メシヤ講座・特選集no.157(平成26年2月分)

 <御教え>
『文明の創造』科学篇
人形医学

(文創  昭和二十七年)


本文は『文明の創造』251ページに記載されています。((『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。

また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では98ページです。)なお、『人形医学』は3月に拝読し学び合う御論文です。今回は「節分祭」「立春祭」特集ですが、2月に学んだ『薬毒の種々相』に関する内容は各支部メシヤ講座を参考にしていただければ幸いです。

「節分祭」「立春祭」特集

≪『天国の福音書』続篇寄稿文(一月分に掲載)≫

『宗教改革』に向かうための信仰改革
岡山支部責任者 原田穣

理想世界建設のために大黒様のお世話を
鎌倉支部責任者 菅谷敬

≪「立春祭」代表挨拶≫
『文明の創造』拝読により弥増す御神意の有り様が一層明確に

メシヤ教代表 楳木和麿

人類の罪をお詫び申し上げることで神威弥増す

本日は昨日に引き続きまして、共々に立春祭を執り行わせていただきますことを心から感謝申し上げます。遠路はるばるのご参拝、重ねて感謝申し上げます。

昨日は厳粛に節分祭を執り行わせていただき、謹んで『大祓祝詞』を奏上させていただきました。そして、人類の罪をお詫び申し上げました。そのことによって本日より御神威弥増す訳です。そうした中でこうして祭典を執り行わせていただきますことを改めて心から感謝を申し上げたいと思います。

昨日の御参拝で高井さんの報告によりますと、浄霊の中程から「鬼」が出てきてゆっくりと移動してドーム状の構造物のところへ向かったそうです。そして、そこからドームの上に三本の火柱が立ちました。その鬼はと言いますと、斜め後ろから横顔が見て取れたそうですが、とても柔和な感じであったと言います。その次に何も綴じられていないファイルが開かれ“何が綴じられてゆくのかなあ”と思ったところで霊視は終了したそうです。

これを夕べの会食会の中で“どういう意味があるのだろう”と話し合ったり考えたりしました。鬼については『口は耳元まで裂け、舌端火を吹くような形相に映る』場合と、それから『非常に温和で柔和なお顔に映る』場合とで、その拝する人の徳とか持っている罪穢れとかで決まってまいります。柔和なお顔に見えたということはどういうお立場の方かということが自ずとわかるのではないかと思います。

ドーム状の構造物については“奥津城であろう”という話になりました。

奥津城に三本の火柱が立ったということは三というのは、深い意味があります。火水土、三位一体から始まって、救いの三本柱と昔言われておりました。

『浄霊』による救いと『自然農法』による食の安全への啓蒙と『芸術』による情操の向上ということから、私達に何時も課している『るナ三訓』『布教三訓』というところまで、それぞれの時所位に応じて「三」というのは捉え方が変わってくるかと思います。今後の御神業にとって捉え方を明確にさせていただくことが大切だ、と受け止めていただければ幸いです。

さて、最後のファイルなのですが、これを人別帳と見るか、あるいはその人の『因縁』に応じて配置が決まって御神業を進めていく、そういう名簿が綴じられてゆくのか、それは定かではありません。しかし、“御教えに沿ってメシヤ様の本来進めようとなされた、『本筋の御神業』に臨ませていただく”という新たな気持ちにならせていただく、ということを私達は受け止めるべきではないかと思います。

『天国の福音書』続篇の発行をはじめとして御神業推進

さて、平成26年度の御神業は既に一ヶ月を過ぎた形で進められております。

世界から少しずつ『浄霊力拝受お願い書』も届いております。

最近ではインドからも『浄霊力拝受お願い』が来まして、英文でしたが「レイキというのをズーッと修めてきて、更に力をつけたい」ということで『浄霊力拝受』をお願いしたい方のようでした。

今年は、国内外で出張所およびメシヤ講座の会場を開設する予定が既にありますので、一層御神業を進めさせていただきたいと思っている訳ですが、その大きな柱として、先ほどお二人の方が発表していただきましたように、『天国の福音書 続篇』の発行があります。

『主神様とメシヤ様』の御論文と御講話を既に研鑽資料として、メシヤ教の内部資料としては発刊しておりますけども、「これは内部だけで留めておくには大変勿体無い内容なので広く一般に読んでいただける形を整えていこう」ということで、出版に向けて準備をしております、そこで4人寄稿していただいているのですけれども、お二人の方に今回発表していただいて、5月にまたお二人の方に報告していただこうと思っております。

そこで、最初に「はしがき」を1223日に一部報告させていただきましたけれども、私もこの場を借りて『主神様とメシヤ様』の「はしがき」を今から朗読させていただきますので、少しお耳を傾けていただきたいと思います。

【『主神様とメシヤ様』「はしがき」朗読】

という、「はしがき」を書いておりますので、これで皆様方に以前お渡しいたしました『主神様とメシヤ様』という御論文と御講話を載せて、その後にどこからの抜粋かという、その本文を小さい文字で載せます。

ですから『主神様とメシヤ様』の出典を明らかにして掲載するという形の製本になっています。そして、全国の支部責任者の中から4人の方々の寄稿文を掲載して333ページでこの本が終わるような構成になっております。

また、『文明の創造』の装丁よりも少し薄めの本にして、値段も下げてゆきたいということで、この祭典が終わって出張に出るまでの間に印刷所と細かい打ち合わせをして発行に向けて作業を進めます。どうか、今からこの『主神様とメシヤ様』を多くの方々へ紹介していただければ大変ありがたいと思います。そして、大勢の方々に普及していただきたいと思います。

まず、原田さんから報告していただいた内容ですが・・・、世界救世(きゅうせい)教は、メシヤ様が御昇天された以降、メシヤ様が『メシヤ様としての御存在である』ということと、『御啓示は主神様からの御啓示である』ということを忘却してきたために、活動方針などが『本来の御神業』からかなり離れた形で進められてきました。それを元へ戻してゆく、本来の在り方に戻すためには、“『メシヤ様』という認識を皆様方が明確に持ち直さなければいけない”ということと“御啓示の主であられる『主神様』に対する認識が明確になっていかなければ、本来の宗教としての役割を担っていけない”ということがございますので、「この本は不可欠である」と強く主張していただきました。

それから、菅谷さんが報告していただいたように、取り分け菅谷さんが所属していた神慈秀明会というところは、信者さんたるや大変純粋な方ばかりであります。その純粋な方々がメシヤ様と御縁をいただいて、そして、御神業に臨めば臨むほど、実際面としては不幸な状態になっている方々が大勢いらっしゃいます。これは一つは大黒様の御奉斎によって解決できる部分が随分あります。奇しくも秀明に所属していた経緯のある菅谷さんには、メシヤ教の中では大黒様担当をしていただいております。今お聞きすると、大黒様がニコニコしたり夢にまで出てきたり、菅谷さんに働きかけてくるという微笑ましい内容ではあったのすが、私達は大半を菅谷さんに大黒様の世話をしていただいております。こうした取り組みを更に広げて大勢の方々が、健富和の世界に入ってゆくことができるように、今日は発表していただきました。

これは・・・、大黒様御奉斎だけが進んで行きますと、またおかしなことになって行きます。『主神様という御存在が、この宇宙一切を主宰されている』という認識がまずあって、『その中から地上天国を建設するために御出現されたのがメシヤ様である』という、この根幹的な考え方があった上で、大黒様御奉斎の取り組みをしていかないと、大黒様だけが一人歩きをしても、これは御神業に繋がってゆかないところがあります。

そういう意味で『天国の福音書』続篇の第一号というのは根幹にあたる『主神様とメシヤ様』の内容にさせていただかなければいけない、と強く思うところであります。

今こうして「はしがき」等読み上げさせていただきますと、『文明の創造』を発行させていただいて、そして、その末尾のところに、次は『天国の福音書』続編を出版するということを明らかにして、その後どのような形で進めて行けば良いかということをいろいろ考えていた結果、やはり“一番根幹になることから皆様方に配布して行った方が良いだろう”ということで、このようなことに決めさせていただきましたので、どうかよろしくお願いしたいと思います。

霊視を共に考え、それぞれの時所位に応じて受け止め方を明確にする

今日は、高井さんは何かありましたか?報告してください。

(高井さん)御浄霊中の最後の時に、紙の束が見えました。500枚、ああ違う、1000枚です。その紙の束に横からリボンがかかっていました。そのリボンはそんなに幅は広くないのですが、英語で書いている文字があるのです。それは明確にはわかりませんでした。何か英語で文字が書かれているリボンで結ばれていました。枚数は多分1000枚くらいかなあ、と思いました。

(代表)紙の束の大きさはどのくらいですか?

(高井さんA4ですね。何故かA4だと思いました。リボンの色は赤でした。書かれている字はゴールドなのですが、英字なのです。リボンは横からかかっていました。

(代表)今日は立春祭で御神威弥増してゆく中で、こうして私が一方的な話をするだけでなくて、今のような霊視にどんな意味があるのかということを一緒に考えてゆきたいと思うのですね。A4というのは、『浄霊力拝受お願い書』もA4なのですね。それから『入会お願い書』もA4横です。それが1000枚ということであれば『浄霊力拝受お願い書』は今まで2000枚くらいなのですけれども、今年また更に『浄霊力拝受者』が1000人くらいになるのか、『入会者』が1000人になるのか、私達の想いが那辺にあるかによって見えたものが変わってくるのかもしれません。

ただ、霊視があったことのみが大事なのではなくて、それを基に私達の想念がどこにあるかということが大事なのであります。どうか“今耳にしたことを自分はどのように捉えて行こうか”ということをこの場で考えていただいて、そしてまた、それぞれの現場に出発していただければ大変ありがたいと思います。

メシヤ様御降臨祭を御神業の起点に

それで、御神業をどのように捉えて行くかということで、ここから出発をさせていただく訳なのですが、その時にもう一度心に留めておいていただきたいことがございます。それは1223日の日に報告していただいた方々の中から確認しておきたいと思いますが、まず、1223日にもお話ししましたが、その中で個人として、大阪支部の方から報告していただいた方がこのように纏(まと)めております。

「代表先生の御指導でメシヤ様の看板として自分たちの言葉が即メシヤ様の信用に関わってくるという気持ちを持って、というお言葉を深く受け止め、メシヤ様に少しでも近づかせていただける自分にならせていただけるように起きてきたことに素直に取組み今日一日何をしなければいけないのか、こんな時メシヤ様ならどのようにされるのかということを求めみ教え拝読と学びをすることにこれからも日々努力をしてまいりたいと思います。」

という言葉でです。

このことを私達の、個人としての一層課題にさせていただいて、日々御神業に臨ませていただきたいと思います。

そうして、そういう一人ひとりを束ねてゆくお世話側としては、岡山支部専従者が2年間の学びの集大成として拝読した御教え『大乗宗教』の中の

『即ち宗教も哲学も、科学も政治も、教育も経済も、芸術も、その悉くが含まれている。そればかりではない、戦争も平和も、善も悪も包含されているのは勿論である。』

という『大乗宗教』の御論文の中身を私達は宗教の中に身を置く人間として大きな捉え方ができるように、今年一層想念を広げて行っていただきたいと思います。

その上で『宗教に自由はあるのか』の御教えの

『一種の宗教地獄に落ちるのである』

の部分を肝に銘じておきたいと思います。とりわけ本日は御神業の中心を担ってくださっておられる方々にお集まりいただいておりますので、

『真の自由とは他人の自由を尊重する事であるから、そこに自らなる限度がある、所謂一定枠内の自由で、此自由こそ真の自由である、何となれば他人に些かでも障害を与えるとすれば気が咎める、不愉快であるから、そこに天空海濶的の気持にはなり得ない、どうしても他人に愉快を与える事によって自分も愉快になる、之が真の自由である事を知るべきである。』

という内容、このことを取り分けお世話をさせていただく方々は、肝に銘じて進んで行っていただきたい、と思います。

私もメシヤ教として小さいところから立ち上げ時、様々な方々から問題解決のあり方等を相談されてきました。中には皆さん方ご承知のように借金の癖が中々取れない人がおりました。ある時その父親から「竹刀で百叩きをして借金癖をとってくれないか」と言われたことがあります。その時私は「それは『夜の時代』の呪術方法なので、私はそういうことはしません」とお答えしたことがあります。

三千年来の罪穢れがズーッと蓄積してきた上に、今の私達の生活に様々な事象が起きておりますので、これを一発で解決するということはない訳であります。三千年間積み重ねたことですので、しかも三千年前穏やかな秩序が保たれていた時代に、自分達は本来の人間性を兼ね備えておりましたけれども、三千年間『夜の時代』が続いたために、自分は正しいと思っていても、実は私達には『夜の時代』の癖がビッシリと染み付いています。これを取り除いていくのが実は『浄霊』であり『御教え拝読と実践』であり『参拝』『奉仕』である訳です。

こうして立春祭に参拝させていただくのも行事があるから参拝するのですが、この参拝の根幹は“三千年来の自分の中に染み付いてしまった『夜の時代』の癖を取り除いてゆく”ということが一つの大きな願いとしてあります。私達が御教えに目覚めて真理を知る中で御神業に臨ませていただいていましても、一方では三千年間の罪穢れ、あるいはその癖が残っているということがあるからです。

それで昨日奏上した『神言』の一番最後に『此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と言ふ神持ち加加呑みてむ此く加加呑みてば気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神根国底国に気吹放ちてむ此く気吹放ちてば根国底国に坐す早佐須良比売と言ふ神持ち佐須良ひ失ひてむ此く佐須良ひ失ひてば現身の身にも心にも罪と言ふ罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を聞こし食せと畏み畏みも白す』と締められております。

この締められた事を受けて実は『善言讃詞』の中で『無量無邊の大慈悲に天魔羅刹も服ひて諸悪邪法は改り 夜叉龍神も解脱為し 諸善佛神咸く其志を遂ぐるなり』ということが進められていく訳であります。この節分祭をメシヤ様御自身は執り行わなくて良いということであるのですけれども、三千年前に正しい神様を押し込めた人間側はお詫びをし続けなければ神威というのは弥増してはいけない訳です。

ですから、祝詞というものの繋がりとメシヤ様が『善言讃詞』をこのようにお創りになられた背景というものをもっともっと今年は求めてゆきながら、三千年来の罪穢れを払拭しつつ『地上天国建設』を進めていくという取り組みを一層進めさせていただきたいと思います。

『夜の時代』の癖を取り除く術(すべ)を学ぶ

そして、この『夜の時代』の癖が出ないために12月23日は3人の方に個人でいただいた御守護の報告をしていただきました。個人でいただいた御守護が“何故いただけたのか”ということを、更に私達は求めていかなければ『夜の時代』の癖を取り除くことができないのであります。

一番わかりやすいのは多重人格で悩まれていた人が・・この人は母親が「多重人格の悩みを解決してもらいたい」ということで、いろんなところで祈祷してもらっても解決しない。それから現代医療にかけて解決しようと思っても解決しなかったのですけども、そのお母さんとおばあさんが中心になってメシヤ様に救いを求めて来られることによって、時には2階から飛び降りそうになったり、ハラハラすることがズーッと続いたのですが、メシヤ様と繋がることによって、本人以外の3人の人格がメシヤ様からいただく御光によって浄められて元津御蔵(もとつみくら)に還(かえ)っていかれた訳です。メシヤ様に浄められて元津御蔵(もとつみくら)に還(かえ)るということが、実は私達の御神業の一つの在り方であります。

この時に“この霊を浄めて還(かえ)らせるぞ”という想念で浄霊をすると相手の霊と対立してしまいますので、そういう浄霊では駄目な訳です。

メシヤ様の御光を、いかに“ここに救いを求めている霊に取り次いでいくか”という想念が大事なのです。夜の癖からすると、どうしても霊と戦うようになってしまいます。しかし、霊と戦っては『夜の時代』の宗教になってしまいますので、私達の想念を絶えず戻していかないといけないところがここにあります。メシヤ様の御光を取り次いでいくことによって三千年来の罪穢れを許されて、その人自身が悟りを得て“元津御蔵(もとつみくら)に還(かえ)っていく”という想念を私達の中には確立していかないといけない訳です。

それから、今の世の中の流れ方というのは、今日もご参拝されている鎌倉の川延さんのように少しプライベートな事に触れますけども、離婚して夫と別れたにも拘らず夫の姓を名乗り続けるということは・・・メシヤ様の教えからゆくと縁が切れたのでそちらの先祖とは縁が切れているということですので、姓をそのままにしておくというのはおかしなことになります。何年も経過していても実家の姓に戻していかなければ先祖供養というのは成り立ってゆかない、というところから取り組んで家庭天国に繋がっております。

メシヤ様の御教えを具体的なところに下ろしてきて、私達はお世話に当たるということをしていかなければいけません。

私が四国でお世話をしている時に中々良い男で五木ひろしの歌が物凄く上手な人がいました。しかし、実はこっちです。ある程度酒が入ると寄りかかってきたりします。祖父母の代に徴兵を免れるために姓を変えた家だったのです。御位牌を作っているのですが本来の姓ではないために先祖供養がほぼできていない状態になってしまう訳です。資産家で“後継が徴兵されると困る”ということでそういう手を打って免れることができたのですが、結婚もできていないので子孫ができないということになってしまいました。

それで御位牌を作り変えることから取り組みを始めました。その後私はそこを離れたので消息を聞くとまだその家は残っているそうですので“少しは因縁を切り替えることができたかな”とは思います。日本の歴史の中で事情によってそうしたことをせざるを得なかった人が大勢いらっしゃいます。その人達の先祖に成り代わって一つ一つ整えさせていただくということも私達のお世話の中にはあります。今回川延さんに報告していただいた事はそういういった事の一つではあるのです。これを先祖供養の中には根幹においていただいて、様々なご家庭のご事情に応じて救いを展開していただきたい、ということで発表していただきました。

先祖の並々ならぬ願いを汲み取って御神業を

それから、発表者の百合野さんから昨夜11時半に「家内が呼吸ができなくなって手足が痺れてきているけどどうしたら良いでしょうか」と電話がありました。

過去に手術したことが何回かありますので、それが一つの原因だということと、喉の周辺を浄霊すれば御守護をいただけるということが御講話の中に書いてありますので、そのことをお伝えして「30分間浄霊して変化がなければまた電話をしてきてください」とお話して一旦電話を切りました。丁度30分後に「だいぶ楽になりました。これからどうしたら良いでしょうか」との電話がありまして、脊髄の手術をしておりますので、「脳天から浄霊をしていけば落ち着くから」とお話しました。

百合野さん自身は「女房を信仰から辞めさせるために入会」してきて、自分の酒の飲み過ぎその他の理由で肝硬変を起こして、奥さんの献身的な取り組みで御守護をいただいた人です。今度は自分が女房を浄霊しないといけないというところで・・・これは先祖からいろんな動機によってメシヤ教に入会してくる。そして、その中から経験を積ませながら自分が救う側に立たされようとしている。その先祖のお働きと言うや涙が出るような苦心をしてあの人をそのようにさせている、ということであります。

私達が御神業を進めるという時にはその人の背後にいる御先祖が“どんな想いで今日私の前に連れてきてくれているのだろうか”という、そのことを慮(おもんばか)って手を差し延べて行くという取り組みをして行っていただきたいために・・・、12月23日には時間の関係で細かくお話できませんでしたが、夕べ立春祭を前に奥さんのために一所懸命浄霊をさせていただくということで、私に電話をかけてくるというところまで向上が許されておりますので、先祖の並々ならぬ願いというものがそこにあると思います。

そうした先祖の並々ならぬ願いを汲み取って上げながら御神業をこれから進めていただきたいために、個人的な御守護として3人の方々に報告していただきましたので、そのことを基に私達の周辺にいらっしゃる方々のお一人お一人の家系に応じた先祖の願いというものを汲み取ってあげて、そして、救いの手を差し延べていただきたいと思います。

これを「御教えに叶っていないから駄目」などと切ってしまったらこれで救いは止まってしまいます。あの手この手で手を差し延べて大勢を救っていくというのが、私達の三千年来の罪穢れを浄めていただいて、人々を救っていくという取り組みでありますので、どうか立春祭の佳き日にそうしたことを確認させていただいて、私の挨拶とさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。(要旨)

後日届いた「霊視報告」

 

【節分祭】

第一点

鬼の背中が見えます。大きな背中です、天井まで届きそうな身の丈です。後ろから見ていますので顔がよく見えません。

怖ろしい形相かも知れないと思いながら表情を見たいと思いました。しばらくして右後方から顔の表情が見えました。

意外なほど穏やかな感じです。むしろ親近感があるほどでした。

第二点

円形の物が見えます。少しざらついた感じがします。

位置が変わり円形はドーム型でした。ドームと(奥津城のように思えました)分かると同時に火柱があがりました。

三本上がっています。勢いよく白金の火柱が絶え間なく上がっていました。

第三点

書類を綴じるファイルが見えます。

ファイルは開かれていますが何も綴じられていませんし付近にも何もありません。

【立春祭】

赤いリボンが宙を舞っています。幅は1センチ位に思います。リボンにゴールドの英文字が刺繍されているようです。

SO」が見えましたがあとはリボンが動いているので読み取れません。

やがてA4サイズの書類の束が見えました。厚さから考えると500枚ではないと思います。1000枚位かもしれません。書類の束には最初に見えた赤いリボンが横から架けられていました。

ゴールドの英文字が見えました。

SOUL」です。「魂」です。

お詫びの御神業の原点

この報告から「魂」ということがファイルに関係しているようですので、『因縁使命』を悟るということが重要です。

この機会に「『祈りの栞』に寄せて」44ページに掲げた『ここに神は、真の力の発動によって霊体完備の文明世界を樹立され給うのである。即ち偽は真に、邪は正に、仮は実に、争は和に、醜は美というように、一切の革新、一切の統合である』というメシヤ様の御言葉を反復していただきたい、と願っております。

そして、『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁使命通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』を改めて深く受け止める機会にしていただきたい、と切望しています。

節分祭の意義について毎年触れるのは、正しい神様を岩戸に押し込めた結果何が起きたか、ということに重要性を持っているからです。『文明の創造』にあるように「禁断の木の実」である薬に手を出してしまったのです。ですから、私達が範を示すためには、この祭典が不可欠なのです。それは、現在の世界救世(きゅうせい)教をはじめとする節分祭を執り行わなくなった関係教団の姿を見れば一目瞭然なのです。お詫びがなければお詫びの御神業そのものに対する認識が希薄になってしまうのです。

二月に学び合った『薬毒の種々相』の末尾で、メシヤ様は『私は何よりも先(ま)づ薬毒の恐るべき事を、専門家に自覚させたいので、之だけでも人類に与える福祉は、蓋(けだ)し計り知れないものがあろう。』と締められています。「福祉」とはこういうことであるはずが、取り違えをしてしまうのも同様の原因があるのです。

そして、理屈が解かったとしても、お詫びの祭典を積み重ねなければ継続性が途切れ、感化を与え蒙を啓き続けることができ難くなります。そして、実際の真、正、実、和、美への一切の変革も曖昧になり、当然のことながら教え導くことができなくなってしまいます。どうぞ、意義を深く受け止めてお進みください。

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