限界集落」という言葉が脳裏に浮かびました。

「限界集落」ということから起きていることは鎮守の森を維持できなくなっている、ということです。氏神様のお宮を維持することができなくなっているのです。そうしたところが日本中で増えているということが、現代における問題となっています。大きな警告の面を感じさせます。日本社会が営々と守り築いてきたものが山肌の崩落と共に失われているように感じさせられます。私達が肝に銘じていなくてはいけないところであります。

そうした時に、私達のように信仰を持っている者は氏神様を大事にすることをもう一度認識しておいていただきたいと思います。

時代の精神を踏まえ有効的な御神業推進を

それから、「今の宗教団体について感じることは・・・」という問いに対して、「どういう活動をしているかわからない」と答えた人が47%です。また「人の不安をあおるなど強引な布教をする」が43%で、「高額なお布施や寄付を集めている」が36%です。この上位三項目は3年前から同じ(順位は変動)だということです。

これがまた何を意味するか、ということですが―。時代の精神の一つであるというように認識していただきたいと思います。また、宗教に対する嫌悪感、あるいは特定の団体に帰属することを避ける気持ちの根っ子にこうしたことがあるということです。

私達が“メシヤ様から授かっている救いの力と方法によって、大勢の人々を救わせていただきたい”と願い、活動させていただく時に、その決意やそれに伴う行動を阻むものがこの三つなのだということです。それを知っておいていただきたいのです。

私達が真摯な姿勢で浄霊を大勢の方々へ取り次ぎ、薬毒論を中心にして真理を宣べ伝える時に、停滞させる理由はこの三つなのだ、ということです。「活動が不透明だ」「強引に誘われるかもしれない」「多額の寄付を強要されるかもしれない」ということを相手方は何時も心中に秘めて警戒している、ということを心得ておいていただきたいのです。

そのことが判っておりませんと、せっかく浄霊力の行使に努め、御教えの取り次ぎに励んでも、有効に発揮できません。

もう一度ご自分の姿勢を顧みて、肩の力を抜いて御神業推進に取り組んでいただきたいのです。今日の祭典までに「決意」というものを皆さん方に確認していただきましたが、それが強くなれば強くなる程肩に力が入りがちです。力が入り過ぎると強引に映ってきますし、“あれだけ熱心だから後で何かくっついてくるのではないか”と警戒されますので、肩の力を抜いてどなたに対してもスッと浄霊を取り次いでいただきたいと思います。

そして、どなたに対しても春秋の気候のような柔らかい言葉で接していただき、「実は薬というものは大きな問題を抱えているのですよ」というように語り掛けていただきたいと思います。

薬毒と社会的要因が複合的になって生ずる問題としては、秋葉原の無差別殺傷事件が象徴的なものです。この事件については様々な論調が報じられました。身近なところでも、年配の方は“親が出てきてもあんな態度だから子供が事件を起こす”というような言い方をします。“あれだけの死傷者を出したのだから、土下座して謝らなければならないはずだ”ということを言います。最もなご意見です。

一方、“社会が起こしている問題なのだ”とする人もいます。実は小泉さんがやった構造改革は功罪両面ありまして、試みは良かったのですがアメリカ型の格差社会を持ち込んでしまいました。それがアメリカ社会の最大の問題を孕んでいるからです。

例えば、会社員になった青年を会社が責任を持って社会人としての教育をしてゆく、ということがかつての日本にはありました。仕事を通して人格を磨くということが成り立っていたのです。ところが、派遣社員となると派遣会社はそうした教育をしません。

それは、もともと派遣会社というのは、高度な知識と技能を有する人材を対象とするものだからです。それを、日本は製造業等の分野にまで持ち込み、コスト削減に使ってしまったのです。(6月18日付の全国紙に「派遣協会は自主的ルールを決めました。」という意見広告を掲載しましたが、労働者の利益確保にはまだまだ不十分の観を否めません。)

こうしたことを始めとする社会状況が問題を引き起こすんだ、ということが家庭教育の在り方の次に出てくる論調です。

それともう一つは、私達が主張している精神病ということです。今回警察関係、司法関係に詳しい方々は、「あれだけ計画的に行動しているので、心神喪失ということは問われない」という言い方をしていますが、人を殺すことにあれ程計画性を持つということこそが、そもそも精神異常者なのです。これは薬毒が形成する精神異常の典型だということです。

メシヤ様は昭和29年4月に大浄化に入られてから『最後の審判』の姿をお知りになり嗚咽されて悲しまれました。その一つの姿が今回の事件でしょう。メシヤ様は、すでに後人に警告を与えられているのです。

そしてその実態が自分達の目の前にさらされている、と受け止めるべきです。「かかる最後の審判の時に私達はメシヤ様と御縁をいただいているので、感謝しつつ使命を果してゆく」ということを再確認していただいて、本日の地上天国祭を終わらせていただきたいと思います。

今回の「メシヤ講座・特選集」掲載の御論文については、各地で触れませんでした。それは、本日確認させていただきたい、という願いからでした。一つには、メシヤ様は慈善事業的なことには手を出されませんでした。世界救世教は可笑しな方向へ変貌し始めてから、慈善事業的な社会活動へ手を染め始めました。そして宗教性をなくしてゆきました。考えておかねばならないことの一つです。

メシヤ様は、このことについて次のようにお述べになっておられます。

不幸な人を救う為、社会事業に一生懸命になっており、鳥の羽根募金や何やかやで金を集めているが、之も結構には違いないが、実は其(その)方法たるや根本を逸している。不幸な人が出るという事は、出るべくどこかに社会的欠陥があるからである。従って、その欠陥を無くしさへすればいいのである。それより以外根本的解決の方法はないが、現代人はそれにも気が付かない、之も対症療法と同様末梢的方法でしかない。

宗教というのは、この社会的欠陥をなくすということが使命なのであります。メシヤ様は、私達にこの最も大きな使命を自覚し、行動するように導かれているのです。

それから、次のようにも述べられています。

何よりも文化が進歩したと言い乍ら、到る処不幸に充ち満ちている。それらの原因である内面的欠陥、それを吾々は神様から、徹底的に知らされたのである。神様は一日も早く、一人でも多くの人に知らせ、目を醒(さま)させ、本当に幸福になる社会を作れという御思召(おぼしめし)である。そうして病人のない貧乏人のない。戦争などもない理想の世界を目的として進めと言われるのである。何と有難いではあるまいか。

このようにまとめられていますので、本日の意義ある地上天国祭でこのことを私達の心に留めて、絶えずそれに基づいて行動する決意というものを確認させていただき、本日の挨拶とさせていただきます。

本日は各地から大勢ご参集いただき、ありがとうございました。

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