メシヤ講座no.202(平成30年1月)の骨子

<研鑽資料>

平成30年1月骨子  「日と月」考

 

<はじめに>

本来ならH29年8月の学びが5ヶ月も遅れてしまいました。代表からは8月度の学びが弱かったと言って頂きましたが、全く触れずじまいのまま今日に至りまして代表には数ヶ月間いつ発表させたらいいかと悩ませてしまいました事、先ずお詫びして、上手く書けるかどうか不安ですけど全力でやらせて頂きます。

この「日と月」(著述偏7・p486)という御論文は極めて単純で短い御論文ですが、「これが『開教の辞』(著述偏8・p323)と密接な御教えであって、日の神様の本当の力が発動してこそ愈々世界メシヤ教復興に漕ぎ着けられるので、これを弱いままにしておくと宜敷くない」と御指摘頂きました。更に「本物の世界メシヤ教を目指すならこの御教えの学びを今の状態のままスルーさせる訳には行かない」と、かなりきつい御注文の上「2月を前にした1月度のメシヤ講座で再度本気で『開教の辞』と共に『日と月』を学んで節分祭・立春祭を迎える様に準備して欲しい」とのご要請でありますから、ズーッと考えて見ましたが、単純な御論文であればある程難しい一面があるのも確かで、「日と月」が「開教の辞」との密接さと、「日と月」が「本物の世界メシヤ教復興には必須案件」である事を解き明かす事が出来るのか、我が家の「日月」のお額をにらめっこしながら書かせて頂きます。

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<御論文、「日と月」>

「日と月」では三種の神器と天理教の唱える説を借りて、

「日」=・玉、昼の世界

・ヒキ、ヒクは退(しりぞ)く事で、引き寄せる、陣を退(ひ)く、敗北する

・腰を低くする、負ける事を良しとする、人間では謙譲を旨とする。

・争いの起こりようがない、

・風邪を引く事は浄化作用として良しとする

「月」=・剣、夜の世界

・突き、突き進む事を好む、国と国とが互いに突き合う、これが戦争

・突き進む事は勝利を意味する

・突き合うが転化して交際する事を「つき合い」という

「土」=・鏡(日と月だから略)

以上の意味から、

・本教団の働きが病貧争絶無の世界をつくるという事で、争いが無くなる

・本教団は日即ち火素の活動が主である以上、月でなく引きを心に銘じて活動すべき

・日は玉であるから、円満晴朗、円転滑脱でなくてはならない

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という事ですから、今までの宗教という宗教は全て夜の世界に於ける月神系主宰の夜の宗教ですから、昼の世界に於ける昼の宗教が初めて出来たのが「世界救世(メシヤ)教」という訳で、S25年2月5日に「開教の辞」を出された訳です。勿論主宰神は日の神であり太陽神であります。

 

<御論文 「開教の辞」>

イ、霊界に於ける夜昼転換の時期に愈々入ったから、S22年8月30日に宗教法人として創立された「日本観音教団」とS23年10月30日に創立された「日本五六七(みろく)教会」は自発的に解散し、両会打って一丸としたる構想の下に、本年2月4日立春の日を期して宗教法人世界メシヤ教創立出現となった。

ロ、仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩のお救いの転移進展となるので一言にしていえば仏滅を意味するのである。従而(したがって)観世音菩薩のお働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論である。即ち化神仏であらせられた観世音菩薩は茲(ここ)に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。

ハ、私は,これまで顧問の名の下に、いわば陰にあって経綸を行っていたが、漸く基礎的工作も出来上がったので、茲に表面的活動に移る事となった訳である、端的に言えば、愈々本舞台に登場する事となったのである。

二、祝詞にもある如く観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒神も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変わるものではない。時期の推移に従って漸次発表する段取りとなる。

ホ、これまでは観世音菩薩の御働きであったから、言わば東洋的であった。然るに時期切迫の為どうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならないとすれば、世界的に拡充する必要がある。世界メシヤ教の名に因る所以である。

ヘ、今一つは観世音菩薩は善悪無差別的の救済であったが、愈々地上天国が目前に迫り来った今日茲に善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった。所謂悪のトドメである。従而救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である。

 

以上、飛ばした処は後ほど追加させて頂く事として、「日と月」は「昼(日)の世界」と「夜(月)の世界」に於ける決定的違いを簡単に述べられたものであり、それを「開教の辞」では夜昼転換が起こったらどのような変化になるかというのを具体的示されたものです。勿論夜昼転換と言ってもいきなり昼とはならないもので、黎明期があって、夜が明け、徐々に中天に日は昇るので、それに従って御神名も変化し、それに伴ってお働きも拡充変化される事を(ロ、)(ハ、)(二、)(ホ、)(へ、)で示され、(イ、)は夜の時代は右進左退の分裂のリズムで分裂していた教団は、昼の世界へ入って左進右退の求心力によって集合して一つの教団に纏まった事を示されたものでしょう。

然るに神様の御経綸は手順が決まっているものの、人間側が仲々付いて行けない処に問題がある訳で、朝が来たから飛び起きる人と、何時までもぐずぐずしている人もいて、夜の習性が取れず、未だとっぷり夜の世界の夢を見ている人が大部分である事は「医学の隆盛」を見ても分かるもので、本当に危うい危機感など微塵もない事でお分り頂けるでしょう。「もし医学が誤っているとすれば、生命の危険は言語に絶すると言ってもいい」(著述偏10・p137)と述べられているのです。そういう大きな流れの中で、折角「開教の辞」を発表なされても教団はその夜の流れにのみ込まれて、メシヤ様の御意向に叶った教団とはなり得ず、御昇天後は遂にその使命さえもおぼつかないものとなって了ったのでした。

然し神様はそれも織り込み済みで、世界メシヤ教を本来の姿に復興させようと準備されたのがメシヤ教で、二度目の開教宣言とも言うべき「世界メシヤ教復興事業教団」としてH25年3月3日、本来の「メシヤ降誕本祝典」の佳き日に箱根で名乗りを上げたのでした。

その神様の準備の御経綸は骨子11月・12月を見て頂ければお分り頂けるのではないかと思いますが、今回は「日と月」、「開教の辞」から“国常立尊様„と“観音様„との関係を中心にもっと掘り下げてメシヤ様という御位の御存在とはどういう御存在なのかを明確にし、その御存在に繋がる自分達はどういう存在であってどういう方向を目指せばよいのかを皆で考えて欲しいという事なので、本物の世界メシヤ教を目指す核心を確信して頂きたいのです。

 

≪「主神様とメシヤ様」から≫

<先ず、国常立尊様と観音様との関係>

・この地球を統治する中心が何かと言うと、図の如き地軸または地柱と言う。この神様の事を天照大神と申し上げる。此の神様が本当の統治権を持たれて居られたのである。つまり人としてお生まれになったのでお姿があるのである。(p206)

・伊弉諾(イザナギ)、伊弉冊(イザナミ)御両神様が肉体を持って御現われに

なり、生殖作用をなされ、右の御三神をお産みになったのである。

上記が天地経綸をなす根本なのである。

・天照皇大神は世界統治の為に、別な神(国常立尊と伊都能売神)になられるのであります。(p207)

・国常立尊は昔善一方で世界を治めようとしたる為に、非常に他の神々に反感を買い、引退遊ばされた・・・。中心となると此の度の御経綸を伊都能売神様にお托(たく)しになった。是が観音様(夜の時代の伊都能売神様の化神仏名)である。(p217)

・真に正しい、高位の御神霊は何神で被在(あらせ)らるるかというと、それは主の神の表現神で被在らるる天照皇大神様であられるのである。天照皇大神様は最高最貴の御神格に渉らせらるる故に、人民が自己の希望を念願し奉る如きは、誠に恐れ多いのである。恐れ多き儀ながら、陛下に対し奉り、人民が直々に何とも願い事は叶わないのと同じ意味であるのである。此の故を以て、主神は、伊都能売大神を介して観世音菩薩に、救いの力を与え給うのである。茲に一切衆生を救わせ給うとしては、神の御名に於ては、その各位に対する神律上、ある程度より下らせ給う事は不可能であるから、やむを得ず、神界より下位である仏界に、顕現され給うのである。(著述偏7・p175)

・私のは主神の力が伊都能売大神を経て、更に私の体を通してみんなに行く。

・主神の救済委任神が伊都能売神であり観世音菩薩で、国常立尊様は引退されて後、幽界に於て閻魔大王となられる故に、主神のお裁き委任神という事が出来る。(p313)

・本来神霊は肉眼に見得るものではないが、霊界に於ては想像出来得ない程の大いなる光と熱とを放射し給うもので、その御神姿は崇高善美なる人間と同一の御姿である。そうしてその御本体から放射され給う処の、その光と熱とは余りに強烈である為に、常に水霊によって包まれ給うものである。

本来真の神とは火のカと水のミを称して神と云(い)うのである。火水のお働きをされ給うからである。故に火の働きばかりではカミではない。水の御働きばかりも神ではない。火水一致して初めて大神力が顕現されるのである。然るに今日迄諸々の神が地上へ示顕されたが、それは何(いず)れも一方の御働きであった。それが為に神力というものが示顕されなかったのである。何となれば物質に於ても火と水合致によって動力が起こるので、その動力によって機関の活動が起こるのである。・・・

しかし大神力は火と水との外に土の精が加はるのであって、それを称して、三位一体と云うのである。此三位一体の力に依れば如何なる事も成し遂げ得らるると云う絶対力なのである。この力が現れた時、初めて人類は更生し、歓喜と幸福に満ちた理想世界は出現するのである。

本当の意味から云えば、今日まで出現された神も仏も、その光は月光のそれであったので、太陽の光は未だ顕現されなかったのである。月光のみであった期間を夜の世界と云うのである。(p300)

 

<月の神>

然らばどういう神様が「月」の神様かというと、古事記に依れば伊弉諾神の禊(みそぎ)によって左の眼を洗った時になりませる神は天照大御神、右の眼を洗った時になりませる神が月読尊で、鼻を洗った時になりませる神が素盞鳴尊という事になっている。

又、出口王仁三郎聖師の霊界物語によれば、

「・・・地上がこうして造られて了ふと、元祖の神様も、もう御竜体をお有ちになる必要がなくなられた訳である。それで金の竜体から発生せられた、大きな剣膚の厳めしい角の多い一種の竜神は人体化して荘厳最貴にして立派な人間の姿に変化せられた。これは未だ本当の現体の人間姿ではなくして、霊体の人間の姿であった。この時、太陽の世界にては、伊邪那岐命がまた霊体の人間姿を現ぜられてその神をさし招かれる。そこで荘厳尊貴なる、彼の立派な大神は、天に上って撞(つ)きの大神とお成り遊ばし、天上の主宰神となり給うた。

白色の竜体から発生された一番力ある竜神は又人体化して男神と現われ給ふた。この神は非常に容貌美はしく、色白くして大英雄の素質を備へておられた。その黒い頭髪は、地上に引く程長く垂れ、髯は腹まで伸びている。この男神を素盞鳴大神と申上げる。

自分はその男神の神々しい容姿に打たれて眺めていると、その御身体から、真白の光が現われて、天に冲(おき)して月界へお上りになって了った。これを月界の主宰神で月読見尊と申し上げるのである。

そこで大国常立尊は太陽、太陰の主宰神が決まったので、御自分は地上の神界を御主宰し給ふことになり、素盞鳴尊は、地上物質界の主宰となり給うたのである」と。

ここで出て来られた太陰の主宰神は二柱居られるが月読尊様は照っている時の御働きで、闇の時は素盞鳴尊という事になっている。「月読尊は月世見で月の世を見る」神様となり、撞くは鐘を撞くであり、突くとなり、月の照った時は東洋の印度に於て、阿弥陀如来(慈悲で善)、闇の時は第六天の魔王(武力で悪)となり、西洋のユダヤに於ては照った時はイエス(善で愛)となり、闇の時はマッソン・又はフリーメーソン・共産主義となるという事のようです。(p226)

 

<日の神の出現>

さて、開教宣言に戻ってみますと、

S元年にメシヤ様のお腹に光りの玉(観音様の魂)が入り見真実となられます。S6年6月15日にメシヤ様は鋸山の御神事で「霊界に於ける夜昼転換の啓示」を受けられます。そしてS25年2月4日に開教宣言をされ、「世界メシヤ教」を創立されます。その都度観音様は光明如来となられ、応身彌勒(ミロク大御神)とならせられ徐々にそのお働きが拡充されて、御佛名も仏界から神界の元の御位の御名にお戻り遊ばされる事になります。

そしてS25年6月15日御法難の最中の清水庵原署の留置所内で光りの玉〇に最高最尊の御魂ゝが降臨されます。これによって神人合一⦿となられ、そしてS28年7月の井上茂登吉邸での御神事を経てS29年6月5日メシヤ降誕宣言がありました。メシヤは国常立尊様でもあられ、裁き主ですが、同時に罪の許し主でもあられる訳で、救世主(メシヤ)としての伊都能売神様でもあられる訳で、その元は天照皇大神という事で、この三柱分の神様のお働きをメシヤ様御一柱で応変自在の御働きによって病貧争絶無の理想世界建設の雛形をつくられ、これから本番が始まろうという時に、メシヤ様は御昇天になられたのですから御経綸は一旦頓挫した形になっていたのですが、細工は流々で63年ぶりに本格稼働される瀬戸際に今居る訳です。

 

<世界メシヤ教復興>

御神業も順調に進展しつつあったものが何故頓挫してしまったのか、それは12月の骨子を見て頂けば判るのですが、要するにメシヤ様の御神格というものの認識が信者さんには的確に出来得なかったという事と、世界の物質的準備がまだ整わなかった事などが上げられますが、何といっても⦿の主の御魂の成長が地球大にまで成長され、それに見合う物質文化も完成したのですからいよいよ本番が始まる訳で、メシヤ様御在世時でやりそこなった事を着実に完遂し、穴を埋めてスタートラインに着かねばならないのです。

それを何とかやらせて頂いたのがH29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」のやり直しでした。本来ならS29年6月15日に「メシヤ降誕仮祝典」は行われて済んでいる訳なのですが、仮にも祝典ですからお祝いをお受けになるメシヤ様から一言でもお話があって然るべき筈なのですが、一言のお言葉も戴けず、首をぐるっと信者さんを見渡して御退出遊ばされたのでした。これは6月15日の10日前の6月5日に碧雲荘のお庭に粗莚を敷かれて主だった会長、資格者を招集されメシヤが降誕された事を宣言されたのですが、その状況を的確に察しする事も出来なかったが故に無言の御退出となられたのでした。つまり裁きの庭を想定する事もなく一言の御詫びも発する者が居なかったのです。そして6月15日にはこれからは「明主」から「私はメシヤとして最高の位に就いた、今日から皆は私の事をメシヤ様と呼びなさい」ときつく言われたにも拘らず、メシヤ様ではあまりに浄化がきついので、元の明主様に戻って頂きたいとの嘆願で2ヶ月後には明主様に戻られたのでした。これで折角の仮祝典も本物とはならずどころか岩戸隠れの状態になり、すっかり夜の時代の再来となり、浄霊力も芳しくなく分裂は集合とはならず拡大するばかり、救世教では最早使命遂行の本筋から大きく逸脱してしまい空前の灯と成り果てたのです。そこで細々ヨチヨチ歩きではありますがこの苦境を乗り越え本物の世界メシヤ教に今一度還る可き立ち上がったのがメシヤ教でありました。その一番目のメシヤ降誕仮祝典をクリアし、次は定山渓の伊都能売観音様を御出世させて頂いたのは、仮祝典の天照皇大御神は日の神様ですから伊都能売神様の御出世は水の神様をお出しする事で、これも無事にお出しさせて頂けましたが、今年はあと12月23日のメシヤ様の御生誕祭を残すばかりとなりましたが、この日をどのように迎えさせて頂くかが今問われている処なのですが、それは去年の12月23日に代表は神様に「世界メシヤ教復興」の誓詞を神様に捧げ、復興の誓いを新たにされたのでした。としたら、当然私達一人一人が代表に倣って誓詞を捧げたり、メシヤ様の御前に復興をお誓いするのが素直な成り行きでありましょう。

 

<開教の辞で飛ばした処>

霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不要なものは滅び有用な者のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行われなくてはならない。右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである。而もそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである。斯くの如き空前絶後の一大転機とは、何を指すのであろうか、全く何千年否何万年以前より決定していた神のプログラムなのである。

又別の言葉を借りて言えば大規模な世界的破壊と創造が行われるのである。嗚呼この様な重大時期に際会しつつある今、神の大愛は如何なる形に現れるかを知らねばならない。即ちその具体化としては一切が滅ぶものと生き残るものとの何れかに決定さるるのである。然し乍ら右は止むを得ないとしても神の恩恵は、一人でも多く滅ぶるものを救わせ給わんとして、神の代行者を選び救世の大業を行わせ給うのである。又その使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである。此の意味に於て愈々切迫せる最後の時期に当たっての活動こそ刮目すべきものがあろう。その結果我等の唱導する地上天国こそ最後の目標でなければならないのである。

と、以上を玩味して頂ければこの「開教の辞」で自分のやるべき事がはっきりするのではないでしょうか。

S30年3月3日に行わる筈だった「メシヤ降誕本祝典」は御昇天により持ち越されてしまったのですから、来年のH30年3月3日にその宿願を完遂し、愈々始まる破壊と建設の大神劇の使徒としてお使い頂く身魂にならせて頂くように一人一人が悔いのない様に、楽しく天国的に精進させて頂きたいと願っております。

最後に、今年の(H29年)の立春祭の御参拝に神界から「君達が実なんだ」との通信が来て、その意味合いは立春祭に集まった信者さん一人一人を指し、集まった人間が実である、そういう役割なんだ、そういう風に働けるように育って貰いたいとの思いが滲(にじ)んだ通信で、その時はまだ代表先生もまだ御在世でしたから、その日にメモ書きを代表先生にお渡ししたら、その後代表先生より「人数が恰度100人で、代表先生を入れて101人」という事だったとのお電話を頂いたそうです。が、代表先生は帰幽されてしまわれた訳で、連絡事項としてお出しするタイミングが延び延びになって10月に入って私の方へ伝言するようにとの事だったそうで、100人は百で「もも」と読みますから「桃」でもあり、我々は桃の実である事を言われたのでしょう。又、私の勘定では天之御中主神 から101番目が伊都能売神様ですから、千手観音様と桃太郎は同じでメシヤ様でも被在(あらせ)られる訳ですから、どうしても因縁上の繋がりは濃いと言ってもいいのでしょう。お互いに肚を据えて参りましょう。

これで終わりと思ってましたが、追加分として参考にして頂きたいと思います。

平成は昭和と連動しているもう一つの例となるかも知れません。「大メシヤの大経綸」のp8の「S29年2月4日」が「H29年2月4日」と連動していれば、「S29年2月4日」の立春から「今までは霊界の審判をなされていたものが、現界の審判をされる初日である」、「今までは陰の守護でありたが、今度は表の守護になるぞよ」、「すべてが現界的になる訳ですそうすると、今日は最後の審判の初日という訳です」との部分も、或いは今年の立春まで繰り越された可能性もあると考えられるとすれば、将に今年の立春が最後の審判の初日であり、本当に正念場でしょうね。

と書いてお送りしましたが、早速お返事を頂いて大体、良いのではないだろうか。

・自分達が楽しく御用をする前に、昭和にはなされなかった自分達の中にある悪を詫びる、真の詫びが先に来るのが道理ではないか?

と戴きました。

まさにその通りで、前回に「僕がこれに死する処を黙してみてくれよ」では、夜の世界の悲壮感が出てまして、それでは地獄的で独りよがりの自己満足でしかなく、結局は何の成果もなく今日まで来てしまったのも、自分の曇りであり、何の御詫びもしないに等しい人生ではありました。

神様は人間の為に凡ゆる喜びをお与え下さり、浄霊法という自分でできる健康法までお与え下さっているのに、何のお返しもできていません。これでは神様からの借金が増えるばかりで、増々曇りが増えるばかりでこれではしようがないのですが、人間は愚かなもので、神様には要求する事ばかりで、それが叶わなければ嘆くばかりで、それが過ぎれば神様に無関心という、全く手に負えない悪の権化であります。

人のものを盗むとか、危害を加えるというような悪はやらないにしても、神様に対しての御無礼や無関心という悪こそどうしても取って行かなくてはならない最大の課題で、本当の心からの御詫びが第一等と肝に銘じてお詫びを申し上げる次第です。此の度の御指摘誠にありがとうございました。

 

2017年・H29年・12月7日AM2:15       庭山光太郎

・12月14日AM1:35

 

[研鑽資料no.14メシヤ講座no.202の骨子 2017(平成29)年12月14日]

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