メシヤ講座・特選集no.110(平成22年3月分)

<メシヤ様対談記・19>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

書は人格を表現する
=ある客との御対談より=


(栄百九十八号 昭和28年3月11日)

 書はだいぶ前からおやりになっていらっしゃるのですか。

明主様(メシヤ様) 二十年位前からやってます。

 支那人の書は非常に剛健で線が太く細かい点にくよくよしない様でしっかりしてますが。

明主様(メシヤ様) 支那で一番旨(うま)いのは王義之(おうぎし)ですね。旨(うま)いものです。日本では弘法大師が旨(うま)いものです。しかし旨(うま)いのと面白いのは違います。支那で字の面白いのは無準(ぶじゅん)禅師でありますが、私の処に無準(ぶじゅん)禅師の一番よいのがあります。日本で一番面白いのは大燈(だいとう)国師でしょう。京都の大徳寺の開祖です。それから一休の字も中々よいです。字でも旨(うま)い字と、面白い字と、器用な字と、垢抜けた字と色々あります。私は一休禅師の書は非常に好みますが、字はまずいのです。しかし旨(うま)く書こうという意志が出てないのです。自然のまま書こうというそれがよいのです。大抵(たいてい)うまく書こうと言うのが出ているのです。沢庵の字がそうです。うまく書こうとか、変わったように書こうとかいう野心がある。それが一つの臭味になっている。一番純心なのは一休です。

 一休禅師の顔の絵を何かで見ましたが、実に洒脱な顔をしてますね。亡くなった近衛さんの字は良いと言う評判でした。大東亜省が出来た時、その看板を書いた様ですが。

明主様(メシヤ様) そうですね。私もあの時、あの看板を見ましたが、好い字だと思って聞いてみると近衛さんなのです。矢張り字でも人間によるのです。つまり人格です。字でも絵でも結局筆と墨と言うものを使って、人格を表現するのです。ですから書家の字というのは面白くないのです。唯(ただ)上手に出来ているのです。人格でなく、要するに技術です。

当日の対談者は、読売新聞社科学部次長為郷恒淳氏で、昨年秋、箱根神山荘にて明主様(メシヤ様)と御面接された時の御話の一節であります。(栄光一七九号参照)

 

≪解説≫
メシヤ様お出ましの「夢物語」をどう解釈するか

メシヤ教代表 楳木和麿

前回の「メシヤ様対談記」に対する反応

3月度の各地の「メシヤ講座」では、勃発しなかった第三次戦争のことが話題に上りました。その大半が「実現してない御言葉を何故掲載したのか」という趣旨のものです。私自身、アップの作業をしている際に“これを目にした方々がどのように捉えるだろうか”という思いもありましたが、「順次掲載」の予定通りにいたしました。しかしながら各地を移動しながら深く考える機会となりました。

皆さん方へお伝えしたのは、そもそもメシヤ様の御昇天が早過ぎたということです。そのために御経綸そのものが変更されたと拝察する以外には考えにくいのです。かなり以前の話になりますが、メシヤ様の早過ぎる御昇天について論じ合っている時に、「それも御経綸の変更と考えられませんか」という文言が出たことがありました。これは信仰的な響きを伴ってもっともな話のように聞こえてきます。

しかし、御経綸が変更されたのでメシヤ様が早く御昇天された、という考え方を私は持ちません。何故なら、今日ただ今も御在世当時に匹敵する奇蹟が相次ぎ、その報告が寄せられているからです。その奇蹟を目の当たりにすると、メシヤ様が『120歳まで生きる』と仰った御言葉を主神様が変更になることは考えられません。御経綸の変更は別の原因であろうと考えられます。

そういうことから、「メシヤ講座・三重(平成22年3月分)」でお話した次のようなことを各会場でもお話いたしました。

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今回は敢(あ)えてメシヤ様が仰(おっしゃ)ったことで実現していないことも載せています。第三次戦争というのは起こらなかったわけなのですけども、対談記には『ここ数年と見て良い』と書かれています。数年というと、記載されたのが昭和28年2月4日ですから、昭和30年か31年位ということになります。

しかし昭和30年にメシヤ様は御昇天されていますから、『ここ数年』ということはメシヤ様の御昇天によって変更がなされた可能性がある、と今となっては判断せざるを得ないということになります。ただ神様の御意図というのは奥深いので、敢(あ)えて私達はこういうことを拝読させて頂きながら、今後の御神業推進の在り方を再確認をさせて頂けるという趣旨をもとに御対談を読んで頂ければ有り難いと思います。

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この点について、先ず私達の受け止め方を整理しておかねばなりません。

メシヤ様の死因は御法難時に度重なった脳貧血の後遺症によるものです。御法難時の脳貧血は、当局の取り調べによるものですが、『知らなくての御無礼は罪が軽いが、知っていての御無礼は非常に罪が重い』ということから考察すると、主原因は御法難の元を作った弟子達の暗闘でありますから、その罪は非常に重いことになります。となると、御経綸の変更は謂わば人間の欲がなしたものだと言うこともできます。

その背景には、高弟の中島一斎氏の突然な御逝去と渋井総斎氏の重篤な御浄化が存在すると言われています。

しかし、それにしても崇高なる御教えと余りにもかけ離れている所業であります。昭和59年に表面化した世界救世(きゅうせい)教の教団紛争は、全くその逆の所業であるので、皆さんへ深く考察を促す意図もあり掲載した次第です。

メシヤ様の御言葉の御神意を探る

実は「メシヤ講座」初日の前夜に、メシヤ様が夢にお出ましになりました。御内流以外で、夢にお出ましになるのはなんと30年ぶりのことでした。神夢であると確信してはおりますが、夢物語として【 】内は読んでください。

【地方御巡教の途路の場面で、錚々(そうそう)たる先達の報告を順番にお聞きになり最後に私を見つめ『何か報告することがあるだろう』と御下問になりました。

その夢の前段で、人々のムクムクと湧き起こる執着を消すために額へ当てる呪術具を駆使している場面がありました。幾らやっても次から次と際限なく湧き起こるので、主神様にお願いし最上天国から御光を呪術具に注いでいただきました。すると、それを使用しようとした瞬間に人々の執着が消滅したのです。

私はそのことの報告をお求めであると考え、その旨報告しますと『私も知っている』と御答えになり深く頷(うなず)かれました。その御言葉の意味が解らないので、続いて言葉を足そうとすると『あとは必要ない』という御顔をされたところで目覚めてしまいました。】

何も飾らない在りのままの夢物語です。前段の人々の執着を消す作業は、当初誠に困惑させられる内容でした。無数の方々の額に一人ひとり呪術具を当ててゆきます。当てると消えますが、しばらくするとムクムクと湧いてくるのです。見渡す限りが執着の塊(かたまり)で途方に暮れているところに「主神様にお願いすればよい」という声が聞こえ、お願いした次第です。

この夢の中でメシヤ様が『私も知っている』と御答えになられた御神意は何かということをずっと考え続けました。この解説もいくら書こうと思っても書けず、結局御神意を悟るまで書くことができませんでした。

私が最も理解できなかった御言葉が『私も知っている』という御表現でした。通常何か教え諭す御表現であるはずという思い込みがあります。以前にも「メシヤ講座・特選集」でご紹介した内容ですが、世界救世(きゅうせい)教の教育機関での講義内容(京大、阪大の教授陣を主軸にした講師による)と御教えの関連性において悩んでいた折にメシヤ様が御登場されました。

京都・平安郷の宿直奉仕の際のことでした。内容を【 】で示します。

【私があるバス停で一人佇んでいると、バスが到着し、そのバスには高弟の方々が乗車していました。そこへツカツカとメシヤ様が歩いてゆかれ、ステップに片足を掛けられてから振り向かれ『開拓布教に行くぞ』と声をかけてくださいました。私は「ハイっ」とお返事し、御後に続きました。】

非常に短い一瞬の出来事のような場面でした。この時、“矛盾に思える学習内容でも全て開拓布教に必要なことなのだ”と受け止めました。

次は、世界救世(きゅうせい)教の布教施設の責任者に初めて就任した際、25歳という若さゆえに有力信者から様々な要望が出ました。地域の有識者が多かっただけに若輩者の私を憂慮してのことでしょう。その内容も以前に「青年布教師時代」と題して「メシヤ講座・特選集」で紹介したことがあります。中でも祝詞奏上の仕方については困惑するものがありました。困惑の極に達した際に【 】のようにメシヤ様が御登場されました。

【紋付袴姿でお出ましになり、私の前にお座りになりました。そして「天津祝詞」を高らかに厳かに奏上してくださいました。私は感極まり、メシヤ様の後ろ姿をずっと拝していました。】

その御声、奏上の仕方は表現のしようがないほど有り難く、荘厳な響きでありました。今も脳裏に残像のように響きと共に残っています。その時、誰から何を言われても“絶えずメシヤ様を求めてゆけばよい”という絶対的な姿勢を身に付けることができました。

このように、過去の御登場では私が御神業上でどうしてよいか判らない時に指し示していただく内容でした。それがこの度は、全く異なる内容であったのです。自ら悟らねばならない、と強く思わされました。

メシヤ様は御啓示の証をお求めになられた

そして出た結論は、メシヤ様は主神様の御啓示の証をお求めになられたのだ、というものでした。この話も「メシヤ講座・三重(平成22年3月分)」で出た内容が解り易いと思いますので、そのまま下記に引用します。

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(質問者)
 メシヤ様への報告が過大になされていたのではないかと思います。

(先生)
そう。だからそれが一番今回は問題なのです。要するに担当者が過大に報告した内容をメシヤ様はそのまま採用されてしまっているのです。これが実は御神業上一番の問題点なのです。

 だから皆さん方にもう一度整理して聞いておいて頂きたいのですけれども、世界救世(メシヤ)教が出来た時にはメシヤ様は、御自分は今まで顧問として謂(い)わば裏で御神業を進めてきていたけども、世界救世(メシヤ)教を開教することによって教主となられて表に出られた、とその時に書かれています。表に出て愈々(いよいよ)これから御神業が展開されるなあ、というところが我々がそれを拝読すると思うところなのですけども、しかし実はメシヤ様が表にお立ちになられたので今度は次席のNO.2を争って結局経理上の問題を当局に流した結果メシヤ様が逮捕されてしまって、そして頭脳の拷問という表現によるような脳貧血を何度も起こされてその後遺症で本来120歳の御寿命であるにかかわらず73歳で御昇天なされました。ということは実はメシヤ様の高弟が御神業を止めてしまったということなのです。

 ですから今回のこの五割増産ということも弟子がメシヤ様の御言動を曲げてしまうような報告を上げてしまっていると。これが実は我々にとっては一番深刻に受け止めなければならないことだということを今回は対談の中で・・今回掲載している体験記と同じで、高度な読み方をしておいてもらわないといけません。

 (質問者)
「景仰」を拝読させて頂いていると、メシヤ様は弟子や有識者に質問なされてその回答をそのまま御講話なされたことがあったと拝察できます。間に立つ高弟が確認作業をしていなかったのですね。

(先生)
 そうね。だからすべてメシヤ様は誠の報告だということを前提にしてとり上げて行かれている。ということがあるので「景仰」を拝読しているとこういうところに繋がって行くのだなあと言うことが良くわかりますね。

 (質問者)
 今回の対談では阿部執事が数字をとり上げているわけですから数字の確認をしておかなければいけませんね。

(先生)
 執事ですからね。報告してきた者に対して「あなた大丈夫、本当の数字だろうね。」ともう少し詰めてくれると良かったですね。ただまあこの当時30万位まで信者さんが膨れ上がっているわけだから、そういう大教団の教主様に報告された内容に疑問を呈するということについて当時の人達はどうだったかということですね。

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ここが今回の焦点です。メシヤ様は御啓示をいただかれてから『夜昼転換』の御神事に臨まれるまで、御啓示内容の検証を重ねられました。その御姿勢からすると、“私見を入れない在りのままの報告”を取らねばならなかったということです。ですから、メシヤ様は私見を入れられない姿勢を貫かれたのです。例えば『それは違うだろう』とは言えない訳です。

私は、水増しした報告を何故受け入れたのか、今日まで疑問でならなかったのですが、この度その疑念をやっと払拭することができました。

しかしながら、メシヤ様の御姿勢というものを当時の方々に重く受け止めていただきたかった、と思えてなりません。報告というものは、水増しがあってはなりません。それでは御啓示の証にならないからです。また、控え目でもしかりで、在りのままであらねばなりません。

ただ、生き神様を眼前に仰ぐとどうだったのか、は判断できないところですが、前回の対談記では、メシヤ様御自身『私はそういう異様な教主とか教祖とかいうものは大嫌いなのです。普通人と少しも違わないでいる方がよほど楽ですし、それが本当だと思います。宗教家とは言ってもやはり同じ人間ですからね。』と御述べになられています。

ある人は「神様なのに、何故見抜けなかったのか」と言います。また、ある人は「神様なのに、何故自分の命を守れなかったのか」と言います。これに対する答えを私は持ちません。ただ、御教えを心として類推すると、「こうではないでしょうか」とは言えます。

それは、全ての真理を開示し、人類の行く末を指し示した上での御歌『天国を作るも地獄を作るのも心のままなり人とふものは』であると思うのです。

この御歌はこれまで『我と執着と欲をとる』という観点から学びを重ねられてきましたが、もともとは「天国と地獄」というお題に収録されている御歌です。世界救世(メシヤ)教の開教に伴い改訂された『讃歌集(昭和26年5月)』です。御題そのままに『天国を作るも地獄を作るも』は人間の心次第であるということが素直な受け止め方であると言えます。つまりは、『神は真理を垂れるが選択は人類に委ねる』ということなのです。

ですから、弟子達(一部の首謀者)の選択が結果的に地獄であった、と言わざるを得ません。誰一人としてそんな認識はなかったことでしょう。昭和59年の教団紛争でも、「教団を良くする」という謳い文句にもかかわらず行為は卑劣な疑惑の投げかけによるものでしたので、一目瞭然です。

しかし、『人類に委ねられた』からには、天国を作る選択をしたいので「教団改革」にこだわってきたのです。

浄霊と御教えの一体的取り組み

考えてみると、御法難が起る前に『開教の辞』の内容を理解できた方、あるいは意識した方、その内容を実現しようと意を決した方が稀少であったと考えざるを得ないのです。そのため、“より御神業推進に邁進させていただこう”という思いとは裏腹に、主神様の御意図に基づく御神業への探求が欠如していたことが考えられます。

そうしたことを理解する時に事例として取り上げてきたのが、離脱教団の初代の志と次世代の勘違いによる変貌の実態です。その一端が広島支部の昼食会(ブログ「メシヤ教・広島 『順序の学び』」参照)で語られました。耳を覆いたくなるような醜聞でした。他地区でも盛んに語られていることですが、その教団内で会長、側近者の間で盗聴が行われ、醜聞の実態が明かされたというものでした。以前から「御経綸」という文言の下に信徒に借金まで強要して献金させ、結果的に不幸に陥れていましたが、その極みのような内容でした。

広島支部の方々は、その教団の人々に救いの手を差し伸べようとするのですが、浄化を本来の意味に捉えられず脅迫信仰を拭い去ることができない状態で難航しています。泥沼状態の中で喘(あえ)いでいる様子を耳にすると、お気の毒でなりません。

ブログ「メシヤ教・広島」の事例を引用します。

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日々の生活も順序を間違うと支障をきたすものである事を学びました。その夜、信徒Aさんは寝床の位置を早速変えられました。

後日、連絡があり、お写真の申し込みによりお浄め戴いたのでしょう。頭痛が数日続き鼻水が今も出続けているそうです。

また、上座下座の正しき順序位置の実行により霊界が整う事により現界での信徒Aさんの家庭も整い、何と大変な御守護を いただかれたのです。実は3歳の子供さんが毎晩夜中、グルグル回転したり、あがいていたのが最大の悩みだったのです。

それが、ピタリと無くなったそうです。以前の教団で長い間信仰されていたので、順序のことは判っているものと思いましたが、肝腎の生活に根差した指導が欠如していたので活かされていなかったのです。

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この信者さんは浄霊に懸命に取り組んでいたのですが、お子さんの睡眠不足は解消できずにいたのでした。それが「メシヤ様の御手」のお写真を掲げる位置を検討することにより、順序の誤りに気付いたのです。

何故そうした生活にマッチした指導がなされずに来たかと言いますと、初代が作り上げた組織に乗っかって、それを運営することのみに心を奪われ『可能な限り全人類を救う』というメシヤ様の御悲願の達成心が希薄になっているのです。信徒を道具のようにして御用に使うだけ使うのですが、肝腎の幸せになる道を教えていないのです。

また、一方初代は、世界救世(きゅうせい)教から離れたために、メシヤ様と同じ探求をせねばなりません。その手法を誤ると、方向性にズレが生じるのです。それは、浄霊の根源であるメシヤ様と浄霊の御力を受ける側の私達とでは『格』というものに雲泥の差があるのです。その自覚が薄れると、世界救世(きゅうせい)教が歩んだ過ちと同じ道を形は異なったとしても結局歩んでしまうのです。

このことは、浄霊と御教えの一体的な取り組みでなければ『真の救い』に繋がらないということを私達に気付かせてくれています。広島支部の事例では、浄霊を継続して取り組んでも解決しなかった症状が、御教えに基づいて順序を正す一事で瞬時に解決を見ました。大きな示唆です。

参考事例①「メシヤ講座・浜松」

浄霊と御教えを一体的として御神業に臨む在り方を確認する事例として、「メシヤ講座・浜松」とブログ「日月地」の内容を参考にしていただきたいと思います。一部引用いたします。

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どこで出た勉強会の話とは言えませんが、ガンが出来てしまった人がいます。その男性はものすごいストレスを抱えています。理不尽なものと戦っていますので、ものすごいストレスを抱えてしまっています。

そのストレスを抱えているという事を、御教えに照らして考えていくと、そのストレスがずっと溜ってくると曇りが発生してしまいます。その曇りが濃度を増すと細菌を作っていって、そして病原菌みたいになっていくという御教えがありますよね。それと今度、現代のガンのメカニズムというものが大体分っています。ガンというのは、本来自分の細胞がガン化したときに、ガンになった時に一番困るのは何かというと、普通の細胞が細胞分裂したときに片方が死ぬようなメカニズムなので調和がとれているのです。細胞分裂をしても片方は死ぬから極端に肥大化していかないのです。しかしガンの場合は細胞分裂しても両方死滅しません。だから肉の塊りになっていくのです。そして塊りになっていくだけではなく、栄養分を横取りしてしまうから、結局そのために他の所に栄養が行かなくなるというのと、塊りが臓器を圧迫していって機能不全を起こすようなことがおきて、命にかかわってくるのです。だから医学的にはそのガンの塊りを取れば良いという事になってくるのだけれども、しかしこのストレスというものがずっとあると、またがん細胞を作り出してくるから、このストレスのない生活にしていかないといけない。その時に家族の協力が必要になるという事になります。

外でストレスを抱えて家に帰ってきても、家で再度ストレスを抱えてしまうと、もうどうしようもありません。ストレスが消えなくなるから。家ではストレスを全部とってあげないといけません。吸収してあげないといけません。で、その吸収してあげるという事をやっていかないと、浄霊でガンはよくなるが、またガンを作ってしまうという事を繰り返しかねません。食生活と精神的な生活というものをみんなでみつめて取り組んでいかないと、ガンを治すということにはつながっていかないということです。これが今回の対談の中で『新しく病気が起らないようにする。』という事のそのための教育という事になるのです。

そうすると今度は家族の中で、そのガンが出来た人に誰がどのように浄霊をしていくか、そして一緒に生活をしている人がどうやってストレスをとってあげるかということが課題になってくるのです。あるいはストレスを抱えさせない。家に帰ってきてグズグズ家族が言っていると、ストレスだらけになっていきます。勤め先でストレスを抱えて、家に帰ってまたストレスというと、みんなで、病気を作っているようなものだから、ストレスを抱えないように、みんなで配慮していくことが肝腎です。

こうした話をすると時として、子供にしてみると、「ロボットのように、お父さんの言いなりで生きていかなくてはいけないのか。」とかいう事になってしまいますが、それもまた勘違いが起きているのです。そういうものではない。ストレスをとるということはそういうことではないのだということも解っていただきたいのです。例えばお父さんの好きなたべものがあるとする。子供がその好きなものをとって食べてしまった時に「お前、俺の好きなものを食べてしまって・・・」といった時に、「じゃあもう僕はこれを食べちゃいけないんだ。」とか思ったら、これはもう間違いになっています。家族というものはそういうやりとりをしながら、「お前、よくも・・・」とか言いながら、ストレスをとっていくのだから、それは食べて良いのです。食べて「お前、何で俺の好きなものを食ったんだ!」とか言って、たわいもない会話をしながら「ごめんね。」と言って謝らせる事によって気分がよくなっていくのです。これが家庭生活の良さだということです。そこで怒らせてはいけないとみんなが腫れ物に触るように扱っていくと、これはまた間違いです。家庭生活というのは非常に難しいようで簡単なわけです。そこで大体は奥さんがおおらかに受け止めて「パパ、そんなことを言っちゃ、駄目よ。当るなら私に当りなさい。」とか言って、上手に扱っていけば病気になっていきません。まあそういう風に病気を作らない、起こさないということについてはそういうことがあるのだと。食べものだけでもない視点での話だと考えてください。今は人間の生活というものは複雑になってきているから、やっぱりストレスを抱え込ませないようにしていくことが大切です。

じゃあ、もう家族を持たないで、一人が良いのではないかとなりますが、これまたひとりでは駄目なのです。一人は寂しいから。帰って「ただいま」と言った時に、夜真っ暗だったら「はーっ」とため息交じりで電気をつけていくということになるから。ひとりでも駄目だし、居るとうるさいし。大勢いるとテレビだけでもね、「俺はこれを見たい。」とか、「これを見せてよ。」 とかいうようなことが、いつもそういういざこざが起きます。しかし、そのことを上手に扱いながら、生活をするということが大事だね。まあその中には諦めなくてはいかんこともあるわね。「お酒を飲むなと言っても飲むし」とかね(笑)。まあそんなことから、今回の御対談の中では、月次祭の前に話したことの回答がこのようにあるので、しっかりこの対談を拝読すると、自分はそういう人と接した時に、どういうふうにあらねばいけないかが大体見えてくるのだというように受け止めていると、我々の生活に密着させることが出来ます。

偉い人たちばかりが対談をしているので、我々の日常生活と離れたような対談だと受け止めてしまうと読んだ価値がなくなります。この中でメシヤ様が説明されている内容を自分に受け止めていくとどうなるかという事を考えて、やっていただきたいと思います。

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『宗教と科学の一致』という観点から、御神業というものは、御教えに基づいて現代科学が解明している人体のメカニズムや自然界の法則的なものを加味して問題解決に臨む必要があります。また、人類の叡智で構築してきた社会機構を活用することも忘れてはなりません。

参考事例②ブログ「日月地」

そうした意味では、ブログ「日月地」も参考になると思います。

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私達は、少し大変な課題に取り組んだ時には、人間の弱さとして、「何故私だけが」という気持が起きかねないので、そういう気持が起きた時には、神様という御存在が、ずっと自分を見て下さって、庭の花、鳥の囀(さえず)り等を通じて、自分を慰めて下さっている、そういう気持になる事が出来れば、いつでも穏やかな気持でいられるので、「家庭天国」に近づいて行く事が出来ます。

先ほど(前回)のストレスは、「苦痛」「快感が得られない」「人に評価されない」などが主要原因で起こるとされます。そして、交感神経と副交感神経の上手な関わり合いが必要だとも言われています。副交感神経に切り替えるためためには脳内物質のセロトニンの分泌を上手に促すことが必要で、そのためには「朝、太陽の光を浴びる」「リズム運動をする」「人と人との触れ合い(軽いタッチ)」が効果的だとされています。現代ではセロトニンをテーマに各種道場が出来ているほどです。

そして、感動の涙を流すことで脳内の血流を増やすことも重要です。こうした話をすると、メシヤ様がお食事中にラジオからの音楽に合わせてタクトを振る真似をされて御家族を和ませたり、御家族、奉仕者と共に映画や演劇で大粒の涙を流されたりされたことも印象に残ることです。中でも、御教えに血流と精神の関係を説かれていることが、科学的に裏付けられてきていることを痛感する今日この頃です。

自分の中で、「御教え」と「生活」を線でつないで行く、これが思想の体系化である訳だから、その、思想の体系化をする時に、もう一度「伊都能売思想」というものを考えて行くと、「伊都能売思想」とは、自分の周りを天国化して行く時に、メシヤ様が日常生活で心がけていらっしゃった事を、自分の中に取り入れる為に、沢山ある御教えと自分の課題とを線で結んで、そして、自分が目指さなければならない道筋を体系化して行く事が、実は、伊都能売思想を身につけるという事だという様に考えて頂ければ、一つ一つの御教えが自分のものになり、自分の生活に取り組んで行く事が出来るのではないかと思います。

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メシヤ様の御姿勢と御精神をさらに求めなくてはならない、と痛感しつつ対話した内容です。

(追伸)政局に関すること

最後に大揺れしている政局について、心に留めておいていただきたいことを述べておきます。

普天間基地移設問題で揺れていますが、私達が解っていなければならないことは鳩山総理の発言が変化している理由です。総理大臣という最高権力者になったからこそ手にすることのできる情報というものがあります。それを入手したからには変更せざるを得ないこともあるのです。

例えば中国から台湾へ向けられているミサイルに注目してください。性能と数を認識すれば、それは何を意味するかは容易に推測できます。それに手を打つ方法は一つしかない訳です。それならば、どうしようもないではないか、ということになりますが、今回の問題で最も重要なことは、一党だけが情報を独占することの危険性です。

政権交代の利点は、最高機密情報を踏まえた上で議論が進むということです。今までは自民党のみが最高機密情報を有し、民主党をはじめとする他の党は手にすることができませんでした。これが政治の成熟を遅らせた最大の原因です。当然国民も無知にさせられてきました。それが今修正されつつあるということを認識した上で、内閣の動きを注視していただきたいと思います。

初めて政治が成熟する時期を迎えたというのに、自民党の動きが心もとないので憂慮すべきことです。また、自民党と歩みを共にしてきた官僚上層部の動きも気がかりです。例えば地方分権が叫ばれてかなりの歳月が流れていますが、いまだに国の役所が権限移譲や補助金から一括交付金への移行に強い抵抗を示しているのです。

既得権益を手放そうとしない姿勢は、利権政治と同質のものであることを承知した上で、閉塞感に覆われた現代日本の背景にあるものを熟知して、日々の報道に耳目を寄せてください。

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