メシヤ講座・特選集no.113(平成22年6月分)

<メシヤ様対談記・22>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)と
法大文学部長・美術評論家
谷川徹三氏との御対談(三)


(栄光二百十三号 昭和28年6月17日)

茶器について

谷川氏 箱根美術館は今度は茶の方はなかったですが、茶碗もいろいろ拝見したいですね。

明主様(メシヤ様) 茶道具だけはいじらなければ承知できませんからね。

谷川氏 それに美術館のような明るい所では駄目ですね。特に井戸茶碗などは茶室の薄暗い所でなければ駄目ですね。

それについて面白い話があります。去年光悦の不二山(ふじさん)が博物館に出ましたが、それを触らなければ承知できないので、館長さんの所に行って触らしてくれと言ったところが、酒井さんから固く言われているから駄目だと言うのです。しかしこれを仕舞うときには誰かが仕舞わなければならないから、ということで、それまで待って行ったのです。そうしたら、私と同じように断られた人達がコッソリと来ているのです。その時に引繰り返して見ました。それから白鶴美術館で、六、七年前に展観があった時に、鴻池家の光悦の毘沙門堂(びしゃもんどう)の茶碗があって、どうしても触らなければならないというので、午前中に行ったが、皆がいるうちは駄目だから帰ってからと言うので、三四時間待って触らして貰ったのです。どうしてもそうなりますね。

奥様 そして最後にはちょっと口につけなければなりませんね。

明主様(メシヤ様) 触る楽しみですね。私は不二を狙ったが、どうしても駄目です。

谷川氏 私はそういう茶碗では、不二と雨雲(あまぐも)です。

明主様(メシヤ様) 良いですね。私は紙屋(かみや)も好きですね。長次郎ではなんですか。

谷川氏 大黒(おおぐろ)です。三、四年前に茶道の大展覧会があった時に出てまして、やっぱりいじらなければ承知できないので、朝早く博物館に行って夕方まで待ったことがあります。あれは何気ない茶碗でいて、実に何とも言えないものです。天衣無縫ですね。

明主様(メシヤ様) それが本当ですね。

谷川氏 これは不二に匹敵する物ですね。ある意味ではそれ以上とも思います。あれくらい品格のある茶碗はありませんね。雨雲は親しみやすいですね。そこにいくと大黒は品格も高いし不二みたいにおさまりかえってないから、それはなんとも言えませんね。

明主様(メシヤ様) つまりイヤ味がないのです。垢抜けてます。

谷川氏 そうです。井戸茶碗の良さも結局それですね。なんの細工もない、おおらかな素直さですね。

明主様(メシヤ様) そうですね。去年の「あやめ」の茶碗は随分ほめられますね。

谷川氏 あれも良い茶碗ですね。

明主様(メシヤ様) 雁取(がんとり)はどうですか。

谷川氏 私は実物を見ていませんのでよく分りませんが、少しクズがありますね。

明主様(メシヤ様) これはご存じですか。

谷川氏 いま拝見します。光悦風ですね……。これは膳所光悦(ぜぜこうえつ)ですか。

明主様(メシヤ様) そうです。

谷川氏 私は写真だけで実物は見ていませんでしたが。

明主様(メシヤ様) 名器鑑に出ているほうが悪いのです。

谷川氏 それは有名な話ですね。膳所光悦というのは、光悦の中では全然かわっているとは聞いておりましたがね。この口作りが何とも言えませんね。高台(こうだい)も何とも言えないが、この口作りは良いですね。複雑なものですね。形もよいですね。乙御前(おとごぜ)という有名な茶碗がありますが、その高台は実に良い物ですが、ロ作りが少しヘナヘナでした。ロ作りはこの方が良いです。そうですこれの箱を拝見したいですが。膳所光悦でお茶をいただくとは思いませんでしたね。これは遠州の箱ですね。

奥様 「ふ」がはいっている所は、宗達のチンコロのような感じですね。

谷川氏 一寸(ちょっと)そういうような感じがありますね。この茶碗は随分使ってますね。茶碗というのは高台を見れば分ります。この高台が減っているのは、畳ずれです。上の方だけ見ていると非常に新しい物に見えますが、高台を見ると古い茶碗ということが分ります。これがすり減っているのは、畳ずれ手ずれとでもいうものですね。この高台は実に良いですね。そして上の方にムックリと自然にプッとふくらんでいる点が実に良いですね。そして実に素直になって、口作りに来て何とも言えない複雑なものを画いてます。そして実に自然に変化があります。それがわざとらしくありません。

明主様(メシヤ様) やっぱり名人芸ですね。井戸茶碗では何ですか。

谷川氏 やっぱり喜左衛門井戸(きざえもんいど)ですね。それから毘沙門堂です。

明主様(メシヤ様) 筒井筒(つついづつ)はどうですか。

谷川氏 あれほどひどく割れているので、それを気にする人がありますが、その美しさは第一等ですね。きれいな点から言うと、細川井戸、有楽井戸ですが、力のある点から言うと、やっぱり喜左衛門です。ただ喜左衛門は筒井筒みたいに割れていませんからきつ過ぎるのです。ちょっと気味が悪いと言う人があるかもしれませんが、私はそうまで感じません。それから面白いのは、筒井筒は今から三十年ほど前に京都の博物館に長い間出ていたのです。その時は如何にもホコリっぽくなってました。ところがこの間嵯峨さんに招ばれて行って見ましたらずっと美しくなってました。それは使っているからですね。茶碗というのは使ってないと死んでしまうのです。これは硯でもそうです。湛慶(端渓・たんけい)の硯でも、長い間使ってないと死んでしまうそうです。支那などでは、そうなった硯は毎日水をつけてすり、水をつけてすりしていると、三年くらいやると、生き返って来るそうです。それで今の井戸等の美しさというのも、長年使って来た味がこもっているのでししょうね。

明主様(メシヤ様) この膳所光悦もそうでしょうね。

谷川氏 人間的の美しさというものが出てますね。

明主様(メシヤ様) 全く微妙なものですね。

奥様 お茶をのむ為に作ったのですから、それを使わなければ死ぬわけですね。

谷川氏 そうです。持たれることによって茶碗自身にあるものが引き出されるのです。こういう焼物というのは世界に類がありませんね。それは支那の焼物も世界に類がありませんが、ただ支那にも楽のようなのはありませんね。これは日本の天才ですね。

明主様(メシヤ様) そうですね。この間見ましたが、日本にお茶を持ってきた支那の坊さんの物で何とか言う名前でしたが。

谷川氏 青磁ですか。天目ですか。

明主様(メシヤ様) そうではないのです。普通の薄手の茶碗で支那陶器で言えば越州窯(えっしゅうよう)というような、少しネズミを持った物です。それから、珠光青磁(じゅこうせいじ)というような色です。

谷川氏 それでは栄西(えいさい)禅師ではありませんか。

明主様(メシヤ様) そうです。それを見ましたが、なかなか良い味がありました。

谷川氏 栄西禅師が持ってきて、明恵(みょうけい)、明恵(みょうえ)といろいろ言いますが、その人が伝えたのですね。

(人物及び美術品の振り仮名、説明書きは原本に付加いたしました。)

 

≪「地上天国祭」挨拶(前半)≫
神界の秘儀を明かすことが許された

メシヤ教代表 楳木和麿

前日の奉告参拝で思い知らされた二点

「地上天国祭」おめでとうございます。今日は非常に大切なことをお伝えしたいと思います。

昨日朝7時過ぎに神仙郷・奥津城へ「地上天国祭」を執り行わせていただくご挨拶に参ったのですが、御殿場の方から何時もと違う道をナビが誘導して山の中へ入って行ってしまいました。ちょうど奥津城から見ると後ろに早雲山が見えます。その奥に神山があります。メシヤ様は『神山が世界の中心だ』と仰っておられます。その神山の麓を通過して箱根強羅へ下りるようなルートを通らされてたのです。

そして、奥津城では誰もいなかったのですが、もし大きい声で参拝していると次に来た人が待たなければならない、と思って私は静かに参拝していました。すると、突然後ろに大きな声で祝詞を上げる二人連れが来ましてね。非常に想念を乱されましたので、一応参拝を早々に終えて、そして二代様にご挨拶をして、そうこうしているうちに出仕者が受付を開けてくださったので、改めて御花料をお供えして、その人達が去った後もう一回ご参拝したのですね。

“何故、こういう自分の想念を乱すことが起きるのか”ということをしばし考えて、そして天津祝詞と善言讃詞を奏上させていただきました。

ここのところ連続して、皆様方には「メシヤ様お出ましの夢物語をどう考えるか」ということをお伝えして、今回のメシヤ講座で完結にしておりました。しかし、実は書けないこともあった訳ですね。その内容を何時の段階で皆様方にお伝えするかということを考えていたところ、出張に出てから、まだメシヤ講座に書いていない最後に辿りついた結論を裏付ける資料をいただく機会があったのです。

それで一晩熟慮した結果、「早い時期に皆様方にお伝えしよう。そういう時期を迎えているのだ」と痛切に思いました。そのような想念で大阪松原の月次祭で天津祝詞・善言讃詞を奏上している時に、厳粛さと共に今までにない爽快感に包まれる中、祝詞を最後まで奏上することができました。

皆様方には、今年になってから天津祝詞・善言讃詞を奏上する前に主神様に真向かう姿勢、メシヤ様に真向かう姿勢ということを司会者の方に読み上げていただいて、そして参拝をしていただいておりますが、その想念というものをより高めてゆかなければいけない、また、自分自身の想念を純化して参拝させていただかないといけない、と奥津城で更に思わされました。これが第一点です。

そしてもう一つは、世界救世(きゅうせい)教が三派に分かれて、しかも三派に分かれた中でも更に枝分かれした中での活動を世界救世(きゅうせい)教自体はしております。また、それより以前の一元化の時、あるいはメシヤ様が御昇天された時に離脱した教団があって、大きい法人だけでも大体十五法人を超える数が現在ある訳ですね。それをもう一度統合して世界救世(メシヤ)教を復興したいという願いを私は持ってずーっと御神業に臨ませていただいたのです。この願いの裏側には、それ等の教団の人達にある程度期待するところがあった訳です。浄霊力をいただいて、御教えを手にしている以上は必ず回心して、メシヤ様に再度太く繋がってくることを期待して取り組んでいた訳です。

しかし、それでは少し時期が遅れてくる可能性があるので、今まで私はメシヤ教の信者さん方に「布教しなさい」ということは一切言ってきませんでしたが、これからは布教活動というのは新たな気持ちを持っていただいて、大きくなる意図を以て数を増やしてゆかないと、物事が進んでゆかないということをこの時に同時に感じさせていただきました。

布教しなくてはいけないということではなくて、これからメシヤ様の御力と御教えを宣べ伝えていこう、と、そういう気持ちになるようなものをこちらは準備してゆきますので、私が「もっと布教しなさい」と言わなくても布教したくなるようになってゆきます。そういうふうになってゆきますので、もう「やりなさい」と言うのは今日一回だけです。あとは言いません。きっと皆様方の魂がそういうふうになってくると信じております。

「ミクラタナ」の神様という御神名

そういうふうになってゆく行程の根源に置いていただきたいのが、今日お伝えする内容です。

『昭和25年6月15日にメシヤ様の腹中の光の玉に魂が宿られた』というお話は聞いていると思いますね。

【参照・「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」6月18日書き込み分より引用】

『ここで言いたい事は現在の私である。それは静岡事件の際留置所の中で、頗る神秘な神業が行われた事はいつか話した事があるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、出所早々散花結実の書を千枚かいて主なる信者に頒ち与えたのも、その時の経綸によったのである。「神様と私との関係」(地上天国57号・昭和29年2月25日)』

光の玉は元々ある(昭和元年の御啓示により御存在を御自覚)ので浄霊力を万人に授けられた訳ですが、その光の玉に神御魂が宿られたのが6月15日で、その時宿られた神様は『○○○○○』の神様というようにずーっと伏せられております。

で、ここ数年前からですね、三重支部の濵口さんもあるサイトを見つけて、そこでその御神名を知ることができまして、私もその御神名と我々が御神業を続けさせていただいているその繋がりがですね、どうしても繋がってゆかない部分がありました。大よその教団もそれが繋がっていないからか、正式発表もしていないと思うのです。

出会った資料そのものは公開の許可を得ていませんので、いただいた資料に基づいて説明をいたします。この御神名はですね、メシヤ様の側近中の側近で井上茂登吉先生という方がおりまして、MOAの資料の中では、この井上茂登吉先生ともう一人の女性(長谷川ナミ女史)とメシヤ様と御三方で、本部ではなくて井上邸で御経綸上重大な御神事が執り行われた、と記述されています。それ故に明かされていた内容だと拝することができます。(中略)

その神様の御神名はですね。『ミクラタナ』の神様であります。この神御魂についてメシヤ様はどういうふうに御説明されているかというと、今まで光の玉が御自身のお腹にあられたのですけども、そこへ『魂が宿った』と仰られています。魂が宿ったことによって新たに『メシヤ』様が御生まれになられたということです。

この宿られた瞬間というのが、実はこの御神体の形である訳ですね。光の玉があった訳だから、そこへ「ミクラタナ」の神様が神御魂として宿られたので、メシヤ様という御存在になられたということです。過去に大本教系の「日月神示」とか「大本神諭」などを読んでいると「『○』に『・』というものが大転換を生み出す」という予言を目にしたと思います。しかし、この『○』に『・』というものが大転換に繋がるということについては中々解らないものである訳ですね。

メシヤ様の御言葉をずーっと繋ぎ合わせていくと、この『○』に『・』という御存在に対して私達が御祈りするということは、メシヤ様の腹中に宿られたメシヤ様そのものに御祈りするということと同時に、三重支部の方から報告があったような、所謂太陽の黒点ということが象徴的に現われてくるものと一致するということで、メシヤ様であり主神様であられるということになります。そういう御存在に直接御祈りするという事になってゆきます。

そういうことになってゆくのですが、思い起こしてみると、私は主神様の御神体について最初メシヤ教を始める時に前の教団役員の方に「どういう形で信仰形態を整えていくんだ」というように尋ねられましたので、「主神様の御神体『○』に『・』の『ス』というお文字でゆきます」と話をしたことがあります。それから霊能者からも初期はかなり問い合わせが来たりしたので、いろいろ話し合った時に「主神様」という御存在はあまりに高過ぎるので、その高い存在を家庭や支部に御奉斎するというのはちょっと相応しくないのではないか、違う形が良いのではないか、と随分止められました。

しかし、これはメシヤ教を発足する時に「どういう御神体にさせていただくか」ということをメシヤ様に求めさせていただく中で、最後に示されたものであった訳です。しかも、その御文字が存在したということで決めたことであります。

それがちょうど立教11周年を迎えた祭典の日に、太陽の黒点に象徴的な変化が時節を合わせるように起こってきたということ。まあこの話していること自体がまだ十分お伝えしきれていないのですけれども、これが神様からの「それでいいんだ」と言う、ちょうど夕べですね、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に川崎の方から書き込んでいただきましたが、その本文にメシヤ様から『それでいいんだ』と夢の中で言われたと書き込まれていましたけれども、そういう思いが沸々と湧いてくるような出来事でした。

つまり間違いなかったと思わせていただいた訳です。

【参照・『一つの神秘』(栄光83号・昭和25年12月20日)より】

『愈々(いよいよ)、六月十五日(昭和25年)となった。すると朝まだき、今日の重大な意義がハッキリして来た。というのは以前かいた著書に、私のお腹の中に光の玉があるという事で、之を読んだ人は知っているだろうが、此(この)光の玉には今迄魂がなかった。処が愈々(いよいよ)今日○から○つた或(ある)高位の神様の魂が宿られた、即ち右の御魂が現世に生誕された事になるのである。之から此(この)神御魂が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大偉徳を発揮さるるに到るのである。』

(また、この瞬間に神人合一の御境地に立たれた、ということが特筆すべきことです。先ほど引用の『神様と私との関係』の続きには次のように述べられています。

『処がその時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままを行(や)ればいい事になったのである。』

ここに引用した御論文『一つの神秘』と『神様と私との関係』は表裏一体と目され、そうであるからこそ、またこの繋がりが非常に重要である、という認識から「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」へ「御神格について」と題して書き込んだのです。)

天上の王権のシンボル

この「ミクラタナ」の神様という御存在は、一つは伊邪那岐大御神(いざなぎのおおみかみ)様からですね、三柱の貴きお子様の内の天照皇大御神様に授けられた御頸珠(みくびたま)であると言われております。この御頸珠こそ、天上の王権のシンボルと言われるものなのです。(しかし、御頸珠は装身具的なものではなく、主神様の神御魂そのものであり、それ故にメシヤ様は『最高最貴』と敢えて仰せられたのです。)

ですから、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」の際に、メシヤ様ご自身に『天照皇大御神守り給へ幸倍へ給へ』と御唱えしたのは「ミクラタナ」の神様の神御魂が宿られた本体としてお参りしたというように拝し捉えることができると思うのです。

このことは神様であり肉体を持っておられたという、そういうお言葉になる訳ですね。で、メシヤ様が御昇天されてもう55年になりますけれども、我々の信仰はこの光の玉に御宿りになられた「ミクラタナ」の神様という御存在、その総体から御力をいただいて、そして地上天国を建設してゆく、という、そういう御力と智慧という尊いものをいただいてゆくというふうになっていると思います。その源ということを今回示されたというように受け取っていただければ有り難いと思います。

それから、この「ミクラタナ」の神様のことをいろいろ三重支部の方で調べてくださった内容の中には、例えば私達のしゃべっているですね、母音と子音によって日本語というのは構成されておりますが、「ミクラタナ」というのはその言霊を全部のせる棚(御倉板擧)のことなのだというような説明もあります。そうすると私達が物事を考える原点は言葉です。言葉がないと思考することができません。何か考えると言っても言葉で考えている訳ですよ、皆さんはね。その言葉の一番基が日本人は母音と子音の構成によって出来上がっていると。それが一番根源的なものでありますね。

ですから古代の日本で使われていた文字では、この『○』に『・』という文字は「ア」になります。母音と子音の最初の言葉としての「ア」ということになってくるということに繋がってゆきますので、一回で聞いてもわからないと思いますが、根源中の根源を示されたという訳です。

私達はそのことを知ることを許された人間であるという訳です。(知るということは使命が共存しています。)ここに集まっている人達はね。でこの許される人間を一人でも多く増やしてゆくということが実は本来の布教ということになる訳です。そういう神代のことまで解ってゆくということが願いとしてはあります。(参照・「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」6月18日の書き込み以降の内容)

そのために今日は3人の方に報告していただきました。その内容に繋がってゆきます。(祭典当日は、3人の方々の体験報告の後に代表挨拶が執り行われました。)

<体験報告>
首の腫瘍は2年後の検診でも縮小

島根県松江市  松本勝代

 

堅苦しいことではなく生活上の心掛けが信仰

広島県広島市  船井三知代

主人の浄霊で生理不順に御守護

山口県山口市  百合野早苗

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