メシヤ講座・特選集no.133(平成24年2月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
肺患と薬毒

(文創  昭和二十七年)


現在の結核療法について注意すべき事は、今最も有効とされてゐるものに気胸療法がある。之は肺に空洞のある場合、肺胞を萎縮させて出来るだけ縮小させようとして肺の活動を鈍らせる。つまり肺の安静法で、その空洞の原因である濃度の喀痰かくたんも固まると共に、空洞も縮小され、一時は小康を得るが、普通人の生活をするやうになると再浄化が起り、元の木阿彌となるのが殆んどである。としたら之も根本的療法でないのは勿論である。 

その他、結核外の肺患に対しても、簡単に説明してみるが、肺壊疽えそとは肺臓と肺膜の中間に腫物が出来るので、放置しておけば腫れるだけ腫れて自然に穴が穿き、多量の血膿が痰となって出て全治するのである。之も浄化の一種であるが、医学は浄化停止をするので仲々治らない。遂に不結果に終るのである。又粟粒ぞくりゅう結核は肺胞にブツブツが出来るのだが之も皮膚の湿疹と同じやうなもので、一種の浄化であるから自然にしておけば、ブツブツから排膿されて全治する。又肺臓癌は肉食多量が原因で、肉中に含む一種の毒素によって血液が濁り、それが肺臓内に溜り、一旦硬度の腫物となるが、浄化作用によって逐次喀痰かくたんとなって出る。しかこの病症は性質が執拗で長くかかるのは勿論である。原因は菜食不足のであるから、菜食を多く摂るだけで全治するのである。何よりも肉食多量の西洋人に多いにみても肯かれるであらう。次に麻疹の際肺炎を併発する事がよくあるが之は何でもない。只呼吸頻繁の驚くが、之は麻疹が肺胞に表はれ肺の容積が減るで、その儘にしておけば二、三日で必ず治るものである。次に、結核に関聯した病気に喉頭結核がある。之は結核の末期に発生するもので、特異性としては声がしゃがれる事と、食事の際咽喉が痛み、嚥下困難になる症状である。この原因は痰が咽喉を通る際猛毒痰であるため、気管や咽喉の粘膜を刺激し加答児カタルを起すからで、この痰は最も古く、腐敗の度も強いのである。だから痰の出る間は仲々治らないから先づ見込はない。しかこの時は衰弱も酷くなってゐるからでもあり、医師も喉頭結核と判るや、必ずさじげるのである。次に腸結核であるが、この症状は臍を中心に腹部全体に渉って、無数の固結が出来る。勿論押すと痛いからよく判ると共に、必ず多少の熱がある。この固結が熱で溶解され、下痢となって毎日のやうに出るが勿論この結は薬毒の固まったものであるから服薬を廃めなければ治らないに決ってゐる。又下痢の衰弱を増す病気だから、医師も恐れるのである。

最後に、結核が他の病気に較べて、特に執拗で治らない原因をかいてみるが、一度結核となるや、何と言っても薬物が主となる上最初から種々の薬物を体内に入れる。それが原因となって、経過が長引くので患者は焦って凡ゆる薬物を求めるといふ鼬鼠いたちゴッコになり漸次ぜんじ体内に薬毒が溜り溜ってどうにもならなくなる。その薬毒が肉体を蝕ばむ上遂に不治となるのである。そうなると痰迄が薬の臭ひがする位であるから、全く恐ろしい錯誤と言えよう。従って三期結核は薬毒病と言ってもいい位で、ういう患者を私はよく治療したが、その目的は薬毒を除るだけである。何よりも薬毒が減るに従って、漸次ぜんじ恢復するに見て明かである。但しこの薬物を除る方法こそ私の発見した浄霊法である。

 

≪解説≫
因縁使命に基づいて
メシヤ様の御神業にお使いいただく道を得る『文明の創造』

メシヤ教代表 楳木和麿

節分祭、立春祭、教祖祭という重要な祭典を執り行なう

2月度は、節分祭、立春祭を執り行なわせていただき、その挨拶骨子は前回の「メシヤ講座・特選集(1月開催分)」にまとめた内容でした。教祖祭は、三重支部月次祭の日でありましたので、三重支部にて執り行なわせていただきました。

「メシヤ講座・三重(平成23年2月分)」で「教祖祭」代表挨拶をアップしていただいておりますので、初めにその内容を掲載いたします。

 

「教祖祭」代表挨拶

 本日は「教祖祭」ならびに月次祭おめでとうございます。

 今日は、いつものように御教え拝読をする前に「教祖祭」について少しお話して、挨拶とさせていただきたいと思います。

 司会の方から式次第の中で教祖祭のご案内をしていただいたので、皆さんもご参拝をさせていただくときに心新たな姿勢をお持ちいただいたと思います。

 教祖祭という日は、メシヤ様が肉体というものを持ってこの世に降りてこられて、そして、肉体としてのご一生を終えて神界にお還りになられた日であります。

●感謝は行動に。
本来の御神業を力強く推進させていただくという決意を!


 我々信者からすれば、この日はメシヤ様が御一生を懸けて、人としてあらゆる御苦労をされて、そして、私たちに「人を救う力」と「人を救う方法」を教えてくださって、神界にお還りになられた、という日です。

 “そのことに対する心からなる感謝を捧げさせていただきたい”と思いながら、お参りをさせてただこうということで、祝詞を奏上し始めたのですが、この祝詞を奏上させていただく時に、やはり“感謝というのは行動にあらわさなければ、ほぼ意味がない”という思いが込み上げてきました。

 そこで、『メシヤ様がなされようとされた本来の御神業』を力強く推進させていただく、という決意をみなぎらせなければいけないという、想いで祝詞を奏上させていただきました。

 「『本来の御神業』を推進する」ということを、これからの我々がいつも口にする言葉にしていきたいと思います。

 メシヤ様の推進されようとしておられた『本来の御神業』をしていない教団ばかりですと、この世の中が地上天国に近づいていかないことになりますので、私たちの取り組みから、全ての教団に感化を与えて、メシヤ様の推進されようとしておられた『本来の御神業』を進めさせていただこうということをいつも働きかけていただきたいと思います。とにかく、感化を与えていきたいと思います。

 そして、その感化を与えていくときの中心は何かというと、「浄霊力」ですね。メシヤ様が御昇天されて57年になります。本来もっともっと素晴らしい奇蹟に溢れる浄霊ができるはずです。

 その点、メシヤ教はできてますけどね。他の教団はできていないところもありますので、もっともっと「浄霊力」をみんなで伝授していただきたいと思います。


●組織に捉われず
 メシヤ様に直(じか)に太く繋がっていただきたいそれで、伝授する上においてのキャッチフレーズはもう決まっているわけです。

 「メシヤ様という御神格を認識して、メシヤ様に直(じか)に太く繋(つな)がっていけば必ず御守護いただける御浄霊をさせていただけるのだ」と。

 ですから、メシヤ様という御存在をご存知の方々には「メシヤ様という御神格をもっと認識してください」と。

 「そして、メシヤ様へ直(じか)に太く繋(つな)がっていただきたい」と。

 「組織とかいうものに捉われないで直(じか)に太く繋(つな)がるように。」

そういう働きかけをしていただきたいと思います。

 とりわけ○之光教団の方々がメシヤ教として立ち上がっていただいたので、御縁のある方々にもっと「メシヤ様の御神格」を認識してもらいたい。もっと「メシヤ様に直(じか)に太く繋(つな)がる」ように、想念面を深めていただきたいと思います。
そういうことを心がけていただきたいと思います。


●『利他行』『下座行』『手の力を抜く』のが修行

 そして、我々が信仰していく上においての日々の修行ということを少し考えていきますと、自分たちの信仰は一体何かというと、御教えからするとメシヤ様は『修行というものはあまりない。強いていえば浄霊の時に手の力を抜くということが修行なんだ』というふうに仰(おっしゃ)っておられます

 御教えを拝読させていただくと、『挨拶をする』とか『嘘をつかない』とか『人に迷惑をかけない』とかいうお言葉がしょっちゅう出てきます。

 それから、一番大事なことは『利他愛』なんだということですので、これは人のことを先にするということは非常に修行的な部分がありますので、『利他行』に努めていただきたい。

 それからもう一つは、「稔(みのる)ほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな」という句を引用されて『下座行』に徹するべきだということを仰(おっしゃ)っておられます。

 我々はですね、メシヤ様の御教えを日々いただきながら、大変なことに日々気づいていて、そして大きな悟りを開いています。しかし、いまだにそういう立場にない人たちが大勢いらっしゃるわけです。

 それでは大変お気の毒でありますので、どこまでも『下座行』で接していくという姿勢を貫いていただきたいと思います。

 ですから、信徒として修行していくということにおいては、いつも『利他行』『下座行』浄霊の時は『手の力を抜く』そうしたことを、自分の中に言い聞かせて、その上濵口さん夫婦には「布教三訓」「るナ三訓」を行じていただいているので・・・行ずる内容が多いので大変ですけども・・・(笑い)

 そうしたことを、教祖祭の日には確認しながら、御神業というのを新たな気持ちで進めさせていただきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。

メシヤ様の御在世時の御姿を鑑として生活してゆく上で心掛けていただきたいことを要約して述べさせていただきました。

『メシヤ様が本来進められようとされた御神業』を推進させていただく心は更に高まっていることと推察いたしますが、心に堪えず留めていただきたい内容ですので、確認をしていただきたいと願っております。

教団改革では上に期待してはダメで、自ら立ち上がるしかない

その御神業推進を願えば願う程、2月度の「メシヤ講座」では、教団改革を進める内容について多くの話題が出ました。その内容については、浜松支部でアップしていただいたものが良くまとまっており、今後のために参考になるのではないかと思いますので、次に掲載します。

東方之光

参加者  東方之光の信者さんで、中には御守護いただいている方があるようですが

先生  まあ、方針に関係なくメシヤ様、向こうは明主様というけど、「明主様の手足となって御用させていただこう」という人の中には御守護が多いわけでね。

参加者  少しは希望があるかなと感じました。

先生  だから信者さん方には希望があるわけ。上に行くほど希望がなくなっていくということが実態です。

今、東方之光だった方とか東方之光の方からいろいろ質問を受けて、「こういうふうな形で取り組んでくれ」と話をすると、「いやぁ専従者の代わりをせんといかんのですね」というような返事がよく来るのね。専従者がやるべきことを専従者が何もやってないために、信者さん方の問題解決が進んでいない、と言うのです。

しかし、信者さんの中でメシヤ様と太く繋がっている方々は、その信仰によって御守護いただいている。

だから、これこそが奇蹟的に御守護いただいているということ。普通は日常的に御守護いただいていかないといけないのだけけれども、教団方針に沿って御守護いただいていかないといけないのだけれども、教団方針通りにいくと御守護が無いので、皆がメシヤ様を求めて、そして御守護いただいていくというのが、東方之光の中の現状だから、上を叩き潰さないと信者さんの幸せは無いなぁ、というのをつくづく最近はね、感じるところです。

ましてや、今回の「メシヤ講座・特選集」に載せたMOAの販社のメールたるや、メシヤ様に弓引くようなね、そういう文章なので呆れ果てています。こんなことよく上の方が許しているなあと思わされるのだけれども・・・。

今の話から考えられることは、「教団護持委員会」というのが昔あって、教団が三派に分かれるもう少し前に、“何故こういうふうに過去メシヤ様を中心にした教団が分かれて、そして争いを繰り返しつつ今回もまた三派に分れようとしているんだろうか”と考えた時に、これを宗教が世俗化した時にはいわゆる分派(セクト化)していくというのが自然な動きだという論立てをしていた、「世俗社会の宗教(井門冨二夫著・日本基督教団出版局)」という、これだけ分厚い研究の本が出ていて、これに当てはめて考えるべきだという一旦は結論に達したんです。

世俗社会の宗教ということに、当時の世界救世(きゅうせい)教がなった時に、分裂の道を辿るというのは至極当然なことなんだという、その論理は論理として当然あるんだけども、しかし、自分たちというのはやはり、“メシヤ様の御教えをきちんと皆が拝読してないために分裂が起きていく”というふうに解釈をして、“何が何でも教団改革をしないといけない”という思いに立って教団改革を続けてきました。

ところが、同時に、いろんな分派に分かれてきた中に、所々輝くものが有って、その最たるものが世界救世(きゅうせい)教から出て、自然農法に取り組んだ人たち。これは分派したからこそ非常に研究が進んで、肥毒の研究まで、いわゆる肥毒がその土地に残っているかどうかの検出方法まで構築する人が生まれてきたりしています。

それから、我々が専従者として若い頃には、この辺でいえば高町から鴨江のあたりに一生懸命自然食品を販売するのだけれども、自然食品がいかにも不味い。コーヒーも不味いし、それから飲むジュースとかそういうものも非常に不味い。安全だけど美味しくないというのがその頃の常識だったので、私も諦めながらやっていた面がありました。しかし、具体例でいけばナチュラルハーモニーから取り寄せる食品たるやこんな美味しいものはないし、自然食品ほど本来美味しいというものを作り出してくれたのは、教団から出た人によって作り出してくれています。そして、コーヒーなどもルクスオリエンスというところのブラジルの信者さんが作ってくれているコーヒーというのは“世界一美味しい”と私は思うくらいです。こちらは、ブラジル布教のさきがけではありますが、組織的には世界救世(きゅうせい)教の枠外に出されています。

このようなことを見つめると、この分派(セクト化)していくということは、一面努力をした人は真実に辿り着く部分があるので、そういうふうに辿り着いた人達をもう一回メシヤ様の思想の中に取り込まないといけない。(そうしなければ本来の力の発揮と結集ができないで時が過ぎてしまいます。また、メシヤ様の御存在をオブラートに包んだような表現でしか出してゆけない状態が続きます。)

この取り込むという時に“枠の中に入れる”という考え方ではなくて、よりメシヤ様という御存在を高く認識する努力を一人一人がすることによって、いわゆる緩やかなまとまりが生まれている、という概念です。こういうことを世界救世(メシヤ)教を復興する運動の根底においておかないといけないということをね、強く思わされるのです。

だから出来るだけ他のところの批判はしないでおこうと思うけれども、MOAからくる情報だけは御教えに反することを平気で出してくるのでね。教えを真っ向から反対になる言葉が出てくるので、これだけは徹底的に批判しておかないと、認めたことなってしまうのでね、知った以上は批判しておかないといけないので、私も大変苦しいところなんですね。あんまり人の悪口言いたくないけれど。言わせるような事を発信してくるもんで。

先生  さて、その他、何かありましたら。

参加者  東方之光の信者さんの中にも教団を改革したいと思っている方がいらっしゃるようですが難しいと

先生  まあね、教団改革というのは中々難しいんです。上が変わらないから。だから改革は中ではできない(面があります)。自分達で立ち上がるしかないのですよね。そうして、「本来の世界救世(メシヤ)教になろう」という運動をしていくしかないわけですよね。

教団の上層部はメシヤ様の神格を引きずり下ろした、という事を認識しておいて下さい。

メシヤ様が御昇天した後、『メシヤ様』という御存在を『明主様』に戻してしまった。だから神格的には下げてしまったということです。だからこれから大事なことは、その本来のメシヤ様という御神格を認識することが、改革の一番の焦点なんだ、ということです。これが一つ。

そうして、浄霊力が御在世中よりも本来奇蹟が出てないといけないのだけれども、出ない原因は組織を通して光を頂こうと、皆、しているからなんだ、ということです。だから、直にメシヤ様に繋がる。直にメシヤ様に繋がって、その繋がりを太くすることが強い浄霊力をいただく最大の源なんだ、と。これだけをいつも口にしといていただきたいと思います。そういう人と話すときに。

そして、我々が進めなければいけないのは、『メシヤ様が進められようとした本来の御神業』を推進することなんだ、と認識を広めることです。このことしか御用と言えないんだと。だから、センターの留守番とかそういうのは専従者がやるべきことであって、信者さんがやるべきことではなくて、信者さんのやることは『メシヤ様が本来進めようとされた本来の御神業』を推進することなのだ、と。こういうことを語りかけていただきたいと思いますね。

この中で紹介した書籍で考えられることは、社会情勢の影響を受けて宗教の形態が変容することがあるという点です。また、時代に応じて法体系も変遷するために宗教態勢も変容せざるを得ない面が生じてきました。これを「社会性ということを目指す」という文言で表わし、それに引きずられると社会改革ができなくなります。

地上天国建設とは、前回も記述したように

『偽は真に、邪は正に、仮は実に、争は和に、醜は美にというように、一切の革新、一切の統合である』

というメシヤ様の御言葉を実行、実現することにあります。そうしなければ、様々な呪縛に取り憑かれている人類はあまりにも可哀想なのです。

『自然良能力』への認識と浄霊観の向上

教団改革に関連して特にメシヤ様御昇天後の、「世界救世(きゅうせい)教」に名称を変えてから辿った教団の象徴的姿が東方之光教団ですので、かつて所属していた信者さんが多い岡山支部、大阪支部では、確認させていただく内容が多くありました。

移転のためにネット環境がしばらく整わなかった大阪支部で、3月3日の佳き日に「メシヤ講座」をアップしていただきましたので、次に掲載します。取り分け突き詰めた話になりました。

代表先生  (前略)今日拝読した御論文は今言ったような病気に当てはめて考えていった方がいいと思うんですね。だから『肺炎と結核』と書かれてありますけれども、今皆さんがおっしゃった、癌とか認知症とか、精神病、糖尿病、それから膠原病・・、そうしたものについて、メシヤ様は御指摘をして下さっているので、それを応用して我々は考えておかないと、MOAのように医者に丸投げしてしまいます。我々が考えておかないといけない、ということですね。それをまず認識しておいていただきたいと思います。だから、今回は『肺炎と結核』についてお説き下さっているんですけれども、自分達が今一番罹りたくない病気として、最も悩みとされている病気について、具体的に考えていただきたいと思います。

その具体的に考えていった時に、今のところから3行目くらいいくと、『折角寒冒といふ浄化作用が発生するや、医療は極力停止させやうとして、種々の手段を行ふ』というように、結果排泄を止めてしまうので、中に残留してそれが固結を生んでいくんだということを、メシヤ様は繰り返し繰り返し説いていただいているので、そこのところを我々のですね、人生観の中に明確に入れておいていただきたいと思います。

明確に入れておかないと、精神病的な〇〇〇の指導者達がいろいろ説いてくると、それを鵜呑みしてしまいますね。人生観をキチッと持っておかないと、間違った指導者の話を鵜呑みにしてしまって、方針だとか、御経綸だとかという言葉に惑わされて、そして鵜呑みしてしまうということになっていきますので、ここのところをしっかり我々の腹に入れておいていただきたいと思います。

それから薬剤とか氷冷とかいうところからさらに下のところへいくと、『茲で、浄化作用なるものの本質を説いてみるが、』ということで書かれてありますから、『浄化作用なるものの本質』というところを、充分認識しておいていただきたいと思います。『浄化作用なるものの本質』という言葉をメシヤ様はここでお使いになっていらっしゃるので、浄化作用の本質ということで、しっかり認識しておいていただきたいのは、『曩に述べた如く、体内の毒素を排除すべく、生れながらに保有してゐる自然良能力である。従って此力の強弱によって、浄化力にも強弱が出来る。』ということですね。ここのところは非常に大事なところです。生まれながらに保有している『自然良能力』なんだと。

そうすると『浄化』という言葉はですね、おおよそ、メシヤ様が御昇天されてから56年の間にですね、負の部分を強調して説いてきました。

例えば、世界救世(きゅうせい)教の場合はですね、「あなたね、参拝してなかったら浄化するよ~」と「浄化するよ~」という言い方をしてます。浄化というのは、光をいただいて浄化を許されるわけなんで、参拝した方が浄化をするわけです。

(大阪支部責任者:「参拝しないとお蔭〔浄化など〕をいただけないので残念ね」という言い方ならまだよいと思います。しかし参拝ばかりしても、正しい信仰かどうかにより、向上浄化かご苦労様浄化か、いよいよ戒告浄化かなど、結果で判断ができます。参拝をしても、良いと思って信仰を外し、いつまでも病・貧・争が変わらないとか増しているなどは、全く不幸の種をまいては摘んでいるという、そのご苦労様な原因を探ることが先決です。)

しかし「参拝しないと浄化するよ」「御用しないと浄化するよ」「もうちょっとあんたね、献金しないと浄化するよ」とかいうような言い方で、脅かしの言葉で浄化という言葉を使ってきております。そのために長い信仰歴のある人ほど、浄化というのは怖いとか、そんなふうに受け止めさせられているところがあります。

これを今回の御論文、まぁ今ずっと拝読させていただく中から、根底から塗り替えておいていただきたいと思います。そのために『自然良能力』というところをですね、『浄化』というのと同じ意味合いの言葉なので、『自然良能力』ということをいつも前面に出していただいて・・・。

まぁ私もですね、節分祭、立春祭という素晴らしい祭典をさせていただいたお蔭で、その夜から浄化を許されまして、ずっと下げております。今日はもう大分落ち着いておりますけれども、昨日までですね、ものを食べるとずっと下げて、随分と腹の中の掃除をしていただいております。それほどに、光をいただくことによって浄化作用を許される、大変ありがたいことなので、是非このありがたいことを、我々の中に定着していくと共に、知り合いの人達、同じメシヤ様を教祖として仰いでいる人達に、徹底して教えて、・・まぁ言葉としては知っているんですけれども、腹にずっと入っているかというと、そういうことではないので・・、我々の啓蒙活動というのは、同じ信仰者に対しては、このことを知らしめることが啓蒙活動の一つなんだというふうに考えていただいて、『自然良能力』ということをいつも発信しておいていただきたいと思います。

 

「浄霊の意味」 と 「本来の浄霊」

代表先生  それでレントゲン写真のところがありますよね、これは『医学は之は何が原因であるかを知らない』というふうに御指摘されております。確かにレントゲンを撮ると、翳(かげ)が映ったりして、穴が開いてそうだとか、そういうことが分かるんだけれども、その原因は分かってない。現象的(病態生化学的)には分かるんだけれども、原因は分かっていないというところをメシヤ様は御指摘になって、・・・そして続けてずっと説明をして下っています。

だから翳(かげ)というのは、今のところから3,4行目まで・・、ん?ため息出るね、○○さん。(笑)今まで何やってきたんだろう、とため息出ちゃうね、やっぱり。

参加者  浄霊し過ぎてもまずい、とおっしゃいましたよね。あの・・、浄霊し過ぎて治らなかったんです、友達が。

代表先生  今いい話が出た。「浄霊し過ぎて」と・・・。メシヤ様は、浄霊というのは具合悪くなった時に、(浄化が厳しくなってきて辛いので暇さえあれば等で)浄霊しなさいとおっしゃっているんですね。健康な時にいつも浄霊いただきなさいとは御論文に書かれてない。じゃあそうなってくると、皆さんが健康な時にいただく浄霊のいただき方が間違っているということ、ね。MOAは(辛いほどでもないのに)熱のあるところとか、探査しながら浄霊してるでしょ。そして、そこを溶かそうとして(懸命に)浄霊してる。“浄化してないのに浄化させようとする浄霊”、を浄化療法という名のもとにしている。(御論文の理に沿わずに引用して)いい名前つけてるよ、浄化療法とね。それから腎臓も横からしなさい(MOAで通称、横腎臓)というグループもでてきたりしてる。これは健康な場合にはそういうことはしなくていいわけで、これは何故かというと、自分の体の中には『自然良能力』があるので、その『自然良能力』によって浄化が起きてくるので、浄化が起きた時にその浄化を促進させるために浄霊をしていけばいい。

(大阪支部責任者:腎臓背骨沿いに毒素が集溜し腎臓圧迫して機能不全となっているのが大半でしたが、横腎臓を多数やっても横付近は固結が改善したものの、肝腎の背骨沿いは改善しないことのほうが多く、一時は横腎臓の流行はなくなりましたが、また小田原地域で事例をあげて復活していましたが、結局は背骨沿いを直接したほうが早く改善したものです。その後採用する地方もバラバラでしたが、小川相談役が経験をもとに推奨したものですから、また流行っている地方もあるかもしれません。しかし、急所浄霊だとしても、固結は人それぞれ質量も位置も違うのに、技巧的に一律的に決める、ということは、ますます本当の浄霊から遠ざかっているということが、証として多くあります。)

「じゃあ何もない時に浄霊いただかなくていいんですか?」と。そういうことではなくて、何もない時にいただく浄霊というのは一体何かというと、これは『霊性の向上』のためにいただくわけです。

三千年来の罪穢れがあるために、自分の精神構造が『夜の時代』の精神構造になってるために、いらんことに腹立てたり、ぐずぐずと考えたり、取り違いをしていきます

それを取るために、“御光によって『夜の時代』の精神の癖を浄めていただく”、ということ。そして、“御教え拝読をすることによって魂に直に光をいただいて、『夜の時代』の精神構造を変えていく”と。この取り組みが信仰生活になってくるわけです。

いつまで経っても“溶かそう”とかいう浄霊をしていってると、初歩の浄霊から一歩も進んでいかない、ということになります。霊性(魂)が高まっていく浄霊というのは、『夜の時代』の精神構造を『昼の時代』の精神構造にみんな変えていくために、我々は信仰生活をしているので、そっちへ繋がる取り組みをしていかないといけない。だから、御教え拝読と、自分の霊性が高まっていくそういう浄霊のいただき方をしていかないといけない。

そういう浄霊のいただき方というのは、瞬間に高まるような浄霊のいただき方をしておかないと、なかなかですね・・・、例えば、30分間“魂が浄まりますように”という想いで浄霊をいただき続けるのは、なかなか難しいです。そこまで精神がね、集中力が続かない。そういう時は短時間でいいわけです。短時間にいただいて、そして、“よしっ”ということで、“これで光をいただいたからまた一歩『昼の時代』になっていくんだ”という、精神をそちらに向けていくような生活にしていくということが大事なので、そういう日々の生活を送っていただきたいというふうに思います。

浄霊観の話は、得てして奇蹟の現れ方に対する解釈的に話す場合がこれまでの指導者の中にはあったのですが、メシヤ教は鮮やかな奇蹟を日々信者の皆さんがいただいているからこそ、浄霊観の高まりとして提示したのです。

そうした姿勢がないと社会への貢献ができません。唐突ながら、東日本大震災の復興が進展していないという人が大半を占めている、という世論調査が新聞を賑わせています(3月3日付読売新聞)。被災した方々がお苦しみになっている原因を民主党政権に向けることは容易(たやす)いことです。しかし、現在の日本を形成してきたのは自民党政権時代なのです。戦後の復興を果たし、やがて高度成長期を迎え、日本の民主主義も成熟期を迎えなくてはならないに拘らず、時代の推移に伴う政策の見直しを怠ってきたのです。各種補助金の現実に合わない内容を継続していることや未だに天下り先を確保する官僚体制が続き、その結果、利権政治からの脱却ができないからこそ、復興が進まないのです。

東方之光教団は長年自民党を支持してきました。かつて専従者時代に私も支持基盤の拡大に駆り出されました。しかし、自民党に対して政策上の苦言をどれ程呈してきたのかを振り返ってもらいたいのです。その意図なしの票集めは、邪な思惑がある、としか思われないことは周知の通りです。これではメシヤ様の地上天国建設という御悲願達成には寄与できません。

美辞麗句の文言に酔い、現実的な変化を確認しない体質が色濃く残っているのです。これは全く“メシヤ様がなされようとした現実的救いを我が物とする”姿勢のなさです。どうしてもメシヤ様の御神意に還る運動を高揚してゆかねばならないところです。そして、そのための具体的道標(みちしるべ)を示してゆかねばなりません。

その意味からも『文明の創造』を世に出すということは大事業であると確信しています。メシヤ様の思想をそのまま世の中へぶつけてゆく訳ですから。

『文明の創造』上梓にあたり

三重支部の皆さんの努力により、『文明の創造』の編纂方針を確定しました。2月度の作業は大変なもので、三重支部の「メシヤ講座」アップが大幅に遅れた理由もそこにあります。上梓する『文明の創造』には、その労を讃える文言を入れていませんので、ご尽力いただいた方々に対してこの場をお借りして感謝申し上げます。また、2月末日までに仮名遣いについてご意見を寄せてくださった各支部の皆さんにも感謝申し上げます。

いよいよ出版作業に入りましたので仕上がりを期待していただきたいと思います。そこで、ここでは『文明の創造』に収録する「上梓にあたり」を紹介いたします。なお、文中ではメシヤ様のことを外部向け原稿ということで『岡田茂吉教祖』という呼称で紹介し、敬語も使用していません。あらかじめ目を通す前にご承知置きください。

 

上梓にあたり

岡田茂吉「世界救世メシヤ教」教祖が昭和二十七年に草稿し未完のままであった『文明の創造』を仕上げるという大事業に手したのは平成二十二年の春のことでした。まず、研讃資料として四冊に分けて編纂し仮名遣いなどを整えつつ各項の学びを深めてまいりました。これは、当初企図した「原文を正確に収録し、それに対して教祖の精神を現代に求める解説を付け加える」に沿った営みでしたが、その内容の深さから浅学な者が解説を加え同時に収録しようとすると膨大な紙面を要すことから、編纂方法を変更せざるを得ませんでした。

重ねた作業は、『万民に宣べ伝える』という御神意に基づいて老若男女の耳目に合致する文字の大きさを確定することと、仮名遣いを新聞仕様(中学二年生の学力で読むことができる)に準ずることとする、というものでした。結果、文字を大きくし原文の旧字体及び旧仮名遣いをそのまま使用して、読み辛い漢字にはルビを用いることで対応することにしました。このことからも紙面の制約を招いてしまいました。世界救世きゅうせい教刊の「岡田茂吉全集」は現代仮名遣いへ修正されており、旧字体も廃されています。そのため意味の伝わりにくい面があります。また、ルビの使用も一貫性がないために読み辛くもあることから、昭和五十九年当時に同教「教学委員会」でまとめられていた「論文集(未定稿)」を原本としました。

他方、諸団体が著わした『文明の創造』も数種ありますが、宗教界に配慮し一部削除しているものもあり、岡田茂吉教祖が講話中に『文明の創造に収録する意図である』と紹介した『基督教と善悪』を加えておりません。このようなことからいまだ世に出たとは言えない状態であり、今回初めて全文そのままに世に出たことになりました。

ところが、原本に忠実なるが故に時代性を考慮しても表現に指摘を受ける文言も存在します。この点配慮を欠いたそしりを受けることを覚悟せねばなりません。

しかし、『文明の創造』は『最後の審判』を前にあまねく人類に伝えようして執筆されたもの故、その真意とするところをご理解いただきたく願うものです。

それは岡田茂吉教祖自身の口述筆記の様子が他の論文に対してとは大きく異なっていた、と聞き及んでいるからです。私「世界救世きゅうせい教」本部職員時代に山本慶一氏(当時同常任理事・昭和二十七年当時は筆記担当の側近奉仕者)から聞き取った内容では「教祖は御論文の口述筆記を夜十時半にお始めになり、その際まず後ろ頭の上部を自己浄霊されてから前回筆記の末尾二、三行を読み上げさせ『よしっ』と仰って、その後テープレコーダーのように淀みなく口述された」ということでした。これに対して『文明の創造』だけは「昼間、ちょっとでも時間が空くと筆を執られ」ということでした。教祖は、一人でも多くの方々が『最後の審判』乗り越えられるように完成を急がれたものと拝察されます。た、夜ではなく昼に執筆することを通して『昼の時代』到来意識付けたとも拝察されます。

改め拝読いたしますと「世界救世メシヤ教」開教の御神意である『宗教改革』と『医学革命』への情熱が行間に滲み出ております。

岡田茂吉教祖が他宗の教祖と際立って異なるところは、『病気に対する判釈はんじゃく』を示したことです。しかも観念論ではなく、『創造主からの御啓示』に基づいて具体的に説諭しています。私自身もその恩恵で、四歳で死を宣告されたにもかかわらず、それより五十有余年生き永らえ、しかも年々健康に恵まれ続けております。私達が岡田茂吉教祖を『メシヤ様』と認識し仰ぐ所以ゆえんの一つです。この絶対的救済力の源であ御存在は、論文冒頭記述された『この著はキリストが繰返しはれた処の、の天の父であエホバ直接の啓示でもある。』を目の当たりにした瞬時に認識できます。同時に、世界に普遍化できる著であることが認識でき驚喜いたします。

宗教の役割という観点から見ましても、本来の人間の在り方が説かれ、諸問題を解決する方法が提示され、人々が時代に活き活きと生活できる指針が網羅されています。そして、宗教界が閉ざしていた謎の部分が真理として開陳されています。

まさに『地上天国建設の設計書』であると確信させられます。

救いにあずかった者として、世に知らしめねばならないと強く思うところです。

募る思いはこの上ないものですが、今日まで明かされていなかった真理の具現は、現在の常識に照らすと破天荒に映らざるを得ない面もありやに懸念するところです。初めて目にする方には虚心坦懐になられて熟読玩味していだけるようにお願い申し上げる次第です。

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