教団改革の精神 その2

「世界救世(きゅうせい)教」の内紛、分裂の真相を基に改革を 2

「世界救世(きゅうせい)教」内の勘違い

「新生協議会」は、“錦の御旗”を得ようと三代教主様を総裁として担ぎました。着任いただくことにより、教権を得たかの如き動きをします。

これに対して中村力総長(当時)は、教権に基づいて「新生協議会」の解散を命じ、再度「教団護持委員会」を組織することを告げる「所信表明」(昭和59年10月30日)を執り行いました。

この「所信表明」は素晴らしい内容でした。「正常化委員会」が“一元化により信仰が変質したので改革をする”と表ての理由とした内容を論理的にまとめ、教規、規則、規定に則った名文でした。「宗教史に残る文章」と言っても過言ではないでしょう。

また、その文章を理解することのできる職員と信者が僅かでも存在したことが、教団にとって救いだったと思われます。

しかし、真実を隠し“表ての理由”だけで動いていた「新生協議会」は、教義論争もできず、ただただ組織論のみで「教団護持委員会」を消滅させるために動きました。そのために両者の間で熾烈な争いが繰り拡げられたのです。

≪その時点での構図≫

HP_教団概要_設立趣旨_教団改革の精神_その2a「新生協議会」は、三代教主様のご出座を仰ぎ全国各地で大会を開催しつつ、「教団護持委員会」を支持する職員へ圧力(給与の支給に関することをはじめとした)を掛けます。圧力には、「おひかり」のご下付や祖霊祭祀事務に関わることも含まれます。

しかし、「新生協議会」の非は明らかですので、約1500世帯でスタートした「教団護持委員会」支持信者もやがて10倍に膨れ上がってゆきます。

また、「新生協議会」の非を雄弁に語っている事態が後に起こります。「新生協議会」は二分し、新生派(現・いづのめ教団)と再建派(現・東方之光教団)が派生します。これに関しては、先に靡(なび)いた理由として挙げた賄賂性のある問題の所得税法違反の時効を迎えたことが要因だという見方が強いようです。そうした再建派の無節操な動きに異を唱えた松本康嗣氏(いづのめ教団前代表=岡田茂吉全集発刊を進めた責任者)は、新生派に留まったとされています。

こうした動きの中で、よく解っていなくてはならないことは「教権」の所在と「教主様」の座を「象徴」にしている理由です。そのことに視点を移せば、「新生協議会」、そして後の新生派(いづのめ教団)と再建派(東方之光教団)は大きな過ちを繰り返していることが把握できます。

というのは、「教権」の所在はあくまで総長職にあります。総長職の発する指示こそ何に対しても優るのです。

また、現在各種問題を抱えている「神慈秀明会」は、一元化に反対した三代教主様の依頼によって離脱した、と言われています。その実情を明らかにするサイトで解説されていますので、詳細はそちらに譲るとして、一元化を成し遂げた首脳者(大半が再建派)はせっかく構築した教規、規則、規定を済(な)し崩しにしてしまったのです。それほど切羽詰まっていたのでしょう。

また、新生派は「象徴」の座は本来世俗的な責任が及ばないような仕組みであるはずなのに、責任を及ぼすことが予測される方策を平気で遂行したのです。その結果、後に三代教主様は辞任せざるを得なくなってしまいました。どちらの派も脛(すね)に傷を持つ訳ですから、利用できるものは何でも利用する構えだったのでしょう。

人間の弱さとは言え、“自派中心の動き”に対して現・東方之光教団や現・いづのめ教団に所属する信者さん方が知るところとなれば、所属団体で信仰する価値を持ち続けることができるのでしょうか。

≪新たな構図≫

HP_教団概要_設立趣旨_教団改革の精神_その2bこうした構図になった段階で、「新生協議会」から割れた新生、再建の両派は“ウソの上塗り”を重ねるしかなく、そこから目を逸(そ)らすために新たな活動方針を矢継ぎ早に発表して行ったのです。発表する際に使用される言葉が、「御経綸」「御神業」「御神意」などなどです。

本来の意味とは違ったところで都合よく使用されて、いい迷惑なのが両派所属の信者さん方です。

教団改革の精神 その3

教団改革の精神 その1

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