メシヤ講座・特選集no.134(平成24年3月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
結核と精神面

(文創  昭和二十七年)


結核について、割合関心を持たれてゐないものに精神面がある。処が事実之程重要なものはない。誰も知る如く一度結核の宣告を受けるや、如何なる者でも精神的に一大衝撃を受け、前途の希望を失ひ、世の中が真暗になってしまふ。言はば執行日を定めない死刑の宣告を受けたやうなものである、処が可笑おかしな事には、それを防ごうとするか、近来結核は養生次第、手当次第で必ず治るといふ説を、当局も医師もさかんに宣伝しているが、之をまともに受取るものはほとんどあるまい。何故なぜなれば実際療養所などに入れられた者で、本当に治って退院する者は幾人もあるまいからである。しかたまには全治退院する者もないではないが、大部分は退院後再発して再び病院の御厄介になるか、自宅療法かで結局死んでしまふのである。だから何程治ると宣伝しても信じないのは当然であらう。

その様な訳で、結核と聞いただけで、たちまち失望落胆、食欲は不振となり、元気は喪失する。何れは死ぬといふ予感がコビリついて離れないからで実に哀れなものである。私も十七、八才の頃当時有名な入沢博士から結核と断定された事があるので、その心境はよく判る。そういう次第で結核と宣告するのもよくないが、そうかと言って現在の結核療法では、安静やその他の特殊療法の関係上知らさない訳にもゆかないといふ、ジレンマに陥るのである。そうして近来ツベルクリン注射や、レントゲン写真などによって、健康診断を行ふ事を万全の策としてゐるが、之は果していか悪いかは疑問である。私はやらない方がいいと思ふ。何故なぜなれば現在何等の自覚症状がなく、健康と信じてゐた者が、一度潜伏結核があると聞かされるや、青天の霹靂へきれきの如き精神的ショックを受けると共に、それからの安静も手伝ひ、メキメキ衰弱し、数ケ月後には吃驚びっくりする程憔悴してしまふ。前剣道四段といふ筋骨隆々たる猛者が、健康診断の結果潜伏結核があると言ひ渡され、しかも安静と来たので、フウフウ言って臥床がしょうしてゐる状は、馬鹿々々しくて見てゐられない程だ。何しろ少しも自覚症状がないので、凝乎じっと寝てゐる辛さは察して呉れといふのである。処が半年位経た頃は、頬はゲッソリ落ち、顔色蒼白、一見結核面となってしまった。それから翌年死んだといふ事を聞いたが、之などは実に問題であらう。勿論もちろん健康診断など受けなかったら、まだまだピンピンしてゐたに違ひないと思って、私は心が暗くなったのである。

右のやうな例は、今日随分多いであらう。処が之について面白いのは、医学の統計によれば、百人中九十人位は一度結核にかかって治った痕跡があるといふのである。このも解剖によって判ったといふ話で、医家は知ってゐるはずである。してみればむしろ健康診断など行はない方が、結核患者はどの位減るか判らないとさへ私は常に思ってゐる事である。しかし医家は曰うであらう。結核は伝染しない病気ならかく、伝染病だから結核菌をってゐる上、甚だ危険だから、それを防ぐために早く発見しなければならないし、又早期発見が治療上効果があるからと言うであらうが、後者については詳しく説いたから略すが、前者の伝染についてかいてみるが、之が又大変な誤りで、結核菌は絶対感染しない事を保證する。私が之を唱えると当局はよく目を光らせるが、之は結核の根本がまだ判ってゐないからである。ういう事があった。戦時中私は海軍省から頼まれて、飛行隊に結核患者が多いから、解決して貰ひたいと申込んで来たので、先づ部下を霞ケ浦の航空隊へ差遣さしつかわした。そこで結核は感染しないと言った処、之を聞いた軍医はカンカンに怒って、そんなものを軍へ入れたら今に軍全体に結核が蔓延すると言って、たちまち御払ひ箱になってしまった事がある。

私がういふ説を唱へるのは、絶対的確信があるからである。何よりも私の信者数十万中に結核感染者など、何年経っても一人も出ないといふ事実と、今一つは実験のため前私の家庭には結核患者の一人や二人は、いつも必ず宿泊させてゐた。その頃私の子供男女合せて五、六才から二十才位迄六人居り、十数年続けてみたが、一人も感染する処か、今もって六人共稀に見る健康体である。勿論もちろんその間結核患者と起居を共にし、消毒その他の方法も全然行はず、普通人と同様に扱ったのである。今一つの例を挙げてみるが、数年前之は四十才位の未亡人、夫の死後結核のため、親戚知人も感染を恐れて寄せつけないので、進退きわまってゐるのを知った私は、可哀想と思ひ引取って、今も私の家で働かせてゐるが、勿論もちろん一人の感染者がないばかりか、この頃は殆んど普通人同様の健康体になってよく働いてゐる。もっと仮令たとえ感染しても簡単に治るから、私の家庭にゐる者は、何等結核などに関心を持たないのである。

上の如くであるから、吾々の方では結核は伝染しないものと安心してゐるので、この点だけでも一般人に比べて、如何に幸福であるかが判るであらう。処が世の中ではこの感染を恐れるため、到る処悲劇を生み、常に戦々兢々せんせんきょうきょうとしてゐる。夫婦、親子、兄弟でも近寄って話も出来ず、食器も寝具も別扱ひで、け者同様である。しかし医学を信ずるとしたら、そうするより外致し方ないであらう。ういう面白い事があった。某農村の事であるがある農家に十六、七の娘がゐた。彼女は結核と宣告されたので、一軒の離れ家を作って貰ひ、一人ボッチで住んでゐたが、その離家は往来に面してゐるためその前を通る村人等は、口を覆ふて駈足かけあしで通るといふ話を、私は本人から直接聞いて大笑ひした事がある。成程空気伝染と曰はれれば、それも無理はないが、実に悲喜劇である。だから私の部下や信者は数十万あるからその中の一万でも二万でもまとて、一度に験してみたら面白いと思うのである。

右について尚詳しく説明してみるが、先づ家庭内に結核患者がある場合、他の者はいつ感染するか判らないという心配が、コビリついて離れない。だから偶々たまたま風邪など引くと、さては愈々いよいよ自分にもうつったんじゃないかと思ふし、又常に風邪を引かないやうにと用心に用心をするが、運悪く一寸ちょっと風邪でも引くと、慌てて医者に走り、薬に頼るといふ訳で、精神的恐怖感に加えて薬毒や浄化停止によって、結核を作る事になるといふ訳で、今もって伝染説が持続されてゐるのである。今一つは霊的原因であるが、之は親子兄弟等の近親者や、親しい友人、男女関係者などある場合、右の死者の霊が憑依ひょういしてその通りの症状を呈する事がある。之が恰度ちょうど感染したやうにみえるのである。憑霊ひょうれい問題については後に詳説するから、それを充分読めばよく判るはずである。又近来小学児童に集団結核が出たといって屡々しばしば報ぜられるが、この場合教師を検診すると、一人や二人の開放性結核患者が必ずゐる。するとこの患者が感染の元であるといって大騒ぎをするが、之なども実をいえば、現在何処の学校の教師でも、厳密に検診すれば、二人や三人の結核患者のない学校は先づあるまい。それらをよく考へ合してみる時、感染説といふものが、如何に確実性の乏しい事を知るであらう。

 

≪解説≫
『文明の創造』出版で
絶大なる御導きをいただく

メシヤ教代表 楳木和麿

戦後GHQから信仰を問われたことを現代に当てはめる

前回の「メシヤ講座・特選集」で東方之光教団上層部に対する強烈な批判を行ないましたが、真相を知らないか、知っていても隠しているか、知らないふりをしているか、何れの場合にしても仕方がない部分があるように思われます。「渋井文章」や「窓の月」などに代表される御法難や離脱教団発生の真因の資料が隠匿されているからです。ましてや所属信者の皆さんにおいては、さらに判断する材料が乏しいのは当然のこととも言えます。

しかし、御教えに照らして起きる事象を考察する心構えを持っていれば・・・、という思いが募るところです。御法難や離脱教団発生の真因を知るにつけ、「御教えに照らす思考形態を持ち、賢者たることを目指さねばならない」と呼びかけ続ける必要性を痛切に感じます。

こうして布教師の信仰姿勢を問う時に、学生時代まで所属していた別府亀川布教所(当時)責任者Y氏の御在世時の体験談を想い出すところです。終戦間もない頃の宮崎県での布教談でした。マッカーサー司令部(GHQ)の下で米、砂糖はもとより、化学肥料に至るまで全て配給制度であった時代の逸話です。

昭和24年(1949)頃、現在の自然農法は「無肥料栽培」と称され、実施農家も徐々に増えつつあったそうですが、宮崎県下で無肥料栽培実施者が進駐軍の呼び出しを受け、当時支部長であったY氏も召喚されるという事件があったのです。

日本の生殺与奪の権限を握るGHQ下にある進駐軍の取り調べというので、信者さん方には極度の緊張が走り、“「お光さま」や「無肥料栽培」などインチキだ”とする批判者側は「それ見たことか」と勢い付いたと言います。「今に、マッカーサーが無肥料栽培などという非科学的農法は禁止してしまうにちがいない」などと噂が噂を呼んでいた最中、“厳重な尋問を受け拘留されるかもしれない”と固唾(かたず)を飲んで信者さん方は心配していたそうです。

Y氏は「日本に信教の自由を保証してくれたのはマッカーサー元帥です。その信仰と一体的な無肥料栽培を取締る訳がない。どういう理由で取り調べがあるのか? 」と、逆に問い質(ただ)すつもりでいたそうです。すると係の将校から全く意外な質問を受けたそうなのです。「無肥料でやるというのは、折角GHQの好意によって配給した化学肥料をヤミで横流しして、高く売っているのではないか?」とのことだったのです。

Y氏は驚くと同時に、「我々は神に仕える信仰者である以上、不正なことをして金儲けするなど、とんでもない邪推です。」と断言。そして、当時の信者さん方が日々いただいている奇蹟談を話し、無肥料栽培の原理について説明したところ、その将校は「それでは、信者は全員無肥料栽培を実施しているのだろうね」と聞かれるので、「全体からいえば実施者はまだほんのわずかに過ぎません」と、ありのままに答えると、将校は「それはおかしい。一旦神の道に入った以上、その教団の教祖様の教えは、皆守り実行してこそ信仰者ではないのか?肥料の横流しをしていないのはよくわかったから君は帰ってよいが、入信しながら教祖の教えを実行しない人達がいるというのは、理解できない。神の加護をもらっても、教えを守らないのは神を利用することで、キリスト教から言えば、それは大きな罪を作っていることになる」と窘(たしな)められたそうです。

進駐軍将校の言葉は、まさに脳天一撃の衝撃であったそうです。聞いた信者さん方も「なるほど、その通りだ。我々は甘え過ぎていた。そのアメリカの将校さんに、信仰の心構えを教えられて恥かしいことだ。支部長先生、ご苦労というより、大変情けない思いをさせてしまって申し訳ありません。明主様(メシヤ様)からお蔭を頂戴したからには、御教え通りに実際に行ってまいります」と大いに感銘を受けたようです。

化学肥料横流しというあらぬ嫌疑から、進駐軍に呼び出しをされたことが結果として、「信仰、如何にあるべきか」を米軍から教えられ、奮い立ち、凄い勢いで発展したそうです。

この逸話にあるように、キリスト教徒から諭された「大きな罪を作っていることになる」は、そのまま前回の話にあてはまります。クドクドと、多くを語る必要はないと思います。

それまでの時代は創唱宗教の特性を日本人は知らないところがあり、神道も軍部に利用されていた面があるので、「神の加護をもらっても、教えを守らないのは神を利用することで、キリスト教から言えば、それは大きな罪を作っていることになる」という概念を持ち合わせてはいなかったかもしれません。しかし、このことが信仰姿勢で最も重要なことであることは言うまでもありません。信仰生活とは御教えの実践にあるのです。その御教えを都合の良いように曲げて取り次ぐというようなことがあってはならないのです。

その意味で貴重な教訓であります。

教団改革のために東奔西走する原動力となる“異変”

ところが、この信仰一途なY氏も、教団紛争で東方之光教団の前身である再建派に属したため、私は恩師と思えばこそ、真相を伝えに訪れたことがあります。その時の反応は「定年まで問題を起こさずに勤め上げることが大事だよ」という諭すような話しぶりでした。まさにサラリーマン化した言葉でした。

私は、“進駐軍と渡り合った篤き信仰情熱はどこに行ったのか”と、途方に暮れてしまいました。しかしながら、これが「一元化」の後遺症なのだろう、と自らを納得させるしかありませんでした。そして、”正常化委員会の言うことも一理ある”という情けない感情が込み上げてきました。そうは言っても、正常化委員会の暴挙は御教えに照らせば尚のこと、人道的にも許されざることであり、“何が何でも教団改革を進めなくてはならない”と意を決して、夜道をトボトボと帰途に就いたことを鮮明に覚えています。

そして、サラリーマン化した専従者には期待できない状況である以上、メシヤ様の御教えを価値観の根底に置いて生活している人を発掘するしかない、そのような人が一人でもいれば、専従者であろうと一信者であろうと“地の果てまでも訪ねて真相を伝えよう”という思いが込み上げてきたのでした。Y氏の“異変”を目の当たりにして、そうした強固な決心をするに至ったのです。それが教団改革のために全国を東奔西走する原動力ともなりました。

しかも、動く毎に、救い主の御存在を明確に認識する働きかけと、その取り組みの根幹をなす全御教えの公開が不可欠であることを痛感させられました。現在のメシヤ教の取り組みは、こうした教団改革の動きの延長線上に生まれてきたと申しても過言ではありません。

前回、キリスト教系の研究書を引き合いに出して御教えの重要性を取り上げましたが、今回はキリスト教徒の信仰心情を基にあるべき信仰姿勢を見つめていただきたい、と願っております。

『人類の仇(あだ)とこそ知れ』

私自身、解説内容がともすると強烈な批判の言葉ともなりますので、できるだけ抑えつつ本来の在り方を示さねばならないと考えています。しかしながら、メシヤ様はもっと峻烈であられました。折も折、『文明の創造』の本文及び装丁の校正を担っていただいている三重支部から、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」へ心すべき書き込みがありました。その内容を掲載いたします。

三重支部です。

昭和29年3月24日発行の「栄光紙253号」には『救世(メシヤ)教とは何ぞや』の御論文が掲載されています。

『今度発行する天国の福音書の序文であって、先(ま)ずこの欄に載せた。』とのメシヤ様のお言葉が添えられています。

御論文の空きスペースにメシヤ様のお歌が3首掲載されています。

このお歌の内容が凄いのです。

薬と、医者、病院に対するメシヤ様の想いがストレートに響いてきませんか。

『栄光』第二百五十三号、昭和二十九年三月二十四日

*人類の仇(あだ)とこそ知れ悉(ことご)との薬と名のつくものとふ物は

*人間の病(いたつき)医(いや)す力なき宗教のなど世を救へめや

*病院を作る宗教は早や已(すで)に科学に降(くだ)りし証(しるし)なりける

『救世(メシヤ)教とは何ぞや』の御論文と同時に掲載されたお歌だけに、より深く受け止めるべき内容だと思います。

メシヤ様御自身がこのような御心をお持ちでいらしたことを、改めて受け止めざるを得ないところです。

この栄光紙を発見するきっかけは、『文明の創造』最終項に収録する『救世(メシヤ)教とは何ぞや』の原文をお渡ししていなかったために、支部責任者が独自に自宅所蔵の資料を探したところにあります。なんとも貴重なものを見つけてくれたことでしょう。

救世(メシヤ)教の聖書でもあり、世界の宝典として・・・

『救世(メシヤ)教とは何ぞや』を何故収録するかと申しますと、『文明の創造』の続篇の『天国の福音書』の序文にあたり、そこに、今後の御教えの編纂の在り方が示されているからです。

ここでは、御論文『救世(メシヤ)教とは何ぞや』の末尾のみを掲載します。

即ち病める者は医され、貧なる者は裕かに、争いは霧消し、不幸は幸福に転化する等々、神の恩恵の如何に深遠なるかに感激するのである。そうして個人の集合体が、社会であり、国家であり、世界であるとしたら、本教発展に従いここに平和幸福なる地上天国は実現するのであって、かくして神の御目的は達成せられるのである。その境目が現在であるから、ずこの事を知り、幸福を掴む事こそ光栄の至りである。故にこの著は、宗教始めあらゆる事象の真髄を、神智を通じての解説書であって、今まで書いた多くの中から、私の指示のまま弟子に選ばせ、編纂したものであるから、実に空前絶後の真理の解明であり、寸毫の誤りはないのである。それと共に、今後も続々出るので、溜った都度刊行する予定である。即ちこれこそ救世メシヤ教の聖書であり、将来世界の宝典として子々孫々に伝えらるべきものであろう

この御記述内容を基に『神の言葉』を人間に判り易いように構成し、信仰形態を整えてゆき、本来の御神業を進める拠り所を提示しなくてはならないと心得ております。『天国篇』が未完である理由も、『夜の時代』の精神の癖を取り除き『昼の時代』に相応しい在り方を見い出すのは弟子達に託されている、とも受け止められます。それが取りも直さず信仰形態の形成なのです。

主神様に向かう姿勢を整える

御在世中から近年まで、主神様を認識することのできる思想体系、学究のレベル、文化情操が整っていないために、信仰の対象も代理神を以って拝む形態で信仰が営まれてきましたが、『宗教も進歩発展しなくてはならない』という御言葉に鑑み、整えてゆく時代を迎えていることは間違いないところです。

私が御神体を御啓示によって謹製させていただいた時に、何時も指摘される場合に引用される御教えに下記の内容があります。

(前略)然らば真に正しい、高位の御神霊は、何神で被在(あらせ)らるるかというと、それは主の神の表現神で被在(あらせ)らるる天照皇大神様であられるのである。天照皇大神様は、最尊最貴の御神格に渉(わた)らせらるる故に、人民まことが自己の希望を念願し奉る如きは、寔(まこと)に恐多いのである。

恐多き儀ながら、陛下に対し奉り、人民が直々に、何とも願い言は叶わないのと同じ意味であるのである。

此故を以て、主神は、伊都能売神を介して観世音菩薩に、救の力を与え給うたのである。

茲(ここ)に、一切衆生を救わせ給うとしては、神の御名に於ては、其(その)格位に対する神律上、或(ある)程度より下らせ給う事は、不可能であるから、止むを得ず、神界より下位である仏界に、顕現され給うのである。而(しか)も菩薩位は仏界に於ても、低位であるから、如何なる卑しき、賤(しず)が伏屋(ふせや)でも、奉斎する以上、鎮まり給いて、御守護被遊(あそばさ)るるのである。随而(したがって)、正しき事は、凡(すべ)て受入れ賜うのである。(『鰯の頭も信心とは大いなる誤りである』より)

(後略)

この御教えは、昭和10年10月21日となっていますので、時代背景を考慮することは勿論、神様の御出世の段階を拝察せねばなりません。そして、『みくらたなの神様』という御存在が光の球(メシヤ様の腹中の御存在)へ魂として御宿りになられたことで事態は一変したことを認識せねばなりません。その時点で代理神という御存在を介さず直接拝する時を既に迎えているのです。そのことを、弟子達が浄霊の奇蹟を裏付けとして整えてゆかねばならなかったのです。

ましてや、信仰形態がメシヤ様御自身に関わることですので、御自らなされることではないことは自明の理でもあります。弟子達に委ねられることは当然です。そうしなければ『メシヤと呼ばれることになるかもしれない』という御言葉を発せられる訳がないのです。

また、こうした構築がなければ、このように物質文明が発展したにも関わらず、精神文明の発展が遅れたままに過ぎるばかりとなります。その認識が浅かったことは残念でなりませんが、今後根幹となる御教えの編纂を進めつつ、本来の御神業推進を一層進めてゆくことを企図しております。

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