メシヤ講座・特選集no.101(平成21年6月分)

<メシヤ様対談記・10>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)と

読売新聞社科学部次長

為郷恒淳氏との御対談
(栄百七十九号 昭和27年10月22日)

秋風戦(そよ)ぐ十月四日箱根神山荘の応接間に於て(前回の続き)

浄霊は信じなくてもできる?

 為郷氏 それから神様は悪人を造って、その悪人を救わないのでせうか。

 明主様(メシヤ様) いや救うのです。神様は悪人を作っておいて救うのです。救わなければならない必要があるのです。と言うのは、悪人と言うのは、要するに、汚いものは奇麗にしなければならないのです。そこで、之は精神的にも言えますが実に面白い訳なのです。之は私は今書いていますが、一寸簡単な説明は出来ません。

 為郷氏 例えば悪人があって、悪人が悪人のままで死ぬ場合がありますが、之は救われないのですか・・・・・・

明主様(メシヤ様) 処がそれは霊界を信じないからです。霊界が判るという事が必要なのです。之でなければ問題の解決は出来ません。私は最初、霊界の研究をウンとやりましたが、寧(むし)ろそれが出発とみていいです。ですから霊と言うものの根本を把握しなければならないのです。ですから、先刻御覧になったでしょうが病人の頭が痛いと言うと、斯う(御浄霊)やれば良いのです。先刻の集まりの時、私がみんなをやっていたのを御覧になっていたでしょう。あれで病気が治ると言う事は沢山あるのです。私は普段は別ですがお祭りの時は大勢ですから時間もかかりますしこっちもやっかいですが、やって呉れといってきかないのです。それでやってやるのですが、中には病気が治るのが沢山あるのです。大体空間で何もないのですが、中には熱くなる人が随分あるのです。斯う(浄霊)やると汗をかく人も沢山ある。そうかというと、スッと気持が良くなる人、ビリビリ電気の様なものを感じる人もありますし、人によって色々です。兎に角それによってみんな非常に工合が良くなるのです。之は何かと言うと、之が霊なのです。見えざるものです。斯う(浄霊)やって、どうして病気が治るか、といふ事は理論科学的にも説明してありますが、私の方の根本は病気を治す事です。病気を治せば、あらゆる問題は皆解決がつくのです。思想問題でも何でもそうです。病気を治すといっても健全な思想の人間になればいいのです。健全でないと言う事は、人間の霊が病気になっているのです。人間といふのは体ばかりではないのです。之は科学といふものは間抜けなもので、斯ういふものが人間としてあるのですから、人間が生きて働いて思想もあると言う事は、物質ばかりではないのです。なにかがあるのです。ただ目に見えないからないといっているのです。丁度野蛮人に空気の説明をしてもないと言うのとおなじです。だから霊のあると言う事を信じさせる事が救いの根本です。その霊を治せばいいのです。そうすると体の病気は治ってしまうのです。ですから輸血といふ事は私の方では笑ってますが之(御浄霊)が輸血です。否輸血以上のものです。何故かと言うと、出血で今にも死にそうなのが斯うやる(手を翳され)と生きかえるのです。

 為郷氏 そう致しますとお光をなさると言う事は誰でもいいと言う事ではないのですか。

明主様(メシヤ様) やる人は誰でもいいのです。熊公でも八公でも、人間であればいいのです。

 為郷氏 例えば私でも斯うやればいいのでせうか。

明主様(メシヤ様) そうです。博士の見離したものでも治ります。

 為郷氏 併し私が霊界というものを信じなければいけないのではないでせうか。

明主様(メシヤ様) そんな事はありません。ですからそこに価値があるのです。自力と言うのは少しもないのです。自分が一生懸命になると言う事は自力が加わることです。ですから人間の力は不必要です。要らないのです。六つか七つかの子供が親を斯うやって(浄霊)治るのですから素晴しいものです。

無病息災の世は来る?

 為郷氏 お光は向うに行って又返って来るのでしょうか。

明主様(メシヤ様) そんな事はありません。透ったきりです。私のお腹に光の玉があってそれから光が出るのですから無限なのです。

 為郷氏 その玉と言ふのは明主様(メシヤ様)丈がお持ちになって居られるのですか。

明主様(メシヤ様) そうです。

 為郷氏 そう致しますと仮に明主様(メシヤ様)が百年後に霊界にお這入りになりますとない事になりますが・・・・・・

 明主様(メシヤ様) 併し霊界から出しますから同じ事です。却ってよく出ます。体があると邪魔になりますから。

為郷氏 それで教団の方も御安心なわけですね。

 明主様(メシヤ様) それから其(その)時分になると病気もずっと減って来ます。病人の原因と言うのは薬ですから、体から薬を抜けば病気は起らないのです。薬を出す作用が病気です。之で(御浄霊で)やってもすっかり取り切るといふ事は出来ませんが、大体取るには二、三十年かかります。普通では何十年かかるかわかりません。ですから斯うやる(浄霊)のは薬を取る方法です。それを知らないで、今皆薬を服んでますが危い話です。そこで薬によって病人を作っているのですが、一面、薬といふ事も矢張り必要があって神様が作ってあるのです。之は今度の本(文明の創造)にみんな書きますからそれを読んで下さい。唯一遍の話では中々分りません。

美は魂のレベルを高くする

 為郷氏 美と言う事と明主様(メシヤ様)の御教えと言うものとはどういう関係があるのでしょうか。

 明主様(メシヤ様) つまり人間の魂のレベルを上げればいいのです。要するに文明のレベルがまだ低いのです。之を段々高くしなければならない。それには耳からの教を説く、それから目から美というものでとると魂のレベルが高くなる。それから文字を読ませる、書いたものを読ませる、そう言う色々の事によって人間の魂を向上させる。その事からどうしても美というものが必要なのです。併し現在ある美と言うものは魂を低くする事が多いのです。それは人間は享楽も必要です。併し其(その)享楽が目から受けるのが余りにも魂を下げるのが多いのです。ですからどうしても斯う言った魂を向上させるのがなくてはならないのです。之は必要なのです。ですから世界の文明が段々発達するに従ってそう言う事が非常に進歩して豊かになります。今はそう言う様な傾向が余程出て来ています。アメリカなんかもヨーロッパでもそうですが、美術館と言うのも大分方々に出来ています。之で現実に美術の機関が流行って来ました。フランスの大家の画でも日本人なんかが片ッ端から見られるのですから。そこで日本美術の今度アメリカで展開会をやりますが、私の方でも少し出品しますが、そんな様な工合で、美術による、斯ういう関係が濃くなってきます。アメリカ等は美術館は非常に発展しています。美術についても、相当関心を持つ様になってきます。

為郷氏 私はどうも西洋の油絵とかマチスは少しは興味がありますがピカソは全然ありません。

 明主様(メシヤ様) あれは全く行き過ぎですよ。

 為郷氏 日本画ですと、いいと思ったり、何となく清々しいのですが・・・・・・

 明主様(メシヤ様) 私もそうなのです。一般人が見ていいなと楽しめるのでなければ美術の目的はないと言っていいのです。兎に角美術の目的は出来る丈多くの人が楽しめる、と言うものです。目の利いた人丈がわかると言うのは駄目なのです。目の利いた者も、目の利かないものも、理解が出来る、そう深いものでなくても兎に角いいなあと思われなければ駄目です。処がピカソの絵は考えなければ駄目です。又考えてもわからないのです。ですから今フランスではピカソは狂人だという説が出ていると聞いた事があります。ああ言うのは遠からずなくなります。ピカソの絵についてはいつか論文を書いて新聞に出しました。

為郷氏 それではお忙しい処をどうも有難う御座いました。

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「地上天国祭」特集

≪体験報告≫
大腸癌が完治

大阪府豊中市 冨田博明

度重なる体調不良で悩む12年

私は今から約12年前に天聖真美会へ入信いたしました。娘が信仰しておりました関係で無理に入っておりました。

ところが、信仰していたにも関わらず、いろんな病気をするのです。胃が悪くなって二進も三進もいかなくなったり、救急車で病院に運ばれたり、そういうことも何回もありました。そして、十二指腸潰瘍になり1か月程入院しました。それが終わったらまたおかしな結果が出てくる・・・というように“信仰していてこういう結果が出るというのは何か腑に落ちないなあ”と思い、いろいろ悩んでおりました。

しかし、娘が専従までして信仰していることですから、私もそれをどうこうすることはできませんでした。

またある時、腸の検査を受けたんです。腸に黒い影が映るんですね。これは癌と違うのかと私はびっくりし、頭の中は真っ白になりました。それと同時に何で12年も信仰を続けてきてこういう結果になるのかなあと思ったのです。

医者に聞くと、「腸にポリープが出来ているから切除しなければどうにもならない」ということで、内視鏡の検査を受けて切除することになりました。ポリープが8個程あり大きいのが3個もあったのです。

大きいのは出血が多くなるので、切除することはできないということでした。1週間ほど入院して小さいポリープだけを切除いたしました。

ですから大きい3個のポリープは残ったままで、「これはまた今度の時に取りましょう」ということになりました。

その時の医者の説明では「癌ではなかったですよ」ということでした。私は、おかしなことを言うものだなあと思いました。再度検査した時も、「癌ではない」との話でしたが、私が思うには私の年齢を考慮してそのようにお話しして下さったのだろうと思いました。

その時はまだ天聖真美会で色々と悩んでおりましたので、私も天聖真美会が嫌になっていましたところ、娘が「天聖真美会をやめる」と言うので、「私もやめる」とすぐに言ったのです。

それからしばらくしてまた、腸の痛みが激しくなってきたのです。とても辛抱できないような状態が約1週間ほど続いたのです。

メシヤ教と出会い急所と自己浄霊を知リ実践

その時に初めてメシヤ教に巡り合いました。そこで娘が浄霊の急所や自己浄霊の仕方を教わりました。痛みがひどい時には、楳木先生に夜中にも関わらず電話で浄霊の急所を尋ねたりもしました。痛くて痛くて仕方ない私に、先生は「痛い内は死ぬことはありませんよ」と仰いました。この時、何かストーンと腹に落ちたように思いました。

私は、今まで自己浄霊はしたことがなかったのです。それまで痛くて痛くて夜も寝られなかったのですが、自己浄霊を始めて一週間ほどした頃ようやく痛みがおさまってきたのです。

この時、自己浄霊なんて今まで一度もやったことがなくても、このような結果になるなんて“メシヤ教の浄霊ってすごいなあ”と初めてわかったわけです。

それからもう何があっても浄霊をしなければと、毎日毎日自己浄霊を続けました。すると真っ黒な便が3日間も続けて出ました。すると非常に楽になるのです。

それから後日、検査に行きましたら「あなたは癌だったのですよ。しかし今はきれいになっているから心配いりません。薬を飲まなくて良いですよ」というのです。やはり、3個のポリープと告げたのは癌だったのです。それが「消えた」と言うのですから、私はホッとしました。

しかし、医者はまるで薬で治ったかのような話し方でしたが、偉大なる浄霊のお蔭なのです。

こんなに浄霊をすると痛みがおさまって楽になっていくというのは今までにない経験で、浄霊の素晴らしさをわからせていただきました。今でも、浄霊はどんなことがあっても毎日欠かさずに行っております。こういう経験ができたことは本当に有難いことだと思います。

これで御守護の御礼と報告とさせていただきます。ありがとうございました。

(現在、冨田さんは一日に4時間自己浄霊に取り組んでいます。早朝5時に起床し7時まで浄霊をして一日をスタートします。そして夜も2時間は浄霊をして就寝します。84歳とは思えない程顔の色艶も良く、元気に毎日を過ごしています。しかも御神体御奉斎が許された自宅を浄霊実践の場に提供されて、御用奉仕に励んでいます。)

切除した大腸が再生

神奈川県藤沢市 中村正幸

初めての月次祭から帰ると出血

平成19年9月よりメシヤ様の御縁をいただき、藤沢の月次祭に参拝させていただいております中村正幸と申します。メシヤ講座に出させていただくようになってから、まだ日も浅く1年10ヶ月です。

私の甥の三浦は、以前は夫婦共に熱心な神慈秀明会の信者でした。時には、私にも信者になるようにと集会や参拝に誘ってくれたのですが、私はどうしても信じる気になれず参拝することもありませんでした。

ところが、一昨年の夏に、甥の嫁から「菅谷さんのお宅でメシヤ教の集まりがあるから一緒に行きませんか?」と誘われました。私は行く気がしないので一度は断りましたが、「叔父さんは体調があまり良くないのだから、一度先生の浄霊を受けてみるだけでもいいから一緒に行きましょうよ」と言われて、何故か自分でも判らないのですが何となく“行ってみようか”という気持ちになったのです。神慈秀明会にはどんなに誘われても、頑(がん)として動かなかった自分が何故「メシヤ講座」に参加する気になったか判りません。

明くる日、菅谷さん宅を訪れ、初めて楳木先生にお会いしご挨拶をして「私は洗礼を受けているクリスチャンで、40年以上もキリスト教を信じてきたのです」と話したところ、「中村さん、イエス・キリストも浄霊をなさったんですよ」と仰いました。長年キリスト教の信者であった自分が初めて聞く言葉に、ただただ驚き、改めて聖書にキリストが手をかざして病人を癒したり、また死者をよみがえらせたりした、その数々の奇蹟の意味が判り本当にショックを受けました。それが、私がメシヤ様に太く繋がるきっかけになったのです。

以前三浦の方から報告させていただきましたが、一昨年の9月に初めて月次祭に参拝させていただいて帰宅しましたら、物凄い出血をしてトイレの便器が真っ赤になりました。どこか悪くなったのかと不安になるほどでしたが、痛みは全くありませんでした。

翌月も、月次祭に参拝させていただいた日に、また出血をしました。しかし、前月より少量になっていました。「月次祭に参拝させていただくことで浄化をいただいている」という三浦の話で、安心すると共に浄化作用という御教えを実感した出来事でした。それからというもの、毎月の月次祭はお休みすることなく参拝させていただいております。

術後の傷が判らなくなるほど良くなり、薬も減らす

また、このことも三浦の方から報告させていただいておりますが、私は10年以上前に大腸ガンになり大腸を全摘しております。その際「人工肛門を付ける」と言われましたが、「そんなことをするのなら、死んだ方がましだ」と言って断りました。そのため、毎日毎食後数種類の薬を服用しなければ排便できない状態となりました。また、内視鏡を使用しての検査を毎年受けねばなりませんでした。

手術を受けた国立病院までは少し遠いこともあり、通院やその他のことで不便でもあり、3年前に地元の藤沢市の胃腸科専門の病院に移りました。

昨年一月、「3年ほど内視鏡検査をしていないので、そろそろ検査をしましょう」と勧められました。ところが、小腸と直腸を繋いでいる場所を内視鏡で検査したところ、繋ぎ目が判明出来ないほど綺麗になっているという結果が出ました。「これはかなり珍しいことだ」と言われました。余りにも嬉しかったので、三浦の方から報告させていただいたのです。

そのようなこともあり、三浦から事あるごとに「薬は毒だから、飲まない方がいい」と言われていたことを、自分なりに実行に移し始めました。一日3回の服用を一日に一度にし、二日に一度にして、というように減らしてゆきました。

そのような日々を過ごして一年が経ち、また内視鏡の検査を勧められました。今年1月の7日、8日に検査入院しました。この時は胃カメラと腸の内視鏡による検査でした。それぞれ15分くらいで終わる予定でしたが、腸の検査は中々終わらず涙が出るほど苦しいものとなりました。

主治医はカメラをグルグル回して、長時間腸をかき回される苦しみはとても辛いものでした。そのうち携帯電話で二人の医者を呼び寄せ、また、その二人の医師もかき回し始めたのです。腸の検査だけで40分以上かかりやっと終わりました。

ホッと一息ついた時に、主治医が「中村さん、辛い思いをさせたね。苦しかったね。よく我慢してくれたね。中村さんの大腸はほとんど切除してしまっているのだけれど、不思議なことに大腸が少し新しく伸びているんですよ。再生しているんです!こんなことは滅多にないことなので、迷惑だったでしょうが他の先生にも見てもらったんですよ。良かったですね。こんなこともあるんですね」と、しみじみ話してくださいました。

それ以来、今日まで全く薬を飲まなくても排便が出来る身体に変えていただきました。それから、最近気付いたことがあります。手術をしてからお腹の手術痕(あと)がポッコリ出ているというか腫れているように変形していたのですが、今では、そのふくらみがなくなっているのです!これには本当に驚いています。

私は独り暮らしですが、近くに甥夫婦がいてくれるお蔭で少しも寂しくありません。そして本当に幸せだなあと思えるのです。これもメシヤ様に御縁をいただくことが出来たお蔭だと思い、感謝し喜んでおります。まったく薬のお世話にならず、病院に通うことのない生活になりました。本当に有り難いことだと思います。

本日はお話を聞いていただき、ありがとうございました。

≪挨拶≫
深奥なる御経綸を知ったからには
全身全霊で御神業推進を

メシヤ教代表 楳木和麿

祭典に降り注ぐ大御心

皆さん、「地上天国祭」おめでとうございます。

先月「御神体御奉斎十周年記念祭」に参集していただいたのに続いて、本日も大勢の方々にご参拝いただきました。皆様とこうして意義深い祭典を執り行わせていただき、心から感謝申し上げます。

十周年の際には、皆さんが祭典前後に発熱したり下痢をするなど“素晴らしい”としか言いようのない浄化を許され、感謝の報告を多数いただきました。また、札幌支部からは「本部の祭典に合わせてご参拝すると、大変な御光を体感させていただきました。“これが、代参玉串の証だ”と、咄嗟に思いました」という報告が寄せられました。

更には、祭典で報告してくださった田中美栄さんが「参拝直後に大変な御守護をいただいた」と報告してくださいました。本日その事も報告していただこうかとも思いましたが、ただ今のように年配者に報告していただくことにいたしました。

初めに報告していただいた冨田さんは「年のせいで声が出にくくなりましたが、それでも良いですか」と仰ったのですが、84歳という御歳で大腸癌が全快するという御守護をいただかれたので「是非に」とお願いした次第です。ご本人は報告されなかったのですが、一日に4時間の自己浄霊に取り組んでいます。御教え拝読と併せての実践を通して健康を維持しているということは、皆さん方の指標にもなります。

次に報告していただいた中村さんは、「私は乗り物酔いをしますので、出向くことは無理ですよ」と仰ったのですが、75歳という御歳で、大腸が再生するということは有り得ないと言われていることなので「何が何でも」とお願いしました。本日は乗り物酔いもされずに、元気に明るく報告していただきまして嬉しく思います。

皆さんお聞きになったように、祭典の意義を裏付けるに相応しく、誠に素晴らしい報告をしていただき、大変感謝しております。

さて、「十周年記念祭」を執り行わせていただいて、本日こうして「地上天国祭」を執り行わせていただくについて思いますことは、不変の精神ということであります。浜松支部の皆さんの参拝者受け入れ奉仕、これは御神体ご謹製の準備をさせていただいた際に支えていただいてから今日まで奉仕姿勢は変わりのないものです。信者さんが増えてまいりましても、奢(おご)ることなく、かえって謙虚な姿勢を持たれて事に当たっております。

この姿勢こそ、「十周年記念祭」でお取り次ぎした『メシヤ様の御生涯を追体験することこそ、信仰生活である』ということの実践なのです。また、そのお話をしましたのは、余りにも日常的に奇蹟をいただいている皆さん方であるからこそ、心得ておいていただきたい内容だからです。

皆さん方には『メシヤ様の御神格を明確に認識していただき、直に、太く繋がらせていただくことで大変な恩恵を賜る』ことを絶えずお取り次ぎしてきましたが、素直に実践していただいたお蔭で御守護報告を日常茶飯事のようにいただいております。また、御在世中のお言葉通りのことが身辺の事象として起こり、『メシヤ様と共同作業』そのものの御用奉仕であるという感慨を新たにしております。非常に有り難いことです。

こうしたことをくどいようにお話するのは、奇蹟が絶大だと言うことと、先般お配りした「地図」で示されたように深い御神慮、表現し難い神秘さを感ずることが多いからです。

地図―メシヤ様のお導きの下に御神業が進展した

皆さんへお配りした地図は大変なものです。ご覧いただいたかと思いますが、この地図は三重支部の濵口博幸さんが作成してくださったものです。よくぞ、このような関係を発見してくださったものだと思いますが、そのきっかけになった内容は次の「メシヤ講座・三重」にアップされますので、そちらでジックリご覧いただきたいと思います。

地上天国祭は、メシヤ様が鋸山で天照皇大御神様をお迎えして『夜昼転換』の神事に臨んだことを謂れとし、箱根神仙郷の完成を祝して執り行われるようになりました。火素の増量が浄霊力の源でありますので、鋸山での神事を意識から外したことはありません。本部から鋸山を拝した時に、その線上に伊勢神宮があり、浜松支部があります。この関係には驚愕いたしました。

伊勢神宮は天照皇后が主祭神であることはご承知の通りですが、天照天皇の降臨された地点と結んだ延長線上に本部があり、中間点に浜松支部がありますことに深奥なるものを感じずにはおれません。

ただ今は地図上の一番下の赤い線を説明したのですが、その上の線を見ていただきますと、天照天皇を御鎮座申し上げた日枝神社、富士山、本部が一直線で結ばれ、その線上に三重支部があります。濵口さんがこの関係を発見された時には興奮したそうです。しかも、最初に発見したのがこのラインです。

それから、最も上のラインは本部からメシヤ様御描画の「伊都能売観音」様が御奉斎されている定山渓・岩戸観音堂を結んだものです。この線上に広島支部があり、延長線上に札幌支部があります。北海道出張の際には必ず訪れるほど想念の中で重要な位置を占めていた地と本部の線上にも、このような関係が浮かび上がりました。(この線上には、さらに重要な意味が付加されることを後日発見することになります。)

このように説明して参りますと、メシヤ講座の質疑では「私達の地域は入っていませんね」という声も出てきました。そうした場では「この位置関係は今日までの御神業がメシヤ様のお導きの下に進展したことを確認させるもの、また、私達の想念にズレがなかったことを確信させるもの、と受け止めていただきたい」とお取り次ぎいたしました。これは、5月の「御神体御奉斎十周年記念祭」、そして来年2月の「創業記念祭」までの歩みの意義そのものであり、これからの御神業はその延長線上、つまり、想念のズレを起こさないための布石なのです。

そのことを思い知らされるものが、南北の青いラインです。定山渓と富士山を結ぶライン上に山形県の「七五三掛(しめかけ)地区」があります。この話をしたところ、節分祭で「後ろ手に細い革紐で縛られている両手が見えました。右手の方が少しほどけてきている様子で、革紐が少しずつほどけだし、しばらくすると全部ほどけ、両手が楽になった様子が見えました。」を報告した大阪の高井成恵さんは「鳥肌が立ちますね」と、感動の弁を述べてくれました。

立春祭を期して弥増す神威は、地上天国祭から現界に移写されます。地上天国祭を前にしてこのラインを発見してくれたことに、厳粛なる気持ちにさせられました。

山形県鶴岡市の七五三掛(しめかけ)地区は、月山(がっさん)の麓(ふもと)に広がる農村地帯で、異常現象が起きているという報道では「まるで、大きな地震に襲われたように見える惨状。しかし、この地区に大きな地震は起きていない。最初にひび割れが見つかったのは、2009年2月5日だった。」とのことでした。地区の名称といい、期日といい、七五三縄(しめなわ)が節分祭、立春祭を期して外れたのでは?と受け取れる出来事なのです。

 伊都能売観音様と富士山の関係はご承知のことと思います。伊都能売観音様はもともと伊都能売神皇で、『夜の時代』の口火として素戔嗚尊が押し寄せて来た際に、神皇は絶対平和主義を貫かれて争いを避け、皇位を天照天皇にお譲りになって、インドへ降られました。その際に日本列島の臍(へそ)を邪神に征服されると日本を自由にされるので富士山と琵琶湖にご自分の分身霊を御鎮座し、護りの布石を打たれました。その御一方が富士山の「兄之花姫尊」様ですから、富士山と伊都能売観音様をつないだライン上の地盤が緩んだということは“七五三縄(しめなわ)が愈々(いよいよ)ほどけたという意味があるのでは”と拝察したのです。

深い深い意味があります。
(この後、本部と琵琶湖・野洲河原を結ぶラインにもハッとさせられる関係が発見させられます。)

現実として「七五三掛地区」住民の方々には人類を代表してお辛い目に遭っておられ、心よりお見舞い申し上げます。その犠牲を無駄にすることなく、今後御教えに沿って御神業推進を力強く進めさせていただく所存です。

一般論としては、“限界集落”化が引き起こしている現象と言われます。これは、昨年も取り上げましたように(「メシヤ講座・特選集no.89」)、極端な過疎化により鎮守の森の管理が出来なくなっていることを象徴として、森林の管理不足から山自体の保水能力が無くなっていることが指摘されています。この自然災害は別の面で、日本全体の課題が露呈されたことになります。

メシヤ様のお導きをいただき御神業推進の基盤が築かれる

地上天国祭を前にこのような地図を発見していただいて、身が引き締まる思いがすると共に、御神業を推進させていただく上で強く意識してきた地点と本部を結ぶライン上に支部が許されてきた十年であった、と受け止めさせていただきました。支部発会には幾多の条件があります。どのように大勢集まろうとも、それをクリアしない限り、支部発会の運びとはなりません。その意味から、御神業上はずしてはならない想念を強く私共に認識させるための『お仕組』であると受け止めさせていただきました。

その心得を持てば御神業推進の基盤が築かれたことになり、今後さらに御神業の進展が許されます。十周年で経緯結ばれて、愈々(いよいよ)の時を迎えたと思います。今後、全身全霊を以って御神業推進に臨ませていただきます。

お蔭さまでネットで発信しています「メシヤ講座・特選集」も「本部御神体御奉斎十周年記念祭」特集で100号を迎えました。百(もも)という目出度い数字となりましたので、重ね重ね新たなる進展の時を迎えたのです。

進展とは、本日発表いただいたような御守護をより多くの方々にも体験していただく取り組みを進めることです。また、同様に、御経綸の神髄を知る喜びに触れていただくことです。

今日まで“沢山の方々に素晴らしい体験をさせて上げたい”という願いの下、取り組みを進めてきましたが、どうしても宗教に対する勘違いや組織にとらわれた認識の違いなどから、“良い処までゆくが今一歩”という方を多数お見受けいたしました。まことに勿体ない話です。勿体ないが故に、本日ただ今から心新たにして、さらに取り組みを拡充させていただきます。

そこで、より拡充する意欲を膨らませると共に、先程のお話のように変わらぬ姿勢、ぶれない精神を維持して参りたいことを、まずお願いいたします。

そして、特に意識の中に入れておいていただきたいことは、『景仰』の【寸言集】にある成功の秘訣について述べられている内容であります。

それは

『成功の秘訣は、必ず成功しようと意(おも)う意力であり、それに伴う努力である。』

というお言葉です。

『成功しようと意(おも)う意力』とは、現在の御神業推進上メシヤ様の御神格を認識し、メシヤ様との繋がりを太くする想念の確立であります。その意識づくりにより、私達は大変な御守護をいただきつつ生活をさせていただいております。奇蹟の毎日、歓喜の生活を許されております。その喜びの輪を拡げる、ということです。

また、『それに伴う努力』とは、十周年記念祭でお取り次ぎした“メシヤ様の御生涯を追体験する”ことを心掛けるということです。その上で、今まで知り得たことを宣べ伝える取り組みを積極的に展開させていただきます。“21世紀は意志の時代”と述べた人がいますが、地上天国建設の方法を20世紀で知り得た私達は実現の意志を固めて、成し遂げて参りたいと存じます。

「メシヤ講座・浜松」で紹介していただいている『五月五日から鬼ヶ島征伐となるのであり、五月五日は桃の実の節句であります。三月三日は桃の花の節句であります。私が桃太郎でありますから、信者は其(その)従者である犬、猿、雉に当るのであります。つまり臣であり、又桃太郎は千手観音であります。(観音講座 第六講座)』という御教えは、私達の取り組みに具体的イメージを浮かばせていただけるものです。

それともう一つは、本年、皆様方にはメシヤ様の進められようとされた御神業の全体像と、それに続く人達の勘違いや取り違い、錯覚を分析してお取り次ぎして参りました。ともすると、耳にせずとも良いような内容もありましたが、御神業を担っていただくためには不可欠であると判断したからお伝えしたのです。つまり、御神業推進の根底に心得ておいていただきたい事柄なのです。

とりわけ、ブログ日月地で発信していただいている内容は、次第に深いものになっております。メシヤ様の御手足となって御神業を担わせていただく意義とその使命の大きさがあるが故に、皆さん方へ意識付けさせていただくことが狙いであります。

メシヤ様という御存在と主神様という御存在をどのように捉えてゆくかということですが、そんなことを考えただけでもその御存在を限定してしまい、本来の御存在とは全く小さいものとしてしまいます。しかし、お祈りする時に想念が明確になるために、あえてご説明させていただきます。

支部の御神床のように御尊影を掲げさせていただくことによって、主神様の方向とメシヤ様の方向を並列に考えてしまうと御神格というものが段々理解し辛くなってしまいます。

主神様は全宇宙を主宰されています。そのことを鑑みても非常に大きな御存在であります。メシヤ様は、主神様という御存在の中で地球を救う部分を以って私達に救いの力と方法を与えるために御降臨されたのです。ですからご参拝する場合、主神様とメシヤ様は直線的にイメージして捉えた方が良いのです。主神様という絶大なる御存在の中の、地球救済のためのメシヤ様が大御前にいらっしゃるというイメージでとらえてゆくと、「主神様」「メシヤ様」という御存在に対して一直線でお祈りできるのです。

ですから、支部の場合は、このように御神体と共に御尊影を御奉斎していますが、個人の家ではセットで御奉斎するようにはしていない理由がそういうところにあります。決して蔑(ないがし)ろにしているのではありません。主神様とメシヤ様を一直線でお祈りできるためにそうしているのです。そうすれば、一切を主宰されている主神様が御存在し、そこから地球救済のためにメシヤ様が御力をくださっているという概念が生れます。

そしてこのことは、今回の御対談後半部に明確なお言葉として発せられることにより方向性の誤りのないことを確信させます。

為郷氏の「そう致しますと仮に明主様(メシヤ様)が百年後に霊界にお這入りになりますとない事になりますが・・・・・・」という問い掛けに対しまして、メシヤ様は『併し霊界から出しますから同じ事です。却ってよく出ます。体があると邪魔になりますから。』とお答えになられています。

このお答えは、メシヤ様が御昇天されても浄霊の御光は永遠にいただけるということで、大変な安心感と心強さに包まれます。大変力強いものであると同時に、『却ってよく出ます。体があると邪魔になりますから。』というお言葉は深奥なる意味合いを私達に示されています。邪魔になると仰ったのは、『私のお腹に光の玉があってそれから光が出るのですから無限なのです。』とのお言葉にある『光の玉』という御存在に対してです。

現在、メシヤ様は邪魔と位置付けた御肉体を離れられて、神界から私達に御光をお出しくださっている、と考えれば、今日までの教団裏面史も善意で受け止めることが出来ます。しかし、その立場をとれば、ご参拝の在り方は安易な姿勢ではなく、より厳粛にならねばなりません。

信仰歴が長く、御教えをよく拝読している方々は、こうした境地にまで達した上で御神前に真向かい、御神業推進を心掛けていただきたいのです。

メシヤ様と為郷氏の御対談は御神業の指針

そして、心掛けが出来て御神業推進に取り組もうとする者にとって、この二回にわたって掲載する御対談は御神業の指針を与えます。

まず、

『日本は世界のあらゆるものを綜合して新しい文化を作るという使命があるのです。ですから日本には宗教でも他のあらゆるものでも一番数多くあります。それは芸術でも文学、美術、演芸でもさうですし、衣食住もそうです。といふのは、日本から綜合したものが出来るのです。』

とのお言葉を通して文化の解釈に対する視座を引き上げていただけます。

そして、精神の広がりをいただきます。既に、現代の文化形態は宗教の要素が遠心分離的に進展したものだということを把握している皆さんは、本来の宗教の役割がこのお言葉に集結されていることにお気付きだと思います。

『夜の時代』に形成された文化は、宗教の要素が遠心分離的に発展してきましたが、お言葉のように『昼の時代』の文化は綜合的、統一的、帰一的になって参ります。しかもそれは、日本の地によってなされるのです。この方向性、役割を知り、そしてその全体像を把握し得た自分は何と幸せなのだろうか、という感慨に浸ることが出来ます。

また、その具体論としては、

『ですから真理と言うのは全般にいくのです。共産主義とか資本主義と言うのは真理ではないのです。それが含まれ最高道徳によって律せられるものそれが真理です。そこで宗教も、日本には世界中の宗教が綜合された様なものが出来るに違いないのです。夫(それ)で真の文化と言うのは宗教が中心です。宗教から哲学、科学となっているのです。』

とお述べになっています。

それだからこそ、御神業とは現代の文化形態の源となっている宗教というものを人々に思い出させ、本来の人間生活へと導くもの、と言えるのです。

また、このお言葉は、現代人が遭遇している世界情勢の危機的状況(代表例は、北朝鮮の奇行、アメリカ起因の世界的金融危機)の真因を喝破されています。私達は、透徹した論理、現代を救う道標をいただいているのです。

そして、最も際立つことは、

『そうして神様と言うのは結局善悪両方を作って、それを闘はせて本当に良いものを生んでいくのです。今迄は、唯物文化が発展する時代だったので、唯物文化が善悪の争いに依って生まれたのです。原子科学も飛行機でもそうです。ですから悪も必要だったのです。此の見方と言うのは主神の見方です。主神は善悪両方共造ったのです。処が今迄の宗教というのは善の方の神様丈なのです。それで善の方の神様丈では物質文化は出来ないのです。発達しないのです。処がそういう行り方は無限ではないのです。或る時があるのです。というのは余り物質文化が発達した為にそれを悪が利用して、人類を滅亡させる様な時代に段々なってゆくのです。そうでしょう、原子爆弾を悪が使ったら人類は滅亡して了います。それで此の辺りで悪を止めると言う時が来るのです。』

というお言葉です。

この真理は主神様のお立場でしか御垂示できないものです。この根本的歴史観を知ることが出来たならば、『見真実』の境地に限りなく近付いたことになります。そして、全ての迷いが吹き払わられる道が開かれたことになります。本日、思い切ってご参拝の際の概念に触れたのは、このような限りなく高く広い視座からの歴史観を示されたからでもあります。

そうであるからこそ、『だから霊のあると言う事を信じさせる事が救いの根本です。』というお言葉が重要になります。浄霊による顕著な奇蹟を目の当たりにするごとに、目には見えない霊の世界が存在することが認識出来、やがて御経綸までもが信じられるようになるのです。それが真の救いなのです。

浄霊力を初めて手にする者の資格について「併し私が霊界というものを信じなければいけないのではないでせうか。」という質問を受られていますが、メシヤ様は

『そんな事はありません。ですからそこに価値があるのです。自力と言うのは少しもないのです。自分が一生懸命になると言う事は自力が加わることです。ですから人間の力は不必要です。要らないのです。六つか七つかの子供が親を斯うやって(浄霊)治るのですから素晴しいものです。』

とお答えになっています。

この有り難いお言葉こそ、メシヤ様が他の追随を許さぬ教祖である所以です。そういう御存在に私達は御神縁をいただいているのです。感謝この上ないことなのです。

水晶世界に移行していることを認識することが大切

今年は、情報の精査がそのまま最後の審判に対する“選択”に繋がる話を続けてまいりましたが、インフルエンザの報道でもやっとまともなものに触れることが出来ました。NHKで解熱剤の副作用に触れ、むやみに使用することに警告を発したことは唯一まともな報道でした。これはインフルエンザ脳症の実態を知るが故に、報道に踏み切ったこととして評価されるものです。

また、情報の精査ということでは日本中を騒がせた「日本郵政」の社長再任問題も何が真の問題かが判らないで終わってしまいます。西川義文社長は、功罪両面があるのです。功の方は、官僚の天下り先をバッタバッタと切ったところです。20はカットしたと言われます。それに対して郵政の官僚達や族議員と言われる人達が反発したのです。

一方では、「郵政民営化」という政策そのものに政官財による巨大利権の山分けという側面がある、と指摘されています。しかも、それが国民の目からそっくり隠された状態で進められています。もっとも揶揄(やゆ)されている話は“アメリカのATM”を作ってしまったということです。

ここで肝腎な問題点は、官僚達の公僕心が希薄になっているということなのです。確かに日本の最高学府において教育を受けて、難関を乗り越え官僚の道を歩み始めます。若い内はそれなりの教育を受け昇進してゆきますが、ある時点から見えてくるものがあります。それは分岐点でもあります。つまり、高潔に生きてゆくか、世俗的に生きてゆくか、という無意識下での選択です。

天下りは結構なのですが、高潔を選択したならば能力に対する対価を求めないことです。これが公僕心を有する官僚たる者の生き方の見せ所なのです。その点が日本で論じられないために、権威が失墜してしまったのです。拝金主義では権威は生まれません。

ですから、日本郵政の社長再任問題は日本の行く末に大きな暗い影を落とす出来事なのです。

情報の精査とは、そうしたことを踏まえて各種報道を耳目にするということです。決して情報に踊ったり、操られたりしてはならないのです。しかし、あらゆる情報が入手出来ることも事実です。そのことが『水晶世界』に移行している、ということでしょう。いや、真っ只中にいると申しても過言ではないでしょう。

そして、真っ只中にいるということは、もう既に「救われる人」と「救われない人」の立て分けが始まっているから、自分達がそのどちら側に立つかという選択が狭まっているという事です。狭まっていると言うより、今、その渦中にいて、日々の生活が、その選択になっているのだという事です。少なくとも、御教えを拝読している人は、そういう認識に立っておいてもらわないと、困りますね。

そうした認識に立って、私達の御神業に臨む姿勢を考えてみますと、大切なことはコミュニケーション力を磨くということです。“何を難しいことを言い出すのか”とお思いかも知れませんが、言葉だけで御教えや救いの気持ちを伝えようとし過ぎないということです。

『拙(つた)なくも誠に出(い)づる言(こと)の葉は人を動かす力ありけり』

『言霊(ことたま)をいかに宣(の)るともまことより出(い)づるになくば甲斐やなからむ』

この二首は、『誠』を御題に詠まれた御歌ですが、メシヤ様は『何時も言う通り、人を動かすには誠である。こちらの誠が先方の魂に触れる。つまり魂を動かす、それだけである。喋ることのうまいまずいは二義的である』と、御教えくださっています。この機会に、改めて魂深く受け止めていただきたく思います。

また、これまで言霊の起源について様々な機会でお話して参りましたが、学問的には「言葉の起源はジェスチャーである」という意見が有力だとされています。脳の進化過程では、非言語でコミュニケーションしていた時代が言語情報の時代よりも長いので、脳に埋め込まれた認知能力が現代人でも有力に働くということです。これは、脳科学者の茂木健一郎氏の話です。

つまり、表情や姿勢、所謂“立ち居振る舞い”が肝腎だ、ということです。中でも笑顔が大切のようです。笑顔は相手に対しても有効なのですが、自分にとっても、笑顔になることで脳は能力を最大限に発揮できることが研究で解っているそうです。

ですから、御神業に臨めば臨むほど、鏡を常に見なくてはなりません。そして笑顔をつくってからお出かけください。どうか宜しくお願いいたします。(笑い)

本日はおめでとうございました。(要旨)

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