メシヤ講座no.199(平成29年10月)の骨子

<研鑽資料>

平成29年メシヤ講座10月度の骨子

 

新潟出張所 庭山光太郎

 

楳木先生からの伝言(8月28日 AM8:58・PM2:47)

 

・昨日の(8月25日にいただいた)回答を元に、世界救世教(メシヤ教)教義を見てもらえないだろうか。(メシヤ講座no.198本部中の“楳木代表からのお返事です。”の部分)

・人間が神の代行者という、そこの意味が分からないとこの教義はただの文字でしかないし、世界救世教(メシヤ教)復興は出来ない。

・この教義が「如来乗」と言っていい。

・あと、昨日最後に「神格をいただく道」について伝えたが、涅槃に達した境地が「天国的生活」だから、やっぱり神様じゃないと無理だというのが分かると思う。

先生からの伝言は以上です。

 

代表からの伝言を頂いて

どうやら9月の骨子は間違いとは言えないと思うのですが、どうもピントが外れているようで、代表に一つ一つご指摘を頂いて、これは書き直しか第一段という事にさせて頂いて、お詫びしつつ再度挑戦させて頂きたいと思うのです。と言いますのも、第一段としては、仏教に於ける小乗・大乗・如来乗の解説が主となり、それがメシヤ教復興とどういう関係があるのかについては抜け落ちているという訳で、その核心を取り上げなければ何の意味も持たないものになってしまう訳で、そこを抑えろという御指示がこの度の伝言になったものと受け取らせて頂いて書き直してみたい、或いは第二段にさせて頂こうと思うに至りました。

 

然し、第一段がピントが外れていたとしても、「連絡事項 東03号」に『霊層界について(深めていく事)は、何をするにもこれが基本』という事からすると、昔は霊層界という言葉そのものがまだない時代の仏界に於いて、霊層界の上位に魂を置く修行というものが已に小乗・大乗・如来乗という形で存在していた事を知る事も、必要ではないかという意味では意義があるものと思うのです。

仏界には「法悦の境地」に至る事が最高の満足としてありますが、声聞乗(学習主義)や縁覚乗(体験主義)の小乗で悟りを得たと錯覚すると、とかく増上慢になりがちである為、諸仏如来はただ菩薩のみを教化されるので、声聞・縁覚は如来の弟子にはなれないのです。ですから現代風に言えば、同じ信者さんでも只のお客様でいる限り、御用にお使い頂けないばかりか神様に見放されかねない存在となる事だってある訳で、兎に角御用にお使い頂く事を念じ、自分の魂の霊層界を上げる事が最大の課題と受け止める事が肝要と言えるでしょう。

 

「連絡事項 東06号」より

「これから先はお世話される側ではなくてお世話する側になっていかなくては。まだまだお客様気分の者が多いけれど、お客様でいる、お世話される側でいるという事は、これから来る大変な浄化が厳しい時に、救われるかどうかあやふやな存在、そういう霊籍に位置するのを自分から選択しているって事に気付いてない訳だから。

ちゃんと救う側に回れる様に、今は出来ないなりにやろうとする姿勢がないと、やっぱり結果が出てしまう」

以上は勿論私も含め各個人個人の魂の覚醒を促されているものです。

 

仏教を取り上げた核心

そして、次に『真の大乗宗教』という御論文の問題提起を見て頂きたい。

・一宗一派の中にも分派があり、それぞれの色分けになっているので、根本的不合理を感じる。

・宗教とは、言うまでもなく人間相互の親愛、平和協調精神が生命である以上、目標は一つであらねばならない。従ってその手段方法にしても色分けなどないのが本当ではなかろうか。それが別れ別れになっているとしたら、人類の思想もそれに伴うのは勿論で、これがまた社会混乱の原因になる。

・然も宗教という善の側にある人の力は分散されるから、邪神の力に対抗する事も出来なくなる。よって邪悪の方の力が勝つ事が常にある。それだけ善の方の苦しみは並大抵ではない。

・邪神の勢力が旺盛で殆んど支配権を握っており、絶えず吾々に対し目を光らし、隙あらば切り込んで来る。

とあり、その為には

・宗教は邪神以上の力を有たねばならない。それでなくては善の勝つ幸福な世にはなり得ない。

・そうなってこそ万教は帰一し、世界は打って一丸となり、茲に不安なき幸福な世界が実現する。

・それは容易な業ではないが、不可能ではない。何故ならば主神の御目的たる地上天国は已に近寄りつつあるから。

・その根本は勿論小乗を棄て、大乗精神が基本的条件となる事。即ち地球上一切のもの、宗教、科学、政治、経済、芸術等悉くを包含された処の超文化運動であり、その指導的役割こそ超人的力と知恵とを有する巨人が出なければならない事である。

 

この最後の「宗教、科学、政治、経済、芸術等悉くを包含された処の超文化運動であり、その指導的役割こそ超人的力と知恵とを有する巨人が出る」、その宗教こそが真の大乗宗教という事になれば、他の既成宗教の中でこの一節が当て嵌まる宗教など、メシヤ様御在世当時の「世界メシヤ教」しかない訳で、巨人を有した真の大乗宗教が御昇天後いち早く夜の世界の右進左退の離散の働きに飲まれてしまった事は、どう考えてもあり得ない事ではないか。既成宗教団体と何ら変わらぬ地位・働きに甘んじて、日々の安悦を貪る様では完全に邪神の軍門に下ったとしか言えない訳で、これでは昼の世界の宗教としての本来の使命を抛棄してしまった事と同じであると考えがちでありますが、然し私達は青枠の方からの霊界通信でその真相を知らされました。其れはどういう事かというと、

「本当に神様をお出しするという段階の事は、神様をお出しするという具体的な使命を持った人間達が適した時期にそれを行う事によってなされる事で、全てはその時に必要な人間をもって事に当たらせるのだ、そしてメシヤ様がご昇天なさってから各団体の先生方が神様を隠したというのは、その側面もあり、またそれを神様がさせた、そうなる事も決定事項であったという意味です」(『必要な人間をもって事に当たらせる』、この部分でメシヤ教教義を見て欲しいとのご要望はクリア出来ているのではないでしょうか)

「今まで上下が混在していた状態だったのを平らに均す、成すのが“平成”であり、昭和が体の霊であるなら平成が体の体である、というのはここだという事で、その後に審判が形として目に見える、『実際に審判が下る、決まるのが次の徳仁様の世である』という意味で、このあたりは文明の創造の天国篇P.358~P.363が示している、そういう意味があると意識して拝読してみるとぐっと意味合いが深く取れる様になるだろう、との説明も被せていました。」(「連絡事項 東06号」より)

時期

「メシヤ様は元々世界救世教の様な団体ではなく、“神意を骨とし人間生活を肉と見る”人達を育て、本当の神様に帰依していく人が集まる、そういう人達で構成された機関を作りたかったのだそうですが、『では昭和にそれが出来たかと言ったらそれは時期尚早だったのだそうで、やはり一番適している“今”に照準を合わせる様に神様と因縁の深い人間を送り、その核となる部分を担わせてそれを一気に拡大する算段だった。』のだそうです。」

「時期が来ていないという事はその時代にいた人間は神意を受け取れない状態でいるしかなく、『神様の仰る通りに進められない事をも使いつつここまで神様は時を待たれた、様々な人間がこれまで様々な動きを自分で選択している様でさせられたというのが真実だから人間は人間を裁く事が出来ない』というのはそこなのだ、とも含めて仰っていました。」

「昭和はメシヤ様が人間に手取り足取りしてものを教えて見せた時期で、人間がそれを受け取れていたかというとそうではなかった、けれど平成の今は人間が実際にメシヤ様にお会いした事はないにせよ光の強さが強力になっているので『神様に集中していれば直接に色んな形でもって即お答えを頂ける、そして自分の魂に向けて直に教えて頂ける時期で、人間は神様と共同で救いの業を進めていく中で自分を育てて頂ける、そして神様は更に事を広めていく』という事を強調なさっていました。」(「連絡事項 東7号」より)

という訳で、つまり真の大乗宗教が、その本来の働きを発揮するのがこれからであり、その為に「世界メシヤ教復興事業教団」として名乗りを上げたのが「メシヤ教」で、これも「超人的力と知恵とを有する巨人」が先を見越して仕組まれた大神業の一環で、決して人為的に作られたものではない事が数々の事象によって証明する事が出来るのです。

その発端は井上茂登吉邸での御神事であります。

井上茂登吉邸での御神事

「『今どうしてもやらなければならない事がある。将来教団の発展と人類救済に大きな訳がある。』最後の日、『やっと間に合った、これで世界は救われるのだ』と仰られた。」との、「やらなければならない事」とは何か。それはメシヤ様の腹中にメシヤを誕生させる事であった。ゝのゝは勾玉で、胎児でもある。霊的存在が現界に留まって成長され、それが地球大にまで大きくなられているのですから、どんな大威徳を発揮されるか分からないし、今般の世界的かつ頻繁なる異常気象や地震もむべなるかなと納得できるのです。単なる二酸化炭素による地球温暖化に依る現象では最早説明できない段階に立ち至っている事に気付かなければならないでしょう。

この井上邸での御神事の時点で将来のメシヤ教の御神体は「ゝ」と決定され、主催者は楳木代表に決定されていたという事で、代表は御昇天五日後に誕生されたのであり、「五」は主神の数ですから「ゝ」も「五」も共に主神の経綸として決定づけられていたのです。

更に再三書かせて頂いているように、私自身の処に信者さんを通じ「霊界通信」があり、神界の様子や、已に亡くなった父の御用なども知らされていて、更に父に限らず先達の方々が色めきだって現界人への働きかけが始まっているなど、霊界は騒然として来ているらしいのです。

更に法華経などをみれば、幾百万の養成された菩薩衆が今かとばかり待機中でありましょうし、キリスト教に至っては私の最も感銘する一節

「また、天国はよき真珠を求める商人の如し。値打ち高き真珠、これ一つを求めなば、往きて持てる物すべてを売りてこれを買うなり」

ラクダを従えて砂漠を行くキャラバンが、たった一個の値打ち高き真珠に出会った時に、この隊商の全てのものと引き換えに真珠を手に入れる、この情景が鮮やかに浮かぶのですが、その真珠こそが光りであり、メシヤである事をこの一節は語っているのであり、霊性の高い人は何処にでもいるもので、お釈迦様やキリストが一声かければメシヤ様の下に馳せ参じる時期はもう間近に迫っている事は間違いないであろうと思うのです。

キリストも釈迦も元々は日本の神々で本来のお姿に戻られれば、その薫陶を受けた信者は一気にメシヤ信仰にスイッチが切り替わるでしょう。それらの聖者は人類に「信仰とはどういうものであるのか」を教えられたのであり、最終的にはメシヤ様への信仰の予行演習をされて来たのであり、御用をさせて頂く事によって救われる事を覚られてメシヤ様の下に万教帰一がなされる事を思えば、そういう状況に立ち至った時に、中心となるべきメシヤ教の準備は盤石なものにしておかなければならないとしたら、各自の自覚も自ずと大きく強く堅固なものとならなければならないと思うのです。

『キリストも 釈迦もメシヤの生れまさむ 時来るまでの露払いなる』
[詩歌篇第6巻 P.15]

つらい浄化が報酬

最後に最近浄化が次第に強くなっている事も実感できます。この9月6日に数年来の太陽の大フレアーが観測されました。異次元の爆発の規模だというのですから待ったなしの時期はもう直ぐでありましょう。浄化を頂くのも今の内だし、いざ大浄化に入った時に皆でダウンしていては話になりません。せっせと自己浄霊もさせて頂いて磨かなければならないでしょう。自己浄霊というと我良しで小乗と思われるかも知れませんが、人様を救わせて頂くために磨くのですから、自己浄霊をしない様では職務怠慢と言われても仕方がないでしょう。更に御用をすれば何倍ものお陰を頂ける。メシヤ教の場合は「浄化は報酬」という事になっていますが、報酬と言えば美味しいものとかお小遣いを連想しますが、つらい浄化が報酬とはどういう事かというと、吾々が朝晩神様にお挨拶する時に『惟神霊幸倍坐せ』と称えますが、「御心のままに霊の幸を倍にして下さい」と毎日朝晩お称えしているのは、浄化によって霊が浄まれば霊層界の上段に登れるし、登れただけは幸せになるのですから、最大の報酬という事になります。

『千億の 富にもまして嬉しきは 恙(つつが)なみける身にしあるなり』と。
[詩歌篇第4巻 P.372]

さて、ここまで書かせて頂けば代表の「世界メシヤ教教義」を見よとの意味がお分り頂けたと思います。

「新約聖書」マタイ伝第七章に『狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし』

観音様も夜の時代は「薬師如来」となられ、薬を勧められもされた訳ですが、それは夜の時代は朝になれば露が降り、気温が低ければ凍ります。即ち熱が出て溶かすよりも固めた方が有利である故に勧められた訳で、昼の世界になれば熱によって溶かす方が有利ですから、病気は『浄化作用』という真理を説かれ、浄霊法という力も求めれば誰にでも与えられたのです。

如何に夜の世界に於て固める方が有利であるとか、薬という異物によって体内が汚され、汚された分は体が弱り弱った分だけ体力が落ち体力が落ちた分だけ機械、物質文明が発達するとか、霊が曇れば争いが起き、戦争になれば物質文化が発達する故に薬は役立ったと説かれても、やはり主神様はある程度人間に負い目を感じられていたか、可哀そうにお思いになられたか、とにかく心血を注いでメシヤ様は医学の誤謬を指摘され、医学革命を推進される一方で、浄霊法を以て誰にでもキリストやお釈迦様にも勝るお力を与えられたのですから、その御教えに反して医学や薬に頼る様では、人間を騙してでも素晴らしい世界を作ってあげようとされた神様の御心を踏みにじる事にもなるのですから、神様の御心に感謝して天国人にならせて頂かなければならないのです。人間はその時々に於て素直になるのが一番でしょう。

吾々メシヤ教の方々はお互いに遠回りしてメシヤ教に辿り着いた言わば猛者(もさ)でもあります。あらゆる難関にもめげず、メシヤ様に対する信念は変わらなかったからです。余程にメシヤ様とのご縁があるのでしょう。考えれば考えるほど「運がいいんだなあ」と思わずにはいられません。この運に大いに感謝して悔いのない様に共に歩んで行けたらと思っています。

離合集散の合集のリズムは回り始めています。早く世界メシヤ教復興の実を上げる時が待たれてなりません。来月は十月で結びでもあります。夜の世界は「神無月」でありましたが、もうそろそろメシヤ様の下に「神有月」となる兆候が出て来てもいいのではないかと思うのですが如何でしょうか。

兎に角「医学の門は広く、滅びに至る門は大きく、浄霊の門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」では大神様に誠に申し訳ない次第というべきでしょう。メシヤ様に兎に角各自お願いさせて頂く事が一番かと存じます。

 

[研鑽資料no.6 メシヤ講座no.199の骨子 2017(平成29)年9月20日]

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