御降臨祭(平成28年12月)

メシヤ様御書

体験報告

「霊界の御先祖様とともに」
札幌支部 北川とき子

「メシヤ教との出会い―私が今ここにいる理由」
鎌倉支部 松本乙梨惠

「東京国分寺支部発会のご報告」
東京支部 窪田宜昭

 

代表挨拶 楳木和麿 

参拝形式を整える

皆さま、御降臨祭誠におめでとうございます。

昨夜の大嵐で払い浄められた箱根強羅の地で、こうして皆様方と御降臨祭を執り行わせて頂くことを、心から感謝申し上げたいと思います。

また、皆様方には十二月度を、この御降臨祭への参拝に際して「どの様な御力を頂くか」という事を懸命に考えて頂きながら、支部、出張所、集会所毎にそれぞれ具体的に想念を固めて頂きました上で、この様に足をお運び頂いた事、心からお称え申し上げます。

本日はご参拝の前から司会者が「難しい」と言いましたが、メシヤ様が、光が強くなってきたので、『御神名も本部の場合は一度奉誦すればよい』との御言葉が残されていますが、今日までそういう事は実行されずに参りました。これは神様側からは光が強くなったので、『御神名は一回でよい』と御指示遊ばされたにも拘わらず、人間側がそれを受け止め得なかった訳であります。なんと六十有余年、そういう取り組みがなされないまま、今日を迎えてしまいました。しかしながら、こうして心ある皆様方の尊い信仰によってメシヤ教は支えられておりますので、その祭典形式を「本日から執り行おう」ということで、この様に御神名を一度奉誦する、『惟神霊幸倍坐世』を一度奉誦する、という形式を整えさせて頂きました。

それから、世界救世(メシヤ)教の後半から御讃歌奉唱というのが執り行われるようになりました。当初は井上茂登吉先生が御歌を朗詠されていたのですが、祭典形式の中にこの御讃歌奉唱が取り入れられて、それ以降それが形骸化して来ておりますので、メシヤ教となってからは、御讃歌奉唱を中止しておりました。しかし、本日から井上茂登吉先生形式の御歌朗詠を復活させようと思います。ところが担って頂く方は未だ決まっておりません。本日は私がまず朗詠を致しますので、「まあ、代表より私の方が上手いわ」というような人がおりましたら(爆笑)手を挙げて頂いて、次回からはその方々に朗詠して頂きたいと思います。大阪支部とかに経験者がおられるようですので、肚を固めて頂ければ、そういう方に担って頂きたいと思います。

本日は八首ほど選ばせて頂いております。先ほど三名の方々に尊い報告をして頂きましたので、その報告に対する御教えとして、メシヤ様が御詠みになられたものから、選ばせて頂いた御歌と、それから今年皆様方と一緒に取り組んで参りました御神業に対して御教え頂いている御歌、それから、来年度取り組むための御歌をですね、八首、先ほどから咳とかいっぱい出ているように…、殆んど練習しておりません。風邪で(笑)。ですから、ぶっつけ本番ですので、その点ご了解頂いて耳を傾けて頂きたいと思います。

 

 

御歌八首(楳木代表朗詠)

 

世の終り 延ばし延ばして 一人だも 多く救はす 神の御心

(立春祭御詠 昭和二十六年二月五日)

霊界に ある神霊も 仏霊も ひたに救ひを 吾に求むる

(栄光九十六号昭和二十八年二月十八日)

如何ならむ 濁りし世とて 清まなむ 誠の言霊 響き亘らば

(春季大祭御詠 昭和二十六年三月十八日)

太陽の 黒点こそは 主の神の 尊き御魂と 知れよ世の人

(地上天国五十五号 昭和二十八年十二月二十五日)

全人類 救ふ力は 主の神の 外になき事 知る大き幸

(未発表 昭和二十八年)

全地球 十字に結ぶ 時こそは 人類悉と 眼醒まさむ

(立春祭御詠 昭和二十九年二月四日)

散花結実 はや越し方の 夢とすぎ 木の実育たう 時となりぬる

(新年御詠 昭和二十八年元旦)

キリストの 父なる神は 主の神と 知れよ信徒 吾と併せて

(新年御詠 昭和二十九年元旦)

 

ご先祖の御玉串料

それから、北川さんが報告して下さった六〇年前に生き別れた義理のご兄弟でありますけれど、「月次祭の時にご先祖も一緒にご参拝して下さっているのだ」という事からすれば、ご先祖がご参拝する為には御玉串料が霊界では必要でありますので、その事を深く受け止めて御玉串料を捧げるようになってから、六〇年も音信不通だった人が霊界に鬼籍となりましたけれども、そういう立場になって母親に繋がってくるというように、それが「メシヤ様に救いを求めるということは、そういう事が許されて行くことなのだ。」という事をしみじみと感じさせて頂きました。

 

『誠の言霊響き亘らば』

それから、二人目にご報告頂いた松本さんですが、実は最後の二行だけを私は報告して頂きたかったのです。(笑)前段が非常に長かったのですが、その分面白いですので気になりませんでした。今、松本さんの取り組みによって、いろんな教団の中で「本来メシヤ様が進められようとされた御神業というのはどういうものか」という事を求めていらっしゃる方が大勢おられるので、その方々に声を掛けて頂きながら、色んな支部にお繋がりを許されています。それで、『誠の言霊響き亘らば』ということで、御歌を選定させて頂いた訳であります。

 

念願の東京に支部発会

そして、最後に報告して頂きました東京国分寺支部の支部長代理ですが、東京国分寺が発会を許されるまでは、東京では何度も何度も支部が発会するという話や、中心となって下さる人とか、場所等浮かび上がっては流れる形でずっと来ました。今回窪田さんがご家族と共にご決意を固めて下さったので、長い間の念願であった東京に支部を発会するということができました。本当に有難い事だと思います。

それから、そういう中で報告して頂いたように科学者一家でありますので、現代の私たちが、テレビや新聞、ラジオ等で流されている間違った情報というものに気付く材料というものをこれから提示して頂きながら、メシヤ様の御教えを中心に人々を幸せに導いていく、そういう取り組みを進めさせて頂きたいという事を考えております。その根幹になる太陽の黒点が主神様の神御魂である、或いは全人類を救う御力は主神様の揮われる御力の他にはないのだ、という事を御歌として纏めさせて頂きました。

 

世界救世(メシヤ)教復興の誓いを捧げる

それでは、その他の御歌についてですが、本日私は祭典形式を改めると共に、主神様、メシヤ様に「人類を代表して世界救世(メシヤ)教を復興します」という、しかも「私が中心になって、そしてこうしてお支え頂ける信者さん方と共に世界救世(メシヤ)教を復興させて頂く」という誓いを捧げさせて頂きました。

人間側が誓いを捧げると神界の方からは光を出し易くなる、或いは力を出し易くなるそうなので、本日の私の決心に相応して皆さん方に、それぞれのお取り組みの上に、力を賜ることができるということであります。メシヤ様と共同作業ということがずっと言われてきましたが、真にメシヤ様と共同作業をするお気持ちで御神業に臨んで頂ければ大変有難いと思います。

その決心をするについては、私も人間としてどうしても肚に落とし辛い事が随分ありました。神様に対してはやはり、大きい教団の理事長や会長とか、管長とか、それから、教主様というお立場の人に、再度…、世界救世(メシヤ)教を何故メシヤ様は御開教されたのかという事を理解して頂きながら、なんとか〝みんなでこの取り組みを進めることが出来ないだろうか〟という淡い思いを持ちながら、ここ十数年御神業に臨んで参りました。

しかし、『そうしたことは期待しないように!』というのが、神界の一番の御垂示でありました。私が人類の代表として世界救世(メシヤ)教を復興するという肚を固めて『本腰を入れて進めてくれるように』ということを再三伝えられましたので、それでは私がその御神業を担う為には、何度も話しておりますが、〝メシヤ様と同じ光の玉を入れてくれない限り進められないなあ〟と、チラリと思って(笑)御神前に身を置いておりましたら、即座に『お前に光の玉を入れてやりたくとも、光の玉は大きくなって入れることができないのだ』と、私の不遜な気持ちに対して御咎めを頂くという御言葉よりも、『それだけ大きくなっているから入れることができないのだ』という御言葉を頂いて、『今は光の玉は地球大にまで拡がっている。』と。だから、私たちが今取り組んでいる「お光」がなくてもメシヤ様に想念が繋がりさえすれば、浄霊力を頂くことができるという事が可能になっているので『それはお前たちが御神業をしつつ、「お光」がない中で奇蹟をずっと頂いてきているだろう。それを見ればわかるであろう』という御垂示を頂きました。それでもメシヤ様の跡を継いでというからには、やはり光の玉が欲しくてしようがない(爆笑)。

そうしましたら、これは北海道でもお話ししましたように、昭和二十八年七月から井上茂登吉先生のお宅で、メシヤ様と長谷川ナミというご婦人と、それから井上茂登吉先生ご夫婦と秋まで御神事をずっと進められた、という話はみなさん聞かれていると思います。その時には伊邪那岐尊様と伊邪那美尊様の御神業に取り組まれました。そして、終了した段階で『ああ、これで人類は救われることになった』ということが一つと、もう一つは『将来の教団の発展に大きく関わる御神事を執り行ったのだ』というような御言葉としては残っています。その内容は何かというと、本日参拝させて頂いたこの『⦿』という御文字を御神体として世に出すことを神界が許す為の神事であったのだと教えて頂きました。それだけにより責任の大きさに緊張する思いがありました。そしてその年、昭和二十八年九月二十三日に日光殿でメシヤ様が御講話をなされている時に『実は光の玉は今この日光殿いっぱいに大きくなっているのだ』という御言葉を述べておられます。日光殿いっぱいにメシヤ様の光の玉は大きくなっているのですから、六十数年前に日光殿の大きさになっている訳ですので、それが今地球大の大きさになっているというのは、大体想像ができるものと思います。

私は、その御講話をもう一度深く求め直して、今光の玉は地球全体に拡がっているのだ、だからメシヤ様に想念で繋がりさえすれば、どの様な人種であっても、どの様な国の人でも、どの様な宗教に所属している人でも、御守護は頂けるという時代を迎えているのだ、ということが肚に落とすことができました。と、同時に(この時、楳木代表が少し涙を流される)この光の玉が大きくなった為に昭和三十年二月十日にメシヤ様の肉体を保つことが出来なくなって御昇天遊ばされたのだ、という事も併せて教えて頂きました。それで、メシヤ様の光の玉の中に『ミクラタナの神様』が御宿りになった時に、『散花結実』という書を書かれておられますが、それから『ミクラタナの神様』はメシヤ様の御肉体の中に御留まり頂けなくなるほど大きく御成長遊ばされたので、メシヤ様の御肉体は散ったのだ、と。これが『散花結実』の本当の意味だと『ミクラタナの神様』から御垂示頂きましたので、只々その御言葉というものの深みを感じさせて頂きました。

『文明の創造』の三六九ページに『幽玄力を強く応用すれば』というところを学んだその月に『幽玄力』という御書が本部へ届けられ、今月私が『散花結実』の意味が肚に落ちた時に今度は『散花結実』の経の御書が本部へ奉納されました。来年の二月はその御書を皆様に拝して頂こう、と今準備をしているところであります。一つ一つの事が神様からそのように御許し頂けるような形をもって示されておりますので、これはもういつまでも子供の様に駄々をこねてもいけませんので、それで本日までに肚を固めようとしたら、大浄化を頂きまして、昨日このホテルに泊まった人には見せましたが、最終的にはオレンジ色の鼻水と痰がずっと出続けて頭のこことここの芯の奥の方から薬毒が溶かされて、肚を固めるということは毒素を出さない限り、やはり真に肚を固めるという事にはならないのだとつくづく思わされながら浄化の日々を過ごして参りました。今日は大分良いのですけれど、まあ、余り良い声が出ると「私がやります!」という人が出て来なくなると困るので(笑)、この程度の朗詠で良かったのではないかと思います。

 

『神格をいただく道』

それと同時に今日北川さんが報告してくれたように、『神格をいただく道』の内容を目指して毎月課題をもって取り組ませて頂いているというように話して頂いたのですが、この中に書かれている御教えの中身というのは六月から今月までずっと取り組んで参りました、元々の主神様の分御魂としての本守護霊の神性を蘇らせる取り組みを、今私は皆さん方と一緒にさせて頂いて、そして、その神性を蘇らせた時にどういう人間になるかというのが、この『神格をいただく道』の中身である訳です。しかし、この御教えに絞り込む為には私にとってかなり辛い時期があったのです。

どういう事があったのかというと、教団が紛争に陥った昭和五十八年頃からおかしなことがずっと続いたのですけれども、昭和五十九年の十月五日に当時の中村力総長中心に教団護持委員会を結成しようという事で、本部側有志職員と現場の専従者達と色々と連絡を取りながら進めて行きましたが、どうしても現場を纏めるという時に、今の方針に従わなければ、当時『おひかり』の下付をしないという事と、祖霊祭祀を一切受付けないというような様々な事を現場側に、そういう制約を課すという話があり、現場サイドとしては中々立ち上がる事が出来なかったのです。私がお預かりしていた高知県の伊野布教所というところが幸いなことに、伊野布教所の信者さん方が説明を理解してくれて教団護持委員会として立ち上がるという決意を固めて下さったので、今度は高知県全体の専従者や有識者の信者さんを伊野布教所に集めて、準備を整えて、高知県としては千三百世帯で教団護持委員会を支持するということで立ち上がった訳です。伊野布教所で何故そういう取り組みをしたかというと、当時現場で「いの一番」にやらないといけないと言ったところ、伊野布教所は選ばれたのだとみんな必死に言っていましたので、まあ、然もありなんと思った次第です。

それからは各地にやはり教団護持委員会を支持しようとする人がいっぱい出てきまして、気持ちは持っているけれど、どうして支持をして行ったら良いかわからない人が大勢いたので、その中で一番多かったのが関西地区本部でした。百五十人の専従者の方々が教団護持委員会で立ち上がりたいのだけれど、どのような事をやって行ったらいいか分からないという事だったので、本部職員と私がJR新大阪駅のすぐ近くのホテルの大会議室を借りて、そこに集まって来た百五十人の専従者の方々に話をしたことがあります。未だその時二十九歳だったのですけれども、田舎からこのような若造が訪ねて来て諸先輩方に「教団護持委員会をやる教団的意義というのを説明するのは非常に僭越ではありますが、どうか耳を傾けて頂きたい」ということでお話をして、最後に「尊い皆様の志を止めているのは、○○先生とか、当時の地区本部長、それからその次の県部長クラスが皆さん方の尊い志を抑え込んでいる。だから、これからは上の先生といえども、御教えに適ってない事については言う事を聞かないで欲しい」と。もっと言えば「その先生方が皆さん方の尊い志を抑え付けてきている。そんな教団ではこれから、メシヤ様の御心を実現していくという教団にはならないので、どうかそういう気持ちで居て頂きたい」と言ったら、「もう分った」と、まあ自分たちの上司の悪口を言われるのはちょっと抑えられなかったようで、「もうお前の言いたいことは分ったから、俺たちはやるのだからいいだろ!」とみんなからワイワイ言われたので、「そういう気持ちで在られるのであれば、白板を用意しているので、県毎に立ち上がり方の具体策を示して頂きたい。そうしてその中でどうしても分らないところがあれば、僭越ながら私がその取り組みにおいては一歩先を行っているのでお話をさせて頂きます」という事で、準備をして百五十人の方々が県毎に支持する準備を進めさせて頂いて、関西全体が立ち上がる事が出来て主之光教団の半分以上をそこが形成することになったのです。そういう事があったので、私は主之光教団の中では若い尖兵みたいに言われて、楳木に言えばどこへ行っても教団護持委員会が出来て来るので、何かあったら頼めばいいということでずっと進んできました。

それで私もいい気になっていた訳ではないのですが、ある時ですね、札幌南二条布教所というところで信者さんのご兄弟がJICAのヨルダンの事務所に勤めている人がいて、「もう直ぐ転勤になるのでヨルダンを中心に信者さん方で来たいという人があれば受け入れをするのでどうですか?」というお話を頂いたので、どうしてもエルサレムの開かずの門で〝天津祝詞と善言讃詞を奏上したい〟という気持ちが有ったので、「先ずエルサレムに案内して貰いたい」と。それから、エジプトのピラミッドを造る時にビールだけを奴隷に飲ませてその威力で石を積み上げていったので、その作業の跡を見たいという事があったので、そういう計画をして、上司を通して許可を取りました。一番トップの総長に対しては「私が直接報告しましょうか?」と言ったのですが「いや、自分たちでちゃんとやるから大丈夫だ」と言われたので、「じゃあそれでお願いします」ということで頼んで、私が一方的に親友だと思っていた人間にだけは、こういうことで向こうで天津祝詞と善言讃詞を奏上してくるので、「その日に合わせて一緒にお参りして貰いたい」と頼んだのですが、なんとその信頼していた人間が自分の上司に言って、それがトップに伝わり、それからトップから後に私の上司になる人物を通して「どうしてもエルサレムに行くなら辞表を出してから行け」という話になってしまって、急転直下私の立場が非常に悪くなって、それ以後ですね、楳木の所へ行けばどんなところでも教団護持委員会ができるという話から「あいつはいい気になっていて…」、どうのこうのという話が一挙に主之光教団に拡がっていって、私自身立場のない状況になってしまいました。一番信頼していた人間が私を結果的に陥れてしまったのです。また私が信頼していた上司が私を護るためには一切動かなかったので、このような人間に囲まれて自分は御神業というものをしているのかと非常に情けなくなった時期がありました。情けなくなったのですが、私は四歳の時に命を救われているので、『命を救われたからには私用に身体を使ってはいけない』という御教えを受けて、御用から外れて行くことになれば、「自分の命はない」と思わないといけないので、その決意で御神業から離れてはいけない。だから自分は何とか自分の想念を立て替えながら、御神業を担わせて頂きたいと思って、もう一度御論文をずっと読み直して、その中から『神格をいただく道』に絞り込んで、これを日々自分に課しながら、どんな立場になっても御神業を担わせて頂こうと決めて、絞るように選定して行った御教えがこの御教えであります。

そうしましたら、『ミクラタナの神様』が『それをさせる為にそういう辛い思いをさせたのだ』と、アッサリと言われました。(笑)。神様というのは本当に一面冷たいところがあるなあとつくづく思ったのです。どういう事かというと、御教えというのは神様の御言葉ですので、神様の御言葉を、メシヤ様を通して我々に下される訳ですけれど、人間側がそれをどのように受け止めるかという事が、実は地上天国建設ができるか、できないかの別れ道になっていくそうなのです。ですから、先達の先生方は偉大な先生方で布教もずっとされたのですが、人間としてその御教えをどのように受け止めて、その御教えを実践して行くかという取り組みが実はなかったので、地上天国建設が遅れてきている。幸いなことに楳木という人間は普通そこまでやられると、もうくしゅんとなってしまって立ち上がろうとしないのだけれども、まあなんとか心を立て直しながら進んで来てくれて、しかもこういう御教えを絞り出してくれた。この絞り出してくれた御教えを拠り所にして更に信者さん方に目指す方向というのを設定して取り組んでくれれば、地上天国を建設するということは、なんとかまだチャンスは残されている。だからそういう事を皆さん方に表明して、そして、皆さん方から、「そうだ、自分も人間としてこの地上に天国を共々に建設をさせて頂こう」という、そういう気持ちになって下さる方が増えていけば、地上天国建設が可能になる。今の段階では三月三日の記念大祭までに立場を頂いている人たちがこの神性を蘇らせる所まで到達して貰って、再来年の三月三日には次の段階の人たち、まだ繋がって来ていない人も含めて、次の方々がこの神性を蘇らせる取り組みをして行けば、その取り組みの輪によって、世界救世(メシヤ)教も復興できるし、地上天国建設の取り組みができるのだ、と。そういう有難い御垂示を頂きましたので、これから皆さんと共にそのことに取り組んで行きたいと思います。

 

御教えと宇宙生物学

それから、今日窪田さんが報告して下さったように、犬で血液を全部抜いて、生理食塩水を入れると立ちどころに血液が出来て来るという話がありました。今、月と地球の距離は三十八万キロですけれど、四十五億年前はその距離が三.二万キロでありました。大体、十二分の一近い所にあった訳です。十二分の一ということになってくると、万有引力というのはその距離の自乗に反比例するといわれていますので、単純計算で行きますと、現在の地球と月の引力の百四十四倍位の引力が四十五億年前はあった訳です。そこに彗星がぶつかって来て水が出来たのですけれど、当初の水は火山ガスが噴き出す物質ばかりが溶けていたので、当初の海というのは硫酸の海であったと言われております。それが百四十四倍の引力によって、海水の満ち引きが今の百四十四倍、山の方へ海水が行って降りて来た。それから、地球の自転はその当時、一周は六時間で、しかも月が廻るスピードも速かったので、一時間半に一遍、潮の満ち引きがあったそうです。何故そういう仕組みを主神様は当初の地球に及ぼされたかというと、実はナトリウムは岩石にくっ付いて存在していたので、硫酸の混じった海水をその岩石を通して、ナトリウムを溶かしながら入れて、塩化ナトリウムを作った。そして現在の海水が生まれたというのが、今の宇宙生物学で解明されてきております。(参照・「宇宙生物学で読み解く『人体』の不思議」吉田たかよし著・講談社現代新書)

主神様の御仕組というのは、何億年もかけてこの地球上に生命を宿す取り組みをずっと続けて来られて、そして、生命が出揃った最後に人間というのを御造りになって、そしてこの人間によって、この地上に天国を造ろうとされている訳です。私たちは有難い事にメシヤ様から御教えを頂いておりますので、御教えが人間としては当初判らなかったと思うのですけれど、その事を科学が進展している現代でこそ理解できるという事が言えるので、今日の八首の御歌と、それから、今少しお話した宇宙生物学の内容の紹介文は次回の『天恩地惠』に載せますので、それに少し目を通して頂ければ、皆さん方の主神様に対する認識というのがより大きく、深いものになっていくと思います。次の『天恩地惠』を楽しみにして頂きたいと思います。

話が長くなりましたけれども、私は今日、主神様、メシヤ様に世界救世(メシヤ)教を私が復興すると誓いをしましたので、その御誓いを支えて下さるのは皆さん方で「私はそんな」とか言わないように(爆笑)。私がさっき話した辛かった事とかと同じような、種類は違っても辛い体験を皆さん方は自分の人生の中でされたかと思います。その辛い体験をしつつ、メシヤ様を求めて来た、その人生そのものが、これから世界救世(メシヤ)教を復興する為の準備段階だったのだと受け止めて頂いて、これから共々に手を取り合いながら、世界救世(メシヤ)教を先ずは復興して、それから世界を救う手立てを共々取り組んで行きたいと思います。

その事をお願いさせて頂いて、私の挨拶とさせて頂きたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

 

[本部祭典 御降臨祭 2016(平成28)年12月23日]

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