メシヤ講座no.196三重(平成29年7月)

 

<今月の学び>

「地上天国祭」の意義と想念のあり方

 

【メシヤ講座 三重支部】

 

平成二十九年六月十五日「地上天国祭」の意義と想念のあり方について

 

 

支部長代理

難しい文章かと思いますが、このような思いで祭典に臨んで頂きたかったんですよ、ということです。

ここに(図表)書いたのは、「「地上天国祭」の意義と想念のあり方について」を時系列に並べたものです。六月十五日の意義という事で地上天国祭を執り行いますが、天照皇大御神様のお誕生日でもありますよ、というのが六月十五日ね。霊界の大きな転換を迎える重要な節目になります。また、夜昼転換の啓示があったのが昭和六年六月十五日です。昭和九年にはですね、日枝神社に天照皇大御神様をお迎えしております。そして、昭和二十五年にはですね、ミクラタナの神様をメシヤ様の腹中の光の玉にお迎えしております。元々、光の玉は腹中におありになったところにミクラタナの神様、チョンが入られたのが昭和二十五年であります。この、昭和二十九年六月五日には、熱海の碧雲荘においてメシヤ降誕宣言という事で、『メシヤになったのです』という宣言がございました。これは先ほどありました、莚敷きのところに先達を並べてお詫びの型をとられたという事であります。それで、昭和二十九年六月十五日メシヤ降誕仮祝典が挙行されました。御神名が天照皇大御神でしたという事で、これは、先達の岩松栄先生の「一厘の神魂」という本の中にも出てくるんですけども、

 

天照皇大神守り給へ幸倍賜へ 惟神霊幸倍坐せ と奏上し終わって理事長は人類の三千年来の罪穢れのお許しを庶幾(こいねが)い上げ奉りました。

 

という事で、御神名が天照皇大御神であったという事と御詫びの祭典であったという事が当時の先達の言葉からも判ると思います。それで、やり直しの意味も込めておりますという事で、平成の、この前の祭典の時に箱根及び熱海での祭典を行いました。そういうことが書いてあります。ここが分かっていないと三十年三月三日に向けての話しが中々と出来ていきませんのでお話しました。

それで、側近者が賜ったお言葉という事で、昭和二十九年当時の話しをしておきたいと思います。

 

側近者のお話1(昭和二十九年七月二十五日)

現実の破壊と創造は来年より三年間で行われる。

正しい人間の喜びは予想もつかぬほど大きいのである。腰抜かすような大きい経綸行われ、天地上下引っくり返るのである。

今、霊界に行ったなら魂は落ち、一千年間は此世に生まれさせていただくことは出来ない。

三月三日まで少しでも徳を積み、善き行いをしておかねばならない。

人間は一生修行である。信者でも二割位はむつかしいであろう。

本当に改心すれば大峠も易く越せるものである。

然し、神様はどんなにしてもお救い給わる故、決して自分が水晶世界に残れぬなどと考えてはいけないのである。

之からは改心すれば薬毒もそれだけ消して頂けるのである。

二十九年六月十五日から本当の世界歴史が初まるのである。

祭典に御参拝することは特別の大きい神の恩恵である。メシヤ様お出ましにならぬとも今一番重要な事である。

今まで非常にご多忙であらせられたのも必要あって神様が遊ばした事である。

いつも我々は自分を省みてさえおれば良い。

罪深きとか、自分は駄目だとか決して思ってはいけない。

罪は改心さえすればお許しになるのである。

 

支部長代理

厳しくとも愛情あるありがたい温かいお言葉ではないでしょうか。

この先達はメシヤ様のおそばにあって六月十五日にメシヤ降誕仮祝典を挙行されて、三月三日を迎えるまでの、緊迫した状況を吐露されているのではないかと思われます。

誰がとか、そういう事は言えないんですけども、昭和のことですが、平成の今のこの時期にピッタリ当てはまってくるんではないかと思いまして紹介させて頂きました。

 

側近者のお話2(二十九年七月)

『真に水晶世界になる時は、薬毒は一瞬にして全消すべし。その際、あまりに多量に注ぎいるものは命失う事あるべし、従って子孫に及ぶ事も非ざるべし』

『あまりに大量に注ぎいる者は命失う事あるべし』とのお言葉ありしよしなり。『従って子孫に及ぶ事も非ざるべし。』

『いよいよ水晶世界となる訳にて人民としては急の切替は出来ない。それ故来年の三月までは猶予期間をお与えになりすべての準備をなさしめ給う』

 

支部長代理

と、ちょっと、怖いですけども。水晶世界になった時には一気に薬毒が消滅する。その時に体が耐えれるかどうか。

これは昭和の時に言っておられます。これ自体が猶予期間というのが神の恩恵だと思いまして。

3月を過ぎると仔細な事でも許されなくなると。

私たちは平成の時代にあって、平成三十年三月三日までに皆が高まってメシヤ様をお迎えし、水晶世界を迎えなければ、水晶世界にあって薬毒の全消に耐えうる体になっていなければいけないのではないでしょうか。

 

側近者のお話3(昭和二十九年八月)

少しのことにも気配り出来ぬ者は御用におつかいにはなれぬ。

 

側近者のお話4(昭和二十九年十二月十一日)

今度は一千人くらいの御浄霊を賜るに一分。一分とかからない。今までは考えてものをするということもあったが、メシヤ様とおなりになられてからはまるで違って予定が急に変更されることがありまるで分らない。

 

支部長代理

という御言葉があったそうです。

 

側近者のお話5(昭和三十年一月)

これからは想念が大事であって今は御光が非常に強くなっているのであるからよくメシヤ様と心でお願いして浄霊すれば大抵な浄化は治るよ

 

ある奉仕者がメシヤ様から賜ったお言葉(昭和二十九年七月)

『毎日御神書拝読せよ。神様は厳しいから少しの邪念も許されぬ。きっとお許しがあるから楽しみに修行せよ。』

『御教えのすべては御讃歌にあり。之をなんべんも拝読すれば分かってくる』

 

支部長代理

御歌の重要性を教えていただいてます。

 

『身魂磨きの一番の御教えは御讃歌に全部書いてある。心を潜めて拝読すべきである。』

 

支部長代理

御歌というのは非常に大事なんです。文章だと検閲されたりしていたんですね。お歌は三十一文字の中に思いが込められていると思いますので、そういうお歌の読み方をしていただければいいのではないかと思います。

今頂いている御垂示も非常に厳しいです。しかし愛情があります。

 

『きっとお許しがあるから楽しみに修行せよ。』

 

支部長代理

楽しんで修行、御教え拝読を実践していきましょう。

 

次にこの度の祭典について信者さん方に賜った御垂示をお伝え致します。

【御垂示】

・今回は自分の中で高める努力をしてきた者と、今までとそう変わらない者との差がはっきりと出た祭典だった。

・ちょうど二手に分かれた様な格好になった。

・仮祝典を執り行ったという事は、神様がお出ましになったという事。

・お出ましになったという事は全員のあり方、そのものをご覧になったという事。

・今回は主要な立場がある者がどれだけその立場に相応しく目覚めるか、自覚して動けるかが主なところだったので、(一般信者さん方のあり方に対して)お許しがあるかないかは別として、第一関門は通過した事には変わりはない。

・そしてこれからはその評価対象は主要な立場ある者から一般の信者までの全体に拡大される。

 

楳木先生から信者さん全員に向けた伝言

・今までは何気なくさせて頂いていた事が出来なくなる(止まる)。

・より気を引き締めて、お詫びをし、やり直す事。

 

この内容は、今までは許されていた事もそれは今までのレベルだったからで、仮祝典以降はそれまでとの差が出来ているので今までと同じという訳にはいかない、道理に合わない事はすぐ正される様になる、だから今まで以上に気を引き締めて気付かせて頂いた事はすぐお詫びをし、自分を修正させて頂いて本物に近付く様に、という意味です。

裏を返すと向上が許されるまでに来たからこそ道理に合わない事は指摘される、そこまでいかなければ指摘されないまま罪を重ね続けるという事だ、という部分まで伝わるものでした。

 

【御垂示】

仮祝典を挙行したという事はそこに身を置いた人間のこれまでのあり方、状態、生き方そのままを神様がご覧になった(神様がお出ましになった→成功)という事なのだという意味が入っています。

そして霊界(神界)では審査というか会議の様なものがあり、一人一人が会議にかけられて審査されているとの事でした。

一人一人の良いところや要修正箇所等が、その人の特徴や役割に応じて判断されているとの事で、今厳密に審査されているそうです。

その修正箇所は一人一人に言い渡され、色んな形で本人に分かる様に提示されますので、提示された箇所に気が付いたらお詫びをして、きちんと直して、これから光が強くなって更に厳しくなる時期を進ませて頂く様に、との指示がありました(浄化なのだから、ありがたく受けて綺麗にならなければ、との事です)。

 

メシヤ様の根源、天照皇大御神様をお迎えして更に神様とご縁を太くさせて頂きましたので、大浄化時代にあってもしっかりと動ける様な光の強さに相応しい人間にして頂く、救う側に回して頂く第一歩なのだ、という事を強調しているものでした。

そしてこれらをただ恐れるのではなく、受け止め方として、“神様をお迎えしての事であって、神様と意思を交わして行われる浄化、向上が許されるのだから神からの恩恵・大愛である”という見方をして下さい。

これからの強い力は、人間にとって時代に適応させて頂く力にもなり、また淘汰させる力ともなる。

 

先程仮祝典に身を置いた者と書きましたが、勿論そこに繋がる方、神様をお迎えする事に心を寄せていらした方も含みますので、当日御参拝出来なかった方もその審査対象に入ると思われます。

 

先生に近いところまでを目指さなければならない、そして一般の信者さんが向上を許される様にお世話をしていかなくてはいけない。そのお世話によって一般の信者さん達も、救われながら救う側へと転換させて頂ける様になっていかなければならない、皆が神様との距離が近くなる様に、皆が幸せになる様に、という事でした。

 

信者全員がどれだけ向上出来るか、人を救う側として向上させて頂けるかが問われてきます。

 

法則がその様に作用して直接自分達に向上を求めてきますので、気を引き締めていかなければならない、そして来年の3月3日に向けて全員でメシヤ様をお迎えする事が出来る様にしていかなければならない。

 

  • 今までは理論立ててやってきたのだから、今度はそこに実が加わらなくてはいけない。
  • 加わる為には今まで積み重ねて来たものの中にある不要になった部分を溶かして、剥がして、捨て去らなくては再生出来ない。
  • こうして綺麗になっていく。
  • 向上しないと幸せになれない。
  • 全員、下の者までが今より神との距離を縮めなくてはいけない。
  • 全員が幸せになっていかなくてはいけない。

 

支部長代理

それで、ありがたいことに、浄化の必要性、向上するとはどういうことだということを教えていただいています。

 

【御垂示】

御教えに精通している人たちはどこにでもいます。その知識を活かすのは人間のあり方です。一般の方が知らないような御教えや教団の事情を知っていても、それを知っているというだけで何もしない。ただ文句を言っているだけでは知識が反対に罪を構成することになっています。という根本的なことに気付いてないんですよと、御教えを知っているだけで、それを振りかざして話をしているだけでは、行動が伴ってなければ逆に罪になってしまいますと。本当の智慧というのは他の人を向上させよう、救おうという心、あり方、行動、愛情、そういうものがあってこそいただけるものなのです。御教えもそういう他の人を思う心に御教えをのせてこそ力が発揮されるんです。どんなに未熟でも本当に神意に沿って動いているのであれば必要な事は教えるように手はずは整う。

 

支部長代理

まだ勉強してないのにとかいうよりも相手と向かい合った時に、昔聞いていたメシヤ講座が口から出てきて喋れる。とかありますよね。

 

【御垂示】

そういうものだから、ただ多くを知っているからといって脇であれこれ言うだけで何もしないよりは、未熟でも間違っても何でも構わないから、しっかりと自分に与えられたことを舞台の上で行っている方が良いのだ。だからこそ浄化が必要でありがたいものなのだ。より本来の自分に近づかせて頂けるんです。そして神様の意志を行動に表す人間にならせていただけるのだから向上するとはこういう事なんだと。

 

霊層界について

支部長代理

 

(図1)

この漫画(図1)は何回も使っているんですけども、霊層界の御教えを図にしたもので、天国、八衢、地獄、60段60段60段の180段あって、一番上に主神様がおられます。

この人間の体、肉体の周りに同じ形で霊体がありまして、肉体と霊体がくっついている時は現界にいますけども、幽体がこのどこかに属していますと。人間が死んだ場合肉体は離れるので、霊体が離れて幽体と同じような形でくっつくそうです。

要はここのどこの階級に属するかで幸せ不幸が決まってきます。これは決定的なんですということと、主宰神、神様からこのどこかに所属している幽体に対して命令が下ります。命令が下ると幽体は霊体に反映されます。霊体は肉体に反映されます。霊体が肉体を支配していると、幽体は霊体を支配している。そういう構造だそうです。決定的と書いてありますね。ということで、上手くいかないとか予想外だとか、幽体の運命に左右される法則になっておりますので、善を行って徳を重ねていけば罪穢が減少していくから軽くなっていきます。悪事を行い罪を重ねれば罪穢が増えていきますので重くなってきます。そういうことで昔は罪の重荷という言葉を使っていました。だから善悪の心言行そのままが霊線によって神様へ直通しているんです。

この間、宿命の範囲は越える事はできないんですけども、運命は常に上下していて善を積めば上がるので、悪いことをすれば地獄に近づきます、この線を越えた時には、範囲外へ出てしまうと運命が急転すると。良い時に急転する時も悪い時に急転する時もある。悪いことを行っていけば地獄に近づく線に行くわけですから急転して悪いことが起ってくる。良い方にいけば急にお金が入ってくるとか、そういったことが起きてくると書いてありましたね。

今のは御教えそのままの話しですからね。

 

<補記>

後日、「宿命の範囲は越える事はできない」「この線を越えた時には、範囲外へ出てしまうと運命が急転する」この受け止め方についてある方と学びを深める中で、運命が急転するというのは、八街から天国へ行けるのではないか。との思いに至り、他の御教えを調べましたら、

『宿命といっても、地獄の宿命、天国の宿命というのはないのです。今の宿命、運命というのは階級です。天国、地獄ということとは関係ありません。』という御教えがございましたので、八街から天国へいけますね。宿命の階級が天国にかかっていると思わせていただいて運命の範囲を逸脱して天国の住民になりみんなを引き上げて行く。そういうふうに受け止めれば良いのではないかと思います。

 

【御教え】『御垂示録』24号、昭和28(1953)年9月15日

 

「人間の宿命は上中下のうち一段で、その上にも下にも行けないということでございますが、地獄的苦しみから天国的状態に変わることがありますが、そこに矛盾を感じます」

 

それは違います。宿命といっても、地獄の宿命、天国の宿命というのはないのです。今の宿命、運命というのは階級です。天国、地獄ということとは関係ありません。例えてみれば、人の上に立つ人間、親分とか首脳者になる者はもう決まっているのです。それで親分になる人は必ず良くなります。乞食になっても、そういうのは乞食の親分になります。それからどんなに偉い人でも、親分になれない人は、番頭とか支配人になります。そういうように決まっているので、これが 宿命です。またそれでなければその人としての本当の発揮ができないのです。植物でいえば蔓性植物と言ってからむのがありますが、人間でも同じで、竹なら竹がなければ、それに巻きつけないから生存ができないのです。それと同じで、誰かに頼らなければ生きて行けないのがあります。それからまた痩せても枯れても親分にならなければならない人があります。からませるほうですが、それはその人の宿命です。ですからそういう宿命がない人が無理に親分になろうとすると失 敗するのです。私は昔からどこに行っても、乾分(こぶん)はできるのですが、決して私を引き立てるとか、私が助けられるという場合はないのです。私は、私 には助けられるという性能はないと思って諦めていました。何かにすがることはできないのです。ですから最初は親しくしていても、後になると先方で相談にくるようになるのです。私は信仰にはいる前から、誰かに相談するということはできなかったのです。どうも後になると先のほうが下になってしまうのです。それは私が大木のような宿命だからなのです。それが宿命というものです。それは生まれながらにしてそういうようにできているのです。労働者などでたまたま出世 しても、宿命が相応しないのは、やっぱり落ちてしまいます。それからまた少し出世した人が、労働者とかを見て、なぜ一生懸命にやって出世しないのだろうと思うことがありますが、それはそうではないので、その人はそれで満足しているので、それが宿命です。ただその宿命の中で上になったり下になったりするのは 自由で、それが運命です。ですから運命は自分で変えることはできますが、宿命を破ることはできません。宿命というのは限定したものです。しかし運命というのは宿命の最高にまではなれるのです。ですから人に使われる者としての最高になるのは、店の番頭とか支配人とかですが、それは親分に使われる者の中では最高のものです。その最高のところまでは行けるのが運命です。ですから運命は変えられるが、宿命は変えられないのです。

 

「商売人に向くとか農業に向いているという、人間の職業も宿命に関係があるものでございましょうか」

 

それが宿命です。それで同じ農家になっても、上になったり下になったりします。小作になったり自作になったりするのは運命です。

 

「宿命ということと幸福とは関係がありますでしょうか」

 

あります。例えてみれば、生まれながらにして非常に良い所に生まれて、一生身分が良いということは、苦しまずに済んでいるから幸福です。それは幸福の宿命を持っているわけです。また同じ幸福でも、身分だけが良くて、あとがはなはだよろしくないということもありますが、それは運命が悪いのです。

 

(図2)

これ(図2)はイメージとしてね。霊界がフィルムのようなものとすると、現界に反映してくるというイメージですよと。『私達の住んでいる世界を現界といい、現界に起こることは目で見ることができます。しかし、実は霊界という目に見えぬ世界があり、現界は霊界から支配されています。善いことにせよ、悪いことにせよ現界に起こることは霊界に起こったことが反映したものなのです。』

目に見えないことだけども善を積み重ねることで霊籍を向上、幽体の居所を向上させていくのが良いんですよということです

ここまでは復習ですね。

 

観音経に学ぶ

支部長代理

観音経ってご存知、お母さん?

 

参加者

……。

 

支部長代理

(図3)

法華経の二十五番目の観音経と言いますよね。メシヤ様が善言讃詞を御作りになる時に観音経を基に作られたということですけども、関わりがあるかというと…、どういう事が書かれているかというと、ちょっと図書館で借りてきて読んでたら面白いことがあったんで紹介させていただきます(図3)。

 

無尽意。観世音菩薩。有如是等。大威神力。多所饒益。是故衆生。常応心念。

 

若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。

無尽意よ、観世音菩薩は、是(か)くの如き等(とう)の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。

是の故に衆生、常に応(まさ)に心に念ずべし。

 

若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。

「もし、おろかなこころに陥ったらいつでもこころから観世音菩薩と念ずれば即座におろかなこころから脱することができよう」

 

過ぎ去ってしまった時間のことを過去といいます。

そんなことは誰でも知っているのに、どうにも取り返しがつかない過去のことにいつまでもこだわって

「・・・・たらなあ!」「・・・ればなあ!」「・・・たのに!」と嘆くのはどうしてでしょう。

これを「愚癡(ぐち)」といって心の毒です。

「愚」は「猿の仲間で、一番頭の働きが鈍いもの」という意味の字です。

「癡」は「痴」とも書きます。「痴」は知恵が病気になっているのです。

病気になった知恵が「・・・ればなあ!」「・・・たらなあ!」と繰言(くりごと)を言わせているのです

 

繰言(くりごと)

同じ事を繰り返して言うこと。特に、泣き事や不平などを、くどくどと言うこと。また、その言葉。「繰り言を聞かされる」

 

愚かであるということは、知識や教養が無いことではまったくありません。

「智慧」が無いということです。これは仏教の話。

事実知識や教養が無くとも人間として立派な人はたくさんいますし、その逆どんなに教養や地位、と名誉があっても愚かな行為をしてしまう人もいますね。それは「智慧」が無いからです。

実際知識が犯罪に利用されたり、教養が必ずしも欲望や犯罪の抑止力になっていないこともありますね。オレオレ詐欺が劇場型に進化して成果?を上げているのも知識を振り絞って研究?している結果なのです。 因果応報という「智慧」を心得ていれば決してできないことなのに・・・ですね。

「智慧」を持ちその智慧に基づいた行動のできる人をほんとうにエライ人、立派な人と言うのです。

その智慧こそ言うまでもない宇宙悠久の真理法則のことであり別名「般若」とも言います。

智慧がないから人は間違いをしでかしたり、悩み苦しむのです。

 

支部長代理

仏教の目的とはただ一つこの智慧を人類に知らしめることにあるという事です。

メシヤ講座にありましたが、お釈迦様が言いましたが、人間の不幸は無智なことなんだと、無智は不幸な事ですよと。

また、メシヤ講座特選集(№122・平成23年3月分)では、「智慧証覚得るには御教え拝読は欠かせない」とご教導いただきました。

 

その智慧により一切衆生が「心から観世音菩薩を念じることで、愚痴という迷いの世界を離れ涅槃の世界へ入る」ことを仏陀は切に願っているのです。

智慧を身につけかけがえのない人生を是非有意義なものにしたいものです。

 

「無尽意菩薩よ、このように観世音菩薩の力はすぐれたものであり、饒益(他人に利益を与えるところ)が大きいのだよ。

だから、衆生は常に観世音菩薩を一心に念ずべきなのです」と、お釈迦さまはこのように仰せです。

 

人間の内なる三毒(淫欲を慈悲心に、瞋恚を勇猛心)のうち、愚痴を智慧にそれぞれ転換させてくれる観音さまの功徳を説いたものです。

 

支部長代理

メシヤ講座・特選集十一(平成十三年十月分)に、

「空気だって吸わないと生きていけない。つまり、生きること自体があらゆるものに頼っているということなのです。空気については以前も話しましたね。酸素の濃度はどのようにして一定に保たれているのか。海水の塩分の濃度はどのような仕組みで一定に保たれているのか。そのような事を一つひとつ認識していくことが、成長するということです。そして認識すればするほど、自然に感謝の念が湧いてくるものです。メシヤ様は『信仰は 真の智慧なり証覚(さとり)なり 証覚なくして感謝うまれず』と詠んでいます。日々の学びが無いと、感謝というものは生まれないし、感謝の心を持てない人は、勉強不足の哀れな人ということになりますね。」

と学んでおりますし、『入門と奥座敷』の作成に当たって、メシヤ講座・特選集(№167・平成26年12月分)で、

「最後にメシヤ教は平成27年から更に新しい体制づくりをしてまいります。そのために浄霊の基本等・・・、初めて浄霊に触れた人、メシヤ様という御存在を今まで一度も認識したことのなかった人達のために本をこれから作成していきます。その中身はまずメシヤ様という、神界から人間の体を持って降臨して来てくださって、そして、人間としての御苦労を総嘗めのように体験されてその中から『人類を救済する智慧』というものを私達に与えて下さいました。そのメシヤ様に直(じか)に繋(つな)がっていく。

メシヤ様が神界からわざわざ人類を救うために降臨して来てくださって、そうした力を授けてくださるという、その御神慮に一層感謝しながら、その救済するというメシヤ様に想念で繋(つな)がって行くというのが一番根本でありますので、この根本を中心にして、そして、メシヤ様の御教えに基づいて浄霊の基本形を図解を以て理解しやすいような本をこれから作成していきます。

そうしたものを活用していただいて一人でも多くの方々にメシヤ様と直(じか)に繋(つな)がっていただいてその繋がりを太めていただく中で御守護いただく、そういう人を増やして行っていただきたい、というふうに思います。」

 

「智慧証覚得るには御教え拝読は欠かせない」という見出しでは、

「(質問者)

そうしますとその御経綸ということを自分なりに理解しようとすれば、普通の考え方ではなくて全く違うところからの考え方が無ければいけませんね。

(楳木代表)

ですので、全く違うところからの考え方が必要というよりも、智慧証覚(ちえしょうかく)がないといけないということですね。それでこの智慧証覚(ちえしょうかく)を得るためには御教え拝読が欠かせないわけですね。ですから日々御教え拝読をしながら物事を見て行くと大体当たってくると思います。これが智慧証覚(ちえしょうかく)、叡智が閃(ひらめ)いていく生活になってくるのだと思います。そういうふうに捉えて行って頂ければいいんじゃないかなと思います。」

と御教導賜りました。

 

先ほどの話にあった、病気になった知恵が「・・・ればなあ!」「・・・たらなあ!」と繰言(くりごと)を言わせているのです。愚かであるということは、知識や教養が無いことではまったくありません。智慧がないということです。

私たちは日々御教えを拝読し、智慧証覚を得て今ある問題、これから起きてくるであろう様々なことに対処していかねばなりません。

私ごとですが、パソコンでハマグチと打つと「濱愚痴」と出てきていつも考えさせられます。

「・・・・たらなあ!」「・・・ればなあ!」「・・・たのに!」とか言わないように考えて……。

「知恵」が病となってはいけませんと、心しましょうと。自分への戒めです。

 

産土神社について

支部長代理

私の家の近くの産土神社に行って、こういうのが置いてあってもらってきたんです。面白いことが書いてありますので参考に聞いて下さい。

 

<参考資料>

成功している人は何故神社に参拝に行くのか?

あなたはもう、神さまに目を付けられてしまっている!?

本書を手にとってくださって、ありがとうございます。あなたは、神さまよりひとつお役目をさずかりました。そのお役目とは……。

神社に来て「世の中をよくしなさい」というお役目です。

いまや世界中から神社にお参りに来る時代。

神社の神さまは、世の中をよりよくする「成功していく人」を増やすために、いよいよ大きく動き出しているのです。

もちろん、この本を手にとってしまったあなたも神さまに目を付けられたひとりなのです。ホントですよ。

「神社に行くと成功する?そんなバカな(でも、ちょっと気になる……)」

「神さまには願いごとをするものじゃないよ。神社は感謝するところだから」

こんなふうに思われた方もいるでしょう。

日本に住む人ならば、きっとそれぞれ神社へのイメージがありますね。

本書では主に2つの視点から、神社の「見えない仕組み」をひもといています。

ひとつは「統計データ」から。もうひとつは「触覚」からです。

ただ神社の空間にいるだけで、あなたと神さまはコミュニケーションしているのです。

「神さまって……なに?私たちとどう関わっているの?」

こう思う方もいるでしょう。なにせ実態がないのでうから。

神さまとはいわば「知的な空気」です。意思と目的をもった透明な存在です。

風や雲のように移動します。

注意すれば誰もがその存在に気がつきます。

「え~、私にも、わかるのかな~?」

そう思われる方もいるかもしれませんが、大丈夫。

なにも特別な力は必要ありません。神さまのサインに気づくのは、すごくかんたん。これまで僕と一緒に神社に参拝した人たちも、教えるとすぐにわかりました。

「ほら、風が吹いてきた。これが神さまのサインだよ」

「ああ、あの雲が龍神さまなんですね~!」

ほんと、こんな感じです。

風を感じたことのある人なら、わかります。

もしコツを一言でいうなら『見る以外』を意識すること。

人間は主に視覚と聴覚で情報を得ますから、どうしても「見て聞いて」しようとするクセがあるのですね。

でも神さまって見えないし、しゃべらない。

だかあら「感じる」ことが大切です。人や動物が近くにいると、存在を感じますよね。大自然の中にいると「気持ちいい」と感じます。その感覚です。

その感覚をもっと意識すれば、「目に見えない世界」がどんどん開かれるでしょう。

(詳しくは、メシヤ教 三重支部サイト「産土神社について」を参照ください。)

 

支部長代理

神さまと感じることだと。お母さんは見えるけどね。僕もさっき感じました。浄霊させていただいてる時にここがグーッと熱くなってきた。そういう感じ方、いつもと全然違う。

参加者

御神体の⦿の御文字の大きさ位の円が金色に光っていくつもパッパッパッと神床中にあらわれています。いつもは白色だったんですが、今日は金色に光っているんです。初めてです。

支部長代理

見えないものを感じる感覚を磨いていきたいですね。

 

<補記>

支部長代理

最近になってメシヤ様をお迎えさせて頂くために、あらゆる神様もお働きくださっておられる。活動されておられるのだということをヒシヒシと感じます。今回のように今まで置いていなかった資料が置かれていたり、以前紹介させて頂いた加良比乃神社 では、「最近参拝者が増えたので」とお掃除されて境内に木や花を植えられたり、参拝者名簿が備え付けられ、今までなかった案内書が置かれていたりするのです。そういったことを感じましたので、今回「産土神社について」お話させていただいたわけです。

 

支部長代理

産土神で気になったので、御教えを検索して調べましたら、観音講座の天照皇大御神の項目のところですね。

 

【御教え】観音講座  第七講座 昭和10(1935)年9月15日

『天照皇大御神

天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)を無視しているのである。天照皇大御神様を無視する事は我皇室を恐れながら無視していると言われても致し方ない訳である。町内の会合は産土神社で行えば良い。いかにしても今後この通りになるのであるからそれをやれば良いのだ。産土神社の前で協議すれば利権や賄賂の問題なぞは起きない。』

 

支部長代理

神様の前で会議をしたら賄賂の話しにはなりませんよということ、産土神社の必要性みたいなことが書かれています。

 

【御教え】夫婦の道  信仰雑話 昭和23年9月5日

『近来、見合結婚が良いか、恋愛結婚が良いかは相当やかましく論じられている。しかしながら、これを霊的に解釈をする時は、どういう訳になるかを説いてみよう。

わが国は、都会はもとよりいかなる山間僻地といえども、必ず鎮守様、すなわち産土の神様が鎮まりいます産土神社、または氏神様がある。これはちょうど現界における区役所のようなもので、人間社会における冠婚葬祭はもとより、出産等に至るまで、産土の神様が担任されておらるるのである。昔から子が産まれるや、必ずお宮詣りに行く習慣があるが、これは子供を授けて下さった神様にお礼詣りをするのである。これと同様結婚においても産土神が男女を結合させるので、その際恋愛による場合と、見合いによる場合と、いずれも産土神の思召によるのである。しかし、それを知らない人間は、人為的に成立するものと思うため、世間に沢山ある夫婦喧嘩の末「貴様出て行け」などと言うのは、いかに間違っているかという事である。せっかく神様の思召によって結ばれた妻であり、夫であるものを、人間が勝手にどうこういう事は、神様に対してはなはだしい無礼となるではないか。いかに気にいらぬ夫でも、気にいらぬ妻でも、縁があって神様が決めてくださった以上、おろそかに思う事は申しわけない訳で、有難く感謝すべきである。故にその事を知って、感謝の心を持って見直したならば、よい妻であり、よい夫であると思えるようになる事は請け合いである。

今一つ重要な事があるが、それは子供の死であって、その原因たるや夫の不品行にもとづくのである。例えば妻以外の女との関係がそれで、この罪は重大であって、ほとんど死に価する程のものである。しかも世の中には妾を二人も三人も中には十数人に及ぶものさえあるという事を聞くが、実に恐ろしい事である。これらの罪を霊界における祖霊は非常に怒るばかりか、子孫繁栄の妨げとなり、罪の重さによっては一家断絶の不幸に陥る事さえあるので、祖霊は極力止めようとしてあらゆる手段をつくすが、なかなか目覚めないものである。しかも、罪はますます増大する以上、早くその罪を贖(あがな)わなければならない。それには主人たるべきものが責任を負うべきであるが、そうなると、家族の生活や将来に悪影響を及ぼす事になるから、祖霊は主人の身代りとして子供を犠牲に供するのである。このような事は、世間にあまりに多いものであるから、読者諸士は注意を払われたい。必ず思いあたる事があるはずである。

そうして夫婦喧嘩の主なる原因は、第一が妻君の嫉妬、第二は生活難であろう。故に、前述のごとき霊的事情を主人が認識するとしたら、嫉妬の原因はなくなる訳で、夫婦は神様の御意志で結ばれた事や、妻以外の婦人関係は重罪にあたる事を認識したならば、良き夫となり、良き妻となり、夫婦円満にならざるを得ないであろう。これは、決して夫婦円満にするための作り話ではない。事実長年にわたり幾多の経験とあいまって、神様から教えられたものである以上、一点の嘘もない事を断言する。

聖書の中から右に関した教えを左に記してみよう。

神の合わせたるものを、人たるもの離すべからず。

人はその妻に合い、二人の者一体となるべし。

汝の妻をもて足れりとせよ。

私は、この一文を世の既婚者諸君に呈するものである。』

 

【御教え】奇蹟の解剖 栄光107号昭和26年6月6日

(前略)

『そもそも人間には本、正、副の三つの守護神がある。この関係は以前かいた事があるから略すが、右の中の正守護神とは、祖霊の中から選ばれた霊で、危急の場合助けたり、重要な事は夢で知らせたり、また特殊の使命をもつ者は神様(大抵は産土神)がお助けになる事もある。例えば汽車が衝突しようとする場合、神様はどんな遠くでもよく知られるから、一瞬にして汽車の霊を止めてしまう、その場合何百、何千里でも、一秒の何十分の一の速さでその場所へ到着し救われるのである。以上によってみても、奇蹟なるものは、決して偶然やマグレ当りではなく、立派に理由があるのであるから、それが判ったなら、奇蹟は不思議でも何でもない事になる、だから私などは奇蹟があるのが普通で、奇蹟がないと不思議に思うくらいである、この例としてたまたま難問題に打(ぶ)つかって、解決がグズグズしていると、もう奇蹟がありそうなものだと待っていると、間もなく奇蹟が出て解決する事がよくある。これは信仰が深く、徳を積んだ人はそういう体験は数ある事と思う。従って、人間は善を思い、善を行い、徳を積み、霊衣を厚くするよう心掛けていれば、不時災難など決してないのである。また霊衣の厚い人程接すると何となく温味を感じ、慕わしい気持が起る、よく人を惹きつけると言うのはそういう人である。だからこういう人には自然多くの人が集ってくるもので、仕事も旨くゆき、発展するようになるのである、今一つの例を挙げてみるが、以前から私が行き始めると、その家は必ず繁昌する、また私に接近する人は、必ず発展し幸福になる、これは私の霊衣の幾分でも貰うからである』

 

【御教え】特別講習会御講話  昭和15年11月9日

『西洋医学は霊をぜんぜん知らぬ、否認めぬ故に癲癇、狂人などみんな脳としている。

肉体は霊体を入れたサックのごときもので、使用に堪えねば霊は出て行く。

霊はふつう死んでから四十九日まではその家におり、五十日目に行くべき所へ行く。ふつうはお寺へ行き、神道ならば産土神社または信仰している団体へ行く。お寺で葬られれば一時お寺にいなくてはならない。そして間もなく自分の信ずる所へ行く。ところが信仰する所がなければ、お寺に長くいることになるのである。人間が死ねば煙のようになると思う人は、お寺にもおれず宙に迷うのである。中有界に迷うので六道の辻ともいい、ここは辻のようなもので、四方八方どこへでも行けるのである。

この世で死んでも邪神界へ行くものもある。仏界にも地獄、極楽あり、神界でも天国、地獄(根底の国)あり、そこで修業する、というのは浄化作用が行なわれる。罪は苦しまねばとれない。

これを迷信という人こそ迷信である。ある程度浄化が行なわれると生まれ代わる。霊魂はどしどし殖えつつあり、天国、地獄でも生まれる。

霊界でできるだけ長くいたほうが幸運である。思い続けた想念は滲みついているもので、また死の時の想念も続く。非常な美人は前の世はまずい顔だったかもしれない。だから女の方は死ぬ前に美人に生まれて来ようと思ったほうがよいであろう。輪廻転生、人間は霊が主で、霊は不滅、肉体は滅びて土となる。五十年とか八十年とか、霊の衣をぬぐだけと言っていい。人間は霊体が実体である。』

 

【御教え】御教え集32号 昭和29年4月15日

『それで美術品も、神様は、ちょっと売り物 に出ないような物を、チャンとこっちに入るような順序がついているのです。神様の計画というものは実にたいしたものです。それと、霊界において、昔の立派 な芸術家や、いろんな大名だとか、将軍だとか、そういう人たちの霊が非常に働いてます。立派な美術館にするために……。それでその霊の奥にある産土の神様 とか、八百万の神様でも高級な方の神様が、いろいろ指図したり力を貸してやってます。だからああいう美術館を作るのも――それは生きた人間を使わなければ ならないが――私は、そういった現界の仕事をするのでも、私の背後にはいろんな神様、いろんな霊が大活動をしているのです。だから思いもつかないことが フッと来るようなことがありますが、“これは働いたな”と思います。その根本が分かれば、あたりまえのことで別に不思議はないのですが、ただ、できたもの を見ると、わずかな間にどうしてこんなものがと思うのです。第一、道具屋とかそういうことに心得のあるものは、どうしてわずかの間に手に入ったのだろうと 思いますが、霊界を知らないのですから無理はないです。』

 

支部長代理

今でも活動されている。一宮の産土神様もメシヤ様はお使いになられていると思います。

 

支部長代理

今までのメシヤ講座とか先生がやっておられた宗教改革というのがあるんですけども、そういったことの中から、身近な、三重の中でも話しておいた方がいいかなと思ったことをピックアップしてこういう機会に話をしていきたいと思いまして。最近ピックアップしたものが、祈り方、どうやって祈ってますかという話しですけども、要は何々のように取り組みますので御力(おちから)を下さい。御力(みちから)をください。そういう祈り方。祈りについてはごくあっさり、メシヤ様はしつこいのはお嫌いです。朝夕拝、御神体を御奉斎されているところはやっておられるかと思いますけども朝夕拝はご在世中のメシヤ様へのご挨拶からきていますので、そういう意味合いです。メシヤ様へのご挨拶です。

 

祈る事【宗教改革より】

支部長代理

「祈る」ということについて「宗教改革」から再確認しておきたいと思います。

・朝夕拝はご在世中のメシヤ様へのご挨拶からきている。

・お願い事は極簡単に。「御力を下さい」→何に対して「御力を下さい」とお願いするか。

正しい行為をする為に、あるいは国家や地域や人々に貢献する為に、ということです。

・家庭慰霊祭を執り行う時には、「ただ今から○○家の慰霊祭を執り行なわせていただきますので、どうぞ御力を下さい」とお祈りします。

・決して何度もくどく言わない事

・「一人でも多くお救いできる浄霊力を身に付けさせてください」という願いが自分の中にあることが大切

・御教え拝読をはじめとして学術書や情報誌、新聞、小説等々に目を通して物を識るということが重要

そうしたものを吸収しつつ、

・「一人でも多くお救いできる言葉を身に付けさせてください」という願いを持ち続けること

・その上で、「御力を下さい」と祈りたい

・メシヤ様にお願いしたときにはすでにご守護を頂いている

・メシヤ様にお願いできるという事自体がご守護なのです。

 

祈りについて気をつけること【宗教改革より】

支部長代理

祈りについて気をつけること、注意事項として「宗教改革」より

・神様から頂けるご守護は進歩向上をお許し頂くためのご守護

・御教えに『神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』とある。その内容に関わることが真の意味の御守護

・人間の願いが叶うということと御守護とは、そうした意味で一致しないこともある。

・今こそ全ての教団が一丸となり絶対的に邪神にやられない体制作りを!

・天国を作るのも地獄を作るのも人間次第

・私達が一生懸命メシヤ様に祈れば祈った分だけ光と力は下さる

・何にも考えずに何にも行動を起こさずにただメシヤ様にお任せするという事では永遠に地上天国は成就しません。

・メシヤ様は『全て準備はした』とおっしゃった事は残っている訳ですから、浄霊力を強化することに努め、御教えを拝読し懸命に動いていかなければ地上天国建設は不可能となる。

・御教え拝読が徹底されていたらまず腰が低くなる。どんな立場の人に対してもふんぞり返らない。

・御教え拝読というのは実践する事です。実践しなければ意味がありません。

・知っててやらないのは罪になる

・メシヤ様に直結すると力が強すぎるから、また、奇蹟が絶大であるために、慢心が生じやすい。

・誰でも手をかざすだけで奇蹟が起こるので努力を怠りやすい

 

心がける事【宗教改革より】

支部長代理

そして、心がけることですが、「宗教改革」より

・正しく霊力を高めるように努力する

1. 体験を積むこと・・・・これは、布教ということによってどの教団でも取り組み、積み重ねることができてきました。。

2. 学習を重ねる・・・・メシヤ様の御日常を拝察するとメシヤ様は神の座にあり、千里眼をもちながらも新聞に目を通され、ラジオのニュースに耳を傾けられました。また、美術書の研鑽も続けられました。そのお姿をメシヤ様の弟子たるもの当然見習い、実践継続すべきです。

3. 人格を磨く・・・・例えば御教えに『下座の行』がある。「能ある鷹は爪隠す」という諺や「実る程頭を下げる稲穂かな」という句を引用されて、上に立つものほど下座の行に取り組まねばならない、とあります。また、『新人たれ』という御教えもあります。人格を磨くことについては事例を多く挙げられていますので、一つひとつ実践しつつ向上を目指さねばなりません。

以上の3点が、最低限必要なことです。これを欠かした教団はおのずから信仰地獄をはじめとする問題を発生してしまいます。

 

◎祭りとは 【宗教改革より】

支部長代理

いきなり祭りと思ってると思うんですが、こういった祭典をさせていただいてますので、祭典の意味合いということで学ばせていただきます。これも「宗教改革」からです。

 

神様のご意図と人間の心が真に釣り合う事を真釣りというのです。ここから祭りという言葉が生まれた、ということになっている。

御神体に向かってお祈りすること、太陽に向かってあるいは東に向かってお祈りすることの根幹は何が一番大切かと言うと、神様の御心と自分の心が真に釣り合うという事。御教えどおりにいつも自分が実践しているという事が一番大事。

顕祭:ご神体がある家でのお祈り

幽祭:ご神体は無いが、信仰心があってお祈りをしたいという気持ちは幽祭

・これは形に表れているか表れていないかという事

・しかし本来の信仰生活というものは幽祭の部分が多い

・信仰は祈ることばかり、手を合わせることばかりではない

・如何に御心に適った生活をするかが、本来の信仰

・御教え実践が信仰

信仰しているというのは、御教えを実践することですよ。

 

◎薬を飲んでいる人への浄霊について【宗教改革より】

支部長代理

この箇所は資料を用意していたのですが、時間の都合上お話できませんでした。しかし、昨今の状況を見ておりますとお世話をしていく上で大切なことかと思いましたので掲載しておきたいと思います。

 

Q.薬を飲んでいる人に浄霊をしたら駄目だという御教えがありますが、これは絶対に駄目だという気持ちでとらえればよいのでしょうか。

A.絶対に駄目だとは言えないでしょ。問題が生じてしまうから。しかし薬を止めて浄霊を頂けば必ず奇蹟は頂けます。

Q.必ず・・・・・

A.そうです。必ず。これは絶対の真理です。問題は体力です。必ず奇蹟をいただくが、問題なのは体力なのです。状況を十二分に吟味して、そのことを説明して本人が決めるのです。

指導者が決める事ではありません。指導者は状況をどのように見極めるかが役割なのです。

 

重病患者が薬を止めて浄霊のみで治していきたいというのであれば、家族の了解もしっかり得た上で臨機応変に対応して行くのが望ましいでしょう。

しかし何度も念を押しますが、医者にかかるにしても浄霊一本で治すにしてもあくまでも本人の意思と言うのが徹底されていないといけません。

誘導するような形になってはいけないので、ここは特に気をつけてください。

メシヤ様のやり方はどんな場合でも臨機応変だったのです。

本来の在り方は提示するが、選択は『本人のご随意に』というご姿勢がありました。

指導者の言われたとおりにやるというのはどちらに転んでも問題を発生させます。

以前お話ししたくも膜下出血の方への対応ですが、「何があっても一切責任は問わないで」という確約を取りました。

 

メシヤ講座の進め方について

支部長代理

これからどのようにメシヤ講座を行っていこうかという話しがありまして、本部でもメシヤ講座を読んでもらったように、一つテーマを決めて勉強させてもらう、今回は霊層界ですね。そいったことと、地上天国祭での総括的な話しをということでしたので、今回こういう形にしました。

それと、支部それぞれの特徴があるし、支部で抱えている問題ということもあるでしょうから、そういったところにもスポットをあてて特徴を持たせて勉強会をやってってほしいということがありますので、方針として。

僕は自分でこういうことを話した方がいいかなと思ってピックアップしてやらせてもらったんですけども、何か皆さんからテーマとかこういったことというのがあれば言ってもらえれば、その話しもさせてもらえるように、僕もちょっと勉強しておきます、ということなんですけど。どうですか?気になる事とか…。

〇〇さん、信仰長いよね、一番。

 

参加者

基礎的なことが分からないので、観音様とメシヤ様のことが分からない。メシヤ教と観音様とか、そういうことが分からない。深いところが分からないので。

 

支部長代理

元々日本観音教団だったことはご存知?

 

参加者

はいはい、それで観音様?

 

支部長代理

昔の御神体は座行観音様、あそこに掛かってます観音様、絵姿の。あの観音様が御神体だったんですよ。観音様関わりありますし、玄関のところに、日の出観音様、メシヤ観音様と言いますけども、あの観音様はメシヤ様が御描きになられたもので、本部の御神体でもあったわけですから。

元々は観音様の信仰であって、観音様というのは大慈大悲、全てのものを救われるのですから、ただ菩薩という位に下がって、神の位から菩薩の位に下がってすべての人を救っていく。まずそこから始められた。だからいつまでも観音信仰ではなく、今は、この前の祭典は天照皇大御神をお迎えするという祭典だったわけですから…。

あっ、そうか、まず観音様からやね。

それで、入会教習なんかのときには、『文明の創造』と観音講座、メシヤ様の御在世当時の入会教習は観音講座をしておりましたので、その講座は結構難しいんですけども、そこのところを織り込みながら、これからやっていこうかなということになっております。

すでに入会している人はしっかり分かっているものとして拝読しとかないかんよと。そういったことを教えていく立場になっていきますので…。

勉強しましょうか。話せる時間を取ってもらえれば個別に話もさせてもらいますし…。

観音様の話の中では、仏教では観音様の後ろに光背、ここに白毫、これが⦿(ス)の形にもみえますよね。

前にある宗派の仏教講座を聞きに行った時には、阿弥陀さんの話しでしたけども、本来仏像を拝むのではなくて、仏像の後ろにある「光背を拝んでるんですよ」という話しがありました。そういったことを考えると観音様とか、そういう仏像の御光を拝む、いわゆる主神様を拝むということに通じるのかなという話しは前にメシヤ講座で話したんですけども。仏教も全部包含しているよと、そういうことだと捉えればいいかと。また聞いて下さい。

では、時間になりましので終わらせていただきます。

 

司会

以上をもちまして月次祭を終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。

 

[メシヤ講座no.196 三重支部 2017(平成29)年7月7日]

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