楳木代表よりの御下命を戴いて

新潟出張所 庭山光太郎

(一)、御下命理由

平成29(2017)年5月14日午後7時21分菅谷氏から電話を頂戴する。「代表よりの伝言です」との事。

メシヤ教では「文明の創造」出版以降月次祭のメシヤ講座で勉強会を重ね、身魂の向上に努めて来たつもりであったが、神様が思ったほどには向上がなされていないという事で、今年(平成29年)の3月3日の救世主降誕本祝典には「全員不合格」と判定された旨の通知を発表されたのである。然し乍ら神様は支部長をはじめ役員には6月15日までの猶予を下され、信徒全員が来年(平成30年)3月3日には神様をお迎えさせて頂けると言うか世にお出しさせて頂けるレベルまでの身魂磨きを完了するようにとの何とも性急な事態に立ち至ったのである。処がそれを発表されて22日後の3月25日に忽然と代表御自身が霊界に帰還されてしまい、さあこれからと言うときに茫然自失の状態に立ち至らざるを得なくなる事と相成ったが、代表は次から次へと霊界から信徒に向かって事細かに身魂磨きに就いての注意点や要点を述べられて来られるのには安心しても、急転直下の展開に信徒の方はあれよあれよと戸惑う事もあろうからと、「お前に一つこれを整理して信徒の学びの一助とせよ」との御下命で、菅谷氏からの電話の要点としては、「熱海の意義、天照皇大神の部分、何故平成30年3月3日なのかという事をまとめろ」と言う御指示らしい。

 

(二)、霊示と確信

時間もあまり無いらしいので早速執筆に取り掛かった。

それにしても何故にそこまでの緊急事態に立ち至ったのかと言うと、「メシヤ様の光りの玉が地球大にまで大きくなられた」との霊示を代表が感得されたからである。しかし代表とて霊示があったとしてもそれがどこまで信ぴょう性があるのかという点については明確な裏付けがあった訳ではなかった。ところがその裏付けが、十数年前に私の処に用意されて居たのが分かったのである。

それは私がホームページを開設した平成15年頃で、暫くすると私のHPを見られた方から、その方の「研究の一環です。見て頂きたいとの事で「大メシヤの大経綸」なる題で、冊子だったかメールで頂いたのか忘れたが、文面が送られて来た。そこにはメシヤ様の昭和25年2月4日、世界メシヤ教開教から御昇天になられるまでの重要なる御事績が時系列に記されてあり、初めて目を見張る程の情報も得たのである。それが私的には昭和28年7月の「井上邸での御神事」であった。

その後、私の処にも亡くなられた夫人から霊界通信なるものがあり、「今、私は先生(私の父)と妙理神にお使いしている。メシヤ様を中心に30柱くらいの神々が断えず御用を戴きに、メシヤ様の処にお願いに上がっている」という最奥神界の様子を伝えて来たのである。調べていくと妙理神は菊理媛である事が分かり、井上茂登吉邸の御神事に繋がっていくのである。調査は到々ライフワークのようなものになり、本が一冊出来そうなのである。

そんな訳で本人の了解を得て、私のHPには「大メシヤの大経綸」を掲載させて頂いていたのである。

処がそこには代表をして「腹に落ちた」と言わしめたほどの内容も掲載されていたのである。それが先ほど書いた「今やメシヤ様の光りの玉は地球大にまで大きくなられた」との霊示の裏付けが載っていたのである。将にこの「大メシヤの大経綸」という資料は神様が準備して下さったものとしか思えない。

その代表の腹に落とした内容とは

井上邸での御神事が昭和28年7月で、その約2か月後の昭和28(1953)年9月23日に『今のところの大きさは、この会場(日光殿)くらいの大きさですが、これがドンドン大きくなって行きます』と言うところを代表に提示させて頂いたのである。

「これなら井上邸での御神事から僅か2か月で日光殿の大きさになり、64年も経過した今年、平成29(2017)年に至れば光りの玉も日光殿の大きさが地球大になるのも頷ける。然も昭和28年7月の井上茂登吉邸での御神事から約十月十日を経た昭和29年4月20日に「『この度私の腹中にメシヤが誕生したから産土宮である伊豆山神社に私の代参として、参拝し御礼を言上して来なさい』とお命じに遊ばされ阿部執事が代参」と記されていたのである。

この部分を見られて代表も地球大に光りの玉が拡大した事に確信が持てた訳で、光りの玉が世界的に大きくなった時がミロクの世で、当然審判も行われる事となるようであるから、今その時に直面している事を認識し『肚に落ちた』と言わしめたのであろうと思われる。

 

(三)、ある疑問

『昭和25年6月15日に、静岡県庵原刑務所内でそれまでの光りの玉に御神魂が宿られ段々お育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大偉徳を発揮されるに至るのである』と在るが、御神魂が生まれるには十月十日を要するとしたら、昭和26年4月25日にはお生まれになられるから、御礼のお宮参り(昭和29年4月20日)より相当早い事になる。だから井上邸での御神事の日からの勘定が妥当とすれば、昭和25年6年15日から井上邸での御神事があるまでは極めて緩い成長か、成長がストップ状態で、とにかく成長調整があられたらしい事が分かる。それに就いては3点ほどが考えられる。

1、色んな御神業が山積し、それが片付かないと先には進めない。

つまり昭和28年6月15日箱根に地上天国が完成されて、未来永劫に渡っての世界の大祝祭日となり、世界の建国祭、世界の紀元節、新紀元の元年とまで仰せられ、続いて昭和29年3月23日の御発表によれば、「昭和30月3月3日メシヤ会館開館式を以て熱海の地上天国が完成となり、その日を以てそれまで五六七のミロクが、現界の経綸の三六九になり、あらゆるものは三六九が基本となる」とのお言葉があり、更に昭和29年4月6日、「それを今度のメシヤ会館に使おうと思っています。曲はヘンデルの『救世主』ですが、歌詞は之にしようかと思っているのです」と、救世主降誕本祝典を熱海の地上天国完成の日(昭和30年3月3日)と決定されておられた事が分かるのである。

2、メシヤ様と雖も、生命の原理には従わなければならなかった事。

本来人間も含めた生物の生命というものは、男女を問わず伊邪那美系の生命体である。伊邪那美系の生命体は生と死を繰り返す永遠の生命体であり、では伊邪那岐系の生命とは何かといえば、霊或いは魂の生命体で肉体を持たない状態の生命体である。要するに幽魂の世界で、肉体を持たないが死というものも存在しない。人間が生まれれば現魂を持つと同時に、霊界では幽魂が存在し、例えば人生の転機には神様から幽魂に命令が行き、現魂に届くようなシステムになっている。とすると、最高最尊の御神魂がこの現界に留まり成長するためには伊邪那美の生命体を通過してこそ可能であり、更に「肉体を持たない霊的御神魂であるが故に、メシヤ様の腹中にメシヤが誕生した」と昭和29年4月20日の御発表になったものと推察できるのである。

3、井上邸での御神事と真の散花結実

2を達成させる為には、御自分の肉体は「花」であり、御神魂の誕生を以て「実」を結実された事になるのである。

井上茂登吉邸での御神事によって『今私はどうしてもやらなければならない事がある。邸は人の出入りがあり、途中邪魔が入って出来ないのだが是は将来教団の発展と人類救済に大きな訳がある。その神事に井上の家を使いたい』と仰せられた。その後たびたびお出ましになり、秋、熱海にお帰りになるまで続けられた。その間明主様と井上茂登吉と長谷川ナミ(伊邪冊尊の型・現界の罪を背負う)だけで御神事が行われた。最後の日、『これで間に合った、人類が救われる事になるんだ』と仰せられた。

つまり人類を救うためには御自分の肉体を捨てられる事さえも厭わない絶対愛ともいうべき境地の下での御神事であった事が分かる。この事は火之迦具土(ひのかぐつちの)神様と共通点がある事に気づかされる。つまり伊邪那美神が火の神様を産む事によって陰処が焼け、根の堅洲国に行かれ、それを嘆かれた伊邪諾尊によって火之迦具土神様の首を刎ねられてしまう。然しそれによって御神業が進展するのであるから神様のご苦労が身に染みる。この事も恐らく井上邸での御神事に関わり合いも出て来るようで興味が湧くのである。

その事はさておき、その御神事が終わった昭和29年夏、御浄化に入られ「床にお座りになり奥津城辺りを指差され『今に、あそこに私の永久の住まいが出来るんだよ』と仰せられた」とある。将に、本当にぎりぎりの御神業であった事が偲ばれる。

更に、此時すでに将来の御神体である「ゝ」が決定された事になったらしい。(この事は次項で)

以上のような御神業との関わりを経て、将来を見据えて御帰還遊ばされたのである。

 

(四)、救世主降誕仮祝典と天照皇大神様

昭和29年6月15日に救世主降誕仮祝典が行われた。何故仮祝典であったかという事は前項1で述べた。つまりメシヤ会館の完成に於いて熱海の地上天国の完成を以て、本祝典になる予定であったのが、それまでメシヤ様の御肉体が持たない事をご存じであったので、仮祝典で済ませられ、将来こういうふうにやればいいとの見本を残されて逝かれたのである。於いて

その際の御神名は、メシヤ様の御肉体に対し「天照皇大神」と御奉唱申し上げたのである。スは主であり、ゝもスである。ゝは○にゝであり、〇が太陽としたら、ゝは黒点である。これ即ち〇が天照大御神(太陽)とすると、ゝはその御神魂(黒点)、最高最貴の御倉板挙之(ミクラタナノ)神様という事が出来る。

とすれば、救世主降誕本祝典にはどうしても「ゝ」の御神体の下に執り行わなければならないものと思われる。

 

(五)、最勝妙如来

平成29年4月7日代表よりの伝言の中に、「メシヤ教の創立記念祭が5月5日であることに因んで最勝妙如来様を注目するようにとの御意図か、何度も強調されていた」というのがありました。

ハハァ、「是も入れておけ」という意味なのだと以心伝心ですぐに分かった。最勝妙如来とは、正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)の御佛名である。古事記では天照大御神と素盞鳴尊の天の真奈井の八州ヶ原での誓約の時の五男三女の五男の筆頭で、天照大御神様の長男という事になっている。

要するに負けることがない最強の神様で千手観音様でもあり桃太郎でもあらせられる。又昔話の「カチカチ山」とはこの神様の逸話である。『桃太郎は私である』と仰られているから、メシヤ様ご自身でもある。要するに3月3日に桃の花が咲き、5月5日に桃の実がなり、桃の節句なのだからこちらの散花結実はおいしい。なるが故にメシヤ教が復興されればおいしいし、復興に無関心とあらば、泥舟と一緒に沈む事ともなろう。

光りの玉が世界大になった今こそ、その岐路に立たされている事を感じて頂きたいのである。

 

(六)、譲位

平成28年8月8日今上天皇はいきなりビデオメッセージで、譲位のお気持ちを国民に伝えられた。思えば今上(きんじょう)、明仁天皇とメシヤ様の関わりは深い。何せお誕生日が12月23日で共通であり、メシヤ様はこの日に信者の勧めで生まれて初めてお誕生日のお祝いをやり、明仁天皇がお生まれになられたのを記念され、和歌のお名前に一字を同じくした「明麿」と名付けられたのである。関わり深いその天皇が、ご高齢の為激務に限界を感じられ、御自分の譲位の考えを伝えられた。それを拝見した当初は本当に平成30年3月3日は来るのだろうかと危ぶまれたものだった。もしその日か来なかったら昭和30年3月3日にある可き「救世主(メシヤ)降誕本祝典」が御昇天のままに立ち消えとなり、次なるチャンスさえ無くなるとしたら、三六九経綸の世界は立ち消えとなってしまう可能性さえあるのである。今上天皇様も、前立腺癌をおやりになり、心臓にはバイパスで血液を送られていることなどから、時々だいぶお顔に浮腫みを感じられてお辛そうなお姿をテレビで拝見するが、未だ薄氷の思いもある。何とかクリアして、今しばらくお勤め願いたいと思っているのである。

それにしてもこのタイミングの良さは、単なるご高齢の上での一代限りの限定の法律の下での譲位となるのであろうか。深読みすれば、今上天皇は○○系に当たる。明治天皇時代は日清・日露の戦争があり、大正天皇は第一次世界大戦があり、昭和天皇は第二次大戦を経験されておられ、何れも心ならずも戦争時の天皇であらせられた。戦いは付き物だったのである。然しいくら○○系と雖も、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の薫陶が連綿と生きており、「四方の海 みな同胞と思う世に など波風の立ち騒ぐらん」との戦争回避のお気持ちが強かったことが分かる。 昭和天皇にしても何故戦争回避をしなかったのかとの質問に、「もしあそこで戦争回避したら私は寝首を掻かれていたであろう」と回答されている。つまり弟宮の秩父宮を担ぎ、天皇を弑奉る○○系との確執の動きも肌で感じられていた事を吐露されている。また今ちょうど産経新聞の連載小説に「朝けの空に」と題し、昭和天皇のお母さまの事が載っている。それによると昭和天皇が学習院に入学されると、明治天皇のご意向もあり、院長に乃木大将が就任し、それまでの官僚の院長から軍人の院長に変わって、最も馴染んだ生徒が昭和天皇であった事が記されてあって合点がいくものがあった。昭和とは「日と召と和」から成り、日は天照大神、召(め)すは知食(シロシメス)で統治する、和は世界だから、「天照大神が世界を統治する」という意味を持ち、平成は「平和に成る」と解釈できるから、お二方とも運のいい天皇様という事が出来るであろう。そういうメシヤ様とのご縁がある天皇様の時にこそ、○○系の天皇にその地位を譲位返上される事も強(あなが)ち的が外れているとも言えないのではないか。

来年(平成30年)3月3日の救世主(メシヤ)降誕本祝典が挙行されればメシヤ様は本格的三六九経綸に入られ、待ったなしの救済と審判が目に見えて来る筈である。その一番手に上がる型となるのが譲位問題であり、単なるご高齢での子孫への譲位にあらずして、本質は○○系にその体制が奉還される譲位という意味があるような気がしてならないのである。

[御蔭話(御神業の本筋)2017(平成29)年5月16日]

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