メシヤ講座・特選集no.156(平成26年1月分)

<御教え>
『文明の創造』科学篇
薬毒の種々相

(文創  昭和二十七年)

本文は『文明の創造』239ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では86ページです。)

なお、『薬毒の種々相』は2月に拝読し学び合う御論文です。今回は『文明の創造』の次に発刊する『天国の福音書』続篇『主神様とメシヤ様』の「はしがき」と寄稿文の一部を先行して掲載します。1月に学んだ『総論 手術』に関する内容は、各支部メシヤ講座を参考にしていただければ幸いです。

『天国の福音書』続篇
『主神様とメシヤ様』
「はしがき」及び寄稿文

≪「はしがき」≫
『文明の創造』拝読により『天国の福音書』続篇の構想明確に

メシヤ教代表 楳木和麿

この著は宗教書です。ごく当たり前の記述ですが、「宗教」と耳目にした際に「宗教団体」を連想する方が多いのではないかと思われます。宗教観が随分と改められてきたとは言え、まだまだ「宗教」を「宗教組織」と関連して理解し違和感を覚える傾向が日本人にはあるようです。

しかし、近年日本の文化が世界的に見直され、円安の影響と相俟って日本を訪れる外国人が増加し、取り分けイスラム圏の方々が訪れるようになり少しずつ変貌しつつあります。食事に関して戒律があることが広く知られ、現実的には食品業界ではハラール認証に対応せざるを得ない状況が出てきました。そのため戒律の起源に関する情報も増え、宗教と人間生活の根源的な関わりへも関心が向けられて参りました。当然のことながら、世界の宗教と民族の関わり合いも掌握するようになりました。そうしたことが重なり、宗教学者の岸本英夫氏の「宗教概論」に対する見直しと理解が深められました。究極の価値観を提示して、その境地へ導くという“機能としての宗教”という側面です。

また、古代の人間生活というものを縄文遺跡を通して探れば“人間生活そのものが宗教である”という理解も普遍化して参りました。それは、古代宗教の役割と首長を中心にした集落の運営が一体となって生活の秩序が保たれ、安定した社会が三千年余の期間続いていることが判明したからです。これこそが、人間生活そのものが宗教である、とする所以です。そして、現代の文化形態は、古代の人間生活つまりは宗教の要素が遠心分離的に発展してきたもので、現代生活は至便になってきたものの本来の人間生活が宗教であるという概念を喪失したことに比例して諸問題が発生しているとする見方です。ここから導かれるものは“現代の諸問題の解決法は本来の人間生活である宗教を想起することによって可能となる”とする側面です。

更に、豚を食べないとする戒律や輸血を拒否する姿勢は、それ自体純粋性を持っていますが、更に『創造主は必要があって創唱の御啓示を許可された』と受け止めることができるならば、学ぶ姿勢を以って接することができます。それが今回の上梓の必要性の一つとして受け止められ、「内部資料として留めることなく広く宣べ伝えてほしい」という要望、つまり殺到する発刊要請に応えてのことでもあるのです。

一方、科学の世界では、自然界の研究を進めるごとに、あるいは法則的な発見を重ねるごとに、偉大なる絶対的な存在者「X」を認識せざるを得ない、とする謙虚で真摯な研究姿勢を持つ科学者も現れています。サムシンググレートで知られる分子生物学者の村上和雄氏が著した書籍を読まれた方も多いことでしょう。それは、創造主に対する潜在的な認識が顕在化したものと推測されます。当然なことながら、偉大なる発見と雖も創造主の「創世した仕組」の一端を発見したに過ぎない一面があるからです。これらは私達に創造主に対する感謝の念を幾重にも湧かせてくれます。

さて、この書籍は岡田茂吉「世界救世(メシヤ)教」教祖が昭和初期から同三十年までに記した論文や講話の中からメシヤ教の研鑽資料として作成した「主神様とメシヤ様」を再編したものです。再編内容は『主神』『メシヤ』の表記部の抜粋文と引用本文を併記する、という構成にしたことです。

著者の岡田茂吉教祖は理想世界建設のために『宗教改革』と『医学革命』の推進を提唱されましたが、その根幹とすべき論文や講話を網羅したことになります。そのことを様々な角度から推進を目指す現状の一端を紹介するために、今回はメシヤ教の支部責任者が寄稿しています。参考にしていただければ幸甚です。また研鑽資料「はじめに」も参考にしていただくことを願い、次に掲げます。

【研鑽資料「はじめに」より】

この度、研鑚資料「主神様とメシヤ様」を作成することが許されました。信仰の根幹となる御教えをこのように網羅することができましたことは、何にも代え難く素晴らしいことです。慶賀の思いに満たされる中、御教えを拝読させていただく際の姿勢と留意点を確認し編纂方針を説明させていただきます。

まず、メシヤ様の御姿勢を見つめさせていただきますと、昭和元年に人類救済の御啓示があってから直ちには大任を引き受けられませんでした。有史以前の宇宙や地球の成り立ちから未来における御啓示の内容を全て検証されたからでした。その間、五年有余を費やされています。そして、確証を得られてから『救世主』の大任を受ける御決意を固められているのです。ご承知のように、昭和六年六月十五日千葉県鋸山で『夜昼転換』の御神事に臨まれました。

しかし、すぐには御立教されていません。それは万人を救済する方法の確立がなされていなかったからです。大本教時代に会得した鎮魂帰神法では万人を救済することは困難であり、それは何故なら鎮魂帰神法は霊的修行を積まねば会得できないところがあるからです。修行中にともすると発狂する事態も招きかねないのです。このような事情から、メシヤ様は誰でも希望すれば救済力を身に付けることのできる浄霊法を編み出されたのです。

メシヤ様は大本教時代を『霊的修行』の時代と位置付けられると共に、大本教は御自らが世に出るための『産婆役である』と仰られているのも、そうした理由の上でのことと拝察されます。浄霊法を確立されてからの御立教だったのです。

こうしたところに幾重にも慎重を期す御姿勢が拝察されると共に、『可能な限り全人類を救済する』というメシヤ様の御情熱が強く迫って参ります。

ところが、慎重であられるが故に、御啓示を書きとめた便箋は焼却されています。それは皇室に関わることが膨大な量を占めており、国体に関することもあり、大本教弾圧の理由に類する内容と受け取られかねないと御判断されてのことです。

ここに、御教えを拝読させていただく際に留意しなくてはならない点があるのです。

つまり立教当初は宗教弾圧を避けるために御発言に細心の注意を払われ、第二次世界大戦終了までは〝不敬〟と受け取られる可能性のある表現を避けられてもいます。また、終戦後信教の自由が認められても、顧問というお立場でおられました。日本各地で米国進駐軍の衛生担当官の誤解による弾圧が続いていたのです。

教主として表に出られたのは、昭和二十五年二月四日に「世界救世(メシヤ)教」を開教された時点なのです。しかし三カ月後に御法難に見舞われ、内外の障壁が立ちはだかりました。御論文や御講話の表現内容から、実質的に気兼ねすることなく歯に衣を着せぬ御発言ができたのは、ほんの僅かな期間であったと拝察できます。 そうしたことを考慮して、『世界救世(メシヤ)教開教後の御教え』と、『昭和二十五年以前の御教え』の二部構成で編纂してあります。第一部に「世界救世(メシヤ)教」開教後の御教えを、第二部に開教以前の御教えをそれぞれ出版物ごとに収録いたしました。

最後に、メシヤ様は御自らのお立場から『主神』『メシヤ』という表現を用いておられますが、私達は「主神様」「メシヤ様」とお呼び申し上げるようにしなくてはなりません。そうしなければ錯覚や勘違いを起こすからです。御教えを拝読する私達自身に隙が生じないように、自らを守るために心掛けていただきたい最重要事項です。

それが「主神様とメシヤ様」と題する資料の主眼でもあります。どうぞ信仰の向上を心掛ける上でお役立てください。【ここまで研鑽資料「はじめに」】

内部事情ではありますが、この研鑽資料により理想的な信仰態勢を生むことができたと共に多大な奇蹟を許されております。そして『宗教と科学の一致』に対する思想的構築ができたことをここに記し「はしがき」とします。

≪寄稿文≫
『宗教改革』に向かうための信仰改革

岡山支部責任者 原田穣

私は、メシヤ教の研鑽資料である「主神様とメシヤ様」という本を最初に読んだ時、このような編纂の仕方は非常に大切であり、この事の理解が浅いため、世界救世(きゅうせい)教の教団史はメシヤ様御昇天以降、間違ってきたのだと強く感じました。その本が、この度更に内容を充実、徹底して、広く一般の人にも読んで貰える書籍として出版の運びになったことは大変嬉しく、是非とも多くの人にこの本を手にとって読んでもらいたい、理解を深めていただきたいと思います。

メシヤ様は、昭和十年に大日本観音会という宗教団体を造られて以来、多くの変遷を経て、昭和二十五年世界救世(メシヤ)教をお造りになられ、そして昭和三十年二月に御昇天になられました。その後、奥様が二代様として跡を継がれ世界救世(きゅうせい)教とし、更にそのお子さんが三代教主として座を受け継ぎ、役員といわれる幹部の人達と教団運営に携わってきておりましたが、メシヤ様御昇天以降は、本来メシヤ様が進められようとした御神業を実践する教団から、次第に逸脱したようなあり方で進んできておりました。

その為、教団の活動方針に対する対立等から、事ある毎に数々の教会が離脱独立しており、一般社会からみれば信仰者としての資質を問われるようなことが数多く見受けられておりました。そうした中、ついに昭和五十七年、内紛が起こり世界救世(きゅうせい)教が三つに割れるという事態を招きました。当然ながら私も、その中の一つに所属していましたが、その教団では社会性ということを非常に重視し、社会的活動に主体を置いて、多くの人を巻き込んだ活動を進めていました。私も、そうした活動に参画しつつ人材育成にも努めておりましたが、薬毒論を伏せた薬と浄霊の併用や、お茶やお花といった社会性という名のもとに行う諸活動について次第に疑問を感じてきておりました。

そうした頃、信者に未公開の御教えをはじめとして多くの御論文が手に入り、読む機会が与えられました。読めば読むほど、今までやってきた活動の間違いに気づかされ、それからは、寝食を忘れてという表現が当て嵌まるくらいに御教えの拝読に努めました。御教えに求めれば求めるほど、読めば読むほど、教団が進めている方向に間違いがあり、宗教を持ち信仰するということはどういうことなのかということを改めて考えた時、そのまま教団内に留まって信仰しても限界があり、自らを高め、メシヤ様が願う本来の御神業を担い、進めていくのは無理だという結論に達しました。この組織内では駄目だと・・・。そして何と言っても、一番の間違いは御神格についてでした。明主様とお呼びするのではなくメシヤ様だと。そしてこのメシヤ様とさらには主神様との関係・・・この理解が大切であり、このことを多くの方々にも理解していただきたいと思います。さらには、信仰をするとか宗教を持つということは、一体どういうことなのかということも読者の皆さんも是非一度考えていただきたいと思います。何故信仰するのかということです・・・答えは簡単です。それは、みんな幸せになりたい、幸福な家庭を得たいからです。みんな不安を抱えて生活しています。ただ金銭物質が豊かにあるという生活だけで人間は満足出来ません。物心両面の幸福が真の幸福であり、本来の信仰をすることにより神より恵まれる真の幸福、これを得たいためにみんな宗教団体に入ったり、信仰を積み重ねているわけです。

そして真理を知って、奇蹟を許され、祖先や目に見えない世界、神の存在を自覚して、順序礼節を弁え、人を思いやりつつ、健全な精神と肉体の健康を許され、安心立命の生活を送ることが出来る喜び、これに勝るものはありません。人間はこの事のために生きていると言っても過言ではないと思います。また、これこそ宗教の本来の役割であろうと思います。農薬や化学肥料、添加物による食品汚染をはじめ、薬害、化学物質が氾濫して、原因不明の病気が益々増える現在ではありますが、一方では、このような理想的な生活を送ることが出来る時代を迎えているということが言えます。

実はそのきっかけが、この本の中にあります。なぜなら、今までの宗教団体の間違いは、この「主神様」と「メシヤ様」のことが、メシヤ様の御論文には書かれていながら、その認識が低く徹底しなかったことと本来進めるべき活動に間違いがあったためです。

本来進めるべき活動の指針は、既に出版されている書籍『文明の創造』を読んでいただければ分かると思います。そして、この度出版された、この『主神様とメシヤ様』をセットとして必携の書籍としていただければ望外の喜びであります。

≪寄稿文≫
理想世界建設のために大黒様のお世話を

鎌倉支部責任者 菅谷敬

私は昭和六三年に神慈秀明会にご縁をいただきました。入信間もない頃に御教え拝読をさせていただいていると大黒様について『本教信者は必ず大黒様をお祀りするが』と書かれてありました。しかし拠点には大黒様はお祀りされていないので当時の担当の先生に質問しましたが、「ご本部だけですが、大黒様のお写真はいただけます。」との事でした。その後勉強会にて世界救世(メシヤ)教時代に大黒様は廃止された事をしりました。

何年か後に友人から御教えを譲っていただいて拝読し始めると、それまで知らなかった事が沢山書かれてありました。自分が信じて活動して来た事が御教えとは大分違っていた事を知りました。メシヤ様の御教え通りにさせていただくからこそ人類が救われるはずなのにこれでは意味がないと真剣に悩んだ結果、教団から離れる決意をしました。そして、平成十九年の三月に初めてメシヤ教にご参拝させていただき、楳木代表に当時小学一年生の長男の難聴の事を相談させていただき、浄霊の急所を教えていただきました。私と長男は浄霊力を拝受していただき、わずかの間に治るという御守護をいただきました。それがきっかけでメシヤ教に御縁をいただく事になりました。

メシヤ教に出会い本来の在り方を御教えに求め、より太く繋がらせていただく営みを通して充実感と期待感に満ち溢れていきました。

そして、お仏壇とお位牌を御教え通りに整え直し、大黒様をお祀りさせていただきました。その後、入会させていただき直ぐに御神体も御奉斎させていただきました。以後、毎月、月次祭に我が家で勉強会をとっていただき多くの方々と学びを深めて参りました。現在は鎌倉支部としていろいろな方々のお世話をさせていただいておりますが、一番大切な事は主神様とメシヤ様の御関係、メシヤ様の御神格を理解させていただく事だと分からせていただきました。

メシヤ教では楳木代表が御教えに沿った本来の在り方を推進されて来られました。大黒様も各家庭に御奉斎されて沢山の方が御守護をいただかれております。

メシヤ教本部の大黒様についてはホームページにも書かせていただいておりますが、この大黒様は実際に購入する前に夢に現われるなど大変不思議な事がありました。

大黒様は行き先と時期が来るとお顔が変わります。生き生きとしてきますので、お姿を拝しているとよくわかります。鎌倉支部の大黒様は以前夢の中である信者さんに対して、ご先祖を大切にお祀りする事と、お金を正しく使いなさいと仰いました。この事を通してもわかりますがメシヤ様の御教えに沿った在り方で日々正しい想念で御神業に取り組ませて頂く事で大黒様からより大きな御守護をいただけるのです。

御神業を推進する上に於いても家庭天国をつくる為にも大黒様をお祀りする事は必要不可欠なのです。御在世中は渋井総斎先生が毎月トラック一杯の大黒様をメシヤ様に御開眼していただき各家庭に御下附されていたそうです。それにより多くの方が御守護をいただき感謝の御献金が沢山集まり地上天国建設にお役にたたせていただいたと伺っております。規模は小さいですが追体験させていただき、御守護を沢山いただいております。

現在、各教団や私が以前所属していた神慈秀明会もそうですが教団の為に信者さん方が一生懸命働くほど経済的には苦しくなって行きます。これでは何のために御縁をいただいたのかわかりません。メシヤ様の御言葉通りに信者さんが大黒様をお祀り出来る様にする事は教団としての大きな責任の一つだと思います。

大黒様をお祀りしたいと思って日々取り組ませていただくと必ず大黒様の方から来て下さります。大黒様が行き先を決めるのです。こう言う事もありました。二年前に我が家にずっとお祀りしてあった大黒様ですが、ある日を境に急に満面の笑みで輝きはじめました。私は“ああ何処かに行かれるんだ”と思っておりましたが一ヶ月後北海道に行きました。

様々な大黒様に触れさせていただく中で、物を見る目も、自ずと養われて参りました。木彫りの大黒様に、宿られる神力を日々感じながら、その御守護の素晴らしさを実感できる毎日です。メシヤ様に感謝せずにはおられません。皆様の更なる御神業発展にお役に立てるようになればありがたいことです。

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