メシヤ講座・特選集no.98(平成21年3月分)

<メシヤ様対談記・7>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)

フランスのパリ・マッチ誌主筆

レモン・カルティユ氏夫妻と御対談
(栄百六十四号 昭和27年7月9日)

昭和二十七年六月二十二日、此日御引見の間に用意された神山荘(神仙郷内)の応接間は恰(あたか)も箱根大渓谷の樹海に乗り出した船橋の如き雄大な感じのする御部屋であった。

午後二時、フランスで一番大きいパリ・マッチ誌の主筆レモン・カルティユ氏夫妻、通訳の労を執られた外務省情報文化局々員、田付たつ子女史(信者)外随員一名、阿部執事、木原常任理事、長村長生中教会長、末席の記者等二名、一同静粛裡にお待ち申し上げる事数分、明主様(メシヤ様)には御簡素な羽織を召されて御出ましになり、御挨拶を終えて一同着座する。和やかな光を含んだ空気が漂う様な感じがする。以下御対談の模様を速記によって信徒の皆様にお伝えする次第であります。

私の目的は地上天国の建設

カ氏 「お忙しい処を態々(わざわざ)御出下さいまして非常に恐縮で御座います。御会いして色々承って少しは自分達も良くなるだろうと希望を持って居ります。それで殊に悲しいのは直接にお話出来ない事です」

明主様(メシヤ様) 「そうです―何時か新聞にフランスの方で、日本美術を非常に研究しているという事が出てましたが、此方は・・・」

田付女史 「此方はフランスで一番大きな雑誌の主筆で東南アジアとか―世界中を廻って戦後の視察をして参り、日本を最後に終えて帰られる事になっています。美術という事では非常に興味を持って居られます」

カ氏 「国際情勢とか何ういう国で何ういう事が起ったかという事を目で見てそれを紹介したい。殊に日本は変わっているので―特に印度で『日本は宗教的に変った』という事を聞いて居ります」

明主様(メシヤ様) 「私の目的を一応お話しし度いと思います。私は天然の美と人工の美をタイアップさせた、一つの理想的な芸術品を造る目的でやっているんです。美術ばかりなく―美術は人工の美です。人間がやるものですね。あとは天然の美ですね。で箱根で一番景色の良い中央に、見られる通りの庭園を造ったんです。之が小規模な地上天国です。地上天国とは芸術郷―そういったものです」

カ氏 「美術館は未だ拝見しませんが、自然の美という事に於ては、私は此様な美しいものを見た事がありません」

明主様(メシヤ様) 「つまり、私は宗教家ですが、今迄の難行苦行や、苦しみに依って救うのではなくて、反対に楽しみに依って救おうという、そういう意味に於て宗教に芸術は最も必要だという考え方です」

メシヤ教はどうして発展したか

カ氏 「兎に角(とにかく)、一つの御教えを弘めて居らっしゃって、それに就いて随分信者さんも多い様ですが、御自分の御教え通りに御教えが弘がって行くでしょうか。未だ思召している様に早くは―」

明主様(メシヤ様) 「いや、思ったより以上に発展しています」

カ氏 「日本国中丈でしょうか。それとも、又日本外にも―」

明主様(メシヤ様) 「私の狙い処は世界なんです。それで、近頃段々アメリカからハワイなんかに弘がっているが―ハワイは未だ日本人丈ですが私の狙う処は世界の各国の人ですね。世界でも、兎に角(とにかく)文化の高い国から先に解らせ様と思う。そうすと、文化の低い国は自然に解りますからね。アメリカとかフランスとかイギリスとかそういう文化の高い処に之から宣伝に著手する訳です」

カ氏 「その希望をお達しになる迄に、何ういう方法を今お取りになりますので―」

明主様(メシヤ様) 「今、一番私の発展した動機は―何しろ発展の早いのは、宗教史上例がないでしょう。というのは二十二年八月から、ですから、三、四、五、六、七と、今年の八月で始めてから五年です。五年で三十万以上の信者があります。それで日に月にどんどん発展して行きます。何んだというと病気が治る事です」

カ氏 「アメリカにも病気を癒す事が出来るお弟子さんがお有りになりますので―」

明主様(メシヤ様) 「あります」

カ氏 「アメリカ人で―」

明主様(メシヤ様) 「アメリカ人にもあります」

カ氏 「やっぱり、そのアメリカ人はこちらで治して戴いて―」

明主様(メシヤ様) 「そうです」

カ氏 「病気を癒すという事は、神様があなたに授けて下さった御力で―それとも―」

明主様(メシヤ様) 「神様です。神様が居て病気を治される。仮りに頭が痛いという処を私が斯(こ)う(御浄霊)やると治っちゃう」

カ氏 「みんなお弟子さんにも・・・・・・」

明主様(メシヤ様) 「ですから、弟子に御守を上げます。御守を首にかけますと私の身体から御守に、霊線―光の繋がり―それは目に見えないが其(その)人の身体から一種の光が出て、それで病気が治る。光を見る人は沢山あります」

カ氏 「其(その)御守様を拝見する事が出来るでしょうか」

明主様(メシヤ様) 「見せてあげます」(阿部執事が御守様を開いてお見せになる)

カ氏 「癒す御力というものがお有りになると同時に例えば頭を痛くする事もお出来になりますので」

明主様(メシヤ様) 「出来ません。之は何処(どこ)迄も善ですから―痛めるのは悪です。苦痛ですからね。但し、痛みを取る為に一時痛む場合もあります。それは浄化作用です」

カ氏 「何ういう修行を致しましたら御守を戴いて人を治せる様に―」

明主様(メシヤ様) 「修行は要らないです。只、三日とか五日―教修という、話を聞く丈で御守をかけたら治るんです」

カ氏 「神様のお告げという事に確信を持たなければならないのでー」

明主様(メシヤ様) 「持たなくても良いです。最初から疑っても良いです。疑り抜いても良いんです。最初から疑わないという事は、己を偽るんです。何んにも信じられないものを、信じろというのは自己欺瞞ですからね。自力はないんです。神様の御力を与えられるんです」

カ氏 「それでは、あなたが之ならば大丈夫、斯(こ)ういう事が出来ると御判断なされば御守をいただけるので―」

明主様(メシヤ様) 「全然そんな事はないです」

カ氏 「お告げを何ういう形でお受けになられたのでしょうか―」

明主様(メシヤ様) 「お告げなんて面倒な事は要らないです。神様が何かやろうという事は直接私に分りますからね」

カ氏 「形もなしで―」

明主様(メシヤ様) 「私が感じますね、それは病気の事ですか」

カ氏 「いいえ、神様がおうつりになったという、それが何ういう形で―」

明主様(メシヤ様) 「一番最初は神様が私に憑(かか)ったんです。神憑りというんですね。その内に、私の此処(ここ・御腹)に神様が入って居るんです。日本語で言うと神人合一というものですね。神と人と一致して了(しま)うんです」

世界を天国に

カ氏 「今居られます時は宜敷いですが、若しも後にお出にならなくなりましたら、跡は―」

明主様(メシヤ様) 「私が居なくなれば必要がないんです。というのは、私が生きて居る内に、世界をその必要がない位にしますからね」

カ氏 「斯(こ)ういう事で御座いましょうか。キリスト教ならキリストが亡くなって、つまり教会はずっとのこっていますが、そうでなく在世中に全部なさって後はそれを司って行く教会とか教えは必要ないので―」

明主様(メシヤ様) 「必要ないです。それは何ういう訳かというと、私は世界中の病人を無くするんです。世界から病気を無くするんです。病気を無くするという事は、病気が無くなれば悪人がなくなるんです。悪人というのはみんな病人なんです。悪人が無くなるから宗教の必要がなくなるんです」

カ氏 「だから、御在世中に世の中から病気を無くするというので―」

明主様(メシヤ様) 「そうです。というのは、病気は原因があるんです。それは今迄は人類は、病気の原因というものを間違っていた。ですから私が、その原因を明かしますからね。私はそこで今本を書いていますが、之を世界中に配ります」

カ氏 「病気というものが無くなります―という事になりますと、死というものが非常に遠いものになって了(しま)いますので―」

明主様(メシヤ様) 「そうです。人間はみんな百歳以上生きるんです」(後半部は次号)

≪所感≫
新しい御神業に着手して

メシヤ教代表 楳木和麿

WBC連覇、「GINGER」創刊に見る時代の精神と時代苦

日本中が不況一色で極度の閉塞感に包まれていますが、WBCでの日本チーム二連覇がその暗雲を吹き払うような気分にしてくれました。

様々な解説が耳目を賑わしましたが、当初酷評されていた原辰徳監督に注目したいと思います。スーパーヒーローではないと言うと失礼ですが、オリンピックで惨敗したことが契機となり重責を担うことになりました。傀儡(かいらい)政権の如く揶揄され、「原では連覇は無理」と囁(ささや)かれていました。

しかし貫く考え方があり、様々な布石を打っていたことが功を奏し、決勝戦で韓国に流れが傾きかけるところをレフトの好守備により阻み、また、決勝戦はもとより各試合で新旧日本人大リーガー達の持ち味を発揮させました。全てを活かすことと選手達への信頼が大切であることを印象付けました。

ともすると、不況から来る鬱憤(うっぷん)の捌(は)け口を、人の失策に求めるものです。その点において、連覇したことによって、日本にそうしたマイナスの心言行の渦が起こらなくて良かったと安堵しています。

これは、ホンダのインサイト(ハイブリットカー)が“販売台数1万8千台突破(発売一か月間)”の報道と併せて、日本中に明るさを齎(もたら)そうとしてくれています。プリウスは国費を注ぎ込んだ上での製品ですので、これから本来の“善き競争”が展開されるものと期待されます。日本の現状は厳しく映るでしょうが、本来の在り方にシフトされていることを痛感します。

また、不況の煽(あお)りから数々の雑誌が廃刊に追い込まれる中、女性誌「GINGER(ジンジャー・幻冬舎)」が鳴り物入りで創刊されました。そのトップページに

【日々実感できる世界不況、目前の問題になってきた地球環境の危機、あいかわらず24時間流れこんでくる価値があるのかないのか分からないさまざまな情報・・・。毎日小さな楽しいことは起こるけれど、すごく不安になったり、急に自信がなくなったり。一人の女子レベルでも、「時代の変化」は痛感できる。今、私たちにとって、きっといちばん大切なのは、「自分スタイル」を見つめなおすこと。ファッションやヘアメイクだけでなく、考え方や生き方にしても。自分らしく、心地よく、丁寧に、かっこよく。今よりもっと素敵な自分に、自信を持てる自分に。必要なのは、モノの情報ではなく、「自分スタイル」を作る手がかり。見た目作りのためのアイデアやイメージ、もっとHAPPYになっていくための知恵や人間力、印象力。新しい時代を泳ぎ切っていく大人になった“女の子”たちへ、GINGER創刊。】

と記してあります。勿論レイアウトは、適度な改行により見栄え良くしてあります。

発刊するに際しては、現代の30代女性について“何時も何かしらの不安をかかえている”しかし“何事にも努力していこうとしている”という認識の下に創刊の準備を重ねたようです。連載に茂木健一郎氏や佐藤優氏を登用していることなどからも、その意気込みを感じさせます。

さて、この文章を読むと、編集者は時代の精神をよく分析していることが解ります。そして、そうであるからこそ、この文章の内容に最後の審判の型を見い出すことができるのです。「価値があるのかないのか分からないさまざまな情報・・・」が象徴的な表現であり、「すごく不安になったり」は現代人の精神性を良く現わしています。

巷間よく使われている「トラウマ」などは、弱点の意味付けとしては都合が良い言葉ですが、自らが進んで精神を患う方向へ導いていることになり、精神の不安定化を促進しています。専門用語に酔い、しかも引きずるところが昨今の日本人にはあります。

また、「自分スタイル」を謳う点は、ともすると「GINGER(ジンジャー)」自体が更に“個”を重視させてしまいます。執筆者の陣容を見ると、意識付けの提案になると思われますが、結果的に不安を煽ることにならないように願っています。

そんなことをつい願ってしまうほど、現代は御教えにある『混沌として帰趨(きすう)を知らず』という時代です。だからこそ、人々は真理を求めているとも痛感させられます。また、私達が時代を救うためにどうあらねばならないか、とも考えさせられます。

やはり、メシヤ様御造営の三大聖地を所管している世界救世(きゅうせい)教にしっかりしてもらい、本来の役割を担っていただくために、働き掛けを強めてゆかねばならないと考えるところです。

一方それだけでは間に合わないかもしれない分、未だメシヤ様の御存在を知らない方々へ発信をしてゆかねばなりません。

2.全御論文、全問答形式の御教え、全詩歌を提供

これまで様々な出版企画があり、模索を重ねましたが、時代苦、時代の精神を見つめる中で、根本の御教えを全公開することこそが肝要だと思うに至りました。当然と言えば当然なのですが、いづのめ教団で「岡田茂吉全集」のCD-R(仮)製作計画が進行中という情報を得ていましたので、様子を見ていました。

しかし、教団内で揉め事が絶えない様子なので、協力者の尽力を得て、私共で全御論文、全問答形式の御教え、全詩歌を提供する運びとなりました。

当初一年ほどの作業期間が必要だと目論んでいましたが、担当者諸兄の奮闘によりかなり早い時期にDVDとして実現できるものと思われます。

「岡田茂吉全集」のCD-Rは、識者の著作権や編集権など販売するには支障を内包していましたので、今日までは入会者に限定して、しかもご下附扱いにしてきました。しかし、独自に製作いたしますので、今後は信者未信者を問わずお分けすることができます。しかも、全てに検索ができる機能を持たせますので、膨大な御教えの中から必要なところを瞬時に探し出すことができるようになります。何と素晴らしいことでしょう。今からワクワクします。

勿論、入会者に限り既にCD-Rをお持ちの方には、無償提供いたします。

これにより多くの方がメシヤ様のご精神を求めることができ、魂の糧を得ることができるようになります。また、従来から提起しています教論律の確立に向けて、各自が更なる作業に取り組むことができるようになります。

幸い、3月度に各地で開催した「メシヤ講座」の内容からは、各支部で独自性をもって紹介してくれることになりました。まずは、三重支部に続いて浜松支部のホームページが開設されました。これにより、「メシヤ講座・特選集」としてダイジェスト版を作成しなくとも、どのような学び合いが各地で展開されているのかを確認していただけることとなりました。大変有り難いことです。

初めてメシヤ様の御教えに触れる方や宗教に触れたことのない方には、かえって解り易く、参考にしていただけるのではないかと考えています。当然のことながら、他地区での質問内容や参加者の関心をも知ることができます。より幅広く、共時性を持って進むことができます。

更には、『医学革命』に繋がるコンテンツとして「医学的な基礎知識」(仮称)ページの製作に着手しました。担当者諸兄が医学博士の指示を仰ぎつつ、奮闘しています。これも大変楽しみなことです。

このように心ある人々の尽力により、メシヤ様が御神業の根幹として進められようとした『宗教改革』『医学革命』を継承し、より発展的に展開できるものと確信いたします。

3.第二次宗教ブームとメシヤ様のご姿勢

さて、前回掲載の対談記を拝読させていただき、その中からよく理解していただきたいことがあります。既に三重支部浜松支部の「メシヤ講座」で目に触れていることとは思いますが、重要なところですのでご説明いたします。

この御対談が行われた昭和27年6月15日は、箱根神仙郷の完成した日です。地上天国祭の原点になる日に、御対談相手が宗教学の専門家であるということに深い意味があります。

だからこそ、宗教学的見地から対談記の内容を検証しておく必要があるのです。また、メシヤ様がお答えになっている内容は、短い文章ではありますが御心の結晶体のようなものですので、私達にとって大変解り易いものです。そうした双方の意味で、今回の拝読には大きな意義があります。

まず、終戦前には数百人しかいなかった信者が数年で3~40万人の信者が活躍するようになったという点です。信教の自由が許されていない時代には民間療法的な運動を進めておられ、それ故に宗教としての活動になっていなかったようです。

信教の自由が認められ、昭和22年に「日本観音教団」、同23年に「日本五六七教会」が設立されましたが、この時もメシヤ様は両教団の顧問というお立場で表舞台には立たれておられません。やっと教主として表に立たれたのが昭和25年2月4日のことです。ご承知のように「世界救世(メシヤ)教」を開教した時です。

ところが三ヵ月後、御法難に見舞われ、中々表舞台に立つことができ辛い状況が続くのです。そうした呻吟難苦の末に箱根神仙郷が完成したのであり、この御対談に繋がっているのです。

また、第二次世界大戦後かなりの宗教が発展しましたが、この現象は第二次宗教ブームと呼ばれております。この時点で発展した宗教の特徴は先祖供養に励んだということです。戦死者が遺族の夢枕に立つことが多く、しかも遺骨として渡されたものの多くは石ころや衣服の端切れなどでした。遺族は戦時中は尊ばれましたが、戦犯が問われ始めると複雑な思いに苛(さいな)まれます。そして何より戦死者の成仏を願ったのです。

そうした思いを救ったのが幾多の先祖供養宗教だったのです。

そこへゆくと、メシヤ様は戦死者の救いについて随所で解説をされていますが、一方で『仏のことは仏に任せろ』と仰って現実的な救いを展開されました。対談記中で『戦後の混乱せる人心に最も強く光明を与えた』と仰っている通りです。

「少年H(講談社)」の作者である妹尾河童(せのおかっぱ)氏は「学校で“民主主義”とは?」と尋ねると、当時の教師は「今までと180度違うことをやることだ」と答えた、と語っています。何と乱暴な解説でしょう。ご承知のように民主主義の背景や精神が正確に伝えられなかったのです。

そのため、何が正しくて何が間違っているのかが判らなくなり、生きてゆくためには“何でも有り”で、民衆から道徳心などが消え失せて混乱が生じたのです。ともすると、拝金主義に傾倒する考え方まで生じ、物質偏重主義が蔓延したのです。

メシヤ様は浄霊の奇蹟により神様の存在を示し、『神の言葉』として御教えを発信してゆきました。対談記中の「栄」は「栄光」紙のことですが、新聞や書籍によって人心を救おうとされたのです。

当時の信者さん方の追跡調査(四国)をしたところ、“『御垂示録』が届くのを毎回首を長くして待ち、次が届くまで毎日繰り返し繰り返し拝読した。全巻ほぼ暗記するくらいに、それこそ貪るように拝読した”というように述懐する人が多かったことを記憶しています。“心の拠り所”“魂の糧”という表現がピッタリだった、と伺っています。

また、『就中(なかんずく)医薬によらずして病気が治る』と述べられているように、病苦の最中にある人々を御救いになられたのです。しかも『私は私自身病気を治すばかりでなく、多くの人々にもその力を授けることが出来るのです』と仰られるように、多くの方々が浄霊力を授けられて人々を救済したのです。その結果の40万人(当時)なのです。

ここで重く受け止めなければならないことが二点あります。まずは、多くの先祖供養宗教が創出された時に、メシヤ様は現実的に生きている人間の救済に努められたということです。仮に慰霊祭などに重点を置くような施策を実施するようになればメシヤ様のご精神から離れてしまいます。

どこまでも人類救済に取り組み、天国の雛型を全国各地に、あるいは各家庭に築く取り組みを推進することに心血を注がねばならないのです。その点、祖霊舎を設けた時点で、根本的にメシヤ様のご精神から離れたということになり、本来の使命を果たせなくなったことになります。

そんなことでは申し訳ないので、メシヤ様のご精神を現代に求める取り組みを宣布してゆかねばなりません。

4.組織論としての宗教

二点目には組織論があります。メシヤ様は民間療法ではなく宗教を選択したというところに重要な意味があります。

例えば、民間療法の場合、一回の施術の料金が決められます。これは対価として支払われるもので、解り易い反面“心”が反映されません。お世話ということではやり易い面があります。しかし“心”が反映されなければ徳が生まれ難く、結果的に救いに繋がり難いのです。メシヤ様は、宗教というものを通して人々を真の救いへ導こうとされ、決められた奉納金以外は全て自主性に任せられました。そこに積徳の道を開かれているのです。

また、メシヤ様は“(病気を)治してもらう”のではなく“治す方法を教え力を授ける”ので“自分で治してゆく”ようにと願っているのです。この点を理解していない方が多いので、メシヤ様は繰り返し説かれています。少し長くなりますが、次の御教えを紹介したいと思います。

『信仰の合理性に就いて』

 『信仰の合理性に就いて、この間この欄に出したので分ったであろうが、なお最近それに関聯(かんれん)した新しい質問が、某中教会長からあったので、それをかいてみよう。これは二年程前入信した信者の事で、入信の動機は主人の肺浸潤が治ったためであるが、本年二月二つになる自分の子供が肺炎になったので、某支部長に相談した処、自分が治さして貰うといって、それから熱心に浄霊をしてくれたが、どうも果々(はかばか)しくゆかず、遂に危険に瀕(ひん)したので、数日前私の処へ御守護の電話がかかったのである。処がその時から大分よくなったが、まだ心配なので、今後どうしたらいいかを教えて貰いたいと、某中教会長に縋(すが)り、共々子供を連れた母親が来たのである。そこで私が答えたのは斯(こ)うだ。肺炎位の病気がそんなに長くかかるものではない。必ず間違った点があるからだ。その原因は二つある。一つの方も大いに間違っているが、これは個人的であるから秘しておくとして、今一つの方はより重大であり、中教会長にも聞かしたいと思って、私は詳しく話をしてやった。それはその子供の父も母も一、二年前入信しているのだから、我子の肺炎位は父か母が浄霊すればいいので、それで結構治る筈(はず)である。それを取違え自分は碌々(ろくろく)浄霊もせずして、支部長を煩(わずら)わすのであるから理屈に外れている。又支部長も支部長で、度々浄霊に赴(おもむ)いたというのであるから、どちらも全然間違っている。本来支部長たるものの役目は、未信者の開拓にあるので、已(すで)に信者となっている人は、神様から治病の御許しを得ている以上、家族の病気などは自分で浄霊すべきである。それを支部長の厄介になるとしたら、支部長の活動を御邪魔をする訳である。又支部長はこの意味を教えるべき筈(はず)なのに、それに気がつかないとは余程呆(ぼ)けているとしか思えない。しかし特別の場合神様にお許しを願って、少し位なら浄霊してもいいが、それ以上はいけない。

つまり何事も理屈に合っていないから、御蔭を頂けないのであるから、中教会長、支部長、教師、役員など夫々(それぞれ)自己の階級、職責等をよく弁(わきま)え、不合理に亘(わた)らぬよう注意すべきである。これに就いても平常努めて御神書を拝読し、智慧証覚を磨いておれば、如何なる場合でも気がつくものである。

これに就いても大乗と小乗との区別を忘れてはならない。一切は御神業発展を第一とし、私事は第二第三にすべきで、そうすれば何事も順調にゆくのである。つまり全体的利害を考え、合理的にすれば何程でも御蔭は頂けるもので、少しでも御神業に御邪魔になるとしたら、思うようにゆかないのは当然である。何しろ全人類を救うというドエライ仕事で、しかも神様は非常にお急ぎになっておられるから、其処(そこ)をよく考えるべきである。(栄二百十三号・昭和28年6月17日)』

この御教えは、救って欲しい時は『這(は)ってでも来い』、救って上げる時は『走ってでも行け』、『どこまでも降りて行け』というご精神を踏まえて拝読せねばなりませんし、『裁くなかれ』を心に据えて拝読しなくてはならないことは言うまでもありません。

その上で、メシヤ様の御心を求めさせていただくと、誰にでも初心者の時期はあるものの何時までも依存するのではなく、自立した信仰を求めておられていることが拝察できます。一年、二年と経過したのならばそれ相応の姿勢を持たねばならない、ということです。

また、私達が御教え拝読をさせていただく場合に注意しなくてはならないのは、自分に都合の良いように受け止めるところがあるということです。例えば、私も重く受け止めている『救われた体を私用に使ってはいけない』というお言葉は、現代人では「人格の否定」に受け取ってしまったり、「この位で良いのでは・・・」という甘い判断で臨んでしまうことがあります。

そのような時には、深い愛を持って対応しなくてはなりません。相手の方の価値観が御教えに沿うところまで変容し、生き甲斐ある人生を送ることができ、真の救いを得るところまで導くことが大切なのです。ここに組織としての宗教が必要になります。勿論、その際、言動が脅迫信仰的なものになってしまうと、カルト化を招いてしまいますので、充分配慮をしなくてはなりませんが。

そうしたことからも、生涯教育の場でもある宗教という形態が必要であり、メシヤ様は可能な限り全人類を救済する上で宗教を選択されたというように拝察できます。

5.『メシヤの仕事をすべく神命を受けておる』

そして、対談記中で特筆すべきは『メシヤの仕事をすべく神命を受けておると信じますが、今はその時期ではないのでボヤかしています。』と、お述べになっていることです。

『信じている』と言明されていることを重く受け止めねばなりません。このことがあるので、メシヤ講座で御神格について重ねて触れてきたのです。そして、この内容が今回掲載の対談記中の矛盾に繋がってくるのです。このことは、次回後半部を掲載した時点で詳しく述べたいと考えています。

また、『共産主義の根本は人類愛と相反するものです』とお述べになっております。

私が経済学の基礎を学んだ恩師は石沢芳次郎(当時は防衛大学教授・後に拓殖大学学長)と仰る方で、「若い内に共産主義に傾倒しない者は心が冷たい人間だ。しかし大人になってもまだ共産主義者なら頭が・・・」と仰って「クールな頭とホットな心を持つように」と訓示されたことを昨日のように覚えています。

この教授から様々な理論が誕生する社会的時代的背景の探り方を学びました。今回各地でお話した内容もそうしたことが基礎になっています。マルクス思想が生まれる背景として教会と為政者の癒着がありました。つまり、マルクスの考え方には“教会と為政者が癒着して自分達支配階級だけが豊かになる政治体制をとってきた”という反発があります。

そのためマルクス思想の根底には教会に対する批判があるのです。“本来の在り方と違うではないか”、“教会は庶民を救う立場ではないか”というものです。そして、それを政治体制に利用したのがレーニンでありスターリンです。

メシヤ様がご指摘されているのは、独裁者がマルクス思想を使って治めたことに対してです。これは日蓮宗の誕生と似ているところがあります。夜昼転換の黎明期は日蓮上人の出現によって実現したのですが、それは仏教と為政者の癒着に対する批判からでした。これも、“本来の仏教ではないではないか”という批判です。

そこで、仏教改革によって善人を救うために立ち上がったのですが、あまりにも徹底的に攻撃してしまったために、返り血を浴びるがごとく迫害を受けたのです。それで完遂できなかった面があるのですが、貴重な一石を投じて『夜昼転換の黎明期』を導き出したのです。

マルクス思想は民衆を救うために構築されようとしたのに、独裁者に利用されてしまったのです。こうしたことを知った上で『地獄に落ちている』という御教えを拝読しなくては、その意味するところを理解することができません。

メシヤ様が『宗教改革』を御神業の要(かなめ)の一つに据えられた理由の一つはこうしたことにあると拝察されます。私達の御神業は知識が深まれば深まるほど、更に重要度を増すのです。

かと言って、勿体ぶることではありません。取り分け、浄霊力の伝授は全人類への福音ですので、伝授の活動は今以上に幅広く進めてゆきたいと願っています。

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