メシヤ講座・特選集no.111(平成22年4月分)

<メシヤ様対談記・20>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)と
法大文学部長・美術評論家
谷川徹三氏との御対談(一)


(栄光二百十一号 昭和28年6月3日)

四月二六日、法大文学部長美術評論家谷川徹三氏が来訪され、明主様(メシヤ様)にはお親しく御款談(かんだん)遊ばされました。

この日谷川徹三氏は、四月二十一日開館された箱根美術館に立ち寄り、数々の美術品を鑑賞午後五時三十分碧雲荘に到着。待つ間もなく明主様(メシヤ様)には奥様御同伴にて御出ましになられ、忽(たちま)ちにして美術のお話に座談の花が咲いたのであります。この間約二時間半にわたり、明主様(メシヤ様)には殊の外御機嫌御麗わしく拝せられました。以下その時の模様をお伝えさせていただきます。

因みに谷川徹三氏は昨年の美術館開館にあたり著名人御招待の際、祝辞を述べられた方であります。

なお谷川氏の外、栄光第一九三号にて御紹介申し上げた報知新聞社事業部長小西元夫氏、同編集局員小坂嘉一郎氏の外カメラマンー名の三氏が同行されました。

小坂氏 お約束の時間を一時間半遅れましたのは、一時間半余計に美術品を拝見しておりましたのです。お約束がありましたので、早くと思っておりましたが谷川先生なかなか動きませんものですから。

谷川氏 やっぱり丸一日かけないと全部は拝見できませんね。

明主様(メシヤ様) そうでしょう。ですからあれでは品物が多過ぎると言う人がいます。あんまり多いので疲れてしようがないと云ってます。

谷川氏 そうですね。ですから上野の博物館に行く時も、二室か三室見ることにしてます。全部見たらとてもやりきれません。その点ブリヂストン美術館とか近代美術館は、部屋が少なく、陳列の数も少ないので、度々行くことになります。

明主様(メシヤ様) それにあそこは便利ですからね。

谷川氏 そうです。去年の開館にお招きいただいてから、二度ばかり家内を連れて参りましたが、その時はまだ庭造りの人がやってましたが、今日拝見しますと全部出来てますね。

明主様(メシヤ様) それに別館も出来ました。別館では六月一日から浮世絵展をやります。

谷川氏 其処(そこ)はこれから浮世絵展ばかりにお使いになるのですか。

明主様(メシヤ様) そうではないので、特殊なことに使います。

宗教と芸術について

小坂氏 こちらに参ります車の中で谷川先生が「この事業を宗教団体がやっているという事は、新しい時代現象だ、今までの日本の歴史を通じて劃期的(かっきてき)な事だ。これに対して国家的に理解を深めなければならない」ということを言われてましたが、われわれも賛成です。非常に良い事業だと思います。今の宗教団体では、大学を造ったり幼稚園を造ったりしてますが、これは誰でもやっている事です。こちらの今やっておられる御事業は、コレクションだけでも大変なことなのですから。

明主様(メシヤ様) 私はこう思うのです。宗教と芸術は離れるべからざるものです。とにかく宗教というのは天国を造るのが目的ですから、それには大いに芸術面に働きかけなければなりません。ですから戦争が無くなる時代となれば、芸術が中心となります。昔には聖徳太子も相当やられましたが、聖徳太子は仏教を日本にひろめた元祖のようなものですが、仏教芸術を一番の方法として仏教をひろめたのです。そこで私は、聖徳太子が日本仏教をやり始めたように、聖徳太子を世界的にするような意味で、世界的のものを造るのです。特に日本人の美的感覚の深さというものを大いに世界に認識させる必要があると思うのです。箱根の美術館は試験的にやったつもりですがどうやら見られるように出来ました。今度は熱海に造ろうと思ってます。

谷川氏 しかしあれは相当なものですね。殊に箱根のような所にお造りになられたことに意味があると思います。箱根には外人が沢山来ますが、外人目当ての安っぽい土産物を並べてあるところに、美術館でああいう良い物を並べるということは、非常に意味があると思います。

明主様(メシヤ様) その次には、いずれ京都に仏教美術専門の美術館を造ろうと思ってます。

谷川氏 熱海にも京都にもですか。それはなかなか雄大ですね。これは一つ大いにやっていただきたいですね。

奥様 でも今日(京)すぐにというわけにはゆきませんね(一同大笑)。

明主様(メシヤ様) 日本の仏教彫刻は世界一の物で、世界に誇るべきものですからね。

谷川氏 そうですね。

明主様(メシヤ様) しかし、なにしろ一番苦しむのは金です。これで年中楽しみと苦しみの両方を味わってます。

谷川氏 しかし今これだけ買える所は外にはあまりありませんでしょう。とに角博物館にしても実に僅(わず)かの購入費しか持っていないのですからね。

明主様(メシヤ様) ですからつい無理をしてしまうのです。私の方で買わなければアメリカに持って行くというのがチョイチョイあるので、それをくい止めなければならないのです。その国家に対する功績は余程認められてよいと思います。

谷川氏 そうです。

小坂氏 それに税金をかけようというのですから堪(たま)りませんね。

明主様(メシヤ様) そのために財団法人にしているのです。そこで宗教で購入して、財団法人の方に寄附すればよいのです。

小西氏 谷川先生が美術館で一番長く時間を取って見られたのは仏像です。牛が中にはいっているのがありますが、牛を外に出して見られ、写真を撮ってくれとか言われ、これが一番長くて三時間でした。私達は足が痛くなって、三人共逃げ出してしまいました。

小坂氏 それでもまだ時間が足りないと言っているのですから驚きますね。今日は外人が奥さんを連れて見えてましたが、大変結構だと思います。とに角世界中の人が来て、ああいう美術品を見て行くのは良いことと思います。これは外国の方に先に有名になるかもしれませんね。ただ外国の人達には説明がつかないと分かり難いのではないかと思いますが。

明主様(メシヤ様) そういう説明者のこともだんだん考えております。

阿部執事 今度の浮世絵展には近藤市太郎さんが書いた説明がつきます。

 

≪解説≫
メシヤ様お出ましの「夢物語」をどう解釈するか(Ⅱ)

メシヤ教代表 楳木和麿

御教えを魂の糧として賢者を目指す

「世界救世(メシヤ)教開教六十周年記念式典」挨拶から連載している内容について、「一信徒にとっては耳にせずともよいことではないでしょうか」というご意見を多くいただきました。実はこのご意見はこの二十数年間ずっと耳にしてきたことです。また他教団の問題点を所属信徒の方に指摘した場合、指摘内容は“ごもっとも”と思ってはいても教団への愛着から反論を展開する方もいらっしゃいます。こちらは十年間同じような問答を繰り返してまいりました。

二十数年間とは、教団紛争が起きて教団改革に取り組んでからのことを意味します。信徒の対処の仕方としては、最も信仰的に映ることと受け取られがちなものですが、メシヤ様が御在世中の場合と現代とでは一つ一つの対処の仕方は異なります。対処の仕方自体が信仰姿勢になるのです。しかもその信仰姿勢が教団紛争を実質的に終結へ導かず、所謂(いわゆる)“和合”が実現しない原因の一つでもあります。

信徒というものは、御教えを魂の糧として賢者にならねば勿体ないのです。賢くならねば一人ひとりが真の幸福者とならないばかりか、メシヤ様が課題として示された『宗教の進歩』ということにも繋がらないのです。

例えば、時代の変遷を見つめてみますと、江戸時代などは年貢を納めてもその使い方について上納者は一言の説明も受けることができませんでした。それが時代の推移と共に税金の使い方に対して納税者は意見を述べることができるようになり、あと少しで『水晶世界』というところまで来ています。昨今賑わしている「事業仕訳」は完璧とは言えませんが、象徴的な取り組みとして国民に希望の光を放っています。

そこへゆくと、宗教界はどうかということになります。そう問われれば、首を横に振る方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

私が教団改革を志し「教団護持委員会」を支持した際(昭和59年)、新生協議会側の教団役員は説得の手法に教義を持ち出さずに、「給与がストップしたら生活はどうするのか」という文言を用いることが主流でした。生活のことを考えて専従したのなら、教団改革などを唱える訳もないのです。それまで雲の上の存在であり、全てに亘って偉大な存在のように言われていた人達が「この程度の話しかできないのか」と思えて唖然(あぜん)としたものです。

また、御教えを取り出しての説得では「君達が一々主張せずとも神様が見てくださっている・・・」とも述べ、あたかも信仰的な態度を示すべきという論法でも迫りました。こちらとしては「そもそも六億円疑惑をでっち上げて総長職から引きずり降ろそうとした行為こそが、御心に反する」という姿勢ですから、役員側の論理的矛盾を見抜いているのです。しかし、抱えている論理的矛盾を無視して、何かによらず高圧的な話しぶりでした。

「この程度の御教えの理解力なのか」「論理性のない人々によって教団運営がなされてきたのか」と思わされ、29歳の時点で衝撃的な真実に対面したのです。しかも「これから教団が地上天国建設を主導できるのか」という懸念が率直な感壊として心に残されました。そして、対策を進めれば進めるほど、その懸念は現実のものとなって行ったのです。

ですから古い話を持ち出しているようにお感じかもしれませんが、根っ子になっている問題は昭和25年から続いているので、原因を明らかにしなくては「地上天国建設を主導する」教団にはなりにくいのです。それはつまり、信徒の皆さんを幸せに導くことに繋がらない状態が続くということです。

絶対的な救済力を手にして、『霊主体従の法則』を知った者の取り組み

当時浄霊の奇蹟が御在世時よりも少なくなっていたり、問題解決の手法が御教えに基づいて確立されていなかったりするのも、そうした人々による運営だからなのです。4月度は、そうしたことを象徴する相談がありました。

これはどこの会場でのことかは言えませんが、かつて金銭問題の相談をある教団指導者に相談した際、「毎日教会のトイレを掃除するために通い、2カ月も続ければ解決します」と指導されて取り組んだが、十数年経っても解決しなかった、と言うのです。

金銭問題のうちの借金について考えれば、先ず『借金是か非か』をはじめとするメシヤ様の御教えがあります。次に、現実的な返済方法と金利というものがあります。そしてご自身の生計というものがあります。それらを総合して直ちに講ずるべきことを明らかにすべきです。そして、方向性を明らかにしたら、新たな対応策を継続するためには精神のバネを鍛えなければなりません。ここへ来て初めてトイレ掃除の話が有効的になる可能性が生れるのです。

そうしなければ、風水か何かの話となってしまいます。私達は『霊主体従の法則』に基づいて幸福論を展開しているのです。何と勘違いした指導者がいることか、と情けなくなってしまいました。しかし、方向性を示せば、「メシヤ講座」の参加者で具体的対処の仕方を見い出すことができました。これこそが、現在連載している内容で明らかにすべき趣旨なのです。

つまり絶対的な救済力を手にして、『霊主体従の法則』という真理を知った者が歩むべき道を、指導者は自らが範を示して信徒を教導してゆかねばならないにかかわらず、そうした取り組みを怠っているのが現実なのです。そのため浄霊は病気治し(実際は楽になる程度)に終始し、『信仰の奥座敷』へご案内できずにいるのです。また、信徒も御教え拝読不足のために指導者の体たらくを見逃してしまっているのです。

これでは『宗教の進歩』を望むことができず、そのため、布教現場では混乱が生じ、要らぬ苦労を背負わされているのです。信徒が『道楽』として布教できない有様なのです。メシヤ教の信徒は『道楽』として布教に取り組んでいると自負していますが、新たに「メシヤ講座」にご参加の方々にはこの点を自覚していただきたいために繰り返しお話しているのです。何故なら“ウソの上塗り”を重ねられてきた方々には繰り返して話さねば、抱えている勘違いを修正できないからです。

『文明の創造』を通して更に御悲願達成の理念、具体策を見い出す

さて、4月度に各地で執り行った「メシヤ講座」の最終回は、北海道札幌市定山渓での「伊都能売観音」様参拝日でした。各地で様々な角度から話し合い、最終的に、挨拶の中で『文明の創造(一)』の「はじめに」を読み上げることが相応しいと思い、挨拶に添えて私が朗読いたしました。ここでまず引用いたします。

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「はじめに」

この度、御論文『文明の創造』を仕上げるという無謀とも思える大事業に着手し、その第一弾として『文明の創造』の『総篇』を上梓させていただきました。

この御論文は、メシヤ様が『最後の審判』を前にあまねく人類に伝えようとして御執筆になられたものです。それ故に口述筆記をされるご様子も異なっていた、と聞き及んでいます。

私が「世界救世(きゅうせい)教」本部職員時代に山本慶一氏(当時は同常任理事・御在世時は筆記担当の側近奉仕者)から伺った折には、メシヤ様は御論文の口述筆記を夜十時半にお始めになり、その際まず後ろ頭の上部を自己浄霊されてから前回筆記の末尾二、三行を読み上げさせ『よしっ』と仰って、その後テープレコーダーのように淀みなく口述された、ということでした。

ところが、『文明の創造』だけは「昼間、ちょっとでも時間が空くと筆を執られた」ということでした。メシヤ様は一人でも多くの方々が『最後の審判』を乗り越えられるように完成を急がれたものと拝察されます。また、夜ではなく昼に御執筆されることを通して『昼の時代』到来を意識付けられた、とも受け止めることができます。

メシヤ様の御心を求める姿勢として今回苦心したのは、旧字体及び旧仮名遣いをそのまま使用して、読み辛い漢字にルビを用いた、ということです。「岡田茂吉全集」は現代仮名遣いへ修正されており、旧字体も廃されています。そのため意味の伝わりにくい面があります。また、ルビの使用も一貫性がないために読み辛くもあります。そのようなことから昭和五十九年当時に同教「教学委員会」でまとめられていた「論文集(未定稿)」を原本とし、現代仮名遣いのルビを使用しました。すでに『科学篇』に着手していますが、表記方法をこのように確定したことにより、研鑚資料として随分拝読しやすくなっていると自負しております。

編纂、校正の作業に当たっていただいた濵口博幸さんはじめ三重支部の方々には幾度も変更に応じていただきました。その都度、誠を以て御神業奉仕に臨んでいただきましたことを、この場をお借りして心から感謝いたします。

『文明の創造』は以前にも「メシヤ講座」で連続して取り上げたことがありますが、改めて拝読いたしますと、「世界救世(メシヤ)教」を開教されたメシヤ様の御意図が行間に滲み出ております。そして、『可能な限り全人類を救済する』『地上天国を建設する』という、御神業に対する御情熱が幾重にも迫ってまいります。また、拝読を重ねるごとに、メシヤ様の御悲願を達成するための理念、具体策を再確認させていただけます。

さらには、御神業推進の在り方を見直しさせていただくこともできます。その根幹は浄霊という絶対的救済力の源である御存在への認識であります。冒頭に記述された『此(この)著はキリストが繰返し曰(い)はれた処の、彼(か)のエホバ直接の啓示でもある。』を目の当たりにした際には、世界布教の道標(みちしるべ)というものを再発見できた意味も加えて驚喜いたしました。

研鑚資料として繰り返し拝読に努められ、御論文を仕上げるという大事業に寄与されることを切に願うものです。すでに拝読されたことのある方も、今一度虚心坦懐になられて熟読玩味していただければ幸甚です。

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という内容です。

ここに『此(この)著はキリストが繰返し曰(い)はれた処の、彼(か)のエホバ直接の啓示でもある。』という記述を何故殊更に紹介したかと申しますと、御論文『文明の創造』の発信元を明らかにされた部分だからです。改めて『主神様直接の啓示』であることを認識せねばならないと強く思わされ、そのことが、メシヤ様お出ましの「夢物語」の御神意に触れることでもある、と受け止めたからです。

今までの宗教では解き明かすことのなかった悪の発生理由と発生の仕方、文明を築く上での善悪の役割という文明論の根本義を示していただき、本来の文明を創造する在り方を明らかにしていただいているのです。

そうしたことから、『文明の創造』仕上げ作業の手順を詰めている際の3月4日に「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」へ次のように投稿したのです。

「一方、『此(この)論文は文明の創造中の一節である。』という但し書きがあり『九分九厘と一厘』とされている内容を改めて確認しますと、驚くことに『いつも言う通り今や夜が終り、黎明期に一歩入った現在であるから軽く済み、予定通りの進展を遂げつつあるのである。』と記述されています。メシヤ様の昭和27年1月9日時点の時代認識が明確に述べられています。

また、本文中では科学の真相、とりわけ医療、農業の欺瞞を指摘され『茲(ここ)で別の意味からみれば、神の力は十全であり、邪神の力は九分九厘であるから、神の方が一厘勝っており、此(この)一厘の力を以て掌を反すので、此(この)力こそ如意宝珠であるから、私が常にいう如く、現代文化は九分九厘迄で切替えとなり、其(その)時がキリストの言われた世の終りであるという訳である。従って、此(この)力こそ霊界に於ては仰天動地の一大異変が起るのは必然で、此(この)事を信じ得る人にして、永遠なる幸福者となるのである。』と明言されています。

『永遠なる幸福者』という御言葉が輝いており、この場のテーマにピッタリである、と感動した次第です。作業に取り組むほどに感動が度重なります。」

主神様の分け身魂を一人ひとりがいただいていることの認識

札幌定山渓では挨拶の後、近くに引っ越した信者さん宅に会場を移し、様々なことを話し合いました。その中で印象的な話が出ました。「夢物語」に関することです。その内容の一部を「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に投稿していただいていますので、引用いたします。

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皆さんこんにちは。札幌支部ML担当です。

楳木先生の夢物語を読ませていただきました。

私が最近、見た夢について投稿させていただきます。

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私の母が、ある農場に行き、「これからは、本来の自然農法をやりましょう。」と訴えたのですが、農場にいる人からはあまりいい反応がなかったと、がっかりしていました。それを聞いた私は、「いいんだよ、分かる人だけでやればいいんだよ。」と言いました。

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この夢を見て以前拝読した以下の御教えを思い出しました。

『従って本教の話をして分らなかったり、事実に目を背けたり、御神書を見せても分らない人は、時期が来ていないか既に滅びの方に運命づけられているのであるから、いかに救わんとして努力するといえども徒労に過ぎないばかりか、救われるべき人に対してそれだけ救いが遅れることになるので、この点も厳に戒しめられているところである。』(信徒諸氏に告ぐ!昭和29年10月20日)

以前の所属教団の方と話すと、「信仰実践」=「活動」と考えている方が圧倒的に多く、「信仰実践」=「日々の生活の積み重ね」と考えている私は、話が合わないなと感じることが多々あります。そんな時、私はそれ以上突っ込んだ話をしないようにしています。

「活動」に囚われるよりも、日常生活において信仰を持っていない人と接する中で、私自身の心・言・行を通じて御教えの「字句」ではなく、「内容」をお伝えするように心がけると同時に、私の身の周りにいる方の心・言・行から、逆に御教えの意味を学ばせていただく機会も多く、「伝える」という意識ばかりでなく、「学ぶ」という姿勢で人と接することが大切だと感じています。まだまだ、力不足ですが、メシヤ教で御教えを学ばせていただきながら、あくまで日々の生活こそが大切であることを肝に銘じて生きていきたいと思います。

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こうした内容と私の「夢物語」とを併せて考えると、「私達は一人ひとり主神様から分け身魂をいただいているので、私たち自身の自覚こそが大切なように感じる。」という共通認識を得て、札幌での「メシヤ講座」を終了しました。

「夢物語」で消そうと心掛けた人々の執着とは、専従者取り分け運営側の幹部の面々である、と改めて思わされます。運営面だけが先行して主導権に執着心を持ち、結果的に布教現場では前述したように御教えに基づいた論理的な説明の下に問題解決に取り組む姿勢が欠如している、というのが現状なのです。

高い概念の構築とそれを裏付ける奇蹟

4月は、アメリカ布教の変遷を詳しくご存じの方と交流があり、布教に取り組んだ先達の情熱と工夫を知ることができました。三重支部でアメリカ在住の方へ浄霊力伝授が許されたこともあり、以下のような問答がありました。

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(質問者) キリスト教の思想が根強い国での布教は難しいのでしょうか。

(先生) キリスト教信者にとってはイエスキリストがメシヤ様ですからね。メシヤ様とお呼びすることに抵抗感があると思います。イエスキリストがいう天の父という存在が主神様であるとそういう説き方が良いかもしれません。向こうの信仰の構造を考えて行かないとね。キリスト教には、日本人では及ばないような積み上げてきた信仰の歴史があるからね。そして一神教ですしね。日本人のように八百万(やおよろず)の神様という認識があればよいのですが、唯一の神様という考え方ですからね。

(質問者) メシヤ様が天の父であるという考え方は・・

(先生) ですからイエスキリストより偉い人間がいたという考え方は向こうでは受け入れられないからね。ですから人としてメシヤ様というとイエスキリストとどこまでも対立してしまうからね。主神様ということを前面に出して話をして行った方が良いと思っています。ですから浄霊とかメシヤ様という名前とか御教えにとらわれ過ぎるとうまくいかないと思います。新しい絶対の概念というものを相手に与えてあげないとね。

ですから、私達が現在「主之大御神守り給え幸倍給え」と唱えさせて頂いていることが、そういったことを切り開いていくのだと。皆様方の祈りによって切り開かれていくのだと思います。これが「みろく大御神守り給え幸倍給え」ではキリスト対みろくの闘いになってしまいます。世界が持っている概念からいくと、みろくはどこまでも仏教から出て来た言葉だということになるからね。どうしても対立的になってしまいます。ですからその上の皆がまだ概念としてきちんと存在を認識していない、主神様の御存在ということを明らかにして行かないといけません。また、質問されたときにその概念を裏付ける絶対の真理としての浄霊の奇蹟。ここまで奇蹟が出ているのだという高い概念を示さないとアメリカ人は変えて行けません。

アメリカの○○さん(浄霊力を拝受された方)が、メシヤ様という御存在をいつも心に持っていて頂けると見えない世界でメシヤ様と繋がって下さいますからね。そうしていくとアメリカの霊界が形作られていくのではないかなあ、と思います。こういうことをやっていかないと世界救世(メシヤ)教になっていかないからね。地上天国建設に繋げて行かないとね。それにはこういう高い概念を構築して、そして実証していくしかありません。アメリカで実証されれば世界に通用していきますからね。

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ところが、アメリカ布教の初期では、「当時ユダヤ教の方が浄霊の教師になられたとか、キリスト教の方もおられたようです。こちらではローズプレイヤーというキリスト教のお祈り『天にまします我等の父よ・・・。』という祈りを天津祝詞の後にしますから、キリスト教関係には大変強く配慮されていたと思います。」という時代があったそうです。

しかしながら、肝腎の本部側が『天の父』に対する概念の構築に欠けているために、本部方針としてアメリカ布教を考えた時に結果的にメシヤ様の御教えからずれたことを強要してしまったのです。しかも教団紛争からは、派閥の触手が伸ばされた結果混乱が生じてしまっているようです。

アメリカ布教に詳しい方の話から、先達の創意工夫の跡を感じさせられるものでしたが、本部側が御教えよりも組織論を前面に出して対応しているために、冒頭述べました『宗教の進歩』ということに繋がらない結果を招いてしまっているのです。

このことに関連して、『文明の創造』の作業を担っている三重支部からのメールのやり取りの中で次の部分を抜粋してくれました。

【御教え】

『そうして驚くべき事は邪神界の総頭領は、今から二千数百年前、世界の覇権を握るべく、周到綿密にして永遠な計画を立て、現在迄暗躍を続けつつあるが、正神界の方でも之に対立し戦ってゐるのである。其(その)神としてはキリスト、釈迦、マホメット、国常立尊の系統の神である。以上の如く主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、其(その)結果遂に邪神の方が九分九厘迄勝ったのが現在であって、茲(ここ)に主神は愈々(いよいよ)一厘の力を顕現され、彼等の大計画を一挙に転覆させ給ふ、之が九分九厘と一厘の闘ひであって、今や其(その)一歩手前に迄来たのである。』

この部分の御教えを拝読した時に、御教えの95%が閲覧禁止になっていた時期が長いだけに勘違いした神観を持ってしまっている、ということを改めて感じさせられました。そのために国内の布教は勿論、世界布教も一部での成功に留まっているのです。その意味から、御論文『文明の創造』を仕上げる作業は、大いなる意義が幾重にもあります。

「はじめに」でも述べましたように、御論文『文明の創造』を仕上げるという大事業に寄与されることを重ねて願うものです。

編纂・校正作業で感動

そうしたことを感じさせるように、三重支部から「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に次のような投稿がなされました。その内容を紹介して今回の話を終えたいと思います。

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三重支部です。

「文明の創造(一) 総篇」の編纂作業をしていて不思議なことがございましたのでお知らせいたします。

当初、「文明の創造(一) 総篇」のページ数が51ページとなりましたので、「先生の『はしがき』記載用に2ページ分空けておきます。それで53(いづのめ)ページになりますね。」と今回は『はしがき』を入れる予定ではなかったそうなのですが、急遽『はしがき』を執筆して頂きました結果、仕上がりが56ページになってしまいました。53(いづのめ)にならなかったなあと少々残念でした。

ところが、最終のワード編集版のファイルデータを先生へお送りする時に目を疑いました。ファイルサイズが369Kb(キロビット)となっていたのです。

『はしがき』を入れていなかった時のサイズが243Kbでしたので、ページ数が3ページ増えて56ページになりましたが、その結果ファイルサイズが369(ミロク)Kbになったということです。

実際の文字数は20283文字(全角+半角)でした。

ページ数は人間が意図的に増減できますが、2万文字もの文字数を369Kbには人間が操作しようとしてできるものでもありません、(何しろルビも相当つけております)『参拝者の数が567人だった。数字というものの働きはまことに軽視出来ないものがある。』との御教えを思い出し、感動した次第です。

【御教え】 又しても奇蹟 『救世』五十七号、昭和二十五年四月八日

『去る三月二十五日は、五六七大教会年次大祭の三回目の初日であったが、当日の参拝者五百六十七人という数字が出たので、これを知って驚かぬ者はなかった、神様は時々想いもつかない奇蹟を御見せ下さるので、如何なる事でも自由自在な御力を揮わせられるのが分るので実に驚歎の外ないのである、斯様(かよう)な素晴しい神様の下僕たる吾等の多幸を思う時、感激せざるを得ないのである。

忘れもしない、昨年の五六七大祭三日間の玉串料五拾六万七千五拾円という数字が出たので、一驚を喫したのである。

由来、数字というものの働きは洵(まこと)に軽視出来ないものがある事は、信者はよく知っている事であろう序(つい)でだからメシヤの言霊を数宇的に解釈してみるがメシヤのメとはムで六である、シは四で、ヤは八であるから、合計十八になる、十八は五六七、三六九とどちらも合計十八で、観音様の一寸八分も同様である。』

(追伸)続・政局に関すること

最後に大揺れしている政局について、心に留めておいていただきたいことを前回に続いて述べておきます。

普天間基地移設問題は、鳩山総理の対応のまずさから混迷を深めているように伝えられています。鳩山総理の発言が変化している理由として、最高権力者になったからこそ手にする情報というものを取り上げましたが、“それを打ち明けられることができればどれほど楽か”と思い、気の毒でなりません。

前回「今回の問題で最も重要なことは、一党だけが情報を独占することの危険性です。」と述べたことに対して補足しておきます。

すでにお読みになっている方もあるでしょうが、文芸春秋五月号で、ジョセフ・ナイ氏(ハーバード大学教授)は

「しかし、旧安保締結に至る過程では、日本が自立的な戦略を選んだことを忘れてはなりません。

アメリカは当初、日本に大規模な再軍備を要求し、なんとかして朝鮮戦争に加担させようと猛烈な圧力を掛けましたが、当時の吉田茂首相はこれに屈せず、日本自身は軽武装路線を進む<吉田ドクトリン>を立案・実行することができた。その結果、日本は総力を挙げて経済復興に取り組む戦略に踏み切った末に、世界第二の経済大国にまでなったのです。これは大変な外交勝利です。」

と述べています。

また、ジョン・ダワー氏(マサチューセッツ工科大学教授)は

「いや、五十年の歳月を経て新たに確認されたことの意味は大きい。アメリカは当初から、自民党の“一党民主主義”の強化を目論んでおり、CIAが岸首相を支援していたことはもはや周知の事実です。この日米安保体制には、核持ち込みを含む様々な不透明性が組み込まれていたのです。私たちは過去に何が起きたのかを知る必要があります。」

と述べていました。

前回の話の裏付け的発言ですので、特記しておきます。どうか、こうしたことを承知した上で、閉塞感に覆われた現代日本の背景にあるものを熟知して、日々の報道に耳目を寄せてください。

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