メシヤ講座・特選集no.144(平成25年1月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
主なる病気(一)
腎臓病と其他の病

(文創  昭和二十七年)

 

 本文は『文明の創造』159ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では6ページです。)

なお、『腎臓病と其他の病』は2月に拝読し学び合う御論文です。

 

≪解説≫
『文明の創造』拝読により現代の諸問題を解決する知恵の必要性を実感する

メシヤ教代表 楳木和麿

全国に出張所を発会

一月度は、岡山支部「倉敷出張所」の発会式を厳かな中にも盛大に執り行うことが許されました。発会式での「体験報告」及び「代表挨拶」の内容は、すでに岡山支部HPでアップしておりますが、「体験報告」では、メシヤ教に御縁をいただいた方々が抱える問題を解決し、家庭天国を築く道が開かれた様子を赤裸々に伝えてくださり、心温まる祭典となりました。中でも「東方之光教団」時代とメシヤ教に御縁をいただいてからの変化を、分院を担う立場の方が静かに比較して伝える内容には、メシヤ様へ直に繋がることの唯一無二の重要性を如実に伝えるものでした。

しかし、私は“せっかくメシヤ様に繋がっているにもかかわらず、どうして長年幸福に恵まれなかったのか”という憤りを抑えることができませんでした。この感懐は、直会の中で出された質問や報告でも同様でした。ただ、今年は他教団の批判は控えるように心掛けていますので、これ以上は触れません。

喜びであったのは、皆さんがメシヤ様に直に太く繋がる心掛けを持つことにより充実を見る様子が伝わってきたことで、それはそれは驚くものでした。この内容は文章にし難い内容も多分に含まれていますので、2月度の「メシヤ講座」でお伝えして参りたいと企図しています。

この他に川崎会場や豊橋会場が本部直轄の出張所として新たなスタートを切ったことも併せて報告します。これから各出張所が本部や支部の管轄下で「浄霊力拝授お願い」の手続きを執り行なう「救いの最前線」として更に活躍していただくことを祈念しています。

米国で二期目を迎えた大統領の『就任演説」に見る課題

さて、前回掲載した『メシヤ様御降臨祭』挨拶では米国の厳しい現状に触れましたが、二期目を迎えた米大統領の「就任演説」に目を通した際に、それは更に大きな課題として圧(の)し掛かってまいりました。

演説内容で「建国の精神」に基づいて団結を呼びかけることは何時ものことではありますが、「我々は以下の事実を自明のことと信じる。即ち、全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由と幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という文言を改めて目にして、米国の目指してきた経緯を今回ほど痛切に汲み取らざるを得ないことはありませんでした。

また、「自由は神からの贈り物だが、それを確かなものにするのは地上の人間の務めなのだ」と語る大統領の発言に、それを実現することの難しさが滲み出ていました。

そして、「戦争の終わり」が近付き、「経済の復興」が始まるという明るい見通しを強調する一方、当然のことながら「厳しい選択が迫っている」ことも訴えていました。その上で強調したのは「米国の可能性は無限だ。我々には、境界というものがなくなった今日の世界で求められる全ての資質が備わっている。若さと意欲、多様性と開放性、リスクを受け入れる無限の包容力と革新を行なう才能だ。」という認識と、「国民諸君、我々は今、この時のためにここにいるのだ。そして我々が共にそれをつかもうとするなら、この時代は我々のものとなるのだ。」という呼びかけをしています。

一方、国際的には「世界の同盟の錨(いかり)」という文言を使用して、その役割を担う決意を表明しておりますが、世界の国々からは調整役を担えないことが指摘されています。それがナイジェリアの事件にも象徴されています。今回は、フランス軍の行為に対する報復を大義名分としていた関係から、フランスの識者はどのように考えているか興味を持っていたのですが、1月27日付の「日経新聞」で報じたドミック・モイジ仏国際関係研究所特別顧問の「米国には調整役を演じる用意も意志も能力もない」という論評をしており、“欧州の根底にある考えの一つ”を如実に映じさせました。

最後に「真の平和実現、終わらぬ旅」として語った部分は、米国の闇の現実に立ち向かう姿勢と更なる課題が浮き出ておりました。今や語ることすら差別用語と非難される同性婚問題は、御教えに照らすと様々な課題が指摘されます。しかしながら、大統領演説は「問題解決」に向けて新たな旅をするということですが、このこと自体「真の問題解決はしない」という意味でもあります。これこそが米国の深い闇であるのです。

メシヤ様が『アメリカを救う』と仰ってから60年が過ぎ、どうしようもない状態になってしまっているような感懐を持ちました。メシヤ様の御力と御教えを以ってしても、“もう手遅れなのか”と思わされるような深刻な内容でした。

民族が辿(たど)った因縁と現代人が直面している薬毒の影響については、理論的に、あるいは真実の歴史に照らした解析をしなくてはなりません。真実の歴史とは覇権者に都合の良い歴史ではなく現代に残る史実から浮き彫りにされる裏面史とも言うべきものであり、その真実の歴史に基づいた分析を重ねて道筋を示してゆかねばなりません。

メシヤ様と御神縁のある皆様には、今後も知恵と力を結集して『地上天国建設』の御神業を担っていただきたい、と切に願うものです。

人類の抱える諸問題を解決する在り方と浄霊の関係性

その上で、今一度確認しなくてはならないことは、『地上天国建設』の要は「現代の諸問題を解決する」ということと「問題解決の在り方を示す」ということです。冒頭触れました「倉敷出張所」発会式でお願いしたことは、以上のことに起因しての内容でした。人類の抱える諸問題を解決する在り方と浄霊の関連性を示し、新たな意味で『本筋の御神業』を歩んでいただきたい、という願いからです。

以前から触れておりますように、諸問題を集約する「時代苦」は御在世当時と異なり複雑かつ多様化しています。『病貧争』というハッキリした区分で掌握できなくなっています。御教えはネット上で隈なく公開されてきましたが、それを現代にどのように活かしてゆくかを示してはいない現状です。これは御昇天後の後人の怠慢でしかありません。それ故に、私達が唱える「教団改革」とは、その在り方を示すことだと心得ています。

そこで、岡山支部「倉敷出張所」発会式で挨拶した内容を岡山支部「倉敷出張所発会式特集」から抜粋して掲載します。

 

《日々心掛ける、一番肝心なこととは・・・》それで、そういう事をする上に於いて、浄霊のですね、今までのMOA、東方之光という、あるいはその前の世界救世(きゅうせい)教からの浄霊のですね、概念が・・・取り分け、探査をして浄霊するとかいうことを教えられた人間というのは、浄霊がですね、体が良くなる為とか、浄霊が体を楽にするための浄霊の範囲として、非常に浄霊を狭く受け止めざるを得ない状態にさせられてきました。

これは、教団側の問題ではあるんですけども、その中で長年信仰をしてきた為にですね、自分達が『本来のメシヤ様の御神業』をさせていただくというふうに考えてもですね、どうしても癖というものが残っておりますので、その癖を改善することを今日からですね、一層心掛けていただきたいと思います。

そして、心掛ける一番肝心なことを覚えておいていただきたいと思います。まずですね、メシヤ様が何故、世界救世(メシヤ)教というものをお創りになったかということです。何故、世界救世(メシヤ)教というものをお創りになったかというと、『地上天国』を建設するためであります。

で、天国を造るという事は、今日の一連の報告をしていただいたように、メシヤ様に繋がり始めると、大塚さんのご家庭とか、寿藤さん、新谷さんのご家庭のように、大きく変わって参ります。

では、何故これが変わってくるのかという事が・・・比較すると悪いんですけれども、MOA時代は変らなかった。東方之光教団時代は変らなかった。それが、メシヤ教になって何故変わったかという・・・これは、“メシヤ様に直に繋がっていこう”と。“メシヤ様との霊線を太くしよう”という、心の中が変化した為に許されていることです。

《地上天国建設とは、抱えている問題解決が一番重要

で、これは自分の家庭だけではなくて、これからこの地域の方々、自分の知り合いの方々に、そういう素晴らしい御守護をいただいて行かなくてはいけないんですけれども、御守護をいただいていく時に大事な事はですね、問題を解決するということです。宗教の役割は、メシヤ様は『地上天国を建設する』と仰ったんですけれども、地上天国建設というのは、今の人類が抱えている諸問題を全て解決していくという事なんですね、言い換えれば・・・。

ですから、我々が抱えている問題を解決していかなくてはいけない。入信しても何も問題が解決しないということでは、メシヤ様と御縁をいただいて信仰しているという意味が、中々無いということになってきます。

で、どうして問題を解決していくかという・・・そういう事と、浄霊が密接に繋がっておかないといけないということです。どういうふうに繋げていくかというと、それぞれのご家庭で何か問題があるとすれば、その問題というのは必ず出発点があります。夫婦の問題であれば・・・知り合った時か、結婚を申し込んだ時か、お見合いした時か、結婚した時か、子供が生まれた時か、子供がある年齢に達した時か・・・その時、その時で、まずい判断をしたことがあります。

で、まずい判断をして、ホンの少し本来歩むべきことからズレて歩んでしまうと、1年後には、最初これ(指を拡げた1センチ)だけの違いでも、1年経てばこれ(両手を拡げた幅)だけ広がってまいりますので、この広がりが問題な訳です。だからこの問題を解決するためには、その出発点まで帰って、夫婦の問題であれば、子供が出来た時の問題とか、あるいは結婚した時の問題とか、それから初めて出会った時の問題とか、そういうところのどこが一番最初の問題点かというところを、まずは自分で探すという取り組みをしていかないといけない訳です。

お世話をする時には、相手の話を聞きながら、“この人の問題は、ここが出発点だ”というところまで、それを聞き出せるまで、ズーッと聞かないといけない訳ですね。

《人の話をよく聞くことが問題解決の決め手》

いくらメシヤ様の御教えを、「こうなんだよ」、「『夜昼転換』なんだよ」、「『霊主体従の法則』で生きていかないといけないんだよ」と、いくらこんな説明をしても相手の問題は解決していかない訳です。ですから、『メシヤ様の耳が何故大きいか』ということを聞いたことがあるでしょ・・・。何回も聞かされたでしょ、メシヤ様の耳は何で大きいんですか・・・『皆の話を聞いた』ということでしょ。

このメシヤ様を教祖に仰いでいる信者は、人の話を聞かないといけない。今まではどちらかというと、先生方というのは説教ばかりしてきた。方針とかの説明ばっかり・・・。実はメシヤ様が何故大きな耳を持っているかというと、その御尊影を見るたびに、“あの耳のように人の話をよく聞かないといけない”という意味なのです。

で、人の話を聞くうちに相手の問題点が明確になっていく。こちらも明確になるし、相手が喋っているうちに、“私はここが間違っていたんだ”というふうに気付くようになります。そして、気付いたところに光を当てていかないといけない訳です。

《ご浄霊をいただく姿勢は・・・》

だから浄霊をする時に、相手が気付いて、「じゃあ、私はこういうふうに改めていきましょう」と言った時に、改めていくところに光を当てていかなければ、問題は解決しない訳です。

何故かというと、出発点が間違っていたということは、出発点で判断をする際に曇りがあったために、正しい判断が出来なかったので、そのまま、曲がってズーッと生きてきた訳です。

ですから、その出発点が分かって、「じゃあ、私は改めていこう」と言った時に、実は人間の癖とそれから今まで所属してきた東方之光教団の癖が、びっしり私達には着いてますので、“改めていこう”と思っても、実は改まってない訳です。改まっていこうというふうに進んで行っても、改まっていかないので、ここが改まっていくように浄霊をいただくということです。

そして、人様から浄霊をいただく、相手に浄霊をしていく時に、まず自分がいただく時には、メシヤ様に自分自身がこういうことに気付いて、そして今、このように“改めて生活していこう”と考えておりますので、それが順調に行くように“お浄めいただきますように”という気持ちで浄霊をいただかなければ、「今日ちょっとね、首が痛いのよ、ちょっとそこを浄霊してくれる~」というような浄霊をいつまで経ってもしてたらね、その人の人生というのは変わっていかないんですよ。問題は解決していかない。自分自身は、“ここを変えていこう”と、“このようにして行こう”と・・・ここは何ヶ月かは掃除がテーマになっていますのでね。

「掃除を私はやっていく」と言った時に、どうしても出来ないとか、あるいは旨く進まないとかいう、そこの所を浄めていただいて、やれる自分にならせていただくというふうに光をいただいていかなければいけない、ということですね。

《メシヤ様に直に繋がることによって御守護いただく》

ですから今日、榎本さんが報告していただいたように、子供の時から自分だけ体が弱くて、そして、就職先で信者さんからお導きいただいて入信をして、信仰の道を歩んできたけれども、実はそのMOAの中の職員になっても、どうしても益々酷くなっていくところがあったのが、メシヤ様に直に繋がることによって御守護いただいてきた報告をしていただきました。

実は、メシヤ様に繋がると、御教えを求めるようになると、自分自身がやってきたことを振り返ることが出来ますので、その振り返った分だけ“変えていこう”と思うと、変わってくる訳ですね。これがね、『霊主体従の法則』によって変わってくる訳ですので。このことが、皆が、変わっていかないといけないですので、そういう信仰をですね、この出張所を中心にやっていただきたいと思います。

それから、何故、“今日から変えていこう”と考えた時に、浄霊をしないといけないかというとですね。もう一つは、人間にはですね、絶えず、皆さん方には「私はそんなことはない」と・・・さっき片山さんが報告したように冨山さんがね、夜中であろうが飛び回って、問題抱えていたり具合の悪い人の所へお世話に行ったという話をしていただきましたけども、中々こういうことは珍しい人なんですよね。しかし、大体自分の事がかわいいもんで、何か良くしていこうと思っても、必ず壁にぶつかります。ハードルが高いものがいくつもあります。

《叶えられる願いと叶えられない願い》

で、ここへぶつかった時に、実は神様という御存在にですね、初めてお祈りする時のお祈りの仕方がわかってくる訳です。神様というのは、正しい祈りは叶えるけれども、そうでない祈りは叶えるという訳にはいきません。

ですから、ここにぶつかった時には、この段差を、自分が向上することによって越えるという、これが正しい祈りですので・・・このことに対して神様は御力を下さるということです。で、この越えるという祈りをしないでですね、「こういう願いがあるんですけれども、叶えて下さい」と言った時に、この最高最貴の御神体に向かっていくらお祈りしても叶えられません。そういう祈りは叶えられませんので・・・。

「私はこういう課題があるので、これに向かって進んでいきますので、どうか御力を下さい」という、そういう祈りは叶えられていきますので、これからの信仰というのはですね、メシヤ様が示されたような高い信仰を是非目指していただきたいと思います。そして、ご参拝の仕方は、「私はこういう願いを持って、このように日々努力させていただきますので、乗り越えていけるように御力を下さい」というふうに、そういうお祈りをさせていただくということですね。(中略)

《主神様、メシヤ様への祈りと浄霊》

大黒様の話が長くなりましたけれども、大黒様だけはそういうお祈りをしていいけれども、主神様にお祈りする、メシヤ様にお祈りをする時には、「私は正しいことに取り組んでいく」あるいは「こういう課題に取り組んでいくので、御力を下さい」という祈りをしていただきたいと思います。

そして、浄霊をいただく時には、その方向に向かっていく時に、自分自身は必ず易きに流れやすいところがあるので、それを乗り越えていくように自分を浄めていただきますようにというふうにして、浄霊をズーッとメシヤ様から光を直接いただくような気持ちでね、冨山さんにしてみれば、「片山君、浄霊してや」というようなことになるんですけれども、実はその時でも、メシヤ様御自身から、片山さんがメシヤ様には中々見えないでしょうが、(笑い)メシヤ様の手の平だとそういうふうに思って、どなたと相互浄霊する時にもそのようにやって下さい。

「ちょっとここ押さえてや」って言いたくなることもあるんですけれども、その時には、ちょっとメシヤ様に失礼して、「誰々さん、ちょっとここを押さえて、それから浄霊して」とかということはたまにあっても結構ですけど、直にメシヤ様から光をいただくという姿勢を、浄霊をいただく時には持っていただきたいと思います。

《御神業にお使いいただける自分作りを・・・》

それから、片山さんが報告してくれた自分を犠牲にしてズーッと動き回ってきたというその姿勢プラスですね、今日は、冨山さんがそういう過去の気負いとか、そういうものを無くして自然な形で、今日の日を迎えてくれたという報告をいただきましたけれども、我々の先達、取り分け教会長の方々の話を聞いていますと、「神様が全て御神業は進めるんだ」と、「だから自分がこうしようああしようと考えても、中々そのようにはいかないんだ」と・・・よくそういうような話をして下さいました。

で、取り分け、この中国地区では、山口県の方で1年間入会者が出来なかった、入信者が出来なかった平本先生なんかいらっしゃいますよね。で、「出来ません」、「申し訳ありません」とメシヤ様に言った時に、『お前がやっているんではないんだ』と、『神様がやられているんだから、神様のご都合でまだ入信者を出さないんだ』と。

だから神様がされるんだから、神様のされる時を待つ、あるいは、自分自身を神様に使っていただけるような自分自身にするように、という、そういう御教示をメシヤ様からいただいて、そのように素直に進んで行ったら、翌年からどんどん入信者が許されたという報告が、景仰とかに出ておりますね。そういうものを読んで私たちが、ここでさせていただくことは、この出張所を開所するまでにですね、壁の塗り替えをしたりして、御神体をお迎えするための準備をさせていただきました。

この準備をさせていただいて、日々この出張所がですね、清らかな、そういう場を保つように掃除をさせていただいて、自分を“メシヤ様の御手足としてお使いいただきたい”という日々の祈りを、あるいはそういう思いで自分を磨かしていただければですね、御神業というのは、自ずと進んでまいりますので・・・そういうことを、榎本さんもこれから、凄い課題を述べていただきました。

「人格の向上」と「出張所を支える自分作り」というね、最後、このように纏めていただきましたので、これは、榎本さん個人の課題ではなくて、ここに集まる皆さん方、みんなの課題にしていただいてですね、日々お取り組みいただければ、大変ありがたいというふうに思います。

まずは浄霊をさせていただく時、いただく時の姿勢と、我々の信仰というのは、『地上天国』を建設していくんだけれども、その地上天国を建設していくためには、人間の諸々の問題、諸問題を解決していかないといけない、ということなんだと。

で、問題を解決していく時には、その問題が発生した時の出発点まで帰って、そして、“そこから間違ったところは改めていくしかないんだ“と。しかし、改めていく時には、必ず自分の弱さのために安きに流れるところがあるので、“御力をいただいて乗り越えていくんだ”と。そうすれば必ず問題は解決していきますので、そうするとそこから天国が生まれていくんだ、と。

そして、自分の家だけではなくて、知り合いとか周りの人達が天国を迎えるように、そういうふうに取り組んでいくのがメシヤ様と御縁をいただいた信仰者のやることなんだということを、一つ今日はしっかり腹に置いていただいてですね、そして岡山支部の一員として出張所を支えていっていただきたいというふうに思います。

ここで触れた信仰姿勢は、大小問わず問題解決に取り組む際に欠かせない内容です。そして尚且つ、解決に向かう際に問題の再発を防ぐ、つまり“曇りの発生源を特定する”、“曇りの再発生を防ぐ”ということが重要です。実は、生活に関する御教えは、そのためにあると申しても過言ではないのです。

昭和29年12月11日に水晶殿御遷座でメシヤ様がお述べになった『ただ一言だけ言いますが、いよいよ御神業の本筋に入ってきた訳です。』という御垂示を胸に深く受け止めて、これからの私達の姿勢を高めてまいらねばなりません。

その手始めとしてご参拝の在り方を整えさせていただきましたので、関係することを「メシヤ講座・三重(平成25年1月度)」から引用します。

 

◎主神様に真向かう姿勢を正す

 

それから、今日から「5分前にご着席ください。」と祭典の前に発声しました。これは主神様に真向かう時には5分前から準備をしておかないといけない。メシヤ様御自ら実践なさっておられたことです。メシヤ様は自分の時計や本部内の時計を5分進めておられて5分前からいつも準備をされておられました。メシヤ様がその様になされておられたのに関わらず、信者である自分達がそういう姿勢を持たないというのは大変申し訳ないということから、今年になって5分前から準備に入るという姿勢を持つ練習として祭典5分前から「ご着席ください」ということをスタートしました。去年までは3分前というふうにして訓練してきたわけです。愈々(いよいよ)今年から本式の御神業になるということで「5分前から」というようにしました。

それから、今日、濵口さんに司会の文言を読んでいただいた時に非常に馬鹿丁寧とも取れる表現になっております。

『念じ奉る』とか『捧げ奉り』とかいう言わば二重敬語と思えるような表現をしておりますけども、主神様に真向かう時にこの二重敬語でも言葉が足りないというくらいの気持ちで司会は勿論、司会の言葉を聞く時に3分前に読み始める時には“ざわざわした参拝席にならないように”5分前から準備をして祭典を始めさせていただくというような心がけを持って、今年から進んでいただきたいと思います。

◎『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』と奏上し、本来の御神業を推進する

(質問者)

『メシヤの御手に帰一され』に変わったことについてわからなかったので、もう少し詳しく説明していただけますか。

(先生)

○之光教団の時に、御神体が変わりました。その時に〝祈りの栞″の『善言讃詞』を元に戻すというようにしたのですが、『仁愛(みろく)の御手に帰一され』だけ抜けてしまったのです。

なぜこんなに肝腎なことが・・教団○○委員会が三派を統一すると言って我々は色々と取り決めをやってきたのですけども、「『帰一され』を無くして統一ができるわけがないではないか」といくら言っても役員会はそのまま押し通してしまいました。

その後、〝なぜ『仁愛(みろく)の御手に帰一され』が入らなかったのかなあ″と私はズーッと考えておりました。

そして、メシヤ教でやる時には〝『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を入れないといけない″ということで入れました。

あの時には、〝『仁愛(みろく)の御手に帰一され』だけでは駄目だ。やはり『メシヤの御手に帰一され』でなければいけない″という御神意がそこにはあったのだろうな。ということに私は気付いたのです。

(質問者)

ズーッと以前から思って見えたということですか。

(先生)

そうです。濵口さんには早くから言っていたのです。濵口さんはそれを聞いて「すぐ変えた方が良いのではないか」という意見だったのですけども、しかし〝ゆくゆく教団が一つになった時にみんなに考えさせて総意でした方が良いだろう″という気持ちが私にはありましたので、時期を待っていたのです。

ですが、ここまできたら役員達に将来的にも期待ができませんので、信者さん方は理解はできるのですけどもね。

今回、英文サイトを開いて外国の人達、まず英語圏の人達に『浄霊力伝授』をして行く時にいつまでたっても『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を唱えていても世界的にはなっていけませんので、愈々この12月23日で切り替えようという気持ちが固まってきまして、英文サイトを仮開設したのは12月18日でそれから本開設までの期間に時間のある時には御神前に座って、「メシヤ様が御作りになられた『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』に変更しますけどもどうでしょうか」ということをメシヤ様に問い続けました。そうすると益々強く思わされましたので〝時期を早めよう″と決定しました。

メシヤ様御自身は『應神弥勒と化し』の後に『メシヤとならせ』と入れられたのですから、『みろく』に固執しているわけではないわけです。

『メシヤの御手に帰一され』は弟子たちが決めるべきことだということではなかったのではないでしょうか。

(質問者)

世界救世(きゅうせい)教となった時に『メシヤの御手に帰一され』としなかったのですね。

(先生)

しませんでした。メシヤ様が『仁愛(みろく)の御手に帰一され』としておりましたので。しかし、その後の教団は『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を取ってしまったのです。

(質問者)

どうして取ったのかはわからないのですか。

(先生)

わからないのです。

二代様にしてみればメシヤ様は最高最貴の御存在ではなかったのですね。エンジェルと仰られましたから。神様ではなくエンジェルですよ。

ですから『仁愛(みろく)の御手に帰一され』という『万教帰一』は世界救世(きゅうせい)教がすべきものでない。ということから『帰一され』を外してしまったのではないでしょうか。

○○教に指導を仰ぎながら教団体制を整えてきておりますのでね。○○教団では、献饌などの形式も○○教式が残っているでしょう。メシヤ様は〝献饌″もゆくゆくは改めようとなされたわけですから。

そのために最後にメシヤ様が御出座された立春祭にはお供え物は何もないわけですから。御玉串料の全国からの奉告を積み上げたものと、お花だけですから。

それにも関わらず、メシヤ様が御昇天されると同時に、二代様が○○教に祭典の在り方など相談されたのです。

それで○○教式で葬儀をやってしまったのです。それが原点になって今の○○教団の祭典形式に引き継がれて未だに残っているのです。

私はもう一度〝『本来メシヤ様が進めようとなされた御神業』を進めよう″ということで、今活動していますが、その中で一番大事なことはこの『メシヤの御手に帰一され』がないことには日々そのような霊界づくりはできませんので、それで早めて昨年の12月23日から唱え初めたのです。

祈りの在り方の統一見解

また、「メシヤ講座・大阪」から祈りの在り方について引用します。

代表先生
そのようにしてください。じゃあ、統一見解を出しておきましょう。こういう月次祭とか祭典のときにはですね、みなさんが次から次へと来て天津祝詞を唱えて御挨拶するということは、みなさんが次から次ぎへと来て御玉串料を上げるするのにちょっとお邪魔になってしまうので、そのときは三拍手で御挨拶をして、お祈りもそのときに、今日はこういうことでお祈りさせていただきたいと御奉告をして、そして月次祭に臨む、と。個人参拝のときは、祝詞を奏上して、御神名をお唱えして、「カムナガラタマチハエマセ~」と言ったあとに、「今日はこういうことをお願いします」ということで、三拍手で締めると。で、大黒様のときでも、祖霊様にご挨拶するときでも、そういう形でお祈りをしてください。

参加者A
大黒様のときもですか。

代表先生

ええ、大黒様のときにも、「お金を運んでください」とお祈りしたあと「カンナガラタマチハエマセ~」と言ってたでしょ?だから、「カムナガラタマチハエマセ~」のあとに、「お金を運んでください」と言うんです。そうでないと、お金を運んでください、という祈りのほうが小さいから。それで三拍手をしてください。

参加者F
家でもそうするんですか?

代表先生
ええ、家でもそうしてください。だから、「カムナガラタマチハエマセ~」に最大の祈りを込めてお祈りするということは、より一層そういうお祈りをしていただきたいと思いますね。

参加者I
御先祖様も大黒様も毎日?

代表先生
はい、そうです。毎日お茶もお上げしてくださいよ。

御教えに則って節分祭、立春祭を執り行わせていただき、神威弥増す中で御神業を担わせていただく姿勢づくりのために、確認させていただきたいことをまとめました。これはメシヤ様がなされた祭典ということではなく、許す側のメシヤ様に対して執り行うという祭典です。そして、お詫びをさせていただいてこそ、立春祭を期して神威弥増すのです。

メシヤ様が御垂示された『御神業の本筋』は、いよいよ今年からだと心得ております。それ故に、メシヤ様と御神縁によって繋がる全ての人が新たな自覚を持ち、“メシヤ様へ直に繋がり、偉大で深淵なる御力を賜ることを心掛ける”ように、切に願うものです。

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