メシヤ講座・特選集no.90(平成20年7月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
道理に従う

信仰の妙諦は、一言にして言えば、道理に従う事である。道理とは、道という字と理という字である。特に道という字程意義深いものはない。之を言霊学から言えば、ミは水であり、体であり、チは血であり霊である。又ミは女であり、チは男である。即ち陰と陽である。そうして文字から言えば、首に辶をかけている。首とは人体に例えれば、一番肝腎な道具である。手や足は斬られても生きているが、首を斬られたら生命はない。サラリーマンが職を失うのを馘を切られると言うのも面白い言葉である。その様な肝腎な文字に、辶をかけるのだから、之程意義深い文字はあるまい。

又、道とは一切に通じる事である。凡ゆる交通機関も、電波も、光線も、人間同志の往来も道によらぬものはない。日月星辰の運行と雖も一定の軌道即ち道がある。此(この)様に道とは一切の根本である、とすれば道に外れるという事は、如何に間違っているかが判るであろう。

次に、理とは言霊上ラ行であって、ラ行は螺旋と言う意味で、形で表わせば渦巻である。渦巻には中心があり、其(その)中心によって伸縮自在の活動を起す。即ち、左進右退なれば求心的となり、右進左退なれば遠心的となる。例えば本教の中心は箱根強羅であるが、強は五であり、火である。羅は渦巻であるから、火のポチが遠心的に拡がると言う意味になる。昔から在る巴の形は左進が右進になる意味で実に神秘である。又ラリルレロの言霊は龍神の働きであって、龍はリウである。動かない時は渦巻の形をする。何よりも面白い事は、名前にラリルレロの入った人には龍神型が多いから、試してみると判る。斯んな説明をするときりがないから、これだけにしておくが、次に理の文字を解釈すると王偏は天、中、地、火、水、土を経の棒で貫いている。ソナヘは里といふ字である。里とは田に土をかく、田は丸に十であり、土は十一即ち統一である、とすれば、理の意味は万有の基本的働きであり、完全という意味になる。天理教も良い名前である。良く理法という言葉があるが、序(ついで)だから法の字も解釈してみよう。法の言霊は、ホは火であり、オは水であるが、言霊学上オはホに含まれて了う。之はオの水によって火が燃え続ける意味である。又、文字は水を去るとかくが、之は水は緯へ流れるから乱れる憂いがある。従而、水の働きを去れば経となり、厳然たる不動の意味となる。法は犯すべからずと言う訳である。

以上の意味を総合すれば、道理の意味は判るであろう。此(この)様に大きくして意義深い文字であるから、人間は之に従わなければならないのである。故に道理は神であると言ってもいい。道理に従うと言う事は神に従う事である。人たるもの如何なる事があっても、道理を重んじ道理に従い道理に外れてはならないのである。

*     *     *     *     *

『御神体ご奉斎』特集

≪ご奉斎式後の報告≫

毒素排泄により腫瘍のシコリが消える

島根県 松本勝代

この度、私がいただきました大浄化、それと同時にいただきました御守護を報告させていただきます。

6月21日、我が家に御神体ご奉斎が許されました。

その二日前、19日の昼過ぎから身体中がだるくなり、夜は熱が38度7分まで上りました。そして翌20日の3時頃、トイレで大量の黒い便が出ました。その時は同時に吐き気もありましたので、“食べすぎかな?”“何か悪いものでも食べたのかな?”くらいに思っていました。

私は若い頃から胃腸が余り丈夫な方ではなく、下痢を度々しますので、余り気にしていませんでした。

ところが、朝になってから腹痛が酷くなり、身体中の力が抜ける感じがいたしました。食欲も全くなくなり朝食もいただけませんでした。ご奉斎の準備をはじめとしてやることは沢山ありますが、身体が思うように動きません。

また、トイレへは1~2時間おきに通い、早い時には30分おきの時もありました。青黒く、まるで“モズク”の様なドロンとした便(後でこれが薬毒と判りました)が出続けました。出る瞬間の下腹の痛さは言い表すことができません。

それでも何とか準備をせねばなりませんので、昼食は卵賭けご飯にして何とか流し込みました。

そして、ご奉斎式当日を迎えました。前日と同じ状態のために少し動いては座り、また少し動いては座り込んでいました。

ご奉斎準備のために早めに到着された楳木先生に、19日からの状態を報告申し上げますと、「それは神様の『愛』だから、苦しいでしょうが御神体ご奉斎を前に素晴らしいことです」と仰ってくださいました。そして「もし祭典の途中でも、トイレへ行きたくなったら何時でも行ってください」という、優しい言葉をいただきました。

御神体ご奉斎式は、厳粛な中に執り行われ、大勢の方々がご参拝くださり晴々しいものでした。参拝者の中にはご奉斎と共に「良い香りがしてくる」と言われる人もいらっしゃり、驚かされ喜び合いました。

祭典が無事に終わり直会に移りましたが、参拝者の皆さんがビックリされるくらい、いや私自身がビックリするくらいに痛みがピタリとなくなり、トイレにも一度も行きませんでした。

ところが参拝者の方が全員帰られてから、ものの二分もしないうちに再び前と同じ状態になりました。

思いますに、大御神様、メシヤ様は、祭典が無事に終わるまで事に当たることができるようにご配慮くださり、御守護くださったものと受け止めさせていただきました。

22日も同じで、腹痛と薬毒便で苦しみ、23日朝9時半頃に楳木先生にお電話をさせていただきました。そして「こんな少しずつ何日も続かず、短期間に大量に出してしまえば良いのに(一回の量は湯呑み一杯くらい)」と申し上げますと、「一度に沢山出ると命に関わるから、神様が少しずつ浄めてくださるのです」とのお言葉。そして、改めて浄霊の箇所と順序をお教えいただきました。

ところが不思議なことに、先生との電話の後、今まであれ程苦しかったのが嘘の様に楽になったのです。何と、お昼ご飯を普通に、いやそれ以上に、しかも美味しくいただくことができたのです。

“この五日間は何だったの?”と、夢を見ていたようでした。

しかもこのことを通して、私は多大な御守護をいただいたのです。

今年の3月に、甲状腺に水が溜まり、腫瘍ができていたのです。検査では良性でしたが、ピンポン玉を少し小さくしたようなシコリが喉の左側にありました。それが、気付いてみたら、何と全くなくなっていたのです。これには驚きました。

今まで神様の御用をろくにしていない私に対して、このような大愛をいただき、御守護をいただき、本当に感謝の限りです。浄化作用のことは知っていたつもりでしたが、余りの苦しさに音を上げそうな私に優しくご指導くださった楳木先生。「メシヤ教」に出会えたことをつくづく幸せに思いました。

本当にありがとうございました。

≪ご奉斎式挨拶≫
「母方の祖父がメシヤ様と御神縁を許された因縁と同じ浄化」

神奈川県 中村吉郎

皆様、本日は、お忙しい中、また、お暑い中、御神体ご奉斎式にご参列くださいまして、ありがとうございます。

また、今日の日を迎えるにあたりまして。数々のご指導、ご協力をいただきましたことを、心より感謝いたしております。

そもそも、広さこそ充分とはいえ、賃貸住宅であるこの部屋に御神体をご奉斎するなど、まだまだ早過ぎると考えておりましたが、この5月の12日、菅谷敬さんが見事な大黒様をお世話してくださり、それが我が家にご縁をいただくことになりました。その際、「御神体をご奉斎させていただいてこそ、大黒様にお働きいただける」というお話をいただき、御神体を申し込ませていただくことになりました。そして、仏壇の設えと立て続けに事が決ってまいりました。

また、御神体ご奉斎を決めてから地上天国祭までの一ヶ月に、大幅な部屋の模様替え(深夜帰宅、朝早く出勤する身としては、通常ではあり得ない程の家具の入れ替え、配置換えが短期間で行なわれました)と、右手親指の瘭疽(ひょうそ)の浄化をいただきました。

この瘭疽の浄化に関しては、メシヤ講座・特選集(平成20年6月分)に掲載されておりますが、付け加えますと、母方の祖父がメシヤ様とのご縁を許されるきっかけともなったのが、祖父の長男の右手親指の瘭疽の浄化でもあったのです。

当時医者によって切断された右手親指は、ご浄霊により、その後のびてきて、爪まで生えて来たという事実があります。これには非常に深い「因縁」を感じました。

私自身の今迄の人生は必ずしも順調と言えるものではなく、数々の失敗を繰り返し、かなりの遠回りをして現在の環境にようやく到達いたしましたが、「おひかり」がなくてもひたすらご浄霊を信じ、薬には絶対に頼らない生き方を通して参りました。

その結果、昨年初頭には、これからの生き方として、「薬毒を説くこと」「自然農法栽培を広めること」「ご浄霊を取り次ぐこと」が最も重要な三本柱になることを確信し、その後、諸々の経緯があって、本日お集りくださった方々とのご縁、仕事を含めた現在の環境、そして本日の御神体ご奉斎を許されました。

この環境に感謝を忘れず、本日仏壇をお祀りしたということもあり、現在この世に生きている我が身を遥か太古からの祖先の氷山の一角であるという認識の元に、先代とつながり、今後の取り組みを続けて行こうと考えております。

皆様、本日は本当にありがとうございました。

≪解説≫
胸に迫る『いよいよの時』

メシヤ教代表 楳木和麿

御神体ご奉斎に関する御守護報告は、枚挙に暇がありません。その報告に接するたびに、『因縁使命』ということを重く受け止めてまいりました。今回ご紹介したお二方の報告からも、より深く受け止めることができます。

お二方の報告に触れる前に、前回の「メシヤ講座・特選集」に収録した三重県の喜多弘美さんの報告を思い出していただきたいのです。少し引用いたします。

「そして、何とも不思議な光景を見させていただきました。向かいの窓から朝日が入り始め、やがて御神前まで届き、朝日の光と御神体のお文字が一体となって輝きだしたのです。

次に、御神体の黒の「ヽ」とその周りの白い部分の輪が浮き出て球体になり、その中心には瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まっておられる感じで、その球体の輪郭からパッパッと光が放射され音が聞こえてくるかのように噴出しているのです。やがて穏やかな細かな光の放射状となって輝きだしました。球体は水晶とか水ではなく空気か酸素の塊かと思えるような光景でした。

“今までにない素晴らしい御神体を私達の支部はいただいている。何と有難いことか”と思わせていただいた瞬間でした。」

御神体の御光を拝する現象の報告も、御守護報告同様数多く寄せられております。「文字が周囲に飛ぶように見えます。」「文字が段々金色になって見えます。」「御神体のお軸そのものを取り巻くように光の輪郭が見えます」等々です。

中でも、喜多さんの報告での内容は御神体からの御光を表現する上で“名文”と評したい程判りやすいものです。しかも、御光の本質が火素の象徴の如く迫ってきます。

御光が見えたから素晴らしく、見えないから素晴らしくないというものではありません。様々な要因や使命があって拝することがあります。大切なことは、何方かが拝することを許された場合、それを見聞きした人の共通の学びにさせていただきたい、ということです。

私達共通の学びとして受け止め、日々ご参拝する際に、“人によって御光の肉眼での拝し方は異なるが、絶えず燦々と御光を賜っている”と受け止めていただき、「信仰読本」に記してあるご参拝の姿勢を再確認していただければ、幸甚です。

松本勝代さんの報告から

松本勝代さんとの出会いは昨年でした。それまでご夫婦で天聖真美会に所属されていたのですが、「メシヤ講座」への参加を重ねているうちに、御教え通りに信仰のあり方を整えたいというお気持ちを持たれるようになりました。

ご家庭を訪れて驚いたことは、母屋に立派な御床があるのに、わざわざ離れの二階に神床を作り御神体を奉斎していることでした。また、先祖から代々続いている仏壇にある位牌をそのままに、みたまやを祀らせられているという現実でした。御神業と称して形だけを進めることに専念して、御教えに沿った本来の救いを行使していない現実を目の当たりにしたのです。

御神体やみたまやについてはご夫婦のお気持ちに任せるとして、仏壇の位牌は御教えに沿って整えることが大切です。そこで、他界後五十年を過ぎたご先祖は先祖代々の位牌を設えて遷霊し、五十年に満たない柱の位牌を残し、遷霊した柱の位牌はご処置することをお勧めいたしました。

ご夫婦は御教えをよく理解して、仏壇のあり方を整えることにしました。厳かに祭事を執り行い、素晴らしい佇まいになりました。

それ以後の「メシヤ講座」では、他の参加者と共に核心に迫る質問が相次ぎました。「天聖真美会の御神体には引首印や落款が何故ないのか」という質問には、こちらが聞きたいくらいなので困りました。しかし、御教えを求める姿勢の中での学びを通して、あるいは取り巻く状況に対処するために御神体ご奉斎のお気持ちを固められました。

その背景には、ご先祖の切なる思いがあったように感じずにはおれません。何故なら、ご主人は天聖真美会で建設的な意見を具申し続けたにもかかわらず取り入れてはもらえず、メシヤ教に対しても慎重な姿勢を持たざるを得なかったからでした。

そして、ご奉斎を許される前後から報告のような奥さんの症状が起き、腫瘍のシコリが消えるという御守護をいただかれたのです。神様の深い愛を感じさせていただきました。

松本さん宅に御神体ご奉斎が許されることにより、島根の地で継続して「メシヤ講座」が開催できるようになりました。学びの場が提供され、新たな人々が浄霊力を身につける機会を許されております。

大変有り難く、そして素晴らしいことです。

中村吉郎さんの報告から

中村吉郎さんのタイトルには「母方の祖父」という表記を用いて、その御名は明記しないように打ち合わせいたした。それは、判る方には判ることであり、「偉大なる先達の名を布教に利用するように受け取られても面白くない」という観点から、御名は口頭ないしお問い合わせに対してのみでお伝えすることにいたしました。

しかし、大本教時代からメシヤ様と御神業を共にされた方であることは周知の通りです。

そして、驚かされたのは、ご奉斎式の中で「母方の祖父がメシヤ様とのご縁を許されるきっかけともなったのが、祖父の長男の右手親指の瘭疽の浄化でもあったのです」というお話を耳にした時でした。神様の大きく深い愛と厳格なる因縁使命というものを痛感したのです。

医者によって切断されたご長男(叔父)の指がメシヤ様の御力により伸びてきて爪まで生えてきたことを眼の当たりにして、「この御方(メシヤ様)は尋常な人ではない、いやこの御方こそ神様に違いない」と受け止め、その後の生涯を捧げられたのです。

中村さんが、御神体ご奉斎を決められ、仏壇の設えをする準備に取り掛かってから瘭疽の浄化をいただいたということにこそ、因縁使命を感じざるを得ないのです。厳粛な気持ちにさせられました。

また、挨拶の中には大切な事柄があります。まず、大黒様が届く段取りが整う際に「御神体をご奉斎してこそ、大黒様が存分に働ける」という旨の話を聞くことができ、即座に「なるほど」とご奉斎の時期を得心して御神体を申し込まれるという信仰姿勢です。

次に、先達が歩まれたように、何はさておきご先祖を祀らせていただくお気持ちになり、仏壇設置を思い立たれました。しかも、“ご先祖を祀るからには、御教えに沿ったあり方で執り行ないたい”と考えられました。

こうして瞬く間に整えられてゆく様を見て、私は背後で働かれるご先祖のお導きを強く感じました。そして、お世話させていただく折に口にさせていただく『因縁の人が因縁の人をお救いする』『因縁使命を自覚できるように』『必要な時に必要なように人の口によって神様から聞かされる』ということが、次々と脳裏に浮かんだのです。

さらに、ご奉斎式の後日に「御神体、大黒様、仏壇と立て続けにお許しいただいてからというもの、日々小さいことから大きなことまで感謝すべき奇蹟の連続です。無理に我を通さずとも、成すべき事に取り組んでいれば、日常が全て良い方向に動いて行く様に感じられます。」という御礼のメールをいただきました。事を成す時に御神体をお迎えして進むことがどれ程有難いことなのか、意義深いことなのか、を実感されていることがよく判ります。

『いよいよの時、・・・』というお言葉が胸に迫る

最近の御神業推進の中で、御在世当時の出来事を髣髴させる場面に度々出くわします。信徒の皆さんが取り組まれる内容といただかれる御守護を通して、取り組ませていただいている内容の確かさをヒシヒシと感じさせていただきます。

それは「地上天国祭」を執り行わせていただいた際に極に達して、更に前進するように感じ、今回の報告を読ませていただいた際には『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。』というお言葉が、胸に迫ってまいります。

それがどのように今後の御神業に繋がるか、ということを考えた時に、前回収録の宇賀村龍佐さんの報告が参考になります。

宇賀村さん報告の中で紹介された書籍のうち「病気にならない人は知っている(ケヴィン・トルドー著、黒田眞知訳、幻冬舎)」は読んでいなかったので、早速取り寄せてみました。

「アメリカを救う」という御論文をもう一度拝読し直す機会をもたらす内容です。現代のアメリカの現状を憂う内容で、訳者が「医療界、食品業界、個々人が直面している危険な状況は、日本においてもほとんど同じと考えてもよいのではないか。その意味で、本書を対岸の火事として読むことは決して許されない。」と述べているように衝撃的な内容が随所に出てまいります。

メシヤ様の御論文をアメリカ人の見地から立証するかのような語り口の書籍とも述べることができます。著書の中で取り上げている内容の中には、腎臓に関する記述が見当たらないなど賛同しかねる箇所や判断が難しい所見もありますが、参考になる内容も出てまいります。

取り分け「薬を飲めば飲むほどあなたは病気になる。」と結論付けている箇所は誰もが得心することでしょう。少し引用します。

「毒素とは何か? 実は私たちが知らずに食べているものほとんどすべてに、毒素は含まれている。そしてこれが一番大事な点だが、みなさんが体内に取り込む毒素の大半、そしてほぼすべての病気の原因は処方薬及び市販薬だ。

なぜだろうか? それはあらゆる薬には副作用があるからだ。薬は症状を抑えるだけで原因には働きかけない。ある症状を抑えるために一つの薬を飲めば、その薬が別の症状を引き起こす。その症状を抑えるために別の薬を処方され、それがまた次の症状を引き起こす。これは製薬会社にとってはすばらしい仕組みだ。」

このように理解しやすいように記述されています。この機会に是非一度お読みいただくことをお勧めいたします。

そして、メシヤ様が『世界に知らせよ薬禍薬害』と警鐘を鳴らされたように、世界は危険な状況に直面しております。そこへ救いの手を差し伸べねばなりません。今こそ、学びを深めつつ、実践に努める時なのです。そこで、幾つか整理しておかねばならないことを課題提起をしておきたい、と思います。

マスコミ関係者へのメシヤ様のご解答からの課題

昭和27年6月22日にフランス「パリ・マッチ」誌主筆のレイモン・カルティエ氏とご面会したメシヤ様は、「もしも(メシヤ様が)後においでにならなくなりましたら、跡は。」という質問に対して『私が生きているうちに、世界をその必要がないくらいにしますからね』とお答えなっておられます。

また、世界への「バイブル」として『文明の創造』を準備している旨のご解答を添えておられます。

また、同年10月4日に読売新聞科学部次長の為郷恒淳氏にご面会されています。ここでも同様の質問を受けられているのですが、「信仰読本」に記してあるようなご解答をされております。そのご解答の後に、次のようにお述べになっています。

『病気の原因というのは薬ですから、体から薬を抜けば病気は起らないのです。薬を出す作用が病気です。これで(浄霊で)やっても、すっかり取るということはできませんが、だいたい取るには二、三十年かかります。ふつうでは何十年かかるかわかりません。ですからこうやる(浄霊)のは薬を取る方法です。それを知らないで、いまみんな薬を服(の)んでますが危ない話です。そこで薬によって病人を作っているのですが、一面、薬ということもやはり必要があって神様が作ってあるのです。これは今度の本「文明の創造」にみんな書きますからそれを読んでください。』

ここでも、『文明の創造』をお口にされております。内外に強く宣せられたのです。また、お言葉中にある薬を取る期間は『薬毒五十年』という御教えと関連して薬毒論に対する解釈はどうあらねばならないのか、を考えさせられます。

一方、今回学んだ『因縁使命』ということについては、神代の時代のことに関連付けて述べられることが多いのですが、このことに対する見識をしっかり持っていないと、真理の御教えを手にしていても低級霊に惑わされてしまうことがあります。

また、世界救世教の「大経綸」で、メシヤ様の“御神格を確定”というような表現を用いております。御神格は御在世中に決っているのです。それを人間の方で“確定”するというようなことが、取り違いなのです。しかも、現実面は曖昧な取り組みのままです。

こうした、次々と耳目に届く内容に対して解釈をしっかりと持っていないと、『因縁使命』のことを明確に判ることはできません。その点について8月度のメシヤ講座で言及したいと考えます。
[print_link]

 

Print Friendly, PDF & Email