メシヤ講座no.197本部(平成29年8月)

<今月の御教え>

『日と月』、『大乗たれ』、『大乗と小乗について』、『程とは』

 

【メシヤ講座 本部】

 

菅谷支部長

それでは皆さん、改めて月次祭おめでとうございます。

 

先月の月次祭が終わってからですよね。水害が起こったのは。ここは大丈夫だったということなんですけれども…。こちらへ高速道路を使って来る時に、家が埋まっていたり沢山の流木が流れ着いていたりと大変な状態の場所がありまして、ニュースでしか見ていなかったものですから「これは本当に大変だったのだと…」。昨年は熊本と大分で震災がありましたし、7月は水害ということで被害に遭われた方々に対して心から御見舞いを申し上げます。

 

しかし、今また台風が来ていて…。実は私、先月の帰りは台風と一緒に帰ったんですよね…、ずーと鎌倉まで…(笑い)。途中で寄り道したんですけれど、台風が進路を変えて結局気が付いたら2,3回台風の目の中に入っては出るを繰り返しながら最後鎌倉に帰りついたらもう通り過ぎて行って、「いやあ、ちょっとこれは…」と思っていたんですけれども、内心「まさか今回も…と(笑い)」。

 

雨には御縁があるんですけれども、でも2回はちょっときついなあと思っているところですが…。龍神様の御働きが昼の世界に入ってより活発になっているのかなということもありますので、逆に御清めという面では有難いなと受け止めさせ頂いています。

 

それから、7月の後半にメシヤ教としての形というか組織というか…、そういったものが一応完成したんですね。それで神界の方から御指示と御了承をいただきまして、7月28日に出来上がったのですが、箱根と熱海に御挨拶に行かせていただきまして、その際に少しまた修正の御指示をいただいたのですが無事に形が整いました。

 

これからはですね、まあ7月はメシヤ教としての形が整って本格的に「世界メシヤ教」の復興に向けて今神界の方では大変な勢いで、楳木代表をはじめ先達の先生方、勿論神様が凄く御働きになられていると思います。

私は、箱根と熱海に御挨拶に行かせていただく前に夢を見たんですね。それはですね、これから楳木代表が決意表明されるんだ…という夢なんですよ。代表の車で乗り付けてその建物のそばに止まったんですけれども、それでここに止めてはいけないかなと思っていたら、どうぞと言われ中にということで中に入ったら何千人もの人がいて凄い熱気で、「これから楳木代表が決意表明をされます。」という夢だったんですよ。それが7月25日前後のことなんですよね。ですから、これは霊界では大変なことになっていると…。

 

前回の御垂示では、我々が向上する時期なので御垂示も少し減るといわれました。反面今まで頂いていた御垂示よりも直接神様や代表から私達の魂に対する色々な働きかけをされていましたし、勿論今もいただいているということです。先月は白い上下を着られ車に乗られて全国の月次祭と開拓布教に出発されたということですので、今はもう大変な勢いなんだな…と思いつつ、我々もこれから一歩ずつ進ませていただけたらと思います。

 

それで御垂示にもありましたけれども、8月の学びとしては『日と月』と『大乗と小乗』に関してということなんですが…。6月15日のメシヤ降誕仮祝典を我々は御許しいただいて挙行させていただきましたが、そこに到るまでの総括という意味も含めて資料を新潟出張所長に纏めていただきましたので、先ずそちらの方を読ませていただきますので聞いて下さい。

平成29年6月15日のメシヤ降誕仮祝典の総括

菅谷支部長

この後ずーと続くんですが…、これを全部読んでいると時間が足りませんので省略させていただきます。

 

結局は「地上天国祭の意義と想念のあり方」の中で「この六十有余年、正しい神を封じ、その教えを曲げ、救われるべき人を救い得なかった我々人間の不明と不徳とその罪を心よりお詫び申し上げるとともに」と書いてありますが、世界○○教もこれまでの歩みの中で色々なそういうことがあったという一例として分かりやすく書かれているのですが、ここの部分はまた後程各々で読んでいただきたいと思いますのでここでは省略させていただいて…、資料のP.16に

 

最後の総括として、「そこで着目してもらいたいのは日の力が弱くて水分の多い世界であっても絶妙なバランスで事を進めて来た神様のあり方で、物質文明を発展させる為にわざわざ本来の順序を逆にして月を上にして日を隠してもなお世界が壊れない様に保っている凄さ、そしてその結果としての唯物思想・物質文明の強固さを見れば主神様の実行力の凄さは分るだろう、自分達の周りを見るだけで主神様の思惑通りに事が進んできた結果・成果が見えるだろうという事を仰っています」

 

これは日月併せ持たれる伊都能売神様の面目躍如であり、太陽の光が普く照らすのも、火と水のバランスがあって光るという意味では主神様も伊都能売神様の要素は同じといっていいものであるのだから、最強のタッグを組んでおられる事を意味する。

 

兎に角、著作権問題で教団も本格的に御教えの整理に当たらなければならない必要性に迫られ、岡田茂吉全集の編集、発刊も進んだであろうし、私も浄霊会を離れる切っ掛けともなり、結果的にメシヤ教に繋がったのだから、絶妙なお仕組みの中に組み込まれた「縁」といってもいいかも知れないと思ってしまう。

そういう意味でもどうしても来年の3月3日に向けてより一層奮励努力が要求されていると思っても間違いはない。

 

主神様を世にお出しするには世界メシヤ教関係者、またそこから離れられた方々も一堂に会して「メシヤ降誕本祝典」に向けて一斉に動き出す事を願ってやまない。否、先達の方々も続々とメシヤ様の下に集められているに違いない。

それは私の父はH6年に帰幽しているが、H20年に帰幽された浄霊会当時の会員さんがその1年後に‟今、私は先生(私の父)と妙理神にお使い頂いている。妙理神はメシヤ様を中心にして30柱位の神々がメシヤ様から御用を頂いている神様の内の一柱であられる”という深奥神界の様子を通信して来たのである。アレから10年が経とうとしている。先達も浄化されて因縁の神様の下でお働きになられているに違いない。因みに妙理神とは白山神社の御祭神、白山比咩の尊様であり別名菊理媛であり、御本尊は十一面観音様というのであるらしいから、メシヤ様とも近しい神様であられるから何とも嬉しい限りである。

 

6月15日の翌日、前々から「戸隠神社と妙高に行ってみたい」と案内を頼まれていた件で、私の家から戸隠迄で200km離れているので、私の家に来られて200kmも往復するのも大変だからと仮祝典の帰りに寄る事になったのである。後で考えてみれば仮祝典の翌日に石戸開きの地(?)に行ったのであるから、‟何と偶然な事か„と、「本当の石戸開きが目睫の間に迫っている」と叫びたい衝動に駆られる思いです。

 

以上を持ちまして人間側のH29年6月15日メシヤ降誕仮祝典の総括とさせて頂きます。

 

菅谷支部長

この資料の省略した部分は後で読んでみて下さい。

 

それで今回庭山さんが総括として書かれたということなのですが、このことはメシヤ教の我々一人一人が6月15日の仮祝典を迎えさせていただくに当たっての歩みを総括として一度振り返っていただいて、そして改めて”6月15日を終えてどうだったのか“ ということや、”これからどのような形で進ませていただくのか”を再度ご自分で確認していただいた上でこの8月をスタートしていただけたらと思います。それを発表して下さいとは言いませんので…(笑い)。それぞれに纏めて自分の中で消化していただけたらと思います。

 

やはりここに歩んで来る迄に、他の教団から来られた方が殆どですけれども、沢山のことがあったと思うんですね。しかしそれは必要があったということが言えますし、前回の『霊層界』の御教え、今月の『大乗と小乗』に関する御教え『日と月』の御教えこの全部が繋がっていますので、6月15日を起点として大切な御教えですのでしっかりと拝読していただけたらと思います。

 

それでは、『日と月』、『大乗と小乗』に関する御教えを拝読させていただきます。

 

 

8月度メシヤ講座研鑽資料

菅谷支部長、拝読

 

『日と月 』

 

宗教上より見たる日と月に就て説明してみるが、之は甚だ神秘幽玄にして、コジツケとみらるる節なきに非ず、然し之は真理である以上、心を潜めて判読されたいのである。日本古代に三種の神器がある。之は璽(タマ)、剣(ツルギ)、鏡という事になっているが、即ち玉は日であり、剣は月であり、大地は鏡によって表徴されている。玉は太陽の形であり、剣は三日月の形であり、鏡は八咫(ヤタ)の鏡と唱え八凸に分れている。即ち東西南北、艮  辰已 坤  戌亥の八方を型どったものである。此三種の中で大地は判り切っていて説明の要はないが、日月に就ては深い意味があるから、それを書いてみよう。

 

茲で解り易くする為、天理教で唱える説を借りてみるが、それは月は突であり、日は引くという意味で、日月とは引きと突であるという。之はなかなか面白い解釈と思う。それは夜の世界に於ては何事に於ても突く事を好む。大にして国と国とが互いに突き合う。戦争がこれである。衝突という事も突き合いである。古代に於る戦争は剣で突き合った事は明かである。それが転化して交際することもつき合いという。文字が違うだけで言霊は同一である。突進むという言葉は勝利を意味する。全く月の働きであり、夜の世界を表わしている。

 

右に引換え、ヒキ、ヒクは、退く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する、腰を低くする-というように凡て月と反対であり、此理によって昼の世界は凡てがヒキの働きであるから、負ける事を善しとする。人間では謙譲である。之では争いの起りよう筈がない。吾々の方では風邪を引く事は良いとしている。本教団の目的が病貧争絶無の世界を造るという。その争がなくなるのは以上の意味から考えらるるのである。本教団は日即ち火素の活動が主である以上、月でなく引きを心に銘じて活動すべきで、それによって多くの人が引寄せらるるのである。

 

又日は玉であるから、円満清朗。円転滑脱でなくてはならないのは勿論である。

[自叢十二  昭和25年1月30日]

 

『大乗たれ』

 

私はいつもいう通り、大乗の悪は小乗の善であり、小乗の悪は大乗の善であるという事であるが、此肝腎な点をどうも忘れ勝ちな信者があるが、之は大いに反省して貰わなければならないのである。判り易く言えば、何事も大局的見地から観察するのが大乗的観方である。それに就てよく説明してみるが、一生懸命善と思ってしている事が、結果に於て案外教の御邪魔になる場合がある。而も斯ういう人に限って自力的で人間の力を過信し、大切な神様の御力を不知不識忘れ勝ちになっているのは、誰でも覚えがあるであろう。

 

又、斯ういう事も屡々聞かされる。それはアノ人は随分熱心にやっているが、其割合に発展しないのはどういう訳であるのかと訝(イブカ)るが、之こそ小乗信仰の為であって、小乗信仰の人はどうも堅苦しく窮屈になるので、人が集って来ないから発展もしないのである。而も一番不可(イケ)ないのは、物事が偏りすぎるから常識を外れて、奇矯な言動をする。之を見て心ある人は、本教を低級迷信宗教と思い、軽蔑するようになるので此点大いに注意すべきである。処が其反対に、それ程熱心に見えないようでも、案外発展する人がある。斯ういう人こそ本当に大乗信仰を呑み込んで実行するからである。

 

今一つ言いたい事は、小乗信仰の人に限って、他人の善悪を決めたがる。之も私は常にいう事だが、人の善悪を云々するのは飛んでもない間違いで、人間の善悪は神様以外分るものではないのだから、人間の分際で善とか悪とか言うのは僣上(センジョウ)の沙汰で、如何に神様を冒涜する事になるか分らないので、之程大きな御無礼はない訳である。何よりも斯ういう人に限って独善的で鼻が高く、人徳がないから発展しないばかりか時には碌でもない問題を起し勝である。

 

此例として、終戦前の日本をみればよく分る。忠君愛国の旗をかついで、全国民命掛でやった事が、アノような結果に終った一事であって、此道理は大なり小なり何にでも当嵌る。成程其当時はみんな正であり善であると思って行った事だが、此善は小乗の善であるから、自分の国さえ良ければ人の国などどうなってもいいという利己的観念の為の其報いである。それに就て私は先頃「世界人たれ」という論文を出したがつまり其意味であって、大乗の善即ち世界的善でなくては、本当の善とはならない事を示したのである。勿論斯ういう考え方でゆけば、侵略戦争など起りよう筈がないから、アノような悲惨な目にも遭わず、今日と雖も平和を楽しみ、世界から尊敬される国になっていたに違いないのである。

 

別言すれば、愛にも神の愛と人間の愛とがある。即ち神の愛は大乗愛であるから、無限に全人類を愛するが、人間愛は小乗愛であるから、自己愛や自分の仲間、自己の民族だけを愛するという限定的であるから結論は悪になる。此意味が分ったとしたら信者たるものは何事に対しても、大乗でゆかなければならない訳で、即ち神の愛を確かり胸に畳んで御取次する事で、必ず好結果を齎(モタラ)すに決っている。故にどこ迄も神の御心を心とし、無差別的愛で臨む以上、誰しも快く接する事が出来、喜んで人が集って来るのは当然であり、発展するのは間違いない事を、最近感じたまま茲にかいた次第である。

[地30号  昭和26年11月25日]

 

受講者、拝読

『大乗と小乗について』

 

(前略)何でも神様にお任せすればよいという事も真理なのですが、やはり人間はできるだけ努力しなければなりません。神様にお任せきりで努力も何もしなかったら、これもやっぱりいけません。だからそこで大局において神様にお任せし、方針はどこまでも努力し一生懸命にやるという事も必要なのです。とに角そこの使い分けです。そこで経と緯の両方、大乗と小乗を使い分けるわけです。大乗がよいからと言っても、小乗がなくてはならないが、ただ小乗の方が主になってはいけないので、大乗の方が主になって、小乗の方が従にならなければなりません。その使い分けに難かしい所があり、言うに言われない面白味があります。(中略)

 

そこで結局「程」です。一方に片寄るから、そこに問題が起こったり無理があったりするのです。そこで「程々」という事が伊都能売になるのです。私は以前読んだ事があるが、山岡鉄舟の書で、大きく「程」と書いて、小さく「人間万事この一字にあり」と書いてありましたが、私は実によい言葉だと思いました。実に簡単に言い現わしてあります。「程」という字は大したものです。伊都能売という事の働きは、一字で言えば「程」という字でしょう。それで「程」という事は、やはり春秋の気候と同じで、暑さ寒さの「程」です。「程」というのはどっちにも片寄らない、丁度よい所に収めるというそれをよく現わしてあります。あの人は程がよいと言うと、その人は非常に好ましいという事になります。ところがその程がよいという人は寔に少ないので、大抵はどっちかに片寄ってます。だからそれで失敗したりうまく行かなかったりするのです。今日は珍らしくお説教になりましたが、よく世間でのいろんな信仰や道徳といったものでは、こういう話が多いのです。しかし救世教ではこういう話をあんまりやりませんが、やっぱりこういう話もしないと片寄るでしょうから、そういう意味において偶にはよいと思って話をしました。

[御垂示録21号  昭和28年6月1日]

 

『程とは』

 

私は以前某所で、山岡鉄舟先生筆の額を観て感心した事がある、それは最初に程という字が大きくかいてあり、其次に小さく“人間万事此一字にあり”とあった、之は今以って忘れられない程私の心に滲みついている、というのは、私は今日迄何十年の間、何かにつけて此額の字を思い出し、非常に役に立っているのである。

 

昔からよい格言も随分あるが、之程感銘に値いする文字はないようだ、たった一字の意味であるが、何と素晴しい力ではないかと思う、従而此程の字を標準にして、世の中の色々な事をみると、何にでも実によく当嵌る、例えて言えばやり方が足りないとか、やりすぎるとかいう事や、右に偏ったり、左に偏ったりする思想、金があると威張り、ないと萎びたりするというように、どうも片寄りたがる、多くの場合それが失敗の原因になるようだ、彼の論語に中庸を得よとの戒めもそれであろう、昔から程々にせよとか、程がいいとか、程を守れという言葉もそれであって、つまり分相応の意味でもある。

 

之に就て、信仰的に解釈してみると、いつもいう通り、本教は経と緯、即ち小乗と大乗を結べば其真ン中が伊都能売の働きとなるというので、之も詮じ詰めれば程の意味である、従而人間は第一に程を守る事で、程さえ守っていれば、凡べてはスラスラとうまく行くに決っている、嗚呼程なる哉、程なる哉である。

[栄116号  昭和26年8月8日]

 

『大乗と小乗について』

それから昨日話したんですが――昨日と今日との話はだいぶ違うんですが、一つのことを話しておきます。いつも言う通り、大乗と小乗ですね。大乗にあらず小乗にあらず、経と緯ですね。その真中が伊都能売です。それで、もう伊都能売にならなければならないんです。つまり、結ばなければならないんですね。ところが、どうも極端になり易いんですよ。

人間は――何しろいままでの人間は、私がいつも書く通り緯と経ですからね。東洋文明の経と、西洋文明の緯が基本になってますから、人間がみんな経か緯か、どっちかになっている。・・・あれは、左が経で右が緯ですからね。丁度真中が伊都能売になるんですからね。そこで、経緯を結ぶ――それはメシヤ教がやるんですからね。

ですから、その信者が、経と緯をやる人でなければならないんですから――経と緯を結ぶと言う事は、大いにそれに中心を置かなければならないですね。ですから、今年は経緯を結ぶと言う頭でやらなければならない。これは解り切った話で、つまり極端に行っちゃいけないんですね。ところがいままでの宗教は経の方が多かったですね。なにしろ、美術館なんか造った宗教はないですからね。あれは経だからね。又経(キョウ)と言う字が経(タテ)ですからね。それで、今迄そう言う風になっていたからしようがないんで、そう言った様な――経緯を極端に走らないで、ちょうど良い――中位ですね。中位というのがあるんです。やっぱり気候と同じことですね。暑からず寒からずという――それが本当です。ちょうどお彼岸がそうなってます。彼岸といって、彼岸(かなた)の岸ですね。仏教でいうと、極楽浄土なんですよ。あれは良く現わしている。暑からず寒からず――そういったように、すべてをやっていく。そうして、どっちを主にする、というと大乗を主にしなければならないですね。なにしろ――小乗が大乗の中にあるんですからね。小乗の中に大乗はないんですからね。ですから、大乗が主になっている。経緯――十は、長さは緯の方が長いのが本当ですがね。すなわち、緯が大乗で経が小乗ですから、緯が経よりも少し長いのです。緯の働きが経よりも大きいのです。しかしそれじゃ格好が悪いから十の字にして、経緯同じにしておきます。月という字が大乗です。日は小乗になる。月の中に日があるんです。月の下をチョンと切ると日でしょう。日の中に月は入っていない。やっぱり字の意味にも、そう含まれている。それから明の字も月が大きくて、日は入ってますね。その代わり、先に行くほど拡がっている。働きは月のほうが上なんです。そういったような意味で、すべてを企図していくと間違いないんで、ちゃんと神様の思し召しにかなっていくんですね。そういうふうに、どっちにも偏らないで行くと、どんどん発展していくんです。よく、私は自動車の運転に譬えますが、右に行つても左に行つてもぶつかるから、まっすぐ行くんです。だから、信仰の方も、この様にやっていくと、ドンドン発展していく。

[御教え集6号 昭和27年1月2日]

 

菅谷支部長

はい、ありがとうございました。いっぺんに沢山拝読しましたが、どうですか。何度も何度も繰り返して読んでいただきながら、あとは日々の生活、実践の中で、お世話する立場の方ならお世話する中でこういうことが実際に「ああ、こういうことだったのかな」ということが出て来ると思いますので、もう日が出ましたので、今はもう昼の世界ですから、益々こういうことが露骨に出て来ます。

 

ですから浄霊も勿論そうですし、今迄であれば治るのに5、6回はかかっていたと思っていたものが1回の浄霊で治ってしまったりしてきますので、知り合いの方または周りの方とかが、なぜか最近体の具合が余りよくないと言ってくるとか、そういうことになってくるんですよね。私も最近会う人会う人がここが痛いとか、これから病院で検査しなくてはいけないとか…お客さんとかでもそうなんですけれども、そういう人ばかりなんですよ。

 

それでこの間、左膝が痛くて腰も痛いという方の所へ仕事のことで呼ばれて行ったんですけれども、レントゲンとMRIを撮って医者から手術すると言われたんですよ。余り良い病院ではないんですよね。それでもう一つの病院に行って診て貰ったら、そこの先生が「これ、どこを手術するの」と…言うらしいんですよ。ビルを建てたばかりの病院に先に行っていたらしいんですよね。だからそれで…あまり詳しくはいえませんが、わりと若い先生でビルを建てたものだから、とにかく手術をしなくてはならないので…、説明もなしに手術をしましょうと言われたと言うんですよ。それで怖くなって他の病院を紹介して貰って行ってみたらそう言われたと、それでそうだったんですかと…。

 

それから実は私は…ということで、御浄霊を御取り次させていただきました。腎臓の周りに水嚢とかの固結があって腎臓が圧迫されているので腰痛の原因になっていますと言ったら、MRIに水嚢が写っていたと言うんですよね。それを指摘された…ということで、先ず腎臓のほうからさせていただきますねということで、3分位していたら「背中が熱くなってきた。」と。それで続けさせていただいていたら、今度は「足が軽くなってきている。」と。その後15分程御取り次をさせていただきました。そして先日電話が掛かって来て「随分腰がらくになったんですよね。」と。それで「出張から帰ったら、又行かせていただきますね。」と伝えたら、大変喜ばれていました。

 

他にも色々とあるのですが、兎に角身近なことで言うと浄霊をどんどんしていただいて、今迄もされているとは思うのですが、今まで以上にしていただきたいというのと、そしてメシヤ教が核となって世界メシヤ教を復興させていただくということなんですが、やはり世界というふうに考えると、今我々はこの何ヶ月間か6月15日に向けてメシヤ教の中の皆で本当に向上を目指して取り組んできたわけですけれども、6月15日を迎えてこれから神界の方では先程お話させていただいたように、楳木代表も「世界メシヤ教を復興する。」ということで全身全霊、不眠不休当たり前ですけれども…(笑い)で動かれています。私達は不眠不休でというわけにはいきませんが、兎に角私達も想念を大きく持って「世界を救う」わけですから、やはり今回の御教えをしっかりいただきつつ大きな視野で小さいことは疎かにせず積み上げながら進ませていただけたらと思いますので宜しくお願い致します。

 

それから、8月ですのでお盆についての資料を読んでいただこうと思います。

 

お盆の時の対応

受講者、拝読

 

質問者―「お盆の意味についてお伺いいたします。」

 

メシヤ様―『釈尊の大慈悲から盂蘭盆会というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

 

元来祖霊は全部仏壇にいるわけでなく、平常は選ばれた留守番の霊がいるだけで子孫が拝むときだけ仏壇に集まるものである。その際仏壇にはある程度救われた霊だけしか来られない。つまり八衢(やちまた)以上のものが来られるので、地獄にいる霊はお盆のとき以外は来られないのである。

 

お盆には種々の儀式を行なって霊を迎えるのであるが、「おがら」を焚くのはここからお入りくださいという目印である。これはいままで夜の世界だったため霊界も暗いので灯りを見せないと霊がまごつくからである。

 

ここで注意したいことがある。それは仏事はどんな古い先祖でもするほどよい。また長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるがこれはよくない。霊界人となってもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じことで、自分の子供のどの家へでも行けるようにありたいわけだ。従って、次男も三男も全部祭るべきである。

 

位牌が多くて始末に困るときは面識ある祖霊はそれぞれに位碑を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。』

[御教え(昭和24年)]

 

注意事項

 日頃仏壇には地獄に落ちている霊は来ることができません。お盆の3日間だけは帰って来られますので、おおいに帰って来られた方々を接待して御馳走してそれぞれの郷土料理を上げて、そして『善言讃辞』をしっかり称えて上げて下さい。具体的には13、14、15日のお盆の期間中は、毎日1回は『善言讃辞』をあげて下さい。そして朝、昼、晩と自分達が食べている物と同じ物でもかまわないからお仏壇に上げるようにして下さい。(ご馳走をお上げすればもっと良いです)それから初めて御位牌を揃えた場合、遷霊式を終えてからの50日間は毎日『善言讃辞』をあげて下さい。それは今まで位牌がなかったということは今までかかるところがなかったわけなので、亡くなって50日祭までの50日間の慰霊を行うという意味合いがありますから。

以上です。

 

菅谷支部長

はい、有難うございます。

 

御先祖様をしっかりと供養させていただくことが、我々の御神業を進めさせていただく上に於いても大変重要なことです。

 

私自身がメシヤ教に御縁をいただいた3月に初めて川崎支部に行かせていただいて4月の頭に楳木代表がうちに来て下さって、御位牌のことを御相談させていただき設え直させていただいて、それから大黒様の御開眼をしていただいてという感じで、それから数ヵ月後には御神体の御奉斎を許されたということを考えていきますと、その間に一つ一つの段階を経て霊界を整えていくことで、現界では例えば仕事のことにしてもそうですが色々なことが整って来ました。改めて振り返ってみると御先祖様を供養することは大事なんだなと思わせていただいています。今でもお仏壇に対して形だけになる時があるんですが、それでたまにお茶とかをひっくり返したりして…(笑い)、御気付けをいただくことも正直あります。ですから心からの感謝でお祈りをさせていただくと良いのだな…(笑い)とつくづく感じさせていただいております。

 

いただいた課題(浄化)から逃げずに、御教えを基に対処する

兎に角、『日』が出たということですけれども、『善』を助けるということになりますので、個々の『悪』曇りの部分とか『火』で焼かれますので、現界ではどうなるのかというと浄化作用として色々なことが出て来ます。それが悩み事であったり大きな問題であったりとか…。しかしその出て来た課題をメシヤ様にしっかりと御祈りさせていただいて、もし御詫びする点があれば御詫びをさせていただいて、そして真向かって一つ一つに御教えをいただきながら御教えに沿って解決の糸口を見つけて乗り越えて行くという、そういう姿勢が大切だと思います。

 

今度は平成30年3月3日がひかえていますが、我々一人一人がそこに向かって大きな課題をいただいていますので、自分自身から逃げずにもう真直ぐ進むしかないので、ハードルはいくつもあるんです。そしてハードルは倒してもいいんですが避けないようにして下さい(笑い)。避けずに倒してもいいから丁寧に乗り越えていくと、それが本当に実になってくると思います。これから益々『光』も強くなって御守護もあつい反面大変な時期でもありますので其々がメシヤ様と直に繋がってしっかりと進ませていただけたらと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 

それではこれで終わらせていただきます。有難うございました。

 

受講者全員

有難うございました。

 

追記

後日談になりますが、8月10日に菅谷支部長が月次祭の時にお話をされていた左膝と腰に痛みのある方のところへ御取り次に行かれたところ、長年病院にてリハビリとかをされていたにも関わらず全く良くならなかった膝と腰が、今回の2回目の御浄霊で腰は軽くなられ、膝が痛くて出来なかった正座ができるようになられました。

 

[メシヤ講座no.197 本部 2017(平成29)年8月6日]

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