メシヤ講座・特選集no.116(平成22年9月分)

<メシヤ様対談記・25>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)と御対談(二)

アジヤシーン東京特派員 ディック・中村氏
ラジオ東京アナウンサー 真 山 照 政氏

(栄光二百六十七号 昭和29年7月28日)

私の『光』は

真山氏 先ほどの御守の科学的根拠というのはなんでございましょうか。

明主様(メシヤ様) 『光』という字を書くと、その中に光が入って行くのです。

真山氏 それは教祖だけがおやりになられるわけで・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。それだけの能力を神様から与えられているのです。

真山氏 その神様というのは・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 主神と言いますが、最高の神様です。最近の事ですが、或(ある)人にキリストが憑(かか)って、この神様によって救われてます。

中村氏 『光』という字ですか・・・・・・。

(御守様をお見せになられ)

明主様(メシヤ様) これを一枚六秒で書くのです。ですから、とても早いです。これを懐に入れた刹那から病気を治せるのです。

真山氏 そうすると、何時も神様が教祖の体に宿っているわけでございますか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。此処(ここ)にいるのです。

真山氏 教祖の『光』というのは、世界的には教祖御一人という事になるのですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。昔からないのです。人類始まって以来初めてです。

真山氏 併(しか)し教祖がなくなられると、後、救世(メシヤ)教はどういうことになりますので・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 霊界から働きますから、何でもないです。

真山氏 『光』の字を書く人はいなくなるわけですが・・・・・・。

明主様(メシヤ様) その時代になると、穢(けが)れのある人がなくなるから、必要ないわけです。

真山氏 では、その時までは教祖も生きられるというわけですね。

明主様(メシヤ様) そうです。

スターリンは地獄に落ちている

真山氏 先程のお話に、キリストにお会いになられたそうですが、それはキリストが喋るという事は分りますのですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) よく分かります。自分で名乗って来るのです。

真山氏 外国人の場合は言語上の問題がありますが・・・・・・。

明主様(メシヤ様) それは日本語になるのです。霊界で翻訳する係があるのです。それは現界と同じです。

真山氏 そうすれば誰でもしゃべれるわけですね。歴史上の人物などにお会いになられた事は・・・・・・。

明主様(メシヤ様) あります。併(しか)し必要がないと憑(かか)れません。

中村氏 今の霊のそれは教祖であるから来るのですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。私が助けたからです。

真山氏 キリストの他には。いろいろお会いになりましたか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) ええ。面白い話があります。スターリンが地獄のドン底に落ちて、非常に苦しんでいたのです。処がさっきの話では、スターリンがやっと地獄の下から少し上ったそうです。

真山氏 どういうところから改心したのですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 今迄自分は間違っていた、非常に悪い事をしたというのです。それで地獄のドン底に落ちたのです。その地獄のドン底というのは、キリスト教では煉獄、仏教で言う最底地獄、神道で言う根底の国で、光がなく真暗で、光も熱もなく、それは大変なものです。どんな者でも改心します。私は地獄のそういった霊を幾度も救ってやりました。スターリンは難かしいだろうと思っていたのです。これは、私が静岡の、四、五年前に留置所に入った時にそういった連中をみんな呼んだのです。それは生霊といって生きた人を呼べるのです。それでスターリンを呼んで共産主義の間違っている事を色々言ったが、どうしても駄目だったのです。毛沢東などは素直に言う事を聞きました。

真山氏 毛沢東は今、現存の人間ですね、もう死んでますか。

明主様(メシヤ様) 神秘ですね。

真山氏 死んでますか。そういう話があるのですが・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 危ぶないですね。

真山氏 断言は出来ないですか。生きているか死んでいるかは・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 断言はできないです。

真山氏 戦争中の東条英機にはお会いにはなりませんか。

明主様(メシヤ様) 東条英機としては話さないが、やはり大変な意味があります。それは今言えませんが、とに角善悪というものは人間には分らないです。つまり、凡(すべ)て世界は神様が経綸しているのですから、戦争も平和も一切は神様の経綸によって出るのです。

汚職は浄化作用なり

真山氏 新聞で御承知と思いますが、政治汚職が毎日の新聞を賑わしておりますが、これはいかがなものでございましょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) あれは浄化作用というわけです。そういった悪い事、間違った事をすると曇りが溜るから、その浄化があるわけで、病気と同じです。

真山氏 そうしますと、必然的なものでございますか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 無論そうです。借金するから返さなければならないようなもので、自分で作ったものです。借金を返すには苦しみがありますから、そこで苦しむわけです。処がこの信仰は苦しまなくてやるというわけです。

真山氏 浄化されております今の日本の政界というものは、治りますでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 治ります。しかしあれを治す方法は救世(メシヤ)教以外にはありません。

真山氏 救世(メシヤ)教はその手段として何か方法をとっておられますか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 日本に信者が増えつつありますが、これがその現われです。処がああいう偉い人は体的には敏感ですが、霊的には甚だ鈍感なのです。だから分りかけが遅いのです。というのは要するに学問を受けたり、社会で偉くなった人というのは科学迷信の根強いものに囚われてますから、そこが普通の考えとはアベコベになってます。

貧から解放されるには

真山氏 色々な問題がありますが、病気から離れて貧を救うという事は、どんなものでございましょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) その前にもう一層根本的に言えば、人間は霊と体との両方で成立っているのです。処がその霊を認めないのです。医学というのは体を根本にして研究しているのです。併(しか)し私の方では霊主体従と言っているのです。つまり、人間一人一人の中心は魂ですが、魂というのは霊界に属していて、体は現界に属しているのです。この霊界というのは現界と同じで層になっていて、その層は百八十段ありそのどれかに魂は属しているのです。例えて言えば地獄にあれば、貧乏、争い、忌わしい悪い事ばかりがあり、だんだん上に行くに従ってだんだん良くなって、真中の中有界というのは、良い事もあるし悪い事もある中位の所です。それを越すと天国になりますが、此処(ここ)は良い事の方が多いのです。良い事ばかりが流れているのです。そこで人間に曇りがあると、罪によって、下の地獄に行きますから、地獄の凡(すべ)ての影響を受けます。そこで貧乏で苦しむという事も、そういった下段の方に影響されているわけです。籍が下にあるからです。そこでその籍を上にすればそういう忌わしい事が少なくなるから、貧乏や色んな苦しみはずっとなくなるわけです。だから籍を上にすれば、嫌でも良いことばかりが来て、悪い事は来ないというわけです。其処(そこ)はそういうような事になっているのですから、仕方がないのです。貧乏もそういう訳です。今の人間はみんな地獄にいますから、それをだんだん上に引上げなければならないのです。ですから救世(メシヤ)教の信者はみんな貧乏をしなくなります。

真山氏 では救世(メシヤ)教の信者はみんな、病気もないし貧乏もしてないわけですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 併(しか)し最初はありますが、だんだん年限が経つとそうなるのです。

真山氏 それは、どういうようにして引上げるのでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 魂の罪が減ればよいのです。つまり、罪の重荷と言いますが、その罪を取れば軽くなるから上るのです。

真山氏 どう致しましたらその罪が取れましょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 浄霊による事と私の本を読むとかする事です。それは光が出るからです。私の方で発行する新聞の活字から光が出るので、それをみる人があります。

真山氏 そうしますと私どもは当分の間は貧から救われないわけですね。

明主様(メシヤ様) あなた次第です。救われたいと思えば信者になればよいのです。そうすればドンドン良くなります。併(しか)し、うまい事を言って信仰させようとするのだろうと思うでしょうが、思っても思わなくても、“信じろ”と言うのは嘘です。物は試しだ瞞されたと思ってやって“なるほど、これだな”と思えばよいし、思わなければ御守は捨ててもよいのです。

真山氏 私も救われたいとは思いますが・・・・・・それはやはり罪が多いわけでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 人を苦しめるというのは罪になりますが、自分が仕合せになろうというのは本当の欲求です。人をいじめてオレだけというのはいけませんが、人も良くなりオレも良くなるというのは良いです。共存主義です。

真山氏 私共は、経済的に心配がない方だからと思うのですが・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうではないのです。今地上天国というのを造ってますが、その金はみんな信者が寄附するのです。それも、金がある人が寄付するのではないので、自分が信者になって得た金を献げるのです。

真山氏 ははあ、そうですか。では救世(メシヤ)教自体も貧から抜け出ているわけですね・・・・・・。

明主様(メシヤ様) まあ、そうですね。

真山氏 我々のように貧に追われて来ますと、もうあまり考えないようになって来ますが、これも貧故というわけですかね・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 併(しか)し貧というものも必要ですよ。

中村氏 疑問に思う事があるのですが、教祖はさっきから、暑い暑いと仰言ってますが、我々はあまり・・・。

明主様(メシヤ様) それは光の関係です。

中村氏 やはり我々は貧の関係で・・・・・・というわけでしょうかね・・・・・・。

金に対する執着と言いますか、今の人間は本能的なものがあるようですね。

明主様(メシヤ様) 執着は構いませんがその手段です。金は結構な物であり、これほど重宝な物はないから、幾らでも得てよいのです。ただ、それを正しい方法で得ればよいのですが、正しくない手段がいけないのです。

真山氏 やる仕事はどんなものでも構いませんですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) と言っても、罪になる事はいけません。

恋愛はよいが罪を作らぬ事

真山氏 少し柔かい処で恋愛につきましては・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 私の方では、恋愛は神が与えた恵みだから大いにやりなさいと言うのです。

中村氏 教祖御自身おやりになりましたか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 大いにやりました。

中村氏 教祖も人間であったというわけですね・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。

真山氏 そういう話も聞いておきませんとね・・・・・・。我々の勉強になります。

明主様(メシヤ様) 大いにやってもよいですが、罪を作ってはいけないです。

真山氏 教祖は罪をお作りにはなりませんでしたか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 少しは作ったでしょうが、大しては・・・・・・。

真山氏 我々の唯一の教祖的な事は恋愛をしているという事だけ、という事になりそうですね。

明主様(メシヤ様) 負けおしみを言うようですが、それが無駄にはなってないです。それは、社会の裏を知る上において、相当必要があったわけです。ですから神様にやらされているのです。

真山氏 そういう時には神様が“いけない”というようにはなさらないのですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) それがあるのです。それは信仰に入ってからですが、どうにもならなくなって、私はこれは神様のお試しだとみたのです。オレの信仰に対する熱烈さがあるかどうかという事を試しているのだ、ここで及第しなければならないというので、ピタッとやったわけです。

真山氏 それでは自然に逆らったような事になるのではないですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうなりますが私は特別な使命がありますから、そこが普通の人間にはできない事と思います。

中村氏 私は宗教の教祖に会ったのは先生が初めてですが、お会いした処、我々が思っていた方とは違いますね。庶民的ですね・・・・・・。

明主様(メシヤ様) それはそうです。宗教家というのはそれが本当です。

中村氏 白足袋をはいてもっと・・・・・・と思ったのです。白足袋というと吉田茂ですが、教祖のお名前の岡田茂吉というのは、吉田茂の名前をはさんでしまっていますが、私はこれに何かをこじつけようと思っているのですがね。とに角、一応我々の考えでは、鉄のカーテンではなくても、少なくとも竹のカーテンぐらいはやられるのではないかと考えていたのですが・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 私はそういう事は嫌いなのです。そういう事をすると、こっちが窮屈でしようがないです。だから、普通人としてやった方が気楽でよいです。又、そう気取る必要はないです。

中村氏 保全の伊藤教とは違うというわけですね。伊藤の方が余程教祖らしいですね。

明主様(メシヤ様) 最近は森脇教という事になりますかね・・・。

中村氏 一つの線まで行くと教祖になって来るのですね。アメリカに行って帰っ来るとみんな教祖になるのですね・・・・・・。

これからの世を救うものは

真山氏 話は変りますが例えば強盗殺人をしたような、どんな悪い奴でも、信者になってそれを克服する事は出来ますでしょうか。

明主様(メシヤ様) そこですが、悪だから救う必要があるので善人なら救う必要はないわけです。ですから悪が強ければ強いほど救う必要があるわけです。親鸞の言った“善人すら救わる。いわんや悪人に於てをや”というのは、その消息を言ったものです。これを文字通り解釈したらおかしなものになりますが、これは悪人でも救われるというので、悪人ほど救う必要があるのです。そこで浄霊は善悪無差別に病気を治す事ができるのです。

真山氏 浄霊というのは魂を浄めるわけですか・・・。

明主様(メシヤ様) 魂と言うと少し違います。魂というのは霊の中心です。霊というのは体全体です。

真山氏 他の宗教にもそういう考えのものはありますでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 幾らかはありますが、救世(メシヤ)教ほど徹底してないです。

真山氏 璽光尊とか色々ありますが、ああいうものについては、如何お考えでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) あれはあれでよいのです。併(しか)し私の方とは違います。今迄の時代の程度においてはああいう救いが必要だったのです。併(しか)しこれからは救世(メシヤ)教でなければ駄目なのです。時代においてもそうです。

真山氏 理想とする処は世界人類の者が救世(メシヤ)教の信者になればよいという事ですね。

明主様(メシヤ様) まあ、そうです。

真山氏 今までは認めるが、これからは救世(メシヤ)教でなければならないというのはどういう段階がそうさせたのでございましょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうさせたのではなくて、神様の目的、神様の経営がそうなっているのです。例えば子供が育つようなもので、子供、青年老年と、年によって考えも違ってくるわけですが、そういうようで世界が大分成長して来たわけです。そうするとそれに適当した色々なものが出るわけです。

真山氏 そうすると、他の宗教の教祖というのも神様の御教え、霊感を感じているに相違ないと思いますが、神様の意志が救世(メシヤ)教に集まるということならば他の教祖達が、我々の宗教は終ったという事を考えないものでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) それは分りません。いずれは分りますが、やはり時です。

真山氏 霊を通じて教祖同志の話はできないものでございましょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 私の方でそうであっても、向うが・・・・・・。

真山氏 電話みたいなものですね・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。向うが受話器を外しっぱなしなわけですから・・・・・・。

真山氏 大変面白い話でした。こういう話は今まで聞いた事がありません。

 

≪指導者向け解説≫
神界の秘儀の受け止め方による変化

メシヤ教代表 楳木和麿

御対談で御神名をお答えになる

9月度の各地「メシヤ講座」を通して特に考えさせられたことは、メシヤ様がジャーナリストと語り合われた内容をどのように受け止めるか、ということです。

私達がとかく関心を持つところは、この対談がラジオで放送されたり、雑誌に取り上げられたりした、というものです。社会の認知度や反応というものはどのようなものであったのか、というところに興味津々となりがちです。一方、対談の中でメシヤ様が御述べになっている内容については“どうか”というと、御論文集や御講話集で拝読した記憶があるために、内容そのものについては確認する程度で終わってしまうことに、ともすると留めてしまいがちになります。

もっとも、支部ごとに工夫しながら関連する資料を信者さん方に提示していただいていますので、新たな学びの場として活用されてもいます。その創意工夫された取り組みが各支部ホームページの充実に現われています。

9月度の内容で私が強烈に思い知らされたのは、『夜昼転換』の真相を御開示されて選択肢を御提示されている、という点です。メシヤ様が『あなた方が普通の頭ならよいですが、科学迷信、医学迷信に固まっているからです。』と御述べになっています。これは当時の教団外部の方への御話ですが、その内容自体がその後の教団を形成する指針であるのです。つまりは、内部的には弟子達に対する方向性を示されているのです。

その意味から、メシヤ様対談記の前文に「私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。」と記述させていただいているのです。今一度その意味するところを噛み締めて拝読に努めていただければ幸甚です。

さて、今回の内容には、明確に示されているものがあります。御対談(二)の冒頭で次のような話が出てまいります。

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明主様(メシヤ様) 『光』という字を書くと、その中に光が入って行くのです。

真山氏 それは教祖だけがおやりになられるわけで・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。それだけの能力を神様から与えられているのです。

真山氏 その神様というのは・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 主神と言いますが、最高の神様です。最近の事ですが、或(ある)人にキリストが憑(かか)って、この神様によって救われてます。

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この会話を拝読した際に、『世界救世(メシヤ)教 教義』で主宰神の御神名を示された後、外部に公表している、ということを改めて思い知らされます。折りしも御浄化に入られる4日前(御対談は昭和29年4月15日に行なわれ、御浄化に入られたのは同19日)のことです。外部に向けて宣せられたのですが、同時に私は、内部に向けて再確認されたように受け止めたのです。

しかし、当時の教団内部では信仰の対象として昇華できなかったようです。話には御経綸という文言は出ては来ますが、創造主、御経綸の主宰者に真向かうための信仰形態を整えることはできなかったのです。誠に残念でもあり、結果的に御神業推進を遅滞させるように動いてしまったのです。

乱暴な表現であることを自戒しながら申しますが、御神業をメシヤ様御一方に担わせてしまい、大多数の弟子達は傍観者になっているのです。確かに浄霊を取り次ぎ大勢の人々を救い、お世話をし、メシヤ様の御神業を支えていたことでしょうが、御神業の“担い手”としての自覚の下に御発言を受け止めなければ、信仰形態の組み立てに結びつきません。

結論的表現になりますが、主神様に真向かう信仰を育み御経綸に対する理解を深める姿勢を持たねば、世の中の動きの解釈を誤ります。そして社会性という耳触りの良い文言の下に御経綸を小さいものとしてしまうのです。真の社会性とは、最高の科学を世に知らしめて、地上天国建設へと導くことであるはずです。それがずれてゆくというのは、「御神業」と口では唱えていても冒頭のメシヤ様の御言葉通り『あなた方が普通の頭ならよいですが、科学迷信、医学迷信に固まっているからです。』ということに知らず識らず、引き摺りこまれているのです。

ともすると、高学歴を経て専従をした者の中から些細な勘違いを起こすことが生じ、それがやがて大きな取り違えとなってゆくのでしょう。しかも中途半端な学歴意識が問題なのです。主神様の御経綸は人類の文化形態全てを包含しているのですから、最先端を意識しつつ進まねばならないのです。最先端を意識すれば、御教えを裏付けるように科学が進展している様子が見て取れるのです。中途半端であると、科学的という文言によってどうしても勘違いが生ずるのです。

信者の善意に甘える指導者の怠慢

9月には東方之光教団の信徒の皆さんと数多く交流いたしました。その中には「教師補」の資格を拝受されている方もいらっしゃいました。私達が以前いただいた教師補の資格とは異なり、集団浄霊が出来ない資格で意味不明なところがあります。勿論お会いした方々は信仰心の篤い方々ですが、必ずしもメシヤ様が示された資格を有する状態ではありませんでした。

その中のお一人は「私はその資格を受ける資格がないことを自覚しておりますので、お断りしようと考えていました。しかし、資格内容の説明を受けて“これはお金が目的だな”と感じました。“教団運営も苦しいのだろうから苦肉の策で打ち出したのだろう”と考え、献金のつもりでいただきました。」と話してくださいました。

何ということでしょうか。こうした信仰心の篤い方々によって、稚拙(ちせつ)な取り組みも受け入れられ、教団運営が支えられているのです。しかし、これは見方によっては信者の善意に甘えた指導者の怠慢であるとも言えるのです。

また、別の方は「手術や投薬を受けても“副作用がなかったら良いな”という程度で浄霊をいただいています。」と指摘して、憂いておりました。そのようなレベルの浄霊観しか持ち合わせていないような現状では、指導者は『知っているが故の罪』を犯していることになります。

こうしたことに対して、ブログ「岩戸開き」では警鐘を鳴らし続けているのです。最新のものから一部抜粋して引用します。

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我々は、薬毒というと、医薬品のみを考えがちです。近年の健康ブームにより、代替医療、健康食品店を訪れる人々が増え、その中で排毒効果、デトックス効果などの言葉が使われることもあるようです。健康食品やスキンケア商品の有害物質の薬毒についても、認識する必要があるように思います。

このことも、経済至上主義に流される現代において、何でも商売に結びつけ「これは健康によい」という言い方で、売りつけようとする現状です。

御教えにより真理を知ったからこそ、そうした問題に気付くことができるのは、感謝すべきであります。

さて『浄院』の名称を、「東方之光・MOA」は使用し、後に『療院』の名称を使用しました。その『療院』の状況を見ると、社会に迎合するあまり、薬毒、浄化作用を世に伝えることを、疎かにしている感があります。

『人間が薬を用いなくなると、自宅で簡単に治る軽い病気ばかりになるから、そんなもの(註・浄院のこと)を造る必要もなくなる訳である。』

このことを重要視したのであれば、薬毒論が生活に密着したものとなり、浄化作用を感謝で受け止めることができ、そのことが『療院』建設よりも、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の御心に適うのではないかと思います。

さて、今年のテーマであります「病気は感謝すべきもの」について、書かせていただきます。

今回の『浄化の言葉』の御教えは、当ブログの目標としているところであります。御昇天後55年経過し、メシヤ様(岡田茂吉教祖)を信仰する信徒の中で、浄化に感謝できる信徒より、浄化に不平を言う信徒が増えてきているように思います。そのような中で、信徒の意識改革を図るべく、当ブログで微力ではありますが、「浄化作用に感謝」を、今後とも訴えていきたいと思います。そうでなければ、大浄化時代を、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の信徒がリードしていくことが、できないと思うからであります。

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ブログ管理者が、社会風潮に対する指摘の一つとして、経済至上主義を挙げております。市場原理の背景には欲望の追求があります。取り分け現代は“もっと若々しくなければいけない”あるいは“もっと若々しい肉体にならなくてはいけない”というようにせき立てられているような感じさえします。その有力候補がサプリメントです。

サプリメントは体力が落ちている場合には“可”としたとしても、体力が回復した後も使い続けていると二つの問題が生じてまいります。一つは、肉体の消化吸収能力の減退です。冷静になってご自分の身体を見つめていただくと、食物を口に入れてから消化し吸収して排泄までの精緻な過程に気付くと思います。そこへ栄養素そのものを入れてしまうと、消化器官が退化しかねないのです。退化は身体全体のバランスを崩してしまいます。

もう一方では、一つの栄養素を過度に摂り過ぎると他の器官へ悪影響を及ぼす危険性が生じます。これはこれで身体のバランスを崩します。「サプリメントの過度の摂取は新たな病因になり兼ねない」と指摘する専門家もいて、大きな問題として捉えられるようになっています。

そうしたことが判明しているに関わらず、売り続けてゆくのです。「こんなに身体に良いのですよ」と宣伝し、消費させています。これはある種、現代人の奴隷化現象として映じて仕方ありません。

『何もしないことが最高の医療』という研究結論を発表

これに関連して7月17日・24日合併号の「週刊現代」に「長生きしたければ病院に行くな」というタイトルの記事が掲載されました。これは先月の「メシヤ講座・三重(平成22年8月分)」の内容と関連するのですが、「人間ドックが『二次がん』を引き起こし肺がん検診を受けると寿命が短くなる」と警告しています。

誌上で、医療統計学などの専門家で、新潟大学医学部教授(予防医学)の岡田正彦氏は次のように述べています。

「じつはがん検診の効果を真っ向から否定するデータが存在するのです。結論から言えば、がん検診などの検査を定期的に受けても寿命は延びません。それどころか、寿命を縮めるという結果すら出ているのです」

「普通に考えれば、きちんと検査を受けてきたグループのほうが、そうでないグループより肺がんになる割合も、死亡率も少なくなるはずです。ところが、結果は逆でした。検査を受けていたグループのほうが多く肺がんになり、より多くそれで死亡していたのです。

それだけではありません。この調査では、あらゆる死亡原因に関するデータが集められていましたが、肺がん以外の病気で死亡した人も、検診を受けてきたグループのほうが明らかに増えていました。つまり、“肺がん検診を受けると寿命が短くなる”という結果になったのです」

岡田氏の研究テーマは「病気を予防するために真に必要なことは何かを考えている。研究が進むにつれ、過剰な医療でむしろ健康を害している人の多いことがわかってきた。結論は『何もしないことが最高の医療』ということになりそうだ。」ということだ、と発表しています。

また、誌上では「欧米には人間ドックという考え方そのものががない。目的もなくただ漠然と検査を行ってもコストがかかるばかりで無意味、という意識がその根底にあるからだ。」とも指摘しています。

このことについて誌上では、還暦を境に健康診断や人間ドック、血液検査全てを止めたという拓殖大学学長の渡辺利夫氏は、自らの体験から次のように述べています。

「一種の確認恐怖症になっているんですね。検査で数字を確認しないと気が済まなくなっている。しかも、健康を確認したくて検査を受けていながら、その一方で異常値がないと逆に落ち着かないという矛盾も同時に孕(はら)んでいるのです。こんな心理は人間ドックを受けなければ生まれません」

時代の精神を色濃く表現している発言です。高齢になればなるほど、検査で体力を奪われてしまうことは周知の通りです。重く受け止めねばならない内容ですが、このこと自体、御教えに早くから出会った者の使命は“大なるもの”であることを雄弁に物語っています。

初心者には『思わなければ御守は捨ててもよいのです。』と

話は対談記に戻りますが、本文中でメシヤ様が真山氏へ入信教修をなさっているような場面があります。貧から解放されるにはのところで

真山氏 色々な問題がありますが、病気から離れて貧を救うという事は、どんなものでございましょうか・・・・・・。

という質問に答えられる内容です。縷々御説明されている内容は、そのまま入信教修で朗読したいほどです。

そして、信仰形態について大きな指針をいただいておりますので、確認のため引用します。

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真山氏 そうしますと私どもは当分の間は貧から救われないわけですね。

明主様(メシヤ様) あなた次第です。救われたいと思えば信者になればよいのです。そうすればドンドン良くなります。併(しか)し、うまい事を言って信仰させようとするのだろうと思うでしょうが、思っても思わなくても、“信じろ”と言うのは嘘です。物は試しだ瞞されたと思ってやって“なるほど、これだな”と思えばよいし、思わなければ御守は捨ててもよいのです。

真山氏 私も救われたいとは思いますが・・・・・・それはやはり罪が多いわけでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 人を苦しめるというのは罪になりますが、自分が仕合せになろうというのは本当の欲求です。人をいじめてオレだけというのはいけませんが、人も良くなりオレも良くなるというのは良いです。共存主義です。

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布教に対する御姿勢は、初心者に対して『思わなければ御守は捨ててもよいのです。』とまで仰っておられます。

「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に鎌倉支部から続いて書き込んでいただいている内容の解答が、ここに短文ながら示されているのです。『恐怖信仰の愚』を指導者は自覚すべきです。

そして、指導者は自らには厳しく信仰姿勢を質(ただ)していただきたいと願います。指導者たるものは『新人たれ』の御教えに照らして進歩向上を目指し続け、思考の深化を果たさねばなりません。今回解説に「指導者向け」と添えたのも、率先垂範を心掛けていただきたいためです。

メシヤ教の資格者は、投薬したり、食品添加物や化学物質に注意を怠る行動に出た場合には、資格返上を申し出ていただくことに決めています。これは自己申告ではありますが、求道者として本来あるべき姿を求め続けるからに外なりません。

その意味では「メシヤ講座・浜松」に掲載された内容が参考になると思われますので、次に引用します。

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質問 前日、支部祈願参拝で浄霊を取り次がせていただく時に、出かける前に「みくらたなの神様」を認識させてもらえるように、御力をいただけるようにと、お参りさせていただいて、支部へ行き、いつもはバタバタと家を出てしまっていましたので、いつもと違う気持ちで浄霊のお取り次ぎをしました。その日は○○さんが「足が痛い」と言っていたのですが、浄霊の後、いつもと快復の早さが違うね、という言葉を聞いて、浄霊をさせていただく喜びを感じました。

先生 ○○さん、その日は明らかにいつもと違ったの?

参加者 支部へ来た時には、座っていられないほど足がすごく痛かったのです。浄霊をいただく時に、今日はとても足が痛い、と話しました。浄霊をいただいた後、帰る時にはどこも痛くありませんでした。

先生 その時の浄霊の御守護が何でか、というのは今のが理由だから(「みくらたなの神様」に対する認識を深める取り組み)。やっぱりメシヤ様に真向かう認識が変わると浄霊の光が強くなるという事です。多くの方々が悶々とした生活の中で、このメシヤ教と出会ったので、一挙にメシヤ様に対する認識が高まったから、ものすごい御守護、奇蹟が出ているのです。だから先に歩いている浜松支部の人達は、のほほ~んとしているので、だから今の様な認識を新たにして『メシヤ様』に直に、より太く繋がるように取り組めば、もう手をかざすだけでどんどん結果が出てくるようになるのです。まあ、大きな参考にしていただきたいと思います、ここまでの話はね。

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体験者の学びを共有することは勿論、肝に銘じ、自らに取り入れ、実践に移していただきたいものです。そして何より、浜松支部の体験者がこの御守護を決して忘れることなく、いや今回の意義を自らの中で膨らませてゆく精神生活を歩んでいただきたい、と願うところです。

霊界にも通訳が存在する

最後に、対談記本文では、とくに興味深いところがあったと思います。対談の末尾でも

真山氏 大変面白い話でした。こういう話は今まで聞いた事がありません。

と述べられていますが、その中には外国人の霊とどのようにお話されたか、という内容についてのご説明があります。

これは、過去スターリンや毛沢東等とどのように話されたのか興味が湧いたところでしたが、9月度も様々な質疑がありました。その代表例が「メシヤ講座・三重(平成22年9月分)」で紹介されています。話題に上りました「霊界での言語上の問題」への御解答になります。

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真山氏 先程のお話に、キリストにお会いになられたそうですが、それはキリストが喋るという事は分りますのですか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) よく分かります。自分で名乗って来るのです。

真山氏 外国人の場合は言語上の問題がありますが・・・・・・。

明主様(メシヤ様) それは日本語になるのです。霊界で翻訳する係があるのです。それは現界と同じです。

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過去の疑問が氷解されたと思います。

【今回より、さらに指導者向けの内容になってまいりましたので、タイトルに「指導者向け」と付けました。「それでは一般者向けはどうなるのか」というお声が聞こえそうですが、今後とも各支部のホームページを参照していただければ幸いです。

また、解説文中で資格者に対する厳しい規約の一端をご紹介いたしましたが、信徒の皆様にはそうした決め事はなく、自由な信仰を心掛けています。どこまでも資格者に対するものです。指導的立場の者が率先垂範を心掛けねば、如何なることも机上の空論になってしまうからです。】

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