代表御昇天からの2ヶ月間を振り返って

岡山支部 原田穣

皆様、地上天国祭、誠におめでとうございます。

岡山支部の原田です。本日は、代表から代表先生御昇天後の、この2ヶ月間にわたってのいろいろな心の葛藤と言いますか、ありのままの自分をみなさんに話して欲しい。と代表の言葉を通して非常に心が葛藤していたのですけども、そういうことを「ぜひみなさんに報告していただいて、みなさんの学びとして欲しい。」ということでありましたので、御報告をさせていただきます。

 

神様、代表のメッセージに疑問を持つ?

代表がお亡くなりになられて2ヶ月半余り経ちますが、当初は、どうしていけばいいのかと本当に戸惑いました。代表と同じ様なことは誰も出来ませんし、そうかといって前に進むしかないので本当に大変でした。これからはみんなで協力してやっていかなくてはいけないし、この難局は乗り越せないと思いましたので、何とかみんなの和合ということを考えて、メシヤ教としての様々な問題に対処しながらやっていきました。メシヤ教の中でも代表がお亡くなりになられてからいろいろと分からないことがありましたので、〇〇さんを始めとしてみなさん方と協力しながらなんとか一つ一つ解決してきました。そうした中にあって、霊界からは、皆さんもご存知のように、いつもの神様からの御垂示と共にお亡くなりになられて三日後くらいから代表のメッセージも届くようになりました。

信者さんへのメッセージについては全てを皆さんに伝えておりましたが、支部責任者に対するメッセージは、今までの代表の言葉とはとても思えない本当に厳しいものでした。私の知っている代表は、具体的に厳しく人に言われたことがなく、話の仕方も聞いて諭すような言い方をされたり、あるいは、相手によっては遠まわしに言って気付かすように話されていた代表でしたが、御昇天後の言葉はその逆でしたので、正直“これ本当に代表の言葉なの・・・この言葉は信じられない”とか、“どうしてここまで厳しく言うのだろうか”とか“そこまで言わなくても・・・”というような思いが心に湧いてきて、ほんとうかどうか、その信憑性に非常に悩みながらも、今迄通り・・・そうかと言って御神業を止めるわけにはいきませんので今まで通り、支部としての御神業を進めていました。そんな時だったと思いますが、代表から私にメッセージが届きました。私の受けたメッセージは非常に厳しくてですね、

「あなたが一番遅い(低い)。
頑張って遅れを取り戻してもらわないと。
(今年3月3日の祝詞を指し)あれは力がなかった。
(神様に)届いてない。(周囲に)全く響いてない。」

というものでした。思っても見ないようなメッセージで、頭をハンマーで殴られたような感じで、何とも情けないやら恥かしいやら、穴があったら入りたいというような心境でした。

しかし、当初はその言葉をそのまま受け取って、支部の責任者として、御神業といいますか、支部の信者さん方に対して、日々御教えに求め信者さんのために頑張ってきているのにそういう私が一番低いと、きつい言葉なのですが、・・・それはちょっと理屈に合わない話だなあと思ったりして、また祝詞についてもですね、その言霊が霊界を浄めるんだし、一生懸命奏上したつもりの祝詞が届かないなんて、また霊界に響かないなんて・・・それも非常におかしな話だなあと言った具合で、自分の考えを正当化していて代表の言葉の奥にある御真意というものを中々、受け止められませんでした。

終いには、本当に代表からの言葉だろうか、ここまで言わなくても普通に言えばわかるのにとか、そうは言っても、この言葉が本当だったら、みなさんの代表として先達をさせていただいた私としては大変申し訳ないし、自分の姿勢が信者さん全体に影響するんだから大変なことだというように思う自分もそこにいて、色々な感情が入り乱れて、毎日葛藤して、本当に複雑な想いでやっておりました。

 

一言一言を精査する営みに変わる

それまでは、今後どのように進めていこうかということに心を奪われていましたけれども、そのメッセージをいただいて以来ですね、全体のことを考えながらも、ずっとこの言葉の意味を半信半疑ながら何度も読み返して、一言一言の言葉に込められている御神意を求めて、この言葉の意味するところは何なのか、真剣に毎日考え、御神前でメシヤ様にお答えをいただこうとお祈りしていました。

求めようとする思いが強くなってきた中にあっても、心の晴れない、もやもやとした気持ちもあって非常に落ち込んだりもしました。

そういう営みの中で、自分の心の狭さというか、小ささが少しずつ分かってきて、その時の自分のレベル、尺度で判断していたということが分かり、代表の言っていたメッセージが少しずつ理解出来てきました。

具体的には、祝詞の奏上については、実は3月3日の朝、代表から私に、替わって祝詞を奏上してほしいと言われていたのですが、その時には、「はい、分かりました。」と言った後で一言、“私では役不足ではないかと思いますが・・・。”と代表に言ってしまいました。代表と同じようには奏上できないという想いがあったものですから言った言葉だったのですが、「全力でやらせていただきます。」という言葉が私から出なかった時点で、神様からは失格だったのかなぁということを、その後しばらくして、人の言葉を通して覚らせていただきました。

神様は正直な人間と、そして素直な人間をお好きになりますけれども、この一言で祝詞を奏上する以前に落第だったかなと思いました。それがこの言葉になったと思います。本当に神様からのお言葉に対して何と不遜な言葉だったのかと申し訳なく思いました。

そういうことがあって祝詞のことについて非常に御教えに求めたのですけども、そういう中で非常に大事なことが一つあって、

『・・・特に今一つの重要事がある。それは言霊を発する人間の霊の清濁が大いに関係がある。即ち、魂の清い者程、言霊の偉力は発揮されるのである。それは、霊的階級が上位であるからである。・・・』
[「言霊の偉力」 昭和25年]

とありました。“霊的階級が上位であるほど言霊の偉力は増す”ということは知っていましたけど、その認識が確かに低かったのだと・・・また上手に奏上しようという思いが強くて言葉が上滑りしてですね、誠心がメシヤ様に届かなかったのではないかなと、その時のことを反省しまして、メッセージの通りだったのだと思ってですね、改めて御神前でメシヤ様にお詫び申し上げました。

そして、それ以降、朝拝、夕拝に於いて、今上げた祝詞はメシヤ様に届いているのだろうかということをメシヤ様に問い掛けながら、一期一会の気持ちで感謝の心を持って奏上させていただいていました。時には祝詞の言霊に自分の心が共鳴して感極まって涙が流れてきて、途中から祝詞が上らないということもしばしばありました。それを繰り返す内に少しずつ奏上するということが分かってきました。

また、信者さんに御教えをお取次している時にも、自分の言葉に、自らの魂が共鳴して、涙が出てしまうことが以前より多くなってきました。自分でも不思議なんですけど、これは自らの心が相手のことを思い発している言霊で洗われると言ったらいいのでしょうか、魂が神様の光に浴して喜んでいる姿ではないのかなぁというふうに思いました。そうした時に代表から「そろそろ出番かな・・・」というメッセージを戴きました。

 

時の認識、御真意の理解を・・・

この厳しい言葉の数々は、私への神様や代表からの愛のメッセージなのだなあと思いました。また、霊界からずうっと、支部責任者に対してこういった内容のメッセージがくるということは、何にも変えがたい神の大愛であると思います。そして、私へのメッセージを受けて、ある支部責任者の方は、朝夕拝の祝詞奏上がメシヤ様に届いているのかと、真剣にこれでいいのかと思いながら奏上したということでした。

それから次にいただいたメッセージは、これも非常にきつい言葉なのですが、

「一刻の猶予もないから。もう時間がないのを分かってもらいたい。」

という言葉でした。その言葉をいただいた時は、正直言って、本当にまだまだ自分として“時”の認識が不十分でした。昭和30年3月3日の本祝典の事は頭から離れなかったので、その御神意をずうっと考えていたんですけれども、それに関連する御教えを拝読していた時に、昭和が霊なら平成は体に当たるという代表の言葉を思い出して、さらに考え込んでいた時に、「昭和30年3月3日は、平成30年3月3日の事なんだ。」と、ふっと思いました。これはメシヤ様流のお答えなんだなあとその時に思いました。

お釈迦様が五十六億七千万年後に五六七の世が来ると予言された事はみなさまも御存知だと思いますが、昭和30年3月3日メシヤ降誕本祝典をするというのは、実は平成30年3月3日に祭典をするという事だったのだなあと覚らせていただいたというか、分かりました。そして、昭和29年6月15日に仮祝典、今日祭典を行いますが、この祭典については、メシヤ様と、そして天照皇大御神様の関係を我々に知らすと共に、本祝典のあり方を教えるためと、そしてもう一つは、浄化が非常に厳しくなるため、人間というものはどうしても自分の性格を中々変えられないと同じように、急な対応というのは出来ないので、その間に想念や行動を変えることが出来るように執行猶予期間を与えていただいているのだなとその時に思いました。昭和の時代に本祝典が行なわれていたら、心を改める間がないので、本当に助かる人はなかったかもしれないと思いました。また今もそのように思わせていただいて、これから30年までになんとか小川さんも言っておられましたが、本当に自分の心、魂の向上ということを目指していかねばならないと思わせていただきました。

だから、“一刻も早くそれに気付かせていただいて、霊性を磨いて、自らの魂を向上させないと、もう時間が無いということを代表がメッセージとして我々に伝えて下さったのだあ。”と言うことが言葉を通して気づきました。自分自身ですね、最後の審判が来るという事は聞いていたのですが、いつ来るのか、何時から始まるのかということは、それなりに何事もなく生活ができていて、もう少し先のように受け止めていた部分が実はありました。ところが、既に審判は始まっていて、その真最中なのですね。そして愈々、今日を節目として更に限りない御光、火素が増量してそして来年の3月3日に更に、愈々それが現界的に大きくスタートする。そういう大変な時を迎えているということなのですね。お筆先の一部を引用された御教えの中に、

 

『・・・「此世の大峠が来るから身魂を磨いておいて下されよ。」といふ処もある。之は夜昼の転換期を言ったもので、それを越す為には濁った身魂では駄目だといふ意味である。・・・どうしても正しい信仰によって魂を浄め無事に乗越さなければならないのである。・・・唯物主義者は仲々信じられまいが、其時になって如何に周章てふためき神に縋ると雖も最早手遅れで、どうにもならない事になるのは、火を睹るよりも明かである。勿論神の大愛は一人でも多くを救はせ給ふのであるから、神意を体する吾等としては、繰返し繰返し筆に口に警告を与えてゐるのである。』
[「最後の審判」地12号  昭和25年1月20日]

というのがありますが、この御教えに目が行きまして、霊界からの差し迫った事態に対してね、

 

「大峠は音も無く始まって人間にじりじり忍び寄るのだから恐ろしい、気付いたら手遅れになっているのだから」

というふうに態々(わざわざ)代表からメッセージを頂いていますけども、それにも係わらず、一刻も早く意識を転換して事に当たらなくてはいけないのに、中々そこに気のつかない鈍感な御魂であったなあと思いました。こんな人間では神様も使いようが無いだろうなと思いました。私自身、代表からのメッセージを通して色々と学び、覚らせていただいたこの2ヶ月間でした。そうした意味でこれからは全身全霊でことに当たらせていただきたい、お使いいただきたいと改めて思って、ご神前に額ずき祝詞を奏上させていただきお詫びを申し上げました。この時もまた途中で涙があふれてきて一瞬祝詞が上げられなくなったのですけれど、“何なりとお申し付けくださいませ・・・。”と決意させていただきました。

今という時に現界に生を戴いて、そしてメシヤ様の信徒として生かされている存在の自分、みなさまもそうですけども、本当に来年の3月3日の本祝典に、喜びと感謝を持ってお迎えできる人を一人でも多くお許しいただきたい。と強く思いまして、御教えを日々の糧として、「神格をいただく道」にあるような人間を目指して、自分作りということを、今後も目指して精進させていただこうと思っております。それからこれからも信者さんに支えていただきながら、今後共、御神業を進めていきたいと思っております。よろしくお願い致します。

これで報告を終わらせていただきますが、この度の私の体験が、皆さんの信仰向上のお役に立てればなあと思います。以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

[御蔭話(御神業の本筋) 地上天国祭 2017(平成29)年6月15日]

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