メシヤ講座・特選集no.148(平成25年5月分)

 <御教え>
『文明の創造』科学篇
神経痛とリョウマチス

(文創  昭和二十七年)

 本文は『文明の創造』178ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では25ページです。)

なお、『神経痛とリョウマチス』は6月に拝読し学び合う御論文です。
今回は「本部御神体御奉斎記念祭」特集ですが、5月に学んだ『肝臓、胆嚢(たんのう)、膀胱の結石』に関しては三重支部責任者の「結石に対する回想録」が参考になります。また、改めて肝臓の働きを確認するために浜松支部では専門書を読み上げてもらいました。

 

「本部御神体御奉斎記念祭」特集

≪体験報告≫

84歳にして糖尿病が改善
本部直属玖珠出張所 佐藤斗四夫

御神体御奉斎を許されて
岡山支部 問田裕一

支部発会からの歩み
岡山支部 原田穣

≪代表挨拶≫
『文明の創造』拝読により遅延した『宗教改革』を再び加速させる御力をいただく

メシヤ教代表 楳木和麿

次の段階へ進む際に必要な祭典

皆さん本部「御神体御奉斎記念祭」おめでとうございます。

遠いところから足を運んでいただいて、このように盛大に祭典を行わせていただけますことを、心から感謝を申し上げます。

この「御神体御奉斎記念祭」は、元々の「世界救世(メシヤ)教」におきましても、それからこのメシヤ教の御神業を進めさせていただく上におきましても、大変意義深く、しかも次の段階に進む際に必要な祭典であります。

本日ご報告していただいた方々の内容を、整理させていただきながら、本日の祭典の重要性について確認をさせていただきまして、私の挨拶とさせていただきます。

今日最初に発表していただきました、地元の佐藤斗四夫さんは私の母の知人ですので、だいぶ前からメシヤ教の本部に出入りをされておりましたが、どちらかと言いますと○○の科学の方へ重点をおいて、そちらの行事参加の方を主としておりました。

しかしながら、年々こうして本部へ参拝に来られる皆様方の人数が増えてくるのと、皆様方が本部へいらした時の姿勢を見て、この信仰をだんだん見直すようになりました。見直すようになったことから“浄霊ということに真剣に取り組んでみよう”ということになった訳であります。

昨年の「新本部竣成祭」にお見えになって、それから今年一年ぶりに参拝されました方々は、庭が見違えるような姿に変わったことに驚かれたと思います。庭師が年三回くらい入って管理をしてくださっているお蔭で良い庭になってきております。

この庭師を連れて来てくださったのも佐藤さんであります。今日は地元の玖珠町で「童話祭」というお祭りがあり、その役員として出仕しておりますので、代読していただきました。皆様方に直接報告できなかったのは非常に残念ですが、皆様方の姿を見てだんだん“浄霊ということに取り組んでみようか”という気持ちになってくださった方であります。

そして、一旦浄霊に取り組もうと思えば、今日報告してくださったように「メシヤ講座」第一号(平成12年出版)の「浄霊」という本をしっかり読み“基本を忠実に実践して行こう”という気持ちを持つのと、その反復をされたお蔭で、糖尿病が深刻な状態だったのですが、今年84歳にもかかわらず改善して行きました。

しかも佐藤さんが慎重なのは、昨年の1月に改善していたのにもかかわらず、メシヤ様の『焦るナ』という、あるいは『早まるナ』というお言葉にも通ずる如く、その時点では私達に対して「だいぶ良い」という表現で伝えておりました。こんなに改善しているとは報告してくださいませんでした。それで、一年間様子を見られてから〝確かに良い″ということで、先月になって報告してくださいましたので「それでは、記念祭の時に報告をしてください」ということで頼んで、原稿を書いてくださっていたのですが、玖珠町のお役がどうしても欠かせませんので、そちらへ出ていただきました。

また、体験記の中に数値が出ておりますが、糖尿病の数値は、今まで日本独自の数値で表示しておりましたけども、去年の五月に糖尿病学会の方で改正することになって、表示が0.4%プラスの数値になります。今年の3月31日までは今までの数値ですが、4月1日からは数値が変わります。

日本の学会も少しずつ幅を持って考え方を変えてくれることを期待しています。まあ、そうしたことも含めて学ぶことのきっかけにもなり、こうした御守護報告が私達にとって大きな学びの一つになっているところであります。

最高最貴の御存在に参拝させていただくということ

それから二人目に報告をいただいた問田さんは、御神体御奉斎を許されるまでの経緯をお話しくださったのですが、これは原田さんの報告とも関わりのあることなのです。

それは、御神体をこの「主之大御神様」にさせていただくということは一体どういうことかということであります。

メシヤ様が「世界救世(メシヤ)教」を昭和25年2月4日に開教されて『世界救世(メシヤ)教 教義』をすぐ3月11日に御発表になり、この時に御神名を明らかにされています。

しかし、この御神名を明らかにされたにも関わらず、その御神名を唱えるということが、これまでの教団の中ではなかった訳であります。

それを我々が同職員時代に疑問符を同役員達に投げかけても、「あまりにも高い存在なので、その御名を唱えるという事は相応しくない」というような返事がありました。にも関わらず「主神の経綸」というように『様』を付けないで話している現状です。

私もこういうことを申し上げる際に例題として言うだけでも、口にするだけでも申し訳ないことなのですが・・・、『主神様』と御尊唱申し上げることをしていないにかかわらず「そういう最高最貴の御存在に御参拝するということは相応しくない」というような訳のわからない、回答がズーッと続いて来たのです。

メシヤ様が御発表されたにもかかわらず、すぐ弟子達の対応がまずかったために、メシヤ様は御法難に遭われて、その後メシヤ様の御神業は大きく遅らされるようなことになってしまいました。今私がこうして申し上げることは、大変先達の方々には申し訳ない話なのですが『メシヤ様』という最高最貴の御存在を間近にいただきながら、“最高最貴の御存在の下で御神業を担うという姿勢を何故具現化できなかったのか”というのが、私が『世界救世(メシヤ)教 教義』を暗記した時から、中学生の時に暗記したのですけども、その時からズーッと胸に膨らませたことであります。(何故具現化できなかったのかという疑問を呈したのは、日本観音教団及び五六七教それぞれの教義にも御神名が記述されているからなのです。※「メシヤ講座・三重『教義比較』」参照)

それでどうしても教団に留まることができなくて、外でメシヤ教という形で御神業を進めさせていただくことになったのですが、その御神業を進めさせていただく時に『主之大御神様』の御神体をメシヤ様から許され(御文字は私と縁のある先達の御家庭からいただくことができました)こうして御神体として御奉斎させていただくことができた訳です。

そして、この御神体が許されたからこそ、メシヤ様が私達に課題としてお示しくださっている、『宗教と科学の一致』ということが〝初めて為される″ということであります。それは何かと言いますと、科学に対する認識が・・・、私が大学に行こうとした時に「大学に行ったら学毒が身に付いてしまう」ということで、“大学に行かせない”という働きが非常に強かったのです。

それで幸い救世専門学院というのができて、そこに京大、阪大の教授のお歴々が教鞭をとってくださるということでしたので、「そちらへ行って御教えと学業とを修めてこよう」ということで、京都に行った訳です。

主神様の御経綸を裏付けるという大きな概念

京都に行って学べば学ぶ程、大学の教授達の極めて・・・中身の高さたるや大変なものでありました。(私が、若い時に「大変なものだった」と言うこともおかしい訳ですが)〝科学の世界で極めつつあるものというのは、そのまま主神様の御経綸を裏付ける中身だ″ということが、その中でヒシヒシと伝わってきました。

私達が通常「御経綸」「御経綸」と口にしていることは、宗教面だけの御経綸ということで、先達から教えられたきらいがあります。しかし、実は御経綸というのは『世界救世(メシヤ)教 教義』に記述された内容が御経綸であります。ですので、一旦『夜の時代』に主神様がされて、そして唯物思想の中で、科学を発展させたということでありますが、発展させる中で主神様の御経綸の裏付けを示されてきたという、こういう大きい概念を持つことができなければ、メシヤ様が最終的に御垂示になられた、『御神業の本筋』ということを進めることができない訳であります。

そうしたことが、原田さんと問田さんの報告を聞きながら、沸々と蘇ってまいりました。

しかも、この「御神体を許されて本当に良かった」ということと、「『夜の時代』から『昼の時代』に切り替える」ということを・・・問田さんの報告から先祖が如何に待ち望んでいたか、あるいは望んでいたか・・・そのことが十分認識できないために様々なことが、問田家のなかで起きてきたのですけれども、“それ程、熱心に先祖というのは願っているのだなあ”ということを、ヒシヒシと感じるとことであります。

また、お父さんとの間のことを少し触れていただきましたけども、時代というのは主神様の御経綸の下に大きく進んでおります。この“進んでいるという情報”を如何に自分達が得て行くか、ということが大事な訳で、生涯その情報を求め続けることができる方も居らっしゃるのですが、しかし、ある一定の時期になってくると、“世代交代”を自覚しながら自分自身が世の中の動きをしっかりと把握して“自分が我が家を背負っていく”という姿勢になっていかなければ“先祖のご負託に応えるということができない”ということであります。

この発表を基に問田さんは一層しっかりとした信仰を培っていただいて、そして、先祖あるいは問田家の霊線に繋がる大勢の先祖をお救いいただける。あるいはその願いに応えて行けるような人に一層なっていただければ大変有難いと思います。

「宗教とは一体何だと思いますか?」

最後に報告していただいた原田さんですが、私が去年の暮れ頃から少し支部責任者をはじめとし資格をいただいている方々には厳しい話をしてきました。原稿とは違う話が、祭典の時に皆の顔を見ると話の内容が変わってきて、どうしても資格者に対して厳しい話にならざるを得ない気持ちになって話してきたことを真摯に受け止めていただいて、そして、支部で御神業を担っていただいていますので、大変有難いところであります。

報告の中で一貫して話されたのは先ほどの『宗教と科学の一致』ということと併せまして、『地上天国』を建設していく上において大切なことは、メシヤ様は『医学革命と宗教改革だ』と仰っておられる訳ですが、『宗教改革』があまり進んでいない部分があります。

この『宗教改革』を進めていく時に「メシヤ講座」の中などで問かけていますのが「宗教とは一体何だと思いますか?」ということであります。これはメシヤ教の取り組みをさせていただく時に『浄霊』の本の前に『祈りの栞りに寄せて』を出させていただいた中に宗教概論について触れているところがあります。

この宗教概論というのは、いま日本人が“宗教に関する考え方がなっていない”ということが根底にありますので、私達の布教というのはメシヤ様の教えを“お取り次ぎしていく”“宣べ伝えていく”ということと併せて“日本人の宗教観というのを本来のものに変えていく”という願いがある訳です。

それは何かというと、宗教というものは本来〝人間の生活そのもの″が宗教な訳です。しかし、現在では人間生活と宗教が分離したような捉え方をされております。取り分けこの宗教は宗教団体というふうに限定されて考えておられる人が多いので、宗教ということを口にすると“うさんくさい”という響きになって聞こえてくる訳です。

しかしながら、今現在の『昼の時代』になりつつある前の『夜の世界』、それから、その前の『昼の時代』というところを考えていった時に、その前の『昼の時代』というのは“人間生活そのものが宗教”だった訳です。あるいは“宗教が人間生活”であった訳です。

それが、『夜の時代』に主神様が切り替えたことによって、宗教の中に含まれている要素が遠心分離的にそれぞれ発展していったのです。

例えば、オマジナイあるいは薬草を・・・傷が出来た場合ですね唾をちょっと付けて蓬(よもぎ)を揉んで傷口に当てておくと大体治ります。我々の子供の頃は殆どそうして傷を治しておりました。それから泳ぐ時には蓬(よもぎ)を揉んで耳に挟んでおくと水が入ってきませんでしたので、どんなに深いところまで潜っても大丈夫でした。そういうものが、今は薬理学という世界に発展して来ている訳です。それから医学という世界にも発展してきております。

また、神様に感謝する御祭りがだんだん分離されて歌舞音曲(かぶおんぎょく)となり、現代では音楽も様々な演歌とかポップとかにズーッと分離して発展してきております。

祭主がお召(めし)になる祭服とかがデザインやファッションという形になっています。それから〝忌まわしいものを閉じ込める″とか〝忌まわしいものが入ってこない″というセーアンやドーマンがデザインとしてチェック柄になったりしてきました。それが現在の服飾関係のなかのデザインに発展してきている訳です。

このように宗教の中にある要素が『夜の時代』になってズーッと発展してきて、現在の文化形態がある訳です。

発展した文化形態の中に諸問題の原因がある

しかし、この文化形態がここまで発展してきたのですけども、根本の宗教というものを三千年間の間に忘れてしまって、発展したところばかりを見ているがために、現代は諸問題、人間の問題が渦巻いている訳です。ですからこの問題を解決するというのは、“根本の宗教を思い出してくれれば、それで問題が解決してくる”のです。

先程、原田さんが話をされたように「本来の美しい人間の心とかそういうものを取り戻すという、そういうお世話を今後もさせていただきたい」という、非常に高い話をしてくださいました。そうしたことをさせていただければ“問題は解決していく”訳ですが、なかなかそこまでいけていないのが“現在の日本人の宗教観”であります。

これを実は“切り替えていかなければいけない”ということが我々の中で大きな課題としてある訳です。

原田さんが報告してくださった中に倉敷出張所の責任者の話も出ておりました。私と最初に出会った時はまだ逆縁のお嬢様のことで心の傷を引きずって、いっぱい胸に抱えるものを持って生活をされておりました。ともすると会話の中には「自分に振り替えてもらいたいくらい厳しいものだった」と、これは人間の情として当然なことであります。しかし、メシヤ様の御教えに照らして考えていきますと、これはそのような願いとか祈願とかいうことはあってはならない話なのです。

私達は長い間にメシヤ様の御教えを学んで、御教えを受け止めて生活しているつもりなのですけども、ともすると先程の三千年間の宗教観を引き継いで御教えを理解しようとしております。これが『教団改革』やメシヤ様の進めようとなされた『宗教改革』を遅らせている最大の原因であります。

自分は御教えを全部読んでわかったつもりでも、実はその古い宗教観を引きずって物事を考えてしまうところがあります。これを改革していかない限り、メシヤ様の進められようとなされた『医学革命』と『宗教改革』ということが進んでいかないし、強いてはその先にある『地上天国建設』ということも絵に描いた餅のようになってしまうということであります。

そこで、今日三人の方々のご報告を学びとしていただいて、また、私達のさせていただく役割の重さということを強く心に持っていただいて 『御神業の本筋』に一歩ずつ皆様方に進めていただけるように、お願いをさせていただきたいと思います。

待つことのできる懐の深さを

最後になりましたけども、この本部は皆様方のご奉仕のお蔭で日に日に月々に良くなってきております。今回は、門から入ってですね、両側に松を植えることができまして、できれば雌松もまた欲しいところなのですけども、今回は雄松と五葉松に出会うことができましたので植樹することができました。この松と言いますのは、『地上天国』実現を松(待つ)ということで、松を昔は御神前にお供えしていた時期もありますが、岡山支部責任者の報告のように“人の心が変わることを松を見ることによって待つことができる自分”となれるように、どうか今日のご参拝にきていただいた方々には心を一層高めていただきたいと思います。

昔みたいに〝叱りつける″あるいは「御教えに叶っていない」と喧(かまびす)しいことを言ってですね、人を変えていくという時代はその人がいなくなるともう終わってしまうということになってしまいます。やはりお世話側がなかなか辛抱がいるところでありますが、人が変わっていくということを待っていけれるような自分の懐の深さを持っていただいて、御神業を推進していただければ大変有難いことと思います。

今お弁当が届きましたけども、自然農法のお米でしかも地鶏を飼っておられる生産者の方が醤油(自然農法産の原料で無添加)だけで炊き込んだ鳥飯を握って届けてくださっております。先日生産する場所に行って見たのですけどもこんなデカイ羽釜で、しかも薪で炊いてくださっていますので“素晴らしい取り組みをされておられる生産者も地元におられるのだなあ”ということを改めて分からせていただきながら感謝して、皆様方に提供できることを心待ちしながら何日間か過ごしたような状態でした。

それから日田市の方に障害をお持ちの方々が、無農薬で生産した高菜を安全に漬け込んでくださっております。そういう施設もございますので、そこから高菜を取り寄せて皆さんに食していただこうと取り寄せております。

全国から「お昼に何か持っていきましょうか」と言われたのですけども、全部お断りして「安全なもので用意するので今回はこれで昼にしていただきたい」とお願いいたしましたのは、そういうことが理由でありました。ここに牡蠣の燻製や佃煮をはじめとしてお供えくださっておりますが、それも昼には出しませんので、支部毎にお持ち帰りいただいて月次祭の直会で召し上がっていただければ有難いと思います。

それでは、時間の許す限り本部で食事をしながら、お互いに全国の情報を交換してお寛ぎいただきたいと思います。本日はご参拝、大変おめでとうございました。

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