メシヤ講座no.196岡山(平成29年7月)

<今月の学び>

「地上天国祭」の意義と想念のあり方、「霊層界」

 

【メシヤ講座 岡山支部】

支部長

皆さん、月次祭、おめでとうございます。今年も早いものでもう7月になりましたけど、今年の3月3日までにですね、責任者がある一定のレベルまで到達するようにという事で進めていたんですけど、中々思うように進まなくて、神様の目から見ると眠っていた状態だというふうに言われていました。

 

それで、3月の時には全員失格だという事で、6月15日まで執行猶予をいただいて延ばしていただいてですね、そしてそれぞれがそれなりにそれぞれの立場で精進させて頂きました。そういう中にあってですね、3月に代表がお亡くなりになられて、これから本当にいろんな事を聞きながら進めていくのにどうしようかと・・・これで本当に6月15日が迎えられるかなぁというふうに皆不安の中でですね、なんとかコツコツと積み上げた中、この度の6月15日を迎えさせて頂きまして、そして箱根で祭典を行い、熱海で祭典を行いまして、その祭典の結果ですね、皆さんにご報告させて頂きましたように、一応神様からは一定のラインに到達して合格だという事をですね、軸になる方が到達したので・・・軸になる方というより核になる・・・核になる立場の者がですね、自らの自覚を持って、そして自分の今までの殻を破ってやって行くという姿勢が見えてですね、それなりの評価をして頂けて、そういう中で合格という事になりました。
箱根ではですね、〇〇さんもかなり緊張しててですね、三拍手もままならないような状況の中で祭典、参拝させて頂いて・・・また丁度その時に携帯電話も鳴ったりしてですね、ここで水さすかというような感じでね、本当に〇〇さんもガクっとしてたんですけど、それでも一生懸命祝詞を奏上して頂いて、それからその祭典が終わってすぐに熱海に移動して、熱海もですね、本当に・・・代表の方からはどっちも重要で、どっちか落とすと駄目だと言われていたんですけれども、それで一生懸命祝詞を奏上させて頂いて、なんとか皇大御神様をお迎えする事ができてですね、本当に良かったとホッと胸を撫で下ろしたんですけども、そうした中で御垂示を頂きました。

 

それで、その御垂示を頂いた内容を確認させて頂くのと、それからですね、代表の方からのご指示で今日の学びの内容というのは、6月15日の意義というのが非常に大事なので、その事をもう一回肚に落として徹底するようにと・・・そして霊層界の御教えもですね、一回学んでいるだろうけども、一回学んでいる所はもう一度・・・そして学んでいなかった所はですね、改めて徹底して学ぶようにというご指示を頂きまして、それで今日皆さんに配らせてもらった資料がですね、前回も学んだような霊層界の学びになりますけれども、その学びをもう一度・・・これが全ての基礎になってですね、結局これからいろんな問題が出てくると言いますか、神様が直接的に皆さんに働かれるので色んな問題が出てくるようです。そういう中にあってですね、問題解決をしていくのに人に原因を転嫁するような姿勢ではダメなので、全ての原因というのは何処までも自分にあるんだという基本的な所がしっかり押さえてなかったら、なかなか問題解決にならないという事がありまして、霊層界の学びをしてくれという事ですので、その三つを時間の許す限り学んでいきたいなぁというふうに思います。
それでは一番最初にですね、「地上天国祭の意義と想念のあり方について」という資料を出していただいて・・・〇〇さん読んでもらえますか?

参加者

はい。

 

平成二十九年六月十五日「地上天国祭」の意義と想念のあり方について

 

 

支部長

ありがとうございました。この趣意書と言いますか、意義と想念のあり方についての資料ですけれども、これを何人かの人が話し合いをしてまとめていただいてですね、それでまたチェックをしてもらいながら進めて行きまして、最終的には代表の方からパーフェクトであるというお言葉を頂きまして皆さんに出させていただいています。

それでですね、この中の後ろから9行目の所ですね、非常に大事な所は・・・。

 

「昭和二十九年、正しい認識と想念の下、メシヤ様に真向かえず、この六十有余年、ご経綸を遅らせ、正しい神を封じ、その教えを曲げ、救われるべき人を救い得なかった我々人間の不明と不徳とその罪を心よりお詫び申し上げるとともに」

 

という事ですから、そういう姿勢で実はですね、地上天国祭のご参拝というものは本来しなくちゃいけなかったんです。その為に普通だったら祭典の5分前ぐらいにですね、今日の司会のようにですね、祭典の姿勢作りに努めていただくようにするんですけれども、この趣意書をですね、早めに読んで皆の想念作りを・・・何回も何回も読む時間をですね、持っていただきたい為に、20分ほど前に座っていただいてその時にこれを読んで霊界作りをしていただいたという事なんです。

 

ですから、それがですね、その当日の祭典の形に表れているはずなんですね。で、神様はですね、3拍手をして祝詞を上げると出てこられますけれども、出てこられてですね、例えば浄霊を取り次いだりずっとしてますけども、「終了します」と言わない限り神様は元の御倉に帰られない・・・その間ずっとですね、今日もそうですけど、ずっと我々の御前に御出座して下さっております。で、その浄霊を頂く時だけが神様から光を頂くんじゃなくてですね、祭典中はずうっと神様の霊位に包まれてるという・・・皆さんね、私もそうですけど、そういう霊界に身を置いてるんだという事です。ですから、そういうことからですね・・・トイレの時には仕方がないんですけどね、トイレは立って行って良いんですけれども、携帯電話が鳴ったりとかそういう事も心に隙があるためにね、携帯電話の電源を切らなかったりマナーモードにしなかったりしていたという事になります。

 

そういう事について、実はわざわざ霊界からご指摘を頂いてます。それが皆さんに今日配らせて頂いてる資料の中にもあります。当日の祭典の様子というものが今配らせて頂いてる資料の中にありますので、ちょっとそれを読ませて頂こうかなぁと思います。
「いつもの方からと楳木代表からの連絡事項」という事で3枚くらいの資料があると思うのですけれども、皆さん手元にありますかね?
それでこれをちょっと読んでいきますと、箱根祭典時に見えた情景というのがですね、上から9行目にありますよね?そこから読みますね。

 

御垂示―箱根祭典時に見えた情景

1.祝詞奏上の際

大きな劇場の様な所が見えました。照明はかなり薄暗く、演劇が上演される時の様な感じです。

次に舞台が見え、客席から見て左側の舞台の袖に楳木先生が控えていらっしゃる様子が見えました(舞台上だけは明るいです)。

先生はいつもの祭服で、正座の様に傅き、軽く頭を下げて祝詞をじっと聞いています。

 

2.御浄霊の際

先程の舞台が見えました。メシヤ様が舞台中央にお立ちになり、薄暗く誰一人いない静かな観客席に向かって集団浄霊をなさっていました(そこは劇場ではなく、救世会館の御参拝室でした)。

参拝席全体に御浄霊をされているわけではなく、前中央部の割と狭い範囲に向けてずっと御浄霊をなさっていました。

楳木先生はそのまま祝詞奏上時と変わらず、軽く頭を下げた状態で舞台袖にじっと控えています。

緊迫した雰囲気がかなりの間続きましたが、何故メシヤ様は誰もいない所に御浄霊をなさっているのか、そして一体どなたに向けて集団浄霊をなさっているのだろうかと不思議に思いながらずっとその様子を見ておりましたら、急に場面が明るくなり、「○にゝ」の御神体が見え、続けて御浄霊をされている菅谷さんの姿が一瞬見えたので、メシヤ様は時空を越えて箱根に集まったメシヤ教の皆様に向けて御浄霊をされていたのだと分かり、本当に驚きました。

そして御浄霊が終わり、それと同時にその様子は見えなくなりました。

 

3.体験発表の際 

発表時に携帯の呼び出し音が何度か鳴りましたが、その時楳木先生の物凄く厳しい表情が見え、その都度鋭い目でその携帯をお持ちの方を見ていらっしゃいました。

また、トイレ等で途中退席される方の中で、一部の方が祭典途中である事の自覚がなかった、楳木先生がいないからと軽く思っていた人がいた、誰がそうだったのかというのはしっかりとこちら側からは見えている、帳簿につけられているという指摘がいつもの方と楳木先生両方から伝えられました。

信仰をしているといってもやはり本人ですら自覚のない唯物思想が根強く影響している、人間側から見たら霊界の方は見えないだろうけれど、反対に霊界側からは体がある時以上に丸見えなんだ、心根まで見える、と付け加えていらっしゃいました。

 

支部長

という事です。先程も言いましたが祭典の時というのは、祭典が終わりますというふうに司会が言わない限りは神様はそこにおられますので、その時にですね、中座をしたりトイレは仕方がないのでトイレに行って速やかに帰れば良いんですけど、トイレに行ったついでに他の人と雑談したり、或いは一服しようかという様な事でね、タバコ吸って戻ったりするようなそんな事であったら、ここにある様にですね、本当に帳簿に付けられるという事は、閻魔の帳にですね、付けられているという事で大変な神様に対する冒瀆になります。ですから、可能な限りですね、祭典中というものは用事を作らないようにですね、月次祭なら祭典の時間から時間まではキチッとおられる様にですね、して頂ければ良いかなぁと・・・都合があって帰られる方も時々おられますけれども、そういう事では神様の御神意に適わないという事になって行きますからですね、心して頂ければなぁというふうに思います。結局ご守護を落とすのは本人ですからね、ご守護を落として貰いたくないのでね、こういうふうに霊界からわざわざご指摘いただいていますので、これから気をつけて頂ければなぁと思います。

 

御垂示-熱海祭典時に見えた情景

1.祝詞奏上の際

箱根での祝詞奏上時と同じく、楳木先生が舞台左側の袖で正座をして頭を軽く下げた状態で控えていらっしゃいました。

その時はメシヤ様にお仕えしているお立場である感じが強く、あまりこちらに対して接する事が出来ないといった雰囲気がありましたが、その中でも原田さんの祝詞の拍子に合わせてそっと二度頷いて、最後に「よし」という感じを出していました。

メシヤ様のお姿ははっきりとは見えなかったのですが、舞台の上は見え、人間のお姿ではない光の種の様なものを感じました。
祭典翌日になってから気がついたのですが、箱根御参拝時にメシヤ様が集団浄霊をなさっていた一画はメシヤ降誕仮祝典の為にメシヤ教の方々が集合して御参拝した位置でした。

熱海御参拝時にはメシヤ教の皆さんがあの辺りに集まるというのをご存知だったのだなとその時にようやく分かりました。

祭典時に見えたものは以上です。

 

御垂示-祭典終了後の夜

そしてその日の夜、先生の様子が見えました。

(6月15日 PM8:44)

楳木先生が大役を終えた雰囲気で、やれやれ、ホッとした…という感じの様子が見えました。満面の笑みで、充実感・達成感が本当に伝わって来る、大変清々しいお姿でした。

その様子から、神様がお出ましになるにあたり、先生は神様にお仕えするお立場でありながらもメシヤ教の皆さんをお導きする指導者として先生ご自身が集められた因縁ある方々がきちんと神様をお出しする事が出来るかが問われていたという事がじわじわと伝わって来まして、大変な重責を担われていた事が分かりました。

この内容を受けて、本当に申し訳なさと感謝で胸がいっぱいになりました。

 

支部長

という事です。そういう事で祭典の様子を頂きました。それからですね、続けて読みますけども神様からのメッセージなんですけども・・・

 

『今回は自分の中で高める努力をしてきた者と、今までとそう変わらない者との差がはっきりと出た祭典だった。』

 

支部長

ずっと6月もそうですけど5月からですね、地上天国祭のために学びをずっとして月次祭での学び、勉強会での学びという事でして来ています。そして、皆さん方はその家庭の中にあっても学びの復習であったり、それからまた御教えの拝読であったりとされてきて、そしてずっと積み上げて来られたと思うんですけど、そういうふうにコツコツ積み上げられて来た方と、今までとそう変わらない者と今までの参拝の延長線上の様な形でですね、参拝した方とがね、二手に分かれたと・・・。

 

『ちょうど二手に分かれた様な格好になった。』

 

支部長

というふうに仰られています。ですから、これから・・・ずっと読んで行きますけども・・・これから自分の自覚が非常に問われて来る時に入ってきていますので、本当に一つ一つが本当にメンタルテストで一歩一歩乗り越えて合格して行って頂く様にですね、精進して行って頂きたいなぁというふうに思うんですね。続けて読みますけど・・・

 

『仮祝典を執り行ったという事は、神様がお出ましになったという事。』

『お出ましになったという事は全員のあり方、そのものをご覧になったという事。』

『今回は主要な立場がある者がどれだけその立場に相応しく目覚めるか、自覚して動けるかが主なところだったので、(一般信者さん方のあり方に対して)お許しがあるかないかは別として、第一関門は通過した事には変わりはない。』

 

支部長

だから、信者さん全員がですね、第一関門は・・・核になる者の高まりの中で兎に角どうこうあってもパスしてるんだという事をね、言って下さっていると思います。

 

『そしてこれからはその評価対象は主要な立場ある者から一般の信者までの全体に拡大される。・・・』

 

(取次者)

という内容でした。

メシヤ降誕仮祝典の挙行を目指す中で3月3日までに求められていたレベルに到達出来た、その成果として仮祝典が認められた、神様がお出ましになったという事だそうですので、主要な方々のお働きの上に多くの信者が祭典に身を置かせて頂き、そして神様とのご面会が果たす事が出来ました。

もし求められていたところまで達していなかったら、勿論メシヤ降誕仮祝典は再度失敗に終わっておりましたし、また神様とのご面会も叶わず自分達の使命を果たす事が出来ませんでした。

また長い時間をかけて因縁ある者を全国から集めて導いて下さった楳木先生の思いや努力は無になるところでしたし、何よりもここまでお待ち下さっていた神様を蔑ろにするところでしたので、厳しい指摘もありますが、神様がお出まし頂けたので本当に良かったです。

本当にありがとうございました。

 

支部長

ということでした。ですから先程も言ったように、〇〇さんの緊張も分かるんです。〇〇さんが失敗しても私が失敗してもですね、結局は皆さんを全部地獄の底に送ってしまうようなことになりかねない、そういう今回は厳しい祭典だったですね。

そういうことで何とか合格を頂いて、神様がお出ましになられたものですから、これからが愈々本番です。そして代表がお亡くなりになられて100日目、百日祭が、実は本部の7月の月次祭の日と重なっていたんですね。そういうこともあってですね、7月が本当にこれからのメシヤ教のスタートというふうな位置付けの元にですね、心ある支部の責任者は集まって、神様に改めて決意とですね、代表にその報告とをさせていただいてスタートを切らせていただいたという、そういうことでした。

ですから今日はですね、岡山支部としても新たなスタートとの位置付けの元にですね、私自身も参拝させていただきましたので、これから本当に皆さんと一緒に一体となってこの本祝典に向って精進していきたいなぁと思います。それから引続いて読んでいきますと、

 

(取次者)

そしてメシヤ降誕仮祝典をお認め頂けた事によってこれから色々と変化があるとの事ですが、楳木先生から信者さん全員に向けた伝言がありました。

 

「今までは何気なくさせて頂いていた事が出来なくなる(止まる)。」

「より気を引き締めて、お詫びをし、やり直す事。」
(6月18日 AM7:11)

 

(取次者)

この内容は、今までは許されていた事もそれは今までのレベルだったからで、仮祝典以降はそれまでとの差が出来ているので今までと同じという訳にはいかない、道理に合わない事はすぐ正される様になる、だから今まで以上に気を引き締めて気付かせて頂いた事はすぐお詫びをし、自分を修正させて頂いて本物に近付く様に、という意味です。

裏を返すと向上が許されるまでに来たからこそ道理に合わない事は指摘される、そこまでいかなければ指摘されないまま罪を重ね続けるという事だ、という部分まで伝わるものでした。

 

支部長

指摘されるから変わっていけるんで、指摘されなかったらこのまま罪を重ね続けるという事なので、非常に厳しい、ある意味恐ろしい部分をですね、ここから転換していけるということになっていきますので・・・そういう中では、自分達の心の中で葛藤がありますので、自分の副霊とか本守護神とか、或いは正守護神とかが入り混じりながらの葛藤があるかもしれませんが、それが実は浄化ですから、それをコントロールできる自分になるように、正しいことが出来るような自分を作っていくことが向上していく基になっていきますので、そういう姿勢でですね、・・・具体的には神様が直接その人に働きかけるという事で、前にも皆さんに言ったと思いますけれども、そういうふうになっていくようですので・・・今日も〇〇君がそんな感じのことについて少し触れていましたけれども・・・そういった意味では、これからの一日一日は非常に大切になって行きますので、自覚を持ってやっていただければなぁと思います。

それから続いて読みますと、

 

(取次者)

翌日には向上に関しての説明がいつもの方からありました。

上記の先生からの伝言内容を更に細かく、現実的に伝えているものでした。

この事はこれをご覧になっている方に伝えられているものですが、この内容は先程の内容と同様信者さん全員にかかわる話ですので、これをご覧になっている方から信者さんに合わせて色々とお伝えいただければと思います。

(6月19日 AM8:37)図1

(図1)

今回は全く言葉で書き留められないイメージの様なものが届き、説明が難しいのですが、展開をしますと、仮祝典を挙行したという事はそこに身を置いた人間のこれまでのあり方、状態、生き方そのままを神様がご覧になった(神様がお出ましになった→成功)という事なのだという意味が入っています。

 

支部長

ということですから、皆さん方一人一人の生き様、それから心の状態、あり方というものを全て神様がご覧になったということのようです。

 

(取次者)

そして霊界(神界)では審査というか会議の様なものがあり、一人一人が会議にかけられて審査されているとの事でした(20日時点で既に審査済みの方もいらっしゃいます)。

一人一人の良いところや要修正箇所等が、その人の特徴や役割に応じて判断されているとの事で、今厳密に審査されているそうです。

その修正箇所は一人一人に言い渡され、色んな形で本人に分かる様に提示されますので、提示された箇所に気が付いたらお詫びをして、きちんと直して、これから光が強くなって更に厳しくなる時期を進ませて頂く様に、との指示がありました(浄化なのだから、ありがたく受けて綺麗にならなければ、との事です)。

メシヤ様の根源、天照皇大御神様をお迎えして更に神様とご縁を太くさせて頂きましたので、大浄化時代にあってもしっかりと動ける様な光の強さに相応しい人間にして頂く、救う側に回して頂く第一歩なのだ、という事を強調しているものでした。

そしてこれらをただ恐れるのではなく、受け止め方として、“神様をお迎えしての事であって、神様と意思を交わして行われる浄化、向上が許されるのだから神からの恩恵・大愛である”という見方をしてもらいたい、との事でした。

これからの強い力は、人間にとって時代に適応させて頂く力にもなり、また淘汰させる力ともなるという事でした。

 

支部長

今読んだところは大変大切なところでですね、今審査に掛けられて一人一人がチェックされて、そしてその人にね、みんなそれぞれ長所を持っていますし欠点もありますけれども、長所に応じて欠点に応じて霊界から具体的にね、色々な指摘がどうもあるようですので・・・そしてこれから・・・ここには書いていませんけれども、代表はもっと直接的に皆さん方に働きかけられるようです。それだけ代表が(御魂が)大きくなっているということのようですね。

ですから我々の向上と共に、代表との共同作業で御神業を進めていくという話をしたことがあると思いますけれども、段々とそういう時期に入ってくるということのようです。ですからそのように受け止めていただければと思います。

それからですね、先ほど読んだ所と同じような内容になるのですが、大事な事なので添付させていただきました。読んでいきますと、

 

(取次者)

仮祝典を挙行し、神様がお出ましになった(仮祝典成功)という事は、そこに身を置いた人間のこれまでのあり方・状態そのままを神様がご覧になった、という意味の事を伝えてきました。
そして霊界(神界)の方では審査・会議の様なものがあり、その身を置いた一人一人が会議にかけられているまっ最中だそうです…。
一人一人のあり方そのものが仮祝典の時の様子に凝縮して表れていた、反映されていたとの事でして、その人の良いところ、要修正箇所等が厳密に会議で審査されているそうです。
審査終了とともに修正箇所等が様々な形で本人に分かる様に伝えられる(現れる)、言い渡されるので、そこに気が付き、お詫びし、きちんと直しつつやっていけばいいのだ、向上が許可された、お許し頂けたからこそ古い自分を脱ぎ捨てる様に促されるのだからね、との事でした。

 

支部長

ということです。メシヤ様も新たらしく生まれるという言葉で表現をされていますけれども、我々もですね、自分はこうなんだというものの捉え方ではなくて、変わる努力をしていくということがこれから求められるということで、それが出来なかったら出来ないような状況になってしまうというような、そういう理解をしていただかないといけないのかなぁというふうに、今回のお言葉は厳しいお言葉ですけれども、我々に一番にチャンスを与えていただいていて、今浄化するという事は、これから火素がもっと強くなりますけれども、今の内に許されることが御守護ですよね。

だから軽い浄化でですね、少しずつ出させて頂いて、御神業にお仕えする人はですね、一度にむちゃくちゃな浄化は来なくて、身体が使える程度の浄化で済ませていただけるような浄化をいただけるようになっていきますから、出来るだけですね、御神意に適う自分作りに務めていただければいいのではないかなぁというふうに思わせていただきました。

それからもう一つ言うのを忘れましたけれども、参拝されてない方についてもですね、

 

(取次者)

先程仮祝典に身を置いた者と書きましたが、勿論そこに繋がる方、神様をお迎えする事に心を寄せていらした方も含みますので、当日御参拝出来なかった方もその審査対象に入ると思われます。(後略)

 

支部長

というふうに書かれておりますので、代参お玉串をお届けられた方や、それからそれが出来て無くても同じ時間に参拝された方とかですね、そういう心、想念を通わせた方については、そういうふうにですね、メシヤ教の方に関しては、そういうふうになるということですから、そういう形で物事が進んでいくということですので、是非ともですね、最初の趣意書に戻りますけれども、最後から5行目ですかね、

 

メシヤ様御尊影に真向い、同じ「天照皇大御神」様の御神名を奉唱申し上げ、来る平成三十年三月三日「メシヤ降誕本祝典」において、人類がメシヤ様を歓喜と感謝のうちにお迎えし、絶対的救済力を如何なく発揮いただきますようお祈り申し上げるとともに、メシヤ様に繋がるすべての者を人類救済の大業と地上天国建設にお使いいただけますよう、衷心よりお願い申し上げるものであります。

 

支部長

というのが熱海の祭典だったんですけれども、今度の本祝典に於いてもこういう心持でですね、メシヤ様をお迎えしてお祈りができるようなね、そういう自分作りを目指して、1年も無い、半年ちょっとくらいしかない状況ではありますけれども、そういう中でですね、本当に一生懸命精進させていただければなぁというふうに思います。

 

それから続けてですね、「地上天国祭」並びに7月2日の本部「月次祭」の時、霊視がありまして、その霊視の内容とその解説をちょっと読ませていただきます。

 

霊視報告

1.地上天国祭

ご浄霊が始まると同時に頭の右側に一瞬 激痛が走りました。光を感じます。
地面の奥深く 、地底から  光が溢れ出しています。
何本もの線になって光が放射されています。

場面が変わり 笹舟が浮かんでいます。小川から川に流れ出すようです。
笹舟の中には方向を誤り  修正しながら流れて行きます。
(右進左退に回っている笹舟は左進右退に是正され流れを変えて行きます)
川を流れ終え 目の前に海が広がっています。波間が黄金色に輝いています。

場面変わりました、人々が走って逃げて来る様子です。
やがて 人々の姿は見えなくなりました。
山道の様にみえる場所から凄い勢いの土石流のように流れてきたのは黄金色の光です。
以上です。

 

(霊視の解説)

○○さんの頭の右側に走った激痛は、霊視する時に受け取ったものを人間の視覚、霊視データとして体的に変換する時によく使う機能・脳の部分が、光が強すぎて若干ショートした感じになった、電流が強過ぎた感じ、と仰っていました。

次に地面の奥深く…という場面に関しては五六七が合わさった、一体化したという事を表現している、との事でした。

今回の地底から溢れ出す光という事で、「七」がキーワード、「地」の面を強調しているそうです。

体的にも現れた、形になったという意味で、そうなるといよいよ三六九(地上での経綸が目に見える、神様の意思通りに現界が整備されて適材適所に配備されていく実際の動き)がスタートした、という事を表しているそうです。

地球の芯から発せられているものなので、地上に立っている者全員がその影響を受ける、誰も避けられない事なのだと仰っていました。

ちなみにこの部分の霊視は前回の霊視にあった“山の頂上から麓に向けて三本の光が射して…”というところに深く関係していて、前回は三つが出揃ったという事でしたが、今回は全部出揃った事を受けて、それの結果としてどうなったのかを「地・七」の目線で見た感じだとの事でした。

地は“それを受ける”という働きがあるのだ、と強調されていました。

笹舟は人間の姿を表現していて、これからスタートで、色々と紆余曲折ありながらも修正しつつ進んでいく姿だとの事でした。

そして地上天国という大きく広い世界へ流れ着いていくという事ですが、地上天国というのは一人一人が大きく広さを持って、そして繋がり合う世界という意味もあるのだから、と付け加えていらっしゃいました。

(笹舟ですが、霊的なノアの箱舟的なニュアンスも少しあるね、と仰っていました)

人々が走って逃げて来る、そして土石流のように流れてきた黄金色の光というのは次に地面の奥深く…という場面の解説で皆んな分かるよね? という感じでした。

 

2.本部月次祭―ご浄霊時

雲海が広がり、雲海より出でた三つの山が見えます。
右側の山の頂点辺りが  スパッと切り取られ中から光が勢いよく飛び出しました。
ぐるぐると光を放ちながら 縦、横、回り続けています。例えるなら  光を放ちながら回転するとても大きなハンドスピナーのような感覚です。

切り取られた山を上から見ています。
中は暗く何も見えませんが光が飛び出した後、空洞になっているようです。

場面が変わり、いくつもの懐中電灯がこちらに向けられています。
あらゆる方向を照らしています。全員が照らされています。

人々が一例に歩いています。その中の一人の左肩に正方形の白い布が縫い付けられています。
布に書かれていた文字は、「 薬入り」でした。

厳しい表情の方が椅子に座っておられ、人々が通るごとに表情は変わられ、厳しい時もありますが大きな口をあけて笑っておられる時もありました。閻魔大王様のようです。

やがて、地面が渦を巻き、何もかも呑み込んでいきます。地の底に行くようです。
渦の中には人の姿も見えます。以上でごさいます。

 

御垂示

支部長

そうしてですね、その御垂示を戴きましたので、読ませていただきます。

 

(取次者)

雲海が天と地を分けていて、山が三つというのは右から日月地、火水土、五六七等のその右という事で日(天照皇大神)を地の方でお迎えした動きがまた天に影響して、霊界の方では一層昼の動き、明るさがどんどん増していっている様を表現しているのだそうです。

そういう事で雲海の下はどうなっているのかというのが山の中が空洞になったという部分で、節目であり、動きがなく静かな様に見えますが、お迎えした後ですので、お迎えする前の活動(活火山)ではなくなった、別な時期に切り替わった事を表しています。

しかし、静かな時期に見えて実は地上では本格的に事は始まった、派手ではないけれど本番に入った事を表現しているのが懐中電灯のところからの場面になるそうです。

先程の右の山から光が勢いよく飛び出していますので、地の方では日の系統の国常立尊の働きも大変活発化してくるという事で、こういうのが現実化してくるのだというのを表しているそうです。

地面が渦を巻いて人も何もかも呑み込んでいるという事は地獄、消滅が決定したものの処理で、働きが既に開始された事を表現しているとの事でした。(7月3日 PM2:46)

 

支部長

こういう内容です。左の肩にね、薬入りと書かれているという事はもう決定的ですから・・・もうそういうふうなですね、審判がいよいよ始まったということを表わしているんではないかなぁと思いますので、そういう中にあるね、メシヤ様とご縁を戴いている我々だという姿勢でですね、物事を捉えていくようにしていただければいいのかなぁというふうに思わせていただいています。

 

それから先程配らせていただいた、「霊層界」の御教えを出していただいて、これは一度皆さんと一緒に学んだ内容なんですけれども・・・それでは〇〇さん読んで下さい。

 

『霊層界と人間』

『霊界は、天国八衢地獄の三段階になってゐる事は、既に詳説した通りであるが、之が人間の運命と密接な関係が有る事を、爰に説かふとするのである。

霊界に於ける三段階は大別しての事であって、細別すれば一段は六十に別れてゐるので合計百八十段になってゐる。勿論、層になってゐるので、私は、霊層と名付けるのである。そうして此霊層に対し、人間は如何なる関係があるかを順次説いてみよう。

私は曩に、人間は肉体と霊体と密着してゐる事を説いたのであるが、その霊体なるものは、実は個体ではなく、今一つの或物との繋がりがあるので、その或物を名付けて幽体といふ。幽体とは、霊の霊であるともいへるので、霊体が肉体を、支配する如く幽体は霊体を支配してゐるのである。此意味に於て、人間の生命の真の根源は、幽体そのものであるといってもいいのである。

そうして幽体とは、霊界の生活者であるから、人間死するや、霊体は直ちに幽体に引かれて幽体と密着する事になる。それは生前、霊体と肉体と密着してゐたのと同様の意味である。又幽体は、霊界に於ける百八十段層の何れかの層に属してゐる事は勿論である。然し乍ら、幽体の居点は常に一定する事なく、その層の段階を常に上下してゐるが、普通時は或範囲内に限られてゐるのである。稀には、その範囲外へ出づる事がある。それが肉体的に表はれる場合、運命の急転となるのである。

人間の運命即ち幸不幸は、幽体の居点である霊層の階級によるので、それは実に決定的である。

そうして霊界に於ても主宰神があり、八百万の神が分担管掌してゐる事は、曩に述べた通りであるが、幽体に対し、断えずそれぞれの命令が下るのである。従而、その受命者の任務遂行が霊体に反映し、肉体に反映し、肉体がその如く動くのである。

如何なる人間と雖も、自己が計画し企図する事が、常に実際に於て意の如くならない事多いのは誰もが経験する所であらう。従而予想外な運命や、意外な結果に逢着するといふ事は、実は現世の人間の予想や思念は、幽体の運命に左右されなければならない法則であるからである。又自分自身に対し、眼に見へない或大きな力が常に支配しつつあるやうな感想が大抵の人は有るものである。この支配者とは即ち幽界に於ける支配者即ち神であって、健康、富裕、平和の世界であり、之に反し、下方にゆく程、病気、貧困、争闘等の絶間ない醜悪世界である。その中間帯である八衢が丁度現界に相応してゐるから、現世は健富和の幸福、病貧争の不幸と入り混ってゐる事は、誰もが知る所である。

右の理によって、現世に於ける幸不幸は、幽体の住する界層の階級によって定まるものである。従而、人間が人為的に如何に幸福を求め、実現しようと努力しても意の如くならないのは、右の理に由るからである。然し、現世に於て斯ういふ例もある。それは富裕者であり乍ら足るを知らず、吝嗇なる事貧困者と異ならない人があるが、之等は人為的に苦心努力の結果、一時的富裕者となったまでで実は幽体は下層にあるから、斯様な人が死後霊界に往くや、幽体相応の貧困者となるので大いに後悔するものである。

故に、幸福者たらんとするには、幽体を上層に住する事より外に道はないのである。然らば、それは如何なる方法によるかといふに之は何人と雖も知らねばならない事であらう。
茲処で、幽体が何故上中下に分離するかといふ事であるが、それは左の如き理由によるのである。

即ち、幽体の重量によるのである。軽い程上層に、重い程下層に往くのである。そうして軽いとは幽体が清浄であるからであり、重いとは溷濁してゐるからである。溷濁とは勿論罪穢に因るのであるから、清浄な幽体たらんとするには、その罪穢を滅消しなければならない。然らば罪穢とは何ぞや、言ふまでもなく自己愛による不正、虚偽の手段を以て人を苦しめ世を毒するといふ悪の行為によって発生し堆積するのである以上、それを滅消するには、その反対である利他愛による正義真実等の善的手段によって人に幸福を与へ、国家社会の為になる行為を多くすることより外にないのである。勿論それは厳然たる天則で、人力の如何共為しがたいものである。

右の意味によって、私の説く現幽相互の関係を知ると共に、衷心から信じ得らるる人こそ幸福の門に一歩入ったといふべきである。

右の霊層界に就て、今少し言ふ事がある。天国に相応する所の上層界は、健富和の活力が生々として流通しつつ、上層程それが高度である事は勿論である。斯かる説は、私の観念による仮説と思はれ易いのであるが、決してそうではなく、事実である事を立證してみよう。

私が永い間、本医術によって患者が治癒した場合、健康恢復のみではなく、性格も一変する事である。それは争を厭ひ、親和的となり、楽天的となるのである。特に講習を受け病気とそれに関する霊的事象を知るに及んで人生観が一変すると共に、不思議な現象が起り始めるのである。それは健康のみではなく必要な物資も恵まれ豊かになる事であって、而も、人為的では更になく、惟神的に思はざる所から、奇蹟的に入手するのである。斯事は受講後の誰もがいふのであるから、誤りはないのである。又、今迄不和であった人と親和し、今迄よりも人から尊敬を受け引立てられたり、希望が実現したり、仕事の能率が上り、試験にパスする等幸福的の事象が非常に多くなるといふ話をよく聞くのである。

右は、如何なる訳かといふと、病患の治癒者、特に受講せし者は、人間の健康や生命の実を知るに及んで、盲目であった霊魂が、飜然と覚醒するのである。彼の釈尊が曰った等覚を得て仏となり、正覚を得て菩薩となり大覚を得て如来となるといふ意味と同一であらう。従而、受講者は等覚を得るのであるから即心即仏となり、霊的地位が向上する訳で一躍霊層界の上級に転位する事になるので、右の如き事象に恵まるる事となるのである。』

[著述篇4-P.530(明日の医術3)  昭和18年10月23日]

 

『御教え集30号』

『・・・今読んだとおり、運が良くなる、思うようになるという事は、理窟を知ってみれば非常に簡単な話なのです。ここを自分が知ると共に話してやればよいのです。ところがそういう肝腎な事をやらないで、ただ人為的にうまくゆくように一生懸命やるのだからして、結局何んにもならないので、無駄をやっているわけです。それで、百八十段という層になっているのですから、その層の居所によって運が良い悪いになるのです。この層の良い所は良い事ばかりが流れているのです。そこのところは神様は実にうまく作ってあります。低い所は悪い事だらけなのです。悪い事が満ちているのです。上層になるとそれがだんだん少なくなり、今度は良い事に変って来るという事になっているのです。そういうようで、人間は何処かに居るのですから、良い方に居るようにすれば、其処に行けば運が良くなるに決まっているのですから、何んでもないです。

よく方角が悪いとか良い家が見付からないとか、いろいろな事がありますが、それは霊界の居所が下ならどんなに良い家に住まおうと思っても、其処の世界には良い家がないのだから見付かるわけがないです。霊界の層が上に行っていれば、今度は、探さなくても見付かるようになります。其処に住まわなければならない事になっているのです。それが運命です。ですから、よく支部を作っても発展しないとか、どうも信者が出来そうで出来ないという事は、自分の魂の居所、霊の居所が低いためです。それから又、どうも自分は一生懸命に信仰しているが、親父は反対ばかりしている、或いは伜が全然分らないという事は、自分自身の霊的位置がまだ低いからです。それで自分自身の霊的地位が高ければ、他の者もどうしても其処の所に引上げられるのです。というのは、親父でも伜でも、みんな霊線が繋がってますから、親なら親の枝ですから、親がずっと上に上ると伜もそれについてゆくわけです。そうすると話をしてもよく分るわけです。ところが自分自身の地位が低いからして、幾ら口を酸っぱくしようと、気をももうと、敢えて効果がないわけです。ですからそれには自分の霊的位置が向上するという事が必要です。それには、一人でも多くの人を助けて、神様の御用をする事で、それによって自分の曇りが減って、そうすると霊が軽くなるから上に行く。上に行くから、他の枝でも縁のある人でも、自然にそれについて来るわけです。だから凡て思うように良くなるというわけですから、結局において自分にあるのです。

それから又、こんなにしても自分は苦しい事や災難がいろいろあるという事は、それはまだ霊に重い点があるからして、神様が軽くして下さるために、軽くするには人を救うか、若し救い方が足りなければ自分が苦しむかで、このどっちかで曇りが取れるのですから、その点さえ分れば、世の中は決して難かしくも何んでもないものです。結局、一切は浄化作用です。それで浄化作用とは一つの掃除ですから、ゴミがあるとどうしても掃除されなければならない事になっているのです。・・・』

[講話篇12-P.165  昭和29年1月26日より]

 

『御教え集30号』

『・・・霊界は層になってますから、そのとおりが写るので、つまり層というのが人間の魂の居所なのです。ところがこの魂という奴が人間全体を支配しているのですから、魂の居所という事が資格です。だから魂の資格さえ上になっていれば全然苦しみはないわけです。しかしそうかと言って人間今までにいろいろな罪穢れや薬毒やいろいろなもので汚しているから、その掃除をされなければならないのです。

・・・これはみんなよく知っているでしょうが、そういうようなわけで、運が良くなるという事は、どうしても霊的地位が上に行くという事なのです。だからして“どうも思うようにゆかない、困る事が多い”という事は、結局自分の霊界の地位が低いからです。例えてみれば“自分は信仰に入って有難い、よく分るが、どうも親父の奴は分らない”又“娘も伜もこれに反対してしようがない、どうしたらよいだろう”というように考えている人は随分あります。それは自分の霊層界の地位が低いからです。若し自分が高ければ、自分の家族の者は霊線が繋がってますから、自分の霊が高上すれば、その繋がっている枝でも幹でも、自分の地位の方に引張り上げられるわけです。私が何時も言う“分らなかったらウッチャラかしておけ、急(アセ)って早く信仰に入れようという考えはいけない”という事はそういう事です。ですからそういう事は全然考えないで神様に御任せして、自分だけが一人でも多くの人を助けて、神様の御役に立つというようにすれば、自分の霊が上って行きますから、そうすると他の者も自然につり上げられるから、黙っていても分るというわけです。結局において、根本の根本というものは自分の魂の居所にあるのです。ただし魂だけが上に行っても、自分の霊や或いは肉体が伴なわないという事は、そこにまだ汚れがあるからで、それの浄化が起こるわけです。 ・・・』

[講話篇12-P.169  昭和29年1月27日より]

 

支部長

今御教えを読んでいただきましたが、一度学んだ所も再度勉強しなさいというご指示をいただいての学びなのですけれども、この中にありますけれども、一人でも多くの人を救うということか、或いは自分が苦しむということによって霊層界が上っていきます。また、その中にはご奉仕ということも入ります。支部での奉仕、或いは出張所の奉仕は徳積みになっていきますから、それもですね、言われてするというのではやはりいけませんので、自発的に、自分がそういう思いになってするというふうにですね、何事も受身ではないようにですね、これからは人に世話される側ではなくて人の世話をする側に皆さん方は、どちらかというと回っていただかないといけないし、ここに書いてあったように、自分の地位が上っていかなかったら人を救う人も近寄ってくることは出来ませんので、どこまでもですね、家族や他人では無くて自分に原因があるわけなんですから、自分自身の魂を如何に上げるかということをですね、これからも課題にしてですね、しっかりと積み上げていただければいいのではないかなぁと思います。

そしてその営みの一つとして奉仕を積み上げていくということも自らの課題としてですね、していただければ、さらに徳積みは許されていくのではないかなぁと思います。

 

主神様メシヤ様がですね、勿論代表もそうですけれども、メシヤ教の信者さんにですね、特に一番に目を掛けていただいてですね、他の教団の人よりも先にミロクの世に残る資格を与えようとされておられますので、それにはどうしても、今までのね、自分達が積み上げてきたもの、それから今まで生まれ変わり死に変わりしてきた中で身に付けた癖というものがどうしても出てしまいます。心がほっとした隙に、今日の御垂示を学んだようにですね、本当にちょっとしたところにそうした癖が出てきますので、そうした事がでた時にはですね、その都度お詫びを申し上げて改めてやっていくというようにですね、そういう姿勢がこれから特に求められていくのかなぁと、それから素直な人ほど楽に峠を越えていけますので、そういう信仰姿勢を見につけていただければありがたいなぁと思わせていただいております。

 

詳しい説明は前回の学びの時にさせていただいたので、今回はいいかなぁとも思いますが、今月も自宅でしっかりと学びをしていただいて、神様からのお言葉、代表からのメッセージをしっかり自分のものにしていただいてですね、この1ヶ月間を有意義な1ヶ月間として過ごしていただけたらと思います。

 

以上で終わらせていただきます。また、質疑があればこの後、質問を受けさせていただきます。それから、今日は「天恩地恵」の夏号が・・・春号の後にすぐ出てきましたけれども、この中にですね、この度の「地上天国祭」の内容が出ていますので、見ていただいて自分自身の信仰というものをもう一度、見つめていただければいいかなぁと思います。以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

司会者

以上もちまして7月度月次祭を終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「日と月」等の学び

[メシヤ講座no.196 岡山支部 2017(平成29)年7月5日]

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