メシヤ講座・特選集no.142(平成24年11月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
心臓

(文創  昭和二十七年)

 本文は『文明の創造』149ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・上』では91ページです。)

なお、『心臓』は12月に拝読し学び合う御論文です。下記解説は、11月度各地メシヤ講座で拝読した『薬毒の害』に基づいた学びです。

 

≪解説≫
『文明の創造』拝読により既成概念の範疇で説いて布教する恐ろしさを痛感する

メシヤ教代表 楳木和麿

「みろく塔」を建立し御処置斎場一式が完成

7月分で紹介した御処置斎場に「みろく塔」を建立し、その付帯工事の引き渡しを出張の終えた11月19日に行ないましました。そして、同21日に御神前に奉告をさせていただき御処置祭事を早速執り行なわせていただきました。御処置斎場一式が完成したことをまずもってお世話に当たる皆さんに報告し、ご安心していただきたいと思います。

宗教は目に見えないものを対象としているにもかかわらず、モノに頼る在り方を促す団体が余りにも多く存在するため、全国を回れば、その処置に心を痛める人々がいらっしゃいます。

そうした方々のために、御処置斎場の建設は長年の願いでもありました。完成したことにより、他教団の宗教グッズを更に念入りに御処置させていただけるようになりました。お世話に当たる皆さん方は今後とも憂慮することなく取り組んでください。


雨上がりの御処置斎場を御神前から望む

「FMニライ」で『文明の創造』を朗読

さて、11月度の各地メシヤ講座で、未信者の方々の勉強会で『文明の創造』の拝読が行なわれているという話を喜びを以って紹介しました。また、世界救世(きゅうせい)教関係者の方々が『文明の創造』を教材にしてくださっていることもお伝えしました。(詳細は、浜松支部、三重支部、大阪支部、岡山支部の各メシヤ講座で確認できます。)そして、11月27日に沖縄在住の奥間毅さん(入会したばかりの方)から、またまた嬉しい電話が入りました。

この方は、「FMニライ」のパーソナリティをされていて、週のうち数回5分程度ずつ御教えを紹介したい旨を伝えてきました。「宗教色の濃いものは番組上相応しくない」とのことで、「芸術や自然農法、健康に関することを主にしたい」ということでした。(この宗教色とは、所謂宗教団体の宣伝という意味合いが濃く、メシヤ教が取り次ぐ『本来の宗教』という意味合いとは異なります。)

そこで「メシヤ様は『文明の創造』を信者向けではなく、未信者の方々に理解できるように御執筆されたので、是非、『文明の創造』を読み上げてください」と、お願いしました。奥間さんは快く「そのようにさせていただきます。電話をして良かったです。」という返事をしてくださいました。天国建設の設計書がラジオから流れる・・・何と楽しみなことでしょう。

因みに、奥間さんは人の未来が見える“霊能力”を有しています。そのため、感謝されることもあるが、面と向かって語ることを避けられることもしばしばであり、時に人から利用されることもあったそうです。入会動機の一つが、「より良い形で人様に役立つように、力をいただきたい」というものでした。これまで〇〇Aの会員でしたが、メシヤ教に入会してから「人との繋がりが良くなり、人から利用されることもなくなった」と喜びを語ってくださいました。

これから具体的に進めるに当たり、「どのようなことでも気軽に問い合わせをしてください」と告げて電話を切りました。

奥間さんは、既成概念で御教えを取り扱うことに懸念を覚え、電話をしてきたのです。これまで〇〇A活動で社会に受け入れやすい面を見つめていましたが、メシヤ様の御神意を求める姿勢を持たれたことを大変嬉しく思います。

英文サイトの作成におけるメール交換

11月度は、更に英文サイトの作成が具体的に進捗した月でもありました。熊本・光の森支部を中心に進めていただいていますが、前回紹介したように新たな方が加わり綿密に進められておりますので期待していただきたいところです。

そこで、携わっている方々に共通で送信し合っているメールの中から海外布教に関する内容を紹介します。

本部から担当者宛

 英文サイト作製作業の中間報告を読みました。綿密な作業を重ねていただき、尚且つ浄霊のお取り次ぎに対して英語でメシヤ様にお願いして実施してみる、 ということも感心しました。

そこで、改めて願いとするところを確認した上で検証を重ねてお三方で率直に 論議していただきたいと思います。

まず、第1に浄霊力伝授の段階は、私が未信者の小学校教諭(長崎大卒の高校同窓生)と推敲を重ね、小学生から理解できるように心掛けました。しかも、 語りかけるように作文したものです。ですから、英文がそのように語りかけになっているか、を検証していただきたいのです。

次に、かねてから考えていたことなのですが、教線が延びたブラジルとタイを見つめてみますと次のようなことが言える面があります。

ブラジルでは、初期に厳密なるポルトガル語で布教した人々は一万人に達していないという現実があります。渡〇〇男という現・いづのめ教団理事長は、ブラジルへ渡った際に娼婦からポルトガル語を習い、言わば底辺の人々が使用する言葉を身に付けたと本人が語っていました。

その結果、現実的救済に取り組むことができ、定年した人を第二の仕事に就かせず教会奉仕に駆り立てることができたことと、キリスト教の宣教師に「おひかり」を掛けさせ、昼間は宣教師、夜は浄霊お取り次ぎを教会で奉仕するように導くことに繋がった、 と述べていました。私の青年期に直接聞いた内容です。

これが結果的に当時三十万人の信徒を得る原動力になったと思われます。

この、渡〇〇男氏は教団紛争に関わることで非難されるべき点がありますが、これには今回触れずに単純に布教が成功した点だけを見つめて述べています。しかも、御教えのポルトガル語版は「ルクスオリエンス」(最初から布教に取り組んだグループで 後に組織から追い出されて教団を別に創立した)のものを使用していると言います。 厳密な訳文を志した人々の制作したものです。

また、タイで布教を成功させた湧上先生(故人)は、仏教・世界救世教派という位置付けに徹したと述べていました。そして、仏教の「施徳」の最上位に浄霊を位置付け、“最高位の実践”として浄霊を認識させ信徒を導きました。その結果、仏教国で布教に成功し、現在五十万人の信者を得るに至りました。これも私の青年期に直接尋ねた内容です。

こうしたことに比較して、英語圏では布教はことごとく巧く行っていません。これがどうしてなのかが疑問でもあり、課題でもあります。

キリスト教国であるブラジルで布教が巧く行き、アメリカやイギリスで巧く行かない理由に、宗教が国境を超える時に“物語”あるいは“学問”という形になる場合が多い傾向があるということと、民度の高いところから低いところへは比較的巧く行くが、その逆の場合は巧く行かないと言われていることが大きく原因していると思われます。

(中略)

キリストが12人の弟子にしか伝授できなかった浄霊法を、メシヤ様は万人に伝授することができる――このことが伝わるようにしたいのです。そして、やがては『基督教と善悪』に沿ってキリスト教の教えにおける誤謬を正すところまで後々辿り着きたい、という大計画を胸に秘めて作業をお進めいただきたく願っております。

各国の人々の生活や価値観に根差しているものへの対応が必要

担当者から本部宛

(前略)

2.従来の海外布教の諸問題について

先生の卓見には今更ながら驚きました。恐らくこの問題の分析においては、各教団関係者の中では先生のご指摘が一番急所を突いているのではないでしょうか?

ブラジルは、国の成り立ちからいって、ポルトガルの植民地時代が長く、今でも国民の半分は原住民、あと半分は混血のムラートと奴隷あがりの黒人が占め、最も少数派の移民、すなわちヨーロッパ系、日系が社会の上位を占めている国ですから、そもそもまともなポルトガル語が話せる人が少ない。本国ポルトガル語とブラジルポルトガル語の2つがあるようです。また教育程度も低く(義務教育が八年しかなく、20世紀に入るまで国内に大学がなかった。未だに文盲率が全人口の10~20パーセントある。)、移民の知的レベルに社会が依存している状況ですから、社会の底辺層の言葉での布教がうまく行ったのは、この社会構造にうまく合致していたからだと言えようかと思います。

正統ポルトガル語での布教が一万弱しか…か、或いは一万も…かは、そもそもの社会の上層部人口の少なさ、本国ポルトガル語を使える人の少なさを勘案すると、その評価は分かれるところと思います。布教に使った言葉の違いにのみ原因を求めるのはやや自虐的に過ぎるかなと思えなくもありません。

むしろ問題は、この30万と云われるブラジル信者の方々のその後にあろうかと思います。御教えがどれだけ伝わり、それぞれの御家庭がいかに天国化されているかです。もし答が否だとするなら、教えの深化浸透の前提に、正統ポルトガル語や英語を身に付けて頂く(日本語を学んで頂くのが本来一番良いのでしようが)が必須条件になって来ようかと思います。たとえいくら良い翻訳が出来たとして、素晴らしい語学能力と御教えを身に付けた方が現れたとして、理解する側の能力が追いつかなかったらどうにもしようがありません。最高の料理を出していただいているのですから、はしをとって口に運ぶだけの労は取って貰わなければいけないからです。

タイは、若いとき行きましたので、よく分かります。ブラジルに比べ、教育程度もアジア地区ではトップクラスですし、国王王室の権威は戦前の日本並みのところにきて、王室以下仏教に帰依する所が大変高く、日本人感情がアジアでーニを争う良さですから、仏教の一派としての位置付けをとれば布教がうまく行くのは、当然かもしれません。

しかしながらここも、信者さん方の今は?というところが問題かと思います。タイ、カンボジア、ビルマ、ラオス、このあたりは男子は一生に一度仏門にはいります。それは誠によいのですが如何せん戒律の多い小乗仏教です。むかしあそこにいたときよくお坊さんにタバコをせがまれました。酒も女も戒律があるから当然駄目で、食べものも魚肉が駄目、自由なのはタバコだけで、お布施は功徳がありますから、タバコを修行僧に分け与えるのが善行です。私もけっこう善行施したのですが、内心は複雑でした。くれるのが当たり前だろうと云うような態度で、せがんでくる訳ですから。他にも戒律的小乗的なところは彼等の生活や価値観の中に根強く生き残ってます。ここを変えて行かない限り、今以上の救いは彼等にはないのではないかと思います。つまり病気直しは浄霊で、魂の救いは小乗仏教のままで推移するであろうということです。

英米圏での布教が芳しからぬ状況は、教育程度が高いこととキリスト教の教義がガッチリしていることに起因すると思われます。浄霊の効果を目のあたりにして、次に来るのは一体いかなるメカニズムでこんなことが起きるのか、を理詰めで整理しようとする動きのはずですから、布教に当たられた方を質問責めにしているのは想像に難くなく、キリスト教の教義は、こういった質問責めにすべて解答を与える壮大な体系ですから(だから大学に神学部がある訳ですから)、碌な答えが出来なければ、浄霊の効果は認めても最も低い扱いのhealingになってしまって、ここでも病気直しは浄霊、魂の救いはキリスト教になってしまいます。布教に当たられた方がどれだけ御教えを身に付けておられたか、それも断片的な知識の集積ではなく体系的に、そしてそれを的確に伝える語学力をもたれていたか、が端的に結果に表れているのではないかと思われます。

つまり数字が違うだけで、構造はブラジル布教と変わらないのではないかとの仮説が成り立ちます。こんなことを云うと気を悪くされる方が居られることを承知で申しますが、現在英米の数少い信者さんの出身階層はどの辺が多いかが、このことを端的に物語ると思います。英米人の布教に失敗したのではなく、教養ある中流階級以上の布教に失敗している。この点では国の差はないばかりか、日本国内でも見られる共通現象ではないかと云うことです。

であればこそ教養程度はあまり高くないが、中下流層の総意が民主主義によって一番反映され、かつ世界的影響力大なる国である「アメリカを救う」が出てきて、「遠くから分かりて来るぞよ」になるのだと思います。

(後略)

英文サイト作業で浮上した御昇天後の浄霊観の変容

本部から担当者宛

前回のメール、及び今回のメールに対してお返事します。まず、打ち合わせをしてから非常に早いペースで進捗していることに、皆さんへ感謝しますと共に根本的な海外布教の問題点が明確化しているようにも感じています。

(中略)

そこで、北岡さんへ今回の訳文を英国の知り合いに読んでもらい、英国人に理解できるかを確認してもらいました。その上で修正した方が良いことを尋ねてもらいました。

併せて、英国で浄霊がどれ程認知されているかを調べてもらいました。

すると、Google UK (イギリス)で Messiahnityを調べたら世界救世教のサイトにヒットし、そのサイト中にJohreiをクリックする箇所があり開けてみたら、ウィキペディア内に正確なJohreiの説明文があるということも解りました。誠にこちらの浅学さが身に染むところですが、”Johrei”は、英語圏では知られた言葉になって来ている面があるということでもあります。

これは勿論

「最後に、JOHREIの利点でもあり、欠点でもあるところですが、諸先達のご努力により、JOHREIがかなり通じていることはある程度承知しているのですが、これは両刃の剣と言うべきで、理解容易である反面、先行者が説いた良いことも、誤っている点も、すべて引き受けてしまうと云う点が問題だと思われます。

このJOHREIの次に来るのは質問の嵐で、「しらべてみましたが、メシヤ教のおっしゃるJOHREIは、あのなんか手をかざすhealingですよね?」「OO之光とかいう人達が言ってたなんかペンダントもらうと病気直るやつでしょ?」「meishusamaとかがなんか偉大な力をくれるというやつですよね?」、このへんでやめときますがこれらの問いにメシヤ教はすべてyesと答えねばならないと云うことです。JOHREIを使う以上はそうなります。だって、先行文書や先行説明はそうなのですから…。

JOHREIをまず出しておきながら今までと違うんだよと云えるでしょうか、JOHREIと言われて音は分かったが意味が分からない、辞書見ても載ってない、ネット検索したらあったあったこういうことですよねときいたら「いやいやあれは違うんだよ、」から説明を始めるのはあまり人を馬鹿にしている、そもそもそこから説明する必要が一体どこにあるのか、ということです。まず伝えたいことはこんなことではないはずです。」

と指摘されたこととの兼ね合いがあります。

また、Johreiの説明の中での浄霊の光は浴びるという言い回しになっている面があり、これは、ご参拝の際にいただく御光の感覚であり、浄霊の光が相手を貫くという意味合いとは異なるところがあります。英語圏で浄霊が今一つ普及されないのは、この根本的なイメージの描き方がメシヤ様の御教えと異なる面があるのかもしれません。

これは、

「英米圏での布教が芳しからぬ状況は、教育程度が高いこととキリスト教の教義がガッチリしていることに起因すると思われます。浄霊の効果を目のあたりにして、次に来るのは一体いかなるメカニズムでこんなことが起きるのか、を理詰めで整理しようとする動きのはずですから、布教に当たられた方を質問責めにしているのは想像に難くなく、キリスト教の教義は、こういった質問責めにすべて解答を与える壮大な体系ですから(だから大学に神学部がある訳ですから)、碌な答えが出来なければ、浄霊の効果は認めても最も低い扱いのhealingになってしまって、ここでも病気直しは浄霊、魂の救いはキリスト教になってしまいます。布教に当たられた方がどれだけ御教えを身に付けておられたか、それも断片的な知識の集積ではなく体系的に、そしてそれを的確に伝える語学力をもたれていたか、が端的に結果に表れているのではないかと思われます。」

と指摘された内容と深く関わっています。

浄霊に関して言えば、メシヤ様の御在世時と御昇天後とでは奇蹟の度合いが変化していることとも起因している内容です。これは現在メシヤ講座で『文明の創造』の一項ずつを学んでいる内容とも深く繋がりがあります。

また、Johreiの表記の問題点は、国内であっても私が一々『本来の御神業』の推進を説いてきたことに通ずる面があります。

(後略)

細かい英文表記上の問題を抜きにしてメール内容を縷々掲載した理由は、メシヤ様御昇天後の浄霊観が既成概念の範疇で語られてきたために起こっていることを認識していただくためです。メシヤ教に御縁をいただかれた皆さんへお話している、浄霊の取り次ぎ方及びいただき方と異なるところがあるのです。また、浄霊の光のいただき方とご参拝時の光のいただき方について、既成概念で表現してしまうと、メシヤ様の救済に与る上での想念に狂いが生じてしまいます。(この内容は、「メシヤ講座・特選集no.140(平成24年9月分)入会のお世話についてを参照ください。)

勿論、組織としての中長期戦略というものや投入する資金力も大きく関係する事象でもありますが、メシヤ様御昇天後に展開されたために『御伺い』ができなかったという要因もあります。取り分け、御昇天後は教団そのものの浄霊の在り方が変容してしまったことも原因となります。

また、このこと自体、メシヤ様が『説くのは私、纏めるのは君達だ』と仰られた、その御言葉を狭く受け止めてしまったことに通じます。教義の分類や体系化をすることに偏向した思考(それができている訳ではありませんが)となり、『可能な限り全人類を救う』という御心に沿ってそれぞれの国情や民族感情に沿う形で整理すべきでした。メシヤ様の御悲願達成へ向かう努力が欠落していた、と断ぜずにはおれません。

正に、『本来の御神業』ということからすると、空白の時間を作ってしまった感を深めます。

それ故に、『文明の創造』発刊後に英文サイトを開設する意義がここにあります。しかも、“メシヤ様に直に太く繋がることで浄霊力を拝受いただけるのは何故か”を解き明かすところから抜本的な見直しが可能です。私達のいただいている役割の大きさがここにあります。

眷属の手法に注意

最後に11月度の全国各地「メシヤ講座」で、「天津祝詞」並びに「善言讃詞」を奏上する姿勢が更に高まっていることを強く感じましたことに触れておきます。大変頼もしくなっております。

そうした中、『夜叉龍神も解脱為し』を眷属に知らしめる在り方についての質問も増えております。

しかし、注意すべきは眷属達の常套手段です。『和』を乱すことです。これは長年信仰を重ねて来た方々は身に染みているところであろうかと思います。かつて「正常化委員会」と称する組織を作り改革を訴え教団紛争を起こしました。訴える内容はまともに聞こえるのですが、この『和』を乱すことが眷属の常套手段であることを忘却しているのです。御教えで説かれているに関わらずです。

教団側は一旦「教団護持委員会」を組織して対処しましたが、MOA美術館建設に絡む所得税法違反を突かれ野合を余儀無くされるという無様な形(「新生協議会」設立)となりました。当然のことながら時効の成立と共に野合は白紙に戻りました。一旦は高圧的に出て、弱みを突かれると脅しに屈するという何とも情けない在り様でした。そこに働く眷属の在り様は大阪支部で話してありますので参照ください。

しかも、その際、薬毒に侵された幹部達が巻き込まれていった姿を目の当たりにしました。眷属は薬毒を用いさせようと躍起となり、薬毒の固結にその手先を憑依させようと蠢(うごめ)きます。そうした手法を重ねてやがて争いを起こさせるのです。そこに目配りをしておくことが『本来の御神業』を進める上での心掛けの一つです。

初心を貫こうとした現・主之光教団の前身である「教団護持委員会」の存在は大きな意味を有していたのですが、これも運営上の行き詰まりから飲み込まれてしまいました。

その一連の動きをつぶさに見せつけられたので、教団改革の必要性を痛感したのです。その思いが英文サイト開設作業で更に強くなっています。

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