メシヤ講座・特選集no.145(平成25年2月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
主なる病気(二)
肋膜炎と腹膜炎

(文創  昭和二十七年)

 

 本文は『文明の創造』168ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では14ページです。)

なお、『肋膜炎と腹膜炎』は2月に拝読し学び合う御論文です。

 

≪「節分祭」、「立春祭」特集≫
『文明の創造』拝読により幾重にも打たれた『神界の深奥なる布石』を実感する

メシヤ教代表 楳木和麿

節分祭、立春祭を斎行し、『本来の御神業』は更に進展

2月度は節分祭、立春祭を執り行わせていただき全国支部月次祭に臨みました。立春祭の代表挨拶を今回は掲載しますが、当初、布教における具体的手法と具体策(問題解決の基本策と手順)及び祝詞に詠み込まれた文言の意味について草稿していたのですが、参拝者の面々を目の当たりにした際に話の内容が変わりました。

各支部、各出張所、及び各メシヤ講座会場を巡回する際に何故こうした話になったのか自問しつつ、草稿の中身に加えて御祭りの意義、祝詞に詠み込まれた言霊の働きや想念の持ち方をメシヤ講座参列者に応じてお話しさせていただきました。その内容については、各支部ホームページのメシヤ講座を参照していただければ幸いです。

また、御祭りに臨まれた方からの喜びの声も多数いただきました。取り分け、立春祭でお披露目した神代檜で謹製された講義机への賛辞は格別なものでした。使用された神代檜は、新本部が建てられたのと同時期に掘り出されたものであるということも確認され、本部建物に使用された木材が現在では入手困難状態であることと併せて、幾重にも打たれた『神界の深奥なる布石』を拝察することに繋がり、感謝と感動、喜びが込み上げてまいりました。

そして、この感懐は全国を巡回する中で一層深まるものとなりました。取り分け各宗派合同の勉強会を新たなところで開催したのですが、参加者の純粋なる信仰姿勢には心打たれるものがありました。

各宗派合同の勉強会では、集団浄霊の際に閉じた瞼に曽祖父母が浮かび出て不思議体験をした人がおり、その娘さん(勉強会の主催者)にそのことを伝えたところ「“やっと本来のところへ出会えた”という湧き出るような歓喜が込み上げてきて、感謝の嗚咽を抑えようがなかった。」と答える場面があったなど、メシヤ様に繋がる因縁の人が引き寄せられている実感がありました。この親子はかつての国鉄総裁の子孫ということですから、メシヤ様の御神業の布石と因縁がある家系でもあります。同席者の中には某教団へ○億円を捧げた方もおり「メシヤ様へ捧げたい一念からでした」と、感動的な言葉を口にしてくださいました。

こうした場面が実現したのも、今回の場合、大阪支部の前身である枚方支部が発足した際の神秘的な出来事が存在し、深刻な手術を寸前のところで免れた人がいて、関東の信者さんの体験記が掲載されたことがあり、そうした幾重にも打たれた『神界の深奥なる布石』の下に起きた現象があったからこそであります。一つとして無駄のない事象の積み重ねの上に今日があることを強く感じさせられるものです。

また、新たに海外から浄霊を求めて参拝された方の真摯な信仰姿勢を知り、世界の隈もなく、メシヤ様を純粋に求める人々がいることを認識させられました。そうした方々に接するごとに『全ては神様が整えられ進めてくださるのが御神業である』という御垂示通りであることを痛感させられます。

こうした動きを経て、立春祭は「世界救世(メシヤ)教」の開教記念日であり、「メシヤ教」の発足記念日でもあることから、代表挨拶はこれで良かったと得心するものがありました。

「立春祭」代表挨拶
開教の御精神を求め続けて『第二の開教』を
皆さん立春祭おめでとうございます。今日は司会の方から読み上げていただきましたように、立春祭であると同時に「世界救世(メシヤ)教」開教記念日でもあります。そして、メシヤ教として御神業をスタートした記念日でもあります。平成12年からこの玖珠に本部をおいてメシヤ教を始めまして、お蔭様でこうしてメシヤ教を支える皆様方のお力添えをいただいて、新しい本部を許され、新しい本部での初めての昨日の節分祭と本日の立春祭を執り行うことができましたことを、心から感謝申し上げたいと思います。

また、メシヤ教の御神業を推進する中で、メシヤ様御昇天以後の教団の取り組んできた数々の問題点や、それに基づいて改めていくべきことも浮き彫りにされてまいりました。

取り分け、昨夜読んでいただいた「メシヤ講座・特選集」の中身については、「メシヤ様は節分祭を執り行っていませんでしたので、それに対する見解も必要であろう。」という話もありました。 しかし、メシヤ様は我々の罪穢れを許す側でありますので、メシヤ様がお詫びをする側ではありません。この点を間違ってしまいますと、後人の信者あるいは教団執行部は道を誤ってしまいます。 そのために節分祭を執り行わない教団が増え、御神業がズーッと曲がっていく方向に行ってしまいます。

最近ではドンドン薬と併用して浄霊をいただくということが、常習化してしまっている現状でありますので、“メシヤ様が、何故「世界救世(メシヤ)教」を開教されたのか”という、御心を求めてやっているところが、どれほどあるだろうか、という現状であります。

それで、今回のメシヤ講座の中には、オバマ大統領の第二期就任の演説を踏まえて、少々論説を加えました。アメリカでは建国の精神に基づいて、それを着々と具体化して行く取り組みをズーッと進めてまいりました。これは、ともすると覇権主義を中心にした唯物主義に基づいた・・・根っこにはキリスト教がありますけれども、現実的に進める内容というのは、唯物主義に基づいて進めております。しかし、その進め方たるや非常に緻密に、そして大変行動的に進めております。

そこへいくと、メシヤ様という素晴らしい教組を仰いでいる教団の人達がどれだけ緻密に行動的に御神業を進めてきたかというと、一部を除いてどうも謳い文句だけで進めてきて、非常に具体性と行動性に欠けていたのではないか、と思います。 それが如実に現れていますのが、信者さんの問題を先生方に相談しても解決に結びつくという事が非常に少ないということであります。

何故そういう状態になってしまっているかと言いますと、御教えを知っている、あるいは取り次ぐことはできるのですけども、この御教えに基づいて・・・、というのは、『霊主体従の法則』に沿って、あるいは『夜昼転換』が進んでいる中で、その御教えに基づいて、実際にはどのようなことを進めて行けばあらゆる問題が解決して、幸福の世界になっていくかという具体論が非常に少ないということであります。

そういうことから、岡山支部「倉敷出張所」発会式の時には問題解決ということを一つのテーマとして、取り次ぎましたので、その内容を昨夜読んでいただいたように、今回引用しております。

今こそ『るナ三訓』の実践を

このことに取り組むためには・・・、今日は各支部の代表者の方々が集まってきていますので、我々はどういう姿勢を持たないといけないか、と言いますと・・・、最高最貴の御神霊に向かって日々参拝をさせていただいて、そして、この世の中にこれ以上ないだろうという御教えを手にしてそれを拝読をして、所謂真理ということを会得した人間であればあるほど、メシヤ様から示されていますように『るナ三訓』を支部の責任者ほど徹底していかなければいけません。

我々は御教えを知っている側ですので、例えば、「あなたは何も勉強していないではないか。」ということをやってしまいますと、救いということはその瞬間に止まってしまいます。足らざるところをやはり教えていくという姿勢を更に持って、知っているからといって威張るような、そういう姿勢は全く持ってはいけません。

それから「御教えを拝読しなさい」と言ってもなかなか拝読をしない。「メシヤ様の御心をもっと求めて行きなさい。」と言ってもなかなか求めて行きません。その人たちを叱ったところで、御神業というのは、一歩も進んで行きません。また、叱ることで気付いた内容というのは、叱る人が居なくなった瞬間に気付いていけなくなります。

ですので、ただただ“自分の後ろ姿を見せつつ、皆さん方が悟りを開いていくように”―そういう姿勢を持っていただきたいと思います。

私自身が、ズーッと全国を回っていて、ほぼ体力の限界に挑戦しながら動いているような、それはやはり「メシヤ様の御神業を最前線で担わせていただく」あるいは「メシヤ様の弟子としてどのような姿勢で貫いて行けば良いか」ということを少しでも自分も実践して行こう、という姿勢でしかない訳です。“他にどのような取り組みがあるだろうか”と考えてもなかなか見い出すことができないために、日々そういう風にして全国を動いている訳であります。

どうか、支部責任者の方々は、この『るナ三訓』をより一層自分に課していただいて、御神業推進に取り組んでいただきたいと思います。

「水晶殿」御遷座での御言葉『御神業の本筋』を現実のものに

そして、問題解決の中では今回書かせていただいたことプラス・・・メシヤ様の御教えを拝読すればするほど、日々の生活の中で同じ問題を起こさないための実践徳目とも言えることがズーッと網羅されております。再度問題を起こさない、問題が起きるというのは、霊の曇りが発生するために起きてくる訳ですので、“霊の曇りを発生させない生活をいかに私達は歩んでいくか”ということが信仰生活ということになります。

霊の曇りを発生させないためには、日々心言行に気を配っていくということと『霊体一致の法則』に沿って所謂“毒素”を自分の体の中に溜め込んでいかない、ということであります。食べ物に気をつけて行く、住環境に気をつけて行くことでもあります。つまりは「衣食住に気をつけて行く」ということが、大事なことになっていきますので、メシヤ様から示されていますことを、ただ知っているというだけではなくて、それを生活の中に、いかに実践していくかということを、一人一人の課題として今日からですね、更に取り組んでいただきたいと思います。

そういうことを進めて行くのが、メシヤ様が「水晶殿」御遷座の際にお話になりました、『御神業の本筋』ということであります。メシヤ様は我々に真理を説いてくださいました。説いてその内容を自分の生活に中に取り入れて、『やるかやらないかはご随意に・・・』という御姿勢をメシヤ様は明確にしておられますので、我々がそれを自分の中にしっかり受け止めて生活をして行くか、あるいはして行かないかは、我々の全くの自由な訳です。自由であるからこそ、支部の中で、信者さん方の中で、それを採用してやろうがやるまいがこれも自由な訳です。

支部を預かる責任者としてはイライラすることもあります。「この前言ったのにわからんなあ・・・」というようなことが日々起きてきます。これこそは、メシヤ様が『御随意に』と仰っておられた結果としてある訳ですので、救われる道を歩んでいくか、救われる道から遠ざかっていくか、ということは一人一人の自由なんだということであります。

しかし、私達はオバマ大統領が話したことと同じように・・・、ズーッと建国以来受け継いできたものを、一歩たりとも揺るがすことなく、自分が受け継いで、そして、進んで行ったことと同じように・・・、メシヤ様がお説きになって、進めようとされたことを受け継いで、そして私達がそれを一歩たりとも緩めずに着々と歩ませていくということが大切であろうかと思います。

そして、先程「開教記念日」と申し上げましたけども、私がメシヤ教として平成12年にやり始めた時には、『第二の開教』ということを腹の中に強く持って進めさせていただきました。

『第二の開教』というのは一体何かということですが、メシヤ様が開教されて『各般に渉って整えてゆく』と仰ったのですけれども、後人の弟子達がそのことに着手できていない状態で、今日まできたために、取り組みがズレていったことがあります。“これからその取り組みを改めてやっていくのだ”ということで、ズーッと十数年間積み上げてきました。

昨年『文明の創造』発刊の目途がついた頃から新本部を許されることができましたし、善言讃詞の中の取り分け想念を込めるところも明確になってきたと共に、弟子達がメシヤ様にもう少しお伺い申し上げておけばこんなに難航することはなかったであろう、善言讃詞の文言にもさらに一歩踏み込みました。『仁愛(みろく)の御手に帰一され』という箇所を『仁愛 (メシヤ)の御手に帰一され』と改めることに踏み切らせていただいたのが、昨年の御降臨祭の時でありました。

そのようにしてほぼ整ってまいりましたので、これからはいよいよ『御神業の本筋』にメシヤ様が『入る』と仰ったことを実際に進めさせていただこうという気持ちで、もう一ヶ月は過ぎましたけども歩ませていただいております。

『メシヤ様に直に繋がる』ことを根幹に置いて

昨年のこの節分祭、立春祭の時には、マイナス14度でしたけども、今日は145度まで上がるようですので、おおよそ30度の差が去年と今年ではあります。これは我々の情熱の現われであろうと受け止めておりますけども、受け止めただけでは何も起こって行きませんので、もう少し緻密に今回書かせていただいた問題解決ということを基に、“お一人お一人が周辺の方々の問題を解決して行く”という道に踏み込んで行っていただきたいと思います。

踏み込んで行く時に根幹におくべきことは、『メシヤ様に直に繋がる』というお世話であります。そして、直に繋がったら、その霊線をいかに太めていくか、ということであります。『直に繋がる』ということがまず第一歩で、次にその『メシヤ様との霊線を太めていく』ということが第二であります。この太めて行く時に先ほどお話しした『るナ三訓』というのが非常に大事になってきます。

それに加えて、『布教三訓』も各支部の方々は掲げて取り組んでいただいておりますけども、この中で『メシヤ様との共同作業』という姿勢が最も大事であります。この『メシヤ様との共同作業』と言った時に、具体的にはどういうことかと言いますと、“御浄化をいただかれているところに訪ねて行く”あるいは“未信者の方々がお会いしたい”ということで、お迎えする、という時に、メシヤ様のお付きとして我々は動かないといけない訳ですね。

そして、メシヤ様が、相手の方々がいろいろ話をすることを“どのようにお聞きになられて、どのようにお答えをされるのか”ということが我々の課題でありますので、メシヤ様のお供で訪ねて行ったり、お迎えした時は、“メシヤ様がどのように受け答えをされるのだろうか”ということを課題にして、我々が受け答えをしないといけないということです。

それから次に、“メシヤ様にいかにお繋ぎするか”ということが大事ですので、“メシヤ様のお供で行く”ということは“メシヤ様にどのようにお繋ぎしていくのか”ということを課題にして相手の話を聞くと共に語りかけていくということが大事でありますので、そういう心がけをこれからの御神業では更に持っていただきたいと思います。

それは「こうならなければいけないのですよ」という話ではない訳ですね。「メシヤ様はこのように述べていらっしゃいますので、私はこのようにさせていただきます。」あるいは「今日までさせていただいてきました。」ということを述べて、「あなたもどうでしょうか。」というように繋いでいかないといけませんので、メシヤ様にいかに繋いでいくかということを更に課題に持っていただきたいと思います。

そして、メシヤ様が絶えずいらっしゃる、ということを考えれば我々の言葉というのが十分に練っていかれますので、“こういう言葉をかけてはメシヤ様からお叱りを受けるなあ”とか、なっていきます。絶えず「メシヤ様と共に歩ませていただくのだ」、「お供させていただくのだ」という姿勢を持っていただいて、これからお救いする相手のお世話に取り組んでいただきたいと思います。

それと、我々はメシヤ様と直に繋がることによって浄霊力は強化されて行きますので、大変浄霊力が発揮されて行きます。そして、今まで以上に結果が出てきますので、結果が出てきたことに対する感謝を、今までの教団と違って「メシヤ教はすごいですね」というところから「メシヤ様にいかに繋いでいくか」と「メシヤ様にいかに感謝をさせていただくか」という繋ぎ方というものも、より心がけていただきたいと思います。すると、メシヤ様に感謝できるというところから更なる御守護に繋がってまいりますので、そういうお世話に取り組んでいただければ大変有難いと思います。

我々の日常の活動についてお願いをさせていただきましたが、米国のことに何故最近目が行ってしまうかと言いますと、あまりにも米国の現状がメシヤ様が『アメリカを救う』と仰った時代よりも、大変酷い状態になってきているということが新聞テレビで報じられているからです。そのようなことが続くと世界全体があまり良い方向には行きませんので、“何とかメシヤ様の御教えが入って行く方法はないものか”ということを何時も考えているために、どうしても向こうから発信される情報というものに興味が行ってしまいます。

しかし、我々の信仰生活というのは日常生活が大事ですので、大きい視点と自分の信仰は日々の生活の中でさせていただかなければいけないので、今回のような大きな話とそれから日々の日常生活の話というようなメシヤ講座にならざるを得ないような状態なのです。

それで、もどかしいこともあるのですけれども、どうか・・・私達の「メシヤ様と御縁をいただく」キッカケを作ってくれた教団・・・その教団のお蔭ではあるのですけれども、同時にその教団の中で、染み付いてしまった信仰の癖みたいなものが、付いております。それから世間の風習というものをメシヤ様の御教えに基づいてどのように捉えていくかということが、教団の一番頂点にいる人から曖昧な形になってしまっておりますので、そういう流れの中に置かされていた部分もありますので、自分の立ち位置というものをしっかりとさせていただきながら、進んでいかなければいけないところもあります。大きな課題が山積しているために、これからより一層皆様方からの知恵も拝借しながら御神業を推進させていただきたいと思っているところです。

そういう気持ちで、今回のような大きな話を以って立春祭を迎えさせていただきましたが、昨日の節分祭といい、本日の立春祭といい、非常に神様の大いなる御恵みを感じながら祭典をさせていただきましたので、そのことに感謝を申し上げて私の本日の挨拶とさせていただきたいと思います。

メシヤ様の弟子こそ緻密に取り組まねばならない

どうしても唯物主義は緻密でやっております。

そのために、メシヤ様と出会って力をいただいて、御守護をいただいて「素晴らしい」と感動しても、どうしても向こう側の方が緻密にやっておりますので、私達の心の隙にすぐ乗じてくるところがあります。

重ねて申しますが、そのために私達の日常生活をどのようにしていくかということが支部では大変大事なことになって行きますので、メシヤ様を教祖にいただいている教団人として、日々どのようにあらねばならないか、ということを緻密に積み上げていかなければならないと思います。

今年は『天国の福音書』を次に纏(まと)めるということではあるのですが、今年の6月までは『文明の創造』をでき得る限り頒布することに取り組んでいただいて、そして“御神業を緻密に進めて行くというところを資料として纏めつつ進まなければいけないな”ということが私がいつも心に抱いていることであります。そうしたことにも一層知恵と力を出し合っていただいて進めさせていただきたい、と思います。

本日は遠方のところから祭典に足を運んでいただきまして、心から感謝申し上げます。皆様方のお祈りによって、今年はより一層『御神業の本筋』を進めさせていただける気持ちになりましたことに、重ねて感謝をさせていただいて、挨拶を終わらせていただきたいと思います。本日はありがとうございました。(要旨)

立春祭の後、大阪支部の高井成恵さんから報告がありました「霊視」を次に掲載します。

この内容は、“代表挨拶の中で問いかけ、取り上げて話そう”と考えていたのですが、挨拶そのものは“肝に銘じておきたい”硬めの話となりました。これから更に発展するからこそ、そうしたお話としました。

霊視報告は、発展を象徴する内容にもなっています。

 

霊視報告節分祭

紫色の箱が見えます。箱の形は立方体(サイコロ型)です。箱の中は見えませんが、箱が型を変えて直方体(細長)に変わろうと振動しています。

やがて箱は枠組みだけに見えましたが、透明感と伝わりました。

箱の中に入っていたのは、流線形の光で白色を帯びながら前後左右に小さく動いています。

見えたのはこれだけでしたので、どういう 事なのか、まるで分かりませんでした。

楳木先生にご報告をさせていただくと、「紫は『夜の時代』の最高位にある色で  白色は『昼の時代』の最高位の色ですね。貴方はどう思ったのか」と問われましたが、答えに困りました。

何となくですが  明日の立春祭で解るかも知れないと思っていたようです。

立春祭

節分祭で見えた箱の中で輝いていた白金の流線形の光が細かく砕かれ、無数の小さな流線形の光になり、勢いをつけて飛び出しました。

まるで海の中を游ぐイワシの大群のようにキラキラしています。

白金の大群は矢の形をしながら横に進んだり、ロケットの形をしながら上方に向かっていきました。

最後に  金環日食が見えました。

節分祭、立春祭を通して受け止められること

節分祭、立春祭を通して見えた事について思いましたのは、箱は御本部を表したもので、形が変化したのは、もっと大きくなることを示唆し、白金の流線形は今回参拝された方がいただかれた光だと思います。大海原に飛びだす光の大群です。

そして  最後に  楳木先生が終わりの挨拶の中で、「遠路本部まで足を運び、メシヤ教発展に尽力をされる皆様に感謝を申し上げます」とのお言葉をいただきました。

その時、最前列におられた支部代表者の方々の背中がひときわ白金色に包まれておられました。以上でございます。

このページを印刷する