貴重なインタビューNo.1

<研鑽資料>

平成29年4月に行われた出雲支部でのインタビュ-記録です。

御在世当時入信された方への貴重なインタビューNo.1

質問者:岡山支部 青年信徒 4名

回答者:メシヤ様御在世当時の入信者 3名

 

メシヤ様とのご縁は、・・・

青年:皆さんは、メシヤ様御在世当時にお会いされたことがあるんですか?

Uさん:ご面会したことはないんですよ。

NKさん:ご面会は行ったことないわね。

NKさん妻:主人・・・お父さんが日比谷公会堂かな?参拝されているんですけどね。

NKさん:うん。父はね。

青年:じゃあ、お父様が信仰されていたんですね。

NKさん:うん、最初はね。もう亡くなっちゃったけどね。もう、30年くらいになるかな。

NKさん妻:うん・・・29年だから、30年くらいだね。昭和63年に亡くなっています。

NKさん:皆さん兄弟?お宅だけが・・・

青年:あっ、そうなんです。

NKさん妻:急にそんな話ししなくても(笑)

参加者一同:(笑)

NKさん妻:弟さんになるわけ?

青年:あっ、兄が二人で、私が末っ子になります。

NKさん妻:3人兄弟?良いですねぇ。

参加者一同:(笑)

Uさん:代表が亡くなられたから大変ですね。後が・・・。

青年:でも皆さん、一人一人ですよね。

青年:メシヤ様にお会いになられた方は、居たりするんですか?

Uさん:ないですねぇ。

青年:今は、おられないですか。皆さん・・・

Uさん:亡くなれてますねぇ。

青年:そうなんですね。

NKさん妻:私たちは、(メシヤ様が)亡くなられた後に入信してるので。

青年:あっ、なるほど。じゃあ昭和30年以降に?

NKさん妻:えぇ、私が昭和35年。主人は、25年に・・・お義母さんが24年、お義父さんが22年・・・。

青年:Uさんも同じくらいですか?

Uさん:いえ、私はね、後なんです。

青年:そうなんですか。

Uさん:私の場合はね、メシヤ教(世界救世教)を知ったのは27年ですね。27年にちょっと近所で色々ありましてね。それがきっかけなんですよ・・・それで半信半疑でね。で、入信は、それからまだずっと後なんですよ。だから実際にお光をいただいたのは、メシヤ様御昇天になった30年1月か、2月だったと思います。3月かな?・・・あまり記憶にない(笑)覚えているのは、寒かったという事なんです。まだ当時は、教会時代ですからね、風が吹いてね。(窓が)ガタガタガタガタそういう所だったですけどね(笑)・・・だから昭和30年のたぶん、2月か3月だと思います。で、お光をいただいたんですけどね・・・メシヤ様を知っていたのは27年から知っていた。

青年:何で知ったんですか?

Uさん:これね、近所でね、奇跡があったんですよ。家から、二軒目かな?・・・子供が、当時2、3歳だったと思いますけどね、脳膜炎になって、それで目は引き付けてしまって、息を引き取るのを皆がこうやって(上から)見てる状況ですよね。そんな中でね、その子供のお祖父さんになる人がメシヤ教の信者さんでして、助からないものならせめて魂だけでも・・・と、手を翳されたんですね。そしたら目をずーっと瞑ってこうなってしまってるのが、ぱっと動いたって言うんですよね。それから大丈夫かもしらんと。その当時の支部長先生のところへ連絡して、それから来ていただいて、家族やらお祖父さんやらね、皆して浄霊いただくようになってね、それで一応命はとり止めたんです。

青年:凄いですね・・・。

自らの信仰姿勢で御守護は変わる

Uさん:ですけどね、私も知っているんですけどもね、命はとり止めたけども、3歳ですから話もペラペラだったですよね。女の子だったから・・・それが命は助かったけども、出す声はアーアーしかないんですよ。アーアーと言う事と泣く事と、この二つしかない。
それから親御さんが心配してね、先生に聞いたわけですよね。そしたらその先生曰く「この子は、本当は霊界に逝っているよ」と。「けども、お祖父さんのね、なんとかっていう気持ちで、それを神様が認められて新しい命をいただいたんだ」と・・・「だからよく考えてみろ。生まれたての子供がね、言葉を喋るか」って、話せませんよね・・・「泣く事しかないだろうが。今は、そういう状況だよ」って。「これから先ね、この子が本当によくなるのか、どうなるか、あんた方のね、親の信仰一つだ、徳の積み方一つだ」という風に指導されたんだそうです。
確か3歳だったと思うんですけどね、仮に一年を・・・3歳ですのでね・・・縮めてもらうならば、三ヶ月で一年という事になれば9ヵ月、一年を一ヶ月ということにすれば三ヶ月になりますよね。だから「そこは、あなた方の信仰一つだ」と・・・「いずれは良くなってくるはずだから」という、そういう奇跡をいただいたんですよ。
その時にね、お医者さんが女医さんだった、女の先生だったけどね、出掛けて「あそこの人のあの子は、脳膜炎だから仮にお光さんだって助かったって物が言えへんけん。話すことが出来なくなる。そして、不具者だよ」と。「絶対に元には戻らん」て言って歩いたんですよね。それは、後から聞いたことですけどね。
それから、お袋が高血圧でしてね、いつひっくり返るか分からん状態だったんです。しょっちゅう眩暈はするし、百姓はせなあかんし・・・そういう事から、そこへ行って浄霊とかいうものをいただいてみようかという事で一番最初はお袋が行ったんです。

Uさんの入信の動機

Uさん:その次に、お袋が「お前も行ってみんか?」と・・・私も心臓病でしたからね、大病持っておりましたので、良くなればという事で出掛けたんですよ。それで初めて浄霊というものをいただいたんです。
その頃はねぇ、こういう畳じゃないです。農家ですから筵ですからね・・・筵の上でそのおじさんが、兵隊から貰った懐中時計ですけど、その懐中時計を置いておいて30分です。ずーっとこう・・・大きい男でしたからね(笑)ずーっと浄霊いただいたんですわ。で、毎日通ったかどうだったか覚えていませんけどね、とにかく通ったんですよ。
しかし、私自身は、別に変わったこともないし、かといって悪い気もしないし・・・ということで、まぁまぁ続けて行くかという事だったんですが、その内、お袋が熱心になって入信しないかと言われて、それで家に帰って親父に話したんですね。そしたら親父も大反対でしてね・・・そんなバカな事があるかって反対していたんですけどね、だけどお袋は入信したいけども親父が反対するから入れなくって・・・今は知りませんけど当時はね、非常に順序っていうのが厳しい時代でして、一家の家でまず入信するのは親父からだと・・・世帯主がまずは入信して、その次お袋さん、その次は私(笑)という案配でしてね。
それから、最初親父を説得するも中々良い返事はしてくれませんでね、そしたらたまたまね、ある事故がありましてね、足の右だったか左だったか・・・足の甲のここにね、昔は山でこうやっていましたから(斧を振りかざすような仕草)、鉞(マサカリ)をバーンっと打ち込んじゃった・・・それから大変だと帰ってきて、それを聞いたそのおじさんが、昔は御霊紙ってあったんですよ。

青年:今も、作っていますよね。

NKさん:あった。

Uさん:その御霊紙を切ってきてね、こうやって貼っていた。貼ってそのまま包帯をして全然剥ぎもせぇへんし、風呂にも入りますし、そのまんまの状態でおいたんですよね。もうだいぶ良くなったかなぁ言うて、そーっと剥ぐって見たらば、最初はこうなっていますよね(両手の握り拳を合わせながら少し開いた状態)、それがくっついちゃって、中から肉がこう盛り上がってきた。そういう事で、薬も何も付けずに御霊紙だけで良くなってきたんですよ。それから親父もこれは大変な神様だわ~って(笑)

参加者一同:(笑)

Uさん:という事になりましてね。それから「わしが入信するわ」という事で教修いただいてね。教修いただくって言ってもね、家には先生来てくれんかったけんね。

NKさん:行かないといけなかったんね。

Uさん:うん。支部行ったりね、信者さんで一番古いさっきのお爺さんですわ。そこまでね、こてこてこて夜・・・けっこう歩いてね、山道歩いてそこまで行って、それで教習いただいてね。3日あったですからね。最低3日。

青年:じゃあ毎日通って行かれたんですか?

今までの信仰を通して覚ったこと・・・

Uさん:うん、歩いてね。その時に、私も付いて行ったんですよ。学校が終わってね、たまには付いて行く。まぁそういう事があって親父が入信して、それが27年です。で、28年になってお袋が入信して、僕まだ中学2年生の時ですから、学生で金もないし、で結局30年になっんですけどね。
ただね、一つこういう事があったんです。そういう風に私はまだ入信はしてなかったですけども、昔はこの辺も青年団っていう、学校を卒業すると若い者は、一つの所に大きなところに集まって・・・そういうのがあったんです。青年団にどうにも入らにゃいけないんですわ。嫌だったけどね。半強制で・・・そこにたまたまね、その会があって七時過ぎに私は出て友達の所まで行ったんです。そしたら、友達が出てきて「おいおい」って、なんかい?「お光さん死んじゃったぞー」って。お光さん、死んじゃった・・・。そんな馬鹿な事がありゃへんわって、その時は言っとったんです。だけども、本当だったんです。それが夜の七時ですかね・・・私がそこの家に行ったのが。七時のNHKのニュースで流された。まぁそういう事がありました。
それから、30年の12月、奥津城を作らにゃいかんのでね、その奉仕があったんですよ。12月の末になってからね、お前行けーって言われて、学生上がりですからね(笑)・・・で、確か12月28日にこっちを出たと思いますけどね。箱根に上がらせていただいてね。それから、40日間奉仕させていただいて・・・。

青年:40日・・・!

Uさん:それが心臓がフーフー言っているんですよ。そういうのが務まるかなぁーって。お陰様でただの1日も休まずに。自分でも不思議だったですよ。この体でよく出来たなって(笑)・・・それから誰がどう言ってもね、そういったいろんな奇跡をいただいて、やっぱり神様はあるなと・・・メシヤ様は、絶対だと・・・いうのが私の心底からの思いなんですね。それでまぁいろんな事がありましたですけど、どうにかこうにか曲がり曲がり曲がりながら現在があると。(笑)

NKさん:素晴らしいな。

御教えを素直に受け止めて、自然農法を実践

Uさん:いうのが今の私ですね・・・それで一つ加えますとね、私が当時昭和27年にメシヤ教を知って、その時に一番先に言われたのが自然農法ということだったんですよ。親父は反対だったんですよ、正直言ってね。肥やしせずになんで米が出来るやらと・・・それはまぁ、当時の常識としたらそうなりますよね。それと、もう一つは、なんせ百姓ですからねぇ。お米を作ってそのお米を売って生活しているわけです。お米がドーンと減っちゃったら収入はもうがた落ちですのでね、そういう恐ろしさもあるし、という事で反対したんですけどね。
それでも私は中学2年生、学校では農業のこと教わって、肥料設計から全部ね。だけどもね、不思議なんですよね、ほんとの自然農法の御教えだけは何の抵抗もなくスーっと入ったんですよね。気持ちの中でね。それから親父説得してお袋と私とで説得して、ほんならなんぼか始めようかと。それが27年の暮れなんですよ。種をもらわんことには出来ませんのでね。27年の暮れにね、松江へ出掛けて西○さんが作っておられて、そこから種籾もらうという・・・約1斗くらいかな?お袋と背負って帰ったかな。貰いましてね、そのときの品種がね、朝日っていうんです。忘れもしない。これね、背が低いんですよ。

NKさん:倒れはしない?

Uさん:倒れはしないけどね・・・傑作でした。昭和28年にそれに切り替えて一部自然農法やったんです。その種でね。そしたら、その年に台風が来たんです。

参加者一同:えぇ~!

Uさん:でね、そこの田んぼに行ってみたら、稲がしゃんと立っているんです。「あら、立っちょるわぁ」ってね(笑)

参加者一同:(笑)

Uさん:喜んで近づいて見てみたらさ、穂がね、千切れているんですよ。倒れればそうならんけども・・・。で、その年でその種はやめて、こっちの種をもってやろうと言う事で始めたんですよ。農林44号でね・・・そんなことで、ぼっちらぼっちら・・・一辺に切り替えることはならんのでね。

御教えは絶対に守らないと・・・

青年:収穫は増えました?

Uさん:収穫は、増えないんです(笑)

青年:御教えも最初は減るって書いていますよね?

Uさん:御教え通りにならないんですよ。草は生えるしね。

NKさん:草がやっかいだったわね。

Uさん:一割増し二割増し三割増しって仰るけども全然そうならない。逆でしたからね。どうするだーってなったけど、教えなんだから・・・明主様がそう仰ってるんだから・・・なんか間違っているわいなぁーいう事でね・・・そういうふうに解釈しながらね、やらせていただいてね。それでもお陰様でね、46、7年続きましたかねぇ。最終的にはね、世間から「馬鹿だ。気違いだ」なんて言われながらね、やってって、最終的には島根県でも1位、2位・・・ここまで品質は行きました。

青年:へぇ~!すごい・・・!

Uさん:平成4年かな?県知事賞も頂きましたし、そこまで行ったんですよね。
青年:何年ぐらいで?

Uさん:40年はかかっています。

青年:うわぁ~すごい!

Uさん:その間ねぇ、いろいろ迷いました。ですけどね、教えは絶対守らんといけんっていうのがありますんでね。メシヤ様の教えからすると、田んぼへかえすのは藁だけと仰っていますよね。一分切りだから・・・最初は押切りでやっとったね。後は機械を改良してもらってね。それで、これくらいに切って、それだけずーっとやって行ったんですね。草は、絶対入れないと。田んぼで草取ってもね、田んぼから出しょったもんね。

NKさん:大変だわね。取っても草ばっかり生えてね。

自然農法・・・本当に命を甦らせるお米

Uさん:それをやってきたけど、それを支えてくれた一つはね、こういう事もあったんですわ。ある信者さんがね、浄化が厳しくって重湯も(喉を)通らない。牛乳を飲んでもすぐ吐くんですよね。で、衰弱する一方だった、そういう人からね・・・これは先生を通じてだったと思うんですけどね、「Uくん、米あげてごさんか?こういう事で浄化しとるから、浄化しとる人に良いと思うけん」って言われましてね。「分かりました」と。それから手前で作ったお米をね、確か七分付きくらいにしたと思うんですけど、それで送ってあげたんですわ。
そしたら、そこの家族の人がそのお米を基にして、お粥さんを炊いてお粥さんを食べさすんじゃないんですよ、重湯ってあるんですよ。あの、汁ですわ。お粥さん作ると沢山取れますよね。その重湯を作って飲ませたって言うんですね。そしたら、牛乳を飲んでもすぐ吐くのが・・・。

NKさん:重湯だったら?

Uさん:うん、重湯だったら全然吐かなかった。それが元でね、重湯をずっと続けながらそれからお粥さんになって命が助かった。それで全快されてからね、教会でお会いしたんですわ。向こうから来られて「Uさんですか?」「はい。」「じつは、私はこうこうこうで・・・」「そうでしたか。」顔はもう忘れたけどね、礼を言われましてね、最初に挨拶の礼を言われて、その日にですよ、なんだかんだ歩いていたらまた会ったんですよ、ばったり。その日にですよ?また言われるんですよ、同じ台詞の礼を(笑)

参加者一同:(笑)

Uさん:それで私が思ったのはね、口先だけの礼じゃなかったんだな、と。本当に喜ばれたんだなぁと。それが私の一番大きな価値だったんですよ。それで、自然農法ってこうなんだ、と。量じゃなくって、本当に命を甦らせるだけのお米なんだと。それを作るのが自然農法だと・・・いう事でね、それが元ですわ、それから他の人が何を言おうが絶対に、親戚は勿論のことね、はね除けて、それのみでやって来たんですよ。

害虫に悩まされた結果・・・

Uさん:あれは・・・平成元年くらいだったかな・・・イネミズゾウムシって言うのが流行ったんです。

NKさん:あぁ~あれが葉っぱにすぐ集まって・・・

Uさん:あれをね、本部御参拝の時にね、展示してあったんですよ。アメリカから入ってきたものでね、それにやられると稲が本当にダメになっちゃうんです。そういう写真を見せられたんだ。壁に貼ってありましたからね。怖いやつが入って来て困った事だのぉ~思っとったんです。

青年:それは何ですか?

Uさん:虫。

青年:あ、虫ですか!?

Uさん:イネミズゾウムシっていうゾウムシ。

NKさん:小さい小さい、本当に小さい。

Uさん:殻がね、硬いんです。それがね、3年くらい経ってからうちにも入って来たんです。それから大変でしたわぁ~。これをほっといたら全滅になりますんでねぇ。どうやって捕るか、最初は・・・

青年:どこに生えるんですか?

Uさん:虫だから、飛んでくるんですよ。

青年:どっかから飛んで来たのがくっつくんですか?

Uさん:田んぼの側にある草にね、入って越冬するんですよ。一般の人は、それを消毒するんですわ。殺せば良いわけだから。

青年:農薬かなんかで?

Uさん:うん、農薬で。私らはそうやらないんですよね、自然農法やっているから。手でこうやって捕るしか仕方ないんですよ。だから、家内も勤めから帰って、私は昼、彼女は帰ってからでも懐中電灯つけて・・・。潰すとね、手が荒れてね、痛くなるんですわ。硬いですからね。それをずーっとする。最終的には疲れてね、なんかいい方法はないか・・・虫も利巧になりますからね。

青年:大きくなるんですか!?

Uさん:うん。最初は取るまでじっとしているけど、取り逃がした虫は落ちるでしょ。そしたら向こうも危険だっていう事が分かるんでしょうね。近くまで手を近付けるとパラパラ~っと落ちるんですよ。

青年:へぇ~!!

NKさん:頭が良くなってね。

Uさん:水の中に入ると簡単に捕れませんから・・・それからいろいろ考えてね、ハエ取り紙ってありますよね?今、リボンじゃなくって大きいやつ。あれを買って来てね、これでなんとかならんかなぁ。それを手をやる前に先に下に置いておいて、手を近付けるとパラパラ~と落ちるんです。それでくっつくんです(笑)

参加者一同:(笑)

Uさん:それが真っ黒なほど。それをずーっと繰り返したんですわ。それが何年も続きましたよね。で、平成元年だったと思いますけどね、とことんやってこれ以上どうしようもないわと、家内と稲掛けしながらですね、これで駄目だったら、もう自然農法やめてしまおうかと・・・そこまで追い詰められたんですよ、36年してですよ?・・・その年なんですわ、簡単にぱっぱっと選って出せーって言うのでね、はいはい言って出したんですよ。
救世教でもやっていましたからね、品評会を全国のね。そしたら、後で電話がかかって来たんですよ。今年これで駄目ならもう辞めようかと。神さんも仏もありゃへんわいと(笑)・・・ほんとそこまで追い詰められましたよ。36年か一生懸命やってきてね、こんだけやっても次から次へと・・・世間からはなんだかんだ言われますしね。その年なんですよね、特別金賞という賞をいただいたんです。世界救世教でね。

NKさん:素晴らしい事だったね、本当にね。

Uさん:それはね、夢にも思いもよらない事ですしね、金賞っていうのはありますけどね。金賞は一点で特別が付いたのが一点で、その特別に入ったんです。
そういう電話が入りましてね、はぁ~やっぱり明主様は見とられるのぉ~って思いました(笑)ほんとに、あの時は二人ともようやったなぁって、お陰だったなぁって、神様はやっぱり見とられるのうって・・・それから、8年して田んぼを政府にぜーんぶ取られましたんで・・・。

青年:えー?

NKさん妻:ダムが出来て、家を移転したんです。○○ダムっていう。

NK:元々の家があったところだね。

NKさん妻:あそこは沈んでしまっているからね。

Uさん:あの時もねぇ、正直言ってここまできてようやくね、世間から認められて・・・

NKさん:あれから田んぼが無くなって三成の方へ団地ができて良いか悪いか・・・

Uさん:今考えるとね、そうかもしれんけどね。

NKさん妻:年齢的にもねぇ、なかなか農業も大変な時期だから良い時だったかなぁと私は思ったけどね。ただ自然食品がね、ご飯がないから・・・。

NKさん:田んぼも畑もとられたけんね。

Uさん:うん、田んぼもやっていた。今わずかだがね、畑作っている。

青年:凄いことですよね。

最初浄霊で治ったとは思えなかった

Uさん:それはどう言いますかね、不思議ですけどね・・・平本先生ってお話し聞かれた事がありますか?萩の平本先生。

青年:分かんないです。

Uさん:実はね、ここ(NK家)もね、最初は平本先生だった。

NKさん妻:お義父さんが昭和22年ですか?萩へ教修に通っとります。

NKさん:なんでそれが出来たかなぁ?・・・小学校4年生頃だったと思います。遊んでいる時に足に傷をして湯が入ってこんなに腫れたんです。その時に親父が、病院に行かなくても良いから浄霊で治ると・・・。あの時に、何先生って言っていたかな?戦争で足を負傷されていてな、○○の□□という所に家があるから行ってみいと言われたらしいですね。父がそこへ行ったのを付いて行って、この足が膿でいっぱいだったですけん。まず足を出して浄霊してもらって、それから膿が出て痛かったと思いますけど、その頃4年生だったと思います、なんでやったかっていうと・・・思い出せない。なんで湯が入ったか、何の傷だったか・・・それで風呂に入って湯が入ったっていう事がね。それがこんなに腫れたりしてね。浄霊してもらって。痕があるかもしれません。痕があるかな?(踝付近を奥さんに見てもらいながら)

NKさん妻:・・・分かんない。

参加者一同:(笑)

NKさん:最後までね、(膿が)出てしまった後のちょっと後まで、傷痕がまだだいぶ大きかったけど、それが段々に年を重ねて、それが小学校や中学校を出てしまってから、それで治ったっていう事にいつもなっているけれども、自分では自然に治っただわって(笑)・・・山吹、あれを温めて、それを貼っても良いというのを聞いたことがあって、山吹は山吹だからそれを温めて・・・。

Uさん:ようするに吸出したわけだろ?

NKさん:うん。吸出しだった、それを貼って結んでやって、そしたら自然に出てしまって取れて痛みも多少は最初は痛いですけども、それも段々に前からすれば良くなったと・・・あれは三○先生だったか?

Uさん:あぁそうか。三○さん。

NKさん:○○の中原・・・そこの中原か?戦時中の兵隊の時に鉄砲で撃たれたと言っていて、足を負傷されておられたら人で、そこへ行ってそこで浄霊する・・・そこでメシヤ様の・・・。

Uさん:どげんな?

NKさん:分からない。父からずっと浄霊してもらったらそれで治ったですわね。今もうなんともないけども。それでもメシヤ様が良かったとは、その時はまだ思ってなかったです私は(笑)

NKさん妻:今も思ってない。

NKさん:今も思ってない?そんな事ないわな。
それでまぁ治って卒業して、今こうした自然農法の事からいろんな事やっとったから、家もやらないといけんと言い出して・・・でもなかなかならんです。草は生えるし、人ばっかり頼んだって無料で来いと言うわけにいかんだけん・・・泥ばっかり田んぼへ持っていても田んぼも余るし・・・客土してやっていましたけれども、それで特別どうこうと思っておりませんでした、自分もまだ信者じゃございませんでしたから。
ただ、その治ったっていう事だけで父は満足しとったかどうか分かりませんけども、お祖父さんと一緒に、その後父は不在が多く、お祖父さんとやっとったけれども、お祖父さんはそういった事は関心がなかったですわね。父が退職してからやらねばいけんというので、やっていたと思います。私は、手伝っては・・・学校に行っていたから、農業の学校を出たりしようたけんね。

平本先生とのご縁・・・

Uさん:お父さんは、結局平本先生の?

NKさん:そうそうそう。平本先生は、どうしてまた・・・

Uさん:いや、平本先生はこっちを布教しておられたから・・・。

NKさん:うん。○○の前に・・・

Uさん:○○の前にね、○○支部が出来ているからね。その前に、まだ平本先生の所に山口県の萩へお義父さんは、教習に行って勉強して・・・。

NKさん:最初はな、ここに光明だったかな。

NKさん妻:これが○○教会(青年に写真を見せながら)で、これがお義父さんが自然農法の司会やっておられまして・・・これが平本先生でこれが石坂先生。

Uさん:大体ここら辺のね、大元みたいなもんなんですよ。このお義父さんがあっちやこっちや色々話してね、それで拡がっていったと思うんですね。私も、ここのお義父さんと知り合ったのは、ずっと後の事ですもんでね。○○教会になってからね。

NKさん妻:この家が建つ前の家の時に、この御神体御奉斎に平本先生がみえていますからね。この家じゃなくて前の家の時に。この家は、まだ55,6年くらいですけんね、この家が建ってから。
だから平本先生のことを勉強されたら良いですよ。メシヤ様の直接の人ですから、そこから勉強されたらものすごく良いですよ・・・ただ今、どういうわけか知らんけど、萩の所は無くなっているから。私は1年半ほど、萩で奉仕させてもらっているけど・・・「東方之光」の本を見られると平本先生のことが載ってますよ。

青年:そうなんですね。

NKさん妻:ここのNK家の場合は、昭和22年に入信されていますから、まだ救世(メシヤ)教になる前ですね。

青年:まだメシヤ様が御在世時に入られて・・・

NKさん妻:あぁ~もちろんもちろん。

青年:それは、お義父様、お義母様?

NKさん妻:そうですよ。ここ3人共そうですよ、主人は25年ですからね、亡くなったのは30年ですからね、メシヤ様が・・・私は違うけど・・・ここの家族のお義父さんとお義母さんと主人が昭和25年、22年に入っている。
それでこの御奉斎に平本先生が来てくれて、その時のお軸が光明如来様で昭和23年に頂いているし、大黒様も開眼していただいたのが、日比谷講演でようやくお願いしていたのが、6月の17日に目を入れてもらって御奉祭させてもらっていますね。これは(お写真)その時に入って来たみたいですね。

青年:この年表は、書いて取っておかれたんですか?

NKさん妻:いや、このノートは全部あるんですよ。お義父さんが書いているのを引き出して・・・

青年:まとめて下さった?

NKさん妻:はい。

青年:そうなんですねぇ!

NKさん妻:いろんな事が書いてあってね。これ浄化療法でお義父さん勉強されてたんかね?平本先生のところで。

Uさん:不思議とね、ここもそうだし、私個人としてもそうなんですけどね、平本先生とはね非常に縁があるんですよ。奥津城建設の時に、本当は石坂会長が私を連れて行くはずだったんですよ。どう間違ったのか知らんけども石坂先生は先に行っちゃって、僕一人で行かないといけなかったんです。困ったなぁって思ってたら、平本先生が私が行くけんな、一緒に行くわって助けて連れて行ってもらったんですよ。その時に、へぇ~この先生とって(笑)

参加者一同:(笑)

Uさん:それで連れて行かれたのがね・・・。

NKさん妻:関東の生れだからね・・・

NKさん:言葉がキツいからな。

NKさん妻:だけど、女の人だからねぇ。

奥津城奉仕隊での始めと終わり

Uさん:奉仕寮へ連れて行かれて、たまたまそこでね、八班の班長さんをしているのが平本先生の弟子なんですよ。その人がやって来られて、岡○さんってね、そこに連れて行かれてましてね、「若い子連れて来たけえな、元気やけん使ってやってや~」って(笑)こっちは、あんた心臓がフカフカ(笑)・・・全くこっちの事はお構い無しでね、連れて行かれたんですね。
あそこに連れて行って下さったのがやっぱり平本先生だったんですよね。それで配属されたのが八班で、それも奉仕隊の中では八班って有名だったんですよ、人数は少なかったんですけどね。ものすごく活発な班でしてね、そこへ配属されまして・・・そこで40日間1日も休まず過ごしたんですから大したもんですわ。自分でも考えられない。
本当に・・・そうやってね、十日祭ね、ちょうど一年祭ですからね、そのお祭りの時の日までギリギリ、こうやってね土羽ですからね、まだ石垣なんか積んでない時だから、泥で固めただけの段ですのでね、そこを人が歩いて落ちてもらっても困るんでね、柵代わりですわ。奉仕者が手を繋いでこうやって柵の代わりをしとったんですよ。だけど、帰らないかんのですよ。
○○(実家)へね。でもギリギリまでやって私はこれで失礼するけんねーって飛んで出てケーブルに乗って下に降りて強羅に着いた途端、電車のベルがブーって鳴って(笑)ギリギリで駆け込んで帰ったんですけどね。ほんとにそれは分刻みでしたね。

青年:ここから箱根までっていったらかなり距離ありますよね。

Uさん:そうですね。昔は鈍行(列車)でしたからね。

青年:何時間くらいかかるんですか?

Uさん:10時間・・・10何時間か掛かった。

青年:うわぁ、大変!

NKさん妻:今みたいに便利じゃないから。

お餅の坊や

Uさん:あの時の奉仕に出た時もね、色んな事がありましたよ。うちの支部の皆さん方が、Uさんが奉仕していると言う事でお餅をついてさ、正月だからね。お餅をついて送ってくれたんですよ。今はね、送り出して翌日に着くけれども、当時は早くて1週間ですから・・・汽車でコトンコトン乗せてね。で事務所からUさん、荷物がついたよ。と、大きな荷物が来ていましてね。それを抱えて帰って、なんだろうな~と開けて見たらね、お餅が出てきたんですよ。あら~お餅だわ!あんなお餅は見た事ない (笑)赤あり、黄色あり、青があり、凄く綺麗だった。よく見たらカビでした。(笑)

参加者一同:(笑)

NKさん妻:そんな時間かかれば、そうなっちゃいますよ。

Uさん:お餅の赤、青、黄色、色とりどりに花が咲いてね、どうしようかと思って、これ食べられませんね~捨てますか?って言ったらある奉仕者の方が、「U君何を言っているのか!」と。

NKさん:もったいない。

Uさん:うん、もったいない。人がせっかく送ってくれたんだから。これをどうやって食べますか?と言ったら「あのね、良いことがあるよ。」と・・・。

Uさん:奉仕する時にね、午後3時ぐらいかな?必ず休憩があるんですけど、1月ですから寒いでしょ、その休憩の時に焚き火をするんですよ。そこで奉仕者の方が「あっこ(焚き火)へ持って行って焼いて食べよう。」って言って現場へ持って行ってそれぞれが焼いて食べたんですよ。

青年:カビが生えていても?

Uさん:うん。カビが生えていても。

NK:焼いてしまえばカビも死んでしまうから・・・。

Uさん:そうやって食べたんですよ。美味しかったんですよ。それがねぇ。

参加者一同:へぇ~ 。

NKさん妻:お菓子もないしね

Uさん:でね、その時から、あだ名がね、“お餅の坊や”になったんですよ(笑)

参加者一同:(笑)

Uさん:そういう事がありました。

NKさん妻:それは苦労があったんだね。メシヤ様が亡くなってからでも、お兄さん(Uさん)達お墓を作ったんだね。奥津城をね。(Uさんが工事中の奥津城の写真のコピーをお持ち下さいました。写真を見ながら・・・)

奉仕隊の中でもいじめが・・・

Uさん:これが工事中の写真です。

青年:わー凄い・・・これって岩ですか?

Uさん:岩です。石が出てきますからね。その頃は石だらけだったんです。
たまたま友達がねU君、良い物をあげるってね、この写真をくれたんですよ。12月の30日か31日で、まだ雪があるんですよ。

青年:寒かったですよね?これ雪ですよね?

Uさん:雪です。奥津城のここの所がね、まだ土羽でしたからね、放っておくと霜柱が立って、崩れてくるんですよ。だから、菰(こも)をずうっとかけてあって・・・。

Nさん:御昇天後すぐ、ここだけ作った?

Uさん:うん。ここだけ。

Nさん:この形だけ、そのメシヤ様が入られるここだけ。それで一年祭に向けて、これらを整備して行って・・・二代様がね。

青年:凄いですね・・・。

Uさん:私は“お餅の坊や”でね、この名前をつけた人はこの写真のこの人・・・。

参加者一同:(笑)

Uさん:この人は九州の人だから・・・この人に連れられて雪の中をゴミ拾いに歩いたんですよ。ほんとにこの40日間の御奉仕は、色んな事を体験させて頂きました。普段歩くのも難儀だったですからね。そういう体でこれだけの土方仕事をやってですね、それで40日間休まずにですよ。
1番最初にやらされた仕事は、もっこ(縄で編んだ物)担ぎ。この奥津城のその周りの泥とかね、後ろの山の泥・・・これを何回も削ったり埋めたりしながら形を整えてきたんですよ。やっと綺麗に揃って出来たと思ったら、その夜に、明日は今日やった所をもうちょっと下げる。と。そうなると一生懸命作業した人達は「何故だ」と腹立ってますよね。そんな色んな葛藤がありました。だけども上からの指示だから仕方ないですよね。
そんな中で、よそから持ってきた泥を今の光明台だと思うけどトラックで持ってきます。それを泥場に置いていきます。それを1メートルぐらいのもっこを敷いてそれに泥を乗せていって棒を入れて2人で担いで歩くんです。それを運ぶのが行列になるんですよ。次から次へと。それも最初失敗しました。行列で次から次へと来るわけだから、移す所へ持って行って、ばぁっと前の人が棒を抜く。後ろの人は、もっこをひっくり返す。そしたら泥が落ちるわけ。さっさとしないと次が来るから、上手くいかないと棒で突かれるわけ(笑)・・・最初だから要領がわからないから、2、3回失敗して、だんだん要領がわかってきて、二人の息が合わないとダメなんですよね。
その時にほんとうに意地の悪い人がいたんですよ。あれは嫌いだ、これは嫌いだ、と言う人がいるんですよ。そしてその人は何をするかと言うと、もっこを置くのに普通は平らな所に置いて泥を乗せて担ぐんですが、その人に対しては、もっこを置く所に穴を掘るんです。そこに泥をかけるわけだから、泥が倍になるんですよ。それを「担げ!」と言うんですよ。そうは簡単には担げないんです。その人は、そういういじめをしていたんです。
それからある人は足の親指に怪我をして、お風呂に入る時は湯が掛からないよう足を上げていると、そこへわざとお湯をかけたり。そういういじめもありました。そういうのも全部見ているんですよ。最終的には奉仕者は400人以上いましたからね。

奉仕隊での具体的体験

Uさん:それからもう1つの仕事は、石割りでした。あの大きな石を割れと言うんですよ。職人さんがいますからね。

NKさん:職人が割らないとね・・・。

Uさん:やった所、力任せに振ったんですよ。そしたら柄がポンっと折れちゃって(笑)・・・それから職人さんに「馬鹿野郎!」としこたま怒られました。すみませんって言ってね、昔の職人さんはやっぱり職人気質なんですね。「あのなぁ、こうやってやるんじゃ」と割り方を教えてくれたんです。何で柄が折れたかですね・・・玄翁(ゲンノウ)の柄ってこんなに小さいものですよ・・・これを振り下ろしてもうちょっとというところで力を抜けと、あとは惰力でポンと落せと、それをお前はこうやっているんだと、教わったんですよ。
もう1つは、泥が出ないように柵をするんですよ。針金を持ってきてクルクルと巻いて絞めるんです。そういう事もさせられました。初めて番線のかけ方から、そういう道具の使い方も教わりました。それから割った石を鎖1本で2人で担いでいかなきゃいけない。割った石をそれぞれ鎖を掛ける所を見て考えていかなきゃいけない。そういう事をさせられましたね。それからトラックが砂利を積んで来るんですよ。丁度、奥津城の後ろですかね。その砂利を下ろさないといけないんですよ。

NKさん:スコップで?ダンプで?

Uさん:スコップで。あの頃ダンプは無かった(笑)

NKさん:今ならダンプでサ~っと下ろせるけど、あの頃はスコップで下ろすしかない(笑)

NKさん妻:で、この奥津城が出来たんだね。

Uさん:色んな事を勉強させられました(笑)

NKさん妻:寒い時期だしね。

Uさん:人間的にもね、いろいろありました。お酒で足をとられるって言うのを、初めて奥津城で体験しました。

NKさん妻:お酒飲めないもんね 飲まされた?

Uさん:うん。うちの班だけ22時ぐらいまでやるんですよ。終わって造営本部に呼ばれて、一杯やっていけと・・・作業着のままですよ、造営本部へ行って焚き火がしてあって、これを飲みなさいって・・・はいと言って飲んだらたまご酒だった。僕は全然飲めないけど、甘いな~っと思いながら飲んで、終わって帰る時にフラフラになって(笑)真っ直ぐ歩こうと思っても歩けない(笑)フラフラしながら寮へ帰りました。

青年:奉仕者の寮のようなのがあったんですか?

Uさん:ありました。

NKさん:帰ってお風呂に入ってね。

Uさん:当時は今の風呂じゃないからタオルがすぐ茶色になった。

NKさん:温泉だからね。

Uさん:寮は仮設です。テントです。バラック建てだった。そこで食事もですからね。でそういう事をやって、寝るのは日光殿・・・日光殿にずぅ~っと布団を敷き詰めてね、布団2枚で3人寝るんです。

NKさん:何百人だもんね。

青年:大変ですね。

Uさん:それで叱られました。U君~夕べいい格好で寝てたねって(笑)
参加者一同:(笑)

Uさん:そんな事もありましたよ。日光殿は寒かったですけどね。

NKさん妻:今みたいに暖房なんかないもんね。

Uさん:パジャマなんかもないですからね。シャツ脱いで下着1枚で、それで入って寝るんだから。

青年:寒いですよね、冬は・・・。日光殿は今のあのままですか?

Uさん:そうです。ちょっとあの段が無くなったかな・・・本当に色んな事がありました。
でも今ね、こうやってまだ生きさせて頂いているんで(笑)・・・元々は信仰入る前に、お医者さんからちょっと言われていたのが校医からね、心臓に何かおかしい音がすると・・・小学校4年生ぐらいの時から調子が悪くなってきて、学校は行っていたけど体育なんかはしなかったんです。友達から「怠けている。」ってね。またいじめ受けてね。なんでいじめを受けたかと言いますとね、心臓病というのは顔色はいいんですよ。赤いから。青ざめていたら、いかにも病人らしいけれどそうじゃないんです。だから余計いじめられたんです。子供の頃から首は曲がっていて、散々にいじめられて。心臓でまたいじめられて、ずうっといじめられっぱなしです。信仰に入ってからもそうですしね。でもね、やっぱり必要あってそういう事をさせられたんだと思っていますけどね。

 

光が見える・・・

青年:この大黒様を御開眼頂いたのはメシヤ様ですか?

NKさん:うん、これはね。父の・・・。

青年:これはお父様のですか。

NKさん妻:汽車に乗って(大黒様を)おんぶして箱根まで持って行ってメシヤ様に御開眼して頂いて。送り返してもらったのかな・・・途中、○○支部まで取りに行ったかな。凄くいい顔しているでしょ・・・。

NKさん:この間ね、大黒様がね、何か纏(まと)って出てきたのが見えたの。金で・・・。

NKさん妻:この間から主人ね、大黒様の何かが見えたって言うの。

青年:何が見えたんですか・・・。

NKさん:霊視・・・金色、いつもこの御額からも出ていますよね。

NKさん妻:御神体の主のあれも、ピョンピョンピョンピョンと周りに出ますよね、見えません?

青年:見えません(笑)

NKさん妻:えっ、そう?あの主「⦿」の文字から蛍光色がピョンピョンピョンピョン、その通りの文字がいっぱい出ますよ。

青年:どう出るんですか?

NKさん妻:これは今は黒ですよね?これが銀色というか金色というか白色というか、蛍光色みたいな、あれがそのままがピョンピョンピョンピョン(周りに)ね。上に出たり下に出たり色々、たくさん出ています。どこに行っても見えるけどね。

NKさん妻:Tさんとこへ参拝された時もお祈りが終わった時は、ばぁ~っと大きいのが出ていた。あそこは御神体がもう1つ大きいから、もっと大きく・・・皆が見えるわけじゃないんだね。

青年:皆見えないです(笑)

NKさん妻:普段もよく見えるけどね。

青年:そうなんですか?凄いですね。

NKさん妻:凄いですかね?それが普通だと思っているから・・・。

NKさん:信仰って拝むんだけど、ただお祈りするだけでは駄目・・・。

NKさん妻:大光明の時は大光明で、その周りをパパパと見えて、その同じ文字が隣にシャっとでてくるんですね。

青年:その日によって違う?

NKさん妻:そう、お祈りした後は余計出る感じ。皆さんは見えたりするのかしら?

青年:全然見えません。感じたりはしても見えたことはないです。

Uさん:最初はね、ものをずうっと見ていてパッと目をつむると残影とか言ってね、最初それかと思っていたんです。だけどそれも見える時と見えない時はありますしね。

NKさん妻:今この裏が寝室ですけど、昔はお光さん、お守りさんというのは文字ですよね、メシヤ様の。それが前は大光明だったけど、これと同じように掛け軸だったんですけど、それからもよく出ていて・・・ここも大光明、こっちも大光明と・・・(笑い)。

青年:凄いですね。

Uさん:この人はどちらかというと霊的なことを感じやすい人なんですよ。

青年:そうなんですか・・・。

Uさん:同じ兄弟ですけど、僕はそうでもないんですが・・・。

NKさん妻:あと私は変な感覚がたまに当たることがある。怖いような・・・一時御教えをずっと読んでいたら、人が集まる夢を見たらちょっと何となく躊躇してたら近所で葬式があったりして・・・ちょっと怖かったです。
変なとこがあるみたい・・・主人があばら骨を折った時も、あの日はちゃんとお祈りをしてトイレのリフォームをした時で7月だった、その日の朝はちゃんとお祈りしてから工事にかかってと言って、雨も降った後だったから滑りやすい感じだったし、主人の後姿を見たら何か変だなぁと思っていたら、主人はその日お祈りをされなかった。
それこそ、石やタイルを一輪車で運んで捨てに行っていたけれども、転んであばら骨を折って一週間入院した・・・あぁまた当たってしまったと思った。常に気をつけているんだけれども・・・当たらなきゃいいんだけれども、当たる場合もあるから、怖くてね・・・。

青年:そうですよね。

 

楳木代表先生への思い・・・

Uさん:今度のね、代表が昇天されましたが、あれね、ほんとにメシヤ様の時と同じ思いがしたんです、僕は・・・。

NKさん妻:私3月3日、メシヤ様とこの人(代表)、似た様な感じだなっと感じたですね。細くなっておられるし、力はないし、でも30分はお話されたかな。で、メシヤ様もこんな状態だったのかなぁっと思って・・・そう思ったのが、メシヤ様の御講話聞いているから、ん~って感じだったけど。ほんとになっちゃってびっくりだけど・・・。

青年:びっくりしましたね。急にで・・・。

NKさん妻:ただあのー、私達が今のメシヤ教に入ったのはまだ短いでしょ。それまでは色んな話を聞いていたけど、東方之光の時から、まだ今一つだったから、中々踏ん切りがつかなかった。それでも、時間もとれるようにもなったのもあるけど、御神書の拝読の仕方がちょっと変わったね・・・今までもずうっと御神書とか拝読はさせて頂いていたんだけど、自分なりの考えとか、そんなもんだと思っているし、だから東方之光に入って、平成8年ぐらいかな、最初の何年かは良かった。最後の方の10年近くはちょっと離れかけになったかな。会費だけは納めさせてもらったよ。メシヤ様と繋がらなきゃいけないと思って・・・。それが本当にお祈りもあんまりしなくなったしね、だけどまた今はちゃんとさせて頂ける様な気持ちになって。その違いが代表の時は良かったかなっと思っている。この光の道教会が無くなったのが気が気じゃなくて、どうなっているんだろうと思って・・・。

Uさん:いろんな先生方からご指導を頂いてきたんですけどね、最終的に楳木代表とお会いしてね、あの方からはじめてね・・・私達は信仰は長いですものね、60年からやっているんだけれども、いろんな先生からいろんな指導を受けてるけれども、これだけの事を教えられる方は初めてだった。本当に目から鱗が落ちるというのはこのことですよね。

NKさん妻:一から御神書を読み直そうと思った。次から次へと読みたいという感じで、知りたい知りたいという感じで・・・。ただ今はこういう農業とか、家の周りがあれだから中々こういういい季節はあまり拝読はできないんですけれども、冬の間は徹底して読んでいた。主人も一生懸命ね、並大抵ではない大変だったんだなぁ、メシヤ様がなくなられた時は・・・一週間で完成して寒かったんだなぁとか、いろんなことを話して・・・。

Uさん:寒かったよ、箱根は・・・風呂へはいるでしょ、髪が濡れるでしょ、寮から日光殿まで帰る間にね、髪が凍って・・・そのくらい寒かった。
青年:へーー。

Uさん:いつもはそうでもないけどね、夜の仕事はね、地下足袋履いて、それじゃ滑って危ないから荒縄を巻いてね、滑らないようにしてね、そうしないと出来なかったんです。凄かったですよ。

NKさん妻:私らはそういう奉仕はさせてもらってないからね、小学校の1、2年生くらいの時で、お兄さんが長いこと留守だったなぁというイメージは残っているもんね。寒い時にどこへと言ったら箱根へ行っているということは聞いていたけどね、内容とかはよく分からなかったですからね。
それでも、中学校1年生になってから入信させていただいて、私は大人用の浄霊できるお光りを13歳の時に頂いた。それからずうっと関西の方にでていたから、就職して働きながらだけど、それでもずうっと繋がっていたね、この布教所、県本部などにご参拝したりしていた。その後Uターンして、ここにお嫁にきてそれからずうっと繋がっているから、不思議と平本先生から繋がってきて、立石さんのところも平本直子先生がメシヤ教に導いてくれたかなぁと思って・・・。

 

教師(指導者)に何度も裏切られて・・・

Uさん:先生、先生といってもね、いろんな先生がいるけれど・・・。

NKさん妻:本当に憶えている先生は数少ないね。名前を覚えてないね。

Uさん:自分が相談した事に対してね、こっちは秘密を打ち明けているんですよね、それをあくる日にバァーと教会でばら撒かれて・・・ああこの先生駄目だわと、それからまたしばらくしてからね、この先生は大丈夫だろうと思って相談かけたら、またバァーと・・・本当に教師という教師に裏切られたという気持ちをね、そして最終的には会長までそうだったから・・・。
お世話になりましたよ、石○先生にはね。お世話になったのは間違いないんだけれども、最終的にこれはおかしいよと思ったのは、当時布教所の責任者をしろということだったからやっていたけど、どうしても腑に落ちないことがありましてね、もう辞めますといったら叱られましてね。しかし、どっちにしても辞めるからと言ったら他の先生方がこう言われたんですよ。
「U君、いい加減にしろよ、殺されるで・・・」と言われたんですよ。それから頭に来てね、会長先生は2階におられたんだけど下にいたんで聞こえるくらいの声でね、「殺せるものなら殺してみろ」と言ったんですよ。
実はね何かと言いますとね、他の先生方が僕にそう言ったのはね、あの石○先生にはね、ある竜神様がついているんですよ・・・もの凄く大きなね、それを怖がっていたんですね。そのことはね、私は見ていないけれども事務局の人が見ているんですよ、先生の世話をしていたからね。いつもじゃないですけどね、ちょっとした時に体に鱗の形がでるんです。それを見ていたから先生方はそれを知っているんですわ、だから逆らえなかったということがあると思うんです、先生方が・・・。
それから私も、辞めたと言ったからですね、「殺されるで・・・」と言うやつですね、それから私も開き直りましてね、「元々無かった命だから殺せるものなら殺してみろ」と、それから自宅へ帰ってね、それから何度か先生方が来られました、もう復帰しろと言ってね、しかし最後は自分はお断りしたんですね。
私がどこかへ付きやせんかという石○先生のね、あれだったと思うんですが、平本先生の所へ行ってUが来たら絶対構ってくれるなと・・・だったらしいです。知らなかった、そんなことはね。その後、縁を切ってご神体なども全部返してしまって、それからはどこにも付かなかったんですよ。だけど明主様とは離れない、心は・・・だから感謝献金は多少でもしておくんですけどね、持って行く所が無いから、教会がないから・・・。(笑)
そうやってね、3年3ヶ月、本当に3年3ヶ月ね、ある人の仲介で平本先生のところに繋がる事ができたんですね。それでお参りしましょうかということで萩へお参りしたんですね。それで初めて平本先生から、「もうお前さんもいいがなぁ、家へ入らんか。」と言われて、それからお光を戴き直して再入信したんです。だから最初からやっぱり平本先生と繋がっているんですね。
私が自然農法をやってね、田んぼをしている時に、あの当時お米をせっかく自然農法で作っても、農協に出さなければいけないんですね、お金にならないからね。そうしたら先生がね、○○さん、それ私にくれないかと言ったんです。
それで萩からね、トラックを若い人たちが持ってきたのでお米を積めるだけ積んで持って帰るようになった。それから私が田んぼを取り上げられるまではずうっと送りました。米の事はね、代金は戴きましたけれどもね。ですからずうっとお米は届けました、田んぼがなくなるまで。せめて先生が食べられる半分くらいはという思いで、送らせてもらいました。

腹の立つことばかり体験する中で・・・

青年:いろんな人がいたんですね。奉仕者の体験の話などを読んでいたら皆さんいい人だなと思うから・・・その良い人のばっかりのが載っていたんですね。

Uさん:やはり全国から集めなくてはならないからね。おそらく会長先生方の考え方からすればね、不良であってもご奉仕に上げればよくなってくるだろうと送り出したところもあると思うんですよ。

青年:メシヤ様のご昇天の前もやはりそういった人がいたんですかね?

Uさん:いたと思いますね。色んな人がいたからね。本当に人の裏表からすべてを見せていただきました。

青年:確か健康でなくてはいけないですよね。健康な人を集めて奉仕に行かれていたって言うのも書いてあったですけれども・・・。

Uさん:人の裏切りも受けましたしね。

青年:やっぱり同じ信仰されていてもやっぱりそう言う人も居らっしゃったんですね。

Uさん:僕が教会上がった当初にご賛歌の中にね、腹の立つことばっかりやられたんだから・・・そのご讃歌の中にね、
『如何ならむ 事も耐えてさりげなく 微笑みあしろう人となれかし』
それをね、ご奉仕に上がってからいろんな嫌な目にあってから、あぁこれだと・・・。
どんな事があってもね、どんな仕打ちを受けても微笑み返すと、それだけの人間になれという事を自分自身に、いい聞かせたんですよ。それから本当に腹が立ってもそう心掛けてやってきたんですが、そうしたらある奉仕の方が「○○さんはあまり腹がたたんかね?」と言ったから、しかし私が一番腹が立つ人はその人なんですよ・・・その人から「○○さん、腹がたたんかって?」「どうして・・・」と聞くと、「いつもニコニコしとるけん」と言われたんです。
それから、ずーとそれを守ってくるというかね、自分自身にそれを課すと・・・それが信仰だということでそれをやってきたんですわ。
こうして会長先生に足向けて飛んで出たし、色んなことをやってきたんですよ。自分でね、御教えと先生方が言われたことが合わんじゃないかと思うもんだから、そうしたらこの先生についていく必要が無いわと思って辞めてしまうんです。辞めないと脅されるんですね・・・。
片一方でそういうことがあったし、また片一方ではそれを影から支えてくれたしね、そのお陰で今があるんですけどね。
ですから、「東○○光」も実は途中で辞めたんです。何で辞めたかと言いますとね、最初「東○○光教団」だったですよね、それがある時にね、チーフがこう言ったんですよ、「これから東○○光もM○○でいきますから」と言われたんです。M○○で行くと言ったから、説明は誠に上手ですわ、だが私は納得できなかった。
療院を全国に沢山作っているんですよM○○はね、ここも広島に造りました。あの時も私も一生懸命献金させてもらったんですよ、その時は・・・しかし、出来上がってから一回も行ってないんですわ・・・やることなすことが頭に来てね。全く私のイメージとは違うものになっているんですよ、神様ではなくてお医者さんが上だから・・・それからいよいよね、それで自分には合わず身を引かせてもらう事にしました。形だけは繋がっておったんですけどね・・・。
代表先生のお話を聞きながらね、ああ之だと思ったから、もうはっきりね、「東○○光」を・・・丁度所長が変わった時でね、これ幸いだと思って「ちょっと思う事があって東○○光から足を引かせていただきますので、当分の間、また戻るかも知れんけど今はこれで離れますので・・・」と断ったんです。「何で何で・・・」と言うから、「合わんの」だと・・・。

青年:それから先生と会ったんですか?

Uさん:それは先生と会ってからの後の事で、会っていなければもっとずっとそこにいたかもしれない。

楳木代表とのご縁・・・

青年:どうゆうご縁があって楳木代表と出会われたのですか?

Uさん:楳木代表とは△△さんが・・・どういう経緯かはわからないですが、こうゆう先生が来ているので会ってみないかと、声をかけられた。最初はあまり乗り気はしなかったですけどね、また・・・と思ったですけど、行くだけ行ってみるかと思いそれが最初だったです。

青年:△△さんは元々東○○光の方ですか?

Uさん:△△は義理の兄さん・・・。

青年:そうなんですか。

Uさん:私の家内の兄貴なんです。私が自然農法だけに取り組むようになってから、△△は県本部で専従者としてやっていたんです。これもいろんな事があって頭にきたらしくて辞めてしまった。それは何かというとこれも同じなんですよ。病気になって、まぁ浄化を頂いて、それで医者の診断書を出せと言われたから、そうでないと認めないというわけで、そんな馬鹿な・・・救世教でね・・・。

青年:会社に提出するみたいですね。

Uさん:それからどうも色々あってね、辞めたらしいですわ。

青年:そうなんですねぇ。やっぱり段々ズレて行ったんですねぇ。

岡山での青年の様子は・・・

NKさん:今はどういう活動をしておられますか?

青年:青年としての活動は今回が初になります。えっと、他の支部の方達との接触っていうのは今回が初めてです。今までは、節分祭と立春祭の時の本部に行った際の御奉仕だけ青年部でという・・・勉強会というか代表とお話させてもらって御奉仕させてもらってというだけだったんですけど・・・代表からメッセージが来て今回初めてこういう形で動いてっていう事ですね。

NKさん:今までは交流という事は?

青年:交流という事は無かったんですよ、はい。

青年:毎月、青年の勉強会をしていたくらいで、感想とかをブログに挙げたりとかしてそういうのは毎月していたりしたんですけど・・・。

NKさん夫妻・Uさん:若い子が居ないとダメだわねぇ(笑)

青年:そうですね。

流れを堰き止めて徳を積む

Uさん:私はなるほどな~と思った事があるんですよ。あんまり覚えてないけどある時にね、私方の爺さんが付いて行ったと思うんですけどね。半盲目の女の子を連れて行ったんですよ。で会食する時にね、お魚が出たんですよ。持って来られる給仕の人がね「目が悪いから頭とかは辞めて良い所を持って来ました」と言われたんですよ。そしたら○○先生がね言われたんですよ。「あんたなぁ、それで良いんか?骨も綺麗に外さなきゃダメじゃんか~」と言われましてね。でその給仕した人ビックリして「はい!」って下げて行って骨を外してね、持って来られたんですよ。僕らはいらないですよ。その目の見えない人に対してですよ。それ見てね、僕らが居る前でそれを言ったから・・・給仕した人は頭にきますよね、カツンっと。人が居る前で叱られるわけだから(笑)だと思いますけどねぇ。
僕はその時に思ったのが「はぁ~なるほどなぁ」と思ったんですよ。あのねぇ1人1人信者さんに対してね、来た人に対してそこまでやっぱり小さい事まで気遣ってね、心配りされるっていうね・・・それにちょっと私も参ったんですよ。なるほどな~、先生ってこういうもんなんだと・・・。厳しい事は言われましたけどね、だけどね何でもない所に気を遣われるその姿を見てね、やっぱりこういう事が大事なんだとつくづく思ったんですけそね。
私はコレで心臓病があるし斜頸病があるしねぇ、ありとあらゆることを背負っているんです。ある人にどう言われたかといいますとね、「Uさん、あんた一生懸命汲んでると。そういう罪のある者をね、よくしようと思って汲んでると・・・だけどなぁ、お前の小さなバケツで一生懸命汲んだって、川は上からずーっと流れて来るよ。お前が一生懸命汲んだところで無くなるわけねぇじゃんか。どっかで流れを塞き止めて、ほんで汲み出せばお前が汲んだ程は減っていくわ」と言われたんですよ。だからその答えは未だにはっきり分かりません、理屈はわかりますよ、けど流れを堰き止めろと言われたんですよ。ただその流れはどうやって塞き止めるのか。塞き止めて上から流れなくしたらお前が汲んだ程は・・・要するに徳を積んだ程は減ってくるよと。そういう教えを受けましてね、未だにまだ「あぁこうなんだ~」という事が分からないんですよ。理屈はわかります、確かにね。流れを止めろと言うんだから。

 

信仰は年数じゃ無い・・・

Uさん:その頃は自分の事を聞くなんてバカな事にはならなかった。珍しい事ばっかし聞いていた。新しい事ばっかし・・・。あんな事があったのか、あの当時は私はこんなだったかな?上の先生からこう言われていたのに実はそうじゃなかったんかと。そういった事をずっとね、楳木先生に会ったからこそ教えられたし分かって来たんですよねぇ。まぁね~…ぽっちらぽっちら(ボチボチ)ねぇ。ぽっちらぽっちら言ってたら先生に叱られるけども(笑)早くせぇ言うて言われるけどねぇ(笑)。はぁ、一から勉強し直しですわ。

NKさん:三月にもぅ逝っちゃったけども・・・。

Uさん:信仰は年数じゃ無いんですよねぇ。何十年信仰したって、間違った方向に進んで行ったらね・・・僅かなもんですよね。只まぁ自分自身に対する修行的な物はね、それは身に付きました、確かにね。

NKさん:たいしたもんだわな~そりゃ。

Uさん:34年ですからね、教会に上がったのは・・・辛うじて仕事したわねぇ。だけども心臓がおもしろくないからしょっちゅう休むんですよ。そしたら親父が怒るんですよ。朝、草刈って帰って来ても僕が寝とるでしょ。「まだ寝とるんか!」と叱られる。そういう事があったりしてね、葛藤があったんですよ。自分の苦しさっていうのは親父は分かってくれないし・・・それからですわ。自分が奉仕に上がろうと思ったのは。奉仕って言う言葉は良いけどね、要は自分が元気になりたかっただけの話ですよね(笑)

でねぇあの当時上がった時は、親父と喧嘩して出たんですよ。朝5時過ぎに出ないと汽車が一本しかなかったから。それに乗らないといけないからトランクにとりあえず着る物を詰めて、それで誰も見送ってくれなくて。お袋がちょこっと玄関のトコから行って来いや~って言ったもんでねぇ。親父はもぅ知らん顔じゃったから。だってその前の晩喧嘩したから。

僕は奉仕に上がりたいって言うし、親父は「それはならん!」言うしねぇ。百姓してますからねぇ。それから喧嘩してから最終的に親父が腹立ってですね、「勝手にせぇ!」って言われたから「勝手にしまーす!」言うて(笑)。それであくる朝トランクに詰め物詰めて持ってねぇ。駅まで約1時間かかるんですよねぇ。4、50分くらいかな?それから教会上がったんですよね。で教会の奉仕の方をさせて頂いて・・・。

 

教会での奉仕の様子・・・

Uさん:どんな事したのかって言いますと、まず朝はねぇ5時に起きます。5時に起きるとまだ皆さん方休まれていますよね。夏ですからね。今、トイレは中にあるけども昔は外にあるんですよね。まず朝起きたらトイレ掃除です、それも木で作った物ですから綺麗な物じゃない(笑)だけどそれ全部雑巾がけして、庭掃いて、その頃になると台所の人が起きてきて「おはようございます、おはようございます」。それから暫くすると上から先生が降りてきて、その先生に付いて畑に行くんですよね。天輪寺って言う畑があってそこ行って。それでその仕事が「今日はコレせぇ」って言われるんですよねぇ。で「今日はココにコレ植えときなさいよ。」「はい。」って。そうするとタオルこうやっているでしょ(首に掛けて前に垂らしている)そうすると心臓がこうなるんですよ。バクバクいっている。「はぁ~もぅやれんわ~」って休憩したんですよ。暫くしてまたやって、その繰り返しですよ。そういう身体でずーっとやって来たんですよ。
ほんで夜は一人終わりますとねぇ、終わってから会長先生の所に行って。廊下ですがねぇ、中閉めておられるから分からんけども。そこに行って「休ませて頂きます。」って挨拶して帰って。下へ降りて自分の所へ共同の部屋ですからねぇ。
ほんで夜はねぇ他の先生が、「U君、浄霊しようか。」「お願いします。」と言って突然部屋に入って来られて、“なんでかなぁ?”って僕はこう~突っ掛っている体勢だったから(笑)。それくらい先生方もね、帰ってからも布教しておられてねぇ。横になっているトコを浄霊してくださるのは良いけれども、だんだん何かこう~(手や体が倒れてきて)そういう、おっ被られてねぇ?重いなぁってねぇ(笑)。そういう懐かしい思い出がありますよね。そうやって奉仕させて頂いて。それでもまぁ~元気な感じにはならないんですよ。ですけどねぇ、苦にはならなっかったですよね、自分からやっているわけですから・・・。

NKさん妻:そうだねぇ、奉仕って苦しいもんだと思わなかったねぇ。私も萩で一年半やったけど・・・それが普通だと思ってやっていたから・・・。

Uさん:別にその、トイレ掃除せぇとか言われた事はないんですけども、自分としてどうするか。まぁ居たらねトイレが一番汚いから、コレは綺麗にしないといけないわっていう気持ちで雑巾掛けを全部、戸の方から便器から結構ありますからねぇ。男子と女子と両方あるわけだから全部掃除して、で庭を掃いて・・・夏になると後手に池がありましてね、楓が綺麗だったけども、そのトコが水道が無いんでバケツに担いで持ってって入れないといけないんです。夏になると緑になるんですよね、苔が付いっちゃって。それを全部掃いて綺麗に掃除して捨てて、それから井戸からバケツに水を汲んで行ってねぇ。よう~こんな心臓で出来たもんだと(笑)汗とかものすごいですからねぇ。タオルがこんなになるんだから「心臓がバクバクと」だからいつ止まってもおかしく無かった。

青年:そこではどれくらい奉仕なさったんですか?

Uさん:34~8年、5年くらい。

青年:すごーい。おいくつくらいですかその時は?

Uさん:二十歳?成人式してないから19歳かな?

青年:19歳くらいまでに・・・すごいなぁそんな若い時に・・・。

Uさん:まぁこれも持って生まれたアレでねぇ(笑)

Uさん:(勉強会の)原稿は僕は作らないけども、原稿は事務の人が替わり番でね。一筆書いてね。それをね、私ら透写しないといけないから。手の平が黒くなってねぇ(笑)。明日は月次祭って時には前の晩は大変ですよ。来られた人に全部配るのを刷らないといけないから。刷ったやつを綴じないといけないから。それを全部完成させないと寝る事が出来ないし。月次祭の前日なんて何遍も徹夜しましたよ。寝た事無いですよ。

NKさん妻:お兄さんよくテープレコーダー持ってやってなかった?教会の方で、月次祭の時にはテープレコーダーで・・・アレ子供の頃に覚えてる。お参りするとお兄さんがやってたのを・・・。

Uさん:はいはい、音響の方をね。スピーカーでね、アレ全部任されたんです。だからそれをやらないといけないから。マイクの設置からねぇ、全部しないといけないからアンプ使わないといけないでしょ。それ楽屋がまた大変なんですわ。夏はいいけどねぇ。って夏がいかんのじゃ(笑)夏は扇風機は無いし、何にもない時に幕閉めているから、機械は熱あるでしょ。あれは地獄でしたね。それでもその中入っていないといけないから・・・。
二代様の御巡教の時だったか叱られましたねぇ。あの放送のやつやっていたからねぇ。録音もせないかんでしょ。セッティング試験の前までは良かったんですよ、なんにも~OKと思っとったんですよ。で二代教主様がお出ましになって、全部録音していたんですよね。後になってそれを「U君持って来い」って言われたんで持って行ったらその場では聞かれないから、あくる日になって「U来い!これなんだ!」って叱られてね。御講話の中にね、時々「ワーワー」って音が入っているからね、雑音が凄い音がするわけ・・・。おかしいな~。テストの時には全くなかったのに、本番でなんで?って分らなかったんですよ。暫く経ってからね、何かの拍子に扇風機のトコへ…他の会議の時にやった時に、扇風機の風がフワ~っとなった時にブワーってなったから。「あぁ、コレだ!」ってそれで原因が分かってね。二代教主様が座っている後ろから大きい扇風機かけとるわけだから、それがフワ~っとなった時にブワーっと入るわけ。今はねぇマイクでもカバーやるからそれは無いけども、あの当時はそんなものないですからまだ。それが分ってね、また会長先生のトコに来て「原因がわかりました。○○です」って言ったら。「あっそっ」って(笑)それだけ(笑)

青年:えぇー、それだけですかー?(笑)

Uさん:それから後ねぇ、会長先生が浄化で休んで居られる頃に本部へ行ってね。「月次祭の時に必ず録音撮って帰れ。」って、それが私の至上命令でしたわ。それはねぇ、最初は許可ナシだった。行って撮ろうと思ったら叱られましてね。許可出してなくて。それから帰って先生のトコ行って許可取って貰って。許可取って貰ってからは楽だったですよ。放送室がありますから、会館の二階の上のトコにあったんですよ。高い所にねぇ。そこに機械持って行ってお願いしますって言えばそれで終わってたんですよ。それで期間がある程度過ぎてからねぇ、会長先生が元気になられて(本部に)止められたんですわ。「もぅ今度から御参拝するわけだからそれはいらん。させない」と。そしたら会長先生が「撮って帰れ!」と。「そんな事言っても止められてますよ、本部から」と言ったら「いや、撮ってもらえ」と。それからねぇ、放送室行く訳に行かないですよ、止められてますから。それから何処で撮ろうかと…会館の下のトコに物置の様なトコがあったんですよ。そこに昔は会館に入れない人達や子供連れてる人達が下で聞く事があったんで、そこにスピーカーが付いてたんですよ。「あぁ、ならココやろう。ココなら撮れるかな」と思って1,2回やったんですよ。撮れたんですよ。そしたらいつの時からかね、そのスピーカーが全部外されてしまった。(笑)

 

人の心の温かさに触れる・・・

Uさん:それからもう一つあるんですよ。箱根に参拝してね、前の日にご参拝して次の日お祭りですから宿を取るわけですよ。着いてその日に探さないといけないからあっちこっち回っても宿がないんです。寮でもどこでもいいから泊めてくれと言っても、そこもダメですと断られてしまう。もう仕方ないから野宿するかなと思っていたら、ある先生が来られて「なにやってるの?」と言われるから、泊まる所がなくて困ってますとお話すると「あらそう、だったらうちへおいで。わしの宿へ連れってやる」と言ってくれましてね、それが会長先生です。全く見ず知らずの先生が連れて行ってくれましてね、奥さんもいるのにそこへ割り込ませて頂いて、食べさせてもらって休ませてもらって、それが○○先生です。
つくづくこう思ったんです。先生先生と言ってもね、こういう先生もあればこういう先生もある・・・そこでつくづくね、ありがたかった、未だに忘れませんよその時の事はね。それで感じたのはね、教えに対しては御教えの事はうちの会長が天下一品だった。教えることも上手だったし頭も良かったですしね。だけどそれはそれ、人間的に見ただけでね・・・人格ということから見た時には、こっちのこの先生の方がよっぽど人間らしいと、つくづくそう思ったんですよ。

 

相手を許す心が笑顔になる

Uさん:色んなことを見せられ、色んなことを体験させていただいてね、本当に必要だからそういうふうなことをね、その中から何を覚るかというのを神様は見られているのかも知れんけど・・・さっきのね、

『如何ならむ 事も耐えてさりげなく 微笑みあしろう人となれかし』

これはね、5~6年前かな、そのくらいになってようやく分かったんですよ、どういうことかというのがね、分かってるのかどうか分かんないけど自分の気持ちがね、こうなんだと・・・それはね、ただ一生懸命堪えて笑ってじゃないんですよ・・・メシヤ様がおっしゃっているのはそういうことじゃなくその奥にあるんですよ、それにようやく気が付いたんです、何十年信仰をやってきてね。
それはどういうことかというとね、相手を許せという事なんですよ。許す心、それになったら笑えますよ・・・何言われようとね・・・このやろう!と思ったらもう笑えませんわ。笑ったとしても作り笑顔になってしまうんです。だけどそうじゃなくて、相手の人を「いいよ」と許してあげるというね、そういう心が湧いてきて初めてね、このお歌なんだなぁという事を、ほんとに十年くらいになりますがそういう所に気が付いたと思います。
やっぱり御教えというのは、何遍も何遍も拝読して自分の心がそこまでいって、初めて分かってくるというものじゃないかなぁと私は思いますよね。

NKさん妻:私の知らないお話をいっぱい聞いた。

Uさん:何にもありませんのでね、自分の体験したことしか話すことがございませんのでねぇ。

青年:ありがたいです!

Uさん:あれだったこれだったと言ったってね、自分のやって来たことしか自分の身についてこないんですよ、理屈じゃ分かりますけどね、歳をとって覚えられなくなってきてねぇ。

褒められることが奉仕の励みに・・・

青年:話変わりますけど(建設)奉仕って行きたいと言った人が誰でも出来るんですか?何か決まりがあったんですか?

Uさん:いえ“誰でもじゃなく”、当時はね、本部から教会へ何名か決めて指示があったみたいで、そこから各支部、布教所へ行く人はいないか聞いて順番に行ってたんですね。僕が行った時には○○教会からは3人先輩方が行ってて、それから専属でずっと行ってる人もおりました。教主様の台所をする人もいたんですよね、その人も長かったですけどね。
教会で自然農法やって、畑じゃなくて教会の庭でね、先生が「何か作れ~」って「は~い」ってね(笑)それで、庭を開墾して見よう見まねでやったんですよね。あそこで褒められたのはね、体菜という野菜があるんですけど、昔はしゃくし菜と言ったんですけど、あれを作ったらこんないいのができてね、そしたら会長がそれを献上するわと言って、二代様に献上したんですよ。
そこの台所をしていた人に預けたのでそこから伝わってきたんですけど、二代教祖様は体菜が大好きだったらしいので、喜ばれたよ~と言ってお褒めの言葉を頂いたんですけどね、それがまた励みになってね。

青年:へぇぇ~そんなことがあったんですね。じゃあやっぱり上から言われて何人か募って(奉仕に)行っていたんですね。それからメシヤ様ご在世当時に信仰され、ご奉仕されていた方の姿勢みたいなものは・・・。

Uさん:当時はね、一生懸命ですがな。36、37年かな救世会館から御神前が完成してね、奉祝典があったんですよ、あの時にはね、二代教祖様が傘をさして夜に行列があったですからね、それで明くる日、参拝者が全国から集まったんですけどね、あの時は○○教会から列車を貸しきって・・・汽車をですよ・・・汽車貸しきってねぇ、中を自分達で飾ってね、それで臨時列車ですからね、他の汽車を止めなきゃ臨時列車走れませんから、そうやってご参拝したんですよ。臨時列車仕立ててご参拝したのは○○教会だけですわ、それができたのはね。今の自民党の○○議員のお父さんが運輸大臣をされていたので、そこへ電話して頼んだからできたんですよ。
あの時に責任者でされていたのが近藤さんだったんですよ。もともと車掌さんだったからね。それでね、熱海の駅に着いたらもう時間がないんですよ、他の列車が入ってきますからね、決まった時間に何百人を全部おろさなきゃいけないから到着する5分前にはもう絶対トイレに入るなって言ってたんですけど、ところが一人いらっしゃって、一人足りないぞということになってね、近藤さんが発車した汽車に飛び乗っておばあさんを抱えられて「おばあさん走れよ~!」と言って下ろしながらおばあさんを走らせて自分はその後降りられたんですよ。

青年:うわぁすごい(笑)プラットホームで発車しながらドラマのようですね(笑)

Uさん:まぁそうやってね、ご参拝させてもらいました。全国からねぇ、あの頃はみんな一生懸命でしたわ。

青年:二代様の頃の話ですか?

Uさん:二代様です。二代教祖になられてからのことですからねぇ。あの頃はみんな一生懸命だったんだけどな~。

NKさん妻:みんな信じきっているからねぇ、だからそれが普通だと思ってやっていたけど、後になって二代様のことを言われてもねぇ・・・後になって教えられたから分かるけど子供の時にはねぇ・・・。

 

肥毒を減らすために自家採取を繰り返す

Uさん:とにかくもう、自然農法する人がいなくなってお米が手に入らなくなった。いい加減な物は入るけどね、難しくなりましたよねぇ。
種も自分で取って自分で自家採取しないと、人の種じゃあ自然農法にならない。種子にも肥毒があっちゃあダメだよと仰っておられるので、肥毒を減らすためには自分のとこで取って自分のとこで取ってを繰り返していかないことにはね。

青年:今その米作りでね、その種子を消毒しているんですよね。

Uさん:自然農法じゃない、一般はみんな消毒してやっていますよ。

青年:あはは。ちょっとでもしたら一緒なんだからぜんぜん安全じゃない(笑)

和合、統一に向けて

Uさん:○○○の信者さんでね、私と付き合いがあったんだけれども、私が御神体御奉斎してメシヤ教に入りましたと言ったら、それからすっかり来なくなったから、ああ、やっぱりなと思ったんですよ。
それから春になってから△△さんが、自然農法の種がないからどこかにないか捜して欲しいって言うからね、それからまぁ私が勧めていた○○○の信者さんでね、今やられている人がいるので電話したら、いいもんはないけどもあることはあるっていうから、それを何でもいいから送ってくれと言ってわざわざ取りに行ってもらったんですよ。それが元で自然農法の種が確保できたんですけれども・・・。この前それを取りに来たから上がってもらってお茶飲みながら話したんですけどね、“大体お前おかしいだろう、○○○本部から止められたんだろ!”って言ったんですよ。うちに来なくなったからね。最初黙っていたけどね、正直に実はそうなんだよって・・・。大体おかしいじゃないかと、自分たちの考え方と合わないからって、すぐに交流を止めるなんてね、その事自体がおかしいじゃないかと・・・御教えに書いてあるじゃないかと。
メシヤ様はどんな場合でもこうしたらいかんと仰っておられるのはね、これはダメだあれはダメだと言ってはいけないよと仰っておられるのに、お前それをやっているじゃないかと。しかも教団幹部が・・・。上からの指示だったようだけど、そもそもそんな考え方自体がおかしいんじゃないのか?と。それで統一しましょうなんてなるわけないじゃないかと。
それから楳木さん亡くなられたんじゃないの?と言われたから、ああ亡くなられたよと、亡くなられたけども、それはちょっと想像付かなかったけれども、亡くなられた途端にそく霊界から通信がどんどん入ってきているんだ。お前ら聞いたことがあるか?と言ったら、はぁぁ?ほんとか?と疑うから、見せてやろうか?と言ってプリントをチラッと見せたんですよ。
そこからどうするか知らんけども、お前さん方の考え方そのものがおかしいんじゃないのか?と言ったんですよ。
だけどね、いろんな人と交流しながらね、やっていかなきゃいけないから○○○○の人にも声を掛けろってことですわ。だからウチに入ってきていたんですけどね、ピタッと止まったから。一人も来なくなった。(笑)
それからたまたまこんなことがあって会ったからね、上から止められたのか?って聞いたんですよ。お互い話し合いしていかなきゃいけないんじゃないのか?って。

Uさん:その人が今一生懸命ね、自然農法やってんですよ。それで周りからどうのこうの言われてねぇって言うから、それは当たり前だよって。日本の常識からしたら自然農法は受け入れられないでしょう今も昔も一緒だわな、ってね。それにしても草取りから大変で・・・と言っていました。まぁそれでもね、その人もやりだして3、4年くらいになるかな、勤めながらですけどね。

青年:時間が過ぎましたが、もしかしたら今後また第二回目があるかもしれないんですけど(笑)

NKさん:2回でも3回でもこんな感じでよかったら(笑)

青年一同:本日は、どうもありがとうございました(笑顔)

大黒様の御守護

青年:あ、これは何のノートですか?(NKさんが用意してくださっていたノートを見て)

Uさん:達筆で何書いているのか中々読みにくいんだけどねぇ。ここの大黒様がメシヤ様に御開眼していただいたとは聞いていたんだけど、年数まで分からなかったんだけどこれみて分かってねぇ。

青年:ご利益というかご守護ありましたか(笑)

NKさん:どうだろうねぇ、それでもお金に困らず何とかやってこられているからねぇ(笑)

青年:メシヤ様が御開眼されているというから凄いなと思って!

NKさん:そうですよねぇ、昔の人しか持ってないからなかなか少ないでしょうね。

青年:本当に、今日はありがとうございました。(笑顔)

[研鑽資料no.2出雲支部でのインタビュ-記録 2017(平成29)年4月25日]

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